Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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改めて記載させていただきますが、本物語におけます世界樹、fateの設定には多くに独自解釈や勝手にこちらで設定したものを多数含んでおります。世界樹におけるマギニアなどの設定、飛行都市の解釈、桜やメルトリリスといった登場人物の設定などは、私のSFや神秘好きが高じて暴走した結果です。どうぞご了承ください。


第十三話 世界樹の迷宮 −the phantom atlas− (一)

第十三話 世界樹の迷宮 −the phantom atlas− (一)

 

深き瑠璃色の底に全ては沈んだ。

 

弱者の烙印を押されしものは、蠱毒の坩堝へと取り残され、

強者の烙印を押されしものは、朔望月の深淵へと隔離され、

烙印を押されなかったものは、深き闇の中へと姿を消した。

 

人の子が失ったのは大いなる力と蓄積してきた全ての歴史。

新世界が失ったのは母なる大地とそこに住まう全ての生物。

事情複雑に絡まりあった今、世界の真実を知るものはもはやなく。

それは失われた大地と共に深淵の玉座でただ一人、

今なお精神の破壊と再生を繰り返され続けている、

最も真理に近い痴愚の女王ですらも知り得ぬことである。

 

 

世界には空飛ぶ鯨、と例えられるものが存在する。それはどこまでも広がる大地のはるか上空に浮かぶ雲の海の中、時に強風にあおられ、時に雷雨と対峙しながら、優雅に、雄々しく、煙の尾を引きながらどこまでも力強く飛翔するが故に付けられたある飛行船の渾名だ。鯨、という海において最大の生き物に例えられるその体に至るや比喩ではなく巨大であり、なんと己が体内に街一つの飲み込んでいるほどの大きさを誇っている。巨大飛行都市マギニア改。それこそがこの縦に二百メートル以上、横に二キロメートル以上もある超大型の飛行船機械鯨の正式名称だ。

 

万年の間に細々とした改良こそ施され、ついには名前の後ろに改良の証として一文字が尾ひれに着きはしたが、マギニア改の基幹部はかつて飛行都市マギニアの呼び名で呼ばれていた頃とほとんど見た目は変わらない。例えば、一見白く見える鯨の背にあたる部位は、超硬質かつ光を吸収してエネルギーへと変換する、剛性、柔軟、耐熱、耐冷、防塵、防雷、耐水、耐圧に優れた、特殊な超硬質半透明型複合多積層シリコン太陽光にて形成されている。はるか昔、電気文明が栄華を極めていた頃に開発されたその特殊太陽電池は、付随して超発展を遂げた技術によって発電効率ほぼ百パーセントという化け物じみた効率を発揮し、体積約1.6km^3、総重量約三十万トンという超巨体の飛行都市を飛翔させるためのエンジンを起動させるエネルギーと補助のエネルギーを賄い、都市生活のためのエネルギーまでをもほとんど生成しているというのだから驚きだ。

 

驚き、というのであれば、巨大な腹部から尾部にかけて組み込まれているジャンボジェット機にして1000台以上もの重量を持つ超巨体を空中へと浮遊させ、空を自由に飛び回らせる複合積載型特殊エンジンユニットも、そんな巨体と内部都市の稼働エネルギーを貯蔵することのできるポリマーメッシュ構造のスーパーキャパシターも、飛行の際に自己再生と振動遮断機能を持つ堅牢強固な特殊加工耐熱セラミック隔壁をおろし内部と外部の繋がりを完全に断つことを可能とするシステムも、内燃機関動作や内側都市の生活によって発生する有害物質を完全無公害でクリーンな煙と再生可能素材とに選り分け変換する浄化装置も、発生する振動や音を抑制し吸収するダンパーや音吸収材の仕組みや構造や素材も、それらを万年も時間一切のメンテナンスなくして正常稼働する事を可能とした一連の科学と錬金術の融合によって生まれた超技術もまた驚くべき機構であり、脅威的だと言えるだろう。

 

だが飛行都市マギニア改は、その外装や内部に使われている超技術の数には反して、飛行船の前部、通常の鯨に例えるなら口から腹の中にかけて広がっている都市部には、過去の科学技術によって生み出された特殊な超技術は排水や水道といった生活基礎基盤部分を除いていっさい使われていない。たとえば三層に分かれた都市部の街並みは、どこにでもある土に漆喰やレンガ、石、コンクリートなどで構成されている。都市として少しでも多くの人を収容するためだろう、雨後の竹の子のように聳え立つ背高の建物群はそのすべてがエトリアにあったような欧州東欧風の造りをしており、街並みも同様だ。最下層にある工業地区も、中層の商業居住地区も、上層の役場地区も、日の光を浴びて柔らかい光を街中に反射し、街中を日の当たらない暗渠じみた場所には、隙間を嫌うかのように樹木が設置されている。

 

過去の技術がふんだんに使われているわりに、内部が外の文明に合わせた造りとなっているのは、元を辿れば刻一刻と変化する世界に対して常に記憶操作やスキル等の陣を敷き続けるため必要となる正確な地図帳(/Atlas)を更新し続けるために造られた飛行都市マギニアとそこに住まう住人たちが、万が一世界樹の大地に住まう電気文明を失った人々と接触しなければならない事態となった場合、地上に住む彼らの不信感や不安感を少しでも減らすための工夫だ。とかくにして飛行都市マギニア改とは過去の遺産の中においても、最高の技術者たちが最高の資材と技術を惜しみなく用いてつくりあげた、その気になれば成層圏はおろか、はるか彼方星の海にまで旅立つことを可能とする奇跡の産物であった。

