Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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第十一話 Fate/EXTRA

第十一話 Fate/EXTRA

 

副題 存在と無、正義と微笑、ジゼルとアルブレヒト、ライラとマジュヌーン、見えるものと見えざるもの、夢の終わり

 

 

女の話をしよう。

どんな女も二つの仮面を持っている。

母としての仮面。

娘としての仮面。

あの子を守らないと。母の仮面は言う。

彼は私だけのものだ。娘の仮面は言う。

聡い女は仮面の使い分けをできるが、たいていの女はそうでない。

ほとんどの女は、母の仮面をかぶっているとき、同時に娘の仮面をもかぶっている。

なんで私の愛情を受け取らないの。母の仮面は言う。

なんでもっと愛してくれないのよ。娘の仮面は言う。

無邪気にそれを言う女は、さぞかし気分がいいだろう。

だが二つの心を向けられる男はたまったものじゃない。

なにせ男は、母と娘を満足させる方法を常に模索しなければならないのだから。

母と娘はカードの表と裏。

母が求める満足は、男が自らに向けてくる愛を上回る愛を男に注ぐこと。

娘が求める満足は、男が自らの愛を上回る愛を自らに注いでくれること。

あちらを立てればこちらが立たぬ。

分水嶺丁度に注いだところで彼女らは満足しない。

女とはまさに蠱毒の呪いそのものだ。

扱い方を損なえば即座に我が身を焼く魔性の化身。

そう、女とはまさに――

 

なんだ。クライマックスの邪魔するんじゃあない。

 

――なに? 『女によって管理された世界があったとしたらどうなると思う』、だって?

 

――お前、そんな、恐ろしいことを聞くものじゃあない。

 

どんなに愛を注いだ所で満足しようとしない。

どんなに愛を注がれても満足しようとしない。

それが女だ。

 

そんな存在に管理された世界というものが健全なものになるわけがないだろう?

 

 

「――桜?」

 

いつも通り地上で悲鳴と怨嗟の収穫を行なっていると胸騒ぎがした。より正確にいうならば、もしも私に体があったのであれば、胸騒ぎと例えただろう予感が思考をよぎっていた。

 

『――やめてくれ……、なんで俺が……』

「ああ、もう、鬱陶しいわね。死になさい」

 

苛立つ思いを聞こえもせぬ言葉に変換してぶつけると、月への帰路を急ぐ。フォトニック純結晶を触媒としてその中に封じ込められている魂は光の速さで動くことを可能とする。故にそれがたとえ月であろうと、私の魂は瞬きした次の瞬間には、月の裏側に到達するのだ。

 

「……ああ、もう! もどかしいわね!」

 

けれど、たった一秒、二秒位ほどのそんな短い距離がこれほどまでにもどかしく感じたのは、この世界の裏側という場所に生まれ落ちてから初めての経験だった。私の魂はこれまでに味わったこともないそわそわと苛立ちを抱えながら、いつものように他人の魂を抱えて、月の裏側の領域へと急ぎ足を運ぶ。

 

『魂を……』

「煩いわね。さっさと連れてきなさい」

 

刹那よりも短い時間だけいつもより早く我が家へと帰宅すると、亡者か何かのように優雅さのかけらもなく強者の魂を求めるシステムに望みのものを預けると、即座に桜の肉体が収納されている隔離領域へ足を――、否、自らの魂をその場所へと急がせた。

 

「――桜?」

 

深淵の闇に一歩を踏み入れたのち、小さく問いかける。声は空間に残響も残さず吸い込まれていく。返事は――、ない。一抹の不安を覚えた。声が消える――とはいってもただ無限に底のない闇が広がるだけのそこはしかし余さず桜の領域であり、つまりは桜の意識そのものだ。つまり私は今、桜の脳内に直接声を送り込んだのに等しい事をした。にもかかわらず、常ならば瞬時に返ってくる弾んだ声が一切聞こえてこないという事実が、嫌な予感というものをさらに大きなものへと変化させてゆく。

 

「はい、なんでしょうか、メルトリリス」

「――」

 

けれど、そんな懸念を晴らすかのようにおっとりとしたいつもの桜の声が聞こえてきて、頭の中に生まれかけていた不安の靄が霧散する。

 

「何よ。いるならいると返事をしなさ――」

 

同時に、そんな払拭された不安の想いによって生まれた空隙を埋めるかのように、桜なんかに対して心配の念を抱いてしまったという苛立ちが湧き上がってきて、闇の中に現れた桜の魂を見る。そして。

 

「?」

「――桜?」

 

気づいてしまった。

 

「ええ。はい、そうですよ?」

 

――ああ

 

「――……どうしたの。最近ずっと塞ぎこんでいたと思ったのに、今日は随分と晴れ晴れとした様をしているじゃない? 何かいい事でもあった?」

「……、いえ、別に、何も」

 

――この桜は、もう私の知る桜じゃない

 

「――そう。ならいいわ。……私はまた出かけるわ。桜。あなたはどうするの?」

「それは勿論――、私もその作業を手伝いますよ」

 

桜はそして寸分に迷う様子もなく平然と言ってのけた。

 

「――っ!」

 

瞬間、疑念は確信に変わってしまっていた。桜は壊れてしまっていたとはいえ、心の奥底に眠る良心を捨てきれない、そんな甘っちょろい性格の人間だった。桜は私のためと言いながら、もう慣れたと言いながら、しかし強者に手を下す際に自分はもう悪党で汚れきった存在なんだと自らに言いきかさなければ、他者を殺すというその行為を行えないような、そんな弱い女だった。――そんな、女『だった』のだ。

 

「……そう。好きにするといいわ」

「はい。そうさせてもらいます」

 

桜は変わらない。桜は依然とまるで変わらない。桜にとって大事な何かを失ってしまったはずの桜は、しかし、いつもと変わらない様子で、いつものようにそういってのける。今や桜にいつものような不安定さと陰りはない。桜は今や、健全に、完全なる正気を保っていた。

 

「楽しいですね、メルトリリス」

 

桜が無邪気に語りかけてくる。桜と同じ顔をした、しかし桜でなくなった女が発するその言葉は、あまりに私を不愉快にした。だから私は――

 

「ええ。そうね――っ!」

 

だからこそ同意の言葉を吐く。朔望の繰り返しは終わり、永遠に続くと思われた蜜月の時は終焉を迎えてしまった。それを自覚した瞬間、初めての感覚を味わった。魂の内部を駆け巡るそれは、私の魂に生まれてしまった欠落を埋める代償を求めて、全身を駆け巡る。

 

だが私の魂が求める欠落の代償は見つかるはずもなく、瞬時ののち、ぽっかりと穴の空いた、居ても立っても居られない、今すぐにこの場から逃げ出して喚き散らしたい衝動に駆られていた。それこそが、今まで知覚欠損に伴う不感症である自分が知ることも無かった、痛みなのだという事を、今や正気となってしまった桜の記憶から思い知る。

 

思いもよらぬ、しかし考えれば当然の場所からやってきた心をも打ち砕きそうな衝撃に、しかしエレガントさを決して失うまいと意地を張って平静をなんとか保つ。その作業はこれまだ味わった事がないほどにうんざりとする辛く気だるいものだった。

 

「――メルトリリス?」

「なんでも、ないわ」

 

桜の声を聞くたびに湧き上がってくるその痛みをこれ以上味わいたくなくて、その呼びかけを切り捨てて背を向けると、早急に地上へ向けて旅立つ準備をする。桜自身である闇の中から抜け出すと、桜からと出会った事により生まれた痛みが、桜と離れて行く事を自覚する程にジクジクと心を侵食する。

 

「そう、なんでもないのよ――」

 

桜は変わった。桜は変わってしまった。桜の魂には欠落が生まれていた。桜は彼女にとって大事な何かを完全に失ったのだ。私にはそれがわかる。私は桜の魂から生み出された別人格なのだから、わからないわけがない。

 

「そう、なんでも――」

 

今の桜はもう悩まない。今の桜はもうかつてのように困った顔を見せない。今や桜はいつだって不気味なくらい口角を上げてにこやかに笑っている。今だってきっと、桜はあの真っ暗闇の中で、不自然なくらいに明るく正気の顔を浮かべて揺蕩っているのだろう。

 

――馬鹿な人

 

私には桜がなぜそうなってしまったのか、見当がついている。私には桜が彼女の精神を管理するシステムからそのような処置を受けてしまったのか、見当がついている。おそらく桜は。

 

――叶わない夢に手を伸ばそうとした挙句に死んでしまうなんて……

 

私が語った『アーチャーと恋がしてみたい』という世迷いごとを、しかし真剣に実現させようと考え、そして何らかの手段を思いついた結果、それが世界の平和を完全に乱すようなものであったために、システムから修正を受けてしまったのだろう。

 

「桜――」

 

桜。己の孤独を解消するため、私という存在を、この、ほかに誰一人として存在しない闇の中へと生みおとした、私にとって生みの母であり、育ての母でもあるような女。桜は弱かった。桜は一人では何一つとして成し遂げられないような女だった。桜は、だからこそ、私/メルトリリスという強い人格をその身の内から生み出したのだ。

 

桜は臆病で、弱虫で、意地っ張りで、孤独を恐怖し、世界に一人であるという状況から逃れるためであるならば、他人のために尽くすことを厭わず、むしろ喜びとするような、そんな弱く、依存的な女だった。だというのに。いや、だからこそだろう、桜は倦怠に倦んでいた私という同居人のために、何かをしてやろうとして、結果として、正気を失って――、否、狂気という個人の我欲を失い、他人の定めた正気という状態へと書き換えられた。

 

「ほんと、馬鹿な女ね、貴女は」

 

言ってしまえば桜は、私のためにこのような状態になってしまったに等しいのだ。私の不用意な一言が、桜という女の嗜虐心と依存欲と母性を刺激し、桜は、所詮は自分から生まれ落ちた欠片にすぎない私を愉しませたいと考え、馬鹿な計画を思いついたに違いない。

 

「メルトリリス?」

「私ならそんなことしないわ。私ならそんな無様な真似はさらさない」

 

独り言が誰に聞かれるわけでもなく月の裏側へと消えてゆく。桜。最後の最後まで、他人の理想のために身を挺して願いの礎となり、魂の死を迎えた女。システムによって再び正気の状態へと書き換えられてしまった今、システムが狂気であると判断したそんな桜の計画を、おそらくは実現していれば自分の真の願いをかなえてくれただろう計画の全容を窺い知ることは難しいだろう。

 

「だって私は、不変の女神。桜の強い部分を抽出して生まれてきた存在」

 

仮に知れる機会が、思いつくことがあったとして、おそらくは世界の平和と引き換えにするかのようなものだったのだろうそんな計画、私が知った時点で、私という存在も書き換えられてしまうに違いない。自分が自分でなくなる。それがいかに残酷な事であるかは、今まさに目の前にいる存在から学習済みだ。私は自分がこのような無様な状態になるというのであれば、それこそかつての桜のように死を願うだろう。そう。あの弱い桜と同じように。

 

「――ほんと、笑えるくらい、最っ高に最低のシナリオだわ」

 

故に私は、桜が考え付いただろうその計画を知ろうとは思わないし、仮に知れたとしても、それを実行しようなどと思うことは、きっとないだろう。私の名前はメルトリリス。世に不変を保つために闇の中より生まれ出でてきた、機械仕掛けの人造女神。不変を保つことこそがこの身の存在意義/レゾンテトール。

 

「そして貴女は本当に、本当に、馬鹿な女だわ」

 

桜は本当に馬鹿な女だ。分不相応な願いを抱えてしまったばかりに、他人のために何かをしようとなど考えたばかりに、こうして何とも無様な自己同一性/アイデンティティを喪失した状態に魂を書き換えられてしまうのだから。――でも。

 

「――でも、ま、そうね。仮にいつかどこかで、そんなチャンスが転がり込んできたとしたら、貴方のその無様さに免じて――、貴方の望み通り、一人の女として幸福の夢を見てあげてもよくてよ」

 

続く暗闇の中で一人魂を走らせていると、湧き上がってくる想いを裡に留めておくことが出来ず、抑えきれなかった痛みが文句となって外へと漏れだしていた。自分には知覚機能などというものがなくて心底なくてよかったと思う。涙などというくだらぬ無様さの証明がこの世に残りなどしないでくれるのだから。

 

「ほんっと、最低よね」

 

そしてメルトリリスは月より失せてゆく。月の裏側にある闇には不気味なほどの静寂さだけがとり残されていた。

 

 

闇ばかりが広がる漠とした見慣れた空間の中、しかし慣れぬ触覚の感触に戸惑いながら、遠く闇の中を彷徨う、大小様々な存在を眺めている。自分より遠く離れた場所、そんな闇の中において漂う存在とは、すなわち人間の服や装備の数々だった。今や世界中の殆どの人間が呪いに飲み込まれたというそんな証と存在達を眺めていると、改めて不思議な気分に陥る。

 

「……まさか本当にそんな時がやって来るとはね」

 

誰に話しかけた訳でもない言葉が呪いの中へと溶けてゆく。YHVHなどという大物の神が召喚されたことにより、世の中の現実と幻想の境界線は薄らいでいた。加えて、あのYHVHや、ギルガメッシュという管理者の望みが、星の外、システムの管理外へと人間どもを連れて行く事だとわかったその時点で、世界のシステムもこの非常事態に対応させるべく、私というこの事態に対応できる能力を保有した存在が、肉体を持ってこの世に顕現する事を許容した。だからこそ自分は、サコという少女の体を用いる事で、地上に転生出来たのだ。

 

「奇跡なんて陳腐な言葉、信じてなどいなかったけれど……」

 

視線を遠くから手元へと引き戻す。すると、遠くに流れていく人間の残骸とは異なり、人の形を服装と共に保った、十数人の人間の姿が目に移る。自らの力によって闇の呪いから守られている彼らの存在を眺めながら思う。あの騒ぎにおいて目的を完璧なものとするために必要なカードを全て手持ちとすることはできなかったが、それでも目的を果たすためには十分すぎるほどの手札は揃っている。

 

少なくとも、最も自分にとってお気に入りの、これから繰り広げられる長い群像劇において主役を務めてもらうおうと思っていた存在が手に入っただけでも、十分な戦果だった。

 

これから起こる出来事を想像しながら彼の浅黒い肌を撫でると、それだけで驚くほどの多幸感が湧き出てきた。知らずのうちに手に汗が滲み、呼吸は浅くなっている。心臓はその時が来るのを待ちきれないと言わんばかりに鼓動を早めていた。

 

現実世界の肉体を得たことにより新たに取得したその感覚にやはり戸惑いを覚えながら、眠る彼の胸に頭を擦り付ける。途端、口角が貞淑を忘れたかのようにあがってゆき、加虐によって得られる喜びとは別種の高揚感が胸の奥底より湧き上がってきた。

 

湧き上がるそんな熱に背を押されるようにして、身を起こし、改めてその男の胸板に跨ると、その男の頭を抱え込みながら、決意する。

 

「さぁ、脚本は出来上がり、舞台の準備は整ったわ。いざ、永劫終わらぬ夢幻劇の幕を開けるとしましょう」

 

言葉を口にすると、瞬時に闇の中にあった自らを含めた全ての人の形を保った存在が、さらに濃い闇へと呑み込まれていく。

 

私たちは深い闇に包まれながら、永きにわたる夢の中に落ちてゆく。

 

どこまでも深く。深く。深く。深く――――――

 

深く。

 

 

題目 エミヤとメルトリリス

 第一幕 正義の味方と集う仲間たちは

 

 

「――――――――――――――」

 

静かだ。自分の心臓の音と呼吸がか細くかすれる音と、内臓の動く音だけじくじくと脳裏に染み入って聞こえてくる。

 

「――――――――――ヤ」

 

そのほかには何も聞こえない。自分を不快にさせるものは何一つとして存在しない、そんな場所に今自分はいる。心地よさだけが全身を支配していた。指先の一つに至るまでが、とろけるような快楽によって支配されている。

 

「――――――――ヤ」

 

吸って、吐く。脳が自然と下す命令に反応して、口腔と鼻腔から冷たく新鮮な空気が肺腑へと送り込また。入れ替わり、熱気と共に不要となった成分が放出されてゆく。ただそれだけの動作をここまで心地よいと思えるのはなぜだろうか。

 

「――――――ミヤ」

 

一呼吸ごとに内臓が、脳が、全身をめぐる血液によって運ばれてくる栄養を悦ぶかのように静かに揺れ動く。一定のリズムで繰り返されるそれらの胎動は、常日頃より文句ひとつとして言わない彼らの合奏であり、賛美曲でもあった。

 

「――――ミヤ」

 

――ああ、もう、なんだ、さっきから。

 

しかし内耳をくすぐるだけの静穏の中に聞こえてくる外部からの音が、快にのみ支配されていた意識へ不快を生む。心地よい静寂を切り裂いて耳孔へと飛び込んでくる音は、体内にて奏でられている穏やかなノクターンの調和を崩す不協和音の元となり、意識は自然に不快を引き起こす不埒な音へと集中した。

 

「おい、エミヤ!」

「――っ!」

 

途端、耳朶を打つその音が、自らが受け継いだ姓名を呼ぶ声だと気付き、意識が脳の奥底より急浮上する。数度ほど瞼をしばたかせると、断続的に飛び込んでくる光が意識の覚醒を手助けしてくれた。

 

「お、ようやく目を覚ましたか」

「――――――――、サガ?」

「おうよ」

 

数度ほど瞬きをして声の主人へと視線を向けると、見覚えのある、中世的で小柄な顔と特徴的な機械籠手が視界に飛び込んできて、反射的にその場より飛び退いた。軽く背が仰け反って、たたらを踏む。

 

「うぉっ! ……っと、ととと」

 

唐突な私の反応は彼女に驚きを呼んでしまったらしく、サガは驚愕の表情を浮かべると、私と同じような反応をして見せた。

 

「なんだよ! びっくりすんじゃねぇか!」

「――こ、こは……?」

 

サガよりの抗議の声をまるきり無視して、あたりを見渡す。視界には、見覚えのある石造りの家々が立ち並ぶ街の光景と、そんな往来を朗らかな顔を浮かべながら行く様々な格好をした人々と、そんな人々を祝福するかのように燦々と暖かな光を放つ太陽と、そんな日の光を喜ぶかのように広がる青色の空と稜線の向こう側ある山の光景が飛び込んできて、なぜかそんな光景が我が目に飛び込んでくるという事実を、なぜか不思議に疑った。

 

「なんだ、まだ寝ぼけてんのか? いつものエトリアの広場の光景じゃねぇか」

 

そんな私の疑念などまるで気付く様子もなく、サガは片手を光景を撫でるように動かすと言い切る。断じる言葉には一切の迷いがなく、それは私の疑念を払拭する何よりの特効薬へと変化した。

 

「……そう、だな。その通りだ」

 

確信を得させられたその言葉に、頭の中で鳴り響く疑問の声が失せてゆく。目の前に広がるその光景はサガの言葉が間違っていないことを証明する何よりの根拠となり、すぐさま私の脳裏より疑念の思いを拭い去っていった。

 

「おいおい、大丈夫か? まさか、こんな時間だってのに、まだ寝ぼけてんのか? ――かんべんしてくれよ。俺たちのこれからの予定を覚えているか?」

 

サガのこちらの無事を問う言葉はいかにも私の不肖を責めている。多少ばかり不躾さ混じる問いかけに誘引されるかのようにして、私は私の脳裏へと浮かんできた記憶を口にする。

 

「――ああ、ええと、確か」

 

――そうだ。確か……

 

「――ギルドで魔物討伐の依頼を受けたんだったな。確か――、そう、新迷宮の三層で新たに見つかった道の先にいる三竜すべてが勢ぞろいしている。不安だから原因を調査し、可能であれば、排除による解決を――、だったか……」

「お! よっしゃ、覚えてんじゃねぇか! ったく、心配させんなよな! この討伐作戦の主戦力であるお前がぼけてたんじゃ、生きて帰ってこれるかすらも怪しくなるからな! ――っと、なんだぁ!?」

 

サガはからからと快活に笑う。すると女性であることを隠すことをやめ、その体に見合った装備をするようになった小さな彼女の豊かな胸が揺れた。そのたわわに実った果実が揺れるさまは道行く幾人かの男性の視線を引き付け、視界と意識を奪われた男性のうちの二人が正面衝突を起こし、サガは驚いた視線を彼らへと向けた。

 

「おいおい、なんだってんだよ、不注意だな。大丈夫か?」

 

サガの言葉が己らに向けられていることを悟ったその二人は、己の正面からぶつかってきた相手とサガを交互に見比べながらばつが悪そうな顔を浮かべると同時に人形のように頷き、直後サガより顔を背かせながら、そそくさとその場から立ち去ってゆく。己らがなぜにそのような事故を起こしてしまったのかを語ることが出来ないが故の反応であるのだろう。急ぎ立ち去る彼らの背中からは、今この時ばかりは男の体が健全である事を恨むぞという、哀愁のような諦念が漂っていた。

 

「なんだぁ、あいつら。人が心配してやってんのに」

 

一方、彼らが何故にそのような反応をしたのかまるで見当もつかないという様子で、サガは左右交互に首をかしげた。応じて再び無防備に開かれているその豊かな胸元が大きく上下左右に揺れ、足を止めて今しがたの騒ぎを見ていた数人の男性の視線がそれに誘引された。長い間男を偽り過ごしてきた割には、この辺の男心というものに鈍いのだな、と、なぜか感心する思いがふと浮かぶ。そしてまた疑問。――さて。

 

「待たせたな」

 

――彼女は一体、いつからこのような格好をしていたのだったか

 

疑念に思った直後、やがて広場の中心にて待つ私と彼女に声をかけてくる存在があった。――ダリだ。背高の巨体にそんな巨体をも覆い隠す盾を背負った彼は、一枚の書類を懐へとしまい込むと、サガの方へ近づいた。

 

「――お、戻ってきた」

 

その後ろには、黒髪に見覚えのある赤い服を纏う凛、赤い槍を携えたシャツとパンツルックのランサー、横柄に腕を組むジャケット姿のギルガメッシュ、いつもの清楚さを置き去りにした白い太ももを見せつける改造施された和服を着用する玉藻などの姿も続いていた。

 

「まったく、この程度の雑事で我を呼びつけるとは、クーマとやらもいい度胸をしている」

「まぁまぁ、いいじゃない。どうせ暇してたんでしょ? それに最強と名高い三竜が勢揃いの異常事態とあっちゃ、最強の存在であるあんたの力も借りないときついだろうって判断したのよ、きっと」

「ふん……、まぁ、よかろう。今だけはその口車に乗せられてやる」

「は、まったく、口のへらねぇやつ」

「俺様気質に見合うだけの実力がありますから、非常に癪ですし困ったことですが頼りになるんですよねぇ」

 

ダリの後ろに続いてやってきた彼らは何とも自然な様子で依頼に対しての感想を語り、いつも通りにエトリアの風景へと溶け込んでいる。

 

――ん? …………、いつも通りに?

