Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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第八話 Fate/stay night

第八話 Fate/stay night

 

副題 死に至る病、善悪の彼岸、弓と竪琴

 

聖杯。万能の願望器たるこの聖杯を手に入れるため、七人の魔術師がそれぞれに七騎の英霊を召喚して行われる殺し合いの祭典。行われる争いの末、生き残ったものが全ての願い叶う願望器を手に入れるその儀式を、人々は聖杯戦争と呼んだ。

 

 

夢を見ていた。私とよく似た男の夢を。

 

男は多くの才能を持っていた。多くの点において他者よりも秀でた才能を持ち、それらを活用する喜びを知っている男だった。その男はまた、才に長けた人間にありがちなよう、一定以下の能力しか持たない他人を自らと同じ人間としてみないという傲慢な性格をしていた。

 

故に男は生涯に飽きていた。何をやっても上手く出来てしまうそんなものに何の価値があるのか男には分からなかった。そして男はそんな己の生涯に飽きていたが故に、やがて自らに最も適性のないとされるものに憧れ、目指し、しかし、やがて才能という壁の前に初めて挫折した。

 

男にはたしかに多くの優れた才能があった。男が自らに唯一存在しないその才能に執着しなければ、多くの素晴らしい成果を残していたかもしれない。しかし男はどうしても自らに適性のないものを身につけたかった。

 

男が欲したのは魔術と呼ばれる通常の人間には届かぬ領域にあるものだった。そして男はそんな魔術という特別な術法を脈々と受け継いできた家系の長男として生まれた男だった。それ故に彼のそうした事情を知る多くの人は、彼が魔術というその道に執着したことを、よくある選民思想に基づくものだと理解した。

 

他ならぬ彼自身もきっとそう理解していた思っていた。自他共に、誰もが男を、『自らこそ特別な人間であると思いたい小人である』と評価した。

 

なるほどおそらくそれは正しいだろう。しかしそれは『結果』に過ぎないのだとも私は思う。

 

男は他者より自分は優れているという自覚があった。男は確かに多くの他者より優れており、そして同時に、しかし真の才人に比べれば大した事ない程度の才能しか保有していなかった。男はそれを認められず、足掻き、しかし高すぎる壁を目前に超える事能わず、彼は挫折し、歪み、結果として、彼は小人になってしまった。もし彼にほんの少しでも欲した道の才能があったのならば、否、才能なんてものがなくとも、その道を進んでゆくための足がかりを手に入れることさえできれば、きっと彼はそのような歪み方をしなかったに違いない。

 

私はそう確信している。

 

すなわち男の始まりはきっとこうだった。彼は、その才能が自らになかったからこそ、憧れた。多才すぎる彼にとって、その他全てのことは終わりの形を推理できてしまうつまらないものだった。彼は多くの才能を保有しているが故に、物事を極めた際に自分がおおよそどのあたりの位置に辿り着けるかまでをも理解できてしまう。後は経験と研鑽を積んでいけば極みに辿り着けるというそんなものは彼にとって何の魅力もないものであった。

 

そう。男にとっては自らの才能によって解決可能な事象は魅力的でなかったのだ。

 

だからこそ男は、自らにとって才能のない分野――魔術という分野に手を出し、それを極める事を目的とした。彼にとってそれが唯一、退屈極まりない人生と気持ちを昂ぶらせてくれる触媒だったのだ。

 

そう。男はきっと、まだ誰も踏み入れていない未踏の処女地を自らの智恵と手足で踏破する事が好きな冒険家だった。

 

その男の気持ちが私にはよくわかる。男の悩みは私にもよくわかる。なぜならわたしもそうだったからだ。かつての私も人生を飽いていた。自らの基礎能力が高いが故に周囲へと求める能力基準も高く、その私の理想も周囲へ抱く私の理想も相応に高かった。

 

しかしながら周囲にいる人間は私よりも能力の低いものばかりであるが故に、私の理想どころか、基準にも達しない人間ばかりだった。私の周りには、私にとっていい意味で予想を破る結果を残してくれるものも存在しなかった。世界は全てが私の予測の範疇内に収まってしまうものだった。だからこそ私は、自らの生涯に飽き、喜びでなく退屈ばかりを与える世界を軽蔑していた。

 

そう。私は男と同じように、自らの生涯に倦んでいたのだ。

 

しかし。やがて彼は、私と異なり、倦怠を払う道を指し示してくれる誰かと出会うことが無かった。彼はこの先如何なる努力と代価を支払うところで望んだ頂には辿り着けない事を措定してしまったから。だからこそ彼は、絶望という死に至る病に罹患し、自身の未来の可能性を冷たい火焔にて燃やし尽くしてしまった――

 

それが、私ことシンが、間桐慎二という、遡れば私の祖に連なる男に下した総評である。

 

 

「……ン、……い、……ン」

「……」

「おい、シン!」

「ん……、ああ、なんだ?」

「なんだって、おいお前、本当に大丈夫なのかよ。こんな機械操作するの初めてなんだろ?」

「その通りだ。だがこれの運転は任せておけ。なに、私は君らも知っての通り大抵のことは初見であってもなんでもこなせる人間。こういった類の操作もお手の物だ。それに便利なもので、今の記憶の中には機械の体であった頃の知識も残っている。だからまぁ、仮にすんなりというわけにはいかなくとも、君達が運転するよりかは動かしてやることが出来るよ」

『加えて私のコピー人格が運転のサポートをします。故に問題ありません』

「便利なものだな。僅かにばかり羨ましくはある」

「だからといって同じ経験をしろと言われたらごめんですがねぇ――、で、お嬢さん」

「はい、なんでしょうか?」

「先程語られた内容は本当なんですね?」

「ええ、勿論」

「嘘をついている様子は――――――、ありませんね」

「まったく、どうしてまた俺たちの元にばかりこんな面倒が転がり込んで来るんだ?」

「さてな。だが、人生というものは一見偶然に見える出来事であっても、そのどれもが積み重ねられてきた結果によるものなのだ。ならば、あまりこういう言い方は好きでないのだが、これも『縁』、あるいは、『運命』というものなのだろう」

「おいおい、どうしたんだ、お前らしくもない。今日はまた随分とまた諦めがいいなぁ」

「らしくもないのはお前もだろう? 以前のお前ならもっと反対していたと思うのだが」

「……、ま、死んで頭が冷えたんだよ。そういったお前こそ――」

「同じくだ」

「……、は、ならしょうがねぇな」

「ああ、しょうがないだろう?」

「はいはい、いちゃつくは後回しにして、早く行きましょう。先程の話が本当だとすると、もうあまり時間の猶予は残されていないのでしょう?」

「はい。……ですが、本当によろしいのですね?」

「なに、我々のギルドは好き勝手にやってた関係上、元々恨まれる、疎まれる、訝しまれるのには慣れている。それに――、君の話が本当である、その先に彼の救いがあるというのであれば、私達に断る理由はなおさらなくなるというものだ。我々は、彼がこの世界にやってきてくれたからこそ、こうしてそれぞれが救いを得ることが出来たのだから」

「そう……ですか」

「――さぁ、では、行こうか、みんな。終末の戦いが行われているという土地へ」

 

 

終末の土地にて行われる世界の命運をかけた戦争は、もはやほとんど勝敗の行方が決していた。ヘイムダルの率いる軍は初めこそその尽きぬ回復の力を尽くし文字通り死兵の如き果敢な猛攻撃を繰り返す事で戦況の優位を確保していたものの、欄然と徒党を組んだギルガメッシュ側に属している冒険者達がみせる見事なコンビネーションによって散発的ながらも徐々に戦力を削られ、ジリ貧の状況へと追い込まれつつあった。

 

それは当然の結果と言って過言ではないだろう。青ざめて侏儒の如く縮まった畜群と自己の拳で未来を切り開いてきた偉大な英雄達の間には隔絶して超えられない溝が存在する。

 

竜の血を浴びてすらいないものばかりであるヘイムダルの率いる所詮は畜群にすぎない亡者の軍団が、ギルガメッシュの率いる三度以上も竜を殺した英雄が数多に存在する偉大な冒険者の軍団に勝てるはずもない。

 

彼我の戦力差を最も顕著に表しているのが、互いの軍団の死傷者の数がゼロである事実と、戦場に散らばる武器が防具はヘイムダルの軍団のものばかりという事実だろう。それはすなわち、少なくとも半日程度は行われていたこの戦場において、ギルガメッシュ率いる英雄軍団の彼らは一人たりとして死傷者重傷を負ったものがおらず、誰一人として己の獲物を手放した不肖者はいないということを表しており、同時にヘイムダル軍団は彼ら英雄の軍から半日以上も一方的に嬲られ続けていたのだという事実を指し示していた。

 

ヘイムダルの偽ギャラルホルンという宝具には、死者を復活させる際、同時に死にゆく際彼らが纏っていた武器防具も同時に復元するシステムがあり、それ故にヘイムダルの軍団は、ヘイムダルと彼の笛と魔力さえあれば、永遠に戦い続けることの出来る能力を保有している。一聞すればなるほど、終末において行われる戦争の水先案内人として相応しいなんとも反則じみた仕組みと能力を持っている宝具だといえよう。しかし今、そんな反則級の宝具を保有しており、加えて世界の全ての生命の源という無限に等しい潤沢な魔力を保有しているにもかかわらず、命も装備も有限であるはずのギルガメッシュら率いる英雄軍団には大した傷を付けること叶わない。否、それどころか、そんな彼らが復活するたびに落ちた矢や銃弾、火薬などを拾われては自身らの不利を招くための道具として再利用されているのだから、なんとも皮肉な話である。

 

――ブオオオオオオオオオ!

 

戦場にもう幾度響き渡ったのかわからない角笛の音色が響き渡る。笛の音色は英雄たちの一撃により命を失った亡者たちの魂をもう一度この場所へと呼び戻し、亡者たちに再び肉の体を与える。――だが。

 

「――おそってくる数が……」

「ああ。減ってきてるな」

 

彼らが復活する度、雄叫びをあげてギルガメッシュの軍団へと襲いかかってくる亡者の数は徐々に減ってゆく。復活する数が減っているわけではない。一人、また一人と、戦意を失ってその場に呆然と立ち尽くすか座り込むかへたり込んでゆくのだ。無限に等しい再生能力を持つ彼らではあったが、ヘイムダルの操る亡者たちはヘイムダルの自嘲した通り、所詮は、妄執や執念と呼べるものを持たぬ半端者の畜群集団。彼らの心は勝ち目の見えない勝負をいつまでも続けられる程には強くない。

 

「――――、決着だな」

 

やがて亡者の軍団の多くが、復活したその瞬間に力なく手にした自らの獲物を朱殷色の地面へと落下させてしまうようになった頃、ギルガメッシュは詰まらなそうに椅子から怠惰に立ちあがると、髪をかきあげて戦場を見渡す。

 

戦場だったはずの場所はすでにただの屠殺場と化していた。

 

 

「ねぇ」

 

不利に傾く戦況を歯を軋ませながら見守っていた所、隣から小さな声が聞こえてきた。

 

「なんだ、サコ」

 

その淡々とした声色が酷く気に入らなくてぶっきらぼうに返事をした。その返答の仕方は協力者に対する礼儀というものの一切を欠いているもので、如何にも相手のことをどうでも良いと思っている念が現れていたが、一切白衣を纏った小さな女はまるで気にした様子なく言葉を聞き流すと、再び口を開いた。

 

「負けそうですね、ヘイムダル」

「……」

 

そうして帰ってきた言葉に閉口する。

 

「みんなが覚悟を決めて敵の攻撃によって致命傷を負うこと前提の戦い方をするようになってから、確かにこちら側が優位に戦いを進められるような場面もちらほらと出てきていた。でも、所詮は付け焼き刃。そもそもあちらとこちらの地力が違いすぎる。戦闘用スキルの中には、戦いの最中や、敵を倒すことによって体力や怪我、精神力を回復させるスキルも存在する。こちらが倒される事を前提とした持久戦じゃ絶対に勝ち目がない」

「……、そう」

 

それは間違いなく正論だった。

 

「地力がないのに無理な戦線の押し返しを狙ったせいで、徐々に押し込まれ始めている。あなたの復活や私の回復スキルもおいついていない。戦意を失った冒険者も多数出てきている。今のままじゃこちらの術式が完成するまでの間の時間稼ぎすらできなくなるでしょう」

「……………………そう、だな」

 

正論は正論であるが故に反論など許されなかった。結果、箸にも棒にもかからない言葉しか返せず、そのまま消沈させられる。

 

――情けねぇ

 

そんな痛苦の想いが凍える胸を貫いた。

 

「当初の予定通り、目の前の彼等を悪魔化して実力の底上げを行うか、無敵である炎の壁の向こう側にある戦艦の艦砲射撃を中心とした戦術を組み立てるか、ギルガメッシュの暗殺に切り替えた方がいいと思います。賭けるにしてもそちらの方がよほど勝率が高いはず」

 

こちらのそんな思いなど知ったことかと言わんばかりに無表情を保ったままサコは滔々と続ける。目の前の彼らを捨て石、艦砲射撃を目くらましに、サコの気配遮断能力を使ってギルガメッシュの所まで連れていってもらい、ヘイムダルの角笛を心臓に突き立てる。なるほどそれだけで自分たちの目的の達成確率は相当上昇するだろう。サコの助言はあいも変わらず嫌になるくらい正しいものだった。

 

「その通りだ」

 

そも実力でも経験でも劣る半端な自分たちでは、目の前の英雄の群勢とまともにぶつかってしまえばまず勝てない。そんなことはこの戦いが始まる前に判明していた事実だった。だからこそ自分たちは、自らより格上の相手と真正面からぶつからないですむ策を立て、人と物と手段を集め、相手を戦いの土俵にあげることなく、暗殺計画を実行し、自らたちの優位を確保するつもりだった。

 

――そのはずだったのだ。

 

「ではなぜやろうとしないのですか?」

 

相手の得意な分野では戦わず、自らの得意とするやり方を推し進める。資本力で負けているなら。アイディアや小さな土俵で勝負する必要が。負けが続くというのであれば、どこかで損切りが必要だ。やり方を変えなければ目の前の相手に勝てはしない。それは戦いでも商売でもおんなじだ。

 

この場合、相手は自分たちよりはるかに資本力を有する大商人に等しい相手だ。その上、上から下まで揃いも揃って実力者揃い。ならば資本でも実力でも劣る自分たちが勝ち目を得るためには、その相手の戦力を削るか、劣る実力を補うための手段を用意するかの二択しかありえない。

 

故にギルガメッシュという半神半人の英雄をロキとして見立て、サコの協力のもとギャラルホルンを彼の心臓に突き立てて暗殺するという手段を用意した。

 

故にヘイムダルの笛でこの世に恨みを残して死にきれぬと言いながら果てていった死者を呼び出し、彼らを悪魔化させるという、こちらの戦力を向上させるための手段を用意した。

 

それらは相手の戦力を削りつつ、劣る実力をも補うために適した手段であるはずだった。自分たちは実力に劣っている。そう理解しているからこそ、自分たちは様々な策を弄して、世界を駆けずり回ってきたのだ。

 

だから、真正面から正々堂々を旨とする戦いを続けるのは、それこそ愚の骨頂以外のなにものでもない。そんなことはわかっている。そんなことは痛いほどによくわかっている。そんなことは、この強靭さを手に入れた肉体が千切れるほどに理解している。

 

――でも。

 

「なんでだろうな」

「……、嘘つきですね。わかっているくせに」

「……」

 

目の前の奴が何を考えて自分たちと同じ土俵に乗ってきたのかはわからない。見下しているからというのはあるだろう。侮っているというのもあるのだろう。しかしどうあれ、あれほど焦がれた英雄という存在が、その頂点に立つであろう相手が、わざわざこちらと同じ場所に降りてきてくれているのだから――

 

――そんな相手に対して、真正面から打ち勝ちたい。

 

それは間違いなくヘイムダルという存在の本心であり、今この戦場でヘイムダルという陣営に属してこちらの力として戦っている彼らが総じて抱えている願いだった。自分たちのそんな選択は、敵対している相手の長たる英雄王という存在が持つカリスマ性に魅かれての選択だったかもしれない。しかし自分たちにとって、その気持ちが如何なる物によって自らの裡に湧き出したのかは関係なかった。

 

――そうだ。

 

自分たちは彼に目の前にいる存在に勝ちたい。勝って自分たちの力を証明したい。自分たちの未来を自分たちの力だけで切り開きたい。自分たちは客観的という単語の呪縛から抜け出したい。自分たちは自分たちの沈んでいる絶望と倦怠の沼から自らの力によってを自分たちを救い出したいのだ。

 

――そのためならなんだってする。

 