 

だが常ならば人間と環境に無害な白煙を腰部のマフラーや排出口より轟々と噴出させながら多くの人間を乗せて飛行するその機械鯨は、周囲を闇に包まれた今、空の海を泳ぐ元気をなくしたかのように静けさを保っている。本来ならば暗黒の帳おりた夜の時間帯であったとて、まるで眠ることを忘れたかのように煌々と光を発する下層工業地区も、街のほうぼうの窓から漏れる光によって彩り豊かな街並みの様子を見せてくれる中層商業居住地区も、今や完全に光が失せてしまっていた。

 

常ならば飛行都市マギニアにおいて最もにぎわうその場所は今、人の声、営みの証どころか、風の流れ、木々のざわめきに至るまでも、まるで時が止まってしまったかのように静まり返っている。中層、下層はまさに廃墟であるかのようだった。

 

だが、飛行都市が完全に死んでしまっているのかといえば、そうではない。騒乱を常とする中層、下層地区が静まり返っているのに対して、常ならば静寂と安寧が支配するギルド本部や入国審査所等の役所が集中する上層は今、底なしの闇を照らす街灯の下、落ち着きを中層、下層へと交換してしまったかのように騒乱の最中にあった。

 

「――!」「――!? ――、――!」

 

そして常なら静かな飛行都市上層部において、特にせわしなく声を上げて動き回っているのは、常ならばその場所を静寂に保つことこそが使命であるはずの衛兵たちだ。

 

「おい、結局回収できたのは何人だ! 被害状況は今どうなっている!」

 

上層部、噴水のある広場の前、状況を素早く確認するために噴水の前に仮設置された宿舎では、多重円の魔術紋様刻まれた豪奢な鎧を着こんだ衛兵のまとめ役らしき男が叫んでいる。

 

「不明です!」

「こちらの兵士も大半が地面にいたため、回収した人数の確認どころか、我が方の兵達の安否確認作業すらも終わっていません!」

「融解した泥を全身にかぶってしまった兵士や冒険者は全て昏睡状態に陥っており、かろうじて接触するだけに逃れた者たちも泥より齎される快楽によって、依然として酩酊、錯乱状態にあるものばかりです! また、彼らは逐次無事を保っていたメディックやハーバリストらの手によって治癒が施されてはいますが、未だに戻ってきたものはほとんどいません! とかく完全なダメージリポートは困難と思われます!」「ちっ……」

 

男の声に反応して量産型の鎧兜を着込んだ兵士たちが口々に彼へと報告をした。しかし、口々に叫ぶ兵士達より戻ってきた返事の中に男が求めていた有意義な確定情報が含まれているものはほとんどなく、スポーツ刈りの男は舌打ちを一つ漏らすと、短く刈り込んだ頭を撫でて、疲れと落胆を表すかのように一つ溜息を吐いた。

 

「――」

 

眉間にしわを作る男はまるで破裂寸前の火山のようだった。上役のまるで怒りを爆発させる直前の様子を見た兵士たちの間に緊張が走る。冷たい闇に熱が生まれ、白く染まった息が仮初の大地に落ち込んでゆく。

 

「――よし、わかった。ある程度人数と怪我人などの状況を把握したら、もう一度こちらへ報告を。正確でなくても構わん。ともあれ、状況を大まかにでも把握するのが最優先だ。いいな!」

 

だが兵士たちの緊張を余所に、周囲で体を硬くするため息とともに腹立たしい気持ちをため息と共に大地へと投げ捨てた男はすぐさま冷静さを取り戻し、周囲に待機している兵士へと激混じりの力強い言葉を飛ばす。今や男は、この混乱の中において現場指揮官たる自らはだからこそとりみだすわけには行かぬと、湧き上がる怒りの熱をすべて行動のためのエネルギーに変換したのだった。

 

「は!」「承知しました!」「では、ただちに確認作業へと戻ります!」

 

兵士たちは、命を果たせぬ己らの不明さによって湧き上がったのだろう怒りを己の内側へと飲み込み、消化し、冷静な指示を出してみせた男の態度に背筋を正して敬意を表すると、それぞれの持ち場へと戻ってゆく。豪奢な多重円の魔術紋様刻まれた鎧を着こんだ短髪の男は彼らがそれぞれの職務に戻っていくのを見やると、仮設置された骨組みと布屋根だけの粗末な宿舎から外に出た。一歩外に出ると、いっこうに起きる様子をみせない冒険者、兵士たちの姿が目に映る。闇の中横たわり治療を受ける彼らは、何ともだらしないうめき声や叫び声をあげていた。彼らの姿を見た男はメディックの一人から聞いた診断結果を思い出し、なんともやりきれない気持ちになった。

 

「幸せの夢から覚めたくない、か」

 

雲霞の如く横たわる夢見人の顔を覗きながら彷徨する男はそれらの全てを嘆くように長く深い溜息を吐く。

 

「欣喜に浸るならせめて雀躍してくれりゃ可愛げもあるんだがな……。全く、そんなにこの世は辛い事ばかりだというのかね、こいつらは」

 