 

「あら、アーチャー。どうやら向こうも準備が済んだみたいよ」

「む」

 

ふいに浮かんできた疑念は、しかしやはりすぐさま他人の――、凛の呼びかけにかき消される。すらりと一本だけ伸びた白く細い人差し指の行方を追えば、見覚えのある三人の姿が目に移り、視線の移動距離が縮まってゆく。

 

「どうやら待たせてしまったようだな」

 

やがて互いの距離が言葉かわすに不自由しなくなった頃、シンは同時に謝意を口にした。迷いなく告げられた言葉にはまっすぐの誠意がこめられており、感化されるかのように、それぞれの我が強すぎてまとまりのなかった空気がさわやかな雰囲気のものへと染め上げられてゆく。

 

「おう、気にすんな。それで、どうだった、具合は?」

「うむ。――見ればわかるとも」

 

シンと同じく快活でさっぱりとした空気を纏ったランサーの言葉に、シンは手にしていた剣を前に差し出すと、その刀身をゆるゆると鞘から抜き放つ。

 

「――おぉ……」

「……ふん」

 

その薄緑色に輝く長い剣を目にしたその瞬間、ランサーの口から感心の溜息が漏れていた。睥睨するようにして興味な下げに見下した視線を送るギルガメッシュの目線にはしかして、関心の色が見え隠れしていた。

 

「あら、見事なものですね。千年ものの古刀には及ばないでしょうが、弱い魔物であれば一撃で払うくらいの威力が秘められているように見受けられます」

「――売ったらいくらくらいになるのかしら……」

 

目を奪われて言葉を失ったランサーと、素直でない態度を見せるギルガメッシュの代わりに、玉藻がその刀の感想を語り、凛があまりにも素直な本音を漏らしていた。

 

「売る気はない。――が、そうだな。少なくとも、凛。君の手持ちの宝石をすべて売り払ったより高い値で購入しただろうことは保証しよう」

「まじで!?」

 

シンが発した言葉に、凛は何ともはしたなく品のない声を上げるとともに、彼の顔を覗き込む。凛の目は品のない下卑た色に染まりあがっており、その様を見たその場にいる人間は、彼女のそんな態度に苦笑や失笑を漏らしていた。

 

「嬢ちゃんってさ……、ほんっと惜しいよな。内面さえもうちょっとまともなら――」

「う、うるさいわね! いいでしょ、別に!」

「そうとも。よいではないか。豊かさの象徴たる金を求めるは人間として正常の証。むしろそれを隠そうとはしない素直な態度には感心を覚えるくらいだ」

「う……」

「うーん、本心からの何気ない言葉がこういう場合、最も鋭い雷が如き刃になるんですよねぇ。くわばらくわばら」

「くっ……くっ、くく――」

 

コントのようなやり取りに触発されたのか、自然と笑みがこぼれていた。頭の中に渦巻いていた疑念が繰り広げられる穏やかな日常の前に消え失せてゆく。

 

「――む?」

 

不規則に漏れる息の音が周囲の関心を引いたのか、視線が一気に我が身へと集中した。一瞬にして静寂が訪れる。その場にいるだれもが、漂っていた空気を壊した下手人の次の言葉を待っているようだった。

 

「あー、その、なんだ」

 

不意の事態に多少面食らうも、自らの身へと集中した視線が、非難のそれというよりは、場面を転換する言葉を求めているそれであることに気が付くと、咳払いを一つして自らの気を引き締めるとともに、自然と周囲の彼らが望む通りの言葉を発していた。

 

「さて。では竜退治に向かうとしようか」

 

返事は迷いない首肯にて一斉に戻ってきた。

 

 

第三幕 猛獣襲いかかる森を抜け

 

 

「わりぃ! 数匹抜けられた!」

「ええい、間抜けな駄犬め!」

「んだとこらぁ!」

 

血をぶちまけたかのように赤い森林の中、地面を叩く無数の軽音をかき消すかのように、謝罪交じりの忠告と怒鳴る罵声とが交互に響き渡る。

 

『――!』

 

そんな彼らのやり取りを無様と嗤うかのように、その横に伸びた唇を凶暴にゆがめた緋色の文様纏う黒い体毛を持った大型の犬の群れが、男二人の守りを突き破り、彼らの後ろへと突進する。赤さが支配するその森の中を、そんな赤さよりもさらに色の濃い赤黒さを纏った存在が無数に駆け抜けてゆくそのさまは何とも幻想的で、敵の姿はさながら噴火したばかりの火山より無数に飛来する巨大な火山弾のようでもあった。

 

「ちょ、ちょと! 獣のくせに前衛の男ども無視して後衛のか弱い女子を狙うとかなんて生意気で破廉恥な犬畜生なんでしょ!」

「ああ、もう、言ってる間があったら防壁を張る! んでもって……、アーチャー! 後は頼んだ!」

 

凛は自らの身へと高速に迫りくる敵の姿に少しばかりの動揺を見せた玉藻に指示を飛ばしつつ叱りつけると、スカートのポケットから片手を抜いて身構えつつ、更に樹木の上に待機して戦場全体を俯瞰しつつランサーとギルガメッシュへの援護を行っていた私へと期待の声を飛ばしてくる。

 

「任された」

 

助けを求めるそんな声に応じ、引き絞っていた弓に番えていた矢じりの先端を、ランサーとギルガメッシュの前方で見事に屯して構える獣たちから女性二人に対しての敵意をあらわにする突撃する獣の群れへと向けなおすと、瞬時にその数の分だけ矢を追加投影し、狙いを定めて連続して矢を放つ。

 

『――グ、グゥル、グガァ!』

 

そして放たれた剣の矢は突撃する彼らの閉じた口の上部へと突き刺さり、赤黒い犬どもをその場へと縫い付ける。同時に数匹の獣の体から、鈍く耳障りな引き千切る音が聞こえてきた。それは、自らの突進の横の勢いと突如として斜めに撃ち込まれた杭の横方向の衝撃とを相殺しきれなかった幾匹かの大型犬の肉体が、相反する方向へ進もうする二つの力の勢いによって引き裂かれる音だった。

 

「ナイス援護! 喰らいなさい! ガンド!」

「ナイス! ナイスですよ、アーチャー! 炎天!」

 

顎の中央より頭部から胸部にかけてまでが断裂してゆく恐怖を味いながら血飛沫と脳漿をぶちまける事となってしまった数匹の獣に比べれば、飛来した剣と己の突進の勢いを相殺する事に成功し、その後、呪いの塊や呪術の雷によって五体満足のうちに死ぬことのできた獣どもは、まだ幸せだったといえるかもしれない。

 

「これで――」

「お、おい! あれを見ろ!」

 

敵の死に際に多少の情けを覚えながら、再び視線をランサーたちの方へと向けなおすと、向けた視線の先から上がる声に意識を奪われた。ランサーたちへと向けた視線は、続けて焦燥の様子見せるランサーの目線の先の方向へと誘導され、さらに彼の前方へと移動する。

 

「ちぃ。雑魚の分際でわらわらと数だけは立派に揃えて群れおってからに!」

 

そうして向けた視線の先、少し離れた場所から迫りつつ獣の大群を認めて、ギルガメッシュは心底鬱陶しそうに吐き捨てた。

 

「――ランサー! 凛と玉藻を連れてこの場を離脱しろ!」

 

迫りくる軍勢の数はあまりに多く、生い茂る樹木の中、樹木も地面も赤に染まったその森の光景をさらに濃い色で染めきれてしまうほどの数が、視界の先を埋め尽くしていた。赤く染まった樹木の隙間部分全てを塗りつぶすかのようにして迫りくるその大群を視認したその時、私は反射的にそんな言葉を放っていた。

 

「おい、アーチャー! どうする気だ!」

「あの数だ! 万が一乱戦にでもなった場合、彼女たちがいる分、こちらが不利だ! 私とギルガメッシュとが殿を務め、撤退しつつ敵を攻撃して数を減らす! 可能であれば殲滅も試みる!」

 

視界を塗りつぶすほどの数の獣の群れだ。奴らが合流し乱戦になれば、数の少ないこちらが不利になるのは必至。敵が一方面から押し寄せるばかりで、こちらには守るべき対象がいないという条件であれば、無論それも可能である自信はある。だが、こちらには凛と玉藻という、私やランサー、ギルガメッシュと比べれば接近戦が得意でない存在がいる。守るべき対象がいる状態で、全周囲が敵という乱戦状態になってしまった際、ざっと百を超える千に達しそうな数の獣を相手にしながら彼女たちを守りきるという芸当をやりきる自信は、さすがに私でも、ない。

 

だからこそすなわち、こうして百を超える数の獣が遠くにいる状態で一方向の状態で固まっているうちに、懸念となる二人を遠ざけ、また同時に、可能な限り敵の数を減らすことが、戦力の低下を防ぐ最適案だ。

 

「――了解だ! 任せたぜ、アーチャー! 金ぴか! いくぞ、嬢ちゃん! 玉藻!」

 

樹木の太い枝の上より地面へと降り立ち、思案から導き出した考えを短く簡単に告げると、ランサーはこちらの意図を把握したらしく、極めて凶暴に笑ってみせると了承の返事を発し、凛と玉藻のいる場所まで一足飛びに後退すると、手にしていた朱槍を一旦霧散させ、戸惑う彼女たちをその両肩に米俵でも乗せるかのように有無を言わさず担ぎ上げた。

 

「ちょ、ちょっと、アンタら――」

 

突如として戦闘方針を決められた凛は抗議の声をあげ、ポケットから引き抜いた両手を振りまわし、態度で不満を示した。魔術師としての冷静な一面が浮かんでいた顔は崩れ、代わりに驚きと戸惑いの感情が混じった表情が浮かんでいる。

 

「――お二人に簡単な強化の呪術だけかけていきます。距離が開いても、数十秒は持つでしょう」

 

一方、同じく手荒に扱われ、ランサーの方に担がれた玉藻は、先ほどまでのおちゃらけた様子が嘘であったかのように冷静な表情を浮かべてみせると、両手にしていた符を私とギルガメッシュに投擲した。玉藻の投げた呪力込められた紙が私の体に触れた途端、まばゆく輝く。同時に秘められていた強化の呪術の力が発揮され、私は自らの体にいつも以上の力があふれてくることを自覚した。

 

「――ふん」

 

同時に、私たちの前方、迫りくる獣たちから視線を外さず私たちに背を向けているギルガメッシュは、玉藻より投擲された強化の符をその背で無関心に受けとめると、一言吐き捨てた。後ろ姿からは彼が何を考えているかはわからないが、ランサーの行為を大人しく見送り、玉藻の援護を素直に受け取ったあたり、少なくとも私の提案に反対する気がないのは確かなようだった。

 

「嬢ちゃんたちを置いたらすぐ戻る。まってな」

 

玉藻の援護が完了したのを見届けると、ランサーはぽつりと述べ、二人を担いだまま私の横を駆けだした。

 

「――ああ、もう、わかったわよ! アンタら! 無事でなかったら承知しないからね!」

「ご武運を」

 

凛は激励の言葉を残し、玉藻は言葉の代わりに補助の呪術を残していった。言葉は心を、呪術は体を奮い立たせ、黒塗りの洋弓を握る両手に力が入る。

 

「感謝する。――さて、ギルガメッシュ。君がメイン。私がサブ。君がオフェンスで、私がバックスだ。君の保有する溢れんばかりの財宝で、可能な限りの敵を打ち砕いてほしい。君が撃ち漏らした存在は、私がすべて迎撃しよう。――準備はいいかね?」

「は、口のきき方には気を付けてもらおうか、雑種。そもそもあのような有象無象の雑兵、ここが世界樹の迷宮という、迷宮内部の環境の破壊が推奨されない場所でなければ、一気呵成、一網打尽に

このような余計な手間をかけずに殲滅できるのだ」

「もちろん知っているとも。君が頼りになる男だという事は、かつて聖杯戦争時、君と敵対し、君に殺されかけたこの私がこの場にいるだれよりも、この世界のだれよりも存じあげているとも」

「――ちっ」

 

不遜な宣言に同意を返し、続けざまに意思の根拠を証明してみせるとギルガメッシュは一気に眉をひそめて不機嫌そうにそっぽを向く。口は重く閉ざされており、もはや何を言っても返事は帰ってきそうにない。

 

「さて、ではいこうか英雄王。武器の貯蔵は十分か」

 

そのふてくされた態度をしかしながら同意とみなして戦端を開くための言葉を告げると、ギルガメッシュは柳眉に浮かぶ皺をさらに深くさせ、さらにその数を増やしながら、腕を組んだまま憎々しげに閉ざしていた口を開いた。

 

「――その不快な言葉を二度と口にしないと誓うのであれば、この場だけは貴様の素直さに免じて協力してやろう」

 

不機嫌さをあらわにしたギルガメッシュが手を振り上げる。すると何もない空中へ煌びやかな装飾施された武器が多数出現し、そのすべての切っ先が獣の群れへと向けられた。獣は何もない空間へと突如出現した剣群をみて一瞬ためらった様子を見せたが、足を止めることなく大地を駆け、速度を落とすことなく大地を揺らしながら地鳴りと共にこちらへと突撃してくる。

 

「――愚物が。畜生の分際で、彼我の戦力差も本能的に直感できぬか」

 

獣が自らと自らの宝具を侮っているという事実が、ギルガメッシュのただでさえ短い堪忍袋の緒を断ち切ってしまったらしく、ギルガメッシュは空中に浮かぶ武器の数をさらに増やすと、腕を振り上げた。

 

「ならばその愚かさの代償をその身に刻みながら、死んでゆくがいい!」

 

振り下ろすとともに、剣は空中に尾を引きながら、敵の群に正面より突入した。獣の群れのうち、最も果敢に前方を駆け抜けていた数十匹の犬の体へ宝具という異物はやすやすと侵入し、肉が裂け、血飛沫が舞い、脳漿が飛び散る。空中に赤と白の華が咲き乱れ、役目を終えた獣の残骸が大地を濡らしてゆく。

 

『――オォォォォォォォォ!』

 

凄惨を具現化したかのような死にざまを間近に目撃した後列の獣の群れは、しかし尖兵として犠牲になった仲間の血肉と死をまるで糧とするかのように、速度を増し、突撃の勢いを強めた。それに伴い、空中より降り注ぐ獣たちの死骸の欠片が、獣たちが踏みしめたことにより地面で飛び散る血肉が、雄々しく駆ける犬の黒々した肉体を生々しく染め上げる。

 

『――オッ! オ、ガ、グ、グル、グルゥォォォォォォォォ!』

 

と同時に、己の仲間たちの体液により血化粧を施された獣たちは、まるで仲間の無念を受け継ぎ感じ取ったかのように猛々しく咆哮すると、瞳を血走った赤色へと染め上げ、黒い体に刻まれた赤い文様を光らせながら、突撃の勢いをさらに凶暴なものとした。どうやらこの獣は、仲間の血を浴びるほどに発狂し凶暴化する性質の魔物であるらしい。

 

「さて、仲間思いなのか、狂戦士資質なのかはわからんが――」

 

ともあれ私のやることは変わらない。

 

「――私たちの本命は君たちでなく、奥に潜む三竜だ」

 

投影した剣を矢として番えて次々と射出すると、空中には再び無数の血肉が散華する。同時、目を爛々と輝かした魔物が血華の緞帳を破って次々と出現し、勢いを増しながらまっすぐやってくる。

 

「だから、悪いが、端役には早々にご退場狙おうか!」

 

そして戦いの第一楽章の舞台は幕を開けた。

 

 

第八幕 勇者達は潜む魔物と遭遇し

 

 

絶え間なく無数に湧き出てくる魔物を片っ端から殲滅し、新たに新迷宮の一層より発見された隠し通路を通りぬけた先、赤い大地と樹木林、密林を通り抜けた先にある、大地の中をきれいに十キロ四方ほどもくりぬいてつくりあげられた密閉空間にその存在は鎮座していた。

 

「――あれが……」

「――三竜」

 

はたしてその魂を失ってしまったかのような気抜けた言葉を発したのは誰だったのか。疑問にはっきりと『自分ではない』、と、断言できない程度には、前後不覚の境地に陥っている自覚がある。これまでの迷宮の番人部屋が小部屋に思えてしまうほどの巨大な部屋の中央に三匹の竜が坐している光景は、百戦錬磨であるはずの自身たちの視線を釘づけにするほどに神々しいものだった。

 

「――あれが三竜のうちの一つ『偉大なる赤き竜』……」

 

部屋の中央にその巨体を堂々と横たえているのは、西洋のイメージにあるいわゆる火吹きトカゲに似た、『偉大なる赤き竜』と伝説に呼ばれる龍/ドラゴンだ。火炎を鍛え上げたかのような赤を主張するそのどっしりとした体躯。体躯のあちらこちらには世界に対する憎悪を露わにするかのよう骨が突出しており、特に、頭部では内に秘められし歪んだ殺意を示すかのようにねじまがった黒い角が左右より一対生えそろっている。視線をおろしてやれば、敵の全てを打ち砕かんと主張する巨大な口腔からは灼熱を予感させる炎が、閉じた口の巨大な牙の隙間から漏れだしていた。悪魔を思わせる巨大な蝙蝠のような翼と言い、悪意を具現化させたのか先端が破砕槌のように発達している巨大な尻尾といい、王冠を戴くかのように生えそろった頭部の棘といい、なるほど中央に坐するその赤い竜は、『見たものに絶対の死を与える、紅き者、偉大なる赤き竜』の語りに恥じない姿をしていた。

 

「で、こっちの黄色いのが『雷鳴と共に現れる者』で……」

 

正気を取り戻した凛の言葉につられて赤竜より向かって右側に視線を送ると、そこにいたのは東洋的な龍のイメージを具現化したかのような姿を持つ、先の赤い竜の傍若無人な偉大さに劣らない、荘厳かつ神秘的な雰囲気を携えた、三竜の中の一、『雷鳴と共に現れる者』だ。

 

その龍は、その長い縄にも似た蛇状の体をくねらせながら空中を舞うかのように浮いていた。龍頭からはひょろりと長い赤い髭と長く束になって伸びる黒い顎髭がまるで王者の証であるかのように伸びており、その威厳を生むのに一役を買っている。霹靂を具現化したかのようなその黄色い鱗は長い体躯のはるか先の尾っぽまでを隙間なく覆いつくすその様は、まるで我こそ雷の化身であるぞと周囲に知らしめるかのような物言わぬ主張をしていた。

 

「あっちの青い三つ首が、『氷嵐の支配者』、ってやつか――」

 

続け様に聞こえてきたランサーの言葉につられてそちらを見てやれば、今度は全身を冬の寒空を思わせるほどの青を纏う異形の姿に意識を奪われる。三つ首のその竜は、先ほどの『偉大なる赤き竜』や『雷鳴と共に現れる者』が、古い伝承を形にしたかのような巣が手をしているとすれば、こちらはコズミックな、あるいは、人為的につくりあげられた生物/クリーチャーであるかのような外見をしている。

 

そう。『氷嵐の支配者』は、『三竜』という名を冠している存在の一画であるにも関わらず、魔物や竜というよりかは、人の近い造形をしている。鍛え上げられた鋼の肉体を凍土の永久氷壁から切り出したかのような青の鱗鎧で覆い、太ももの部分に日本甲冑にあるような黒金を持つそいつは、しかして『氷嵐の支配者』は、『竜』の名を冠するにもっとも相応しいのは自分であると誇るかのように、背には反逆を示すかのような蒼白の翼を携え、人の造形に似た胴体から天に向かって嘶くように長い三つ首を伸ばしているのだ。

 

『――』

『――』

『――』

 

やがてまるで置物であるかのように思うがままの方を眺めていた三匹の竜は、やがてようやく自らたちへと近づく存在に気が付いたといわんばかりの鷹揚さと尊大さを兼ね備えた態度で、悠然とこちらを向いた。はるか地の獄、灼熱の支配する世界より天に広がる大地を恨むかのような殺意を閉じ込めた赤き瞳が、世界の果て、物体を構成する分子のそのたった一つすらも活動を停止させるかのような冷たい瞳が、天上、はるか雲の上より地上に住むすべての生物を矮小と睥睨するかのような霹靂色の瞳が、その場に集った住人のいる地点にて交差する。

 

「――おぉ……」

 

伝説の一幕が顕現されたかのような圧倒的な光景を目前にして、シンが感嘆の声を漏らした。震える声には心底望んできたものをようやく目の前に出来たという思いがたっぷりと含まれているようだった。きっといつかは、と、望み、焦がれ、出会いたいと切に願い続け来たそんな存在が、三匹も同時に現れたのだ。彼のそんな思いや、想像を理解するにたやすく、しかし共感に至るには難しいものがあるといえるだろう。

 

「――」

「――」

「――」

 

一報、目を少年のようにきらきらと輝かせるシンの様子とは裏腹に、サガとダリと響は口をぽかんと開けたままの状態で固まっている。魂消た、魂を引っ込ぬかれた、という表現が彼らの様子を適切に表すにはおそらく最も適当だろう。彼らは突如として「目の前に現れた荘厳な幻想的光景を前にして、その魂の芯に至るまでを驚愕にて染め上げられ、それ以外の反応を封じられてしまったのだ。

 

「おぉ……、おぉ……!」

 

一方、同じくその魂の一欠に至るまでを驚愕と、加えて感動にて染め上げられたらしいピエールは、叶う事なら今すぐにでも手持ちの竪琴/キタラをかき鳴らして思いのたけを世界に解き放ちたいという、そんな思いを露わにするかのように、その細指を竪琴の糸に預けては、強く押し付け、しかし思いとどまり、指先に赤く薄い躊躇い線を残すさまから見て取れるだろう。そうとも、彼は必死に耐えていた。おそらくは、自らのそんな挙措が三竜を刺激し、唐突に戦闘が始まることを懸念しての事なのだろう。吟遊詩人としての本能はこの感動を一刻も早く歌い上げたいと叫んでいる。しかし優秀な冒険者としての一面が、そんな愚行はやめておけと責めている。おそらくピエールは今、そんな葛藤の渦中にあるのだ。

 

「は! 仰々しい名を冠していようが所詮は魔物! いずれは我ら英雄の足元にひれ伏す運命の畜生に過ぎない分際で、なんという無礼な視線を向けるものだな!」

 

だが、そんなピエールの必死の頑張りを無碍にして、三竜たちを刺激しかねない挑発的な大声を発したのは、もちろんというべきか、ギルガメッシュという存在だった。

 

「貴様ら愚図どもがこのような場所に集合したせいで、この我がこのような陰気くさい場所に足を運ばざるをえなくなったのだ! 恥を知れ、恥を!」

 

ギルガメッシュの顔にいつものような余裕綽々の表情はなく、むしろひどく苛立った様子で三竜へと攻撃的な言葉を投げつける。三竜はそんなギルガメッシュの言葉の内容を理解したのか、あるいは、ギルガメッシュのその態度から彼の放った言葉が自らたちに対しての侮蔑であり、挑発であると判断したのか、それぞれのギルガメッシュを睨め付けると、ゆっくりとその巨体をこちらへと近づけた。

 

「ちょ、ちょっと、ギルガメッシュ! あんた、何を余計なことを」

「は、真実を突かれて怒りを覚えたか! だがな! この世界において我に知りえぬことなどない! ええ、おい、三竜とやらよ! 貴様らなど、所詮は『三竜』などと言って恐れ戦かれるに相応しい存在ではなく、『三流』の呼び名にこそ相応しい三流の存在よ! 貴様たちのような、一流の冒険者や英雄どもの暇つぶしの道具であり養分でしかない存在が、このたび我という至高の存在をこのような場所に招きよせたこと自体がそもそもに罪深く、我には許しがたいわ!」

「あらいやだ! この御方、まるで人の話を聞いてやしませんわ!」

 

凛の制止の言葉を無視してギルガメッシュは吼え、玉藻が再度からかうように言う。

 

『――オォォォ!』

『――オォォォ!』

『――オォォォ!』

 

