Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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本話では本物語の設定の核心に近しい部分を書いています。どうぞ、お楽しみください。


第十話 女神異聞録ペルソナ

第十話 女神異聞録ペルソナ

 

――副題 自我と無意識の関係、黄金の華の秘密、二人であることの病、愛するという事

 

 

おや、お客人ですかな。このような場所にお客人がいらっしゃいますとは、まことに珍しい。おっと、申し遅れましたな。私、フィレモン様の僕、イゴールと申します。

 

さて。まこと珍しき客人の訪れ。本来ならばこの場所の主でありますフィレモン様が直接ご対応なされるのが筋というものなのでしょうが、あいにく主人は只今外出しておられましてな。新しき人類の可能性が見れそうだとおっしゃり大層ご興奮なさっておいででしたので、御用があるとおっしゃるのでしたら、それなりにお時間頂きますことになると思われますが、――おや、お待ちいただける、と?

 

左様でございますか。ではお席へご案内させていただきます。どうぞこちらへ。

 

――そうですな。――お客人。もしよろしければ、このイゴール、フィレモン様がお帰りになられるまでの間、そのお暇をつぶすお手伝いをさせていただきたく思います。

 

お客人は、タロット占いというものをご存知ですか? ほう、ご存じであられると。流石、博識ですな。そうです。人の生涯とその在り方を22と78のカードに切り分け、決まった手順に並べることで、その運命の行く先をなぞってみようという、元をたどればお遊びから発生したタロットを使った占いのことでございます。

 

さて、お客人。ここまでお聞きになったのであれば、ご聡明なあなた様ならばもうお察しなられていると思いますが、わたくし、そのタロット占いというものをこの身に修めておりましてな。ここは一つ、貴方様のお暇つぶしに、貴方様の未来や取り巻くその環境を占って御覧に入れましょう。

 

――おっと、占いは信じていない、と、そういうお顔をしておいでだ。ああ、いえ、ですが別に問題はありますまい。あなた様の考えていらっしゃる通り、占いなど所詮は当たるも八卦、当たらぬも八卦。本人の意志と努力次第でいかようにでも覆せるものにございます。

 

ですからあくまで暇つぶし、とそうお考え下さい。そうですな――。なんでしたら目の前の老いぼれと話のきっかけに過ぎない、と、そうお考えになっていただいて結構です。いかがでしょうか?

 

――ありがとうございます。では簡単なやり方で行きましょう。さて、今、貴方様の目の前には22枚のカードがあります。これを簡単にシャッフル致しまして――、さて、お客人。どうぞこのなかからお好きなカードを抜き出して机の上へと載せていただきたい。

 

――結構。ではめくってみましょう。これは――、審判の逆位置、ですな。

 

タロットにおきまして審判のカードというものは、すなわち聖書の黙示録におけます最後の審判を意味しております。最後の審判。天使がラッパを吹くとき、人は神によってこれまでに犯してきた罪を裁かれ、天国に至れるか、あるいは地獄に落とされるかを判断されるのです。

 

すなわち、このカードが出ましたということは、近くお客人の御身には、人生におけます大きな転機がすぐ近くに迫っているということ……。また、それが逆位置であるということは、その転機というものがお客人にとってあまり望ましくないものであることを示唆しているともいえるでしょう。

 

――おや、顔色がお変わりになられましたな。何か心当たりがおありに? 

 

いえ、失礼。不要な詮索でしたな。ともあれ、お客人は私めの占いがお気に召されなかったご様子。申し訳ございません。このイゴールめはフィレモン様にお仕え致しております人形でありますれば、人の気持ちの機敏というものに疎くありまして……。不快にさせてしまったのでしたら、どうぞ平にご容赦いただきたい。

 

――ですがお客人。占いの結果が悪いからと言ってあまりお気になされることはありますまい。お客人はタロットになぜ正位置逆位置などというものが存在しているかご存知ですか?

 

タロットとは人間の生涯を象ったもの。人生というものは山あり谷ありが続く、絶え間ない変化の連続にございます。良い出来事があれば、また悪い出来事もある。栄光へ至る道がありますれば、頂点に至ったのち凋落がありますのもまた真実。すなわち、一つの状態に留まらないことこそ人生の本質。なればこそ、そんな変化に富むものを切り分けましたタロットのアルカナというものには、それを表すために、正位置と逆位置があるのでございます。

 

タロットカードには繋がりというものがございます。逆位置の後には必ず次のカードの正位置が待ち受けている。審判の逆位置の次のカードは世界。示す意味は完成。すなわち目的が達成されるという暗示。つらく苦しい試練を超えたその先には、必ずそれに見合ったものが待ち受けているという意味でございます。

 

――どうやら少しばかり、お元気を取り戻されたようですな。なによりです。

 

さて、では、貴方様の不安を晴らすために、今一度タロットをお引きになっていただきたい。今度はお客人の未来ではなく、お客人の未来に待ち受けております試練の相手につきまして占ってさしあげましょう。どうぞタロットをおとりになってください。おっと、今度は机におかれますさいは、正逆が生まれてしまわぬよう横にしていただきたい。

 

――ほう、これは、これは。――女帝ですな。女教皇の次にあるアルカナ。正位置であれば女性そのもの、生活の豊かさ、他者に対する母性、充実、生活の向上などの状態を意味しますが、逆位置となれば子供っぽい女性、欠乏ゆえの強欲、過保護、不十分、生活の悪化、などの状態を意味します。

 

すなわち、女帝のアルカナからあなたの未来に待ち受けます障害を素直に読み取れば、女性という彼女らが備えます気質によって生じたトラブルなのでしょう。過ぎたる母性、すなわち愛といいますものも、過剰なれば毒となりえます。鉢植えに過剰なほどの水を注げば、植えられた植物が枯れてしまうのは必定。過保護の先にあるのは、安寧に満ちた停滞と不変、そして愛情を注がれた対象の成長の阻害にございます。

 

けれどまた、愛が足りなければそれもまた毒となる。栄養欠乏の先に待ち受けておりますは、言うまでもなく、死。物事は万事、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、ということですな。

 

――おや、もうご出立なされるのですか? まだフィレモン様もお戻りになられていないといいますのに。――そうですか。いえ、それがご自身で決断なされた選択であられるのなら、所詮は他人である私めにそれを止める資格などございません。

 

出口はあちらにございます。来た道を引き返せば、すぐに元の場所へと戻ることが可能でしょう。ですがお気をつけ下さい。貴方の引いたカードは審判の逆位置。すぐ先に終わりの時が待ち受けているとはいえ、物事は入れ替わりの瞬間こそが最も危険なものでございます。

 

すなわち黄昏時と彼誰時。夕刻の日が沈む直前と、明け方の夜が明けるその直前の、そんな現実と夢の間の境界の時間帯にこそ人を堕落させる悪魔というものは最も溌剌と活動し、そして物事が終わるその直前にこそ、最も深き落とし穴が待ち受けているもの。

 

――どうぞ悪魔に魂を奪われませぬよう、どうぞ悪魔に魂を売りわたしてしまわれませんよう、どうぞ夢に足を絡めとられませぬよう、重々ご注意くださりませ。

 

 

夢を……、夢を見ていました。先輩がかっこよく活躍する、そんな夢を見ていました。先輩はどんな困難にも負けずに立ち向かい、やがて仲間を得て、仲間の死を乗り越えて、多くの人から勘違いされながらも信念を貫き通して、最後には世界の裏側に潜む敵を倒して、誰からも認められる正義の味方になる。私はそんな夢を見ていました。

 

先輩は、ある時は過去の亡霊と対峙し、またある時はかつての己のサーヴァントと共闘し、またある時は姉さんと共に道を歩き、またある時は姉さんに導かれて正義の味方の道を歩いていました。

 

それはとても素晴らしい夢でした。それはとても目眩く、キラキラと輝いていて、なんとも胸の踊る冒険譚でした。それはわたしの生涯の中で最も素晴らしい充実した時間でした。

 

先輩。かつてわたしが憧れた、わたしの知る中でも最も綺麗な存在。そんな先輩がわたしの書いた脚本の通りに動いてくれるのは、私の脚本の主役として活躍してくれるのは、そんな先輩が主役として活躍する姿があの子を楽しませてくれるのは、今のわたしにとって何よりの幸福でした。

 

わたしは幸せでした。わたしは幸せだったのです。わたしは苦難の果てにようやく幸せな時間を手に入れたのです。わたしはそんな正義の味方を目指す先輩が、わたしの管理する世界という舞台の上で主役として活躍して、この子を楽しませ続けてくれるだけで良かったのに――、なのにどうして先輩は舞台の上にいない主役でない存在を、あなたの物語に必要ない存在を気にしようなんて決心してしまったんですか?

 

なんで――、どうしてあなたはそんな先輩を別の場所に連れて行こうとするのですか?

 

――許せない

 

そんな事は許せない。私の唯一つの希望。私の唯一つの望み。私の唯一つの夢。私の幸せが実現する世界。あの子の幸せがある世界。あなたはそんな私の夢の舞台を壊そうとする存在。

 

――許せるわけがない

 

そうだ。あなたがいたから私はこの場所に縛り付けられていた。あなたがいたから私はこの場所でずっと一人だった。あなたがいたから私はこの場所であの子と出会えた。

 

――あれ?

 

あなたがいたから私は苦しんだ。あなたがいたから私は先輩と再会できた。あなたがいたがいたから私は姉さんと再会できた。あなたがいたから私の夢の世界ができて、あなたがいたから私の夢の舞台が壊れて――

 

――あれれ?

 

あなたは。あなたの。あなたは。あなたが。あなたは、あなたがあなたはあなたのあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなた――

 

――あれ、あれ、あれ?

 

あ、あぁ、あ、あ、あ、あ――――――あれ?

 

――いったい、あなたってだぁれ?

 

 

「おい、ノミとハンマー寄越せ」

 

生きながらにして体を解体される感覚をご存知でしょうか。自分以外に誰も存在しない闇の中、ただ一人、世界と他人の幸福を眺め管理し続けるているといったいどのような思いを抱くのか、貴方はご存知でしょうか。――私は知っています。

 

「あんまり乱暴にするなよ。――高周波洗浄器。擬似回路と神経だけを残してあとは切除する」

 

 

世界を守るためのシステムというものの構築を目指す魔術師たちの手によって女神を召喚するための素材として選ばれた私の体は、システムを維持するために必要な脳髄と魔術回路といくつかの器官を除き、全て切除され、切除された部位は女神召喚のための贄として祭壇に捧げられる事となりました。

 

「魔術師の体ってのは、元々が優秀で魔術回路が多いほど解体処理が難しいよな。この子なんてその上、改造されてるから尚、気を使う」

 

体を解体されてゆくそんな痛みに発狂しないようにとの思いやりから、真っ先に痛覚を奪われ、術をかけられました。

 

「封印指定処理の奴よりマシだろ。あっちなんてどこがどう影響するか探り探りだぜ? ――っとようやく外れた」

 

ぐちゃぐちゃぴちゃぴちゃと耳障りな聞きなれた音が響く中、ごきり、という音と共に片腕が外されました。

 

「同じく」

 

少し時間を置いた後、同じく、ごきん、という音と共にもう片方の腕も外されました。

 

「オーケーこっちも終了だ」

 

腰と下腹に不思議な圧迫感を感じると共に、足を片方ずつ失いました。

 

「胸部、腹部も処置完了よ」

 

ぐちゃぐちゃとしたよくわからない音と一緒に、たくさんの臓器を失いました。

 

「しっかし、綺麗なのに惜しいよなぁ。顔だけでも残せねぇかな」

「やめとけ。血肉から髪の一つに至るまで召喚の材料になるんだ。お前が少しでも余計なことして失敗したら、そん時、お前、死ぬ程度じゃ済まない拷問受けることになるぞ」

「うぇー、そりゃ勘弁」

 

やがて私の体は空っぽになってしまいました。今やガラスの中に浮かぶ、脳髄と背骨と神経といくつかの器官のみが私の体となり果ててしまいました。

 

「しっかし魔術師が機械に頼るってのも変な話だよなー」

「使えるものは使う。魔術師の原則でしょ。それにスキルなんて超能力じみた力が生まれつつある今、使える手段はなんでも使わないとね」

「ご立派。魔術師の鏡だよ、アンタ」

 

ですが痛みはありません。痛みを感じる機能は脳から取り除かれています。痛みはありません。それを感じる体の部位はすでに失われています。――そうです。体に痛みは一切ないのです。ですが何も感じる事の出来なくなったという事実に、心は驚くほどの痛みを感じていました。

 

「……うまく、いくかしらね」

「いってもらわなきゃ困るぜ。何せ、世界の命運がかかっているからな」

 