自身を鬱屈とさせる光景ばかりが広がっている地面から逃がすようにして、視線を飛行都市の天井へと向ける。すると遠くどこまでも広がる闇のその手前に上層のさらに上、尖塔の先に広がる底無しの暗黒を恐れぬかのよう高く聳え立つ城の姿が目に入った。それは飛行都市マギニアの支配管理層が住まう、はるか遠方までを見渡せるよう造られた、天駆ける白亜の塞城と名付けられた高御座だ。弧を描く高台の上に聳えるその城を見やりながら、男はつぶやく。

 

「さて。あの場所をアスガルドのヴァーラスキャルーフとか例えていた英雄たちのご一行は、今頃何をしているのかね」

 

 

白亜の塞城探索司令部

 

 

飛行都市マギニア改。白亜の塞城と呼ばれる飛行船の最上部城塞のさらに上の方に位置する探索司令部は、まるで古くイタリアはローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂のような造りをしている。ロマネスク様式の質実剛健さを保つ空間は無装飾の厚い壁や柱、アーチに囲まれており、天井から地上までに伸びるマギニアを代表する家の紋章刻まれた深紅の垂れ幕が部屋の雰囲気をさらに荘厳なものとしていた。女湧き出た鬱屈の思いに導かれる様にして窓の外を見て、目を瞑り、思いに耽る。

 

彼女の瞼の裏側に浮かんだのは、ある日の夕焼けの光景だった。雲の上を帆走るマギニアの下、広がる雲霞の白波を追って地平線まで追いかければ、沈みゆく太陽を中心に照らされて琥珀色へと染まる空の風景を目にすることができる。そして地平の彼方へと押し遣るように太陽の上側に峨々として連なる雲に目をやれば、その際を昼夜の境目とするかのように、雲より先どこまでも果てしない深い藍色へと続く、見たものが必ず胸をうたれずにはいられない光景を見やることができるのだ。

 

常なら最奥にある十数メートルはあろうかという天井にまで長く伸びるゴシック建築のはめ殺しの窓から飛び込んでくるそんな外の光景だけが、マギニアに住まう王族へと課せられた地図上から魔女のお化け(/ファタ・モルガナ)などから生まれる幻想を殺し続ける終わりなき航海譚(/イムラヴァ)を更新し続けなければならないという使命感と、使命の重さを示すかのよう造成された周囲の空間の荘厳さからくる息苦しい雰囲気を和らげてくれる――

 

「――はぁ……」

 

のだが。窓の外の光景を見た女性は、猊下、はるか下方に広がる飛行都市マギニアの上層部噴水広場で未だ多くのマギニア兵たちと歴戦の冒険者たちが眠りこけているのをみて、むしろ今まで以上に鬱屈とした気分を抱き、酷く億劫そうに湿った溜息を吐く。そんな有様を目にした瞬間、女性の胸には再びやりきれないという思いが湧いて出た。頭部の動きに反応して、整った顔を飾るティアラについたトパーズと両耳元の六角柱水晶イヤリングが軽やかに揺れ、シニヨンポニーテール風味に纏められた赤毛の尾っぽがふわりと舞う。

 

だが華美な装飾の揺らぎが彼女の気を晴らすことはなく、むしろいっそう顔を顰めさせた豪奢な鎧に身を包む女は、しわ寄った眉間に手を当てて、思考する。

 

――あの大騒ぎの中、慌ててマギニアに稼働命令を下し、泥に飲み込まれる寸前の多くの兵士や冒険者たちを助けたはいいが、泥に触れてしまった彼らを助けるため、戦争に参加させずにいたマギニアの守護兵士たちの多くが犠牲となってしまった。

 

冒険者たちを助けるため、代わりに泥の中に飲み込まれてしまった兵士たちは少なくない。無論、目の前で助けを求める人を見捨てるという選択肢を取るつもりは毛頭なかった故に、命令を下した事自体は後悔していない。だがそんな命を下したが故、マギニアの兵士たちに少なくない犠牲が出てしまったというのもまた事実だ。

 

――何かを成し遂げるためには何かを失う必要がある。

 

世において最も平等かつ公平な原理である等価交換の法則だ。天秤の二つの秤に載っているものが誰かによって価値が公平に定められている物品同士であるならば、それはどちらかを選ぶのかという問題を最も容易いものとしてくれる法則である。だが両天秤の秤に乗せられたものが人間や希少価値ある物といった、つまりは個々人によってその存在価値が異なるものである場合、その法則はあらゆる問題を解決不能であるものとする、最も厄介な法則と化す。

 

――指揮官の立場にあるもの、どちらが正しいかなんて答えのない迷宮に迷い込むことなんてしょっちゅうだ。

 

天災、人災、どちらであれ、何の犠牲もなく問題が解決することなんて滅多にない。どうあがこうが誰かを助けようとすると、少なからず犠牲は出る。犠牲なんて出ないほうがいいに決まっている。それでも全員の命を預かるものである以上、どうにか割り切って、一人でも多くの人を救える選択を出すというのが、指揮官として陣頭指揮をとる将の責任であり、マギニアの王族に生まれた自分自身の誇りであり、矜持だ。

 

――常に変化し続ける世界地図を更新し続けるというマギニア王族の使命を優先するのは当然として、その過程において発生する犠牲を少しでも少なくできるというのであれば、本来他人が定めるべきでないだろう他人の命の価値を数と役割で判断する覚悟もできている。

 

判断が適切であったか、不適切であったかなど、後で生き残ったものが好きに定めればいい。使命を果たすため、脇目も評判も気にせず、己が信じるがまま動き、死力を尽くす。自分の正義とはつまるところそれだった。誰を助けるか、助けないか。果てに自分の判断のために犠牲となった者の家族、知り合いから責められる覚悟はとうの昔にできている。けれど――