そのためならと痛みに耐える覚悟をした。痛みを恐れながらも踏み込む覚悟をした。こんな半端な結果しか残せなかった人間の命一つで英雄の軍勢を倒すという奇跡を起こせるならと、必要ならば命を捨てての突撃だって躊躇わないようになった。俺たちはたしかに捨て身の強さを手に入れた。

 

――しかし。

 

「そのままの貴方達で出来ると思っているんですか? 真っ当な手段で勝てると思っているのですか?相手は世界の守護者たる英雄王と、迷宮初踏破の誉れこそ持っていないものの、噂に名高い有名な冒険者たちですよ? 出来なかったらそこで終わりなんですよ?」

「…………………………………………、そうだな」

 

そうして全身全霊を尽くしたところで、この有様なのだ。

 

――勝てない。

 

そもそもの才能が違う。積み上げてきた努力の量が違う。味わってきた経験の質が違う。覚悟が、歩んでいた道のりが、培ってきたものが、その全てが、自分のような自己を欠いて小さな満足に流されるような人間たちとはあまりに違いすぎている。戦えば戦うほどに、勝ち目ではなくそんなこと、相手が自分たちよりも遠い場所にいるということばかりがわかってしまう。

 

――所詮自分たちは半端者。

 

そもそもこちら側に属しているのはそんな、有名になる前に命を落とした者や、あるいは挑戦すらせずにそんな夢を諦め絶望の倦怠に沈んだ人間の集まりだ。だからわからない。どうすれば自分では遥か上の実力を持つ相手たちに勝てるのか、そもそもどうやれば勝ち目などと言うものが見えてくるのかすらわからない。勝てる可能性など過少ほども見当たらないのだ。

 

――だから心が折れてしまう。

 

英雄達の繰り出す苛烈な攻撃に次々と心を手折られ膝を落としてゆく様を見て心底悔しいと思う。けれどまた、仕方がないとも思えてしまう。その気持ちは――、非常に悔しいことだが、それらと対峙している身として、よくわかるのだ。

 

眼前に立ち塞がっているのは、壁などという生易しいものではなく、掴む余地すら見当たらない完全な絶壁。あるいは、向こう岸の見えない断崖だ。勝ち目が見えるのならば、まだ頑張れる。自分たちの力を尽くして勝てるのという予感がするのであればまだ分の悪い賭けであると発奮もできよう。しかし目の前にあるのが自己を賭けたところで届かぬ領域にのみ答えがあるような解決不可能事が解答である命題というならば、己を奮い立たせるだけの気力を何処より補填しろというのだろうか。

 

――事ここに至っては、もはや真っ当な手段で勝ちなど拾えない。

 

ならばサコのいうとおり、真っ当でない手段を用いるのが最も妥当かつ安泰な選択だろう。

 

――しかし。

 

それでも。

 

「……、意地、あるいは虚栄心というやつですか。――――――まぁ、好きにしてください。私の望みは兄であるシンと一緒にいることだけ。シンはどちらにでもいる。私はどちらが戦争に勝っても負けてもいいんですから」

 

この手で勝利をもぎ取りたい。一度でいいから、死を賭した試練の先にある栄光を掴み取ってみたい。それはもはや、世界の行く末などよりも重要な、勝利条件なのだ。

 

「…………そうか」

「ええ」

 

無言のうちから思惑を悟ったのだろう、サコはそれきり黙り込んでしまった。何を言っても聞かないのなら言っても無駄だと思ったのだろう。彼女は自分や自分達に対して何も期待していない。

 

――悔しい

 

思うと同時、責められなかったという事に安堵を覚えた。同時に安堵を覚えたという事実が情けなくて、腹が立った。そうして彼女が自分たちという存在に期待をしないのが、自分にとって苛立ちを呼ぶと同時に救いにもなっているという事実が格好悪くて、これ以上ないほどはらわたが煮えくりかえった。

 

――わかっている。

 

わかっているとも。このままでは自分たちは勝てない。自分たちでは勝ち方がわからない。終わらせる手段なら持っている。でもその手段を用いれば、自分たちの望みが叶う確率は高い。だがその手段を取れば、もはや二度と自分たちにこのようなチャンスは訪れないだろう。

 

「……ちくしょう」

 

背反する理想と現実。どちらを選んでも後悔する問題。実力や才能、経験が足りないと言う絶対的な壁にぶち当たった時、どうすれば自分たちは勝てるのか。答えが欲しい。いや、贅沢は言わない。それを教示して欲しいとも、示唆してくれとも言わない。一度でいい。一度でいいから。せめて。せめて、俺たちにも可能性があるのだということを信じさせてくれ。

 

「ちくしょう……」

 

――誰かどうかお願いだ。どうか俺たちを。こんな惨めな俺たちを、このどう足掻こうが後悔と未練ばかりが広がる、輝かしい未来の見えない戦争から救い出してくれ。

 

思いを込めて天に祈るも、願いを聞き届けてくれる神はここにいない。こんな我らに味方してくれる物好きな神もいないではないが、そんな神は、今、我らの住まう土地を生み出すためにその力の行使を行なっており、火山というその場所より動くこともかなわない。

 

――希望が欲しい。

 

祈りを捧げている間にもまだ僅かながらも存在する戦意を保っている亡者たちが英雄たちに立ち向かい、そして呆気なく散ってゆく。英雄達の攻撃によって多くの味方が散ったのを見た瞬間、ほとんど反射的に機械的な動作として角笛を構えた。

 

そうして未だに戦意を保ってくれている彼らの死骸を復活させるために吹き鳴らそうとした顔を僅かに上へと向けた――

 

その時だ。

 

「……あれは」

 

はるか天蓋にある夜色の空の向こう側、パックリと開いた天の割れ目に煌めく光があった。闇を斬り裂いて堕ちてくる赤いそれは、まるで『その祈り、確かに聞き届けた』と誇らしげな流れ星に似ていた。

 

 

――ドズン!

 

突如として戦場へと割り込んできた存在に、誰もが手を足を止めて注視する。それは赤と黒で構成された金属物体――機械と呼ばれる代物だった。天より落ちてきた機械は元々戦車だったのだろう、車体の上部にある砲身部分は折れ曲っている。赤い車体を守るために貼り付けてある金属板も落下の衝撃によって塑性変形をおこしているらしく、酷くデコボコとした状態のまま戻らない。ケーブルや接合部からはバチバチと火花が散り、金属板と金属板の各部の継ぎ目からは煙が漏れ出している。見るものが見れば元は立派な戦車だったのだと理解できるだろうそれは、今や完全にスクラップと同義の存在と成り果てていた。

 

――ガン、ガン、ガン!

 

やがて火花飛び散らせ噴煙を上げる戦車の内部からは金属同士がぶつかる音が聞こえてきた。周期的に鳴るその音は機械的というには多少乱雑なものであり、機械という一定の決まった動作ばかりを繰り返すモノには出せない苛つきの感情というものが含まれていた。

 

――ガン、ガン、ガン。ガン、ガン…………、ドガン!

 

一同が見守る最中、やがて戦車の上部ハッチが勢いよく開いた。バカッ、と勢いよく開いた次の瞬間、アルケミストと呼ばれる人間が錬金術スキルを使用するために装着している機械の籠手が現れる。ハッチから勢いよく現れた籠手は、しかしそんな自らのはしたなさを恥じるかのように一度戦車の内部に引っ込むと、続けて、開いたハッチより数名の人間がゾロゾロと内部より這い出してくる。彼らは一様に汗と黒煙にまみれ、見た目ボロボロの有様だった。

 

「クソ、なんっつー手荒い着地……。おい、シン! 何が任せておけだこのアホ!」

「すまない、サガ。下手を打った」

「とはいえ、完全にシンのせいとはいえないだろう。この空間に突入した途端、急に磁気嵐の様なものが発生して計器類が片っ端からいかれてしまったのだ。真っ逆さまに落下する最中、マニュアルに切り替えて無理やり着地させただけでも神業だと思うがね」

「そしてあなたも見事でしたよ、ダリ。貴方がこのギムレーと地面とが激突する寸前に完全防御を使用してくれたからこそ、私たちは傷一つなくこうして生きているのです」

「ああ、それは……、そうだな。どういたしまして、ピエール」

 

騒乱ばかりが支配していた戦場に沈黙という異物を持ち込んだ一同は、一切緊張した様子なく平然とした態度を貫いていた。異常さ極まるこの土地、異質なる存在同士が激突するこの戦場において、そんな異常かつ異質なモノが跋扈する場所の中央に陣取っていながら、それらをまるで気にせずも振る舞える彼らは間違いなく癲狂院の愚者と比較しても劣らぬほどに異常であり、異質であり、この時、この場所において、誰よりも異邦人的な存在だった。

 

「さて、と」

 

やがて彼らのうち、最も背の高い男――ダリが壊れた機械の上に乗ると、小手を翳し、戦場を見渡し、やがて目を細めて激突していた両軍の最奥へとその視線を伸ばしてゆく。

 

「あちらがギルガメッシュの軍で、こちらがヘイムダル――ヘイの軍か」

「装備の質の違いをみりゃ大体わかるだろ」

「だが万が一ということもある。自分の目で確認した方が確実だ」

「多少柔らかくなったと思ったらこれだよ。根のお堅い真面目な所は変わってねぇなぁ」

「人間そうそう気質の部分は変わらんものさ」

「はいはい、いちゃつくのは後にして下さいよ。今はそれどころじゃないでしょう?」

「あー、悪りぃ」

「……すまなかった」

「……気持ち悪いくらい素直になりましたねぇ、貴方達……。ま、楽でいいですけど。シン――」

「む」

「あとはよろしくお願いしましたよ」

「うむ。任された」

 

相も変わらず呑気を貫く彼らのうち、やがてブシドーの格好をした男が、詩人の男の言葉を受けて一歩を踏み出した。ギルガメッシュ率いる英雄達の方に向けて、まるで気負いなく踏み出されたその一歩は、異常さが支配するこの場においていかにも不自然なものとして誰の目にもうつり、そんな視線を避けるかのごとく、過去に英雄と呼ばれた冒険者たちは、シンと呼ばれる男の視線に道を譲り出す。そうして視線を遮るものが失せてゆく中、やがてその視線の先に英雄王の姿を見つけたシンは、大きく息を吸うと言葉を発した。

 

「英雄王!」

 

声は戦場の停滞を斬り裂くように響き渡る。シンの視線は最奥にいるギルガメッシュを鋭く貫いていた。戦場を貫通して突き刺すような視線につられ、その場にいる全ての存在の意識がギルガメッシュの方へと向けられる。

 

「――」

 

ギルガメッシュは自らへと視線が集中したことを知ると、ニィ、と倦怠ばかりを浮かべていた顔に凶暴な笑みを浮かべなおして、豪奢な装飾施された椅子より立ち上がった。清浄さばかりが支配していた空気に異物が混じる。王の威圧とでも言おうか、ギルガメッシュの周囲より発生したそれは、シンの時よりもあっという間にギルガメッシュに組する英雄達と英雄達の間を断ち切り、自軍を二分する。ギルガメッシュはそうして自らの威圧が産んだ亀裂をまるで預言者のように悠々歩くと、シンの目前、声を交わし会える位置にまでやってきた。

 

ギルガメッシュは笑いながらいう。

 

「我を呼びつけるとはいい度胸だ。貴様のそれが不敬な目的に基づくものであったのならばこの場で縊り殺してやろうかとも考えていたが――、あの楽師が落ち着いた態度の我へと視線を向けているところを見やるに、どうやらそうでないらしいな」

 

物騒なことを極めてあっさりと言ってのけるギルガメッシュの言葉を受けてシンは自然に笑い、続けて話題に俎上したこの気難しい英雄王から信頼を勝ち取ったピエールが少しばかり困ったような、照れたような、判別のつきにくい表情を顔に浮かべると、シンの隣へと並び、ギルガメッシュに対して丁寧に一礼をした。

 

「――勿論ですとも、英雄王。それどころか、今からシンの語る言葉により、貴方が今しがたまさに抱えているだろうその倦怠と退屈が、一片の曇りなく晴れてくれる事を、貴方に認められしこの詩人たる私が保証いたしましょう」

「ほう――」

 

ギルガメッシュの目に愉悦の色が宿る。戦場にいる全ての人間の視線を浴びる彼だったが、その両の瞳にはもはやピエールとシン以外の人間など映っていないようだった。

 

「ならばよい。――さて、では血と贄を好む戦闘神の名を持つ男よ。我に何用だ」

 

やがてギルガメッシュの視線がシンだけまっすぐ射抜いた。殺意と好奇心が入り混じった視線を受けて、シンは身震いをする。それは勿論恐怖からなどというつまらない感情からによるものではなかった。

 

「――宣告を」

 

シンは今、ギルガメッシュというはるか格上の存在の意識が自らのみに注がれているという事実に歓喜して震えているのだ。言葉を発する最中も心臓が昂ぶるのを止められない。シンの体はそうして自らよりもはるか格上に対して、その言葉を発することが出来るのだという喜びに、心底うち震えていた。

 

「我々ギルド『異邦人』は――、故あって貴方に叛旗を翻す」

 

裡より出でる想いに背を押されたのか、そんなとんでもない決意を口にするのは思いのほか楽だった。口にした言葉は波紋となりて戦場へと浸透してゆく。近場にて誰かが息を呑む声が聞こえた。シンの声はやがて停止した戦場の隅々にまで広がり、彼の宣告を耳にしたものの多くが理解不能と驚愕の視線を彼へと向けるようになっていった。

 

――「あいつら……」

――「いったい何考えているんだ……?」

 

追従するかのように、奇異の視線が遅れてシン達を射抜く。それはやがて量と密度とを増して四人の体へと纏わりつく。しかし一行はそんなことを気にすることもなく、平然としている。特にシンなどは、そんな場所へと自ら足を踏み出したという事実に興奮したのか、心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。

 

ざわめきが徐々に大きくなる中、やがてギルガメッシュが無言で片腕を振り上げる。

 

「――」

 

途端、彼の所作によって戦場に静寂が舞い戻る。

 

「く、くく……」

 

彼の持つカリスマ性によって静けさ取り戻した戦場に響くのは、ギルガメッシュの声ばかりだった。ギルガメッシュは嗤っている。ギルガメッシュは傲慢な態度の最中に無遠慮と快楽を交えながら、逸楽の徒であるかのように笑っていた。

 

「如何なる思惑によるものかは知らんが、我を裏切るその宣言には欠片ほども迷いがない。なるほど、よい宣戦布告だ。――よかろう。貴様らのその叛逆を許す。ギルド『異邦人』とやらの連中どもよ。せいぜい死に物狂いで抗うが良い」

 

言葉とともに踵を返すと再びギルガメッシュは軍の奥へと引いてゆく。彼が豪奢な玉座に腰を下ろすと、座した彼の視線は僅かばかりに未だ側に伏して倒れている響へ向き、そして戦場において敵指揮官のいる場所へと向けられた。

 

――それが、戦闘再開の合図となった。

 

「お」

「お、おぉ」

「オォォォォォォォォォォォォ!」

 

雄叫びが伝播する。天が震えた。大地が揺れる。戦場が震え、ダリが盾を構えた。雄叫びを聞いてサガが籠手を解放する。響く怒号などに負けてたまるかと言わんばかりに、ピエールが竪琴の弦を一撫でした。

 

シンはいつもの前傾姿勢となり、臨戦態勢へと移行する。鍔口より僅かに刀を抜き放てば、飽きる程に味わった重みが生身の体を取り戻した手によく馴染む、とシンはそう感じていた。今にも飛び出しそうなシンの状態を見て、ピエールは言う。

 

「人生は一つの夢であり、人間はその夢の中の幻影である。この世は舞台、人間は皆役者。その始まりがとある関係にある男女の愛のすれ違いに基づくものであるならば、古典に習い、『おお、本性よ! そなたはかくも甘美な肉の死すべき楽園に、悪魔の魂を隠したのに、一体、地獄に何の用があるのか!』、と叫びたくなるところですね」

「ふむ、相変わらずお前の言うことはよくわからん」

「ダリ。放っておけ。こいつはこう言う奴だ」

 

そんな三人を尻目に、全身の力がついに解き放たれる時である事を確信したシンは、言う。

 

「満願成就の夜が来た。さぁ、戦いを始めよう」

 

 

I am the born of my sword.

体は剣で出来ている。

 

Steel is my body, and fire is my blood.

血潮は鉄で、心は硝子。

 

I have created over a thousand blade.

幾たびの戦場を超えて不敗。

 

Unknown to Death

ただの一度も敗走はなく、

 

Nor Known to Life.

ただの一度も理解されない。

 

Have withstood pain to create many weapons.

彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う。

 

Yet, those hands will never hold anything.

故に、その生涯に意味はなく、

 

So as I play,――

その体は、きっと――

 

 

戦争があった。戦争はどこにでもあった。戦争はいつの時代にもあった。人間のいるところにはいつだって戦争があった。大小の区別を無くして仕舞えば、狭隘な地球上において、戦争はどこにでもあり、いつの時代においても、あらゆる場所において行われていた。

 

――きりがなかった。

 

生きることとはすなわち争いであり、戦争というものが生きるという行為の延長線上にある以上、そんなものに終わりなどあるはずがない。戦争は地球上において人の存在しうるありとあらゆる場所において行われている。ならば幼い衛宮士郎という当時一般人にすぎなかった私が、そんなものと関わりを持ってしまったばかり、生き残る代償として過去の全てを失ってしまったのも、ある意味では必然だったのだろう。

 

――そんな戦争に巻き込まれて、自分は全てを失った。

 

戦争。参加したものの善悪に関係なく、多くの凡人から幸福を簒奪し、一部の特別な人間に莫大な利益をもたらす、ほとんど全ての人間が何かを喪失する運命を押し付けられる狂宴。多くの人の命と幸福を濫費し、濃縮し、一部の存在にのみ幸福を還元する、権力者たちの都合が良いよう絵筆によって雄勁に阿諛される、巻き込まれたほとんどの人が不幸になる、血塗られた搾取の儀式。

 

――だから止めたいと思った。

 

人間の欲望に果てはなく、故に戦争に終わりはない。一度始まってしまえば戦争より生まれ出でる呪いは未来永劫戦争に参加した人間へ纏わりつき、やがて戦争に関わった全ての人間を巻き込んで子々孫々にまで連綿と受け継がれる蠱毒の呪いへと変貌する。

 

――それでも止めたいと思った。

 

生まてくる呪いはあまりに強大で、そんな呪いに抗うためには人はあまりにも愚かで脆弱だった。繰り返される戦争。拡大する被害。戦争が起こるたびに富の独占と貧困は拡大し、味を占めた愚劣な統治者の虚栄心や、生活格差に怒り狂う人々の手によって再び戦争は引き起こされる。そんな醜悪すぎる自滅行為に巻き込まれて最も被害を被るのは、いつだって戦争ともっとも関係ない、しかし戦争という戦いの舞台に無理やり引き上げられてしまった無辜の人々だ。

 

――だから止めようと思った。

 

瞼の裏側に焼きついた光景がある。炎舞い上がる煉獄において助け出された記憶がある。地獄の中から救い出された時の嬉しさを覚えている。私を地獄から救い出した男が浮かべた笑みを覚えている。誰かを踏みつけて生き残ってしまった罪悪感がどうにも忘れられない。

 

――だから絶対に止めてみせるとそう決心した。

 

別に英雄などになりたかったわけじゃない。ただ、気づけば湧き出る思いに動かされるがまま、戦場に向けて駆け出していた。そうして気付いた時には、一人でも多くの人を助けるため、あらゆる法と理屈を無視して突っ走っていた。そんな馬鹿みたいな方法を愚直なまでにただひたすら繰り返して、世界の裏側に韜晦する直前まで数えるのも億劫になるくらい多くの戦争を終結させてきた。

 

――けれど。

 

しかし戦争というものはそれが起きるまでの間に積み上げてきた戦争とは、積み上げてきたものを崩すための行為であり、一切合切の怨恨をご破算にするための行為だ。故に一度戦争が始まってしまえば、戦う人々の心の中に溜め込まれた膿みを出し切る以外にそれを終わらせる手段などない。

 

――人間はどこまでも愚かで、驚くほどに醜悪な存在だった。

 

犠牲なくして戦争を終わらせることができない。積み上げてきた怨恨を凌駕するだけの犠牲がでない戦争の決着を人は認めない。強要される同情。積み重ねられる屍。繰り返される自滅行為。誰を地獄に叩き落とそうと自らの救いだけは得ようとする、醜悪な自我。人間に救う価値などあるのかと悩んだ。誰もが幸福になる道などこの道の先にはないと悟った。

 

――それでも、守ろうと思った。

 

それでもどうにかしたいと、心から願った。それだけが、全てを失ってしまった自分にとって、全てを失ってしまったと思い込んでいた自分にとって、ただ一つ残った矜恃だったから。

 

ーーだから、どうにかしよう、と決心した。

 

しかし犠牲を出さぬ方法を考えている間にも人は次々と死んでゆく。人は愚かで、どこまでも死にたがる生き物だった。迷っている暇などない。ならばせめて、その犠牲を最小限にしようと決心した。

 

だから。

 

――『お前のやり方はあまりに直接的かつ過激的で、性急に過ぎる!』

 

可能な限り犠牲が少数となるよう選定した。被害が増えぬよう、犠牲として選定した人々を可及的速やかに排除した。そんなことを繰り返すことで、排除してきた数の数百倍もの人の命を拾い上げてきた。

 

――『空想に興味はない。止めたいのならばこれよりも優れた手段と方法を寄越してみせろ』

 

多くの人がそのやり方に反対した。人を救いたいと言う同じ目的を持って近くに寄ってきた人間は、皆一様に実現不可能な綺麗事ばかりを言って私を責めたてた。

 

――『……っ、けど、だからといって助けを求めている人を率先して切り捨てるなんて――』

 

意見に対し、しかし目の前で死にゆく人を放っては置けぬと論駁を繰り返した。

 

――『一人を助けるために十人を犠牲にするやり方を尊ぶなど話にならん。私はもう行く』

 

議論が平行線になるたび、お前の意見はつまらぬ諧謔だと断言した。璽余の問題だと憤懣に突き動かされるがままに歩武し、戦場へと赴いた。

 

――『……お前は何のためにそんなことを繰り返す』

 

放縦に争いを生み出す原因を芟除し続けた結果、瞥見にすら峻酷に疑懼の目ばかりを向けられるようになった。行動を起こさないものほど文句だけは立派に言うものだとそれらの視線をすべて見下して斬り伏せてきた。

 

――『決まっているだろう』

 

多くを救うために少ないを殺す。そうして正しさを手に入れた私の中にもはや求めてきた正義などというものはどこにも残ってなどいなかった。理想を抱いて溺死した我が身の残渣を搗き砕いたとしても、欠片ほども見つからないくらいに私の正義は砕け散っていた。

 

――『多くの命を救う為だ』

 

そうとも、信念などとうの昔に歩いてきた道の何処かに置き去りになっている。もはや正義の味方などと理想の言葉を言うことすらも出来なくなっていた。満身創痍の体に残っているのは、それでも捨てられぬ、『可能な限り多くの人の命を救う』という矜持だけだった。

 

――『……そうか』

 

戦場で剣を振るえば命が多く助かる。誰かの命を救ったその時だけ湧き上がる僅かばかりの充実感が私を支える全てだった。その時だけ私は私自身の愚かさを忘れ、勝利に酔うことが出来たのだ。そんな自己満足の瞬間だけを頼りに、この地獄のような世の中で磨耗しきった自分を保ち続けてきた。

 

――『理解したか?』

 

だから力を欲した。多くの命を救うにはより大きな力が必要となる。私を満足させるには、より大きな力と成果が必要になる。

 

――『ああ――、よく理解したさ』

 

だから血反吐を吐く思いをして努力と鍛錬を重ね、死の蔓延する戦場を駆け抜けて、常人をはるかに超える力を身につけた。しかしそうして力をつけるほどに、勝利を重ねるごとに、人から向けられる視線には、求めていない視線ばかりが増えてゆく。

 

――『ならば――』

 

勝利を重ねるたび私の理解者が減ってゆく。

 

――『俺はもう、お前にはついていけないんだと言うことを、俺は嫌という程理解したよ』

 

そしてあらゆる理解者を失った私がやがてたどり着いたのは、全ての命が絶えた荒野だった。正義の味方を目指して多くに人を救い出したその先に、全てを救ってくれる真の正義の味方など存在していなかった。そんな偽りの気持ちを抱いたまま、現実に堕ちた理想を貫いた先いたのは、誰からも、自分にすら認められない偽の正義の味方だった。

 

――『オーディンは我が胸に過酷な心を置きたり。スカンジナビィアの古い伝承にあるバイキングたちが英雄を讃える詠だが、お前はまさにそれだ。お前の在り方はあまりに英雄的すぎる。彼らが他人に望んでいるのは救いなんかじゃなくて同情で、さらに言えばその心からの望みは、惨めに堕ちた自分で自分を救える道を見つけることなんだ』

 

結局のところ、あの時、あの男の言った事こそが正しかったのだろう。彼らが欲しているのは、他人からもたらされる一時しのぎの救いではなくて、これからもずっと戦って自分を救い続けることのできる力。人を救えるのは自分の意志と覚悟だけ。他人からもたらされる救いなんてものにほとんど価値はなく、コインみたいな、使えばすぐに誰かの手に渡ってしまう程度のものでしかない。

 

――『お前に人は救えない。人を数でしか見ないお前に、人を救うことなんてできやしない』

 

だからそんな他人の想いを無視していくら救いの手を差し伸べようと、そんなものは彼らにとって余計なお世話以外の何者でもなかった。ならば、他人を救えばこの薄汚れた罪も少しは晴れるかもしれないというくだらない私のエゴから生み出された偽りの救済の返答として糾弾の言葉と否定の視線ばかりが返されるのは、なるほど当然の報いだったというわけだ。

 

――『世の中はゲームや漫画みたいに誰かを救ってはい終わりじゃない。お前が助けた彼らの人生はこれから先も続いているんだ。だからもしお前がこれから先もそんな誰かの命を拾い上げるだけの行為を続けるっていうんなら――』

 

思えばあれこそが境界線だった。当時の私が理想主義者の戯言と考えていた彼の言葉こそが真実私が救いたかった彼らが最も正しく欲してあるものであり、私が彼らに与えるべきものだった。そんな善と悪の区別も理解しないまま、彼らが望んでいない救いの形を押し付けるために私はただ戦場を駆け抜けて――

 

――『覚えておけ。その行いは報いとして必ずお前の大切なものを喰らい尽くすぞ』

 

己の成してきた愚かさの報いを存分に受ける事となった。

 

――『おい、聞いたか。今度は西の方だってよ』

――『ああ。あの『戦争好き』の事だろう?』

 

望まぬ救いと秘めたる醜さを他人に押し付けてきた罪がこの身にあるならば、どれだけ足搔けども自身の救いと他人の理解を得られないのは当然の罰。

 

――『次はどこに現れるんだろうな』

――『知るか。知りたきゃ争いでも起こすんだな。すっ飛んできてくれるだろうぜ』

 

人としての弱さを手に入れた理解した今だからこそわかる。かつての自分がいかに愚かしく傲慢な道徳的偽善主義者だったのかを。

 

――『覚えておけ。目の前にいる誰かを救いたいなら、彼ら自身が救われる方法を提示してやらないといけないってことを』

 

だからこそわかる。今、自分がこれからゆく戦場という場所において、果たして自分が何をしなければならないのかを。

 

 

呪いの詰まった闇の海の中、地上へと伸びている輝く階段を駆け抜け直進すれば、やがて地鳴りと剣戟が響く大地へと辿り着く。

 

「……っ、はっ!」

 

息を切らしながら身体に纏わり付くような呪いの汚泥を振り払い、地下より思い切り飛び出した。肌が空気に触れた途端途端、切り裂くような冷気が露わとなった頬を撫ぜてゆく。ただでさえ昂ぶっていた神経へとさらに刺激が加わり、感触に産毛が逆立ち、鳥肌が立った。

 

「ふぅぅぅ……」

 

疾走と感情の発露により茹だった頭と火照った全身から熱を逃がすべく一息をつく。毛穴から汗を伴っての放熱には何とも言えない小気味好さがあった。吐息を重ねて熱を逃がすごとに茹だった脳みそは徐々に冷めてゆき、それに伴って熱雑音だらけに支配されていた三半規管が正常な機能を取り戻してゆく。

 

――ああ

 

途端、赤い大地に鳴り響く剣戟と銃火の音色が飛び込んできた。続けざまに悲鳴と怒号が耳孔を穿ち、遅れて空を染め上げんばかりに眩い色とりどりの光が眼球へと飛び込んでくる。敵と味方に別れた軍勢がまるで遠慮なしにぶつかり合う事で大地は鳴動し、空中には絶え間無く矢や弾丸、スキルによって生み出されたのだろう炎氷雷が飛び交っているのだ。

 

「なるほど、これはたしかに――」

 

体を包み込む空気は火薬と鉄血の匂いがした。独特の湿り気ある懐かしい空気が全身を包み込んでいる。そこに存在する誰かの一撃が放たれるたび、敵と味方、あるいは天か大地かのいずれかが穿たれ、衝かれ、切られ、抉られ、嬲られる事によって生まれた被害を尊ぶようにして、さらなる暴の力が犠牲者残る破壊の跡地へと殺到する。

 

「戦争――」

 

なるほどたしかにあの男の言った通り、この赤殷色の大地は戦場で、行われているのは戦争だった。十全な状態を保っているものなど誰一人として存在しておらず、戦争に参加している全てのものは、負傷し、疲弊し、辟易とした表情を浮かべながら、それでも目の前に存在する自らの脅威を排除するために全力をふるって攻撃を繰り返していた。

 

彼らの顔は語っている。もはや自分が何故戦いしたのかは理解していない、と。彼らの態度は語っている。けれども目の前の敵が自分と仲間たちを傷つけ、自らの進む道の障害になってしまうのであれば排除するしか道はないのだ、と。

 

「――アーチャー!?」

「凛!? 」

 

状況を把握した途端、そんな声が耳に飛び込んできた。聞き覚えのある声が再び昂りつつあった気を落ち着かせてくれる。

 

「――エミヤさん」

『エミヤ! 無事だったか!』

「よぉ。互いにしぶといねぇ」

「ライドウにゴウト! それにランサーも!」

 

続けて聞こえた別の言葉が、さらに安寧の気持ちを引き出した。近寄ってくる彼らに感謝の意を込めつつこちらからも接近すると、見覚えのある顔がいくつも並んだものを見やる事の出来る喜びに辛い出来事で凍死寸前だった心が融解され、胸が熱くなる。

 

「よかった。無事だったか」

「それはこっちのセリフよ! 勝手に先走って呪いの中に呑み込まれて……! こっちがどれだけ心配したと思っているの!?」

 

一息つくと、凛が顔を真っ赤にしてがなりたててきた。その言葉に心底救われた気分を得る。強く責め立てる言葉からは安堵の成分が滲み出てきており、自然と零れ落ちた涙は、彼女の言葉が嘘偽りないもの事を証明していたからだろう。

 

「ああ……、ああ、そうだな」

 

凛の言葉はもっともだと思った。もし仮にあの呪いの渦の中に飛び込んだのが私でなく他の誰かであったのなら、私も同じような反応を見せただろう。咄嗟に体が反応してしまったなどという事は言い訳にならない。そしてまた、私が無計画に呪いの渦に飛び込んだ結果、言峰綺礼という一人の男が犠牲となってしまったのだから、これはもう私の落ち度以外のなにものでもない。

 

――っ

 

言峰綺礼。その名を思い浮かべた瞬間、自己満足の報いとして他人が犠牲となってしまった事実が激しい刺激となり、胸に激痛が走った。。

 

「その通りだ。面目ない」

 

不肖を改めて自覚する。いつものよう皮肉含んだ強がりを言い返すことも出来ず、その指摘に対して素直な肯定の返事と謝罪をした。こんな頭を下げるだけの行為を行なった程度で自らの愚劣な行動の結果が許される訳ではないが、だからといってこの程度の謝罪であっても行わなかったのであれば、心が砕けてしまいそうであるが故に。

 

「……えっと、どうしたのよ。そんなに素直に謝られると調子狂うじゃない」

 

そんな態度の変化を凛は目敏く見抜いたようで、訝しんだ態度で問いかけてくる。鼻白んだ表情には心から私を心配する気持ちが浮かんでいた。純粋に私を心配する瞳が今この瞬間においてはひどく居心地の悪く。気づけば自然と彼女から視線をそらしてしまっていた。

 

「いや……、なに、たしかに心配をかけただろうと思ってな」

「……ふーん」

 

横顔を向けたまま率直な想いを述べると、凛は探るような視線を下から覗き込むようにして私の目元へと送ってくる。向けられた蠱惑的な翠の瞳が、違う意味でひどく琴線を掻き鳴らしていた。

 

「そういえばアーチャー。綺礼はどうしたの? 確かアンタの後を追って同じように呪いの中へと消えたと思ったんだけど……、アーチャー、アンタ知らない?」

 