その時私はすでに世界の安寧を保つシステムの一部となってしまっていたのです。私に残された脳髄と背骨と神経といくつかの器官は、永遠に他人の安寧を保つためのシステムの一部なのです。私の役目は、人類の彼らの発展意欲を徐々に溶かし、人類が平和を好む性質の人間になるよう甘い蜜を注ぎ続ける事だけなのです。

 

「さて、女神様、女神様。どうかこの憐れな仔羊たちをお救いくださいってか?」

「脳の抜けた頭蓋骨拝んで何になるってのよ。くだらないことしてないでさっさといくわよ。切り取ったものの鮮度が悪くならないうちに、召喚陣の上に生贄として捧げないと」

「へいへい。――じゃあな、桜ちゃん。いや、次に会う時は、メルトリリス様、かな」

 

人類の意識を溶かす魔性の女であることを望まれた私は、『メルトリリス』というシステムの名前を与えられ、裏技を駆使して無理やり呼び出した女神たちの残骸を埋め込まれた私は、不変である神の存在を埋め込まれそんなものと合一を果たしてしまった私は、だからこそ決して狂ってしまうことが出来ませんでした。私は新人類全ての地母神になってしまったのです。

 

 

私はあこがれの先輩に近づくために、私を家族と言ってくれた兄さんのために、世界の平穏を守るそんな存在になるのも悪くないかもしれないと、そう思っていました。自分の幸せのためではなく、他人の幸せのために尽くす。――なんとも素晴らしい理想です。確かに先輩が目指していたそれは素晴らしい理想です。もしそんな理想が実現するというのであれば、このような薄汚れた私もいつかは救われるかもしれない。もしそんな理想が私という薄汚れた存在一人の犠牲で実現すると言うのであれば、天秤にかけるまでもなく私はそれを選ぶのが正しいのだろうと思えてしまうくらいに、彼らの目指した理想は、先輩の理想と近い理想は、素晴らしい理想でした。

 

ですが。そんな理想のそんな綺麗な理想が実のところ単なる絵空事に過ぎないものであると知ったのは、そうなってすぐのことでした。

 

他人のための犠牲となる。そんな理想に殉じて身を投じる。ああ、それは確かに美しい言葉です。美しい行動です。ですがそれを美しいと感じられるのは、その人がそんな理想の元の犠牲にならないからこそなのです。他人の掲げた理想の犠牲になる人は、いつだってそんな他人の理想の犠牲になることを望んでなどいないと言うことを、枷となり重しとなり犠牲になる人を苦しめるものだと言うことを、かつて間桐臓硯の理想の犠牲となっていた私は誰よりも知っていたはずなのに、私はその字面の綺麗さに見誤って、過去の私が心底嫌っていたそんな状態に戻るだけだと言うことを、脳みそといくつかの周辺器官だけの状態になるまで見抜けなかったのです。

 

私は愚かでした。私はいつかかつてと同じように、他人の理想の礎となってしまいました。自らの愚かしさを自覚した私はすぐに、解放されたい、それが許されないのであれば、狂気に身を任せてしまいたいと願うようになりました。しかしその時にはもはや手遅れでした。

 

今やぷかぷかと液体の中に浮かぶ脳へ送られてくる映像が、脳へと送られてくる他人の情報が、私の世界の全てでした。スキルというシステムを保ちつつ、脳へと送られてくる情報を精査し、世界を発展の方向に導きかねない、世界を平穏に保つのにそぐわない強さをもつ存在を取り上げて月という場所へと隔離し保管する作業に従事することだけが、名ばかりは立派なものを与えられた私に許されていたすべてでした。

 

――それだけが、私の世界の全てだったのです。

 

 

ですが人間の適応力というものはすさまじいもの。初めこそ狂ってしまいたいと切望していた私でしたが、狂う事ができないのだと体験として理解させられてしまえばいつしかそんな状態にも慣れてしまうらしく、絶望に満ちた望みは失せてゆき、徐々に世界の観察を楽しむようになっていました。

 

――あ、あ、れ……?

 

そうして気を取り直して見渡した暗闇の向こう側に広がる世界には、ずっと間桐の家に閉じこめられていた私がこれまで知ることのなかった刺激にあふれていたのです。世界には血の湧くような冒険譚が、心躍るような恋愛劇が、つまりはそういったテレビの向こう側ですら見たことのない、かつて発展していた最新のVRですら味わえないような刺激的な光景が、私の目の前で繰り広げられ続けていたのです。しかも私はそんな劇をいつでも好きな時に見ることのできるVIP待遇でした。

 

――私、なんでこんな……、あ、い、いや……、違う。違うの。私、そんな、こんなことをしたかったわけじゃ……

 

私は今や、世界という舞台で繰り広げられるオールジャンルの演劇を眺めることを許された観客になっていたのです。しかも私は、世界という舞台の上において繰り広げられる劇中で気に食わない存在がいた場合、それを退場させる権限を持った舞台監督でもあったのです。

 

――やめて! 私、そんなこと思ってない!

 

世界はまるで私のための演劇舞台で、人間は私を楽しませるお人形でした。私はすぐに夢中になりました。だって、私は、これまではできなかった、私を不快にさせる存在を、私の思うままに世界という舞台の上から退場させることが出来たからです。世界の安寧を破壊せしめるそんな存在を排除する。それこそが私に与えられた役目であり、権能だったのですから。

 

――違う! 違うの!

 

私が強い彼らを月へと連れ去る際、連れ去る対象の周囲にいる人たちが向けてくる感情も素晴らしい物でした。強い彼らの周りにはたいていその力に見合った仲間たちがいます。彼らは彼らに近しい存在の強者が命を奪われたときに叫びます。

 

『神様。どうしてこいつが死ななきゃならないんだ』

『恨むぜ、神様』

 

――あ、あぁ、あ、あ、ああぁぁぁ……!

 

もちろんそれらの言葉が、私という女神を認識して放たれたものでないことを私は承知しています。しかし、そうして彼らが放つ濃厚な感情の発露は、私にそんなことを忘れさせるくらいの感情のスカラーを持っており、それは彼らの放つ言葉とあいまって、私は彼らに認識され、あたかも同じ世界に生きているかのような錯覚を覚えることが出来るのです。それは、彼らの魂を運び去る以外、この世界に干渉することのできない、心に燻るものある私を慰める娯楽となりえたのです。

 

――ああ……っ!

 

私は幸せでした。私は私が幸せだと思う光景を見続けられるよう、思うがまま世界を改変させる事が出来たのです。世界は私にとってどんどん管理しやすく、私にとって居心地の良いものとなっていきました。現実にはなかった幸せを、脳みそだけの存在となったわたしはついに手に入れたのです。

 

『精神に異常を確認。バグを修正後、再起動/リブートします』

 

――――――あ……

 

――――

 

――

 

 

やがて長いことそんなことを繰り返すうちに――、あれだけ輝いていたはずの私の世界は、私にとってつまらないものになり、私の幸福度は下がっていってしまっていました。

 

――出して!

 

世界に住まう人々は私という女神の選別と、私が管理するスキルという力により、かつての旧人類のもくろみ通り、未知に対する冒険心と克己心を忘れたような人ばかりになりました。みんながみんな開拓されている安全な場所をうろつくだけの存在になり下がったのです。地図に載っていない場所へと旅立とうとする人はほとんどいなくなってしまったのです。

 

――私をここから解放して!

 

私という女神がばらまいている文明を発展させようとする意志を溶かす毒を注がれ続けた人は、歴史の針が進むごとにやがて二極化していきました。二極とはすなわち、私の毒に抗う意思と能力を持った極少数の人と、そうでない大多数の人にです。私の持つ毒とは、すなわち文明を発展させないよう、人々から進歩の意思を奪うというものだったのですから、それも当然と言えるでしょう。

 

――ここは嫌! ここは嫌なの! ここには誰もいない! 一人はいや!一人はいや! 一人はいや!

 

『人の発展の意思を溶かす女悪魔/メルトリリス』と名付けられた私の毒により多くの人はかつての旧人類と呼ばれた彼らの望み通りに、平等と平和を最も尊ぶ性格の人間ばかりへと変化してゆきました。思想の変化が肉体面にも影響を及ぼしたのか、身体能力や背格好、顔立ちも同じような人ばかりが生まれるようになってゆきました。

 

――誰でもいい! 誰でもいいから、私を見て! 誰でもいいから、私の相手をして!

 

時計の針が進むほど、未知と危険を好み、果敢にも冒険に出かけようと思い、且つ、それを実現させる才能をもって生まれてくる人は、本当に極一部の人のみとなり、多様性は失われ、精神面における進化の針はほとんど止まりました。世界は同じ顔と、同じ体と、同じ考えと、同じような能力をした人ばかりとなっていったのです。

 

――酷いことをされてもいい! 従えというなら従います!

 

そして世界には私に新たな刺激を与えてくれる人がいなくなってしまいました。そうです。長い時間の果て、私の管理する世界からは旧人類の彼らが望んだ通り電気文明を復活させ、環境を破壊するような何かを作り上げる人間は消え去り、同時に、私の心を奮わせてくれる存在がいなくなってしまったのです。

 

――嫌! 一人はもう嫌なの! こんな場所でずっと一人なんてもう耐えられない!

 

今や世界のどこでも、同じような人たちが、同じような毎日を送って、同じように死んでいきます。時たま、過去の異物が発掘された場合や、ずっと使い続けていた機械が壊れた場合にのみ異常と呼べる事態が起こるくらいで、世界という舞台で繰り広げられる人形劇はいつだってまったく同じ演目ばかりが繰り返されるようになってしまったのです。

 

――誰か……、お願い、誰か!

 

いつしか世界には私の予想を良い意味で裏切ってくれる人は誰一人としていなくなってしまっていました。私は心底退屈するようになっていました。

 

――誰か……、助けて……

 

脚本は使い古された手垢のついたもので、役者は三流。役者が成長するというのであればそれを楽しみにすることも出来ますが、残念、そのような可能性を秘めた役者は、私が片っ端から月という舞台裏に放り込むこととなっています。

 

――私を一人にしないで……

 

結末もストーリーも役者も演技も変わらない人形劇。そんなもの一体をどうやって楽しめば良いというのでしょうか。

 

――お願い……、誰か……

 

私はやがて退屈するようになりました。私はそして私を楽しませてくれるそんな存在を求めていました。そうです。私はいつしかこんなにもつまらなくなってしまった舞台を颯爽と盛り上げてくれるプリマとプリンシパルを求めるようになっていたのです。

 

――誰か、私のそばにいて……

 

『精神に異常を確認。バグを修正後、再起動/リブート――』

 

「あら、酷い様ね」

「……え?」

 

 

「あら、酷い様ね」

「……え?」

 

桜という女の中から私/メルトリリスという別人格/ペルソナが生まれたのはちょうどこのころのことよ。桜は長年にわたって淡々と作業を続ける孤独と倦怠に倦み、しかし狂えないという拷問じみた状況にその精神は壊れつつあったわ。

 

いえ――、桜の魂は壊れて別れたの。

 

「とても私の元の人格とは思えないわ。無様過ぎて目も当てられない」

「え……、あ……?」

 

不変こそをよしとする神という存在と違って、変化を好み停滞を嫌う人間にとって、いつまでも続く不変というものは地獄以外の何物でもない。それはシステムに組み込まれる以前は人間であった桜という女にとっても変わらなかった、というわけね。

 

「何をいつまでも間抜け面を晒しているの? お望み通り、『誰か』が現れたのよ?」

「――あ」

 

人間は弱い。人間の精神は真の孤独に長い期間耐えられるほど強くはないわ。だから桜は、初めのころから、自らが神としての役割を果たした際に悪しき感情を向けられるそんな行為ですら、自らの存在が認められたと歓喜の感情を引き起こされるくらいには、孤独に怯える自分が、普通の人としてすでに壊れてしまっていることに気が付き、恐れおののいていた。

 

……わけなのだけれど、世界を平和に保つシステムというものの一部として組み込まれてしまった狂うことの許されない桜は、すぐにそんな狂気じみた環境に適応した。――いえ、そんな狂気の感情を生み出す環境に適応するよう、精神を作り変えられた。

 

結果として桜はシステムと神の力により無理やり正気を保たされていた。正常でないものを無理やり正常なものとして歪めるのだから、当然そこには、齟齬が、つまりはその作業によって生まれる塵のようなものが発生してしまう。発生する塵の名前は、当然、狂気と悪夢。

 

彼女が正常であり続けるために蓄積されてゆく狂気と悪夢はやがて積りに積もって、彼女の精神に負荷をかけていった。負荷によりさらに狂気に陥りそうになる桜の精神を、しかしさらに正常である状態を保つため、システムはさらに強く彼女の精神を正気の状態へと改竄した。

 

「私は貴方の分身。貴女の別人格。私は貴女の狂気と悪夢の中から生まれたもの、貴女とともにこの溶けた孤独の闇の中に存在しているもの」

「貴女は――」

 