 

――判断材料が何もないでは、この犠牲が必要であったのか否か、不等価か等価か、助けるか、助けないかの判断すらも、自信をもって正しいと言い切れなくなってしまうではないか

 

悩む女は向けていた瞳を地より天へと移動させた。窓の外、目を眇めさせ眺めると、常の時ならば目眩いばかりの深い蒼穹か星空が広がっているそこには今、触れた人を快楽の中へと引き摺り込むという猖獗極めた性質をもつ魔性の泥と、泥に関連した異物ばかりものばかりが散乱している。人の魂や世界が溶け込んでいるという泥はまた、部位毎に濃淡というものがあるらしく、取り込んだ光が内部で乱反射し、ラブラドル長石のように揺らぐ光を発している。異なる屈折率の成分が幾重にも積み重なりできた光景はなんとも蠱惑的で、なるほど泥が身を蕩けさせるほどの快楽をもたらすというのも嘘ではなさそうだ。同時、本来ならば幻想的な光景を映し出すはずの窓の外に目を覆いたくなるような現実が映っているという皮肉がもたらす暗鬱とした思いを己の中に留めておくことが出来ず、女はその瑞々しい薄唇からはぁ、と、もう一度、重苦しい溜息を吐く。

 

「ペルセフォネ様……」

 

すると女の情念がこもった様な湿り気のある吐息に反応して、彼女の周囲にいた兵士たちが同情の視線を向けた。兵士達の視線は、自ら達や自らの仲間達に死地へ迎えとの命を下したものに対する視線にしては、ひどく暖かいものだった。兵士たちが自らたちの同僚数十名を不明の状態とした彼女に対して冷たい視線をむけないのは、探索司令部というマギニアの兵士たちの中でも特に優秀であるものしか配備されないところにいる彼らが、その地位に至るまでに部隊指揮官という経験も積んできており、代理として指揮権を握って以来、窓の側で佇む夙夜どころかほとんど丸一日の時間をこの場所で過ごしている現マギニア最高司令官の彼女の精神的疲弊と気苦労を察する事が可能であるためのものだろう。兵士たちは指呼の先にいる女指揮官の神経を少しでも刺激しないよう、普段以上の態度と所作で部屋の静寂をさらに深いものとし、部屋にはわずかな呼吸音ばかりがせせらぎのように響くだけとなる。

 

「何だ、何だ! 随分と陰気臭いじゃないか、おい! 」

 

だが、徐々に一人の女が纏う陰鬱な空気が支配しかけていたそんな部屋の中、似つかわしくない気楽と呑気さを多分に含んだ声が反響して、鬱屈とした雰囲気が霧散する。部屋の端の窓際にいた女性と、彼女のそばに蔵人の如く付き添っていた二人の兵士と、彼らの近くにいた二人の少女、二人の青年と一匹の猫が、一様に驚きと戸惑いの顔を声の聞こえてきた方向へと向ける。彼らの視線の先に映ったのは、ドカドカと無遠慮な足音たてながら扉より部屋の中央へと進んでくる一人の女だった。

 

「これじゃ勝てるものも勝てなくなるじゃないか! ――よし、そんなお前達に気の晴れる良いものを見せてやろう! 見よ! この生まれ変わった魅惑のボディ!」

 

彼らが自らへと視線を向けられたのを見て機嫌をよくした女は腰までまっすぐに伸びる豊かな光の加減よるものか金色にも亜麻色にも見える髪を靡かせながら、頭と腰にそれぞれ片手を当てて全身を見せつけるようなポーズをとった。女の頭部では花の髪飾りでハーフアップブレイドにまとめられている髪が、遅れて服を飾るアクセサリーであるかの如く舞う。自らへと視線を送る者たちを魅惑せんと青い瞳の片方だけを瞑る女性は、まだ二十代も半ばに達していないように見えた。

 

彼女は自身が主張するよう確かに同世代の女性たちと比べればグラマラスな体つきをしている。女の豊かな血色の良い白い肌を包むのは、体型に自信が切れないようなピッチリとした黒布一枚インナーと、青と白で構成されたフィット&フレアー型の上品なドレスだ。また、彼女はインナーとドレスに包まれた胴体からすらりと伸びた手足を、少し煤けたレンガ色の手袋とブーツが包み込んでいる。

 

それだけならば貴族のパーティーに出席する予定の男装の麗人と見えなくもない彼女を、しかし少し野性味のある冒険者風に飾り立てて、溌剌な女性から倒錯的な魅力を引き出しているのは、両腕、両足、両肩で銀色に輝く同じ意匠の施された手甲足甲肩当ての存在と、彼女が腰にぶら下げる十字架の形状を模して鋳造されたバスタードソード。そして背中に取り付けられた逆三角形の盾の存在だ。

 

「どうだ! これが歴戦の冒険者のみが持つ魅力、そして私個人の美貌というものだ!」

 

麗しき令嬢が扱うにしては似つかわしくない荒事用の装備をしかし何とも自然に身に着けながら、鍛え上げられた肢体を他の人物へと見せつけるべくポージングを取る彼女は、まさしく魔物との戦闘や未知なる場所の探索をこそ生業とする冒険者という存在を代表する存在と言えるだろう。

 

「師匠……」

 