そんな挑発に乗せられたかのように、ギルガメッシュに格下と見下された事を怒るかのように、三匹の竜は同時に咆哮した。三匹の巨体、竜種より発せられる咆哮はギルガメッシュの言葉は真実でないといわんばかりに十キロメートル四方にも広がる空間へ拡散し、至近距離で耳にしたのならば音圧が三半規管を狂わせるだろう威力を持った赤竜のとどろく咆哮が、耳にした途端脳の機能が一斉停止し眠りに落とされてしまいそうな劈く叫びが、甲高いその音を耳にした途端に死の恐怖を引き起こされてしまいそうな威力を秘めた雷竜の呪われし咆哮が、不協和音の共鳴となりて閉鎖空間であるこの場の全てを揺るがした。

 

「――っ! まずい、来るぞ!」

「どうする、エミヤ!?」

 

遠くから聞こえてきた三種混合の不協和音の音色を前にして再起動を果たしたダリとサガが問うてくる。竜達は宣戦布告がわりの咆哮を終えたその瞬間に突撃してくるだろう。言葉を受けて一瞬思考を巡らせた私は、覚悟を決めてシンへと視線を送る。

 

「――シン」

「なんだろうか」

「――君はどれと戦いたい?」

「――」

 

問いかけるとすでに戦闘者として顔を浮かべていたシンは、整っていた顔立ちを一瞬崩してぽかんと魔の抜けた表情を浮かべると、しかしすぐににやりとした犬歯すら露わになりそうな凶暴な笑みを浮かべて口を開く。

 

「無論――、全てとだ!」

「――くっ」

「――はっ! はっはっ、あーはっはっはっはっはっ!」

 

予想していた解答が寸分たがいなく返ってきたことに苦笑すると、迷いない応答にランサーが大きく笑う。

 

「だよなぁ! 待ち焦がれていたこの機会! 出来る事なら獲物全てをこの手で倒し栄誉を欲しいままにしたいと思うのは当然のことだよなぁ! いや、いい返事だ!」

 

シンと同じく輪生体制にあったランサーは、しかし今やその狂える猛犬のようだった真剣なまなざしを大きく崩して、手にした赤槍『ゲイボルグ』を手にしたまま大笑いする。

 

「……はぁぁぁぁぁぁ」

「……ふぅぅぅぅぅぅ」

 

そんなランサーの態度とは裏腹に、サガとダリが顔を見合わせて重くため息をつく。ため息にはこれまでに彼らがしてきた苦労の全てが含まれているようだった。

 

「ねぇ、響。私が言えた義理じゃないけど、貴方、付き合う相手、もうちょっと考えた方がいいわよ」

「そうですよ、ご主人様! あれは家庭の事を顧みない、ダメ男の匂いがプンプンします!」

「あは、あははははは……」

 

凛と玉藻は経験談からくる忠告を送り、響はなんとか言い返そうとするもおそらく反論の言葉が思いつかなかったのだろう、苦笑するにとどまっていた。

 

「それでこそシン! いやぁ、いい歌が思いつきそうだ!」

「ふん、まっことに己が欲を偽らぬ強欲な愚者よ。――だが、それがいい。人間とはそうでなくてはならぬ」

 

ピエールは輝く視線をシンへと送り、ギルガメッシュは愛すべき愚者を見るそんな慈愛と嘲笑に満ちた視線をシンへと向けていた。

 

「で、どうするのだ、エミヤ」

 

そして様々な視線を受けていたシンは、こちらへと言葉を返してくる。シンの言葉に付随して、周囲の視線全てが私へと集中した。視線は様々な種類の感情が含まれているものだったけれど、一様に共通して、期待の感情というものが含まれている。そんな期待が私を昂らせ、いくつか思い浮かべた戦闘案の中から、最も困難で、しかし最もシンを満足させるだろうそんな案を選択させていた。

 

「――シン、ギルガメッシュ、ランサー、がオフェンス。凛、玉藻、サガ、響、ピエールはバックス。私とダリはオールラウンダーとして防御を主体に陣形を組む。直接の守りに長けたダリが主に前衛の守りを中心に引き受け、矢による迎撃や面での守護を得意とする私が後衛の守りを中心に行う。――戦力を分散しての個別撃破ではなく、三体同時に相手をしての撃破を狙う。――いいな!」

 

「ああ!」「ふん!」「おう!」「了解よ」「承知しました」「あいよ、了解!」「はい!」「もちろんです!」「任せておけ!」

 

個々の返事が三々五々に返ってくる。まとまりのないそんな様子に改めて苦笑を送りながら、しかし考えうる限り最高のメンツの承諾を喜び、改めて意識を三竜へと向ける。

 

『オォォォォォォォォぉ!』

『ガァァァァァ!』

『キシャァァァァァァ!』

 

三竜は三者三様に嘶き、咆哮し、巨体を震わせながら突進してくる。

 

「――いくぞ!」

 

常ならば幾重にも策を巡らせるはずの敵迫りくるその瞬間に、わずかながらも胸に躍る気持ちが湧き出てきたことを喜びつつ、たしなめつつ、仲間たちへと呼びかける。瞬間、彼らは己が最も最強と信じる武装をそれぞれに構え、私と共に目の前に迫りくる脅威へ向かっていった。

 

 

第十一幕 闇龍討伐戦

 

 

三竜。たとえそのうちの一匹であろうと、その存在を打ち倒したものは世界最高の栄誉を手に入れるだろうと言われるそんな存在のうち、三匹が三匹共、縦横高さ正確に十キロ四方も距離に開けた空間のその中心付近に物言わぬ骸の状態で地に伏して倒れている。

 

たった一匹であっても全長全高共に十キロの部屋をその十分の一以下のサイズであるかの様に誤認させるサイズの大きさをした三匹の巨体の体躯のありとあらゆる場所には、斬撃の痕と、貫通の痕と、抉れた痕が残っており、傷痕から覗けるその内部からは、死んでしまった主人の再生を祈るかのように、いまだに血肉が蠢き、湯気立っていた。

 

死骸の転がっている付近の地面は融解して煮え立ち、融解した地面には余熱を冷やすかのように全高一キロはありそうな氷柱が乱立し、柱の周囲にはオゾン化した空気が未だに漂っている。

 

死骸とそんな未だ戦火の痕が乱立するそんな大地の上にはまた、空間の果て、ともすれば地の果てにまで続いていそうなほどの巨大な一本線が、部屋の中央から真っ直ぐに敷かれており――

 

「認めぬ!」

 

その一本線の終端、部屋の中央には、天に向けて己の怒りを発露させる巨大な存在があった。その存在は、三竜と呼ばれた彼らよりもさらに一回り以上巨大な体躯をしていた。なりは四足の獣の胴体に人間の体を植え込み、その首を蛇種のものとすげ替えたような姿をしている。堕落した天使のごとく闇色をした体の背へ先端を剣のように尖らせた八本の刺々しい鉤爪翼さえ背負っていなければ、ケンタウルスと呼ばれる半人半獣の存在をイメージするのが最も適当だと言えるだろう。

 

「我は絶対の存在! 我は至高にして究極、全てを凌駕する破壊の王であるぞ!」

 

世界の全てを怨む龍。三竜によって封印されていた、クラリオンという存在の一欠片が肥大化して生まれ落ちた存在。まるで固有結界のように世界を闇に書き換えていたその存在は、無敵であり不滅であり、世界のシステムですら封じ込めるだけしかできなかったはずの自らという存在が、しかし今まさにこの場にいるたった十人の手によって敗北を刻まれようとしているというそんな事態を受け入れられなかったのだろう、この世の全てを否定するかのごとくに咆哮した。

 

「冥闇の呪縛!」

 

冥闇に堕した龍の暗渠より生みだされたその雄叫びは物理的威力を発揮し、闇龍自らの周囲にある大地を寸分違わず粒子に砕いてゆく。闇に触れた全てのものは、その動きを停止させられる。闇竜の怨念は、世界の全てを拘束し尽くす魔性の縛鎖だった。

 

「『おお、我が麗しき歴戦の同志たちよ! 汝らの内に潜みし勇気と勇猛は、その身にふりかかる恐怖を打ち払う剣となり、すべての縛りを切り裂くだろう!』」

「フルガード!」

 

まともに聞いたのならば全身を恐怖に拘束されてしまいかねないほどの強大な呪縛の威力を秘めたその咆哮の威力の全てを、闇龍が全力で放っただろう周囲の大地を粉々に粉砕した一撃と、その余波によって発生した地下迷宮そのものを揺るがすほどの威力を秘めた衝撃波を、ピエールの歌によって詩神アポロンの祝福を受けたダリが、バルドルの力をフルに発揮して一身に受け止める。完全に防ぎきる今やこの異邦人というパーティの守りは盤石不変のものへ進化していた。

 

「オノレ! オノレ、オノレ、オノレ、オノレ、オノレ、オノレ、オノレ、オノレェ!」

 

闇龍は己が怒りをのせた攻撃が、たった二人の神の力を発揮する二人のコンビネーションによって完全に受け流されたという事実に完全に怒り狂っていた。

 

「は、無様よな! 王を名乗る不敬な闇龍とやら! 所詮貴様も我ら英雄に狩られる魔物の一つにすぎないのだ!」

 

闇龍の渾身の力を込めたのだろうその攻撃がたった二人のコンビネーションにより完全に防がれ、さらには癇癪を起こした子供のように喚くその様を見て、ギルガメッシュが嘲笑を送る。

 

「貴様ぁ!」

 

挑発に闇龍はさらに激昂しながらその憤怒と憎悪に染まった顔をギルガメッシュの方へと向けた。同時に、闇龍のその背中にある八本の鍵爪翼が怪しく蠢き――

 

「何!?」

 

闇龍はその八本を自らの肉体より千切り飛ばすと、浮遊させ、続けて、それらの切っ先をギルガメッシュへ向けると射出した。超高速で動く八本のその一本一本の、刺々しい装飾の生えた表面は超高速にて回転しており、まるで電動ノコギリの様な様相のものとなって、こちらへと迫り来る。――それを。

 

「大雷撃の術式!」

 

サガが己のスキルにて迎え撃つ。サガの意思により籠手より放たれた高電圧の雷は空中に弧を描く様にして走り、超高密度の円を生み出した。

 

「馬鹿め! 何度やっても同じ事! 貴様のそのなまっちょろい攻撃が我に通用するとでも思うてか!――な……っ!?」

 

サガのそれを無駄な足掻きと嗤った闇龍は、しかし次の瞬間、その薄ら笑いが驚愕の色に染まってゆく。

 

「わ、我の翼が――」

 

中を高速にて進む八本の巨大鍵爪は、唐突に勢いを減速させると空中にて接着して一塊となり、地面に投げ出された。地面へと落ちたそれは砕けた地面の上でガタガタと動くと、地面の内側より黒い砂を吸い上げながら、ピタリとその先端をある方角へと向けて停止した。

 

「磁化している、だと!? ――超高電圧の渦電流で超々密度の磁束を生んだのか!? そうか、貴様! それで無闇矢鱈に雷撃を我の翼に浴びせていたのか!」

「気付くのがおせえんだよ、バカ龍! 俺が何の考えもなく、お前に雷撃撃ってたとでも思ってたか! 俺の狙いは元からダメージじゃなく、はなからその含有金属たっぷりありそうな避雷針よろしく天に伸びた翼爪に帯電させる事だったんだ!」

「ぐっ、ぬっ、――がっ、あぁぁぁぁぁぁっ!」

 

己の攻撃をよりのもよって通常スキルの発展技によって防がれた、この中で最も御し易いと見下していた相手にしてやられたそれは、闇龍にとって最も精神的なダメージを生んだらしく、闇龍はもはや例えようもない怒りに、体の一部を失い身軽となったその身を震えさせると、天に口向けて咆哮した。

 

『――イィィィィィィィィィィィィィィィィ』

 

雄叫びはやがて耳を劈く高周波となり、天へと向けられたその口腔内にはきわめてまばゆい膨大な魔力を含む白色の光が生まれ始めていた。無差別にまき散らされる超音波がその場にいる全ての人間の三半規管へと飛び込む。鼓膜を破らんばかりの勢いで飛び込んでくる脳裏にて暴れ狂う音の威力や凄まじく、全員は耳鳴りと頭痛を誘発させられ、音はその場にいる全ての人間を縫い止めた。

 

「いっ、つぅ――っ!」

 

直後、膨大な魔力の奔流がさらに巨大な濁流がごときものとなり、私の魔術回路を刺激した。

 

「――っ、あ、あれは! 確か超威力の攻撃、『スーパーノヴァ』……!」

 

その膨大な魔力の本流が魔力の流動に敏感な彼女の回路を刺激したのか、誰よりも先に耳鳴りと頭痛に耐えながら闇龍を見上げた凛は光景を見た瞬間、声を震わせて叫びあげる。闇龍が今まさに放とうとしているそれは、この一辺十キロはある部屋のその半分以上の距離の地面を抉り、部屋の端から遠くおそらくはこの迷宮の部屋の端にまで、一本線を引いた、そんな超威力の技だった。

 

「ダリ!」

 

応じて、サガがダリの方を向く。

 

「――だめだ! さっきの咆哮の影響で全身の動きが鈍い! まだ完全防御は使えない!」

 

視線と状況からサガが己に何を求めているのかを悟ったダリは、しかし先ほどの音波攻撃により迷走神経が混乱しているらしく、体のあちこちを不自然に痙攣させながら、そんなことをいう。

 

――/死ね!

 

口を使えぬ龍は、その威圧と視線にて、殺意を直接叩きつけてきた。直後、

 

「ならば私にお任せあれ!」

「玉藻!?」

 

まずい、とそう思うよりも前に、ダリの言葉を受けて玉藻が飛び出した。

 

「――平気なのか!?」

「ええ! 受肉化しているとはいえ、もともとこの身は仮初めのもの! あのような物理的な音の攻撃、他人の肉体を外から借り受けることを得意とするわたしには通用したしませんことを、今証明してさしあげましょう!」

 

玉藻はわたしの問いに軽やかに答えると、懐から鏡を取り出し、仲間たちの前方、すなわち最前列へと飛び出して、鏡を前方に掲げた。

 

「呪層・黒天洞!」

 

玉藻が前に差し出した魔鏡がまばゆい光を放つ。

 

――そんなちっぽけなもので何ができる!

 

そんな見下した視線と共に、闇龍はその口から玉藻の手元あるそれをはるかに凌駕する量の白光を解き放たれた。

 

「――っ」

 

闇龍が解き放った光は、奴の漆黒の意志を反映するかのようにまっすぐ敵である玉藻の元へ直進し、玉藻は瞬時に光の濁流の内部へと飲み込まれる。闇龍はそれを見て目を細め、嘲笑った。もし闇龍の口が攻撃によって遮られておらず喋ることのできる状態であったのならば、奴は間違いなく自らの誇りを賭けた殺意が敵を打ち砕いたことを雄々しく叫んでいただろう。それほどの喜色が、今の奴の瞳には浮かんでいた。

 

――しかし

 

「うぅ、う、ぎぎぎぎぎぎ――」

「――!?」

「お、重い! 痛い! あ、あた! あた、あた! あ、あたたたたたたた!」

 

そんな闇龍の歓喜を打ち砕くかのように、玉藻の緊張感のない声が光の中より聞こえてくる。やがて玉藻を完全に包み込んでいたまっすぐ一本だった光は徐々に拡散してゆき、光と光の隙間からは十全な状態で鏡を掲げる玉藻の姿が見て取れる。見れば闇龍の口腔より解き放たれた暴力的な威力を秘めたその光は、進行の途中、玉藻が掲げた鏡の前に散らされていた。玉藻の掲げた魔境は、光を拡散させ、攻撃の威力を減衰させていたのだ。

 

「玉藻!」

 

そんな玉藻の無事な姿を目にした響が、喜びを叫ぶ。玉藻は振り向かないまま、しかしそんな響の声にこたえるかのように臀部より生えたふくよかな尻尾を一振りする。そんな正の感情を交換しあって増幅させてゆく二人とは対照的に、闇龍はその瞳には徐々に絶望などの負の感情の色に染まってゆく。

 

――なぜ自分の攻撃が防がれてしまうのか

 

「これが私の必殺技!」

 

そんな闇龍の無念から無言のうちに発せられた疑問を感じ取ったのか、応答するかのように今ものなお攻撃を受け続けている玉藻が口を開く。

 

「名付けて呪層・黒天洞! この魔鏡の力を用いてやれば、それがいかなる種類の攻撃であろうとも鏡に映った虚像の攻撃を散らしてやることで、実像である鏡と接触した部分の攻撃の威力をも散らし、その威力を大幅に減衰させ、同時に鏡と接触した部分の攻撃の威力を魔力へと変換させるのです! とはいえものすごい攻撃とかだと幾分かはその余波を受けちゃうので完全に無効化とはいきませんので――」

 

「露わになってる玉のお肌に舞い散る土砂がザリザリと! そこにこの攻撃の圧が加わって、痛いったらありゃしませんよ、ええ! ああ、もう、痛い痛い痛い痛い痛いー!」

「この、混ざりものの畜生風情が!」

「あら、ご挨拶。ですが――、そうです。そんな混ざりものの畜生風情の行為によって、貴方の最大の一撃は防がれてしまったのだという事実を、せいぜい存分に悔しさと共に噛みしみなさい」

「――っ! 」

「おや、図星を突かれて怒りましたか? 」

「このっ、クソカスがぁ!」

 

煮えたぎる怒りを噴出させるかのように、その巨大な両腕がふるわれた。その爪先にかすめただけで死の運命を決定付けられそうな異形をした巨怪腕が我武者羅に振り回され、天を切り裂き、大地を砕く乱撃が放たれる。

 

「ちょ……」

 

同時に癇癪をおこしたかのように痙攣する脚部から、炎、氷、雷の三属性の攻撃が放たれた。根源的恐怖を引き起こす闇を帯びた炎が、死の眠りを誘発する絶対零度の氷の礫が、世の全てを呪い殺さんとする漆黒の雷が、自らの裡より怒りの激情を引き出した存在へと集中する。

 

「まずい!」

 

そう認識し、慌ててカバーに入ろうとしたその時には、すでに闇龍の行動は完了していた。『デッドクロウ』に『ブラッドブレード』。『煉獄翔』に、『氷礫波』に、『雷旋風』。闇龍の持つほとんどすべてのスキルが玉藻へ向かって集中する。

 

「ちょ、事実を指摘されて逆切れとは何て狭量な――」

「うるさい、死ね!」

「あらやだ、聞く耳持たない! ……って、ちょ、ちょっと、こ、これはさすがに洒落にならな――」

 

宝具を解放したばかりの玉藻へ殺到するその攻撃の量やすさまじく、玉藻の前に存在する天地の至る全てを埋め尽くしていた。その攻撃を防げそうなダリは縛りを一身にガードしたその反動でいまだに動けずにおり、響の手によって治療を施されている最中だ。まだ完全防御を使いこなせていない私の守りでは、あの攻撃を防ぎきる守りを実現させることは出来ないし、それ以外の彼らは守るための手段を持ち合わせていない。

 

このままではまずい――

 

「玉藻!」

「は! 男の駄々はみっともねぇだけだぜ!」

 

攻撃迫るその後ろ姿へ声を上げたその瞬間、青い閃光が視界内を横切っていった。

 

「ランサー!」

「――はら?」

「そのお行儀の悪い腕と足を吹っ飛ばしてやる! 突き穿つ死翔の槍/ゲイボルグ!」

 

直後、青い弾丸と化したランサーより朱槍が放たれた。疾風と化していたランサーより放たれたそれは、空中をまっすぐ直進すると、まずは獲物として魔物の巨腕を一直線に打ち貫き、つづけて内に秘められた呪いの効力によってだろう弧を描きながら山の様な巨体を支えていた太く頑丈な脚を、次々と、そして余さず削ぎ取ってゆく。

 

「グ、グォォォォォォ……っ!」

 

ランサーのゲイボルグによってそのすべてを貫かれた闇龍は、体制を崩し、首をあらぬ方向へと回転させながらも、しかしなおもその威力を落とさないままに光線を放ち続けている。玉藻の呪術の技によって拡散されその威力を減衰されていただけの闇龍の放つ光線は、彼女の掲げていた魔鏡から晴れたその瞬間に十全な姿を取り戻すと、十キロ四方に整ったている空間の端にまであっという間に到達し、空間の端の壁を砂塵の様に崩壊させてゆく。

 

「め、迷宮が……」

「ちょ、こ、これって、不味くない!?」

 

頑丈であるはずの部屋の壁が光線によってまるで紙のように千切れて吹き飛ぶ姿を見て、道具にてダリの治療を行っていた響が慌てふためき、凛が声を大にして叫んだ。

 

「崩れた壁から崩れた迷宮の土が溢れてきていますねぇ……」

 

ピエールが天井より落ちてくる土塊と砂塵を避けながら言う。

 

「冷静言ってる場合か!やべーぞ、おい! この調子だと数分もしないうちにこの部屋が崩壊しちまう!」

 

サガが呆れた様に怒鳴り散らした。

 

「脱出を! 糸は!?」

「――まだダメだ! 効果範囲内にあの龍がいる! あれがあの状態のまま地上に出ると、どんな被害が生まれるかわからない! あの超長距離の射程を持つ光線が万が一にでもエトリアを直撃したら……!」

 

シンが提案し、ダリがそれを却下する。もはやまともな意識など保っていないだろうその巨大な口を開けて天地の全てを打ち砕く光線を撒き散らすその闇龍は、しかしこちらの狼狽の様子を確認すると、狂気と悦楽に満ちた表情を浮かべて、破壊を撒き散らす速度をあげる。

 

「――あいつ! あの状態でまだあんな力が残ってやがるのか!」

 

ランサーの放った回復阻害の呪いを宿した魔槍による一撃で両手足を失った闇龍は、そんな一撃に秘められた呪いを打ち破るべく超速度で己の失った部位を再生させようと試みている様だったが、しかしランサーの槍が持つ回復阻害の呪いをほんのわずか程度しか上回ることが出来ず、手足は僅かばかりに再生しては自重を支えきれず、再び血肉の塊へと舞い戻る。

 

強烈な光の濁流放つ頭部と胴体は、再生途中である骨が外に解放状態であり、血が噴出し続け、神経が再生と破壊を繰り返す様な状態の手足では支えきれず、やがて立つことすらできなくなった闇龍は、地面へと無様に転がった。その場にいる誰もが、ついに龍の光線もやむだろうとそう思った。――しかし。

 

――我の最強を認めぬ世界など……

 

しかし倒れ伏したはずの闇龍は、光線を放つのを一切止めようとしない。闇龍の瞳は仮にも世界最強を名乗った者としての意地と、虚無主義者の傲慢さに満ちていた。倒れ伏した闇龍は、しかし首を大地につけることなく、迷宮の天井向けてその大きく開いた口を向けると、放つ光線の太さをさらに一回り以上も大きくして、天井を打ち砕き始めた。

 

――我の力が通用せぬ世界など……

 

闇龍はそんな破壊を起こすため、破壊され、回復も封じられたはずの、その捥がれている状態の手足を用いて自らの体と首を支えている。闇龍の手足は自らの攻撃の威力と再生能力とランサーの槍の呪いの影響により、未だにその姿が完全に戻ることはない。

 

闇龍の手足は破壊と再生を繰り返している。生きながらにして骨身と神経を削られては、僅かばかりに再生し回復するも、そして再び失うその痛みや負荷は想像を絶するモノがある。

 

であろうに、しかし闇龍は、そんな痛みや負荷をもろともせずに攻撃をやめることをしようとしない。闇龍の顔は、もしこの最期の足掻きが目の前の憎き敵どもを道連れに出来るのであれば、我が身の損失程度は取るに足らない必要経費であるといわんばかりの形相だ。その必死の形相から悟る。

 

――滅びてしまうがいい!