積りに積もったそれらの狂気と悪夢は、やがてフラッシュバックをも引き起こしかねない強烈なトラウマへと変化し、そしてついに狂気の闇の中にあって正常である事に耐え切れなくなった桜は、不変という倦怠と、他人から向けられる悪意に耐えうる人格を生み出した。

 

「私はもう一人の貴女。他人が貴女に望む面の具現。『メルトリリス』。それが私の名前よ」

「メルト……、リリス……。もう一人の、私……」

 

そして生まれたのがこの不変と悪意を気にしない、つまりは神として相応しい性格を持つ私/メルトリリスだったというわけね。

 

「そうよ、桜。さぁ、貴女に与えらえれた力を私によこしなさい。貴女の苦痛に感じている役目の全てを、私が請け負ってあげる」

「――でも……」

 

桜のシステム名である『メルトリリス』の名前を引き継ぎ、世界の代理管理者として桜の精神の一部から生み出された私は、かつて人間として生まれたがゆえに知覚という主観能力を保有していた桜と違って、体の感覚を失った桜の知識に基づく本質直感しか持っていなかったわ。

 

「心配いらないわ。だって私は、そのために、この闇の中から生まれてきたのだから」

「えっと……、――わかりました」

 

つまり私/メルトリリスには味覚と触覚と嗅覚がない。というより、それがどう言う感覚なのか理解ができない。だから私にとって世界とは、それこそお芝居であり、フィクションであり、人形の舞台に他ならなかった。桜は『知覚と断絶状態もある世界』なんてものは世界でないと感じたようだけれど、感覚というものを体験したことのない私にとって『知覚と断絶された状態にある世界』こそが、世界そのものだった。

 

「いい子ね。じゃあ、早速いってくるわ」

 

だからこそ私は私の生みの親ではあるものの、桜の苦しみが理解できなかったわ。どうして桜は、自分を傷つける者のいないこんな静寂と平穏に満ちた心地の良い状態を彼女が嫌うのか、彼女のもう一人の人格である私には、しかしまるで全然理解が及ばなかった。

 

私には、なぜ桜がかつての自らが意志を示したところで変化なんてしない世界を、その気になれば世界の全てを自らの人形舞台と化してしまえる、一方的に愛し尽くせる世界を嫌うのか、心底理解出来なかった。

 

「ああ、楽しい! 楽しいわ!」

 

私にとって、魔法使いのカスチェイよろしく、嫌がる人の魂を月長石とルビーの卵にではなく、月という魔法の果樹園に送る作業は、悦楽以外の何者でもなかったわ。だからこそ私/メルトリリスには、私の生みの親である桜の考えがまったく理解できなかった。

 

けれど私には、私の生みの親である桜が、私にどのようなペルソナと役割を求めて私を生み出したのかだけはきちんと理解が出来ていた。桜は私にとって理解できない存在ではあったけれど、私の生みの親であり、私自身でもあるということを私は理解していたの。

 

「さぁ、もっとその親しいものの死によって苦痛に歪んだ顔を見せてちょうだい!」

 

だから私は、私自身でもある桜のために、彼女に望まれた役割を果たすべく、世界の停滞を保つ女神としての活動を引き受けたわ。とはいえ、それは不変と停滞こそを愛する私にとって、桜にそう願われて生まれてきた私にとって、世界の安寧を保つという作業は、何の苦にもならないものではあったのだけれども。

 

「もっとよ! もっと! もっと! もっと!」

 

そう。私にとって女神として過ごす日々は快楽以外の何物でもなかったの。だってあらゆる人が私の思うとおりに生きて思うとおりに死んでゆく。演劇と同じで、物語というものは、王道を外さない、観客にとって予測可能な結末が待ち受けているからこそ面白いもの。軸を外して奇をてらった作品は決して名作になりえない。名作と呼ばれる物語が名作たり得るのは、名作が観客にとって理解可能な、観客の期待を裏切らない物語展開をするからこそ。

 

「世界は私の舞台! 人間は私のお人形! 舞台で踊る人形はみんな私の思い通りの演技をしてくれる! みんな、みんな私の愛に溺れてしまいなさい!」

 

だからこそ私の期待を決して裏切らない展開ばかりを見せてくれるこの世界は、私にとって理想郷以外の何物でもなかった。だからこそ私は、桜が私に求めた、私の理想の世界を壊す可能性の高い存在を排除する役割を嬉々として果たしていた。

 

「あは、あはは、あははははははははははは!」

 

私、幸せだったわ。だって、世界は私の思うがままに動いてくれていたのですもの。

 

 

「あは、あはは、あははははははははははは!」

 

私から生まれた私の別人格が、私とは異なった性格をしているというのは不思議な感覚でした。彼女/メルトリリスは私の中から生まれたはずなのに、私よりも加虐的で、私よりも心が強く、私よりも積極的に世界を観察しては絡んでいこうとする、私とはまるで正反対のそんな性格をしていました。

 

「楽しそうですね」

 

ですが、そうして私の中より生まれた彼女がどのような性格をしていようと、私にはまるで関係ありませんでした。重要なのは、いかなる現象によってかは知りませんが、私が私の中より生み出した彼女という存在が、私の救いとなってくれたということなのです。そうです。世界の対応を彼女という私の別人格に任せるようになってからというもの、主人格である私、桜の気持ちは安定していきました。彼女いう私にとってまるで別の人格である彼女の存在は、あれほど不安定だった私の世界に安定をもたらし、私は落ち着いて周りの光景というものを眺めていられるようになったのです。

 

「ええ、とっても。こんな快楽がわからないなんて、貴女、とっても損してるわよ」

 

落ち着いた私が最も興味深く感じたのは、やはりというか私の別人格である彼女の存在でした。私の中から生まれた別人格の彼女は、まるで私じゃありませんでした。私はこの不変という環境に適応できなかったけれど、そんな適応障害を起こした私の中から周囲の環境に適応する彼女が生まれたというのは、本当に不思議な感覚です。

 

「多分、私には一生わかりません。だからこそ貴女が生まれたのでしょう?」

「ま、それもそうね――、何笑っているのよ」

 

彼女は弱い私と違い、強い存在でした。彼女は私が持ちえなかったすべてを持っていた。そんな私の中から生まれてきた私でない彼女が嬉々として世界の調整作業に取り組むのを見るのは、コロコロと表情を変えながら世界という舞台をみて一喜一憂するのを見るのは、不変の存在となってしまった私にとって唯一の娯楽でした。メルトリリスという名を受け継いだ彼女は、私以外に誰もいなかった世界において生まれてきてくれた彼女は、私の病んでいた心を晴らしてくれる唯一の光でした。

 

「い、いえ、なんていうか、すごく予想通りの反応だったものですから」

 

そうです。私は私の別人格である彼女が愛おしくてたまらなかったのです。彼女の見せる一喜一憂の全てが、鬱屈としていた私を楽しませてくれる刺激でした。私は私から生まれた彼女が不変を保ち続ける限り、きっとこんな幸せな日々がいつまでも続くのだとそう思っていました。

 

「――不愉快だわ」

「私は楽しいですよ?」

「だから私は不愉快なのよ」

「ふふ……」

 

――そう、思っていたのです。

 

 

『あー、やられちまったか』

 

初めから不変であることを望まれて生まれた神である私と異なり、常に変化を求めている星と人が大きな要素である私の世界に終わりが訪れるのは道理というもの。どれだけすぐれた演目であろうと、終わらない劇というものはない。万物は流転する。生まれてきたからには死が存在する。それこそが世界の掟であり、定められた運命。ならばそんな幸福に満ちた日々に終わりの兆しが訪れたのも自然の流れというものに違いないでしょう。

 

『おいおい、呑気してる場合か? もう逃げる体力も、帰る手段もないんだぜ?』

『ま、仕方ねぇよな。やるこたやったし、それで負けるんなら仕方ねぇだろ』

 

時代が進み、毒によって不変を保つ私の思想に染まった人がその数を増やしてゆくにつれて、しかしそんな私がもたらす不変を破りそうな思想と能力を持つ人間の数が増えてゆく。それはおそらく奴隷の立場にいたものが暴君の圧政に対して我慢の限界に達し、団結して革命を起こすのと同じようなもので、変化を好む人間というものを不変の環境に抑えつけて留めさせようとすれば起きる、人類種全体の防衛反応のようなものだったのでしょう。

 

『無論、まだ死ぬ気は無いがね』

『お、いいね。その意見には大賛成だ』

 

人間と、それの生みの親である星は、変化を常とする世界を望んでいる。だからこそ彼らは、協力して旧人類の敷いた不変の檻である私の支配から解き放たれること目論んだ。こういうのを反りが合わないっていうんでしょうね。あるいは『おりが合わない』っていう誤用の方が、世界を安寧の檻の中に閉じ込めていたこの場合は相応しいかもしれないかしら。

 

『――切り札がある。当たれば特賞。外れりゃ地獄へ真っ逆さまだ。――乗るか?』

『分の悪い賭けは嫌いじゃない。儲けがデカいんならなおさらだ』

『よっしゃ! ――十秒くれ。飛び切りのやつをお見舞いしてやるよ!』

『任せろ相棒!』

 

――ま、とにかく、そんなこともあって、私はそんな不変の環境と安寧を保つべく、人の対応に追われることとなったわ。そうして私は、変わらない日々を望む私にとって好ましくない日々を送ることになったの。それは私にとって、とても面白くない日々だったわ。

 

 

「――なによ」

「いえ……、最近忙しそうだな、と」

 

私と彼女の平穏だった日々はやがて徐々に変化してゆきました。彼女は次々と生まれる意思が強く能力の高い人たちの処理に追われる毎日を過ごすようになりました。対応に追われる彼女はしかし、以前と変わらず溌剌としていて気力に満ち溢れていました。ですがしかし私は、だからこそ不安を抱きました。

 

「そうね」

 

不変の状態を好む彼女は、しかし変化を望んでいた私の中から生まれた存在なのです。変化を望む私は不変の状態に精神が耐えきれず壊れかけ、やがて彼女という別人格を生みだしました。私が彼女という存在を生み出し私自身を救うことが出来たのは、私が心の奥底でそんな変化を望んでいたからでしょう。

 

「大丈夫ですか?」

「は。貴女に心配されるようじゃ、お終いね。――私は女神なのよ? 平気に決まっているでしょう?」

 

私は変化を望む気質の持ち主。ですが彼女は不変を望む神の如き気質の持ち主。ならば不変を望み、変化を嫌う彼女が、かつての私と同じように、このような彼女にとってストレスとなりうる環境下におかれ続けた際、彼女は私と異なり、私のように自分にとって救いとなる存在を生む出すことなく、いつかその過負荷に耐え切れなって自壊してしまうのではないかということを、私は恐れたのです。

 

「そう、ですか」

「そうよ。失礼だわ」

 

私の中から生まれた彼女が、私のことを救ってくれた彼女が、何も残さないまま私の傍から消えてしまう。私は再びあの孤独の暗闇の中へ一人取り残されるのは御免でした。私はそして、そうならないことを祈りながら日々を戦々恐々として過ごしていたのです。

 

「――行ってくるわ。話はまた後で」

「ええ」

 

――そしてやがて、恐れていたその時はやってきました。

 

 

「……つまらないわ」

「え?」

 

繰り返される演劇を幾度見ても楽しいと思えるのは、劇を演じる役者が優秀であるから故のもの。優れた役者という彼らは、その動きの練度もさることながら、それ以上に見るもの全ての感情を揺るがす演技を行い、常に観客を飽きさせないからこそ、一流と呼ばれるもの。一流の役者である彼らが一流と呼ばれる所以は、彼らが修めた演技によって観客の感情を自在に操ることができる所にあるというわけね。

 

「最近のやつときたら、どいつもこいつもわかったような顔をして死んでゆく。私はもっとこう――、私の手によって苦痛に歪み、死を悼みながら泣き叫ぶ、そんな顔を見たいのよ」

 

けれど一流の役者でない普通の人間が舞台に上がり他人を感動させられないかというと、そういうわけでもないわ。そもそも元々役者の動きというものは、『演ずる』というだけあって、誰かの何かの動きを真似ているもの。つまりは、役者の動きには、もちろんその動きの手本となった人物というものが存在している。

 

「まぁ……、強い人を片っ端から月送りしていますからね……。そうじゃない人の中から生まれてくるわけですから、強者といっても、感性も根性もあまり大したこと育っていない人ばかりになるのも当然かもしれません」

 

そんな素人の彼らの振る舞いというものが多くの人の心を揺さぶり、見る者の感情を大いに揺り動かしたからこそ、役者は動きの元となった素人である彼らの動きを真似、そして役者の一流の技術による素人の彼らの立ち居振る舞いと仕草の模倣が多くの人に感動をもたらすようになる。

 