やがて静寂と厳粛ばかりが支配するその場に突如として快活と陽気さをばらまいた彼女へとあきれた声色で話しかけたのは、彼女よりも先に着替えを終えてこの部屋の中に待機していた、白衣をまとった少女だった。

 

「む、なんだ、メディ子。賞賛ならこのパラ子。惜しむことなく受け取ろう」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

師匠――パラ子からメディ子と呼ばれた十代半ばほどの外見の可愛らしい少女は、首を振ってショートの栗色髪を揺らすと、隠そうともせずに長くわざとらしい溜息を吐く。仕草に、羽織っている前止め四つボタンの特殊な形状をした白衣と、その下に纏うネイビーブルー、バルーンタイプのドレスのスカートの裾が、着用した本人の落胆を示すかのようにひらりと舞っては落下した。

 

「師匠……。師匠はご自身の職業を覚えていらっしゃるんですか?」

「なんだ、急に馬鹿丁寧な口調になって。――もちろんだ。私がそのようなこと忘れるわけがなかろう」

 

メディ子が額に手をあてながら心底呆れたように述べるも、師匠は彼女の想いにまるで気付いていないらしく両手を腰に当てなおすと胸を張って言う。

 

「私はパラディンだ。あらゆる状況下において冷静にして、沈着を保ち、どのような激しい攻撃や環境に対しても弱音を吐くことが許されない、パーティーの皆を守り、その命を預かる、あらゆる職業の中でも最も優秀なものでなけれれば務まらない、過酷な職業だ」

「ええ、まぁ、いろいろと言いたいことはありますが、この際それでいいです。――じゃあですよ」

 

師匠と呼ばれた女性が自信満々に答たその言葉を聞いたメディ子は、先ほどまでよりもさらに多くの皺を目元に寄せると、我慢の感情の発露の証を片手で揉み解しながら、静かに言う。そして一拍置いた後、スニーカーで地面を踏みしめ、片手に持っていた天使の意匠刻まれた杖を師匠へと突きつけた。

 

「ええ、師匠。貴女がご自身の職業とその役目を忘れていないとおっしゃるのでしたら、今の師匠のその味方とご自身を守るための重鎧をどっかに追いやった、まるでパラディンとは思えないような軽装姿はいったいなんなんですかねぇ」

 

言いながらメディ子は片手でしっかと杖を握りこむと、もう片方の手をハーブの詰まったショルダーバッグに手をあてた。師匠の格好を非難するメディ子の瞳は、もし師匠のそんな軽装姿がいつもの師匠のクソくだらない謎理論によって生み出されたものであるなら、迷いなく杖を振りぬくか、メディ子の頭ほどの大きさもあるショルダーバックに突っ込まれたハーブを駆使して混乱の状態異常を治療してやるという、悲壮な覚悟と決意に満ちていた。

 

「うむ。実はこれには深い理由があってだな」

「深い理由……、ねぇ……」

 

メディ子の覚悟に気付いてか気付かないでか師匠はメディ子の問いかけに瞼を閉じて腕を組み、幾度もうなずいた後、一度閉じた瞼を開いて真剣な眼差しでいう。師匠の青い瞳には一切の迷いや戸惑いがない。その様からメディ子は、師匠が彼女なりに真剣に考えた結果、重鎧を纏わないフェンサーと呼ばれる剣士たちがするような格好をしているのかもしれない、などとは一縷すらもおもってもいないと言わんばかりの視線を、パラ子へと向けた。

 

「メディ子よ。パラディンがなぜ重く分厚い鎧をその身に纏うかは知っているな?」

「そりゃもちろん。敵の攻撃から身を守るためでしょう?」

「うむ。その通りだ。パラディンは味方の盾となり、味方と敵の攻撃との間に自らの身を差し込んででも敵の攻撃を防ぐのが役目。――だがな」

「はい……」

「先の戦いを見て思ったのだ。この先にも敵との戦いがあるとして、そこで敵が繰り出してくる攻撃がさっきのエミヤとかいう赤い外套の男とシンとかいうブシドーが繰り出すようなスキルレベルにして99くらいはありそうなものであるなら、ぶっちゃけ重鎧の守りなんてあってないもの……。盾でいなして攻撃の威力を受け流すならともかく、スキルを使ってダメージを肩代わりしようと身体に纏った鎧で直撃の一撃なんて喰らったら即蒸発してお陀仏だ。あんな馬鹿げた威力の一撃、真正面から受け止めようなどと考えれば、まず間違いなく即死してしまうに違いないと私の経験が告げている。ならば一秒でも素早く盾で攻撃を受け流すための準備を出来るよう、重たいだけの枷となる鎧なんて脱いだ方がいい。すなわちこれからは、肉盾ではなく回避盾の時代だ! と、私は悟ったのだ」

「――」

 

師匠の言葉にメディ子は目を見開いて呆然とした表情をしてみせた。わなわなとふるえる手からは力が抜け、握られていた杖がカランと音を立てて地面に転がる。メディ子は落ちた杖を拾おうともせずに、ゆっくりと杖を落とした手で口元を覆うと、もう片方の手で師匠を指差しながら、言う。

 

「嘘……。師匠がまっとうな意見を述べるだなんて……!」

「なんだと!? それはどういう意味だ、メディ子!」

 