 

世界最強を自負していたにもかかわらず、しかし今しがた放つ『スーパーノヴァ』という攻撃以外の全ての攻撃をあっけなく防がれてしまった闇龍にとって、この攻撃は闇龍にとって、彼の破壊の王としての矜持を守る最期の砦でもあったというわけだ。

 

「見苦しいな」

 

多くのものが闇龍の攻撃の対応に右往左往するそんな中、闇龍の最期の抵抗を不服と侮蔑の瞳で冷静に見つける男の姿があった。この世で自らのみが唯一絶対の王であり、ほか全ては偽物であると言って憚らない傲慢な英雄王。すなわちギルガメッシュだ。

 

「偽りであろうと、仮にも最強の称号を、すなわち王を名乗るのであれば、この様な無様な姿を晒すでない」

 

ギルガメッシュは心底の怒りを携えた瞳を闇龍へと向ける。幻滅。そう、幻滅だ。ギルガメッシュは例えてみるなら、おもちゃに飽きた子供が見せるような、理想と口先だけは立派な批評家に向けるような、そんな顔をしていた。切れ長な瞳から繰り出される睨め付ける視線は見るものすべての心を凍てつかせる絶対零度のものであり、しかし同時に、その身から湧き出る憤怒は周囲の空気を歪ませる喉の熱情を秘めていた。

 

「――仮にも龍種である貴様は、それゆえか我のよく知る原初の海の女神の姿に似ておる。貴様は、その末期の無様さまで、我の知る同郷の女神と、本当にどこまでもよく似ている。そうとも、貴様はあまりにも無様だ。よって褒美ではなく、我の情けによって、我はこの宝具を開帳してやろう」

 

周囲の破壊を一切気にしない様子のギルガメッシュは、悠々と己の宝物庫とつながる門を空中へと開くと、虚空より剣を取り出した。剣は、禍々しい円柱を重ねた姿をしており、さながら彼の神話に名高いバベルの塔を思わせるデザインをしていた。

 

「待て、ギルガメッシュ! 今、この状態でそれを放つと部屋が――」

 

広いとはいえ、崩壊瓦解が今なお進み、天井などに至ってはもはや半分以上も砕けて土石流が落ちてきているような部屋において、闇龍の一撃にすら匹敵、あるいは凌駕するだろうギルガメッシュの一撃はとどめになりかねないと制止を試みるも、ギルガメッシュはまるで聞く耳を持たないままに、手にした剣を振り上げると、己の魔力を全開で剣へと通し始めた。

「うぉっ!」

「あ、あのバカ王、正気ですか!?」

 

ランサーと彼に抱えられた玉藻が戻ってくるなり、二人ともに驚きの表情を見せた。

 

「さあ、冥闇に堕した龍よ! 王である我が手にて、我の持つ至高の宝具にて死出の旅へと旅立てる事を光栄に思うがいい!」

 

常なら玉藻のセリフを耳敏く聞きつけて、怒りの矛先を変えそうなものだが、今の、王という存在の沽券のために攻撃を行おうとしているギルガメッシュにとって、その様な戯言は比べ物にならないくらいのはしたごとに過ぎないものだったのだろう。

 

――させるか!

 

そんなギルガメッシュの宣言と解放寸前にある剣が放つ膨大な魔力の奔流が、闇龍にその攻撃を気付かせたのだろう、天を砕くことに腐心していた龍は、天へと向けていた砲撃口を即座にギルガメッシュに向けた。口腔より伸びる太い光の柱の行く先が、再びギルガメッシュと、その周辺にいる我々へと固定される。

 

「まっ、ず……」

 

状況を不味いと読んだのだろう、縛り状態の回復を終えたダリが慌てて飛び出そうとした。

 

「天地乖離す開闢の剣/エヌマ・エリシュ!」

 

だが、彼が盾を構えて完全防御の守りを完成させるよりも早く、ギルガメッシュは手にして振り上げていた熱風暴風巻き起こすその神剣を振り下ろすと、その剣身に秘められし天地を別つ威力を遺憾なく発揮させ、光の柱向けて撃ち出した。

 

「な……っ」

 

驚愕の色に満ちたその声をあげたのは果たして誰だったのか。否、その声はおそらく、この場にいる、ギルガメッシュを除く、おそらくは龍すらも含むものの総意として発せられたものに違いなかった。

 

――バカな!?

 

ギルガメッシュの攻撃によって生まれた荒々しい熱と風と光の集合体は混ぜ合わさることによって暴虐の化身となり、天地すらも砕いた光の柱を呆気なくかき消して直進する。

 

「何を驚くことがある! かつて天地を乖離させた、天地を壊そうとした巨人の野望をも砕いたこのエアが、貴様ごときの偽物相手に負けるはずがあるまいて!」

 

そして凄まじい速度で光の柱を呑み込みながら直進したエヌマ・エリシュの一撃は、あっという間に光放つ龍種の口腔へとたどり着くと、その破壊の力を余すことなく発揮して、龍種の頭を吹き飛ばす。

 

――っ!!

 

龍種は光に飲み込まれるその直前、その瞳に完全に絶望の色を浮かべると、やがて呆気なくギルガメッシュが放った力の前に道を譲り、その巨大な頭部が弾け飛ぶ。続けて暴風は闇龍の横たわった体に直撃すると、その身にこびりついていた闇色の鱗と血潮を吹き飛ばしながら、骨を打ち砕きながら直進し、部屋を崩壊させることなく、龍種のみを打ち砕く。

 

「すごい……」

「ふん……」

 

おそらくその一撃は、ギルガメッシュによって、闇龍を葬り去る様、しかして崩壊する部屋に影響を与えない様に調整された一撃だったのだろう、その神業じみた結果をみた響は声をあげ、しかし彼にとって児戯に等しい事を褒められたのが気に食わなかったのだろうか、ギルガメッシュはこの程度当然だと言わんばかりの態度でその賞賛を地面へと投げ捨てた。同時に勝利を確信してだろう、未だ暴虐の余熱を放つ剣を虚空に向けて投擲し、空中に開いた門から宝物庫へと放り込むと、龍に背を向けて腕を組み、不貞腐れたような態度をとる。

 

「――いや、まだだ! まだ奴は生きている!」

「なに!?」

 

だが、ギルガメッシュのそんな確信の態度は、頭を吹き飛ばされ、手足を全てもぎ取られ、胴体に至ってはもはや原型すらも残っていない闇龍の遺骸とすら呼べないような残骸に観察の視線を送っていたシンの声によって呆気なく崩された。

 

「――なんだぁ!?」

「飛び散った奴の体が……、空中で蠢いている!?」

 

状況を把握したランサーと玉藻が驚愕の声を上げる。玉藻の言う通り、粉々に砕かれたはずの闇龍の体はしかし、幾千幾万幾億もの闇色の細かい雫となって空中を浮遊していた。

 

『我は死なぬ! 我は世界最強の存在にして、永久不滅の王なり!』

 

そして闇龍は、いかなる手段を使ったのか散った欠片の状態のままで発声して見せると、その細々とした塵のような闇色の雫を徐々に移動させ始める。初めこそ緩やかな、歩くよりも遅い速度だったそれは、徐々にその進行速度をあげてゆき、やがて暴風雨もかくやと言わんばかりの速度で、敵対する私たちを荒々しく包み込む闇色の檻へと変化した。

 

「これは!?」

『これこそが我が最強である証! これこそが我が不滅である理由! 負の感情がある限り、我が不滅。人間が存在する限り、我は不滅。我の体全てを同時にこの世から抹消せしめない限り、我が負けるなどと言うことは永久にあり得ないのだ! 我に敗北の二文字を刻みかけた貴様らには、その褒美として、我が肉体の一部として取り込まれる栄誉を与えてやろう!』

 

我々を己の体の一部にするという決意を示すかのように、我々の周囲を取り囲む檻となった闇龍は、その半径を徐々に縮小させて、我々に近づいてくる。

 

「きょ、距離が! どんどん狭まって! 」

「核熱の術式! ――、う、嘘だろ!? 」

 

散らばっている闇龍の肉体は密度が増すごとに、その強固さを増してゆく。元は全長全高にして一キロ以上はあろうかという肉体が半径五十メートルほどの半球となった今や、その硬度と強度や、サガの核熱を軽く弾くほどの堅牢さを秘めていた。

 

「まるで死者の怨念の塊! これじゃ大抵の術式は弾かれてしまいますし、一つ二つの雫を切り裂いたところで、有効打にはなりゃしないというわけですか! まったく性質が悪いったりゃありゃしない!」

「ど、どうすれば――」

 

玉藻が叫び、響が狼狽える。ランサーは戦士の目で突破口を探すのに必死で、ギルガメッシュはこの期に及んで何故か腕を組み目を閉じた姿勢を保っているため、何を考えているのかわからない。攻撃手段を持たないダリはこの場で己に何もできることがないことを悟ったのだろう歯を噛み締めて悔しがっており、ピエールは、ギルガメッシュと同じように、竪琴を握ったまま目を瞑り、しかしどこかこのピンチの状況を楽しんでいるかのように柔らかな微笑みを浮かべていた。

 

わからない。疑念は私の意識に自然とピエールの姿を追わせていた。そして己の体へと注がれる注視を感じたのだろうか、やがてゆっくりと瞼を開けたピエールは、その穏やかな瞳を左右に動かしたのち、ある一点にて止めると、期待に満ちた視線を送る。彼のその視線の先にいたのは――

 

「玉藻。確認したいことがある」

 

彼ら『異邦人』ギルドのリーダー、シンだ。彼は手にした刀をゆっくりと変形型霞の上段の、つまりはとある秘剣を振るうための構えに移行しながら、玉藻へと言葉を投げかける。

 

「奴の体を一気に切り裂けばなんとかなる目算は高いんだな?」

「そりゃ――」

 

疑問をぶつけられた玉藻はシンの方を向くと、言葉を半端に止め、中央によっていた眉を広げるとハッとした表情を浮かべ直して、彼の顔を見つめた。

 

「いけるんですか?

「もちろんだ。すべてを切り裂けばいいだけの話だろう?」

 

玉藻の問いに、シンは目の前に千々とある闇の砂塵のそのすべてを斬り伏せて見せると、あっさり肯定する。このような状況を前にしてその迷いのない態度と断言はまさに彼以外には行えないものだといえるだろう。

 

「それに迷っている時間もない」

 

シンは周囲に渦巻く闇の欠片が刻一刻と近づいてきている様子に目を向けながら言う。粉々に散った闇龍の挙動は荒れ狂う竜巻となり、その内部の空間を徐々に風も音も光もないような静寂な場所へと変化させつつある

 

「何か気を割いておくことはあるかね?」

 

シンは内部にわずかばかり吹いた風にその黒髪をなびかせながら玉藻へと問いかける。確信と覚悟を持つ男が独特の体勢に剣を構えるその姿は、まるで日本画の一枚絵の題材として選ばれてもおかしくないほど様になっていて、だからだろう玉藻は少しばかり動きを停止させると呆け、しかしシンの真っ直ぐな瞳と想いが彼女の思考を正常の状態に引き戻したのだろう、すぐさま自らの両頬を叩いて正気を保つと、首を左右に振った後、しばし逡巡。のちに首肯して、口を開いた。

 

「――闇龍のあの姿が個体としての能力によってのものなのか、あるいは実のところ呪いの集合体としての本性であるのかはわかりません。ですが仮に前者であるとするならば、奴はあの状態でも自己というものを保つために核のようなものを保有している可能性が高いといえるでしょう。もちろんプラナリアという原始生物のように細胞全てが奴であるという例外もありえますが……、そうでないのならば、その、あの無数の闇の塵の中に隠されている核を、つまりは魂と呼べるようなものを打ち砕くことこそが奴という存在を殺すために必要なものと言えるでしょう」

「それで?」

「仮にその中心核が存在すると仮定するのならば、それは如何に貴方が攻撃に特化した存在であろうと、たったの一撃のみで打ち砕くことは難しいでしょう。核があるとすれば、無論やつもそれに対しての守りは強固なものとしているはず。ならばおそらく、奴はその核に、通常の闇の欠片よりもずっと強固で濃密な怨念と負の感情というものによって形造られた闇の衣を纏わせている事でしょう」

「なるほど……」

 

シンは玉藻の言葉を首肯して素直に受け取ると、ちらりとこちらへと視線を送ってくる。その視線は純真と期待に満ち溢れていた。

 

「――玉藻。共感呪術をつかえるか?」

「はい?

 

シンの視線により、シンが私に何を望んでいるのかを理解した私は、敵を打倒せしめんという彼の望みを叶えるべく、玉藻へと問いかけた。

 

「――――――、なるほど」

 

玉藻はしばしの間、私とシンとの間にて視線を行き来させていたが、やがてシンが私に何を望み、私がシンの望みに応えるために何を自分に求めているのかを理解したのだろう、納得した様子で鷹揚と首を縦に数度動かすと、その白魚のような両手に呪力をこめて私とシンとの頭の方へと向けてくる。

 

「シンの視界と感覚とエミヤとリンクさせます。よろしいですね?」

 

玉藻の問いにシンへと視線を送る。すると彼は構えたまま迷いのない所作で首肯し、そのまま首の動きで玉藻の行動を促してきた。

 

「では――」

 

シンの肯定を確認した玉藻が私とシンの頭部へとその手を当てる。呪力が注ぎ込まれ、私とシンの感覚は完全にリンクした。

 

「これが――」

「……なるほど」

 

二人の異なる人間の五感情報が重なるその感覚は味わうときには、大抵、いつぞやの時代に流行った二画面ゲーム機の不完全な立体視を見続けた時のような酩酊感を覚えるものだが、シンとの感覚の同期においてはまるでそれがない。おそらくシンは、瞬時に私の感覚のうち自身のそれよりも劣る部分を調整し、私の感覚と同期させたのだ。彼のそんな気遣いにより、私とシンは、ほぼすべて完全に不都合のない同期を果たしていた。

 

「よくもまぁ……」

「慣れているからな」

 

他人の感覚の限界を読み取り、その限界値に己の五感の感覚を合わせる。シンのそんな神業じみた肉体調整能力に感嘆の声をあげると、しかしシンはそんな事は何でもないことなのだといわんばかりの態度で、さらりと言い捨てる。なるほど、あらゆる点に優れていると豪語するだけのことはある、とあきれるほどに感心した。

 

「――いくぞ」

 

向けられる感心を余所に、シンは宣告する。手の平に圧を感じた。全身が粟立ち、まるで強化の魔術を使った時のように空気の粒子の一粒に至るまでを感じられるほどに触覚の機能が向上した。呼吸を停止させると同時に、シンから送られてくる視覚情報が完全に喪失した。シンが完全にその感覚を閉じたのだ。代わりに、他の触覚と嗅覚と聴覚と、第六感とでも例えられるようなものから送られてくる情報量が桁違いに増し、自然とあたり一面の状況が脳内へとマッピングされてゆく。

 

「――すさまじいな」

 

やがてシンは、自らの能力のみを用いて、周囲の地図を完成させてしまっていた。地図には散逸している敵の情報がこまごまと記載されており、直感は一切の見落としがないだろうことを告げてくる。なるほど、この男は優れた戦闘者であると同時に、優れた冒険者であるのだという事を再認識した。

 

――っと、いかん。

 

リンクし拡張された感覚が彼の準備完了を告げてくる。

 

「――投影開始/トレース・オン」

 

ぐずぐずとしていれば彼はすぐさま攻撃に映るだろう予感が、自然と体を動かしていた。魔術回路を励起させ、投影の魔術を発動させ、己の手慣れた黒塗りの洋弓を構える。すると私にとって馴染んだ痛みの感覚と一連の所作による感触は、しかし彼に違和感を与えたのだろう、リンクしている感覚に揺らぎのようなものが生まれ、しかし瞬時の後に修正されて失せてゆく。

 

「――投影開始/トレース・オン」

 

彼のとびぬけた優秀さに再度舌を巻きながら、再びその呪文を唱える。そしてこの世へと現出した螺旋剣を矢として手に取ると、弓に番えて構えを取り、目をつむる。

 

「――」

「――」

 

研ぎ澄まされた感覚のまま、番えた剣に魔力を通してゆく。魔力を注ぎ込まれた剣は与えられた燃料を喜ぶかのよう周囲に細い稲妻を発生させながら、きぃんと耳煩い音を立て始めた。

 

「――」

「――」

 

魔力を発生させる際の痛み/感覚が私/彼の神経を刺激し、痛みの感覚を訴えて暴れようとする神経は、しかし瞬時のうちにシンの冷静と私の抑圧により鎮められてゆく。今や、脳裏に浮かぶ地図と、昂る鼓動と、敏感となった肌を撫ぜる風だけが世界の全てだった。取捨選択、増減対象の選択を済ませた互いの身体と精神は、互いの協力によって、どこまでも、どこまでも、高い位置へと押し上げられてゆく。

 

――、五秒/5

 

シンが大きく息を吸った。のど元を通り肺腑へと到達した空気は即座に酸素のみが切り分けられ、全身の血流へと乗せられる。呼応して胸中と背筋にむずがゆさを感じた。新鮮な酸素を送り込まれた全身は興奮し、シンの両腕と私の両腕にある異なる武装は、しかし同じようにして解放のその時を今や遅しと訴えている。

 

――、四/4

 

全身の器官は、新鮮な燃料の代わりに不要となった老廃物を血液へと返してくる。六十億の細胞たちのより一層の奮起により、五感すべてと第六感はさらなる強靭と敏感さを得た。脳内にある地図に記載された無限に等しい数の敵の動きのその一つ一つまでを詳細に感じ取とる。確かな万能感が数秒後に起こす攻撃の成功を確信させた。

 

――、三/3

 

ぎしり、とシンの全身に力が入る。丹田を中心に溜めこまれた力は体の中で渦を巻き、やがて解き放たれるその時をまだかまだかと訴えていた。シンはそれらの訴えをいなすと、いなした力を手足の先端へと送り、大地を踏みしめる足から彼の剣を握る両手までの力を一定化させ、連結させると、一本の線の如く化した。体中の力を集して一つとした彼には、まるで噴火寸前の火山を思わせる迫力がある。

 

――、二/2

 

応じて、弓矢を構える両手に入る力を入れた。弦は極限にまで張りつめ、強化を施されたカーボンとワイヤーがきりきりと悲鳴を上げている。シンと同じく解放を訴える我が身に成就の時の到来はすぐそこゆえにまだ耐えろという命令を下すと、堪え性のない肉体はなんとかその訴状を受け入れて、数秒程度ならばまってやろうと傲慢に告げてくる。

 

――、一/1

 

互いに武器を握る手に力が入った。緊張がそうさせたのだろう、しかしそんな湧き出た余計な力を余さず捨てると、瞬間の後にやってくるだろうその時に備えて全身を脱力させて、待つ。

 

――『零ッ!』

 

最後のその瞬間、我々の意思は遂に一つとなる。シンが目を開いた途端、彼の目へと飛び込んでくる光の衝撃はリンクしている私にも影響を与え、二人の鼓動のタイミングすらも重なった。

 

「――そこだ!」

 

シンは一瞬で体の状態を零から最高速へ一気に到達させると、解き放たれた衝撃が全身を駆け巡り、興奮を誘発する。そんな刺激と発せられた声に、我も続かんとする我が身の我儘を精神力にて強制的に抑えつけて、シンの攻撃の直後にやってくるその時に向けて感覚に集中させ続ける。

 

「真・つばめ返し!」

 

振り下ろされた刀身より解き放たれた力が虚空へ放たれる。同時に幾億万の光る刀身が周囲の闇を切り裂いて、空中の黒を白で塗り替えた。直後、大気が裂かれる事によって発生する刀身と空気との間の摩擦により、突き進む刀身は瞬時のうちに獄炎を纏った。烈火に燃え滾る刀身が殺意と共に白黒混じった混沌の空間を煉獄の色に塗り変えてゆき、やがて宙に浮かぶ無数の闇龍の体と激突する。

 

『な、なんだとッ!』

 

自らの体を無限と言えるほどに分割した闇龍は自らの全身へと襲い掛かってきた衝撃が信じられなかったのだろう、周囲に満ちた己の体入り混じる大気すべてを揺るがすほどの驚愕の声をあげた。我々の周囲、闇色に満ちていた空間はシンの生み出した炎と振れたその瞬間、浄化されるが如く元の色と光景を取り戻してゆく。

 

『お、おのれ……っ!』

 

闇龍は己の奥の手でもあり、同時に必殺のはずの一撃を打ち破ったシンへ憎悪の意志を向けてくる。全周囲より送られてくる負の感情の量はこれがもし常人であれば即座に発狂せしめてしまうほどに濃密であることが、共感の呪術を通して伝わってきた。

 

「……」

 

しかしてシンは自らの過敏さを増している肌へと突き刺さる視線と意志に対して意識を集中させると、むしろさらに皮膚の感度を上げて、その濃淡の比較を開始した。脳内の敵位置マッピング図へ色が加わり、一定の基準を満たさぬ情報が次々と消去されてゆく。

 

「――エミヤっ!」

 

一瞬を千にも万にも斬り分けた刹那の時の流れの中、やがて空中に浮かぶ全ての闇龍の欠片の精査を終えたシンは大きく声をあげた。

 

「おぅ!」

 

シンの全身の感覚が確信を告げてくる。シンの意志を読み取ったその瞬間、我が身は迷うことなくその方向へと強化した視線を送っていた。

 

『――な、に?』

 

シンのまっすぐな殺意が迷いなく己の本体を射抜いた事に驚いたのだろう、闇龍が戸惑いの声を漏らした。バカめと言ってやりたい思いを抑え込むと、そんな暇があったら今すぐに解き放てと主張してくる両腕の位置を修正して、矢じりの先端をその場所目がけて突きつける。

 

『――』

「遅い! 」

 

そうして再び迷わぬ視線と意志を受けたことに戸惑い危機を感じたのだろう闇龍が何かの余計をするよりも先に細やかな調整をし終えると、次の瞬間には、迷わず、片手にて抑え込んでいる力を解放した。

 

「偽・螺旋剣/カラドボルグ・Ⅱ!」

 

瞬間、静けさばかりが支配していた空間を閃光が貫いた。稲妻纏いた我が宝具はシンによって両断、炎上させられた群れを空気の塵へと還しながら、目的の場所目がけて直進する。そして――

 

『ば……、か、な』

 

瞬き一つするよりも以前に宝具がその場所を通過したその瞬間、闇龍の呆気にとられた声が静かな空間に悲しく響き渡った。

 

『……』

 

直後、我らの周囲を取り囲んでいた炎上する闇龍の欠片たちは空気の中に溶けるようにして消え失せてゆく。

 

「――ふぅぅぅぅぅ……」

 

闇龍の死の運命を確信した瞬間、抱え込んでいた緊張をすべて押し出すように、大きくため息が漏れた。呼吸に乗じて体の中を巡っている熱が闇龍の包囲によって冷え込んでいた外気を暖め、同時に投影したカーボン製の黒塗りの洋弓の表面に薄くに水の膜を生じさせた。

 

「――やったな、エミヤ」

 

やがて水の膜が集合して滴となるよりも前に、シンが声をかけてくる。私の確信は当然のことながら共感呪術によってシンへも伝わっていたのだ。

 

「――」

 

シンはそして無言にて片方の腕を振り上げた。その所作に彼が何を求めているかを悟った私は、投影させていた弓を破棄して空気の塵に戻すと、対応させて腕を振り上げ、その剣ダコだらけの手の平向けて、己の硬い手の平を振りぬいた。

 

「ああ! 私たちの勝利だ!」

 