やがて偶然の一致か、はたまた運命のいたずらか、やがて私の瞳を覗き込んでいた聡い彼女は私の心の中にある蟠りを見抜いたかのようにそんな事を言ってくる。それは今の私にとって最も聞かれたくない事であり、しかし同時に、最もはっきりと語らなければなない話題だった。

 

「――それは……」

 

奴の辿った結末を思い浮かべて、言い淀む。ずきりと胸が痛んだ。知らないわけではない。否、知らないどころか、おそらく今の自分ほどに奴の行方について語れる人間はいないだろう。確証があるわけではない。けれど、きっとおそらく、あの呪いの中で見た光景から察するに、そうであるに違いない。

 

――言峰綺礼は、あの呪いの中で、死んだ

 

あの男は私を助けるため、力を使い果たして闇の中へと消えていった。おそらくそれが事実である筈だ。ならばその結末を知る者として、奴に助けられた存在として、私はあの男と知己の仲である凛に、そのことを告げなくてはならない。それが最期を看取ったものに対する義理であり、私を助けた男に対する義務である筈だ。――しかし。

 

「――……、……、――」

 

意を決して真実を告げようとするも、続きの言葉が口から出てきてくれない。唇が無様に開いては、閉じ、開いては閉じを繰り返した。多分、それを口にすると、今しがた自分の中にある想像でしかないそれが現実になってしまいそうだと思ったのだろう。迷いは喉元にとどまり、言葉になる前に失せてゆく。

 

「……、いいわ、言わなくても。今のアンタの態度でだいたい理解したから」

 

情けなくも逡巡する私の様子から恐らくは言峰綺礼という男の結末を正しく見破ったのだろう凛は、目を伏せて柔らかく述べた。言葉は優しく、慈愛に満ちていた。

 

「いや……」

 

その優しさに一度でも甘えてしまうと、先程闇の中で行った決意が怠惰と停滞の中に失せていってしまいそうだった。そんな虚妄と予感に背を押されるような形で唇を一度噛み締めると、決意を新たにその瞳を見つめ直し、口を開く。

 

「………………言峰は死んだよ。あの男は蠱毒の呪いの中に沈んだ私を救うため――――――、その身を犠牲にして散っていった」

「……そう」

 

死んだ。その言葉を口にすると、途端に現実感が増す。指先は現実の冷たさにかじかみかけていた。指先に通う血液が冷たくなる感覚で力が抜けてしまいそうになるのを、拳を握る事で熱を手にとどめてやり、今にも緊張に絡め取られそうになる心の平静を無理やり保つ。

 

「私は……、私のミスで……、私の未熟さのせいで……、あの男は犠牲に――」

 

そして意を決してようやくそんな言葉だけを絞り出した。

 

「私は――」

「ああ、もう、しっかりなさい、アーチャー!」

 

何故そうなったのか。何故言峰綺礼は死んだのか。自分でもいまだにはっきりと理解できていない理由をどうにかして語ろうと言葉を探していると、目の前にいる凛は背筋を伸ばして私の両頬を叩き、目線を無理やり私と合わせた。頬に添えられた手が酷く熱い。

 

「貴方の言っている事はきっと正しいんだと思う。言峰綺礼は衛宮士郎を救ったのち、死んだ。おそらくそれが真実なんでしょう」

「――」

 

しかして、手にひらから伝わってくる熱さに反比例するかのように、告げられた言葉は冷たかった。頬を通じて伝わってくる彼女の鼓動がやけに遅く聞こえてくる。それは、自分自身の鼓動が早まりつつある証だった。早まる自らの鼓動に比例して、私の体温は高まってゆく。凛はそんな私の体に宿りつつある熱を奪い去るかのように力を込めると、その薄い唇を割って言葉を口にした。

 

「でもね。だからといって、貴方がアイツの死をそこまで気にする必要はないわ。あの男はね。自分にとって嫌な事は、絶っっっ対にしない男よ。アレと十年来の付き合いだった私は、アイツの性格をよく知っているから間違いないわ。言峰綺礼という男は、自分が納得しない事に対しては絶対に首を縦に振らず、己が正しいと信じたものにのみ殉ずる男だった。だから、そんなアイツが貴方のことを救ったというのであれば、それはアイツが心からそうしたいと願ったが故に、そうしたことなのよ。貴方の救いは言峰綺礼という男の心からの願いだった。なら、そんな言峰綺礼の願いによって勝手に救われてしまった貴方がそれを気にする必要なんてない。いえ、むしろ、貴方がそれを気にして完全に救われきれていないというのであれば、それこそアイツの死を無駄にする行為じゃないかしら?」

「――――――」

 

言葉は間違いなく慰めのそれだった。凛は間違いなく私の気を鎮めるために、私へと慰めの言葉を投げかけている。凛の優しさが接触している手のひらを通じて伝わってきた。硬くなっていた体が思い遣りの熱を受けて弛緩してゆく。目頭が熱くなり、つい先程枯れ尽くしたはずの涙が頬を伝い、彼女の両手へと落ちていった。

 

「――――――そうだな。そうかもしれない」

 

そうして慰めによって湧き上がってきた喜びの証を隠そうともせずに受け取ると、肯定の言葉を返す。凛は満足そうに笑顔を浮かべると、私の頬へと添えていた自らの腕を回収し、涙の伝った後を拭うことなく、そのまま両腕を腰に添え、胸を張った。

 

「でしょう? ま、性格が最悪のアイツのことだから、そうして貴方が自分の死で苦しむのを見越して悦に入って死んでいったのかもしれないし、とにかく、あんな外道神父の死に様をアンタが気にすることないわ」

「くっ……、相変わらずいいセリフを台無しにすることを平然と言うな、君は」

「いいのよ、別に。だって私、アイツのこと嫌いだったし、アイツなんかよりアンタの方が大事だもの」

「……それに小っ恥ずかしいことも平然というようになった」

「年の功よ。現実で三十年やそこらしか生きてない若僧じゃ言えないかもしれないけどね」

「おやおや、言ってくれる。それに老いを誇るとは、なんとも君らしくない」

「若さなんてのは魅力値の係数よ。老いた分だけ手にしたものがあるなら、ただ若いだけの餓鬼共なんか目じゃないわ。かつての学園のマドンナは伊達じゃないのよ」

「……ふ」

「ふふっ」

 

いつものように皮肉混じりの言葉でジャブの応酬をすませると、互いに片方の唇を吊り上げた意地の悪い笑みを浮かべあって人心地がつく。気がつくと体の震えは止まっていて、そんな私の変化を見た凛は朗らかに笑っていた。

 

――まったく、敵わないな

 

「おい、いちゃつくのは時と場所を選んでにしてくんな」

 

そうして冷え切った心を温めるための言葉をかわしあっているとランサーから不満の声がかけられる。声にはありありと不満の色が滲んでいた。

 

『ふむ。仲の良いことは結構だが、儂もクー・フーリンの意見に賛成だ』

「――」

 

ランサーの言葉にゴウトが続き、ライドウも無言ながらも嗜めるような視線を送ってくる。

 

「あー、はいはい、わかったわよ。ごめんなさいね」

 

そんな彼らの視線に真っ先に凛が反応し、不貞腐れたかのような言葉を放ちつつ、わたしから離れる。

 

「付き合わせて悪かったわね、アーチャー」

 

続けて片手をヒラヒラと振ってみせると、さも自分の勝手で私に迷惑をかけたかのように言う。どうやら外見こそ若く見えるがその実中身は老成した女性である凛の中においては、いまだに私は、彼女と出会った頃のあの時の『アーチャー』のままのようであった。

 

「いや、そんなことはない。むしろ、こちらが礼を言わなければならないくらいだ」

「そ。それはよかった」

「そうだ。私は――」

「おーい、お二人さん。俺の言うこと聞いてたかい?」

 

礼の言葉を紡ごうとすると、ランサーが割り込んでくる。睨めつけるというよりは呆れたと言わんばかりの視線を受けて慌てて彼の方を向き咳払いを一つすると、口を開きなおした。

 

「すまない。それで、状況は」

「それなんだが――……」

 

 

「シン、ダリ、サガにピエール!」

 

彼らの名を呼びながら、強化した体で英雄軍団の頭上を飛び越え、一足飛びに彼らの元へと向かう。そうして数度ほども跳躍と前進を繰り返すと、すぐさま言い合いをしながらも見事な連携で戦場を駆け抜ける彼らの元へとたどり着いた。

 

「お、その声は……」

「エミヤか……」

 

『異邦人』と呼ばれるギルドのメンバーは戦場の丁度ど真ん中にては半壊したロボット――ギムレーのすぐそばで戦っていた。シンはアンドロという体になる以前の肉体を取り戻しており、それ以外の三人は、纏う装飾品を除けばまるで変わらないそんな姿をしている。敵対したはずの彼らは、しかしなんとも朗らかで、まるで旧友を迎えるかのように優しい瞳をしていた。

 

「君たちは――」

 

そこまで行って言葉に詰まった。彼らには色々と聞きたい事がある。何故シンが元どおりの姿であり、他のメンバーと合流を果たしているのか。何故異邦人のメンバーが勢ぞろいしてギムレーを駆っていたのか。何故こんな戦場のど真ん中にやってきたのか。そして何故――

 

――私たちを裏切ったのか。

 

「――」

「――」

 

疑問は絶え間なく浮かび上がってくる。だが真意を問う言葉が出てきてはくれなかった。頼りにならない口腔に代わって、視線が互いの間で交錯する。意志を交わし合うさなかにも戦い続けるシンの目に迷いはなく、それは彼の仲間にしても同じで。そんな所作が、彼は凛たちの言う通り、自らの意思を以ってして私たちを裏切ったのだということを証明しているようだった。

 

――「きゅ、急に攻撃の手が緩んだぞ!?」

――「なんだかわからんが今のうちに態勢を立て直せ!」

 

混乱する最中でも目の前では未だに戦争が繰り広げられている。凛によれば一時はほとんど決着しかけた状況を、シン率いるギルド『異邦人』御一行が五分と五分の状況にまで盛り返したとの事だった。彼らはギルガメッシュに叛逆し、私たちを裏切り、決着のつきかけた戦争を蒸し返した。その行為が私にとってはまるで理解ができなくて――

 

「――なぜ」

 

気付けばそんな一言を絞り出していた。一言に目の前でギルガメッシュ率いる英雄軍の相手をしていた『異邦人』の彼らの手が止まる。シンはその手に握った刃を振るうのを止め、サガは目の前に群れる敵軍の頭上へと渦巻かせていた『大雷嵐の術式』の発動を止め、ピエールは喉元と肺腑の振動を停止させて歌うことを止めた。唯一、ダリだけが戦いのための行為を止めようとせず、やがてその盾を前に構えると、突き出しながらその言葉を口にする。

 

「完全防御」

 

そうして生まれた光は戦場の全てを包み込む。瞬間、敵味方全てを包み込んだ白い光が、敵味方の発するあらゆる攻撃を無効化した。

 

――「なんだ、こりゃ!? これは――、完全防御の光!?」

――「で、でも、なに、これ……!? なんでこの光、こんなに長く効果を発揮するの!?」

 

ダリはそして、彼自身連続して発動させ続ける事は不可能と言っていたはずの防御スキルを発動させ続ける。

 

――「お、おい、なんか、補助スキルが解けてねぇか!?」

――「それどころかさっきまでの毒と縛りも解除されてるぞ!?」

 

スキルはなんと、補助の光や状態異常の変化といった事態すらも阻害して、回復行為以外の全ての行為を封じ込めていた。

 

――「これじゃぁ……」

――「戦う意味なんてないじゃないか……」

 

やがてダリの宝具じみた奇跡的なスキルの力を目の当たりにして攻撃の無意味を悟った彼らは、誰もがその争いの手を止め、戦場は再び静けさを取り戻す。静寂と冷静を取り戻した彼らは、そんな現象を引き起こしたダリと、戦場の中心にいる私とシンとのやり取りを注視していた。

 

「――君たちは」

 

その光景を見て、先ほどと同じ言葉を繰り返す。どのようにしてそんな力を手にしたのかは知らないが、彼らはその気になればこの争いを止めるだけの力を手に入れているようだった。だからこそ解せない。

 

「君たちは――」

 

彼らはたしかに戦いを生業にする冒険者という職業につく者たちであることを知っている。しかしだからといって、彼らが無益に人との争いや人死にの起こる戦争を好むような人間性の持ち主でないことも、私は同時に知っている。だからこそ解せない。なぜ彼らは。

 

――なぜこうして戦争を止めることなく、先ほどまで戦い続けていたのか

 

全ての疑念が込められた私のそれをシンは如何なる問いとして捉えたのか、静かに頷いてみせた。剣の切っ先を私へと向けられる。血脂の乗っていない鈍色に輝く刀身は、まるでシンという男の迷いのない様を示しているかのようだった。

 

「君と戦うためだ」

「――」

 

そして聞こえてきた断言に絶句した。シンという男の言葉を疑うよりも先に自らの脳と耳の異常を疑う。意識を手放さなかったのが奇跡なくらいだと思った。そんな事を考えてしまう程度には、彼の言葉はあまりにも私にとって予想外だった。

 

「シン」

「無論、嘘でも冗談でもない。私達は、私は、君と戦うために、彼らに弓を引き、こうして戦いを続けていたのだ」

 

声が出なかった。呆れているのか、理解不能の思考に驚いているのかは自分でもわからない。とにかく彼の返答があまりに私にとっての常軌を逸していた事だけは確かだった。シンは私の返答をまってか無言を貫いている。そんなシンの言葉を咎めるものが彼の仲間にいないという事態が、ギルド異邦人の誰もがシンの意見に賛同している証だといえるだろう。それが尚更に私を混乱の渦中へと叩き込んでいた。

 

「――確かに君が戦闘を好む性質であるのは知っていたし、私と腕を競いたいという願いをどこか抱いていたるだろう事も薄々気が付いていた」

 

たっぷり十秒ほどは呆気に取られていた私は、予想外の事態に混乱する思考をそれでもなんとかまとめてやると、彼の返答へと常識的な回答を返そうとする。

 

「だが私との戦いが望みだと言うのなら、なにもこのようなタイミングでなく、それこそこの戦いを終わらせたその後でも――」

「否!」

 

しかし言葉は途中でシンの強い否定に遮られた。続く言葉が虚空の中へと消えてゆく。

 

「今だ! 我らの決闘はこんな戦争が行われている今でなくてはならないのだ!」

 

シンは真剣だった。そしてそれはシンの周囲を取り囲む異邦人のメンバーも同様だった。彼らは一様に真剣な目を私の方へと向けてきている。その目には敵として定めたはずの相手に向けるにしては不釣り合いな、期待と親愛含むものだった。

 

「――」

 

彼らの目線はどこまでも真っ直ぐで真剣だった。そのまっすぐな視線だけで、彼らが伊達や酔狂で私達を裏切ったわけでないことが理解ができる。

 

――なにを……、考えている……

 

以前までの私であったのならば、彼らの思惑はどうあれ、目の前で繰り広げられているこれが戦争であり、彼等が私たちを裏切ると宣言しているその時点で、私は彼等を敵とみなし迷わず攻撃を仕掛けていただろう。

 

――彼らはなぜ私との戦いを望む。

 

戦争。それは迷えば迷った時間の分だけ被害を受ける人間が増えてゆく、悪魔の儀式。一秒の迷いが十人、百人の犠牲者を生むこともだって珍しくもない。だからこそかつての私はそんなものを終わらせることに注力したのだ。

 

「エミヤ――」

 

――シンはなぜ、今、この時において、私との戦いを望んでいる

 

しかし、かつての私はそして可及的速やかに戦いを終わらせることだけに注力したからこそ、誰からも理解されず生涯の幕を閉じることとなった。だからこそだが今、それを許されている私は、存分に迷い、悩む。

 

戦争を終わらせる、無意味なものへとすることのでいる力を持つ仲間のいるシンという男が、なぜこうして戦いを続けていたのかを必死に考える。

 

「――、む」

「――」

 

そうして彼らの意図を探るため、ゆっくりと彼らの顔と顔の間を行き来させていたそんな時だ。向けられる視線から私の意図を読み取ったのだろう、彼らの中でも最も人の気持ちを読むに長けていると思わしきサガという女性がゆっくりと視線の先を己の後ろへと向けた。

 

「――」

 

そうして視線を向けた先では、ヘイムダル――ヘイが角笛によって呼び出したという死兵の集団が、希望と困惑とに満ちた瞳をシンたちに向けていた。その瞳は、無念を残して死んでいったという彼らが浮かべるにしてはあまりに輝かしい光をも発していた。

 

私の視線を誘導し彼らの変化に気付かせたサガは、ゆっくりと首をこちらへとむけなおすと、訴えかけるような視線を私へと送ってくる。その視線は懇願だった。どうか自分らの意図に気がついて欲しいと、彼女の視線は私に訴えていた。瞬間、その視線の意味に気がつく。

 

「――まさか」

 

――彼らの為に?