魂の底よりまろび出たといわんばかりメディ子の本心からの言葉をきいて、師匠は目を吊り上げた。真剣さの浮かんでいた顔が一瞬にて怒り一色へと染まる。だが師匠のそんな怒りの言葉を聞き、態度を見ても、メディ子はまるで反応しないまま、わなわなと全身を震わせているばかりだった。メディ子はどうやら驚きと感動の極致から戻ってくることが出来なくなっているらしい。

 

「師匠……、私は師匠が師匠であるがゆえに師匠であることを諦めていましたが、師匠は師匠らしくない師匠にもなれたんですね、師匠……!」

「なんだ、人の事を寿限無寿限無みたいに繰り返しおってからに! というか、お前なー! 人の事をなー! いったいなんだと……!」

「仕方ないでしょう、パラ子。貴女がする突飛な行動は、大抵いつもいつも馬鹿な理由に起因するモノばかりじゃない。だというのに今回、貴女はひどくまじめな回答を返した。驚かれて当然よ」

「ガン子! お前もか!」

 

やがて師匠の言葉や態度にまるで無反応なメディ子に代わって、ガン子と呼ばれたメディ子よりもさらに幼い容姿をした小柄な女性が師匠に話しかけた。ガン子は師匠――パラ子ほどの長さはないものの、胸元から腰くらいにまで伸びたウェーブかかった豊かな金髪を書き上げて見せると、お前もかブルータスといわんばかりの勢いで突っかかってきたパラ子へと視線を向けなおし、告げる。

 

「ね、パラ子。貴女、海都で同じように鎧を脱いで水着で迷宮探索に行こうとしたとき、なんていったかしら?」

 

そしてガン子はトップにたっぷりとボリュームのあるつばなし帽の位置と帽子についたヒーホー君と呼ばれるキャラクターの飾りの位置を整え直しながら言った。青の瞳が彼女の性格を表すかのように冷たく輝き、パラ子を射抜く。

 

「――」

 

途端、パラ子は抗議の声を止めた。

 

「私の記憶違いじゃなければ貴女、目立たない、とか、体に自身がないんだろうと悪口を言われたからとか、ひどくどうでもいいような理由で鎧を脱いでパラディンとしての役目を放棄していたわよね?」

「あの、それは……」

 

ダブルのブラウンコートをしっかりと着込んだガン子の言葉に、パラ子は額に多くの油汗をにじませてたじろぐ。怒りの熱はどこへやら、パラ子の顔色はまるでガン子が背に持つ長銃から放たれる氷スキルにて撃ち抜かれたかのように、青くなりつつあった。

 

「その直後、いきなり部屋にこもりだしたかと思えば、スタイルの良い自分をモデルにすれば化粧品が売れるはずだから鎧を来ては潜れない、決まり文句は「あなたのお肌をフロントガード」で決まりだな、とか当時23歳とは思えないような自分の年齢を考えない痛々しい戯言を言い出すし……」

「あの……、ですからその、ガン子さん……」

「まったく、直前に潜っていたハイラガードの迷宮、フロントガードで後列守ろうとする馬鹿やらかしてメディ子の首を飛ばしかけたのはどこの誰だったかしらね。それに――」

 

顔色が青ざめてゆくパラ子の様子を見ても一切遠慮することなしにガン子がなおも暴露の言葉を続けようとする。その様子を見やったパラ子は、素早くガン子の前にまで近寄ると、九十度ほどにも腰を曲げて頭を下げると、大きな声で叫んだ。

 

「おなしゃす、ガン子さん! サーセン! 反省しました! もう私が目立たないとかナマ言いませんから、どうかその辺で勘弁してください!」

 

静かな空間にそぐわない、しかし先ほどまでの陽気な声よりは幾分か適した、真摯かつ真剣な声が響き渡る。

 

「あら、珍しい。貴女からそんな反省の言葉と殊勝な態度がいただけるなんて、一体どういう風の吹き回し?」

 

ガン子は流し目にて師匠へと冷たい視線を送って見せると、嫌味と皮肉たっぷりの言葉を彼女へと投げかけた。

 

「――その、ですね。周囲から私へと向けられる目線が厳しくてですね……」

「訂正するわ。とってもあなたらしい謝罪の理由だったわね」

 

しゅんと肩を小さくしたパラ子の述べた言葉に周囲を見渡したガン子は、豪奢な多重円の鎧纏った女性や、彼女のすぐそばに控える屈強そうな二人の兵士たち、そして黒一色の學生服の少年や、彼の傍らにいる黒猫が自分たちへと向ける視線を見ると、納得の様子の意がこもったため息をはく。心底呆れきったと言わんばかりの短い溜息の音色が、わずかな時間だけ空間の中に残響した。

 

「いいわ。確かに、昔と違って理由さえしっかりしているのなら、貴女の傷を抉ってまで貴女を責めなきゃならない理由はどこにもないもの。――ほら、メディ子。何いつまでぼうっとしてるのよ。さっさと正気に戻りなさい」

 

言いながらガン子はパラ子より目線を外すと、未だ呆然としているメディ子の頭をはたく。

 

「あたっ! ――、あ、あれ? わ、私は一体何を……」

「ごめんなさいね。うちのバカどもがご迷惑をおかけして」

 

三人の女性の中で最も幼い容貌のガン子はメディ子の反応をまるきり無視すると、深々と皆に向かって頭を下げた。幼い容貌と反比例するかのような優雅な所作に、女の態度に呆れ、あるいは殺気立った表情を浮かべていた兵士たちの雰囲気が一気に和らぐ。同時に場の雰囲気を和ませた少女に尊敬の視線がちらほらと降り注いだ。人の注目を浴びようとして身体を張った馬鹿をやった女よりも、そんな彼女を言葉数少なく諌めた少女の方が目立ち、人気を掻っ攫っていってしまっているあたり、皮肉という以外に言葉がない。