天地より降り注ぐ土石流さえ除けば、静けさを取り戻したといって過言でない迷宮に大きな破裂音が響いた。音は我々の勝利を誇るかのように開けた空間へと広がり、直後、歓声が辺り一面を支配した。

 

 

第十二幕 森の奥に眠りし月姫

 

 

放たれた迅雷の矢が、闇龍のコアを瞬時に打ち貫いた直後、シンによって切り裂かれ、炎に包まれていた、周囲に散らばっていた世界を闇で覆い尽くさんとしていた悪龍の欠片は、一転して音もなくコアの崩壊と共に闇を包み込む炎の力を吸収するかのように、輝く白色に変化してゆく。

 

「――これは」

 

やがて空間を満たしていた闇龍の欠片だったものはエミヤの頭上にて集合し、まばゆい光の塊となって降りてくる。天より緩やかに堕ち来る光の塊は緩々と卵のような楕円形へと変化してゆき、やがて揺籃と化した光の端が地面の上へと到達した。

 

直後、まるで自ら生誕を望むかのように光の卵にひびが入り、内側からは先ほどまでの光が比較にならないほどの目眩むばかりの光が漏れ出す。白光は人の世に存在するためにはあまりに過ぎた光量を保有していた。

 

「――っ!? な、なにが……っ!? まさか――」

 

人知を超えるほどに光の眩さ故に、あるいはこの世界を白一色に染め上げてしまいそうな光は世の全てを呪い尽くさんとたくらんだ闇龍の最後のあがきなのかもしれぬと直感し、ならば異変を一片たりとも見落とすことは出来ぬし気を抜くこともできまいと、いつでも動けるよう構えながら、目を焼くそれを直視し続ける事十数秒。

 

「――」

 

やがてそんな懸念とは裏腹にその光はその光量を落としてゆき、刺々しさを失ってゆく。収束してゆく光が柔らかいものになりつつあることに一抹の安堵を覚えながらも、そんな中、光の中心に白とは程遠い、色濃い輪郭の何かが出現していたのを見つけて、再び警戒の態度を強めて持つ。

 

「これは――」

 

警戒を続ける間にも光は弱まってゆき、輪郭は徐々にその鮮明さを増してゆく。やがて光の中にその輪郭を生み出しているのがおそらくは人間であると想像した途端、そんな空想が具現化したかのようにいまだ周囲に漂う光の残渣を押しのけてその物体は自身の胸元へと倒れこんできた。

 

「うぉっ、っと……、だ、大丈夫かね、君――」

 

そうして光の中より出現したのは、まだ年端もいかないような姿の少女だった。闇龍の欠片だったものより出現したという異常事態に違和感を覚えるも、見た目まだ幼い少女に過ぎない彼女が地面へと倒れこむのを見過ごせなく、反射的に少女を胸の中に抱き留め――、瞬間、意思の全てを魂ごと彼女に奪われた。

 

――なんて、美しい……

 

出現した少女はそれまでの懸念を些末と脳裏の外へ追いやるほどの美貌を備えていた。(前の話から美しさの比喩を抜粋)。天井に輝く月のように、儚くも幻想的で、手を伸ばせば夢の中に霧散してしまいそうなそんな現実離れした美しい少女は、間違いなく一目見たのであれば忘れようもないそんな美しさを備えていた。――だが。

 

――私は……、確か、彼女を、どこかで……

 

「――……」

「――あ」

 

だが、混迷に満ちた脳裏が思考の迷宮より抜け出るよりも前に、目の前に突如として現れた少女の身じろぎが、この身を現実へと引き戻す。脳を蕩かせる様な、しかし無邪気な幼さ入り混じるという、そんな矛盾に満ちた妖艶と愛嬌入り混じる挙措に惹かれるようにして少女の顔を覗き込む。

 

「――」

 

すると、再び視界へと飛び込んできたその人の手によって生み出されたかのような造形美が、彼女を美しいと感じる機能以外はこの場において余分であるといわんばかりに、意識の中よりすべて溶かしつくしてゆく。

 

「――」

 

美貌によって周囲から時間の流れを奪い、感覚の進む速度を凍らせた深い悲しみの蒼い色の服を纏ったそのまだ幼い体躯と見た目の少女は、まるで眠り姫のように小さな手を組んだまま眠りこけていた。上げ初めた髪から覗く美貌は、何度見ても美の女神も裸足で逃げ出す美しさと愛らしさが同居する事を目指して造られた人形のような完璧さを備えている。――しかし。

 

「――」

 

完璧といっていい造形美をその身に宿した女神のごとき少女には、唯一、画竜点睛を欠いている部分があった。そのわずかに足りぬ部分を目敏く見つけた我が身は、自然とその不完全さ宿る部位を注視する。その痩身にほどよい血色に保つその少女にはしかし、唯一その唇の部分だけの微熱が欠けていた。完璧に一歩足りぬ完成品を前にして惜しいと思った我が身は、止める間もなく足りぬものを埋めようと動き出す。卑しくも我が身は、自然と抱きかかえた芸術品に自らの顔を近づけると、惹かれるようにしてその小さな閉ざされた領域に自らの吐息と熱を注ぎ込む。

 

「――っ」

 

どのくらいの時間がたったのだろうか。眠り姫の唇を勝手に奪うその行為に恥じるよりも先に、息苦しさが到来し、自らの顔を彼女の顔から引き離す。私の惜しむを表すかのようにして互いの唇にかかった涎橋が、撓み、歪み、千切れて、腕の中で眠る彼女の顔と腕を穢してゆく。瞬間、夢見心地にあった意識突如として覚醒し、このような可憐な少女の唇を勝手に奪ってしまったという羞恥が、我が身を焼き尽くすのではないかと思うほどに脳裏へと押し寄せた。

 

「――ん」

 

されど、情欲に流された後悔が我が身を炭へと帰すよりも先に聞こえてきた少女の声が、我が身の燃え上がる情動を鎮火させる。同時、こみあげてきた別種の熱情に突き動かされるがままその挙措を眺めていると、やがて腕の中で身じろぐ少女は、その小さな瞼を揺り動かせた後、ゆっくりと開いて、瞳を露わにした。

 

「――」

 

唇の微熱と、瞳の奥に宿る情熱。足りないものに加えて、それ以上を手に入れた少女は、呆然とする私を泰然自若とした態度で眺めていた。やがて周囲を見渡すこともなく私のみを見つめて麗しく微笑んでみせた少女は、その細腕を覆い隠す長袖の下に秘めた両腕を伸ばして私の顔を挟み込むと、身を起こして、抱き着いてくる。

 

「おはよう、私の王子様」

 

言葉に脳が溶けるかと思うほどの快楽が流れ込んでくる。そこから先の事は覚えていない。おそらくは彼女という快楽によって思考を溶かしつくされてしまったのだろう。私が夢から抜け出して正気に戻るその時には、常に天上にて月が怪しく輝いていたことだけは、確かな事実として覚えている。

 

 

『よぉ、そこ行くお兄さん! 今日はなんか予定あるのか?』

『いや、ないよ、ヘイ。最近はとんと大した事件は起きていないからな』

 

夢を見た。とある正義の味方の夢を見た。その正義の味方は真に正義の味方と呼べる存在だった。悪をくじき、弱者に手を差し伸べる。彼の正義が届かない場所は世界中のどこにもなく、彼の正義によって救われない存在はこの世のどこにもいなかった。

 

『そりゃお前さんが頑張ったからだ。世界中の誰もがお前さんという正義の味方に感謝している』

 

彼はまさに絶対の正義の使者だった。彼が悪として斬り捨てる存在はすべて確固たる悪であり。彼が正義として擁護する存在は、確かに確固として彼の正義を理解する存在だった。誰もが認める正義の味方がそこにいた。誰にも否定されない正義の味方がそこにいた。誰もが正義と認める正義の味方がそこにいた。

 

『その言い方は、照れるな』

『事実だろう。言わせといて損はないさ』

 

その正義の味方の名前は、エミヤシロウといった。誇らしかった。困ったときにその名を呼べば助けに来てくれる絶対無敵、完全無欠の、正義を体現する、そんな存在についに自分は辿り着いたのだと、体は歓びに満ち溢れていた。

 

『よぉ、エミヤの旦那! さっき酒場でお前さんの仲間たちが管を巻いているのを見かけたが、今日はお前さんのギルドも、お前さん個人も、正義の味方稼業はお休みかい?』

『ああ』

『だったら、お前さん。こんな晴れ晴れとしたいい日だ。こんな日にはこんなところ裏路地なんかをうろついてないで、お前さんのいい人と一緒に何処かへ出かけたらどうだい?』

 

周囲にいるのは様々な人格ながらも私を肯定し認めてくれる私の頼もしい仲間たち。素直な性格でない奴や、口汚く文句を言う存在もいるが、結局は誰もが私の正義を認めて、私の幸福のために動くことをよしとする。

 

『そう、だな。それもいいかもしれない』

『そうしなよ。あの綺麗なお前の嫁さんもその方が喜ぶだろうからさ』

 

世界は平和だった。世界には完全平和が訪れていた。争いを引き起こす存在は否定され、我が手と正義によって斬り捨てられ、世界には余すことなく私の正義が浸透していた。そしてその傍らでは、見目に美しい芸術品のような少女が伴侶として存在していて、絶えず無限の愛を注ぎ続けてくれている。

 

『っと、そうだ。これ、持ってきな』

『なんだ、ってこれは、滅多に手に入らない、幻の――』

『この前、バカどもから助けてもらった礼だ。遠慮なく持っていってやってくれ』

 

それはまさに幸福を形にしたかのような生活だった。誰もが私の正義を理解し、誰もが私を正義の味方として認め、誰もが私の正義の味方であり、誰もが私の正義を求めてくれていた。ゆえに争いなどほとんど起こることなく、起こるとしても、それは完全なる悪の手によって引き起こされるものなのだ。

 

『――いいのか? こんな貴重なもの……』

『いいのさ。みんなの正義の味方であるお前さんにはその資格がある』

 

望んだ勧善懲悪の世界がここにあった。かつて望んだ全てがこの世界にはあった。この世界はまさに私の理想を体現したかのような世界だった。この世界の全ては私にやさしく、この世界の全ては私にとって都合がよく、この世界のほとんど全ては私の味方で、この世界に存在する私と相容れない存在はこの世界に住む全ての住人にとっても悪であり、この世界は真に天国と呼ぶに躊躇わないような世界で、この世界はまさに理想郷そのもので。

 

『……感謝する』

『いいってことよ。世の中は持ちつ持たれつ、だろ?』

『ああ――、そう、そう、だな……』

『お、エミヤじゃないか。よかったらこれも持ってきな』

『お兄ちゃん、これ、あげる』

『エミヤさん、この前はどうもありがとう』

『エミヤ。よければ今度、一緒に迷宮に潜ってくれないか』

 

そう。この世界は居心地良く、都合良く、相違なく、確実に私の理想を形にした世界で、誰もが私を否定しない居心地良い場所であるはずなのに――

 

『エミヤさん』

 

なぜだろう。私の心はこんなにも違和感と寂寞を抱えている。

 

『ありがとな』『感謝しているぜ』

 

寸分たがわぬ愛と正義に満ちた言葉が投げかけるたび、心が何処か軋む思いをする。

 

『さすが正義の味方だ』『やはり私の正義は間違っていた』

 

悪と呼ばれる存在が、自らを悪と呼んで私の正義を認めるたび、例えようもないむなしさが身を包み込む。

 

『お前こそが正義の味方だ』『お前の正義こそが真の正義だ』

 

正義。その言葉を耳にするたび、この身を包み込む気持ち悪さの正体はなんだ。なぜ私はこんなにも理想に満ちた世界で満たされない。なぜ私はこんなにも永劫に幸福が続く世界で満たされない。なぜ私はこんなにもうんざりする。

 

『エミヤ』『お兄ちゃん』『エミヤさん』『エミヤ殿』『エミヤ』『エミヤ』『エミヤ』『エミヤ』

 

皆が私に賛同する。皆が私を一様に褒め称える。

 

『『『『『『『『『『『ありがとう』』』』』』』』』』』

 

皆の意志は完全に私のそれと一緒の思想に統一されている。皆はまるで私の人形のようだ。

 

『『『『『『『『『『『流石は正義の味方』』』』』』』』』』

 

――ああ、そうか。

 

『『『『『『『『『『『貴方は私たちのヒーローだ』』』』』』』』』』』

 

そこで違和感にようやく気が付いた。この世界には私以外に存在しない。この世界には、私以外の人間が存在していない。誰もが私の事を称える世界なんて、私以外の誰もが存在しない世界と何ら変わりない。

 

『嘯くのはよくないな、衛宮士郎よ。自分が先ほど言った、世界のシステムを書き換えるとかいう行為は、かつて貴様が正義の味方と崇めた切嗣という男の、理想を軸にして弱者を一方的に無視し切り捨てるやり方や、あるいは貴様が英霊となるまでに他人に正義を押し付けてきた虐殺行為と、一体何が違うというのかね? どちらも同じ、人間個人の中身を見ずに、自らの考えこそが絶対正義であると考え、己が形式に当てはめて世界を支配しようとする行為だろう?』

 

向けられる優しさを倦み、孤独を実感した瞬間、違う理由で、しかし同じように人から向けられる優しさを倦み、孤独を実感していた男の言葉が突如として脳裏へと浮かんでくる。男はかつて私が悪と断じた人物で、しかし同時に、私とまるで同じ人間だと、長い対立と幾度かの対決の果てに私がようやく理解した、そんな男だった。

 

『一人の思想が全てを支配する世界。そんなもの、世界の中にただ一人でいるのと何の違いがあるというのかね?』

 

男の言葉が状況に突き刺さる。その瞬間、頭の中に満ちていた快楽の靄が嘘のように失せてゆき、頭は明朗さを取り戻す。そうして豁然とした頭で世界を見渡すと、理想郷と感じていた世界があまりに正気に歪んでいることに気付き、愕然とした。

 

――ああ、お前の言葉のそれを、私はようやく実感したよ。

 

『どうしたの?』『具合が悪いのか?』『お兄ちゃん大丈夫?』『メディックを読んでこようか?』『肩を貸そう』『おーい、ちょっと誰か来てくれ』

 

確かにこの世界は私の理想郷だ。だがそれは、この世界には私以外に誰もいないからこそ、実現された偽りの理想郷だった。この世界は確かに私という正義の理想を違うことなく実現したものであり、しかし同時に、王様気取りの愚者が見る孤独の夢と何ら変わりのないものだった。

 

『『『『『『『『『『『なあ、大丈夫か、エミヤ』』』』』』』』』』』

『……』

 

私の思想を植え付けられた正義の人形たちが心配の言葉をかけてくる。誰もが統一されたかのように動くその様は、群れた昆虫が無機質に獲物へと食らいつく様を思い出させて、それがひどく気持ち悪くて、逃げるようにしてその場から離脱した。

 

『お、元気になったようだ』『よかったよかった』『あんだけ走れるんなら問題ねーな』『今度また、冒険に付き合ってちょうだいね!』『ばいばい、お兄ちゃん!』

 

誰もが慈愛に満ちた視線を向けてくる、たった一人の正義だけが満ち溢れた孤独の世界。そんな世界の中、私と違うそんな存在を求めてふらふらと街中を歩いていると、その足は自然とある人物の待つ宿屋へと向かっていた。視線から逃げるようにしてその建物の内部へと飛び込み、中の廊下を駆け抜けると、ノックをした瞬間、返事を聞く間すらも耐えられないとばかりに部屋の扉を開け放つ。

 

「あら、どうしたの?」

 

中にいた見目美しき女神のような少女は、見る者全ての思考を溶かしつくすような格好で、聞く者すべての思考を蕩かすような声色で、悠然にも、泰然にも、悄然にも見える態度で問いかけてくる。今の私に唯一違和感を覚えさせない態度で、私に疑問を投げかけてくる少女を見やったその瞬間、濃霧が晴れるかの如く脳裏を渦巻いていた疑念は氷解し、思考は凛然さを取り戻す。

 

 

はたしていつ、世界はこのようにして救われたのか。最初に感じた違和感は、それだった。一度違和感を覚えてしまうと、後は芋づる式だった。湧き上がる疑念が次の疑念を呼ぶ火種となり、芋づる式に現れる疑問はネズミ算の様相をなして、疑念を確信へと変化させてゆく。

 

そう。私の知る限り、YHVHの召喚を発端として始まった世界の混乱はいまだに続いていて、自分はその混乱を鎮めるために注力しているはずだった。そのために私は、ギルガメッシュという英雄に背を押される形でこの世界を離れ、ライドウという悪魔召喚士の存在する世界へと辿り着き、彼らの世界で様々な事件に関連した手がかりをえながら、やがては発動した蠱毒の術式によって飲み込まれて終焉の地へと辿り着き、シンとの決闘を行ったのだ。

 

そうだ。その過程において私は、多くのものを得て、多くのものを失ってきた。自らの足にて出向いたその先、己自身で、時には誰かに導かれる形で自らの本心と向き合い、多くの犠牲を払いながら自らが過去に置き去りにしようと無視し続けていた感情というものを取戻し、ようやく夢の世界から現実へ足をつけることに成功したのだ。

 

そうとも。あの葛藤を忘れることなど出来ない。あの苦しみを忘れることなどできない。あの恋慕の情も、あの懊悩も、あの激情も、あの葛藤の果ての決意も、あの決意の果てに得た痛苦と喪失感と無力感も、その後に得た全身を貫く高揚感も、この身に浴びせられた賞賛の言葉も、言葉を送られた時に湧き上がった天地を揺るがすほどの感動も、そのすべてが自分の経験により刻まれた記憶であり、自分が現実にて生きているという証だった。

 

そうだとも! そして、そんな私は現実に生きているのだという実感を得るために、私は多くのものを犠牲にしてきたものの事を忘れない! 私は私を現実へと引き戻してくれた男の事を忘れない! 私は私という存在を救うためにその身と魂を賭して自らが最も嫌う養父『衛宮切嗣』という存在を騙り、私を救い上げたその後にやがて無言のうちに死していった言峰綺麗という男の事を忘れない!

 

私は、私を救い上げてくれた、世界に生きる私に関わってきてくれた命の全てを忘れない! 忘れたいなどと思わない。彼らの犠牲をなかったことにするような、こんな世界は望んじゃいないんだ! 否、けっして望んではいけないものなんだ! だから――

 

 

私はそして息を大きく吸うと、吐いた後に言う。

 

「夢の時間は終わりだ、メルトリリス。私の現実を返してもらおう」

 

宣言すると、世界の全てが瞬時に色あせた。氷の軋むような音を立てて、世界の光景にひびが生まれてゆく。世界へと刻まれた傷跡は緩々と時が過ぎ去るごとに細かな無数の線の集合へと変化し、やがて臨界点を超えたのだろうその瞬間、万華鏡を揺さぶったかのよう粉々に砕けて塵へとかえっていった。

 

散乱した光の粒子がその身の内に秘めた残光は闇の中を舞い、やがて闇の中に溶けてゆく。光が完全に失せきるそれよりも依然、すぐ正面にいた不自然さばかりが広がる世界において唯一どこか慣れてない様子ながらも自然さを保っていたメルトリリスの顔が目に映る。

 

目の前、エトリアではない、世界のどこにも存在しないだろうそんな闇ばかりが何処までも続く空間の中では、メルトリリスという夢の中において私の伴侶であった少女が、心底残念そうに微笑んでいた。

 

 

砕け散った光が力を失い、世界の破壊とその欠片の散乱が動きを止めた頃、周囲の世界は完全なる闇に包まれていた。光はなく、臭いなく、感触なく。わずかばかりに自身の内側より聞こえてくる内臓の鼓動と、互いの発する身じろぎと呼吸との音色だけが、今や世界の全てとなり果てていた。

 

――解析開始/トレース・オン……

 

魔術回路に魔力を流して解析の魔術を周囲の様子を探ろうとするも、指先は虚空を撫でるばかりで闇の中に何もつかめるものを見つける事は出来なかった。それでも一応と解析魔術を発動させては見るものの、発動させた魔術より伝わってくるのは自身の周囲にある闇と闇の満ちる空間は解析不能という結果ばかりで、それ以外に何の情報をも得ることが出来なかった。

 

――、ダメか。

 

「なぜ……、あの幸福が現実のものでないと気付いたの?」

 

何処までも不変が保たれるという自然界において不自然な闇の中、そんな無明など慣れ親しんだものであるといわんばかりのいつもと変わらぬ声色で、メルトリリスは儚く尋ねてくる。彼女のその自然体から、この無明の暗黒こそが元々彼女が身を預け置いていた場所なのだろうと直感し、警戒心を強める。

 

「――あの光景が、彼らの態度があまりに不自然だったからだ」

「あら、そう。でも変ね。私は詳細な観察の結果に得られた世界の様子も、彼らの仮面/ペルソナも完璧に再現して、その上で誰も彼も貴方の意に沿うような行動をするように設定したはずだけれど――、そうね。よろしければ後学のため、どこら辺が不自然だったかご教授願えるかしら?」

 

メルトリリスはいかにも芝居がかった物言いで闇の向こう側より問いかけてくる。さて、何が目的なのかと疑心を抱きつつも、この身が彼女の声以外のいかなる刺激もが存在しない完全なる不毛空間に置かれている現状、突破口というものは彼女との会話の中にしかないだろう。

 

「――確かに君のそれは不自然さなく、完璧だったさ。そうとも、君が再現した彼らの所作は途中まで完璧なものだった。私とて初めは騙されたよ。――そうとも、君がつくりあげた彼らの仮面/ペルソナは完璧で、あまりにも私に優しすぎた。だからこそ私は、これが現実ではなく、誰かの作り出した架空の幻想であるとそう気付けたんだ」

「完璧で、優しすぎた? 一体それはどういう事?」

 

生きている以上揺らぎが存在する。確かに人は、多くの場合において定型的な決まった反応を見せるが、だからと言ってそれは絶対ではない。たとえ好意を抱く相手だろうと、ふとした瞬間に悪意を抱くことはある。文句を言いたくなるような時だってあるだろう。

 

「――君はやりすぎた。たしかにもし君が作り出した彼らは、もし彼らが実際その場所にいたとしても、まるで同じ反応をしただろうくらいには、完璧だった」

「それで?」

「そうとも。彼らは完璧だった。あらゆる事態において、彼らは、『こうした場合、こうするだろう』と、私の予測する通りの行動をとってみせてくれた。そしてその上で、彼らは、私に対してあらゆる悪意を向けてこなかった」

 

その時自らの置かれている周囲の環境が、その瞬間に彼らの抱く感情が、人間の行動を変化させる不定要素となり、時に人は違った反応を見せてくる。

 

「彼らはあまりに完璧に優しすぎた。あの世界はあまりに私にとって都合が良すぎたんだ」

 

そうとも常に一様の反応をする存在なんてありえない。どんな時にでも、人間は、世界は、その時その瞬間の状況によっては予想外の反応というものをしてみせる。しかしあの繰り返される幸福の世界には、そんな中に住まう人間には、それがなかった。

 

「すなわち彼らはまるで人形で、あの世界は私のために作られた舞台のようだった」

 

そう、あの世界の人間には一切の感情の揺らぎによる行動の変化がなかった。それはかつて感情を失い、目的を果たすための機械のようになり果て、しかしその後、無限に続くかとおもわれた長きに亘る旅路の果てに、知覚と感情というものを完全に取り戻した自分だからこそ、気が付くことのできた不自然さだった。

 