 

いや、まさか、そんな。そんな思いのままにシンらとヘイムダル軍の彼らを交互に見やる。するとシンは、そんな私の視線の動きからこちらの思惑に気がついたらしく、目を瞑ると静かに首を縦に振った。

 

――……っ!

 

瞬間、ぞくりとしたものが背筋を駆け抜ける。面映ゆい気持ちが湧き上がり、全身が震え上がった。全身を駆け巡ったのは、歓喜であり、狂喜であり、驚喜であり、随喜であり、慶喜であり、悦喜であり、悦楽であり、喜悦であり、欣悦であり、つまりは愉悦だった。

 

「――本気なんだな?」

 

短い問いかけが溢れた。

 

「無論だ」

 

短い返答に、湧き上がった想いがさらに高まった。

 

「その先に彼らの救いが有ると思っているのか? 」

「有るとも。死に至る病に対する全ての答えがその先に有る」

 

断言に鼓動が馬鹿みたいに早まる。血液は全身を嬉々として駆け巡り、指先の毛細血管の一つ一つにまで流れ込んで、湧き上がった感情を体の隅々にまで行き渡らせていた。

 

「それを欲するのは君の正義のためか?」

「そうだ。それは私の我欲のためだ。そしてそれは君の救いのためでもある」

 

――そうだろう?

 

視線は雄弁に問うていた。唇が自然と吊り上がってゆく。彼らが如何にしても私の求める正義に辿り着いたのかはわからない。シンがなぜ私との決闘を所望しているのかはわからない。戦争を終わらせるための手段を保有する彼らがなぜ戦争を続けていたのかもわからなけらば、決闘がなぜこのタイミングでなければならないのかもわからないし、なぜ決闘という血生臭い手段の先に彼らの救いがあるのかもわからない。

 

私には彼らの考えがまるでわからない。ただ、彼らが私が真に望んでいる結末と私の正義というものを理解しており、そんな私にとって望ましい未来に向けてなにかをしようとしているということだけは、嫌という程に理解できていた。

 

――ああ……

 

シンと彼らの瞳は私に対する期待に満ちていた。彼らはシンに救いを求めていた。彼らの期待が私にも注がれた。その事実に胸が熱くなる。気付くと渾身の力で拳を握りしめていた。頭の芯までがジンと痺れる。体の芯よりとめどなく湧き上がってくるものが、噛み締めても噛み締めても次から次へと溢れてくる。

 

――こんなところに、いた

 

私の救いを求めてくれる人が、こんなところにいた。私を救おうとしてくれている人が、こんなところにも、こんな未来の世界にもいた。長い旅路の果て、私はようやく私の望みを理解し、そんな願いに向けて積極的に協力しようとしてくれる誰かと出会えたのだ。そんな馬鹿みたいに奇跡的な出来事と、そして私に救いを求めてくれる彼らに、心からの感謝を送る。全身はこれまでに味わったことないくらいの幸福感に包まれていた。

 

「そうか。ならば遠慮はいらないな」

「無論だ。是非とも私を殺す気でかかってきて欲しい」

 

承諾の返事を返すと、ざわめきが起こる。耳に飛び込んでくる音のほとんどは、私の正気を疑う声や、シンらや私が何を考えているのかわからないという困惑の声だった。それは私たちの事を、私という男の正義を知らぬ者からすれば当然の反応だろう。――だが。

 

――きっと彼らならば

 

信じて見渡すと、戦争繰り広げられていた戦場において決闘を行おうとする二人の馬鹿者の行為を肯定する視線をすぐに見つけることができた。凛は「全くしょうがないわね」と言わんばかりの呆れと諦めと納得の視線を私に向け、私の決意を肯定してくれていた。ランサーは決闘という言葉が羨ましかったのか、羨望の視線を向けてくる。ライドウは彼にしては珍しく口角をあげて微笑んだ顔を保っていた。ゴウトはやれやれと嘆息するかのような仕草をしたが、私を止める様子はみせていなかった。

 

彼らの瞳は思う存分に想いを果たせと告げている。抑えきれぬ喜の感情に駆られるような形で、視線は最後に冒険者や凛らの後ろにいるギルガメッシュへと向けると、彼は世界を喰らい尽くしてしまうのではないかと思えるほどに唇の両端を吊り上げ、爛々と赤い目を輝かせていた。

 

彼らは何も語らない。けれど、私を知る彼らの誰一人として私の行動を咎めるようなそぶりがないという事実が、私の心をさらに高い喜びに満ちた場所へと導いてくれていた。

 

「了解だ。私は君を殺す気でいく。――それでいいんだな」

 

彼らは誰もが私とシンの決闘を否定していなかった。そんな彼らの肯定に背を押される形で振り向くと、迅る気持ちをなんとか抑えながらも決闘の勝利条件を確かめる。

 

「無論だ」

 

言葉を聞いた瞬間、シンは、ニィ、と彼にしては珍しく凶暴な笑みを浮かべ、喜びを抑えきれないと言わんばかりに体を震わせて居合の構えを取った。構えるシンは、いつになく力が入っていた。そして私は、シンという男は私が彼の思惑通りに自身との決闘を受けたという事を心底喜んでいる事を理解した。私は、私の心に従うがままに彼の語らぬ腹案に賭けたという私の選択が間違っていなかった事を確信した。

 

だが同時に、湧き上がる興奮とは裏腹に、私の持つ1パーセントでも勝ち目があればそれを引き寄せることのできる心眼というスキルが、こんな予想もつかない未知なる道を選択する無謀な行為など今すぐ辞めろと繰り返し忠告を発していた。だが。

 

――この選択が間違いであるはずがない。

 

そんな理性的で道徳的な意見を、湧き上がる感情で否定して抑え込む。私には確信があった。

 

――彼らは、世界とそれを賭けた戦争に参加している全ての人間を救う方法を知っている

 

思った途端、全身に力が入る。そうとも、結果などは二の次でいい。理性的な意見を、信頼を喜び胸の奥底から湧き上がってくる熱さと、見たことのない理想の未来を幻視して高鳴る鼓動の力を借りてねじ伏せ、私は握りしめた干将を彼の鼻先めがけて突きだした。

 

「加減をしてくれるなよ」

 

シンが笑う。

 

――ならば、彼らが私を信じて救いを求めてくれたように、私も彼らの救いを信じよう

 

「それが君の望みで有るならば」

 

剣を握る手が熱い。体を焦がし尽くしてしまいそうなくらいに血潮が煮え滾っている。心は初めてこの世界で正義の味方を目指して一歩を踏み出した時のように、あるいは、希望だけを胸に初めて世界樹の迷宮という未知なる場所へ冒険の旅に出かけた時のように、遠くにあるだろうまだ全景すら見えぬ輝かしき未来へと向けて踏み出した事を心底喜んでいた。

 

「いざ」

 

声に誘われて意識を現実へと引き戻す。多少力入った様子で構えた彼は、そんな古式ゆかしい始まりの言葉を口に出す頃には、すでに完全なる脱力を終えていて、いつも通りの居合の教科書に載せたくなるくらい綺麗な構えをとっていた。

 

「尋常に」

 

まっすぐな彼とは違い、誇りなどは結果で洗い流せると、あらゆる手段を用いて勝利をもぎ取ってきた自分にこの言葉は似合わないなと内心苦笑しながらも、真剣に彼の言葉に応答する。なるほど、これがランサーの言う所の誇りある戦い――、つまりは男のつきあいというやつなのかもしれない。返ってきた答えにシンは笑みを深いものとすると、一息吸った。

 

「――」

 

互いの呼吸が止まる。緊張感と無音がその場を支配した。次に互いが言葉を発した瞬間が開始の合図になるだろう。いつもの双剣を持った手を脱力させ、だらりと腕を降ろした半身の構えを取ると、こちらの準備が終わった事を見抜いたシンは、ニヤリと笑って口を開き、そして――

 

ダリがその守りを解除した。

 

「「勝負!」」

 

瞬間、開始を告げる言葉が互いの口から飛び出した。私とシンは自身の決闘開始の声を追い抜く勢いで飛び出し、互いの正面にいる存在へと斬りかかる。

 

そして世界の命運をかけた、代理戦争が始まった。

 

 

「一閃!」

 

戦端が開かれた途端、裂帛の雄叫びとともに瞬時にシンの手元が鈍色に煌めいた。スキルという異能によって生じた数十もの光の刃が瞬時に心臓、首、頭部といった急所めがけて放たれ、私を殺すために押し迫る。その技の冴えは彼があの狼との一戦の最後に見せたそれに比するものであり、味方としてではなく敵として相対した今、まさに悪夢と言って過言ではない一撃といって良いものだった。突如として放たれた無数の刃を防ぐ手立てなどあろうはずもない。

 

――無論。

 

「投影開始/トレース・オン」

 

その相手が私でなく、普通の人間であれば、の話ではあるが。

 

「――」

 

迫る刃めがけて多重投影した複数の剣を射出する。シンによって放たれた一閃というはブシドーの奥義は、急所狙いの必殺の一撃の群であるが故にその軌道を読むことは非常に容易かった。

 

投影の魔術により生まれ落ちた偽物の剣が鋼の雨となり、架空の力によって実体化された刃とぶつかり、鋼驟雨の中に火花が散華する。一瞬の間に数十もの剣戟が鳴り響き、同じ数だけ眩い光が周囲に撒き散らされた。それはあたかも閃光弾のように私の視界を白色で染め尽くす。

 

「む……」

 

光が視界を塗りつぶした直後、前方より迫り来る気配を感じた。光陰が失せた次の瞬間、間断おかず迫り来ていたシンが刀を振りかぶる姿が目に映る。その挙動には一切の迷いというものが感じられなかった。

 

――なるほどこれが本命か……!

 

瞬間、シンは自らの奥義を単なるフェイントに使ったのだと悟る。たとえ自らの奥義だろうと、有効打にならないのであれば即座に囮に使う。その判断を感心した直後、愚直なまでに直進してくるシンと目線が合った。途端、露骨なまでの殺意が一直線に私に向けられる。動きはまるで獰猛な肉食獣のそれのようだった。奇襲の成功を確信したのか、もはや隠すべきものはないと言わんばかりに突撃するシンの速度が増す。

 

「――つばめがえし!」

 

そうして目線を切る間も無く炎と殺意を纏った鈍色の剣が振り下ろされた。先の『一閃』を飛燕の乱舞と例えるならば、この『つばめがえし』は、宙を舞う燕を斬り落とす事を可能するかのような、まさに神速の一撃だった。

 

――まともに受ければ骨まで持っていかれるか……!

 

瞬時に回避を選択しようとするも、自らが防御のために生み出した投影した強固な剣が檻となり自らの回避ルートを潰している。生み出したのがこの身である以上無論消すは可能だが、投影したものを破棄するに意識を向けるその一瞬を見逃してくれるほどこのシンという男が甘くないことは、先の共闘にて重々承知している。

 

「――」

 

私の逡巡を見抜いたかのようにシンが笑う。瞬間、この事態がシンという男の意図通りであった事を悟った。どうやら、私の剣が受け身と防御に比重をおいた守りの剣である事を見抜いてのこの事態までを見越しての一撃だったらしい。おそらく先の新迷宮三層番人の狼との共闘において、私のそんな性質を見抜いていたのだろう。場違いながらに感心しつつ、私はこの攻撃を捌くために取るべき手段を考える。防御は不可能。回避も不能――

 

――ならば……っ!

 

「鶴翼、欠落ヲ不ラズ/しんぎむけつにしてばんじゃく」

 

――その攻撃を止めざるをえないほどの攻めに転じるまでのこと……!

 

「――なに!?」

 

シンが先の戦闘において私の戦い方を見抜いているというのなら、私もまたシンというブシドーの男が自らの身を顧みない攻撃的な戦い方をする事も、スキルを用いた際にいかなる動作が行われるのかをも見抜いている。ならば当然、それに対する対策を構築する事も可能である、というわけだ。

 

「心技、泰山ニ至リ/ちからやまをぬき」

 

比翼連理を誓った夫妻の、その夫の手によって妻の体を用いて造成されたこの一対の夫婦剣は、それ故に離れた際互いを引き寄せる性質を保有している。

 

「っ!」

「心技、黄河ヲ渡ル/つるぎみずをわかつ」

 

魔術の起動スペルを唱えるごとに、シンの周囲で先の剣の檻を投影する折に生み出しておいた複数の干将・莫耶がその仲の良さを誇るかのように宙を舞い、絆を見せつけるかのよう互いに身を寄せ合う。その絆は強固であり、堅牢であり、死が二人を分かつとも断てぬものであったというわけだ。――ならば。

 

「唯名別天ニ納メ/せいめいりきゅうにとどき」

「くっ、そっ……!」

 

シンの一撃がたとえ燕を斬り伏せるだけの威力を秘めていようと、死ですら別つことの出来なかった夫婦の絆に勝る道理はない――っ!

 

「両雄、共ニ命ヲ別ツ!/われらともにてんをいだかず!」

「――っ!」

 

舞うは三対。踊るは双剣。比翼連理の群が、攻撃を止めてバックステップによる回避を選択したシンの進路を塞ぐようにして飛び交った。

 

「さっ、せっ――」

 

だがシンは、背後と左右より迫ったそれらを驚異的な反射能力で迎撃する。豪胆に繰り出された一撃が、繊細に飛来する干将・莫耶を重心を捉え、弾き飛ばしてゆく。剛能く柔を断ち、柔能剛を断つ。なるほど、真の武道家のあるべき姿である剛柔一体を体現する彼に賞賛を送りつつも、しかし当然ながら、だからこそ彼の望み通りに一切手は抜かない。

 

「鶴翼三連! 叩き込む!」

「――るかぁぁぁぁぁ!」

 

己の背面より迫り来る双剣の迎撃のために振り向いたシンのその無防備な背中めがけて、握りしめた干将・莫耶による攻撃を繰り出した。だがそうして繰り出した私の刃が彼に届くよりも早くシンは振り向き、信じられない速度で踏み込みを行うと、手にした刀を突き出してくる。

 

「――なっ……!」

 

それはあまりにも予想外の一撃だった。この一撃が通るのであれば、我が身の被害など知ったことかという気迫に押され、気づけば私の体は、シンが発している闘志に瞬時の反応し、攻撃に使用していた双剣を使っての回避を選択していた。

 

「ぐ、ぅぅぅぅぅうううう!」

 

繰り出された一撃を躱せたのは、まさに奇跡だったと言っても良いだろう。重ねて防御に使用した双剣の交差地点を、鈍色の刀が滑ってゆく。力を込めて切っ先の方向を全力で逸らしつつ顔を逸らすとその真横を剣が鈍色をした刀身が通り抜けていった。

 

「ぬんっ!」

「――かっ……!」

 

示現流もかくやという勢いの踏み込みにより縮地を成し遂げたシンの体をいなす。同時にその無防備になった背中へと双剣の柄を叩き込もうとして――

 

「――なにっ!?」

 

手中にて砕けて散った干将・莫耶の感覚に驚き、一撃を放つタイミングが遅れる。シンはそうして生まれた隙を用いてそのまま前のめりに転がると、すぐさま体を捻って起き上がる。シンがほとんど反射によって行ったのだろう行動は、しかしその場において最適と思えるものだった。

 

「――」

 

起き上が利と同時に青眼の構えをとったシンを前にして、油断せぬようにその所作の一挙手一投足を見守りながら、空になった手を握りしめる。すると投影という異常な手段でこの世に生を受けたが故に、一定以上の破壊に耐えられず、そうした際には魔力となりてこの世から消えるだけの運命にあるはずの干将・莫耶が、しかし虚空に失せることなく、サラサラとした砂つぶとなって手のひらから零れ落ちてゆくのと、刃の掠めた髪の毛が石となりて折れて地面に落ちたのを見て、私は今しがた彼が何をしたのかを悟る。

 

「……ブシドーのスキルには、相手を石化状態に陥らせる突きを繰り出す技があったな」

「――」

「確か――、『鈍通し』とかいう技だったか。シン。君が今しがた繰り出したのはそれだな?」

「――」

 

問いかけるも、シンは規則正しく呼吸を行いながら射抜くような視線を向けてくるばかりで、こちらの言葉には答えることはなく。彼は刀を正面に青眼の姿勢に構えたまま、息吹にて静かに呼吸を整えていた。

 

――手の内を明かすつもりはない、と、そういうことなのだろう

 

「なるほど、愚問だったな。忘れてくれ」

 

おそらく無言は、言葉から少しでも情報を引き出そうというこちらの思惑を見抜いての返答なのだろう。なるほど、相手に余計な情報を渡さないのは戦闘の基本。彼の無言の返答を当然のものであるとそう判断した私は、ならばこれ以上の問答は無用であると同時に判断し、再び干将・莫耶を投影し、剣を構える彼と再び対峙した。戦場の空気はいつも以上の騒めきと混沌に満ちている。

 

「――いくぞ」

「――こい」

 

一言を合図に、シンの体から今まで以上の闘気が発せられた。互いの突撃が戦闘再開の合図と相成り、私は再びシンとの決闘が再開する。そして私は未知なる技術を保有する相手との戦いに再び飛び込んだ。

 

 

「お、おい……いま、あいつ……」

「ああ……あのシンとかいう男……」

「スキルの名を言葉にすることなく、ブシドーのスキルを発動した……」

「日常のスキルは別として、その誰かを攻撃するタイプの職業スキルは、基本的にそのスキル名を叫ばねばスキルの発動が出来ないはずだ……」

「一体どうなってんだよ……」

 

 

黒白の双剣を操る男はまさに化け物だった。エミヤは、常に私が気持ちよく動けないよう、こちらの行動を制限する戦い方を強いてくる。

 

「ふっ」

「――っ!」

 

吐息とともに鋭く重い一撃が繰り出された。赤い騎士がその両腕より繰り出す一撃はいずれもが必殺の一撃であり、同時に意識を誘導する罠でもあった。この赤い外套を纏う騎士然としたエミヤという男は、全ての行動に二つ以上の意味を持たせているのだ。

 

「そらっ」

「――っ!」

 

軽い口調ながらも繰り出される攻撃は全てが急所狙い。喰らえば死を意味する以上、防御しないという選択肢はなく、ブシドー得意の肉を切らせて骨を断つという選択肢もまた出来ない。

 

「――どうした、シン。防戦一方とは君らしくもない」

 

攻撃に転じる暇というものを彼は与えてくれなかった。剣をどうにか防いだと思えば、次の瞬間には別の場所から攻撃が来るぞと本能が警告を鳴らしている。直感に従って攻撃を避けた瞬間、次の攻撃がその回避軌道上にある。

 

――素晴らしい……っ!