 

兵士たちの反応を見て肩を震わせたパラ子は、メディ子の方を向くと、今にも泣きそうな口調で言う。

 

「メディ子〜〜、なんでいっつもあんな性悪ロリの方が身体を張った私より人気なんだ!今の世の中、ロリやツンツン系クーデレ美少女よりもおねショタ、許容系年上美女の方が受けるんじゃなかったのか! こう見えて尽くすタイプなんだぞ! パラディンなんだぞ、私は! あれか! 全体攻撃が必要なのか! 求められているのは物理無効ではなく、千列突きと貫通と物理反射持ちだというのか! SQではなくデビサバシステムの方を世は求めているというのか! それともガチャか! システムが古臭いのが原因なのか! ああ、若さが憎い! 」

「うわ、師匠キモッ! や、やめろ! わけわかんない事言いながら顔中の穴から液体垂れ流して顔をこっちに近よってくん……、うわ、ちょ、やめ、くん――、ギャ〜〜〜〜!」

「ハァ……」

 

ガン子は溜息と共に背中から下ろした銃へ状態異常回復効果のある特殊な弾丸を二発ばかり取り出して銃に込めると、静かに撃鉄を引き、その銃口を目の前で空気を読まずに騒ぐ馬鹿二人の脳天へと向け、引き金をひいた。

 

 

「そろそろよろしいだろうか」

 

ガン子のガンナースキル『ドラッグバレット』の効果によってパラ子とメディ子の混乱が完全に収まった頃を見計らって、壇上に立つ女性――ペルセフォネが口火を切った。ペルセフォネの凛とした口調に、部屋の中に僅かばかり待機する屈強そうな二人の兵士たちが瞬間的に靴をそろえて背筋を正す。兵士たちの動作に伴いパラ子やメディ子も慌てた様子で真剣さを取戻し、マギニアの紋章の形をしたティアラを額に着け、豪奢な格好と多重円の魔術紋様刻まれた鎧を纏うペルセフォネへと注意を向けた。

 

パラ子らに代わって周囲からの注意を一身に受けた女性は、しかしまるで意にも解した様子を見せることなく、他の人たちより一段と高い場所から、兵士たち、師匠ら、ライドウらを睥睨している。揺るがぬ態度の彼女の代わりに、両耳に飾られた六角中の透明水晶と、青色の外套がゆらゆらと揺れていた。

 

「ええ。重ね重ね本当にごめんなさいね」

「構わない。このような危機迫る状況下において常と変わらない態度を保てるというのは、それだけで優れた冒険者である証と言えるだろう」

「……あれ? おい、メディ子。もしかして私、今褒められた? ていうか認められた!? な、なあ、姫さ――、むぐっ!」

「師匠……、良い子ですから、ちょお〜〜〜〜っとだけ黙っていましょうね」

「――ああ、それと、替えの服と装備、本当に貰っても良かったの? あの倉庫にあったもの、どれも貴重なものと聞いているけど」

 

後ろで繰り広げられているのだろう寸劇をあえて無視しながら、ガン子は続ける。

 

「構わない。たしかにマギニアの特級遺物保管庫にある武器や防具は、マギニアで活躍していた一級の冒険者たちが我々に残していってくれた貴重で強力なものばかりで、代々王族が受け継いできたものではある。その希少性故、王族たちは後生大事に懐に抱え込んで、使用どころか一般公開すらも控えていたようだが……、一級の冒険者である彼らが残していった武器や防具は、本来、保管して鑑賞し、愛でて嬉しがるような代物ものではない。あそこに保管されている武器や防具は本来、実用を考えて作られたものばかりなのだ。ならばこの非常時において、それらを有効活用出来そうな冒険者たちが目の前に現れたというのであれば、解放し、道具として生まれてきた存在意義を果たすことこそ、武器や防具にとっても本懐というものだろう」

「硬い……、そしてなんともロマンチックな考え方ね。でも嫌いじゃないわ、そういうの。でもそういうことなら、ありがたく使わせてもらうわね、マギニアの女王さま」

「そうしてやってくれ。保管庫で埃を被っているよりも、先の二人の男がやっていたように、思い切り使われて、その果てに使い潰された方が、武器や防具としても本望だろう。方がそれと……、その呼び方(/マギニアの女王)さまはよせ。今の私はあくまで代理指揮官だ。ただのペルセフォネでいい。――では軍議を始めさせてもらおうか」

 

凛と通る声と毅然とした態度で場の空気を一気に引き締まったものとしたペルセフォネは、ガン子の言葉を受けると、しっかりとしたライトブルーの瞳に宿る意志の光を強くして告げる。空間は完全に元ある雰囲気を取り戻していた。

 

 

「まずは現状確認をしておこう」

 

ペルセフォネが腕を振るうと、何もない空間へ光が投影され、空間を四角く切り取りと、やがて闇を照らすかのようにしていくつかの物体が虚空に映し出された。映し出された光景に驚愕した兵士たちのざわめきが部屋の中にこだまする。常なら諌める発言をするはずのペルセフォネも今回ばかりは混乱もやむなしと判断したのか、困惑の声を放置すると部屋の上部空間へと浮かんだスクリーンの中へその瞳を向けた。