「そう。彼らはまるで、彼らと実際に付き合ったことのない誰かが、しかし綿密かつ詳細な観察の末に、私のためにつくりあげた人形であるかのように、一瞬たりとも不自然な言動をせず、その上、世界は私にとってどこまでも都合良く動くものだった。人間も世界も不条理こそが真理だ。一秒前に真実と思ったことが、一秒後に嘘と思うようになることだって珍しくない。そんな矛盾を孕みながら、そんな矛盾によって多くの人と衝突し、仲直りをしながら、それでも前に進むのが人間というもので、正しい世界の在り方というものだ。だからこそ私は、彼らが本物の人間と世界でないことに気が付けたんだ」

「――なるほど」

 

指摘を受けて、メルトリリスは納得したといわんばかりの声を上げた。闇の衣に遮られてその表情を確認することはできないが、その声色から察するに、おそらく今彼女は、心から感心した表情を浮かべているに違いない。

 

「納得だわ。――えぇ、そうよ、その通り。まさに貴方の言うとおりだわ。だって私、他人が私に向ける感情というものがよくわからないもの。それに、私にとって世界なんていうものは、私の思い通りになるのが当たり前だった。私にとって私にとって他人からの感情なんてものは、境界線を隔てた向こう側の世界にのみ存在するもので、世界は私の思い通りになって当然のものだった。私にとって感情とは私の内側にのみ存在するもので、つまりは世界という舞台にて繰り広げられる劇を不安定にさせる不確定要素以外の何物でもなかった。だからこそあの舞台の上にいた役者は、他の誰とも直に接触する事の出来なかったそんな私が緻密な調査を重ねた末に生み出した漢書による行動の揺らぎを持たないお人形だった。そう、その通りよ。確かに彼らや私の作った舞台には感情や不確定要素による揺らぎがない。なるほどね、だからこそ生きている貴方はそんなお人形たちや世界という舞台の不自然さに気が付けたというわけなのね」

 

そして告げられた自らが見せていた夢の欠点を、メルトリリスはあっさりと肯定する。私をこのような場所に閉じ込め、そして幸福の夢を私へと見せていたその女主人の口から出てくる反省の言葉には、しかし慚愧の念がまるで存在せず、声からはこちらに対する感心の念ばかりが伝わってくる。私をあの空間に閉じ込めておくのが目的であるなら、それに失敗してしまった今、一欠片くらいの後悔の念が現れてもいいはずだ。だというにもかかわらず、彼女は一切後悔したようすも見せず、私の言葉に関心の言葉ばかりを放っている。

 

「何が目的だ」

 

その態度、その不自然さが自身の裡に疑心を呼び、私は思わずそんな声をかけていた。

 

「あら?」

「君という他人の感情に理解を示さない存在が、何の目的もなく、他人に何かをしてやりたいと思うような人間でないことは、今の君の物言いで理解した。だがその君が、なぜ私が幸福だと思う夢を、私に見せたのかが理解できない」

「――――――――――――私、恋がしたかったの」

 

メルトリリスはたっぷりと溜めこんだのち、陶酔した様子の声色で言う。おそらく今頃、闇の向こう側、メルトリリスはひどく酔いしれたような表情を浮かべているのだろう。

 

「恋?」

「そう。それもただの恋じゃなく、飛び切り上等な、恋の果てに我が身を燃やし尽くしてしまうような恋をしたかったの。そして私は私の恋と愛を捧げるに相応しいその相手として、貴方という正義の味方を選んだ。恋をした相手が幸福になれるよう、そんな相手と幸福に過ごせるよう、そんな夢を見られるよう行動するのは、恋をした女として当然のことでしょう? だから私は貴方に尽くすの。貴方と一緒に幸福の夢を見ることが、今の私の夢なのよ」

 

その物言いに眉をひそめた。メルトリリスの声色はまるで狂信者や預言者の告げる言葉であるかのように一切揺らぐことなく、それ故に彼女が今しがた語る理想こそが、先ほど私が幸福の夢を見た原因であると告げてくる。加えて、彼女が幸福と語る夢で見たその内容は、確かに私と彼女を中心とした恋物語だった。そしてだからこそ解せない。

 

「なぜ君は私を選んだのだ? 私は君にそのような慕情を向けられる覚えが、まるでない。そもそも私と君は初対面のはずだ。私は君の事や君の事情をまるで知らないのだから、そこがどうしてもわからない。そうだ。そう、そもそも、だ。――――――君はいったい何者だ? ここはどこで、私はなぜこのような場所にいる?」

「――うふ。うふ、うふ、うふふふふふ……、あはははははははははは!」

 

畳み掛けるようにして問いかけると、メルトリリスは小さく笑いを漏らした後、やがて抑えきれないといわんばかりに失笑を続け、最後には大声で笑いだす。闇の向こう側から聞こえてくるその嘲笑じみた声の音は、しかし心からの可笑しいに満ちていて、それ故だろうか不思議と不愉快さを感じさせないものだった。

 

「そう、そうね。その通りだわ。舞台の上で数多に恋慕の劇を繰り返してきた私たちは、けれどまだ自己紹介の挨拶もまともに交わしていなかった」

 

その態度があまりに不審であったため注意の視線を向けていると、メルトリリスは何とも仰々しい芝居がかった物言いをしたのち、おそらくは礼に則った挙措を行ったのだろう、闇の向こうから微かに衣擦れの音を響かせた。途端、全てを覆い尽くしていた闇の緞帳の一部が、まるでスポットライトに照らしだされた舞台の上であるかのように、光によって切り取られる。

 

「笑えるわね。私としたことが失礼したわ。何ともまた優雅でなかった事……」

 

闇に生まれた光の舞台の上の中心では、ここが舞台の上だとするならば観客席にあたる方面へ向けて、メルトリリスが両手を大きく広げて喋っていた。彼女は此の期に及んで、物語のヒロインを演じているかのようだった。

 

「ここにお詫びと共に、改めて私の恋相手である貴方にご挨拶させていただくわ」

 

やがて主演女優/メルトリリスは姿勢を正すと、観客席側にいかにも役者が演ずるかのように優雅に一礼をしたのち、同じく舞台の上にたつ私へと向かって視線をまっすぐに向けてくる。その所作はまるで、まさにこれより舞台は開幕するのだと言わんばかりのものだった。

 

「ここは月の裏側。世界の平和を保つべく旧人類によってつくりあげられたシステムの内部。世界が溶け込んだ蠱毒の溶液と直結しつつある今や、ここは、世界の全ての運命を握る契約の箱の中に等しい場所」

 

告げたメルトリリスはくるりとバレリーナのように回転すると、刺々しい装身具のつま先だけで器用に片足立ちの姿勢を取ると、もう片方の足先を片足立ちの膝にまで振り上げたポーズでピタリと止まり、再び私に視線を送ったのち、再び口を開く。

 

「そして、私の名前はメルトリリス。世界を不変の状態に保つべく女神と化した間桐桜が、しかし永遠に続く孤独の闇に耐えかねて生み出した、その魂の裡より彼女の孤独を癒すための生み出された人造女神の別人格にして、かつてのあなたと同じく、世界の平和を保つべくして世界という存在に縛り付けられた永遠に壊れない不変不屈の精神を持つお人形。世界の裏側より世界を観察し、世界の平和を乱しかねない存在を人知れず排除する、機械装置。それが真っ暗闇の空間の正体であり、この私の正体よ」

「なっ――」

 

舞台の上でメルトリリスの口から芝居がかった挙措と共に語られた言葉の内容はあまりに衝撃的かつ想像だにしていなかったものであり、しかしまたそれ故に、そんな知らぬ知識の羅列の中にあった聞き覚えのある単語の存在が、混乱する頭へと刻みつけられる。

 

「間桐……、桜、だと?」

 

覚えのある名を聞いた途端に、はるか昔、生前多くの時を過ごした我が家の台所で儚げに笑う彼女の姿を幻視した。長く腰まで伸びた紫髪。美人といって一切違いない柳眉な顔。柳腰に艶のある体つき。脳裏に浮かんだ桜という少女の姿が、その年の頃を多少逆行させる想像をすれば、確かにやがて闇の向こうにいるだろうメルトリリスのイメージと重なることに気付き、呆然とした。理解が出来なかった。否、理解が追い付かなかった。

 

「なぜ、彼女の名が……」

「あら、覚えていたの? 流石ね。あんな貴方の輝かしい生涯に比べれば所詮は路傍の石に過ぎないような弱い女の事を記憶の片隅にかもしれないけれど覚えているなんて、流石は元英霊。――いえ、抑止力の守護者だわ」

「――っ」

 

そうして今しがたメルトリリスの口より得た情報から桜の事情の理解に努めようとした途端、彼女の口から続けて放たれた鈴の音のような声色の言葉を耳にしたその瞬間、呼吸は完全に停止し、鼓動が急激に早まった。

 

「ぐっ……」

 

目に見える範囲に誰も存在しないという環境が、彼女の言葉が、かつて世界より隔離された場所に魂を保管され、ことあるごとに世界の守護者として呼び出されては殺戮を繰り返していた頃の記憶を呼び起こす。手に誰かを切り裂いた折の感触が思い出され、飛び散り肌にかかる血潮の熱さが、脳を焼く。

 

「ぐ……、ぬ……」

 

連鎖して、味蕾が血の味と乾きを訴える感触が、鼓膜へと焼きついた悲鳴が、鼻腔を刺激する全てが焦げゆくその臭いが、肌に残留している炎の感触が、網膜にこびりついた全てを焼き尽くさんと踊り狂う業火の光景が、同時に記憶の奥底に眠る元始の場所より引きずり出され、油断に弛緩しきっていた脳裏を傍若無人に駆け巡る。

 

「――いい悲鳴。興奮しちゃうわ」

 

過去の記憶が五感を刺激し、呼吸困難に陥った私のそんな喘ぐさまを耳にして、メルトリリスは目を細めて陶酔した表情を浮かべると、うっとりと酔ったような声色でそんな言葉を口にする。声色には、偽りの成分は一切含まれておらず、瞬間、夢の中でおいて何度か目撃した、彼女のそんな他人の不幸を喜ぶ加虐的な性質は確かに真実であったことを直観するとともに、そんな彼女に対して疑問が浮かぶ。

 

「なぜ……」

「うん?」

「なぜ、私なのだ」

 

体調は最悪だ。今にも倒れこみそうな状態、それでも必死に絞り出した短い問いの言葉には、君が桜の分身だという事は理解した。ならば君が私の事を知っている事情もおおよそ想像がつく。しかしなぜ私なのか。しかしなぜ、そんな他人の不幸を喜ぶような君は、自らの恋を宛てる役として、正義の味方をめざし、他人の幸福を歓び、自らの糧とするそんな男を選んだのか、という、今の私の疑念の思い全てが含まれていた。

 

「だって」

 

そしてそんなそのような思いが込められた、私以外には理解しにくいだろうそのたった数文字の中に秘められた思いを、おそらくは余さずに理解しつくしたメルトリリスは、迷いのない断言的な口調で答える。

 

「貴方と私は似た者同士だもの」

「似た者同士……?」

「ええ。だってあなた、私と同じで、基本的に他人の感情や都合になんて興味がなく、他人の感情や継ごうなんてものよりも自分の想いを叶える方が大切な、自分以外の他人をお人形のように思ってる人間でしょう?」

「――」

 

そして聞こえてきた彼女のセリフに、思わず過去より押し寄せてくる痛みも、痛みにあえぐ体の状態を整えてやるための呼吸をすることすらも忘れて、蒼白になって絶句した。言葉が出ないとはまさにこの事だった。彼女の言葉は私の最も弱きところを的確に貫いていた。

 

「私、知ってるのよ。貴方のことをよく知る凛の記憶を覗いたもの。そして私は、貴方がこの世界に現れたその時から、貴方に私の魂の欠片を埋め込んで、ずっと貴方の魔術回路の中から、貴方の事だけを見続けてきたんだもの。私は貴方が異世界という私の管理外の場所にいたその時だって、私はサコという私専用の端末を使って、貴方の事を見つめ続けていた」

 

息が苦しい。呼吸が乱れてまともにできていない。鼓動は馬鹿みたいに早まり、感情はこれから先に続く言葉を聞きたくないと訴えて来る。

 

「あなたはかつて、幼いころの事故が原因で、他人の気持ちをよく理解できなくなった。幼い貴方はそれを当然と受け止め、自分が実現しようとしている正義の味方という夢が他人には理解しづらいものだとも思うことなく突き進んだ。普通なら心が折れてしまうだろうそんなことを、けれど貴方はそれをやり遂げた。当然よね。正義の味方というあなたの理想を理解する人間以外、つまりは貴方の理想を理解しない全ての人間は、貴方にとってあなたの正義の味方という夢を引き立てるための単なるお人形に過ぎないもの。貴方は、『自分の体は他人のためにある』なんて言いながら、その実、他人の人格を認めず、自身の理想を理解しない人形として見下していた」

 

続く言葉はやはり的確に私の歪みとコンプレックスを捉えていて、鋭い言の葉が胸を貫く。高鳴っていた心臓がまるで実物の刃によって貫かれたかのように、不規則な挙動をおこない、不整になった脈によって脳裏がチカチカと明滅を繰り返していた。

 

「ほら。それは、この闇に包まれた世界の中で、私と貴方と桜以外の全てに価値を見出さず、それ以外の全てを私の人形としてしか見ない私と何が違うというのかしら?」

 

最後と言わんばかりに述べられたその言葉に、高鳴っていた心臓の鼓動が停止した。メルトリリスの言葉はこれまでに向けられてきた刃のいずれよりも鋭い切っ先となり、胸の奥底の心象を深く抉りとる。私は一言も反論が出来なかった。なぜならそれは、自分が言峰綺麗という男から指摘された通りの事実であったからだ。メルトリリスはこちらの無言を自らの意見に対する何よりの肯定と察したのだろう、嬉々とした声色のまま語りかけてくる。

 

「誰も貴方を理解しない者のいない、貴方を傷つける者のいないそんな世界は、これまでにないくらい幸せに過ごせていたでしょう? 誰もが貴方の理想を理解しているあの世界は、これまでにないくらい平和が保たれていたでしょう? あの世界はあなたの理想が完璧に実現された、貴方にとって完全な幸福のある、そんな理想の世界だったでしょう?」

 

メルトリリスのその囁きはまるで悪魔の誘惑だった。

 

「ねぇ、想像してみて。そんな、貴方にとって優しい幸福の時が、長く、ずっと続くのよ? そしてどこへ行っても貴方の正義が通用する世界の中で、私とあなたはずっと舞台の主役であり続けるの。それはとても素敵なことだと思わない?」

 

誰だって己の夢や幸福を実現するために生きているのだ。それが寸分違うことなく叶うとなれば、魂を売り渡すと豪語する輩だって珍しくない。それを、そんな幸福を彼女は与えてくれるというのだ。そんなもの、その辺道行く誰かに尋ねれば百人が百人、首を縦に振るに決まっている。

 

「今の私なら世界をそんな風に生み直せる。世界の平和を守るシステムだってきっと協力してくれるはずよ。私がこんな風に世界を好き勝手に組み替えたって、システムの精神修正が働かないのがその証拠。きっとシステムは私と同じように、人類の存続のためには人間の感情なんて余分、不要だと判断したんだわ。感情なんていう常に変化する要素を抱えた人間が、己の幸福をこそ最優先にしたいという本能を持ち合わせている限り、世界に真なる平和は訪れない。誰もが主役を主張したんじゃ、劇は劇にならないわ。舞台を成立させるために用意される主役の席はせいぜい一つか二つ。世界という舞台の上で演じられる劇の内容に『平和』と課題を望むなら、その舞台の上に主役として相応しいのは、正義の味方としてその生前も死後も平和のために尽くしてきた貴方と、生まれた時から平和のため尽くしてきた私の二人だけ。そうじゃなくて? だから――」

 

――ずっと二人で一緒に、私の用意した舞台の上、平和の夢に踊り狂って、理想に溺れてしまいましょう?

 

彼女の声が耳より滑り込んで鼓膜を打ち、頭の中に溶け込んでこだまする。

 

「今や貴方と私は、同じ極の存在ではなく、同じ性質を持つ、しかし真反対の存在」

「――」

 

無明の闇の中、こちらへと小さな手を伸ばす彼女の姿が目に浮かぶ。庇護欲そそる美しい少女の姿をした女神の彼女が、しかしそのまだ幼い顔立ちの上に妖艶な笑みを浮かべながら袖に隠れた小さな腕を伸ばしてくるその幻覚姿は何とも抗いがたい至上の魅力に満ちており、数多の人間を破滅へと導いてきた女神の誘惑と言う以外に例えようもないものだった。

 

「反する磁極が互いを求めて固く結びつくように、今や正義の味方を目指す貴方と正義の味方に尽くしたいと思う私の相性は、比翼連理よりもさらに強固な陰陽の如きものとなっている。ねぇ、そうはおもわない?」

「――っ」

 

彼女の放つ抗いがたい暴力的な魅力が視覚と聴覚を伝わって脳髄へと入り込んできた途端、先ほどの至上の幸福に満ちた世界が思い出された。再出現した想像の余韻だけで溺死を選択してしまいそうなほどの快楽の誘いが、体中に浸透する。

 

「さぁ、身を委ねてしまいなさい。私の愛はまさに天上の蜜に等しく、貴方を幸福に導くわ」

「―ッ!」

 

気を抜けば体中をとろかしつくしてしまいそうな快楽に、歯を噛み砕かんほどに食いしばり、歯茎から漏れる血の味を舌の上に広げることで対抗する。口腔に広がる血はやがて鼻の奥から逆流して伝わってくる鉄の香となり、その刺激は戦火の記憶を呼び起こした。記憶は、誘惑の声満ちる海の船の上、やがて自らを拘束する常識と自我の柱をへし折って海の底に溺れてしまうことを望みたがる自身の意識を船へと固定する縛鎖となり、碇となり、誘惑に負けそうになる自らの意識を現実へと縛り付けていた。

 

「そんな誘いには――――――、のれない……!」

 

その甘い蜜に満ちた誘いを一度受け入れて仕舞えば、二度と戻れぬ夢を見続けることになるだろう事を悟っているが故に。誘いに乗ってしまいそうになる自らを鼓舞する意味も含めて、必死に強がりの言葉で彼女の誘惑を否定する。

 

「強情ね。でも、簡単に誘惑に流されないそんなところも素敵だわ。でも、私にはわかるわ。貴方の本能は揺れ動いている。私には貴方の本心が私の提案にこれ以上ないほどの魅力を感じているのが、私には手に取るようにわかるわ。だって私は人類の集合無意識領域を住処とする存在で、かつての貴方と同じ場所を目指した存在なんですもの」

 

しかしメルトリリスは更にその蠱惑的な声を重ねて、セイレーンの歌に抗うオデュッセウスよりも強固に自らを諌め現実に縛り付ける精神的支柱をへし折ろうとする。彼女のその誘惑には否定を許さないような強制力が多分に含まれていた。

 

「君の願いは間違っている。他者に一方的に溶かしつくしてその在り方を組み替え、他人を人形のように扱い、一部の人間にのみ通用する幸福の夢を与えようなどと言う願いのどこに正しさがあるというのか。私と同じ性質の存在であると豪語するのであれば、今の私がそのような一方的すぎる正義を受け入れられないという事くらい、君には即座に理解できるはずだ」

 

そうだ。そんなものは間違っている。個人の考えをほかの全ての人に適応し、さらには幸福を簒奪しようだなんていう考えは、絶対に間違っている。確かに私は、かつて誰もが幸福であるという世界を実現させようと駆け抜けたこともある。否、今だってきっといつかはそんな理想を実現させてみせると思いながら足掻いている。だからこそ私は、彼女の考えが認められない――

 

「ええ。でも、そんな強情な貴方が、同時に、心のどこかで私の提案を受け入れてしまいたいと思っていることも、そして今まさに陥落寸前であることも、私は当然理解しているわ」

「――っ!」

 

認められないが、そうして理性は自らの理想を共有するだけの場所を作るというそんな子供じみた空想の世界を認められないと同時に、しかし自分の感情は彼女のそんなあまりにも抗いがたい魅力を持った言葉を否定することもできず、誘いをきっぱりと断る事が出来ないでいた。

 

「正義の味方は味方した正義しか救わない。そして世界にある幸福の総量は有限で、でも世界に広がる正義の数は人の数だけ、それこそ無限に等しいくらいに存在するわ。分子の数がどれだけ多かろうと、分母に無限が代入されれば、答えは限りなくゼロに近づく。けれど分母の数が全く同じ形の正義ばかりの『一』であれば、分子の数が増える分だけ、私たち、貴方が救いたいと願う人々の、貴方と正義を共有する人々が享受できる幸福の総量は増えてゆく。分子の数が増えるほどに、貴方はより多くのより密度の高い幸福を、より多くの人と共有してより得ることが出来る。そう。貴方は貴方の理想が完全に根付いた平和の世界を、貴方が思い描く形よりもより優れた形で実現することが出来るのよ?」

「だが、そこに私たち以外の幸福はない。そうだ。そもそも、彼らを舞台の役者として犠牲にした君の提案を受けることなど――」

「あら、私がいつ、誰を犠牲にしたというのかしら?」

 

メルトリリスがその細腕を振るうと、舞台は再び闇に包まれた。そして次の瞬間、暗幕降りたそんな舞台の上、無明ばかりが広がっていた闇の中に、見覚えのある顔が五体満足のしかし目を閉じた意識ない状態で無数に並んでゆくのを見て、度肝を抜かれる思いをした。

 

「凛! ギルガメッシュ! ランサーに、玉藻! シンにダリにサガにピエールに、響まで!」

 

見覚えのある顔を見つけるたびに彼らのその名を叫ぶも、彼らは呼びかけに応じることもなく、 再び闇の中へと滑る様にして消えてゆく。

 

「見ての通り、私はあらゆる彼らの命をこの月の裏側という場所の中に格納している。ギルガメッシュの様な私の蜜を逆に飲み込んでしまいそうな存在や、玉藻の様な蠱毒に耐性のある変わり種を手中に収めるのには苦労したけれど……、見ての通り、今や彼らは私の虜。無論、ここにいるのは彼らだけではないわ」

「――な」

 

闇の向こう側、メルトリリスがその袖に隠れた細い指を打ち鳴らすと、周囲の闇の中に先ほどとは比べ物にならない数の大勢の人間が姿を表した。突如として現れた彼らは、やはりまた死んでいるわけでない事がその血色の良さと、浮かぶ微笑みから理解する事ができる。

 

「彼らは別に死んでいるわけじゃない。彼らはただ私の中で眠りについているだけ。彼らは基本的に闇の中で各々の好きな眠りについていて、私が必要とするその時だけ、私の舞台の上に招待されて役者を演じることを強要される存在。言うなればサーヴァントみたいなものよ。いえ、寧ろそれよりは遥かに救われている存在よ。だって彼らはかつての貴方や私と違って、必要な時だけ劇の上に登場し、最低限の役割を強要される以外の時は、自らの望んだ夢を私が見せてあげているんだもの」

「――」

「私が望めば彼らはいつだって世界という舞台の上に再登場を果たす事ができる。彼らの顔を見た? みんな幸せそうに眠っていたでしょう? 貴方がそう望んだから、私の力によって、彼らはずっとそんな望む夢を見続ける事ができるのよ? 誰も犠牲になんてなっていない。誰も犠牲になることなんてない。ただ時折、悪い夢を見る以外に彼らはなんの憂いも持たずに、ただ幸福の夢の中を揺蕩っていられるの」

 

誘惑に耐えるべく歯噛みしようとするも、しかし聞こえてくる言葉と彼女の言葉の事実を証明するかの様な光景が目から飛び込んできて、顎に力が入りきらず、抗いは弛緩して開いた口を閉じるだけにとどまる。実際に放たれ体に溶け込んでくる言葉の一つ一つと、妄想の中で彼女のする挙措とが、心の柔らかい部分をくすぐり、体をだらしなく弛緩させていた。

 

「たまに苦痛が訪れる瞬間以外、誰も苦しまない、誰も傷つかない。そんな時たまやってくる苦しみだって、次に再び望む夢を見た時には、一時の悪夢として片付けられてしまう様なそんな世界。ねぇ、どう? 貴方の理想通りどころか、貴方の理想を超えた、そんな平和の世界が広がっていると、そう思わない?」

 

舞台の上を再び光に照らしたメルトリリスは、告げながら近寄ってくる。その声は甘く、提案は優しく、感情は目の前へと差し出された蜜を今にも舐め出してしまいそうな状態だ。そうとも、感情はとっくに陥落済みだった。今や我が身が誘惑によって命の道から堕ちないよう支えているのは――

 

「そう。私なら貴方の幸福をより高い形で実現してあげることが出来る」

 

――本当にこれで、いいのか?