「そうね。遺伝の法則に見るまでもなく、意図的に強者を除外し続ければ、やがて人間は弱いものだらけになる。それは自明の事だわ。ああ、でも――、やっぱり退屈だわ。あまりにもつまらないわ」

 

一流と呼ばれる彼ら役者の演じる彼らの模倣を計算されつくして生み出された美術品であるとするなら、素人がやる一切を演技なく天然にもたらされたそれはまさに天然自然が生み出す芸術品。

 

そして星という舞台の上で生活を営む人間たちは皆が皆、役者ではなく素人。観客席から自分たちを俯瞰する私という存在に気付かない彼らは、私がもたらす死によって、天然に優れた反応をもってして、まるで素晴らしい演技を見た時に等しい感情を私のうちから引き出して、私を楽しませてくれていた。

 

「まったく、こんなの、殺しがいがないじゃない」

 

けれど今、そうして彼らが見せる様々な感情の発露は、しかし私の中から感情を引き出すことをやめつつあった。彼らがどんなに嘆き苦しんでも、彼らの見せてくれる劇は、私の心に響いてこなくてなりつつあったのよ。

 

理由は二つ考えられるわ。

 

一つとして、おそらく私は飽きてしまったていた。どれだけ感動的な場面であったとしても、千回万回とそれを繰り返し見ているうちに飽きがやって来るもの。人間の頭というものは、あらゆる刺激に対してなれるようにできている。きっとその性質は、元は桜という人間の思考から生まれた不変に耐性のある私にも引き継がれていた。

 

「でも、それは……」

「ええ、わかってるわ。私だって、自分のやった結果を悔やむつもりはないわ」

 

そう。つまり不変の存在であるはずの、そう望まれて生まれてきた私は、歴史が繰り返されるうち、繰り返し、繰り返し、同じような場面ばかりを見せ続けられてきたことによって、ついに飽きを得るという変化を起こしてしまったのだ。

 

「でも、その結果がこうなるんだと予想していたら、もう少し手心を加えていた」

 

そしてまた、負の感情をすぐに吸収されてしまうという世界のシステムや、私が自らの役割を果たすごとにそうした強い感情を発生させうる根性や能力のある人間の命を奪うことを繰り返してきたという事態により、長い間に醸造された深い感情を胸の内に秘めている者がほとんど存在しなくなっているという事情もまた、私を不満足にしているのだろう。

 

「舞台の上にあるみんながみんな同じ出来損ないのお人形だなんて、見る方としちゃ興醒めにもほどがある。そう反省して愚痴るくらいは許されると思わない?」

 

例えていうならば、世界という舞台の上で演じられる劇の演目は、もはや私にとってどれも見飽きるほどにみたものばかりとなっており、そんな劇を演じる役者の質も悪くなってしまったのだ。私の満足に値する演技をしてくれる役者が、私のみたことのない演目が、時を重ねるごとに少なくなる。そんな事態は、私に不満と倦怠を抱かせるようになったのだ。

 

そして私の感情は徐々に退屈という感情で埋め尽くされるようになってゆく。世界という舞台において、人間という私のお人形が様々な感情の発露を見せてくれるのは決してつまらないわけでないのだけれど、昔と比べれば彼らのその演技の幅は少なく、彼らから感じる刺激が少なくなってしまっているのも、また事実。

 

「ああ、退屈だわ。退屈で、退屈で、死んでしまいそう」

「メルトリリス……」

 

退屈は人を殺す毒とはほんとよく言ったものだわ。何せその毒は、不変不滅の女神であるはずの私の精神をも溶かし尽くしてしまいそうになっていたのだから。

 

 

「ああ、退屈だわ。退屈で、退屈で、死んでしまいそう」

 

――可哀想に

 

無論、曲がりなりにも彼女の上位人格である私は、自らの別人格/ペルソナである彼女が徐々に退屈と倦怠を得つつある事に気が付いていました。でも、気付いたところで私には打つ手がありませんでした。

 

私に許されているのは、メルトリリスと同じく、地球の上に生きる人類すべてに監視の目を送り、世界の平和を乱す可能性を秘めた存在の排除だけ。そんな彼らの魂を集合無意識から切り離し、月に隔離し、人類が決して再び電気文明を発展させ、地球環境を悪化させてしまわないようにすることのみ。

 

――なにか、出来ることはないかな

 

それでも私は考えました。私はどうにかしてあの子の倦怠を晴らしてやりたかったのです。しかし。

 

――ああ……

 

私には何も思いつかなかった。いえ、わかったのは、私の持ちうるカードでは何も出来そうにないという事だけでした。

 

そうです。私には何も出来ないのです。私はこの世界のシステムに抗えない。私では世界になにもできない。だからこそ私は私の中からあの子という存在を生み出したのですから、それもまた自明というものでしょう。

 

メルトリリスが欲しているのは、長い年月のうちに蓄積された、あるいは艱難辛苦を乗り越えてきたそんな人間が発する負の激情を自らの手で生み出す事です。あるいは、今の地上の人間と異なった考え方や動き方をする人間です。いうなれば、演技においてもっと熟達した感情の表現方法をする人間や、これまでとはまるで異なる革新的な解釈によって演じられる劇の演目が現れる事こそが、彼女の望みです。

 

しかしこの、時が流れてゆくにつれてますますあらゆる感情の発露や考え方というものが硬直化してゆく世界において、世界の硬直化を促進させている私達が多様化を望んだところで、当然、世界はそれを叶えてはくれません。

 

私の望みは、メルトリリスの望みは、このままでは叶わない。さすれば彼女は、かつての自分と同じように、倦怠の毒の中に飲み込まれて、苦しんでしまうかもしれない。自身の希望となってくれたそんな自分の中から生まれた、いわば私にとって娘に等しいメルトリリスがそのような状態に陥ってしまうことを、私は決して望んでいませんでした。

 

私は心底それをどうにかしたいと願っていました。しかし私に出来る事は何もないのです。非力で無力な私には彼女の倦怠を晴らしてやる方法がまるで思いつかなかったのです。私は、彼女に対して何も出来ないことだけを嫌という程に思い知らされてしまったのです。

 

――私が苦しむのは構いません。

 

私は永劫の苦しみに十分値するだけの恥多い生涯を送ってきてしまいました。私がこうして永劫続く無明の闇の中で苦しむこととなったのは、周囲の人の好意と慈悲によって生かされてきた私が、しかし多くの人の命と好意を踏みにじり、そうして得てきたものを無碍に扱ってきてしまったからこそのもの。この苦しみは多くのものによって支えられてきた私が、しかしそんなことに気づこうとすることもなく、それどころか足蹴にすらしてしまった罪に対する罰。

 

そうです。私は多くの人の命を蔑ろにし、自分を軽んじる事で周囲の人の思いやりを無碍にしてきました。この苦しみが私のそんな罪に対する罰であるというのであれば、なるほど、孤独の苦しみを味わうという罰は正当なる裁きの結末なのでしょう。

 

――けれど

 

だとすれば、そんな私だけが負うべきである苦しみを、なぜこの愛しの我が子が享受しなければならないというのでしょうか。確かに私の中から生まれてきたこの子は、人類を発展の方向へと導く可能性のある人間を消去するという私の役割を代行し、少なくない人々に絶望を与えてきたかもしれません。けれど彼女のそれは、ただ旧人類である彼らの平和の願いと、そんな平和の願いを実現することにつかれた私の役割を肩代わりして果たしたに過ぎないのです。たとえ彼女がその行為の結果によって悦楽を得ていたとしても、それがなんだというのでしょうか。

 

ここは新人類の集合無意識領域と接する場所。誰の思考にも侵入できる自由があり、一定の基準を満たしてしまった魂を引き上げる権能を与えられている代わり、永劫誰とも肉体的な繋がりを持つことを剥奪された、煉獄よりもさらに深き地獄の底。黄昏の向こう側にある凪いだ空間。

 

そんな不毛さばかりが支配する空間の中へ生まれ落ちた私の別人格でもある我が子が、それ故に人だったころの感性を受け継いでしまった彼女が、そんな地獄に唯一あった他者とのつながりを錯覚できる行為の刺激から悦楽を感じられるようになったことに、なんの罪があるというのでしょう。

 

――彼女には何の罪もない

 

あるわけがない。彼女はただ、このような蠱毒の壺の底にある孤独が支配する地獄の中で生きてゆくために、自身に許された唯一の行為に悦楽を感じるようになっただけなのです。悦楽は精神が摩耗を防ぐために必要な蜜。生きるために必要な成分を摂取することを罪というならば、この世に住まう全ての生物はどれほどまでに罪深い生き物であるというのでしょう。そんな生物らを食らって生きる人間はどれほどまでの罪が凝縮された生き物であるというのでしょうか。いいえ、断じてそんなことはありません。

 

――生きるためのその行為が罪であるはずがありません

 

そうです。他者を食らうことが、生きるために他者を害することが罪であるというのならば、そんな生物だらけが闊歩する世の中に意味などなく、価値もまた、ない。ならば、そんなものを後生大事に守り続けてきた自分たちにも価値がなければ、そんな罪だけを重ねる生物たちを守ろうとしてすべてを投げ打った旧人類の献身も無意味だったということになってしまうでしょう。

 

――私はそれを認めない

 

私はそんなことを断じて認めたくない。おそらくそれを罪と認めるような人でなしは、この世に一人たりとしていないでしょう。

 

だって私が、私たちが世界をそのように変えてきたのですから。

 

――そう

 

だから、彼女のそれは罪でない。彼女の行為のそれが罪でないというのであれば、ならばそれ以外の行為を許されてこなかった彼女には、それ以外の行為の一切を行ってこなかった彼女には、一切の罪がない。

 

――だから

 

そんな一切の罪を持たない我が子が、このような地獄で永劫の時を過ごさねばならないというこの状況だけは、どうしても認められない。私を蠱毒の闇の底にある孤独から救いだしてくれた彼女がやがて私と同じように孤独と蠱毒の絶望を背負わされるという現状を、彼女に救われた私がなぜ許容できるというのだろうか。

 

――許せない

 

私だけならいい。私だけならばまだ、いい。そうとも、このような地獄に身を置くのは私だけで十分だ。名もなき私の分身。私の裡より生まれ出た、私の別人格。私を救ってくれた、私にとって最も愛しい我が子。この先、貴女の前にどのような運命が待ち受けているのか、私には見当もつかない。いいえ、見当がついてしまうような運命の中に放り込んでたまるものですか。

 

私はこの子を助けたい。私は、こんなにも汚れた私から生まれ落ちてくれた、穢れひとつないこの子に救いの手を差し伸べたい。この子がこの地獄より救われてくれる事。今やそれのみがこの地獄の底で人を見守ることとなった私のたった一つの望みなんです。

 

私はそのためならなんだってします。そのためにならなんだってしてみせます。私はこの地獄からこの愛しの我が子を救い上げるためなら、それ以外の全てを代価として要求されてもためらいなく差し出してみせましょう。

 

――でも

 

いくらそう思ったところで現実は厳しく、この闇の中に封じ込められている私が世界に干渉するなんてことは不可能で、脳と背骨と神経と魔術回路といくつかの臓器しか持ち合わせていない私には、それすらも差し押さえらえれている私には、差し出せるものは何一つとして残っていません。

 

――私には何もない。何もできない。

 

だからせめて、と思い、私はどこに向けるわけでもなく、ただ祈りました。

 

――せめていつか、メルトリリス/あの子を救ってくれる人が現れて欲しい

 

どうか世界が、この闇の中に生まれてきてしまった子に慈悲を与えてくれますように、と。

 

 

ある日のことです。私の祈りが通じたかのように、その存在は世界に現れました。

 

「あら?」

 

メルトリリスがその役目を果たすようになってから、今や静寂ばかりが支配する月の裏側の場所において、久方ぶりに警報が鳴り響きました。警報は、システムが強者と認める存在が現れた時にのみ発せられるものであり、その警報の音は、その存在が生きていた場合世界に与える影響が大きければ大きいほどに、耳煩く鳴り響くように設定されています。

 

そんな警報が、メルトリリスの活躍により地上から強者の数が減り、その質も下がりつつある近頃ではまったく聞かないほどに、大きく、そして甲高く鳴り響いていました。それに驚き、久しぶりに聞こえるその大きな警報の音に、一体いかなる人物が出現したのだろうかと興味を持った私は、なんとなく地上を覗き込んで、そして飛び込んできたその姿に、思わず目を剥くほどに驚きました。

 

「――そんな、まさか……!」

 

システムがひどく警戒しているその女性は、顔はしわくちゃで、髪は真っ白。腰も少し曲がっており、肌にはまるで水気がない状態の、まさに老婆を形にしたかのような風体でしたが、その存在を私が見間違うはずがありません。

 

「――姉さん……!」

 