 

その強さに感動した。エミヤはまるで聳え立つ山のようだった。冷静を保つその性格。迷わず死地に身を置くその胆力。堅牢に常に自分の優位を保ち、相手に不利を強いるその戦い方。彼が用いるすべてのものはこちらの意識をそらせるための武器であり、同時にいずれもが必殺の一撃になりうる死神の鎌でもある。私のとるすべての行動がこの男の手のひらの上での出来事だった。ここまでいいように手玉に取られてしまうと、悔しさよりもいっそ清々しさの方が湧き上がってくるくらいには、エミヤという男の戦い方は巧かった。

 

「……、『小手討ち』っ!」

 

挑発に乗せられるよう、なんとか無理やり体を捻じ曲げて不意打ち気味の一撃を繰り出す。

 

「おっと危ない」

 

だがそんな苦し紛れの腕を狙った一撃は、予想していたぞと言わんばかりの最小挙動であっさりと回避されてしまう。そんな不条理がまた私の胸を躍らせた。

 

「……まったく、素晴らしい反射神経と攻撃速度だ。他人の優れた肉体能力を見せつけられるたび、自らの戦いの才能のなさを恨めしくおもうよ」

 

身体能力や反射神経、肉体に秘められた才能といった肉体面でこそ僅かにこちらが優っている。

 

「――」

 

しかしそんな肉体的優位をもろともせずに、このエミヤという男は、培ってきた経験と努力と魔術という固有の才能で私という存在を超えてゆく。

 

「やはり無言を保つか……。少しは話に付き合ってくれてもいいと思うのだがね」

 

――やはり強い……!

 

そんな予想以上の強さを前にして、嬉々とした。叫びたくなる思いを裡に留めておくので必死だった。そんな余計を考える最中にも黒白の双剣が急所めがけて飛んでくる。いずれもが必殺のそれらの攻撃を防ぐためには、とてもじゃないが喋ることに意識を割いている余裕なんてない。

 

「――っ!」

 

飛来する剣を叩き落としながら思う。エミヤはやはり、控えめに喩えるとしても桁外れの化物という文言が最も当てはまるくらいには、飛び抜けた化け物だった。私に身体能力で劣るはずのエミヤはしかし、肉体的に劣るという事実など己が培ってきた戦術眼と鍛え上げた肉体、そして独特の体捌きと自らの特異なスキル――魔術にて如何様にでも覆して見せようと言わんばかりに、苛烈かつ玄妙な攻撃で私を翻弄し、常に己にとって有利な戦況を作り出す。あらゆる攻撃の通用しない相手を化け物と言わずに、何を化け物と呼べばいいというのだろうか。

 

「まあいい。ともあれ君が望んだ通り遠慮なく行かせてもらおう」

「くっ……!」

 

言葉とともにエミヤの両の手は鞭のようにしなり、鋭い切っ先を飛ばしてくる。攻撃を躱して、反撃の一撃を叩きこもうとするも、すでに次の一撃が私の体の移動方向に添えられている。再び攻撃を躱して、反撃を試み、しかし防がれる。

 

躱す。防ぐ。攻撃。防がれる。攻撃される。躱す。攻撃される。躱す。躱す。掠る。躱す、躱す、掠る、躱す、掠る、躱す、躱す躱す躱す掠る掠る掠る掠る掠る掠る掠る――

 

絶え間無い猛攻。交錯する二つと一つの剣。息つく間など与えてやらないと言わんばかりの苛烈な連続攻撃。絶え間なく散る火花。その数はやがて減ってゆき、宙を踊る色はやがて黒白と私の鮮血ばかりとなってゆく。

 

――なんと強く……

 

比翼の剣が見せる舞は一秒ごとに早くなる。――否。早くなっているのではない。こちらの動きが遅くなっているのだ。鞭のようにしなる両腕と、その先にある切っ先は、見事にこちらの動きを制限する軌道を描き、黒白は私を追い詰める。その技巧のなんと絶妙な事か。

 

――なんと速く……

 

黒白のいずれかが迫っていると認識した瞬間には、黒白の片割れはすでに攻撃の体制に写っている。避けた時にはすでに片割れがそこにある。それは完全なる未来予測が可能とする技だった。弧を描いて迫り来る剣は絶え間なく空を滑り、黒白の軌跡を宙へと描き続けている。攻撃そのものが全て次の攻撃の布石であり、同時に必殺の一撃でもある。全てが牽制であり、同時に必殺。

 

――なんてデタラメ……!

 

そのような不合理なもの。いったいどうやれば反撃に転じる隙を見出すことが出来ると言うのか――!

 

「遅い」

「ガッ……!」

 

やがて回避の連続により無理な姿勢を取らざるをえなくなり、体の動きが鈍った箇所へ繰り出された攻撃が突き刺さる。血肉を求めて振り下ろされる致死に至る刃の隙間から繰り出される殺意のこもらない拳による攻撃は、本能と直感で脅威を瞬間的に察知し、回避の優先順位を定める私の戦い方を見抜いての一撃だったのだろう。

 

「グッ!」

 

繰り出された攻撃にはたしかに殺意が込められてはいなかったが、それでもまともに威力が体内へと浸透すれば私の内臓を傷つけるには十分すぎるほどの威力を秘めていた。――だが。

 

「グ、ウ……、ウゥッ……!」

「が、浅かったか。加えて反撃まで試みるとは――、流石の身体能力と反応速度だな」

 

致死に至らぬ攻撃は、即時致死に至らぬ攻撃であるが故に、攻撃が刺さったその瞬間のダメージを気にしさえしなければ、その後全力で離脱するための隙となる。攻撃を喰らいながらも歯を砕けん程に噛み締め、彼が追撃を繰り出せないよう瞬時にスキル『鞘撃』に似た一撃を繰り出しながら脱兎のように離脱した私を見て、エミヤは感心の目を私へと送ってきた。

 

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、――ハァ、ハァ…………、フゥ」

 

その事実に体が熱くなる。しかしそして、殴打された部位はそれ以上の灼熱を帯びていた。荒い息を無理やり落ち着かせると、ブシドーのスキル『息吹』を用いて傷ついた部分の回復を試みる。息を整えている間も彼からは視線を外さない。

 

「フゥ、フゥ……、――――」

「――」

 

エミヤは鞘撃を双剣の腹で受けた事によって僅かながらも両腕に痺れが生じたらしく、双剣を握る両手の位置が微かに下がっていた。呼吸を整えている私が今攻撃を受けないですんでいるのは、おそらく彼の慎重が痺れという自らの肉体の不全を嫌っているからなのだろう。

 

「――――――――――――、フゥゥゥゥ」

「――」

 

エミヤは一向に動かない。けれど、彼にとっては手負いの格下であろう相手を目の前にしているというのにもかかわらず、空間を満たす緊張感と、迸る殺意、鋭い観察眼はもまるで変わらない。油断や慢心、という文字は彼の辞書に存在していないようだった。エミヤは私を対等の敵、脅威として見てくれている。それがなんとも心地よい。

 

「――フゥ……」

「――」

 

やがて私の体に体力が戻り息吹の必要がなくなった頃、彼の方も腕も痺れという身体の異常状態が失せたのか、エミヤは再び完全な脱力を終えて受身がちな両腕をだらりと下ろした姿勢へと移行した。エミヤの纏う剣気が増す。彼の周囲一メートル強の空間は、再び彼の絶対領域へとなっていた。

 

「――」

 

エミヤは動かない。格下である私がどう動こうと対処できる自信からだろう。彼は無駄に体力を使わない。じっと鷹のような鋭い視線で、こちらの一挙手一投足を観察している。

 

彼には一分たりと隙は存在しなかった。その泰然自若を自然体とした姿を見ていると、今のままの自分では何をやろうと攻撃が通らないという思いすら湧き上がってくる。――そう。

 

――今のままでは敵わない/叶わない。

 

奥義も最大の一撃も通用しなかった。一々スキルの発動を意識し動いていては、体捌きをもってしてスキルが如き技を繰り出すエミヤには届かない。唯一通用したのは、無意識のうちに繰り出した、『鞘撃』というスキルに似た一撃のみ。ならば――

 

――是非もない

 

「む?」

 

覚悟を決め、構えを解く。意識する部分と無意識である部分をより分けると、エミヤを見習い、彼がするように自然体でただ目の前の敵を静かに見据えた。スキルの発動を意識することなく体がやりたいように任せて剣を構える。途端、驚くほどの開放感があった。無茶な稼働の連続により凝り固まっていた全身から余計な力が抜けてゆく。

 

「ほう……いい構えだ。それに気配がこれまでと段違い。もしや三味線を弾いていたのか?」

「まさか。貴方と戦うのにそのような余裕はないよ。嘘偽りなく、先程までのアレは私の全力だった。――戦いの全てを完全にスキルという便利なものに頼った場合の、な」

 

息吹一つごとに体の隅々にまで必要な分だけの力が行き渡る。今の私であれば、意識するだけで全身のあらゆる箇所を自由自在に稼働させる事が可能である確信があった。

 

「ふむ」

「アンドロという体でブシドーの時と同じように剣を振るっていたおりに気がついたのだ。『スキル』というものは、言うなれば単なる補助輪であり、基礎にすぎないのもの――――――、機械の使用方法を知らない人間であっても方法さえ合致していればその結果が出せる。それと同じことだ。スキルというものは発動すると人の体を型通りに動かし、確実に一定の威力を持つ現象を引き起こす、そういうものだったのだ、と」

「なるほど。料理の仕方を知らぬ子供であっても、手順とやり方さえあっていれば、美味い料理が作れる。つまりは本来ならば修行により身につけるそんな体の動きを再現するシステムこそが、スキルという事か」

「そうだ。故にスキルに頼れば、子供であっても、才が無くとも、一定以上の結果を残すことが出来る。ただし――、代わりに、どれだけ極めようと、スキルというものによって生まれる結果以上の結果を残すことはできない。完全にスキルに頼るものは、スキルを使用しなくともスキルを使用した場合以上の結果を出せる相手には勝てないのだ。だから私は――、今からスキルを捨てる」

 

宣言に、周囲がざわついた。主に騒がしいのは、ヘイムダルの軍団の彼らだ。彼らは私のスキルを捨てるという宣言に、驚き、戸惑い、ざわつき、困惑している。一方で、ギルガメッシュの側にいる軍の大半以上の人間は、ただじっと真剣な目で私を見据えていた。そんな二者の差異を見つけて、私は自らの直感が正しい事を確信した。

 

「スキルを使用せずに、スキルと同じ現象を起こす。それが本当にできるとでも?」

「出来るとも。現に私は先ほどそれを成した。それに、紐解けば、レン、ツクスルといったかつてのエトリアの勇士たる彼らは、ブシドーやカースメーカーのスキルツリーにはない、彼ら自身のみが扱えるスキルを使用していたと聞く。おそらくは彼らが使用していたそれらこそが、スキルというものの先にある、スキル以上のものなのだろう」

「だとしても、今までスキルに頼りきりだった君がいきなり戦い方を変えて、それで私に勝てるというのかね?」

「戦い方を変えるのでは無い。今までずっとやってきたことをきちんと意識してやってやろうというだけのことなのだ。私が無視し続けた事を意識してやろうというだけのことなのだ。――エミヤ。私は貴方がどれだけ戦ってきたのかは知らない。だがおそらく、エミヤという戦いの方面の才能が無い貴方が、そのような実力を得るには、想像を絶するほどの身を削る思いで血反吐を吐くほどの鍛錬を繰り返してきたのだろう事だけは、戦いの才能を持つ私には想像だに容易く出来る」

「……」

「だが、貴方ほどでは無いにしろ、私も三竜討伐を目指して戦いの日々を送ってきた。毎日毎日迷宮に潜っては、一、二週間、時には一、二ヶ月ものあいだ、迷宮の中でスキルを振るい、敵と戦うこともざらにあった。貴方が戦いの中で研鑽を重ねて自らの動きの最適化を行なってきたように、私も全身に傷を負ったことのない部分が無いほど肉体を酷使して戦い、血豆が潰れるほど刀スキルを用い、多くの冒険者たちと迷宮に潜って、強敵と命を賭した戦いを行なってきただ。数千か数万か、あるいはそれ以上にスキルを使用し、体を動かしてきた。ならば私の体にスキルの動きが染み付いていてもおかしくは無い。必要なのは、自分の可能性を信じて踏み出す勇気だけだ」

 

否、染み付いているはずなのだ。だって先ほど、私はスキルを用いることなく無意識のうちの動作としてブシドーのスキルである『鞘撃』を繰り出せた。思い返せば、あの新迷宮二層の番人に繰り出した『一閃』も、三層の番人戦において繰り出した『一閃』も、自らの意思で『一閃』を繰り出した以上の結果を望み、自らの完全意識下において動作を行ったからこそ、通常の『一閃』ではなし得ない、通常の威力を遥かに超える『一閃』を繰り出せたのだ。

 

「だから私は私の信念と確信に、この命を賭けよう」

 

だからこそ、だから出来ないなんてはずがない。出来ないとすればそれは、私がそれを出来ないと信じてしまっているからこそ、出来ないのだ。

 

「そうとも。私にはそれが出来る。私は、私自身が培ってきたこれまでの経験と、私自身を信じる。そして私は過去の人間によってもたらされたスキルを超え、超えた技を持ってして、目の前にいる我が生涯において最大の相手を打倒してみせよう」

 

挑戦を宣言をすると、気持ちが冒険を決意したあの日のように昂ぶった。未知なる道に対して真に自らの力のみで挑むのだと思うと、それだけで血潮があの日以上に熱く燃え滾る。

 

――ああ

 

冷えつつあった体に熱が生まれた。そうして生まれた激情が抑えきれずに、全身が歓喜に打ち震えている。力が溢れてくる。自信と不安は半々だ。生まれた正と負の感情が心の天秤を揺らし、今か今かとその時を待ち望んでいる。

 

――血が、滾る

 

体は自然と居合の構えをとっていた。おそらく最も自分の体に適したものだからだろう。スキルではなく自らの意思で最も自らにとってやりやすいよう構えた途端、行動速度と身体能力がこれ以上ないくらい上昇した気がした。望むならばいつでも常以上の動きをしてみせようと全身が張り切っている。

 

「……恐ろしいな」

 

エミヤが呟いた。その一言に心が踊る。エミヤが放つ気配をさらに濃密なものにした。彼の挙措に血管が破れんくらい鼓動が速まる。体はもう待ちきれないから今すぐに飛び出せと訴えていた。

 

「いくぞ、エミヤ!」

 

知る限りにおいて最高の強さと技量を持つ存在が、私の事を全力を出すに値する相手だと認めてくれている。事実はこれ以上ないほどに気持ちを昂らせ、抑えきれなくなった私はついに一歩を踏み出して、生涯最高の挑戦を開始した。

 

 

刀が滑る。鈍色に輝く剣が宙を舞う。スキルという冒険者にとって戦う手段であるはずの技術を捨てると宣言した彼は、たしかに宣言通りスキルというものを捨てていながら、ブシドーのスキルというものを使いこなして、襲いかかってくる。

 

「はぁ!」

「く……っ!」

 

発声と同時に繰り出される一撃――『つばめがえし』は、これまでとは比較にならないほどの威力、速力を誇っていた。踏み出す裸足の一歩すらも地面を砕く威力を発揮している。スキルというものを捨てて戦うと宣言したシンという男は、もはや先程までの決まった型通りから、見切りの容易い攻撃を繰り返すだけの道場剣法ばかりを使用する与し易い相手ではなく、技と技、攻撃と攻撃の間に虚実を混ぜるというテクニックを駆使する、聖杯戦争において戦ったサーヴァントと比べても劣らない実力の強敵に変貌していた。

 

――これがこの男の真の実力か……!