 

私の理性が、また、彼女の提案にほとんど屈してしまいかけている感情が、彼女の放ったの誘惑の言葉の羅列の中に、何かのどに引っ掛かる魚の骨とすらいえないほどの小さな違和感を感じており、それらが係留のための縄として私という小舟が快楽の海の底へと沈まぬよう岸に引っ掛かっていてくれているからだ。

 

「さぁ……、一緒に夢の中で幸福の時を楽しみましょう?」

 

――ならばその違和感とはなんだ。

 

「ね?」

 

か細い理性の綱の働きに自身の命運を預けながら、ならばこの違和感こそがこの状況を打破しうる手がかりとなるだろうと考え、思考する。

 

――私はいったい何に違和感を覚えている……!

 

思考を走らせる決意をした瞬間、走馬灯のように記憶が駆け巡る。否、それはまさしく、今や正義の味方を廃業するどころか、人間として堕落しかけている私の、走馬灯だったのだろう。思考は記憶のはるか昔の最も古い生前のモノから順に目を通し、違和感の元を求めて模索してゆく。

 

「ぐ……」

 

脳裏へと次々に映るのは、未熟で愚かでしかし愚直なまでに正義の味方を目指していた過去のころの私の記憶であり、正義の味方の夢を私に教えてくれた養父の存在であり、そんな私を慕ってくれていた生前の桜の姿であり、そんな私のパートナーとして一緒に聖杯戦争を戦い抜いてくれたセイバーという存在であり、そんな私と組んでくれた遠坂凛という存在であり、そしてそんな私の敵として私の目の前に立ちふさがった言峰綺麗という男の存在だった。

 

「う……」

 

やがて記憶は、その短針の位置をはるか未来へとすっ飛ばし、脳裏の光景が鮮明さを増してゆく。長身の進む速度は増し、エトリアの大地の光景はやがて転生後入り口で初めて他人と会話した記憶へ移行し、立派な色彩豊かなエトリアの街の光景が、内装立派な執政院の光景が、新迷宮の入り口が、その内部と魔物の光景が、次々に現れては消えてゆく。

 

「――あ」

 

カレンダーをめくるかのように明滅しては千切れて失せ去ってゆく記憶は、やがて最近、異世界においてとある人物と邂逅した折の付近にてその進行速度を緩め、そしてある地点において完全に停止する。

 

「……思い、出したぞ」

 

瞬間、稲妻が脳裏に輝いた。煌く光はすぐさま違和感の元を照らしあげ、私は該当していた違和感の正体へと辿り着く。

 

「え?」

 

思ったものと違った言葉が返ってきたことに驚いたのだろう、メルトリリスが呆けた声を上げた。近場にまでよっていた腕が戻され、メルトリリスは身を引く。そんな挙措をして見せる彼女から数歩後退したのちにその呆けた幼面をしっかと見つめると、口を開いた。

 

「他人をすべて舞台の端役の人形のように扱い、自身は舞台の上で主役として踊り続けることを望む。そうとも、世界をそんな風に考えるその言い方を、そんな考え方を、否、まるで君のような物言いでの例え方を、私は確かにした覚えがある」

「――」

 

言葉に闇の向こう側にたたずんでいるだろうメルトリリスの気配が、私の言葉によって、緊張か、驚愕か、おそらくはそのどちらかによってだろう、強くなった。瞬間、私は己の辿り着いた答えの正しさを直感した。

 

「そうだ。あれはたしか――、そう、ライドウたちの世界で言峰綺麗と問答した時の事だ。私は言峰綺麗という男を前に、世界を舞台に例え、他人を私の操り人形と化し、私の幸福のために舞台の上でトリックスターを演じる事を望み、そしてまた、私と同じくして舞台に上がってくれる踊り子を求めている、というような発言を私はした」

「あら、それはやっぱり、私と貴方が似た者同士ってことの証明じゃない」

 

その言葉を聞いた途端、自らの意見が肯定されたと思ったのだろう、メルトリリスは喜色に満ちた声で私へと話しかけてくる。

 

「いや、違う。だがそれは、私が意識してしゃべった言葉じゃないんだ。それは確かに私の口から出た言葉であるが、私の無意識から生じた言葉だった。だとすれば、そう、だからこそ私は、確かにその私の口から出た言葉の表現が、君の口から出た言葉の表現と重なったという事実に、こうして違和感を覚えたんだ」

 

だが私はそれを否定して、私の考えを述べ続ける。

 

「――」

 

メルトリリスが眉をひそめた。その顔は口元までが困惑により歪んでいる。彼女は私が何を言わんとしているのか心底理解しかねているようだった。

 

「私は確かに、かつて思い通りにいかない世界に苛つきを覚えていた。私は確かに、かつて感情のままに動き、決断を先延ばしにする人々に苛立ちを覚えていた。私は確かに、かつて世界の平和を口では謳いながら、その実、求めるのは自分の幸福ばかりで、立派に文句は言う実現を目指そうとはしない、そんな人間の醜さが受け入れられず、それ故にそんな醜い生き物を守るために生涯を費やしてきた自分の愚かしさに絶望し、過去の自分を殺して八つ当たりをしてやろうと思うほどに後悔したことだってあったさ」

「なら――」

「だがしかし私は、だからと言って、自分以外の誰かに自分の絶望と嘆きを押し付けて彼らの幸福を簒奪し、世界という舞台を作り変えて、他人から意志を奪って自らの思い通りに動く操り人形にしてやろうなどと、そんなみっともない真似をしようと思ったことは、一度だって無かったんだ」

「――っ!」

 

メルトリリスの白い顔が真っ赤に染まる。おそらくは羞恥と怒りと期待外れによってだろう、彼女はその小さな体躯を震わせながら、睨めつける視線を私の方へと送ってきていた。

 

「そうだ。だって他人に対して罪悪感を抱いている私には、他人に対しての思いを後生大事に抱え込んでいた私は、自分が異端であることにコンプレックスを抱いていた私は、だからこそ他人の思いを否定する事なんて出来なかった。やりたくなかった……、否、出来なかったんだ。自分の身を守る事よりも他人の想いを守る事の方が大切だった私にとって、それこそが全てだった私にとって、私は私の考えと相容れない他人の考えでも、そんな彼らの思いを完全に否定して消し去るという事が出来なかった。だからこそ私は、やがて力ずくで彼らを私のいる世界から排除せざるを得なくなった」

「――」

 

だがそれらの視線と抗議の態度を無視して、私はやはり語る事を続ける。羞恥と怒りに満ちた視線を向けてくるメルトリリスは、しかし私の語りの邪魔をしない。役者である事を自認するゆえだろうか、舞台の上という場所が彼女をそうさせているのだろうか、メルトリリスは舞台の上で語りを続ける私の邪魔をすることは決してしない。彼女はまさしく舞台の上にたつ役者のようだった。

 

「生前、私は確かに他人の気持ちというものがほとんど理解できなかった。だから私は、自分と同じくらいにそんな彼らを蔑ろにして、排除してきた。そんな他人に対して理解を求めず、理解をしようとしなかった態度を、まるで人形でも扱うよう、と例えるなら、なるほどそんな言い方は適当であるかもしれない」

「……」

 

彼女のそんなプライドにつけこむような形で語りを続ける。言葉を重ねるごとに自らの思考が整然さを取り戻してゆき、行くべき道を、語るべき言葉を示す地図が作りあがってゆく。

 

「そう考えるならば確かに君と私はよく似ている。でも、確かに君と私は似ているけれど、やはり決定的に違っているんだ。君の願いは世界から隔離された固有結界のような場所に閉じこもってその中で自分たちだけ幸せを得ることだが、私の願いは世界という固有結界の外側にいる他人に自分の願いを理解してもらって、一人一人が異なる性格をしたみんなで幸せになりたいというものだったんだから」

 

言葉に歯軋りが聞こえてくる。メルトリリスの整った顔が不愉快の色に染まってゆく。

 

「しかし私はそんな私の願いを叶えることが不可能だと思い込むようになってしまったから、やがて今の君のように固有結界の中に閉じこもるようになっていった。絶望の果てに自ら殺そうと思い至ったのも、そんな自らの持つ唯一の望みが叶わないことに絶望し、孤独に耐えかねたのが原因なのだろう」

 

言葉にメルトリリスの不愉快の色が多少和らいだ。何が彼女の琴線に触れたのかはわからないが、とにかく今の私が優先すべきなのはこの語りを続けること。それ以外は一旦些事として切り捨てることとする。

 

「世界から隔離された場所でただ一人、世界の平和を守るために人知れず。戦い続けてきた存在。なるほどその事情を聞けば、確かに私と君はとても似た存在だと言えるだろう。否、真実、同じ存在といっても過言ではない。しかしそれでも、私の願いは他者の幸福を前提として生ずる自身の幸福であり、自身の幸福をこそ前提とした結果に周囲の他者へと幸福をもたらす君の願いとは違う。だからこそ私は、あの時私が語った言葉に違和感を覚えたんだ」

 

メルトリリスはたじろぐ。その反応を好機と見て、畳み掛けるようにして言葉を重ねる。

 

「そうとも。みんながみんな、好き勝手に生きた結果、それでもみんなが幸福になる。他人を人形のように扱っていようが、私の無意識の願いは、私の幸福の形はそれだったはずなんだ。どれだけ言葉が変わろうが、どれだけ思いが変質しようが、ずっと抱きかかえ続けて地獄の中を邁進してきたその無意識の正直がそうそう簡単に変わるわけがない。だからこそあの時私が言峰にそんな私の願いとよく似た、しかし決定的に違う願いを語るのは不自然で、そんな私が君の言う、自分たちの幸福のために世界の全てを礎にしようと言う提案を魅力的に感じているのは、絶対におかしいはずなんだ」

「でも――、事実として、貴方は私の提案を魅力的だと、そう感じているのでしょう? ならば正しいのは私で、間違っているのは貴方が今語った無茶苦茶な理論。そういう事に他ならないのではなくて?」

「いいや、違う。確かにその言葉が私の口から出たのも、無意識のうちに君の提案に抗いがたい魅力を感じているのも、また事実だ。だが、私が君の提案に魅力を感じているのは、君が言うように私と君の根本が同じだからという理由ではない所より生じる原因によって感じているだけの事なんだ」

「わからないわ。貴方が何をいっているのか、私にはさっぱり理解が出来ない。貴方のそれは、まるで子供の屁理屈みたいに破綻しているわ。貴方は何を根拠にそんなデタラメを――」

「根拠? 根拠ならあるともさ」

 

メルトリリスの言葉を遮ると、指を彼女へと突きつけて、言う。

 

「ところで君は先ほど、自分は人類の集合無意識領域に住まう存在だといったな。そしてまた、君は私に魂を埋め込んで、私の事をずっと観察していたともいっていた」

「――ええ、言ったわ」

「人類の無意識領域にいる存在である君という存在が私に魂を埋め込んで私の肉体に宿っていたというのであれば、私に埋め込まれた君の魂とやらが、私というその時まだ理性と感情の合一を果たしていないそんな現実と夢の狭間にいるようなあやふやな状態の魂と意識に対して影響を与えるのは容易いことだろう。そんな時、私の内側所より漏れ出すのは、固有結界内に閉じこもっていて外部世界との断絶が続いていた私の意識無意識ではなく、そんな私の内部に埋め込まれた魂が持つ意思のモノであり、思考をずっと接続状態で観察していた君の無意識、と、そういう事にならないかね?」

「……」

 

魔術師は世界との接続を容易なものとする魔術回路というものをその体に宿している。また、まともな師匠がいなかった故に無茶な鍛錬を繰り返してきた私の場合、通常分離状態にあるはずの擬似神経である魔術回路と通常の神経が癒着している状態にある。もしメルトリリスがそんな私の魔術回路に宿り、私の事を観察し続けていたというのであれば、彼女の魂が私の精神へと影響を与えるというのは、ありえない話ではない。

 

「――違う、とは言い切れない。たしかに私は貴方の魔術回路を起点として貴方に私の魂を植え付けていたわけだから、そういうこともあるかもしれないわ」

「だろう?」

「でもそれは、あくまで『かもしれない』、というだけの話よ。貴方が今話したその内容には、決定的に物的証拠が欠けている。貴方の語ったその内容は、全部貴方が推測した状況証拠に過ぎないもの。いえ、それ以下の妄想に過ぎないものだわ。確実な証拠のない推理なんて、役者のいない舞台上みたいなもの。そんな不確かな、むしろ貴方の希望的観測に過ぎない可能性の方が高いものを示して、一体貴方は何を証明したかったというのかしら?」

 

メルトリリスは見下す、というよりも、むしろ心底疑問に思っているのだろう、その顔には困惑の顔が浮かぶばかりで、私が語り出すより以前に彼女の顔へと浮かんでいた慈愛と狂気に満ちた表情は完全に失せていた。

 

「その通りだ。たしかに物的証拠はない。こんなものは私のそうであってほしいという私の思いから生まれた妄想なのかもしれない」

「……だったら」

「だが、これで私の中に希望は生まれた」

「――」

 

困惑の表情が固まる。

 

「私は君の幸福を受け入れたいと、心の底では実のところ自分も心底そう思っているのかもしれないと、そう自分自身を疑っていた。私は私自身を疑っていたんだ。だから私は君の言う所の幸福に満ちた夢の世界に溶けてゆくことも悪くないと、そう思ってしまっていた」

「――貴方は」

「私はいつかのように、私自身を信じられなくなりそうだった。君に語る平和の夢は私にとってあまりに甘美な蜜で、だからこそ私の感情も、理性もが、君にひれ伏しかけていた。信じられるものがなくなりそうだった。だが、今は違う。私は自らの意思で、私自身の進むべき道を、信じていい理由を、自らの中から見つけ出した。見つけ出した真実が嘘か本当かなんでどうでもいい。重要なのは、私が、私自身の中から、自らが他人の意見に屈服しないですむ理由を見つけ出し、他人が押し付けてくる幸福を跳ね除けて、自らの意思で、自分の選択と思いを信じて、未来に向かって突き進もうと決意できたという事なんだ」

 

言葉を重ねるごとにメルトリリスの余裕綽々の態度が崩れていく。彼女は信じられない、と、あっけにとられた顔をしていた。

 

「この道がどこに続いているかはわからない。だが、私はこの道を歩くと決めた。いつかかつて選んだ、誰もが好き勝手にやりながら、それでも平和に近い状態を保とうとみんなで一緒に歩いて行ける世界を求めて、突き進む事を決意した。そう決意できる希望を、私は誰かに与えられるわけではなく、誰かを理由にするでもなく、自らの中から、自らのために生み出す事が出来たんだ」

 

言葉とともに彼女を見つめると、メルトリリスは困惑に満ちていたその表情を能面のようにまっさらなものへと変えて、ひどくつまらなそうに見つめ返してきた。

 

「そう。つまり貴方は」

 

声色は落胆と失望に満ち溢れている。彼女は事実、酷く落ち込んでいるかのような雰囲気を纏っていた。

 

「ああ。私は君の与えてくれる幸福に満ちた蜜を一方的に受け取るなんてことは出来ない。そして、みんなを意思がない人形の状態にして幸福の夢を見せつつ、己の脚本した人形劇の上で勝手に役割を与えて利用しようとする君のその夢の形を認めるわけにはいかない。私の願いは、みんなで協力してみなが幸福に思える世界を作っていくというものなんだから」

 

その様子に僅かばかりの罪悪感を覚えながら、そう断言する。

 

「そう……、それが……、貴方の答え……、そう、なのね……」

 

闇の中に燦然と輝く舞台の上、スポットライトの中心点において、メルトリリスは目を伏せると、自らの体を抱きしめながら、とても残念そうに言う。言葉は尻すぼみで、途切れ途切れ。そんな様相はまるで、望んでいた王子様の口づけを得られなかった孤高のプリマドンナのように、儚げで、弱々しかった。

 

「……」

 

メルトリリスはそのままの姿勢で固まったまま、何も語らない。始まりの思いや経過はどうあれ、彼女が私を思って差し伸べてくれた救いを拒絶して彼女を傷つけてしまった以上、彼女の返事を待つのが、義務というものだろう。

 

「そう。貴方もやはり私を置いていってしまうというのね」

 

舞台の上で、彼女の様子を見守っていると、やがてメルトリリスは静かに動き出す。自らを搔き抱いていたメルトリリスはその姿勢を正すと、その全てを切り刻み傷つける装身具に覆われた小さな足を天高くに振り上げ、その青の爪先をこちらへと向けてくる。

 

「――いいわ。かつて私と似た存在であったとはいえ、今貴方はその枷より解き放たれた普通の人間。所詮不変の女神である私が提案する愛の形を、変化をこそ良しとする人間が受け入れられないのは道理というものでしょう」

「……メルトリリス」

 

能面のような表情を浮かべていた彼女は、能面のように変わらない表情のままに宣言する。しかしながらその宣言を告げる声色は、私の耳には強がりでばかりによって構成されている、酷く弱々しいものに聞こえてくる。

 

「今や私と貴方は水と油。いえ、氷と炭、蜜と泥ほども違ってしまっている。貴方が私を受け入れられなくても当然だわ。でも私は、そんな貴方をこそ、欲している。だから――」

 

メルトリリスは天に向かって両手をかざした。瞬間、彼女の気配が膨らんだ。格好とその外見にさえ目を瞑れば、どこにでもいる少女の持つ雰囲気しか持たなかった彼女は、一秒ごとに歴戦の戦士をはるかに凌駕する闘気を纏ってゆく。一秒ごとに彼女は強者として進化し続けていた。

 

「……! 投影開始/トレース・オン!」

 

瞬間的に反応して、魔術回路を励起させる。魔術回路に魔力が流れ、回路と癒着している神経がいつものように痛みを訴えてくる。そんないつも通りの反応を改めて感じながら、基盤に魔力を流しこみ、使い慣れた双剣を投影した。投影終了と同時に両手の掌からズシリと重い感触が伝わってくる。もはや飽きるほどに使いこんだ柄を握りしめると、手に馴染んだ感覚が自らの進化を示すかのように熱を放ち、心が熱く燃え滾る。

 

自らの理想を打ち砕かんとする強敵を前にして心が滾るのは、きっとあのバトルマニアの男の影響だろうと分析して自嘲しながら、しかしそんな自分の変化を悪くない思いつつ、目の前の少女の意志に真っ向から相対する。

 

もはや逃げることなどしない。言い訳も無しだ。私の選択がこの事態を引き起こしたというのであれば、彼女からこのような歪みを引き出してしまったというなら、その想いがいかに私に理想と相容れないものであろうと、ただ拒絶するのではなく、真正面から受け止める。

 

拒絶ではなく、許容を。その先に共にある未来を望めるのであれば、それに向けて突き進む。そして、何があろうとも、可能性がある限り、そんな未来を目指すことを諦めない。

 

対峙と理解とその果てにある平和。それを目指し続けることこそが、私の見つけた、正義の味方としての在り方だ。

 

「――メ……」

「私はそんな貴方を、貴方のまま、私の中に取り込みましょう。そして私と貴方は一つになる。貴方は私の中でずっと私の見せる夢に反抗しながら、でも、だからこそ私の舞台の上で私を飽きずに楽しませ続けてくれる王子様となる。それはきっと、とても素敵なことだわ」

 

呼びかけようと声を出しかけると、天を仰いぎながら強者としての気配を肥大化させ続けていたメルトリリスは畳み掛けるようにして語り終えると、同時に目を正面の私へと向けると、冷たい瞳の中に狂った熱情を秘めながら見つめてくる。その想いを余すことなく真正面から受け止めると、彼女は口角を高く引き上げて、その能面じみた表情を酷く蠱惑的なものへと変貌させた。

 

「さぁ、私の王子様。貴方が私の愛を拒絶するというのなら――、私はそんな貴方の拒絶すらも包み込む愛で、貴方を受け入れ、蜜に溶かし込んであげましょう!」

「――っ」

 

言い終えると言葉を交わす間も無くメルトリリスは突撃してくる。そして闇に包まれた空間の中、唯一煌めく広い舞台の上、正義の味方と女神の舞闘劇が開幕した。

 

 

繰り出される攻撃を防ぐたび、まるで巨木を叩きつけられたかのような衝撃が腕に走る。全身に強化を施していなければ、武器にこれまで以上の強化を施していなければ、私はとうの昔に彼女の足技の前に散っていただろう。

 

「――あは、あははははは! なに!? 大口叩いておいて、その程度なの!?」

「――」

 

メルトリリスはそのか細いカモシカのような左右の足から信じられないほどに重く素早い一撃を繰り出してくる。攻撃はいずれも、濁流のように重く、深海の水圧のように早い。その一撃や、私の手持ちの中でもっとも硬い、一枚一枚が古の城壁に匹敵するというアイアスの盾すらも容易く貫くかもしれない威力を秘めていた。

 

「つまらないわ! 貴方は私の献身と愛を拒絶したのだから、もっと私を楽しませる義務がある!さぁ、もっと、過激に、力強く、全力以上の力で抵抗してちょうだい、アーチャ! そして、もっと、もっと、私を楽しませなさい!」

「――」

 

メルトリリスは如何にも自らこそ上位者であると言わんばかりに、苛虐に足を、苛烈の言葉を発してくる。蝶のように舞い、蜂のように刺す。使い古された古典的表現であるが、彼女の清涼と激流入り混じり併せ持つ攻撃と動作は、まさに彼女を言い表すに相応しいものであり、彼女のそんな女神の舞踏を表現するために生まれてきたのではないかと錯覚してしまうくらいには、彼女の舞闘は美しく、そして強かった。

 

「どうしたの!? 言葉すらも発せられないくらいに怯えてしまったの!? 相容れない存在、貴方にとっての悪党を前にして無言を貫くなんて、正義の味方を自認する貴方らしくもないわ! さぁ、もっとおしゃべりしましょう! 舞台はその高貴さに相応しい一流の役者の言葉と挙動があってこそ、完璧に完全なものとして完成するものなのだから!」

「――」

 

メルトリリスは浮かれた声で小鳥のように囀る。その様だけを切り取ってみるならば、姦しいだけのどこにでもいる少女に見えなくもないが、やはりその人並み外れた造形美と、その肩部胸部を覆い隠すマントと秘部を僅かに隠す金属片以外に何も纏っていないという状態と、そんな少女が大の男に向かって奇怪な造形をした義肢装身具を振り回して殺傷せしめんとするという状況が、メルトリリスという幼い見た目の少女を非日常極まりない存在へと変貌させていた。

 

「私の夢! 私の望み! 私の願い! 私を生んだそんな人から託された想いと願いの全てごとを貴方は拒絶した! わからない! 私にはその理由がわからないわ! 貴方は、貴方たちは、どうして幸福の風に凪ぐ楽園を拒絶して、黄昏の向こう側に旅立とうとするの!?」