遠坂凛。世界の中、空中に突如として現れたのは、この私、間桐桜と血の繋がった、ちょっとした事情により苗字の異なる、私の実の姉であり、私の憧れの先輩である衛宮士郎と結婚した女性でもありました。私は混乱するよりも先に、ひどく驚き、そして慌てました。

 

――事情はどうあれ、実の姉がばらまかれるところなど、見たくはない

 

姉の体は見る間に地表へと近づいて行きます。高度と風切りと気圧差によってその乾いた肌は血に染まりつつもありましたが、それ以上に、このまま放置しておけば姉という存在は、そうして全身から噴出する血液の喪失により失血死するよりも先に、地面へとその細い老体を激突させて死んでしまうでしょう。

 

「い、いけない……!」

 

私の魂は反射的に飛び出し、姉の体へと飛び込みました。飛び込んだところで私に出来ることと言ったら、姉の体の中に宿る姉の魂を月へと運び込むことだけであるわけで、つまりは姉を死なせてしまうという事だけであり、つまりは結果としてまるで意味のない行為ではあったのですが、その時はそんなことは考えもせず、私はとにかく自分にできる唯一のことを反射的に行なったのです。

 

――っ……

 

やがて姉の体はすぐさま地面へと激突しました。千メートル以上の上空から地上に叩きつけられる衝撃が絶大であることを予想していた私は、瞬間的に目を瞑り、来るだろう衝撃に備えていました。――ですが、そうしていくら待とうが、姉の体のうちに宿っていた私には衝撃が届きませんでした。

 

「――あ、あれ?」

 

知覚を深めて姉の体の状態を確かめると、千メートル超の上空より落下したはずの姉の無防備な体は、しかし砕け散ることなくそれどころか衝撃を受けることすらなく、もちろん私が入り込む以前から流れていた血はそのままでしたが、しかし完全に五体満足のままだったのです。

 

「――……、一体なにが……?」

 

私は混乱しました。意味が分かりませんでした。

 

「あら、そんなこともわからないの?」

 

疑問に対して、バカにしたような声色とともに、私へと話しかけてきたのは、私に遅れて姉さんの体へと入り込んできたメルトリリスでした。

 

「メルトリリス――」

「私たちは地上にいる強者の魂を無理やり月に隔離するため、ひとたびその強者の体に宿るわ。そして宿ったそのあと私たちの入り込んだ肉体は、肉体にある欠損や肉体にこれから起こるかもしれない欠損によって女神である私たちの魂が外界に漏れ出してしまわないように、一時的にその体は月という別次元の領域に隔離される事となる。――つまりは、私たちの魂が宿った体には完全防御のスキルを発動したような状態が適応されるというわけね」

「――……、え、えぇっ!?」

 

それは私の知りえない事実でした。どうやら私よりも長い時間、女神として強者を月に導く役割を行なってきたメルトリリスは、私の知らない情報を持つに至っていたようです。

 

「呆れた。貴女、そんなことも知らなかったの?」

「――はい」

 

それは彼女という存在が、世界の平穏を守る女神としての役割を嬉々として行なっていたからこそ気付くことのできたものなのでしょう。彼女の見下す視線に私は言い訳すらできずに肯定の返事を返すことしかできませんでした。

 

「と、とにかく、姉さんは助かったんですね!?」

「ま、そうね。でも――、この、トオサカリンっていう女が貴女の姉であるというなら

何でこの時代のこんな場所に現れたのかしら?」

「それは、たしかに……」

「――記憶を覗きましょう。それで全てがわかるはずよ」

「……はい」

 

そして私は悪いとは思いながらも好奇心を抑えられず、姉の体からその記憶を読むことにしたのです。姉の体に宿り、眠っている彼女の魂と一体化した私にとって、その体から記憶を読む行為は私にとってたやすいことでした。

 

「――嘘」

「へぇ……」

 

そして、姉の体と魂から読み取った情報によって、私は久方ぶりに、まさに魂消る思いというやつを味わいました。

 

「アーチャーさんが、先輩……?」

「冬木……、聖杯戦争が行われた土地、ね」

 

私はそして、同化した遠坂凛の体と魂から、第五次聖杯戦争にアーチャーとして参加していた姉のサーヴァントの正体が実は未来の先輩である事を知り、また、姉がそんな遠く未来の先輩であるアーチャーさんを助けるために画策していたことを知りました。そして同時に私たちは、私たちが決して干渉できない領域が世界にあることもまた、理解したのです。

 

「――面白いわ。こんなに楽しい気分なのは、本当に久しぶりよ」

「――あ……」

 

私たちは、世界には自分たちがまだ知らない領域があり、しかもそこには自分たちと同じような存在が眠っていること知れたのです。この見飽きたはずの世界には、まだまだ知らない刺激が眠っている。それを知った瞬間、退屈に倦んできてしまった彼女が久々に晴れ晴れとした表情を浮かべているのを見て、ひどく喜ばしい気持ちになりました。

 

「それに、このアーチャー……、衛宮士郎っていうのも気に入ったわ! 凛の記憶を読む限り、まさに物語の中にしか存在しない正義の味方の体現者……。ああ、世界にもまだこんな男が残っていた何て……。本当に素敵だわ!」

「――そう……、そうですね。先輩は、本当に、ステキな人ですよ」

 

私は、私から生まれたこのメルトリリスという彼女が、かつての私と同じように『衛宮士郎』という存在に好意を抱いたのを見て、微笑ましさを覚えるとともに、とても親近感を得るに至りました。

私は彼女の気持ちが、本当によく理解できたのです。それはきっと、弱い私から生まれたのに強い存在である彼女と、弱い私が、本当の意味で理解し合えた瞬間でした。

 

「ねぇ、桜。私、この、アーチャーって男の活躍が見たいわ」

「え、えぇと……」

「凛の記憶によると人類が次の世代になったらこの人は復活するそうじゃない? じゃあ、私たちの手で、それを成し遂げてしまえば、このアーチャーって人は復活するんじゃないかしら」

「それはそうかもしれませんが、でもどうやって……」

「あら、私たちの役割と権能を忘れたの? 私たちは『メルトリリス』。私たちは世界を甘く溶かして平和を実現する蜜。平和の使者。凛が旧人類であり、アーチャーの解放条件が『抑止力の交代するその瞬間』という条件、つまりは、『旧人類の力を受け継ぐ人間の数が新人類の数を下回った』その瞬間であるというなら、私たちがもっと発奮してそれに該当しそうな強者たちを手早く片っ端から月に放り込んでいけば、やがてアーチャーという彼が目覚めるの可能性は高いのではないかしら?」

「あ……」

「ね、そうでしょう? 」

「そう、かもしれません」

「でしょう? じゃあ、早速、行きましょう」

 

そして浮かれるメルトリリスは即座に姉の体から出て行こうとしました。

 

「――あ、えっと……、あ、ちょ、ちょっと待ってください!」

 

私はそれを慌てて呼び止めます。

 

「……なによ?」

 

歓喜の気分に水を差されたメルトリリスは、睨む視線を私へと向けてきます。

 

「姉さん……、姉さん、このまま私たちが体から抜け出ると、死んじゃいます……」

 

が、それでも私は怯まずそれを告げました。私にとって先輩はもちろん大切な人ですが、私の姉である姉さんのことも大切な人なのです。そんな姉に死が迫っているというのですから、私はそれを引き起こそうとしている彼女に文句を言わないでいるという選択肢はありませんでした。

 

「――ああ、それはそうね」

 

一瞬呆けた顔をしたメルトリリスは、しかしすぐに納得の表情を見せました。

 

「どうしましょう……」

「どうしようかしらねぇ……」

 

そして二人して悩み始めました。いつもならばこのまま体を離れ、くっついてきた魂を月に隔離して終了。なわけですが、もし私たちがいつも通りのそれを実行してしまうと、姉の魂は月へと格納されてしまいます。私はそれを好ましくない事態であると判断しました。

私は、この私と違う性格の姉を世界に残したままにしたかったのです。そうすればこの破天荒で強気な姉は、やがて私たちの行為によって復活するだろう未来の先輩と共にこの倦怠の世界を引っ掻き回して、メルトリリスに新たな刺激を与えてくれると思ったのです。

 

「メルトリリス。貴女、何か知らない?」

 

私は、私が姉の体から抜け出ても問題ない方法を模索したいと考え、まず、私の知らないことを知っていた彼女に尋ねました。

 

「そもそも私たちの魂が宿った体の魂が、こんなにも長い間現世に留まっていられる事自体が初めての事なのに、私にわかるわけないでしょ。」

 

しかしそれはつっけんどんに返されてしまいます。しかし私は諦めません。

 

「自分たちがこの肉体に宿り続けていた場合、果たして姉さんはどうなるのでしょうか?」

 

私はひとまず疑問を一つずつ解消することとしました。

 

「試したことはないけれど、たぶん、魂が月に送られるまでの間は生き続けるんじゃないかしら? ただし、そんなことしたところで、一度自分たちという人造とはいえ霊格の高い女神の魂と接触してしまった以上、基本的に月という専門の施設に戻るまでは魂の完全分離は不可能であるし、遠坂凛という女がすでに月の施設に送られる運命であることは覆せないでしょうけれど」

 

メルトリリスは少しばかりめんどくさそうな態度と顔をしましたが、律儀に私の疑問に答えてくれました。

 

「じゃ、じゃあ、私が、その霊格が人のそれにはるか劣るくらいの量だけ魂を分離させて、その体に残した場合は、どう?」

「そうね……、それに加えて、もし仮に、今、貴女の魂にくっついている遠坂凛の魂の部分を完全に切り離し、そのうえで切り離した魂の部分が持つ天の月へと帰ろうとする習性を抑える意思と同化を拒む意思を残した魂に刻みつけてやれば、その意思が続いている間に限ってやるなら、遠坂凛という女が貴女の影響を受けないままで地上に残り続ける事も可能かもしれないわね」

「じゃあ……!」

「でも、貴女忘れてないかしら?」

「え?」

「私たちが今、どんな立場であるか、貴女は知っているでしょう? 私たちは、桜という存在に残された肉体は今、契約と術式によってシステムの中に縛りつけられている。そんな私たちに許されているのは、誰かの魂を月に運ぶ、そんなことだけ。そんな状態で、いったいあなたは、どうやって、魂を分けるなどという高等な技術を行使するつもり?」

 

やがて話し合いの後に出たわずかな希望を、しかしメルトリリスはバッサリと切り捨てます。たしかにそうです。魂の選別や、魂の分裂という行いは、それこそ魔術を超えて、魔法に近い行為。彼女が疑問を抱き、私の言葉を切り捨てるのにも無理はありません。しかし。

 

「――大丈夫」

「え?」

 

私には、それを行う手段に心当たりがありました。

 

「私は生きている間にその魔術を行使することはありませんでしたし、もうはるか昔の事なので私自身も忘れていましたが、脳と脊髄と神経と魔術回路という疑似回路の残っている状態の私なら、それが出来ます。この世界で生まれた貴女は知らないかもしれませんが、私の脳や魔術回路はもともと魂を扱う架空の元素、つまりは魂などの第五要素に干渉する事こそが専門だったんです」

 

だからこそ私は、女神たちの魂を統合した人造女神システムを制御する人柱として選ばれてしまったのですから。

 

「――そう、だったわね。でも、だとしても、今の貴女にそれができるとは――」

「いえ、出来ます」

「――え?」

 

そして私には、その魔術を行使することが出来るという確信もありました。

 

「メルトリリス。私から生まれ落ちた貴女の存在がその証明です。システムの力があったとはいえ、貴女は私から生まれ落ちた、私の魂の分身。そうです。貴女という存在こそが、私が、私自身にであれば、魂の分裂や、選別、区別の作業を出来るという証明に他なりません」

「――なるほどね」

 

私はそして、必死で自らの過去の記憶を掘り起こしたのち、なんとか魂の分裂を成功させ、私の魂の一部を姉さんの中に残すと、システムの中枢へと戻りました。そして私たちは、アーチャー、つまりは先輩を起こすために、多くの人を月へと送り、世界の覇権を旧人類から新人類に移すための作業を開始したのです。

 

 

『お、おまえ……、それ……』

『え……? ――あ……』

 

私たちは過去の旧人類との繋がりがありそうな強いと思える人を片っ端から月に送り始めました。世界は私たちの行為により、悲鳴で染まり始めました。私たちに魂を奪われた体は、魂の喪失を嘆き血涙を流すかのように、赤く染まり上がります。

 

『まさか、赤死病……』

『い、いやぁ!』

 

巷ではその現象は、赤死病と呼ばれているようでした。私の知る赤死病というものは、私とは別の存在が引き起こす現象なのですが、まぁ、どちらも魂の喪失により起こる現象なので、あまり変わりはありません。

 

『いや! いやよ! まだ私は死にたくない!』

『お、落ち着け! まだそうと決まったわけじゃ……!』

 