 

シンという男はたしかに天才だった。自負するだけのことはあると感心する。シンの一撃は剣戟を重ねるごとに重く、早く、その上柔らかさを増す。尾を引く一撃を防ぎきれているのは、私が双剣という手数の多い武器を用いているという有利と、一度まともに互いの刃をぶつけ合えば、必ず宝具であるこちらの武器が勝つという有利、そしてもとより防戦を主軸にした戦いこそが近接戦闘における私の戦闘スタイルだからだろう。

 

「先程までの勢いはどうした、エミヤ!」

「ぬかせ……!」

 

逆袈裟。勢いのままに見事な足捌きで身を引いて、手首を返し、貫突。一旦距離を置こうと跳躍を試みたおりには、その隙に小手討ちが。攻撃を捌いて無理やり距離を開ければ飛ぶ斬撃が。予想外の攻撃に慌させられ、こちらが隙を見せればツバメがえしが飛んでくる。

 

「イィィィィィイィィィ、ヤッ!」

 

神速の勢いで炎を纏った刀身が迫り来る。シンは今やスキルの発動を意識していない。スキルの名を叫ばずとも、彼はその身動き一つでスキルを使用した場合と同じ結果をこの世へと残してゆく。その剣閃はこれまで彼が繰り出したものの中でも最高速を誇っており――

 

――避けきれん……!

 

「――チッ、壊れた幻想/ブロウクン・ファンタズム!」

 

それを防ぐため、両手の双剣を投擲すると、自爆のダメージ覚悟で近距離での爆発を引き起こした。視界を潰し、追撃を防ぎつつ、同時に、武器を失ったこちらの隙をカバーし、距離を開ける。熱が軽く顔を焼き、熱を帯びた煤が瞳を刺激した。互いの視界が塞がれる。爆発の余波は間違いなく互いを傷つけた。突如として至近距離での爆発が起きればいかなる相手であろうと多少なりとも動揺する。――そのはずなのに。

 

「一閃!」

 

そんな予想に反して、爆発の影響など知ったことかと言わんばかりに、シンは次の攻撃に転じていた。

 

「――っ! 全投影連続層写/ソード・バレル・フルオープン……!」

 

煙を引き裂いて私の周囲に出現した光刃を、万が一の時のために待機させておいた剣群を投影させる事で防ぎきると、彼はそんな私の所作など見切っていると言わんばかりの速度で壊れた幻想/ブロウクン・ファンタズムによって生まれていた熱煙を突っ切り、周囲に飛び散る剣の雨をくぐり抜け、すぐそこまで迫ってくる。一連の動作には一切の淀みも隙も存在せず、もはや芸術じみていた。

 

「貰った!」

「ち……! 壊れた幻想/ブロウクン・ファンタズム!」

 

突撃はあまりに早く、鋭かった。まともな手段では防ぎきれぬと判断した私は、彼と私の周囲に漂う剣に再び爆発の指令を送る。直後、爆発。複数浮かぶ剣より生まれた爆発は先程よりも大きなものとなり、互いの体を熱煙で覆い隠し、私たちを同時に吹き飛ばす風圧を生む。

 

「――っ!」

「――、フゥゥゥゥゥ」

 

だがそして爆発により吹き飛んだはずの彼は、息吹にて呼吸を整え、体の傷を癒すと、すぐさま刀を振るって生まれた熱煙を斬り裂き、再び私の方へと押し迫ってくる。

 

「――――――――フッ!」

「チッ……!」

 

狂戦士もかくやと言わんばかりの連続攻撃に思わず舌打ちが漏れた。防いだ手が痺れる。回避したと思えば、刃先が皮膚に食い込んでいる。それはまるで悪夢のようだった。シンは独特の足捌きと柔軟かつ強靭な体軸捌きと手首の動きを駆使して、刃を滑らせる。刀身によって空中へと生み出される剣筋は尾を引き、今や私の周囲に檻かと見紛うようなほどに取り囲んでいた。もはや攻撃を皮一枚で躱すような余裕はなくなっている。滑る刀身の行方を一瞬見失ったその瞬間、こちらの命はあえなく散るだろう。

 

――化け物め……!

 

今の芯は、シンの剣に迷いはない。今のシンはスキルを使用していない。今のシンの剣には定まった動きというものがなかった。シンが天賦の才と本能と培ってきた戦闘経験に任せるがまま、体を動かし、思うがままに技を繰り出してきているだけという事実を理解した途端、全身があわだつ。

 

そうして彼の本能より繰り出される剣の動作は、先ほどまでの私がやっていたように、一つの行動が次の行動の布石として置かれている。貪欲に命を求めるだけの剣が、私を迷わせ、私の守りに隙をこじ開けてゆく。生まれたそんな隙を見逃さず、生まれた防御の隙間に剣を捻じ込まれる。

 

私が血反吐を吐く鍛錬の末に身につけた戦闘における有効な戦い方というものを、彼はほとんど本能のみで理解し、実践する。本能のみで戦うシンは、だからこそ思考しそれを行う私の先を行き、私の予測と動きを上回る。

 

――スキルなしの方が強いとは……

 

スキル。定められた職業に就くことで、大した修練なしでもある一定以上のマニュアル的な動きが可能となる、電気機械文明を捨てた人類が手に入れた、魔物という生き物が生息する世界を生き抜く力として開発された、そんな力。

 

だが、先ほどのシンの言葉から判断するに、おそらくそうした経緯と目的から開発されたスキルは、いうなれば大量生産された工業製品のそれと変わらないものだったのだろう。誰にでも使えることを前提として開発されたスキルは、それ故にいかなる人々でも使えるよう、その威力や動きにデチューンが施されていた。

 

また、誰もが一定の魔術的な現象を引き起こす事をも可能とするスキルは、誰でもその現象引き起こせるようにするため、スキルの発動直後、必ず決まった型での攻撃以外が不可能となるよう設定されていたのだ。それが戦いという、隙が即座に負けや死と直結しかねない状況においてさまざまな制約を生み、シンという男は本来の力を発揮できずにいた。

 

つまりは、先ほどまで、シンは私とハンデ有りの状態で、それでも私と互角に匹敵するほどの戦いっぷりを見せていたということになる。なんという理不尽。――ああ。

 

――なるほど、これは天才だ……!

 

これが天賦の才。これが限られた人間が血反吐を吐くほどの努力したその果てにしか到達できない極みの領域。そうして本来の実力を獲得したシンは、今やその動きの全てが脅威だった。呼吸をする暇すらもが与えられない。一撃を受けるたびに筋繊維に硬直が発生し、骨が軋む感覚に迷走神経が刺激され、血流が不整を得る。一太刀を躱す毎、その剣筋の鋭さに、鼓動が高鳴り、血の気が引かせ、体力と膂力と理性と冷静さを削り取ってゆく。

 

「――ふっ!」

「っ!」

 

繰り出された『つばめがえし』の一撃を宝具である双剣にて防ごうとすると、彼の剣はありえない軌跡を描いて胴体への最短距離を直進し迫り来る。宙に残った剣の尾と陽炎の行方がまるで宙を自在に飛び交う飛燕のごとき軌跡を描いている事を見やれば、それがどれだけ悪魔じみた一撃であるかをよく理解することが出来るだろう。

 

「隙あり!」

「ちぃっ!」

 

それでも宝具の二刀と培ってきた経験値を用い、必死に防御と回避を駆使してやれば、対処が追いつかないというわけではない。目の前にいる天才とは異なり、努力のみを積み上げてきた剣故に雅や派手さは微塵もないが、故にその無骨さと諦めの悪さには自信がある。それになにより――

 

――そもそも、自分はずっと、偽物だった。

 

目の前にいる人間のように、天賦の才に恵まれていたわけじゃない。抱えてきた思いだって偽物だった。誰かの為にという言葉は実のところ嘘っぱちで、誰もいなくなった丘の上で偽物の勝利に酔い、語る言葉も誓いの多くをも嘘偽りにし続けてしまった。偽善者/フェイカー。それこそがこれまでの私の正体で、生き様だった。

 

――そうとも、この身のすべては元より偽物で……

 

本物でないことなど、とうの昔に理解している。才が無い事など、はるか昔に諦めた。それでもその嘘を偽りにしようと、いつかは本物にしてやろうと足掻き続けてきたのだ。そして、それでもいつか、偽物の想いを本物にしてみせると自分に誓いなおしたのだ。――ならば。

 

――ならば今更、本物などを恐れる道理など有りはしない……!

 

「ト……」

「む」

「強化、開始!/トレース・オン!」

 

剣を弾いた瞬間、後先を考えず自らの体に強化を施した。いつものように負けぬ戦いをしていては、遠からず敗北の烙印を押されてしまうぞと理性が訴えている。ならば/だから。

 

――負ける前に、全力以上の力を発揮して勝ちを拾いに行けば良いだけの話……!

 

「オ――」

 

過剰な強化によって溢れ出た魔力が緋色の煙となり、身体中から気焔が上がる。湧き上がってくる力は体のうちに収まり切らず、咆哮となって外に漏れ出した。

 

「オォッ!」

 

体が熱い。無茶苦茶な強化によって、全身の筋繊維と骨格、神経の節々にいたるまでが、悲鳴を上げている。――しかし。

 

「オォォッ!」

 

そうでもせねば勝てぬ相手だと、理性は冷静に訴えている。そうでもせねば勝てぬ相手だと、感情が情熱的に訴えていた。相反する属性のそれは、しかしながらこの度、珍しく意見を一致させて、目の前にいる強敵を全身全霊の力を以ってして討ち破り勝利を摑み取れと言っている。――ならば。

 

――ここでその冒険と挑戦を止めるなど、もってのほかの出来事だ……!

 

「オォォォォォォォォッ!」

 

やってくる痛みも苦しみをも飲み干して、それらと湧き上がってくる想いをすべてまぜこぜにして、あらん限りの力で咆哮する。途端、世界が反転した。視界が一気にクリアになる。静は動に。動は静に。狂犬のように攻撃を絶やさなかったシンの手が止まり、浮かべていた凶暴な笑みが消えていった。

 

代わりに、静けさを保っていたギャラリーの間から困惑の声が上がるのが聞こえてくる。シンはこの戦いにおいて始めて気圧さたような表情を浮かべ、剣を前に構え、その身を引いていた。草鞋足が地面を摺る音がやけに大きく聞こえてきた。

 

「――」

 

彼と彼らの所作の全てが今や敏感になった全身を刺激する。心臓の音がこの世で最も大きな音だった。体の内外から聞こえてくる大小さまざまな音が耳に擦れるだけで、筋肉と神経が引き攣るような感覚を覚える。肌の一片に至るまでの感覚が研ぎ澄まされている。今や私は、私と世界は一体化しているのでは無いかというほどの全能感に包まれていた。

 

「――……」

 

堪らず一歩を踏み出すと、再び世界は静けさを取り戻す。生まれた静寂がジンジンと熱を帯びている肌の奥にまで染み入る感覚が冷たく心地よい。

 

カチリ、と、鍔と刀身の擦れる音が聞こえた。カチカチと響くそれは、シンの手元から発せられていた。視線をやるまでもなくわかる。シンは震えていた。無論、それは恐怖によってではない。

 

「素晴らしい――」

 

シンは喜びよって全身を打ち震えさせていた。戦闘狂/バトルマニア。そう呼んで差し支えない気質の彼は、御しきれると思った相手がさらなる力を発揮していることを、シンは心の底から喜んでいたのだ。

 

「相も変わらず度し難い気質だな、君は」

「三つ子の魂百までだ。それに、そういう貴方こそ楽しんでいるように見える」

 

指摘されて、気付く。そうとも、確かに今、自分は戦闘前に感じていた時以上に愉悦を感じ、肉体が魂ごと震えていた。

 

――楽しい。

 

この先にいかなる結末が待ち構えているのかわからないのが楽しい。

 

――嬉しい。

 

そんな先の見えぬ未来に挑戦できる事が嬉しい。

 

――成し遂げたい。

 

そんな未知の冒険を自らの力で是非とも成し遂げたい。

 

――ああ……!

 

湧き上がる想い。栄光の未来を自らの力と手で是非とも掴み取りたいという欲望。全ての苦労は今この瞬間のためにあったのだという感覚に、自らの救いはこの先にある事を確信した。彼の救いも、それ以外の誰かの救いも、きっとこの先にある。それを予感した。

 

「――勝った方が総取りだ」

 

そんな不確かなものに突き動かされるまま剣を構えた。想いは胸に。気持ちは前に。されど心は体の真ん中において、努めて冷静さを保っている。心はとっくに籠絡されている。しかし、だからといってその先にあるものを求めて焦るような真似だけはしない。

 

「当然。だが、負けたとしても得るものはある」

 

湧き上がる衝動のままに言葉を発すれば、同じく魂の裡より零れ落ちたのだろう言葉が、同じく高揚している相手から返答として戻ってくる。

 

「そうだとも。だがその敗者に与えられれる『敗北』の二文字は君に譲ることとしよう」

「遠慮は無用だ。今この場においては、私より才のない貴方の方がその二文字に相応しい」

 

挑発に返ってくる挑発。天才が刀を力強く握った。これまで生きてきた全てに賭けても、目の前の存在を斬り伏せてみせると、態度が語っている。

 

――ならば。

 

「――」

「――」

 

もはや問答は無用だった。互いの調子を確かめ合う舌戦はこれまで。準備は万全で、気分は最高だ。ならばあとは湧き出る衝動のままに想いを確かめあえばいい。

 

互いの口が捻り上がる。瞬間、まさしく同時に、互いの地を蹴る音が静寂を斬り裂いた。

 

 

「――すごい」

 

二人の人物が掻き鳴らす剣戟のみが支配する場において、小さな声が割り込んだ。言葉を発したのはヘイムダルの軍に属していた死兵のうちの一人だった。生前、彼はとりたてて目立つ成果をあげることもなく死んでいった人間のうちの一人である。

 

「――すごい」

 

呆然と同じ言葉を繰り返す彼は、生前においてどこにでもいる凡庸な人間だった。そんな世間にいくらでも存在する平凡極まりない人間の一人であった彼は、そこいらにいくらでもいた冒険者と同じよう、ある都市において冒険者としてブシドーの登録を行い、都市によって定められている戦闘の職業に就き、そこで出来た仲間とともに迷宮へと潜り、どこにでもいる向こう見ずな冒険者のようにつまらないミスをして死んでしまった存在であった。

 

「――すごい……」

 

凡人である自分には分不相応な夢を見た。それは一部の人間しか成せないような夢だった。しかしそんな夢見た高みへと辿り着くため、平凡なりにそれなりの努力を重ねてきた。

 

「すごい――」

 

足りない力を補い死を遠ざけるために策を練り、装備を整え、仲間と共に力を合わせて、迷宮へと挑んできた。安全に安全を重ね、安全のためのマージンを十分に取り、それなりの成果もあげてきた。――しかし。

 

「――ああ……」

 

それで頂点に行くような存在との間には、覆せない差があった。生まれた出自の良さがなければ、才能というものがなければ、運に恵まれていなければ到達できない高みは、所詮は凡人に過ぎない自分がいくら努力を重ねようとたどり着けない場所というものは、確実に存在した。だから。

 

「俺は……」

 

彼は恨んでいた。彼は疎んでいた。彼は羨んでいた。彼は憎んでいた。彼は荒んでいた。彼は倦んでいた。彼は自らに出自の良さや飛びぬけた才能や抜きん出た幸運という祝福を与えてくれなかった世界と、そんなくそったれな世界の中で大した功績を残すことなく死んでいってしまった自らとを憎んでいた。