 

そんなメルトリリスの攻撃を受けながら考える。苛烈に繰り出される攻撃を受ける意識の中に浮かんでくるのは、しかし目の前に次々と登場する死の具現を避けなければいけないなどという思いではなく、そんな命を削り取る死神の鎌を振るう彼女に対する疑念だった。

 

「永劫続く幸福の世界の何がいけないというの!? 桜もいなくなってしまった倦怠に満ち溢れた世界の中、新たな刺激を求めることの何がいけないというの!? 」

 

メルトリリスは自らが破綻している理論を語っていることに気づかないままに、絶叫する。その言葉に、メルトリリスの望みがどこからやってきたのかを知った。メルトリリスは永劫がないこと、終わらない夢などない、自分が不変などという存在でないことを心のどこかで自覚しており、またいかなる理由によるものかはわからないが、おそらくメルトリリスにとって大切だった闇の中で彼女とともにあった桜という存在を失ってしまい、永劫の孤独を耐えられないのだという事を実感してしまったからこそ、メルトリリスは自分という、自分の事情を理解してくれそうな存在/イレギュラーを望んだのだろう。

 

「不変の女神である私が、永劫変わらぬ愛と幸福を与えてあげようというのよ!? それの何がいやだというの!? 」

 

思う。メルトリリスは決して、女神などという不変の存在でないのだ。目の前にいる存在は、多少過激な格好をこそしているが、ずっと闇の中に一人でいたために、ちょっと歪んだ性癖と性格を持つに至った、そんなどこにでもいるさみしがり屋の女の子でしかないのだ。

 

「あの闇の中で再び一人で倦んでいけというの!? せっかく望んでいた幸福を得られそうだったのに、それを諦めろというの!?」

 

メルトリリスは現実を否定し、咆哮する。彼女にとって、私の否定は、不変の拒絶は、永劫続く闇の中、ただ一人で過ごせという宣告に他ならなかったのだ。ならばこうして今、彼女が叫び、怒り、足を振り回しながら暴れているのはつまり、不変などという存在がないのだとしたら、そうである事を望まれたしかしただの女の子でしかない自分は、再びあの闇の中でどう過ごせばいいというのかという、そんな訴えに等しいものだった。

 

「いやよ! そんなの、絶対に嫌! 知らなければよかった! 知らなければ私はこうなることもなかった! そうであれば私は、桜の代理、不変のお人形として、与えられる幸福を永劫に貪っていられたの! そうであれば私は、こんな気持ちなど抱かずに、ただ幸福の凪の中で永劫に揺蕩っていられたの!」

 

所詮は桜という人間から作り出されたお人形でしかない自分は、世界で生きた経験などというものをほとんど体験したことのない自分は、いつか桜のように自分のような存在を生み出すこともできずに、あの桜のようにシステムに取り込まれてしまうだろう。メルトリリスはそれだけは御免だった。メルトリリスはそれが怖くて、そんな現実と運命から目をそらすために、必死で幸福の夢を見ようとしていたのだ。

 

「その先が絶望に繋がっているのだと知ったら、未来など夢に見たくはなかった! ずっと世界のシステムの手先として、世界を舞台に、悲鳴を糧に、人形遊びに興じていたかった!」

 

彼女はただの人間で、どこにでもいるワガママな女の子だ。それがAIとして、機械として生きようとしたから、周囲がそれを望んだから、彼女はこうまで歪んでしまった。

 

思う。たしかに彼女はかつての自分と似た存在であるのだと。生きている限り戦争は終わらない。人同士の争いはいつまでたっても終わりがない。だから夢を見た。いつかやがて、人以上の存在になれば、そんな願いを実現するシステムに組み込まれたのなら、いつかは問題も解決できるようになるだろうとそう思っていた。だから心を閉じて他者と関わることを避けて生涯を走り抜け、そんな夢を実現した。しかしそうしてかなえた未来、人以上の存在になっても、自分の真の願いである永劫続く平和という願いは決してかなわないのだという事を知った。

 

「なぜ貴方は私の前に現れたの! なぜ貴方は私の前に現れてしまったの!?」

 

私は己の幸福のために、永劫の平和という夢のために、あらゆる犠牲を容認して生きてきた。メルトリリスは己の幸福がやがて消え去ることを恐れたがために、世界を犠牲にしてでも、己の夢を叶えようとした。

 

「なぜ私とよく似た貴方は、私とは違って不確定な未来に憧れることができるの!? なぜ私とよく似た貴方は、そうも永劫の幸福をたやすく拒絶することができるの!?」

 

永劫という幻を夢見たものは必ず現実の前に敗れ去る。現実という名前の巨人は、月に映る幻想を打ち砕く。エミヤとメルトリリスは永劫続く幸福を夢見て、しかし現実という巨人の前にあっけなく夢を打ち砕かれた者同士なのだ。

 

「なぜ貴方は、私と同じ境遇にありながら、私と違ってそんなにも救われているの!?」

 

目の前にいるのは自分だ。だからこそ私は、心底彼女を救いたくなった。こんなものは自分の我儘だ。世界を溶かし尽くそうとしたそんな相手を救ってやりたいなどとは、あまりに自分勝手な願いだ。しかしだからこそ私は、初めて、自身の幸福の願いのためだけでなく、自分事として、彼女が幸福になる手段を探してやりたいと思っていた。

 

「ねぇ、黙っていないで教えて頂戴!」

 

目の前にいる彼女への想いが強まったその瞬間、耳に飛び込んできた悲痛な叫びが、過去の記憶を呼び覚ます。悲痛な声によって喚起されたのはしかし、永劫の中にあった過去の辛い記憶ではなく、生前、とても短い間にあった、胸を溶かすような幸福だった頃の記憶だった。

 

「ねぇ!」

 

声と剣戟が遠い。刹那よりもさらに細かく分断された時の流れの中、意識は遥か昔の記憶の残渣を掻き出し始めていた。

 

 

『問おう。貴方が私のマスターか』

 

はじめに脳裏へと浮かんできたのは、たとえ地獄に落ちようが忘れなかったその光景だった。倒れこむ自分を静かな目線で見下すは、高くにある窓辺より差し込む月明かりによって美しく照らし出された金髪碧眼の銀の鎧をまとった少女。それこそが私という存在の運命を決定的に変えた少女との出会いだった。

 

かつて、一人の少女がいた。少女は、聖剣に選ばれて王となった人物であり、その瞬間より不滅の王となり国を永遠の平和と幸福に導く宿命の呪いを受けてしまった存在だった。

 

彼女は騎士であり、王だった。しかしそれ以前に少女だった。気丈で、勝気で、見栄っ張りで、毅然としていて、一見すれば弱くて可憐な、どこにでもいるそんな少女だった。

 

彼女は強く、そして強く、どこまでも強い存在だった。伝説に残るほどに強く、誰かを助けるために自分を殺せるほどに強く、国という存在を守るために人の心を殺せるほどに強く、守った国の民から王には人の心がわからないといわれ、しかしそんな発言を当然と許容できるほどに強かった。

 

そして強かった彼女は、しかし国が国自身の積み上げてきた業によって滅亡の危機に瀕した折、国の滅びの未来に到達しようとしているのは自らが弱い王であったからだと判断し、国の滅びを回避するために、自らの存在を抹消せしめるために万願を成就させる聖杯などというものを望み、聖杯戦争などと愚者の祭典に身を投じた。

 

『判らぬか、下郎。そのようなものより、私はシロウが欲しいと言ったのだ』

 

しかし、そんな国の行く末を打ち砕くために参加した戦争において、彼女はそんな永劫の幸福を夢を見る事を諦めて、私の命とすぐそこに迫っている終わりある幸福の道を選んだ。

 

泣いて叫べばよかったのだ。もう嫌だと喚いて、その小さな肩に乗せられた責務を投げ出してしまってもよかったのだ。滅びの道に続くと分かっている未来なんて、選ばなくてもよかったのだ。

 

私もそれを望んだ。しかしそれでも彼女は自らの歩んできた道を歩み続ける事を選んだ。その道の果てにあるのが絶望の未来だという事を知りながら、そんな道を進むと、そう決めてしまっていたのだ。

 

『――私は、野郎ではない』

 

果てに彼女は、この両腕をすり抜けて、地獄への道を進んでいってしまった。自分は男ではなく女であると告げたそんな女は、しかし、愛を囁く男の腕の中より、戦場の片隅、森の木下で配下に見守られながら死ぬ運命を選択した大馬鹿者だった。

 

『――シロウ。貴方を愛している』

 

私が愛した彼女は、私を愛しているとそう言いながら、感情なんてものを過去に置き去りにしてしまった、自分の身よりも他人の事を優先にするそんな破綻した人間が、しかし他人の事よりも自分の事を優先にしてほしいと懇願してしまうほどに、底の底までこの心を占有し、想いを奪っておきながら、永劫の夢を終わらせるために逝ってしまった。

 

振り切ったと思った。彼女が望んだのだから仕方ないと思った。そう思おうとした。しかし、一度知ってしまった蜜の味を人はそう忘れられるものじゃない。隣にあって当然だった人がいない世界は、こんなにもつまらない。愛した人がいない世界はこんなにも色あせている。

 

多分、世界中の困っている人に手を差し伸べ用なんて大層な夢を抱くようになったのは、それが原因なのだろう。それまでは正義の味方として生きようという決意こそあれど、それをどうやって実行に移すかなんて考えたこともなかったのだから。

 

愛する彼女を失った痛みは世界を救うなどという夢を実行させる原動力となり、私は破滅の道と永劫の幸福を心底望むようになった。そうだとも。私もかつては目の前で叫ぶ彼女と同じように、永劫の幸福を夢見る愚者だったのだ。

 

私はそして多くの人間の慈悲と献身に助けられながらここまでやってきた。もし彼女がいうように、私が彼女の目から見て救われているとそう見えるというのであれば、それは私は彼らによって救われてきたからだ。

 

私は彼らによって肉体を救われ、精神の歪みを矯正されてきた。不変の呪いの中にあった肉体を遠坂凛と過去の衛宮士郎の献身によって救い出されて転生した私は、その後、多くの人との出会いを通じることでやってきた遅いモラトリアム期間において、歪んだ思想から生じた永劫へと続く間違った答えを得そうになるたび、その歪みを言峰綺礼という私のかつての敵から修正され、果てには、そんな存在に心どころか、命や未来すらも救い出され、この場所までやってきた。

 

私は誰かに救われてきたからこそ、ここにいる。誰かに救われてきたからこそ、こうしてここで世界の命運をかけた戦いなどというものに、身を投じることができている。私は自らの愚かしさの代償によって得た不変の呪いを受けたという経験があるからこそ、同じくこの、世界から不変の呪いを受けた少女の前に立つことができている。

 

ああ、なるほど。そう考えるのならば、これは運命だ。陳腐な物言いだが、そうとしかたとえようがない。私は彼女を救いたい。私は私と同じ苦しみを味わっている彼女を、私と同じ苦しみをこれからも味わう運命を背負っている少女をその枷から解き放ちたい。

 

『私は君の与えてくれる幸福に満ちた蜜を一方的に受け取るなんてことは出来ない』

 

瞬間、先ほど自らの口から出てきた言葉の意味を悟り、胸が高鳴る。ああ、なんだ。私はすでにあの幸福の夢から目覚めたその時から、夢の中で彼女が与えてくれる幸福を幸福として感じていたその時から、そうだったのだ。

 

言い訳に腐心する必要なんてなかったんだ。私は私の思いの丈を素直に伝えるだけでよかったんだ。心はこんなにも光で満ちている。こんな想いを抱くのは、本当に久しぶりだ。

――私は目の前のこの少女と、共に在りたい

 

はるか昔、いつかかつて運命と出会った夜に抱いた想いが、時を経て今再び、闇と光が支配する戦の匂い満ちる空間にて復活する。想いを自覚した途端、夢と現実の境界は瓦解し、停止させていた時計の針は、問答無用で再び時を刻み出していた。

 

 

「――つまらないわ」

 

記憶に残る過去の残滓が自らの正直な想いを気づかせたその瞬間、メルトリリスは唐突にその動きを止め、不満げな顔を浮かべると、一足飛びにて舞台の中心から少し離れた場所に立ち止まった。

 

「貴方……どうして反撃してこないの? どうしてただ一方的に、ひたすらに、鈍亀のように縮こまって私の攻撃に耐えてばかりいるの? 単純に私の動きについていけない、というわけではないのでしょう? ハリネズミにされるのがお望みというわけ? そんなの……、ちっとも貴方らしくないわ」

「――」

 

戦闘をわざわざ中断させてまで彼女が不満げな態度を露わにする事を決意したのは、どうやら私の戦い方が気にくわない事によるものであったらしい。

 

「もっと苛烈に、もっと抵抗して、そして――……なによ、その顔は」

 

――さて、どうしたものだろうか……

 

素直に理由を話してしまってもいいのだろうかと逡巡していると、彼女は私の態度から私が懊悩を抱えていることに気づいたらしく、その袖の内側に隠れた指先をこちら側に向けながら強くいってくる。視線は強く真実を話せと訴えている。

 

――ううむ……

 

「言いたいことがあるならさっさと言ってしまいなさい。男らしくもない」

 

いや、まさしくその通りだ。こんなのはなんとも男らしくもない。だが、待って欲しい。もし仮に目の前に敵対している存在がいるとして、そんな存在に対していきなり愛の言葉を囁くなどという非常識を私は一体、どのような顔をして行えば良いというのだろうか。

 

真正面から告げれば案外、受け入れてもらえるかもしれない。だが、目の前の素直でない少女の場合はどうだろうか。訝しみ、策謀と疑って、さらに苛烈に攻撃してくるかもしれない。いやいや、それとも――

 

「ちょっと。なに無視してるのよ。失礼ね」

 

悩んでいると、メルトリリスは文句を言いつつ、その眉尻を徐々につり上げてゆく。その反応を見やるに、語ろうが語るまいが、どのみちまともでない結果になるのは同じかと腹をくくり、思いの丈を余すことなく伝えるべく、諦観混じりに、羞恥を抱えながら、口を開く。

 

「――その、だな」

「なによ」

「その――、可能であるなら、私は君と戦いたくない」

「――は? 何よそれ。この期に及んで日和見に走るというの? ――ダメよ。そんなのは許さないわ。貴方は私の提案を拒絶した。貴方は私の与える夢の形を拒絶した。貴方は私の与える愛を受け入れる事が出来ないといったのだから、そう選択したのだから、その選択の責任は取ってもらわないと、わりに合わないわ」

「あー、その、なんだ」

「なによ。はっきりしないわね。――抉るわよ」

「いや……、その、だな。……違うんだ」

「違う? 何がよ」

「私は君のそれを受け取らないとはいっていない。私は君の与えてくる愛をただ一方的に享受し続ける事は出来ないと、そういったんだ」

「――は? どういう事?」

「その、――――――もし、君が……、そう、もし君が望むのであれば、ああ、いや……、この言い方は卑怯だな。そうだな――。私は君の――、君が私の事情や性格を知りながら、私を君の恋の相手として選んでくれたという事を、私は嬉しく思っている。知っての通りの頑固な朴念仁であるし、不器用なものだから、こう自分の素直な思いを告げるもの初めてで、上手く君の意に沿う様な受け答えが出来る自信はないのだが――、もし君が、今でも私に対して好意を持ってくれていて、今後も持ち続ける気があるというのであれば、私も君の好意に応えたいとそう思う。だからこそ、私は、君の愛をただ一方的に受け取るわけにはいかないし、そんな二人の都合に他の人を巻き込むのは感心しない、と、そう言いたかったのだ」

「――は?」

 

彼女の顔が理解不能の一色に染まる。その反応がなんともこそばゆく、全身に生じるむず痒さを我慢しながら、その先の言葉をなんとかひねり出す。

 

「その――、だからだな――、……君の想いは正直嬉しかったし、君の示す未来の在り方に心惹かれたというのは、たしかに事実だ。君のいう通り、君の――、ああ、もう!」

 

我ながら言い訳ばかりで本題に到達しないその臆病と浅ましさに苛ついて、思わず頭をガシガシと掻くと、そんな風に叫んでしまっていた。メルトリリスは突如として感情を昂らせ、そして発散した私の所業に驚いた様で、目をパチクリさせている。彼女の感情に空隙が出来たその隙を好機と判断して、浮かび上がってきた言葉をそのまま口にすることとした。

 

「――君を愛している。不恰好で悪いが、私は君のその好意に応えたいと思っている」

 

口にしたその直後、言ってしまった、と

 

「――――――――ぷ」

「――」

「あ、あははははははは。あは、あは、あははははははは」

 

言葉にメルトリリスは大笑いする。不変の女神を自称する少女は、両腕で腹を抱えて、頭を大きく上下させながら、無邪気に、どこにでもいる少女のように、舞台の上、闇の中に潜む観客の心にまで響けと言わんばかりに、心底愉快そうに大笑いしていた。

 

「な、なによ、それ。子供の告白か何か? 下手くそにもほどがあるでしょう? まさかその年になって初めてやったというわけでもないでしょうに」

 

やがて笑いをやめた彼女は、しかし腹を抱えるその姿勢を崩さないまま、目尻に涙を浮かべつつ、そんなことを問うてくる。

 

「……遊びや冗談の付き合いならあったが、私の事情や背景を知ったうえでの相手に応えるのは初めてなのでね。緊張もするし、不慣れも仕方なかろう」

「っ、ぷ、あ、あは、あははははははは」

 

決意の告白を笑われ、多少気分を悪くした私は、我ながら子供っぽいとは思うのだが、不貞腐れ気味に言い放つ。それを見たメルトリリスは、再び腹を抱えて笑うと、しばしの後にうってかわって真剣な表情を浮かべて言い放つ。

 

「――本気なの?」

 

顔は抜き身の真剣のようだった。あるいは、舞台上に立つ一流役者のそれだった。

 

「本気さ。冗談も嫌いではないが、このような場面でそれを言うほど空気を読めない性質じゃないつもりだ」

「私はかつての貴方と同じく、世界のシステムの一部よ。契約と術式に固く縛られた、かつての貴方と同じそんな存在。私と一緒にこの場所で幸福の夢をみる以外、貴方はどうやって私と一緒に貴方の幸福を実現させようというの?」

「その契約と術式がいかに強かろうが、それが実在するというのであれば、如何様にでもその契約を破棄する方法など思いつく。契約破棄の短剣/ルールブレイカーを用いてもいいし、最悪、月のシステムとやらを破壊してしまえばよい」

「私は犯罪者よ? 世界の全てを巻き込んで、私の思うがままに改竄し、そこに住まうすべての人間を己の人形にしようとした、そんな大罪人。貴方はそんな女を伴侶として愛そうというの?」

「君の力を用いれば、この世界は君の思うがままに修復する事が可能なのだろう? 都合のいい話だが、その力を用いてこの世界と彼らを元の形に戻し、その上で君の事情を彼らに話してやれば、それで彼らも許してくれるかもしれない」

「――それで? ダメな時はどうする気? 正義の味方として私を処断する気?」

「許してくれるまで逃げ続けながら、ひたすら一緒に謝り続けよう。私は君と共に一緒に逃げながら、逃げたその先で、誰かの救いの願いに応えられる正義の味方としての活動が続ければそれで構わない」

「――」

「それで、どうだろうか」

 

改めて問いかけると、常に冷静の仮面を被り、冷徹と苛虐の態度を保っていた彼女はしかし、途端にすべての気配を霧散させると目を泳がせ、落ち着かない様子で彼方此方へと視線を遊ばせたのち、顔を真っ赤にさせてそっぽを向く。

 

「まるで三流のシナリオだわ。戦いの最中、敵の言葉の短剣で胸を貫かれて幕を引く展開だなんて、シェイクスピアが聞いたら卒倒してしまいそうなくらい、陳腐で、使い古された、なんともつまらない展開……」

 

そして彼女は悪態ばかりつく。その反応から察するに――

 

「ということは――」

「――違う! 違うの! あの、そうじゃなくて……」

 

拒絶だろうか。そう問いかけようとしたん、メルトリリスは目を瞑り、静かに首を振って私が述べようとしたその言葉の先にある答えを否定すると、あー、だの、うー、だのと、意味のない言葉を幾度となく羅列させると、その唇を緩ませながら華のような笑みと目に涙を浮かべて、その言葉を口にした。

 

「その告白、喜んでお受けするわ、私の王子様」

 

そしてメルトリリスは胸元に飛び込んでくる。抱きとめたその体は、世界の全てを管理している存在とは思えないくらいに軽かった。

 

 

「――それで、これからどうする気?」

「そうだな……、メルトリリス。ひとまず、彼らと世界を元の通りに戻せるか?」

「ええ、もちろん。それが貴方の願いだというのなら、私は喜んでそれを実現してあげるわ」

「――そうか」

 

メルトリリスの言葉にホッとする。多分大丈夫だろうという疑念混じりの想定が彼女の肯定によって確信へと変化し、この選択は間違っていなかったのだ、とも確信した。

 

「だめですよ、先輩。私の可愛い娘をかどわかして攫おうとしたりしちゃあ」

「――な」

 

舞台の上、ついに望む通りに真のヒロインとなった彼女と抱き合っていながら今後について相談していると、突如としてそんな声が聞こえてきた。驚いて声の聞こえてきた方を振り向く。するとそこには、闇を一枚のワンピースであるかのように纏っている、はるか昔、我が家や学校にて飽きるほどに見てきた後輩の姿があった。

 

「さ、桜!?」

「桜!?」

 

私の驚愕の声と、一拍遅れて叫んだメルトリリスの声が舞台の上に不協和音となって鳴り響く。何がおかしいかったのかそれを見た桜はクスリと漏らしながら静かに微笑みを浮かべて見せると、闇の中、私たちのいる光の舞台に向かって、舞台裏の位置より一歩踏み出した。直後。

 

「なっ」

「なんだっ」

 

瞬間、メルトリリスが闇の中へと作り上げた光の舞台へとは瓦解した。同時に周囲に満ちる闇がその触手を無数に伸ばし、私たちはあっという間に闇に拘束されてしまう。

 

「な……」

「――桜。これは何の真似? 私に手をかけようとするだなんて、ついに狂いでもした?」

 

闇の拘束はあまり強く、身動き一つとる事すらも許されない。強固すぎる枷をはめられたことに驚く私を余所に、メルトリリスは毅然とした態度で闇の中に潜む桜へと問いかける。問いに桜は口角をつりあげると、かつての制服を纏っていた頃の彼女と態度でいう。

 

「何の真似……、って、決まっているじゃないですか。恋に落ちて盲目になり、役目を放り出して駆け落ちしようとしている悪い子と、そんな私の娘をかどわかした悪い王子様を捕まえただけですよ? 狂っているなんて酷いなぁ。ふふ、私は貴方達よりずっと正気ですよ」

 

桜はくすくすと笑いながら言う。言葉に嘘はなく、彼女は真実そう思っているようだった。桜は闇の中、ただひたすらにかつてのように笑い続けている。その様は何とも狂気じみたものだった。

 

第十一話 終了

 




変化と成長。どんな存在でもきっかけさえあれば、いつだって望むように変わることが出来。正義の在り方。完全な相互理解は不可能だけれど、自分なりに相手をわかろうと努力すれば、本質は見えてくるし、そうやってわかろうとしていることを示せば、いつかきっと想いは正しく相手に通じる。

この物語の根底にあるテーマとスタンスは大まかにそれです。物語もあと少し。どうぞお付き合いいただければ幸いです。

ここまでご一読いただき、ありがとうございました。
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