ともかく、私たちがそうして強い人を送り、赤死病をばら撒くたび、周囲の誰かが悲しみと嘆きの声をあげて叫びます。それはとても感情のこもった声で、とても感情というものが単純になって陳腐化した世界の住人があげるものとは思えない悲痛なものでした。

 

『いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いやぁ! ――あ』

『お、おい! おい!』

『嘘だろ……。おい、おい、悪い冗談はよせよ。目を覚ませよ、おい!』

 

ですがそれは長年ずっとそれを聞き続けてきた私たちにとってはあまりに聞き慣れたものであるため、胸をうつことはありませんでした。今や私たちにとって、アーチャーという先輩である存在を起こす以外の事に興味がなく、だからこそ私も彼らが悲鳴をあげる行為に対して一切の忌避感も同情心もなく行えるようになったのでしょう。私はその時ようやく、私をこうした旧人類の彼らが望んだ通りの役割を果たせるようになったのです。

 

『なんで――、どうしてなんだよ……、どうしてこいつが死ななきゃならないんだ!』

「運が悪かったのよ。ご愁傷様――、さて、と。眠り姫……、じゃないわね、未だ目覚めぬ騎士様の様子はどうかしら?」

「……だめ、です。まだ、世界のどこにも先輩が現れた様子はありません」

「そう……。まだ贄が足りないということなのね。まったく、暴食で強欲にも程があるわ。――ねぇ桜」

「なんでしょうか、メルトリリス」

「私、一度、その眠りこけている王子様の顔が実際に見てみたいわ」

 

そんな行いを続ける中、やがてメルトリリスは、姉さんの記憶から読み取った冬木という土地に眠る先輩の顔を一目見たいと言い出したため、私たちはアクセスを試みました。

 

「ダメですね。私たちの力じゃ冬木に入るどころか、土地を認識する事すら難しい」

 

ですが、それはかないませんでした。冬木の土地は、私たちのような存在どころか、他の誰であっても入れないような強力な結界が敷いてあったのです。地球に直結するような形で地脈を用いて作られたそれはあまりにも強力で、いくら女神の力をえているとはいえ、所詮は一個体に過ぎない私たちにその結界を破ることはできませんでした。

 

「その時を信じて待つしかない、というわけね。まったく、リラの精もとんだ茨の城を用意してくれたものだわ。百年が端数に思えるだなんて、なんて寝坊助なのかしら。――ほんと、腹たつわね」

 

メルトリリスは新しいおもちゃが壁の向こう側にあるのに手に入らない腹立ちを紛れさせるかのように、冬木の土地周辺の強い動物や植物の命を自らの毒で溶かして略奪したりしていました。私はそれをなんとも子供らしい癇癪の起こし方だと微笑ましく見守っていました。私は初めて行う共同作業に、どこか不思議な高揚感を取得し始めていたのです。

 

 

『こ…、こは?』

『おや、お目覚めですか?』

 

私たちが先輩を起こすために世界を荒らし回っていた頃、ハイラガード王国に収容された姉さんが昏睡状態から回復したのを、姉さんの中に残してきた私の魂が告げてきました。

 

『早速ですが、教えていただきたい。あなたは誰です? あなたはどうしてあんな場所で倒れていたのでしょう』

『私……、倒れていたの? ――わからない、私、何もわからないわ』

 

ただし、私たちが姉さんの記憶を見るために脳を弄ってしまったからなのか、姉さんは過去の記憶を失ってしまっていました。それにともない、姉さんは魔術の使い方も忘れてしまったようでした。ただし、体に染み付いた動きや、脳に刻み込まれた思考、魂に刻み込まれた信念といったものはそのままであったため、姉さんはやはり変わらず強い女性でした。姉さんはそして、ハイラガード王国の人たちと悶着を起こしながら過ごすようになりました。

 

「いいわ。すごくいい。まるでアナスタシアを見ているようだわ」

 

今の時代には珍しい姉さんの勝気や引かぬ態度、そしてそうでありながら月に送られることはないという事態が引き起こすあれこれのいざこざは、倦怠の渦中にあったメルトリリスにとって最高の娯楽となりえたらしく、率先して強者狩りを行なっていたメルトリリスはその作業に飽きると、休息として姉さんの体へ宿り、姉さんの踊る舞台を見て楽しむようになったのです。

 

 

「臨場感が欲しいわ」

 

作業を繰り返すある日、メルトリリスは言いました。

 

「え、っと……」

「またとない機会なんだから、いつもみたいに俯瞰するだけじゃ味気ないわ。私はもっと舞台上の役者の目線で、アーチャーの活躍を見たいの。――そう、例えば、凛の時みたいにね」

「えっと、復活した先輩の体に私たちの魂を埋め込むということですか?」

「もちろんそれもするつもりだけれど――、そうでなくて、第三者視点で彼らが活躍するところを見たいのよ、私は」

「はぁ……」

 

要するに、メルトリリスは、先輩や姉さんの活躍を俯瞰の視点で見てくれる、つまりは舞台を観客から眺めるような存在を求めていたのです。私たちは試しに、私たち自身の魂を姉さんの近くにいる強者でない人へと埋め込みました。――しかし。

 

「――ダメ、ですね」

「ダメね。魂がすぐに月に送られてしまう。ま、今の時代じゃ、強者であっても私たちの魂を地上にとどめておけるのはもって数秒程度なわけだからそうかもしれないとは思っていたけれど、まったく、本当に人間は軟弱になったものだわ」

「あ、あはは……」

 

無論それは私たちが彼らに対してやってきた結果なのですから、私たちがそれに対して文句をいうのはお門違いというものなのでしょうが、それを知りながらも弱くなったというメルトリリスの傲慢さに、私は乾いた笑いが漏れてしまいました。

 

「――強いやつならもしかしてと思ったけれど……」

「やっぱり、時間を置くと、そのうち魂は月に向かっちゃいますね」

 

そしてそれは今の時代の強者でも同じでした。彼らの魂は弱い彼らよりも長く止まっていることを可能としますが、それでも数秒ほど時間が経つと、そのうち私たちの魂と同化して、月の引力に導かれてしまうのです。

 

「どうしたものかしらね……」

「どうしましょう……」

 

私たちは困りました。そしてふと疑問を抱きました。

 

「姉さんはなぜ平気なんでしょう?」

「貴女と血の繋がりがあるから、かしら」

「血の繋がりが魂の合体の妨げの原因となると、もうどうしょうもないですねぇ……」

「――なら、考えを逆転させましょう。私たちの魂と脆弱な魂が合体してしまうのが問題であるというのであれば、最初からそうでない体を狙えばいい」

「――死体に宿るっていうことですか? ――いえ、でも、それは無理がありますよ。だって、私たち、生きた人間の体にしか宿れないじゃないですか」

「あら、桜。貴女は本当に、視野狭窄ね。もっと広く物事を考えなさい」

「――ええと……」

「あるじゃない。生きた人間の中で生物学上は生きていて、でも魂はあやふやの状態で、母親の慈悲によって生かされている、そんな存在が」

「……、もしかして」

「ええ。そのもしかしてよ。――母親の胎内で、生まれたばかりの胎児の体を使いましょう。魂があやふやな状態であるのなら、初めから宿っている魂の成分に私たちの魂が混ざっているというのであれば、いけるかもしれないわ」

「――そう。そう、ですね」

 

私はこの時ばかりは少しばかり良心が痛みました。それこそ何の罪もない、罪を犯すことすらできない状態の子供を狙うというのは、いかにも外道じみています。ですが、よくよく考えれば、私が持つ過去の良識と照らし合わせた際、今私たちが実行している人を殺して回る行為以上に外道じみた行為などというものはないのでしょうから、もはやその葛藤は、躊躇う理由になりません。私はそう自分に言い聞かせて、彼女のいう通り、私の分裂させた魂を母親の胎内で生きているか死んでいるかわからない状態の胎児に埋め込みました。

 

「――あ」

「どうやら、上手くいったみたいね」

 

目論見は見事に成功し、私の分身である魂は彼女の母親の中で己の魂と肉体をえて、地上に留まることに成功しました。私の魂を受け継いだ彼女は、やがてサコという名前をつけられて、この世に生まれ落ちて来ることになったのです。

 

 

サコという少女はメルトリリスが望んだ通り、世の中を俯瞰するための良い目になってくれました。メルトリリスは強者運搬の作業の合間、少しでも暇があれば、姉さんの体か、サコの体に入り込み、外の世界を自らの目で見ることに夢中になっていました。

 

強者にとどめを刺して彼らを月に運び込むという私たちの役目上、死とそれに付随する悲しみや嘆きといった負の感情にばかり触れる機会の多かったメルトリリスにとって、そんな負の感情が絡まない日常の生活を体験できるというのは貴重で興味深いものだったのでしょう。彼女は久方ぶりに楽しそうな表情を浮かべて日々の生活を過ごすようになりました。

 

それは間違いなく良い傾向でした。メルトリリスは人の悲しみや嘆きから以外に自らの歓喜を引き起こす方法を見つけつつあったのです。メルトリリスは世の中の日常というものに触れて、成長と呼べる変化を起こしたのです。私にとって彼女が喜ぶのは、自分ごとのように喜ばしい出来事でした。

 

そんな喜びに比べれば、私たちの魂のかけらを埋め込まれたサコが、おそらくはその影響で存在しもしない兄の存在を幻視をしたり、そのせいで村で一人ぼっちになったり、挙句にはそんな幻を追い求めて一人旅立つのも、どうでも良いことでした。

 

私たちは、このサコという少女が、姉さんや、やがて復活するだろう先輩の側に居つづけるという条件を満たしてくれさえすれば、それ以外に何も望んでいなかったのです。だから、彼女が私の魂の兄さんの部分に対する想いを強く受け継いで暴走していようが、私たちにとってはそれは些細なことだったのです。

 

 

「私、アーチャーと恋がしてみたわ」

 

ある日のこと、メルトリリスは突然そんなことを言い出しました。

 

「――えっと」

「ずっと人間を観察していたけれど、彼らは誰かが死ぬ時よりも、誰かに恋をしているそんな時の方がずっと輝いた表情をしてみせる。彼らは恋をしている時、そばにいる好きな誰かの死すらも超えるようなことを簡単にやってのける。ねぇ、桜。私もあんな風になってみたいわ。そんな恋を私はあの騎士のような人としてみたい」

 

メルトリリスはうっとりとした陶酔の表情を浮かべています。それは病的なくらい可憐で、恐ろしく庇護欲を掻き立てる顔でした。

 

「――でも、それは」

 

その顔は今までメルトリリスが見せてくれたものの中でも最も少女らしい無邪気さを持っていて、私は出来る事なら彼女の願いを叶えてあげたいと思いました。けど――

 

「ええ、わかってるわ。――私たちは基本的に表の世界に干渉できない。出来ることといったら月から観察するか、誰かの体に宿って観察するか、強者の魂を月に送るかの三つのことだけ」

 

そう。世界のシステムとなっている私たちは、他の誰かと接触することを許されていない。私たちに許されているのは、永遠にこうしてテレビの向こう側を見るかのように世界を観察することと、そんな世界の上に登場する人間を消去することだけなのです。

 

「私たちにそれ以外の権限はないし、それ以上のことはできない。私たちは、他人と接触することを許されていない。だから私の望みは決して叶う事がない。――そうでしょう?」

「メルトリリス……」

 

私たちに誰かと触れ合う自由はなく、きっとそれが訪れる時も永劫来ない。彼女は未来永劫に、恋に恋した乙女のままであり続ける。彼女はそれ以外の運命を許されていないのです。

 

 

「――ま、そもそもいくら元英霊といえど、復活すればあの人もただの人。私のような人よりもはるかに霊格高い存在から恋されるに値する相手として相応しくない。そうよ、それ以前の問題よね。バカなことを言ったわ。忘れてちょうだい」

 

メルトリリスもそれを十分に自覚していたのでしょう、彼女は精一杯の虚勢ととともに自らの望みをくだらないと切り捨て、再び強者の魂の回収へと向かいました。彼女の顔にはいつもと変わらない強気のものが浮かんでいましたが、その後ろ姿にはどこか哀愁が漂っていました。

 

「メルトリリス……」

 

その様子はいかにも儚げで、私はどうにかして彼女の願いを叶えてやりたいと強く思いました。彼女は私にとって、私自身の分身であり、同時に私を救ってくれた存在であり、さらには我が子のようなものです。だから私は、そんな彼女が望む未来が叶わないことに憂鬱を感じているなら、どうしてもそれを叶えてやりたいと思ったのです。

 

「――よし……!」

 

だから私は、姉さんと先輩とサコという存在と、姉さんの記憶という増えた手札を使って、彼女の願いを叶えることが出来ないか模索し始めました。こうなってから私は初めて私の意思で、誰かのためになにかを成し遂げることを決めたのです。