 

「俺、は……」

 

端的に言ってしまえば、彼は残酷とさばかりが蔓延する世界に絶望しており、全てに飽いていた。何をしても中途半端な結果しか残せない自分が、何をしても途中で飽きてしまう自分が、何をしても大した才能のないことだけがわかる賢しさが、何をしても自分が辿り着ける場所など大した場所ではないのだとわかってしまえる中途半端な才能が、そしてそんな想いから湧き出る負の感情を全て消し去ってしまう世界のシステムが、彼の生涯を退屈極まりないものへと変貌させていた。――だから。

 

「――俺も……」

 

こんな世界に価値などないと思っていた。自分より才能のある人間が憎いと思っていた。選ばれた人間がいて、選ばれなかった人間がいる世界なんてくだらないと思っていた。神様に選ばれた人間が羨ましいと思っていた。彼が底なし沼と言っていいくらいの暗澹たる気持ちが自分の中には溜まれていたのだと気付いたのは肉体を失ってからだった。魂だけの存在となった彼に溜め込んだその想いを解放する術はなく、だからこそ彼はずっと苦しんでいた。

 

「あと少し……」

 

だから彼は壊してやろうと思ったのだ。だからこそ彼は死者としてヘイの呼びかけに応え、そんな不平等に満ちた世界をぶち壊そうとした。そのはずだった。はず、だった。――けれど。

 

「――もうすこし、頑張っていれば……」

 

そんな夜の闇よりもなお漆黒の色をした鬱屈とした想いは、目の前で繰り広げられる二人の男の争いによって吹き飛んでいた。絶え間無なく死地を継続して作り上げている彼らの戦いによって、二刀と一太刀が交錯する毎に、服が斬り飛ばされ、皮膚は裂け、肉が抉れ、血飛沫が舞う。

 

「やるじゃないか、エミヤ!」

「伊達に無限の時間を戦って過ごしていたわけじゃないさ!」

 

二人はそんな痛みをものともせずに彼らは笑っていた。自らにない才能を持つ相手にたいして、自分が鍛え上げてきた全てのものをぶつけられる事を喜び、笑っていた。彼らはそんな、才能がない状態に生まれおちた世界の中で、そんな世界の意地悪さをものともせずに、その果てにある結果など知ったことかと言わんばかりに、目の前の現実とこの世界を楽しんでいた。そうして未知なる場所を目指して、月に浮かぶ巨人の幻想を実現させるために戦う彼らは、間違いなく冒険者だった。

 

「――もっと早く、あんな奴らと出会えていたら……」

 

それがひどく羨ましくて、思わず刀を強く握った。カムイランケタム。目の前で戦う片割れが振るっている、鈍色をした刀。とある番人級の敵を倒さねば手に入らない、平凡である自分が生涯手に入れたものの中で最も価値あるだろう、しかし迷宮を初踏破したという英雄たちが手に入れたものと比べてしまえば世にいくらでも存在するだろう、そんな程度の刀。

 

しかし今、そんなどこにでもあるはずの、多少珍しい程度の刀は、シンという天衣無縫を実現する男の手によって唯一無二の力を発揮し、エミヤという見たこともない特別な力を振るう相手に肉薄している。それがひどく彼を興奮させた。そして気付く。

 

――ああ

 

「――俺は」

 

自分は目指したその場所に辿り着く事が出来ないのが悔しかったのではなく、そんな場所に辿り着けないよう生まれついてしまったことが恨めしいのではなく、ただ、生きてそこを目指すさなか、繰り返される日常の中で得られる小さな美徳ばかりを求めすぎて、いつかはやがてそんな場所に辿り着きたいという巨人の幻想を忘れてしまった、冒険心を忘れて小さく収まることに満足しまい、臆病なお人形のようになってしまった自分自身が何より許せなかったのだ、と。

 

「――俺もあんな風に……」

 

いつかなりたい自分になるために冒険者という道を選んだはずだった。けれど自分は、やがて目指した場所の遠さによってあろうことか冒険の先に望んだものがないと信じ込むようになり、やがて冒険する事自体を倦むようになってしまった。だからこそ目の前で、冒険を行なっている彼らがひどく羨ましいのだ。そして思う。

 

「今からでも間に合うのかな……」

 

――なにかを、したい

 

それは憧れによるものだった。それは賞賛によるものだった。それは敬意によるものだった。それは後悔によるものだった。それは焦燥によるものだった。それらは彼らによって生み出されたものだった。それは自分の胸の裡から生まれ出でたものだった。

 

「――っ」

 

目頭が熱くなった。胸が疼く。心が軋む。心臓が痛い。頭が熱い。応えるように、彼らの戦いが苛烈さを増す。息苦しさが増した。息をのんだ。息を吐いた。涙がこぼれた。悔しかった。彼らの傷が増える。その度に彼らは笑う。それが馬鹿みたいに羨ましくて、馬鹿みたいに誇らしかった。

 

「――いけっ!」

 

だからきっとそんな言葉が生まれたのは当然の帰結だった。

 

「――そうだ、やれ!」

「いけ! シン! その目の前のやつをぶっ倒せ!」

「やれ、エミヤ! そんなちっこいやつに負けんじゃねぇぞ!」

 

彼の抑えきれず溢れ出た想いを皮切りに、ぽつぽつと歓声と応援の声があがりはじめる。

 

「右だ! 左だ!」「躱せ!」「いや、防御だ!」「なんだその動き! ふざけんな!」「お、おい! いま、シンとかいうあいつ、ブシドーのくせにセスタスのアームブレイクを使わなかったか!?」「それをいうならエミヤとかいう謎の男だって、武器固有スキルのはずの爪削ぎに裾払いに四肢潰しになんなら、岩破飛堕衝みたなのつかってらぁな!」

 

歓声は戦争において殺しあっていた敵味方分け隔てなくからあげられていた。

 

「おい、どっちが勝つと思う!?」「決まってんだろ! 剣の才能があるシンってやつが勝つに決まってるさ!」「いやいや、戦いに重要なのは、才能ではなく度胸と経験だ。私はエミヤという男が勝つ方に賭けるがね!」

 

今や敵味方関係なく、彼らの戦いの行方を見守っている。彼らが命をかけて行なっている決闘/冒険は、今や敵味方問わず全ての冒険者にとって、垂涎の的だった。――そして。

 

 

――キンッ

 

死闘を繰り広げている最中、剣戟というには間の抜けた音が勝負を中断した。

 

「む」

「ぬ」

 

シンの持つ刀は、刀身の中央から真っ二つに折れ、鈍色の刃先が宙を舞う。シンのカムイランケタムというダマスカス鋼からつくられた刀は、真の力を発揮した彼の挙動と、限界以上の力を発揮した私の力と、私の投影した宝具『干将・莫耶』との打ち合いに耐えきれなかったのだ。

 

「――」

 

シンは残念そうに手にした刀を眺める。私ははからずとも呆気なく彼との決着がついてしまった事を確信した。いかにシンが優れていようと、刃先の短くなった折れた剣ではその実力を発揮しきるのは難しいだろう。

 

「――」

 

シンが空を見上げる。シンは私と違い、武器を投影して無限に作り出すような能力を保有していない。そう。シンは、スキルという魔術がごとき技をその動きにて再現できるようになったとはいえ、それはあくまでも普通の能力の延長上にあるものに過ぎない。シンには私が使う投影魔術のような、武器を無限に生み出す特殊な能力は備わっていないのだ。

 

「残念――」

 

だからもう終わりだ。それを周囲の人間も悟ったのか、熱狂に浸っていた彼らから熱が

失われてゆく。クルクルと回転しながら落下する折れた刀身はやがて赤い大地へと到達すると、まるで己の脆弱さを恥じるかのように地面の中へと姿を隠してゆき――

 

「これで終わ……っ!」

 

そしてシンがその言葉を吐くよりも前、刀がその身を地面の内側に隠し切るよりも先に、赤銅色をした何かがシンのすぐ近くに飛来して、シンと地面に消えた刃先の間に割り込み、地面へと突き立った。シンは驚いた顔で飛来したそれを眺める。飛来した物体は、手を保護する為の取っ手がついた、つい先ほどまで彼が手にしていたものと同じ、つまりはカムイランケタムと呼ばれるダマスカス製の幅広い刀身を持つ刀だった。

 

「これは……?」

 

呆然と自らの横へと突き立った剣を見ていたシンは、やがて正気を取り戻すと、剣の角度から飛来した方角と距離を逆算したのだろう、柄の端が向いている方角を見やった。彼の伸びた視線の先を追いかけると、そこにはシンよりも少しばかり背丈も体つきも小さい、ブシドーらしき人物が投擲したままの姿勢で固まっていた。その場にいる全ての存在の視線が、一対一の決闘に水を差した彼へと集中する。

 

「あ……」

 

どうやらその投擲行為は、ブシドーの彼が意識せずに行ったものだったらしく、自身の行動が決闘を中断させてしまったのだということに気がついた彼は、バツが悪そうに姿勢を整えなおすと、全ての視線から逃げるように下を向く。シンは自らの前へと投げ込まれたしばらくを見やると、彼に向かって一礼をしたのち、私の方を振り向いた。

 

「――エミヤ。これは死闘であり戦争なのだ。ならば戦場に落ちている武器を使って戦ったところで文句はあるまいな」

 

やがて冷えつつある戦場の空気など知ったことかと言わんばかりの口調で、シンはそんな事を言った。シンの言葉に、全ての人々から目線をそらしていた彼が、シンの方を向く。瞳には再び希望の色が生じはじめていた。

 

「――無論だ。そもそも、武器を無限に作り出せる私が、その程度のことで文句をいうはずあるまい」

 

シンの考えている事を理解した私は即座に彼に賛同する。静寂ののちに大歓声があがった。続けて武器を投げ込んだ彼へも、溺れるほどの歓声と歓迎の所作が向けられる。そして私とシンとを取り囲む観客たちから生じた鼓膜が破裂してしまいそうなほどの音の洪水が、再び私とシンと、戦場の全てを包み込んでいく。

 

「いいぞ!」

「そうだ、この程度で終わっちゃつまらなねぇ!」

 

距離を置いて互いの属するグループから発せられる声援には先ほどのそれを超える熱気が含まれていた。武器が、道具が次々と投げ込まれ、見る間に二人の周囲を取り巻いた。赤い大地にさまざまな武器が突き立つその光景は、まるで、私の固有結界『無限の剣製』の光景のようでもあった。しかし今、そのかつての私の固有結界にあった偽物の剣群とは異なり、突き立つ武器や道具の全てが偽物ではなく、本物のそれらなのだ。

 

自らが作り出した偽物ではなく、誰かによって与えられた本物によって自分たちの我儘が支えられている。私は誰かに認められてこの戦場に立っている。そんな事実が、私の裡からさらに闘志を引き出した。

 

「ありがたく――」

 

私の表情の変化を見たシンは唇の両端を吊り上げると、目を閉じ、いつか新迷宮三層の番人である犬の群れとの際に見せた上段の構えを取る。意識を完全に戦闘のそれへと切り替えたのだろう、構えから発せられる研ぎ澄まされた刃のごとき威圧感は凄まじく、途端に観客たちはその圧にあてられて、自ら声をひそめて、息を呑む。一瞬で観客たちをのみ込んだシンは、両腕にぐっと力を込めて息吹を数度繰り返すと、閉じていた目を開き、言った。

 

「――いくぞ」

「――ああ」

 

返答と同時に、シンは私へと突っ込んでくる。迷いなく振り下ろされる一撃は、これまでとまるで変わらない、いつも通りの鋭さを発揮して、私へ襲いかかってきた。

 

英雄二人が引き起こす、熱狂渦巻かせる代理戦争はまだ終わらない――

 

 

「ん、んん……」

 

響という少女が目を覚ましたのはそんな最中だった。

 

「――ふぁああああ……」

 

身を起こすと同時に呑気に大口開いてあくびを一つ漏らしてみせると、目をこする。所作によって洗浄のために涙腺からにじみ出てきた涙を軽く除けると、数度目を瞬かせた。

 

「あぁぁぁぁ……、ぅん……」

 

血が巡り始めると同時に、意識もはっきりとしてゆく。それにつれて響は自らの意識を覚醒へと導いたものの存在をはっきりと意識した。

 

――オォォォォォォォォォォォォ!

 

「う、うわっ……!」

 

歓声、歓声につぐ、大歓声。目の前で繰り広げられる、エトリアであった祭りの時ですら聞いたことのない音の洪水は、濁流となり響の頭の中をかき乱す。

 

「な、なに……、これ……」

 

――ようやく、お目覚めのようですね

 

そうして響が飛び込んでくる音の暴力を少しでも防ごうと耳を塞いだその瞬間、僅かばかりに静けさを取り戻した頭の中へと響いてくる声がある。わけのわからない状況下において聞き覚えのある声が聞こえてきた驚愕と安堵から、響は思わず声の主人の名を叫んだ。

 

「――玉藻!?」

――はい。その通りです、ご主人様!

 

すると呼びかけに応じて、頭の中に響く声があった。玉藻の声は響自身の体の内側から聞こえてきていた。

 

「な、え、な、なんでぇ……?」

――それは……

「蠱毒の呪いを跳ね除けるためよ。そのために女狐は、自らの身を貴様に喰わせたのだ」

「――え?」

 

混乱する響の前にギルガメッシュが現れる。響は、ギルガメッシュが現れたということと、玉藻がなぜ自らの内側に宿っているかを聞き、驚く。

 

「そ、そんな、じゃあ、玉藻は私のために――」

「そうとも。女狐は貴様の無謀に付き合ったがために、そのような有様となったのだ」

 

落ち込む響。そこへ玉藻が慰めの言葉をかける。

 

――気にしないでくださいまし、ご主人様。この玉藻。元を手繰れば神霊の類にございます。他人の体の中に宿る事も、そうして宿った人の体から抜け出した事も初めてではございません。ですから――

 

「だが今、貴様はその響という女との肉体と魂の相性が良過ぎて、脱け出せん。そういう事態になっているのだろう?」

――……それは

「え……、え?」

 

しかし玉藻の慰めの言葉をギルガメッシュがぶった切る。その言葉に玉藻は言葉につまり、響は混乱する。

 

――ギルガメッシュ。貴方はどこまでご存知なのですか?

「我にわからぬことなどありえん。――とはいえ、情報が足りなかった故に、見抜いたのはこの雑種の体から蠱毒の呪いが失せたというにもかかわらず、貴様が一向に抜け出てこないのをみたその時ではあるがな」

――それだけのことで見抜きますか。ほんと、嫌になるくらい慧眼ですねぇ

「な、なにが……、二人はなにを納得しているんですか?」

 

玉藻はだんまりだ。玉藻はそれを告げていいものかを迷っていた。しかし、ギルガメッシュは響の精神の都合など知ったことかと言わんばかりに、語り出す。

 

「知りたいか? ――ならば特別に教えてやろう。貴様はな。この生き方が、神が集合無意識下に存在するここ世界において、貴様が生涯行ってきた選択により、玉藻と言う女狐と同じ起源に至ったのよ」

「き、起源……、ですか……?」

「そう。九尾の狐という存在は元を辿れば、夏王『禹』の時代にまで遡り、女嬌という女にまで辿り着く」

――……

「は。はぁ……」

「さらに言えば、その女嬌というその女の名前は、もともと中国文字が象形文字であった時代に、ある女神の名前である文字が見誤られたことにより生まれた名前だ」

「……」

「その名の語源は『渦巻く女』。すなわち、世界の全てにあるという意味であり、世界の全てを造りだしたという意味でもある。そのある女神とは、かつて数多の道具をこの世にうみだした兄妹神の片割れ。道具を自在に操り、楽器と音楽を生み出した女神。その女神はまた、『風里希』という、里の陰陽を整え場の状態を安定させる名を持っている。貴様が『響』という、食卓を共に囲んでその場にいる人間どもの状態を安定に導く名を持つように、だ」

「……」

「その女神はそして、共工という荒ぶる神が反乱を起こした際、祝融を勝利に導いた女神でもあり、さらには自らを崇める苗族に蠱毒の術式を教えた女神でもある。だからこそ貴様は、他人を勝利に導く力を持つようになり、蠱毒の術式という世界最悪の呪い中にあっても平気となったのだ」

――……

「――……」

「その女神とはすなわち、『女媧』。中国神話において天地を開闢し、人を泥の中より造りだした、シン、すなわち、『YHVH 』と同列の古さと歴史と力を保有するそんな女神こそが、九尾の狐『玉藻』の、そして、『響』という女の起源である」

 

第八話 終了

 

 

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