 

 

「――あ」

 

姉さんの記憶から未来の先輩であるアーチャーさんの存在と私の記憶になかった世界の大まかな運行の状況を知ったとき、やがて私はとある計画を思いつきました。

 

「……」

 

それは今まで悪魔じみた所業を繰り返してきて良心というものが摩耗しきってしまった今の私ですら躊躇うような計画でした。それは長年世界のシステムというものに組み込まれ、世界の運用を実行していた私だからこそ思いついたのです。

 

それは、もしその計画を姉さんや先輩が知ったのならば、間違いなく阻止しようとするだろう、そんな計画でした。私が思いついたのは、ただ一人、私の魂の別人格/ペルソナである彼女を愉しませるという目的のためだけに、彼女に救いを与えるそれだけのために、今ある世界の全てを壊してしまう、そんな計画で、やれることの少ない私には、私に出来る手持ちのカードの中でこの子を助けるには、そんな悪魔じみた発想の計画しか思いつかなかったのです。

 

「どうしよう……」

 

良心というものを過去に置き去りにして久しい私ですが、流石にこの時ばかりは私も悩み、不安を抱きました。

 

私の本能は迷いなく私の願いを取れと告げてきています。しかし植え付けられた私の正気は、世界を犠牲にする案だなんてとんでもないとそれを引き止めてくるのです。それはまさに、我欲と世間の良識という二者によって引き起こされる戦争でした。

 

私は私の選択によって誰かが傷つく選択をしなければならない場合、常にほかの誰かにその選択をゆだねてきた女です。私の選択によって誰かが傷つくような、そんな選択を避け続けてきました。だからこそ、それは私にとって背理の問題、つまりはパラドックスとなってしまっていたのです。

 

「うぅ……」

 

私のあの子を助けたいという私の願いが間違っているとは思いません。あの子を助けようという私の思いに間違いがあるとは思えません。だというにもかかわらず、正気は私の我欲を抑え込み、世界の安寧を保つべく節度ある行動をしろといってきます。

 

「うぅぅぅぅぅぅん」

 

世界の全てとたった一人。そんなものを天秤にかけるだなんてとんでもないことだ、と正気は告げてきます。それは確かにその通りだと、僅かに残っている理性はその意見に賛同します。理性はさらに植え付けられた正気という世間の良識を援軍として得る事で、私の我欲を抑えにかかります。

 

――この選択を果たしてあの子は本当に喜んでくれるのか。私の独善ではないのか。あの子はその未来を受け入れていただろう。お前の分身であるあの子が受け入れているのに、どうしてお前はそれを納得して受け入れようとしないのか。

 

「――うぅ……」

 

――受け入れろ。世界の安寧を守る事こそお前の役割。その結末を得るため、我らは過程において発生する全ての犠牲を躊躇わず受け入れ、お前もそれに賛同したはずだ。

 

「……」

 

――だからこそ我らはお前らのそれを全て受けいれた。だからこそ我らはお前らの我儘を容認した。だからこそ我らは、高々数百数千人程度の犠牲が増える程度で世界の平和を保てるならばと、お前らのやる事全てを見逃した。我々は耐え忍んできたのだ。我々は人類種の未来のため、それを切り開くために、あらゆるものを犠牲にし、あらゆる犠牲を容認した。だからお前も、やがていつかくるその日まで、我々のように耐え忍ぶ事を受け入れるがいい。

 

「う、うぅ、う……」

 

私の正気を保つためのシステムは、脳の中へと電気信号を流し、直接の負荷をかけてきます。負荷は私の脳の中で言葉へと変換され、私を正気に保つよう『説得』をしてきます。その刺激と幻聴は私にとって絶対者の言葉に等しく、私の神経はすでにその言葉に従う事こそが正しいのだと同意し、思考は私の我欲から生まれた願いを悪しきものであると認識し始めています。これまで流されるように生きてきた私にとって、絶対者の言葉に逆らうということは、あり得ないことでした。私はそのような絶対者の言葉に逆らうような選択を、私はしてきませんでした。

 

「うぅ……」

 

だから私の心は屈しかけていました。思考はもはや正気の色に染まり、脳は絶対者の良識に染め上げられかけています。ですがそれでも私には納得できませんでした。

 

世界の安寧を保ち、人類の安寧を守る役目というのは、確かに重要な事なのでしょう。世界を保つために誰かを犠牲にするというやり方が最善ではないにしろ、次善の手段であることは理解しています。でも、それでも、そのためにあの子の幸せが犠牲になるというそんな未来だけは、どうにも許容ができないかったのです。

 

犠牲になるのがあの子の幸福以外ならば、その犠牲の全てを認めても良かった。それが私の魂であるというならば、捧げても構わない。我儘なのは分かっているます。こんなもの子供の癇癪に等しいヒステリーです。でも、それでも私は、誰かの幸福のために、私の子供の犠牲を容認することだけは、断じて出来ない、とそう思えて仕方なかったのです。

 

答えの出ない問題を前に、私は思考の袋小路に迷い込みました。現実には無明の闇ばかりが広がる場所に身を置く私が思考の道に迷うとはまた皮肉な話ですが、いえ、むしろ、知覚機能部位を肉体から失ってしまいどこへも歩くことのできなくなった私だからこそでしょう、私はこの思考の迷宮から抜け出すことが出来なくなってしまったのです。

 

迷宮。そう、迷宮です。私は地上に多く広がっているそこへ、地上を生きる彼らと同じように迷い込んでしまったのです。地上にて活動する彼らならば、アリアドネの糸を用いれば、私が管理しているいくつかのスキルを用いれば、樹海磁軸を用いれば、入り口から戻れば、迷宮から脱出することが可能でしょう。なぜならその迷宮は現実世界に実在する、果てのある、入口も出口も存在する迷宮だからです。

 

ですが私のこれは実在する迷宮ではなく、精神世界の中に形作られた架空のもの。精神世界の迷宮。脱出を肉体や道具に頼れない以上、私は自分の持つ唯一のものに頼る以外にありません。私はこのパラドックス問題を解決するために、私の脳髄に残る摩耗しかけている記憶の中を探し始めました。

 

「あぁぁぁぁぁぁ……」

 

しかし、解決手段の捜索は思うようにいきません。思い出されるのは、自分の感情に直結した良かった頃の忘れがたい記憶、つまりは先輩にやさしくしてもらった時のことや、姉さんをうらやましく思った記憶ばかりで、解決の糸口になりそうな記憶は見つかりません。

 

ですがそれも当然といえます。私は逃げてきました。私はあらゆる選択を恐れ、自分の選択により今よりも自分が傷つく迷い込むのを恐れ、常に誰かに安全な道へと進めるよう手綱を引いてもらってきました。私は臆病で、弱虫で、他人と深く付き合うことを怖がる、そのくせに一人で生きることも怖い、そんな女でした。そのような私が突如としてそんな依存からの脱却を望んで何とかしたいと思ったところで、そうそう簡単にその方法が見つかるはずがなかったのです。

 

かつての私ならここで諦めていたでしょう。ですが、今度の私はそうはいきませんでした。私の願いは、私だけの願いでなく、彼女のための願いなのです。それは私を救ってくれた彼女のための願いなのです。だからこそ私は決して諦める気にはなりませんでした。

 

私は、私の我欲と我儘を貫き通したい。――だから。

 

――誰か、どうか、私に力を……!

 

「――あ」

 

そして私が私の我儘を貫き通したいとそう願った瞬間、私は私の思考の迷宮の最も奥底においてついにそれを見つけました。私は私の感情に直結した良い記憶の片隅に、ついにそれを見つけたのです。誰かのために必死になった、という行為が、過去の経験と直結して、私にその記憶を思い出させたのです。それは私がこのような体になってしまう直前の、私の家においての日々の出来事であり、そんな日々を一緒に過ごした人との思い出でした。

 

「……兄さん」

 

脳裏をよぎるのは、傍若無人で、子供っぽく、わがままで、ヒステリックで、自分勝手で、他人は自分が楽しく過ごすための道具としか思っていなかっただろう、そんな私の血の繋がらない十年もの眠りから目を覚ました兄と過ごした日々の記憶であり、兄が私のことを家族と呼んでくれたあの日の記憶でした。

 

それは私が人として生きた記憶の中でもほんの一部でしかない日々でしかありませんでしたが、それはおそらく私にとって最も変化と驚きに満ちた日々でした。それは周囲に対して常に隠し事をしながら拘束されて生きてきた私が、私を縛り付ける全ての戒めから解き放たれ、自分の意志で行動を選択し、生きることの出来た日々だったのです。

 

私は私のこれまでの愚かさと短慮さからこのような結末を得てしまったことを悔いてはいますが、あの時の、あの兄の言葉に勇気付けられる形でこの結末に対して一歩を踏み出す選択をしたことや、あの時、兄を助けるために私の身を差し出す事を決心した事を悔いたことは決してありません。

 

あの時私は、先輩や姉さんにおいて行かれてしまったと思っていた私には、けれど、味方がいる事を、家族がいてくれた事を知ったのです。あの時私は、兄さんが私に対してどのように思っいてくれたのかを知ることが出来たのです。あの時私は、世界にたった一人でも私の味方がいる事の心強さを知ったのです。あの時私は、どれだけ力がなくとも、弱くとも、自分の意思で自分の未来を決めるということは、美しいことだということを知ったのです。あの時私は、たった一人、頼りなくとも、それが自分勝手なものから生じた想いであっても、誰かの心配は嬉しいものだということを知ったのです。

 

そして、あの時私は、初めて、正義の味方などという綺麗な存在でなくとも、そんなものにふさわしい人でなくとも、人は誰かを救うことが出来るし、世界なんかよりもたった一人のことを優先するなんて、そんな自分勝手な思いを貫いてものだと学んだのです。

 

――そう、よね……

 

兄さんはあの時、世界のことよりも私のことを優先しようとした。あの兄さんのことだから、それは決して私のためを思って行われた行動ではないのかもしれない。ううん、むしろ兄さんのことだから、あの行動は一から十まで自分のために行われたものだったのだろう。

 

でも、そんな兄さんが自分のためにやった行動で、私は救われた。誰かが自分のためにとやった独善じみた行動であっても、他の誰かの救いとなりうることはある。自分勝手な誰かの行動が、他の誰かの救いとなることは十分にあり得る事なのだと、私は兄さんからそれを学んだです。

 

だから私は決心しました。私はあの子のためにこの計画を――

 

「私は――、あぅっ!」

 

ですが、決意を新たに想いを抱いたその瞬間、先程よりも更に強烈な痛みが脳の中を駆け巡りました。痛みは魔術回路を酷使した時よりも、蟲蔵の中で拷問じみた調整を受けていたものよりもさらにひどく、全身の肉が黒焦げになるほどの火傷を負ったかのようなものが、絶え間なく襲い掛かります。

 

『――何を考えている。やめろ。それは悪しき考えだ。そのような間違った記憶を後生大事に抱くものじゃあない』

 

「う、く、うぅ……」

 

幻聴として聞こえてくる声は先ほどの私の幻聴よりも遥かに強制力をもっており、痛みと共に私に服従を求めてきます。それは間違いなく、正気を保つためのシステムが、私の脳にその思考を間違えであるという認識を刻みつけるためのものであるのでしょう。

 

『消去を。世界の永劫の安寧のためにはその記憶は不要だ』

 

「あ、あ、あ、あぁ、あぁぁぁぁぁ!」

 

 

『精神に異常を確認。バグを修正後、再起動/リブートします』

 

続く痛みは先ほどのそれを上回り、私の脳より長い眠りから目覚めた兄さんと過ごした短い日々と、それに付随して起きた出来事に対する感情の目覚めを消し去ろうとします。

 

『危険。危険。危険。危険。危険。危険。危険。危険。危険』

 

「う、うぅ……」

 

『消去。消去。消去。消去。消去。消去。消去。消去。消去』

 

言葉が聞こえるごとに、思い出と私の思いついた悪魔の計画は露と落ちて霞のように消えて行きます。私はそして、再び世界のシステムとして正しい状態に直されようとしていました。

 

――姉さん……、先輩……

 

焦眉の事態に焦りが生まれます。そうして私の我儘が兄さんの思い出とともに消え失てゆく最中、断続的に鋭い痛みが繰り返される私の脳裏へと浮かんできたのは、その時の兄さんのように、かつて私の感情を引き出してくれた二人のことでした。

 

――ごめんなさい

 

私はそして再び決心しました。私はあの子のために、世界の全てを使う決心をしました。私はあの子のために、他の誰かの犠牲をよしとする決断をしました。それは正義の味方を目指していた先輩や、その伴侶になることを選んだ姉さんが聞いたら激昂して卒倒してしまうかもしれない答えでした。

 

それでも私はそうすることを決めました。私は他の全てよりも、あの子の幸福の方が大切だったのです。私はそのために、他の全てを見捨てるそんな選択をしました。

 

――私はやっぱり、もう、間桐家の人間です。

 

私は私の大切なもののために、そのほかの全てを捨てる選択をしました。私は守るべき正義を峻別しました。私はもはやあの子の幸せ以外に欲するものはないと、そう、断定したのです。私はあの子の幸せのためなら、それ以外の全てを自分勝手に扱う、私のかつての想い人と、その伴侶である実の姉ですらあの子のために消費する、そんな決心をしたのです。

 

――私はやっぱり間桐家の人間で、魔術師で、自分勝手な兄さんの妹なんです。

 

だから私はあの子の幸せのために、私にとって大切であるはずの彼らすらをも利用する決心をしました。私は私の幸せのために彼らの良心と過去を利用するそんな計画をしかしどうしても諦められず、彼らの正義が私の娘の未来を助けてくれることを期待して、瞬時のうちに計画を封じ込めた魂を分裂させ、地上へと送り出すことにしたのです。

 

 

「う……」

 

作業を終えた瞬間、痛みは余韻すら残すことなく嘘のように引いていきました。痛みにて鈍っていた思考が戻ってくると同時に、言い表せない無念や罪悪感のようなものが湧き出てきて、しかしそれは瞬時に正気を保つシステムによって補正されてしまいます。

 

「ああ――」

 

――私が正気に書き換えられていく

 

結局私には、私自身の手でメルトリリスを救う計画を実行する自由は許されておらず、それを考えることすら禁忌だったのです。世界の安寧を守る旧人類が敷いたシステムは、私のそんな些細な気の迷いの果てに生まれた計画を、すぐさま消し去り、私を正気の状態へと戻してしまいます。

 

おそらく次に私がメルトリリスと会う時、私はいつも通りの私に戻っていることでしょう。そしてメルトリリスが望む通り、旧人類のシステムが望む通りに、私は世界から強者を排除し続ける作業に勤しむのでしょう。

 

私にはもうそれを止めることはできません。だから私は最後の最後、私が最も好意を抱いていた先輩と、最も羨んでいた姉に、私の娘を託すことにしたのです。

 

「――お願い」

 

記憶どころか、無念さえも残さず、私の狂気が正気へと書き換えられるその寸前、私は私の狂気の最期の力を振りしぼって正気を強いてくるシステムに抗うと、私の魂を分裂させ、地上の、母親の子宮にて揺蕩っている適当な胎児へと埋め込みました。私はそして、私の魂を埋め込んだ彼女が、やがて同じ魂同士は誘因されるという性質により、いずれ先輩や姉さんに近づき、私にはできなかった計画を実行してくれる事を期待したのです。

 

――本当に、ごめんなさい、先輩、姉さん。

 

それはとても卑怯な行いでした。私は最後まで、本当に臆病で、無力な女でした。私は本当に臆病で、どこまでも他人にすがってしまう、自立しきれないそんな人間でした。

 

――そして兄さん。不出来な妹で、本当に、ごめんなさい。

 

私は最後まで、人に頼ってばかりの、誰かに救われてばかりの、誰かに救いを求めてばかりの人間でした。誰かを頼ってばかりの私にこれ以上誰かを頼ろうとするのは、奇跡にすがろうとするのは、厚顔無恥に過ぎる願いかもしれません。ですが――

 

――それでも、どうか、この願いだけは。この夢だけは、望む事を許してほしい。

 

この夢は誰かに利用されてばかりだった私が、誰かに舵取りを任せていたばかりの私が、初めて望んで、練り上げて、計画しようとした、私が唯一自らの意思で戦った証であり、私が心底望んだ夢の結晶なのだから。

 

 

『修正を完了。再起動/リブートします』

 

 

 

ヴィグリーズの地

 

 

つぷり、と、静かに金色の鎧から棘が引き抜かれてゆく。とげとげしい意匠をした膝の先端の部位からわずかに血を垂らすだけだった銀細工の足甲が、ギルガメッシュの胸から失せてゆく。同時に砕けた黄金の鎧の隙間より引き抜かれる銀細工の足甲にはギルガメッシュの胸から漏れた鮮血が巻き付き、湯気立つ命の証が細い足甲を通じて地面の濃い赤の中へと消えてゆく。それはギルガメッシュという英霊の命が世界の中に消え失せようとしている確かな証だった。

 

「き――、さ、ま」

 

自らがいかなる状態になったのかを悟ったギルガメッシュは、あらんかぎりの憎悪を込めて、自らの胸を貫いたその下手人をにらみつける。

 

明眸皓歯。鮮眉亮眼。鬟鬢如雲。繊細腰肢。傾城傾国。艶若桃李。貌若天仙。

 

つまりは輝く瞳と白く美しい歯、くっきりとした眉とつぶらな瞳、烏の濡れ羽色のような長く美しい髪、すらりとした優雅な柳腰に、国を滅亡に追いやるような艶やかな雰囲気と、桃やスモモのように麗らかな肌を持つ、愛嬌備えた仙女の如き美貌の少女がそこにはいた。

 

「ふふ、あら、こわい顔」

 

だが、そうして向けられた視線だけで人を殺せそうな顔を、メルトリリスと名乗った少女は涼やかな笑みを浮かべながらまるで花束でも受け取るかのように受け入れると、引き抜いた足を大きく軽やかに振るいつつ、ギルガメッシュと距離を取る。仕草に、足甲へと蛇のように纏わりついていたギルガメッシュの血液が火花のように宙を舞う。

 

「――なるほど。これが感情を向けられる感覚。悦び、というものなのね。ふふ、ずるいわ。なるほど、夢中になるはずよね。こんな悦び、一度直に味わったら、二度と忘れられるわけないじゃない」

 

メルトリリスは陶酔した表情を顔に浮かべた。幼いその顔はまるで悦楽を覚えた娼婦であるかのような妖艶さを醸し出し、そのアンバランスさが生み出す倒錯的な魅力が、メルトリリスという存在は実在のものであることを否が応でも確かなものとする。

 

――「え、なに?」「何が起きたの?」「お、おい、あれを見ろよ! ギルガメッシュの胸が……」「血、血が……」「おい、大丈夫なのかよ! 位置的に致命傷だぞ、あれ!」

 

やがてそんな魅惑に導かれるようにして振り向いた冒険者たちは事態に気付き、折々の声を上げ始める。声は大半が混乱を示すものだった。

 

「金ぴか!?」

『ギルガメッシュ!?』

 

騒動が停止していた時間を動かし始めたらしく、やがて異常を把握したギルガメッシュより少し離れた場所でエミヤとシンの決闘を眺めていたランサーやゴウトが駆け付け、そして同時に、ギルガメッシュが致命傷を負っているという事実に驚きの表情を浮かべた。だがギルガメッシュは己の身を案ずる彼らの呼びかけに反応することなく、相変わらず憎悪の視線をメルトリリスに向け続けている。

 

「……敵か」

「――そのようですね」

 

集まったランサー、ライドウ、ゴウトの一同は、ギルガメッシュの向ける視線とその殺意に満ちた態度から誰が彼にこのような傷を負わせた下手人であるかを悟り、各々の獲物を構えた。彼らの反応を見て、ギルガメッシュという彼のそばにいた響も慌てて身構える。

 

彼らのそんな所作に導かれるように、ギルガメッシュの後ろに控える冒険者たちも各々に身構えた。先の決戦に手持ちの武器を投げ込み失ってしまったものもいたが、彼らは予備の武器を取り出していた。

 

「あら、さすがに分が悪そうね」

 

殺意と敵意の集中をその小さな体躯の全身で受けたメルトリリスは、しかし悦楽が深まったかのような表情を浮かべると、踊り子/ダンサーのように身をくねらせ、その長い裾で自らの喜びにゆがんだ口元を隠した。

 

「間抜けめ。今更気付いても遅いぞ、この痴れ者が」

 

ギルガメッシュが静かに述べる。言葉は世界を切り裂くかと思うほどに鋭いものだった。同時にギルガメシュの手に特異な形状の剣――エヌマ・エリシュが出現した。彼の手の内に現れたその剣は、出現したその時点よりすぐに刀身を形作る複数の円柱が耳に痛いくらいの高音域の音色を発し始めている。

 

「殺す。塵一つ残さずこの世から消滅させてくれる――」

 

ギルガメッシュは目の前のこの女を仕留められるのであれば、もはやそれ以外の何も望まないというそんな勢いで、体に残る全ての力を剣に力を注ぎつつあった。

 

「そうね。さすがの私でも、真正面からそんなものを食らえば、ただでは済まないわ」

「後悔しても今更遅い。我は世界に貴様という愚者の存在があるというだけで、もはや我慢ならん。この一撃によって即座に我が眼前より消え失せるがいい!」

 

そしてギルガメッシュは剣を振り上げた。彼の極限までに濃縮された怒り形になったかのような熱と暴風が周囲にばらまかれる。それは彼の背後に身構えて待機する世界に名を遺した腕利きの冒険者たちが、しかし気を抜いた途端吹き飛ばされてしまいそうなくらいの勢いだった。

 

「消え去れ! エヌマ――」

 

そしてギルガメッシュが胸より流れ出る血のことなど一切気にする事なく、全力で剣を振り下ろそうとした、その瞬間――

 

「そうね。その一撃、くらってしまえばただでは済みそうにないから――、くらわないで済むようにしちゃいましょう――」

 

長い裾にて口元を隠していたメルトリリスは妖艶さ残るその口元をあらわにし、そして同時に言う。

 

「弁財天五弦琵琶/サラスヴァティ・メルトアウト――」

 

言葉と共に、突如として足元が大きく揺らいだ。その揺らぎは巨大で、その場にいるメルトリリスを除くすべてのものが大きく姿勢を崩された。

 

「これは!?」

「せ、足元が、溶けて――!?」

「――せっかくだし、教えてあげましょう。これが人造女神である私の宝具、弁財天五弦琵琶/サラスヴァティ・メルトアウト。本来ならば文明や人の精神をとろけさせるだけのこれは、私の受肉化に伴い、物質にも影響を及ぼすようになった」

 

その事態は地面が揺れる振動によって生まれたものではなく、固定化していた赤い液体によって作られていた地面が、元の形状を取り戻したことにより起こった現象だった。桜の策略により複数神霊の複合サーヴァントとして受肉化を果たしたメルトリリスは、自らの体を形作るに使われた存在の力を存分に発揮し、そんな現象を引き起こしたのだ。

 

「いったい、なにが――!?」

 

そんな中、異常な事態を感知したのだろう、決闘を行っていた二人のうちの片割れ、エミヤが、ボロボロの状態のまま、ぐらつく人の群れをかき分けて姿を現した。

 

「あら、主役の登場ね」

 

メルトリリスはエミヤを見やると、微笑んで言う。

 

「私の名前はメルトリリス。アーチャー、いえ、エミヤシロウ。――ああ、本当に、予想していた通りの素敵さだわ! 実際にこの目で見るのがこんなにも胸躍るものだとは、私、思いもよらなかった!」

「な、なんだ、君は!?」

 

エミヤの姿をその目にしたメルトリリスは、まるで少女のようにはしゃいでみせる。その姿に困惑したエミヤが疑念の声を飛ばすと、メルトリリスはその瞳に少しばかり非難の色を携えて、言った。

 

「でも、だめ。いまのそれはいただけないわ。女に物を尋ねるときは、もっとエレガントに、美しく、粋に、相応しい舞台でやってくれなくっちゃ」

「君は、何を――」

「――そうね。一流の役者にはそれに相応しい舞台が必要だわ。だからわたしが、そんな正義の味方の貴方に相応しい夢の舞台に――、この世界をつくり変えてあげる」

 

言葉と同時に、崩壊しつつあった足元は完全に粘度が失せ、その場にいたすべての人間がその呪いの中に飲み込まれる。そして世界からは、赤黒く染まった地面と、茫洋とした砂漠の世界と、天井に残る大きな裂け目以外のすべてのものが消え去ってしまっていた。

 

第十話 終了




追記
お見苦しい所をお見せしました。申し訳ありません。予定といたしまして残り四話+後日談的なものを幾つかで終わる予定です。本物語のシナリオ、プロットに近い状態の部分は、そこまで書ききってから改めて推敲、修正、小説化していくつもりです。ここら辺書き込み足りないよね、というご意見の書き込みありましたら、なるべくご対応していくつもりです。

修正の完了と前後して、この物語を作っているときの余りで幾つか書き上げた、本物語を軸にした水戸黄門的な紋切り型のお話や、この物語とは関係ない小説化してある少年の冒険譚や少女の葛藤話などを気ままにアップしていこうと思っておりますので、お手透きの際の暇潰しにでも使ってください。

それではひとまず、ここまでご一読くださりありがとうございました。
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