 

「現状、ギルガメッシュという英雄王によってこの場――、ライドウと呼ばれる彼らの情報によればヴィーグリーズと呼称されている土地に呼び出された我々は、この闇の空間において、地球という我らの母なる星とは隔離された状態にある。そうだったな、ライドウ」

 

言いながらペルセフォネがライドウを見やる。

 

「――ええ」

 

同意を求める声にライドウは首肯と肯定の言葉を返した。仕草にライドウのトレードマークでもある漆黒の外套が揺れる。マントの裾間からはマギニア特級遺物保管庫より見つけ出した旧人類の遺物であり、彼がかつて通っていた学校の物でもあるという、黒い学生服が覗いていた。ライドウは今や、悪魔召喚管とそれを収めるためのホルスターを持たない以外は、黒の學帽、黒の學生服の上に漆黒のマント羽織り、腰に帯刀するという、常の彼と変わらぬ出で立ちをしていた。

 

「さて、我らは地球と隔離されているとはいえ、本来ならギンヌンガガプと呼ばれた裂け目を通る事により戻ることも可能であるのだが――」

 

ほとんど十全の状態となったライドウの首肯を受けたペルセフォネは、再び空中に浮かぶスクリーンに視線を移して話し出す。スクリーンに映るいくつかの異物の中、彼女がまず目を向けたのは画面の半分以上を占めている黒い泥だった。

 

「見ての通り、泥は完全にギンヌンガの裂け目を覆い尽くしてしまっている。もはやギンヌンガには蟻の子一つ通る隙間すらも存在していない」

 

蠱毒の呪いの術によって生まれた世界樹に住まう生物や大地が溶け込んだというその泥は、数十キロほどの大きさのギンヌンガの裂け目の全てから、濁流のように溢れ落ち続けている。泥は、一万平方キロメートルにも以上にもその領土を拡大させ、今もなおその魔の手を伸ばし続けていた。

 

「泥に触れた際どうなるかは、諸君らも知っての通りだ。泥は触れた者に恐ろしいほどの快楽をもたらす。完全に浴びるか、あるいは一部でも頭に触れるかしてしまえば即座に昏睡状態へと陥り、素肌に振れただけでも発狂状態へと陥り、どちらにせよ魂を一時的に彼岸へと連れて行ってしまう。また、ライドウらの言によれば……、その理屈は私もよく理解できていないのだが、この快楽をもたらすという泥は実数と虚数入り混じった、半物質半霊的なグノーシス的存在であるらしい。物質であると同時に霊的でもある。この特性により、泥は長く接しているとやがてあらゆる物質を貫通するような性質を持つし、泥の量が増えるほどにその物質貫通速度も増すのだとか」

 

ペルセフォネは言いながら、闇の空間ある裂け目より刻一刻と広がってゆく泥の伸びた先へと視線を移す。視線の先では彼女の言葉とライドウの言が嘘でないことを証明するかのように、泥によって内部悉くに至るまでを蹂躙された鉄巨人の姿があった。

 

「この発言が事実であるとするなら、今やあの一秒間に数千トンもの排出がなされている泥の濁流押しのけてギンヌンガガプを強行突破し地球へと戻ることはこの飛行都市マギニアの能力をもってしても難しいだろう。これはマギニアの、というよりは我々が肉の体を持つが故の不可能性だ。それにまた、もし仮に強行突破を試みて、この船の誰かが運良く地球に戻れたとして、我々を待ち受けるのは全ての生命が失われてしまった死の惑星だ」

 

ペルセフォネは視線を泥と巨人より外すと、正面に並ぶ兵士たちを見据えて言う。

 

「全ての命が死に絶えた世界で、生き残った事を祝い、勝利に酔う。そのような不毛な未来を望むものはこの場に誰一人としていないことを私はよく理解している。私はまた、諸君らが望むものが、怠惰の先にある次善ではなく、勇猛の先にある最善であることをよく理解している」

 

ペルセフォネの断言に、兵士たちが力強く頷く。彼らの返答を見て満足気に頷き返したペルセフォネは、再びその口を開いた。

 

「故に私は、諸君らや世界に住まう人々の為にも、事態に立ち向かい問題を解決する手段を探したいと思う。否、探し出さなければならない。だが――」

 

ペルセフォネは再び画面へと目線を移す。泥の次に目へと飛び込んでくるのは、その周囲を渦巻状に取り囲む泥によりまるで地球よりも巨大な、直径にして数千キロメートルほどもあるような、黒い卵のようなものへと変貌しつつある月。そして今やその胸に陰陽の形へと変貌した、二つの超力戦艦ヤソマガツとオオマガツという百メートル以上もの身長の鉄巨人が、霞んでしか見えないほどの巨大さをした、泥巨人の姿だ。

 

「現状、我々はあの泥が危険であるという以外に何の情報も持ち合わせていない。否、それどころか、この空間において存在するものすべてにおいての知識が欠如している」

 

それらに比べてしまえば、泥の端、泥を次々と生み出す長さ数十キロのギンヌンガの裂け目も、少しばかり離れた場所に見えるその表面が蠱毒の呪いの闇に染まりつつある青い地球も、裂け目の数キロほど下にある、空間の切れ間より流れ込んでくる呪いの泥を喜ぶかのように受け入れる赤い荒涼とした砂漠ばかりが広がる火星の大地も、ギンヌンガの裂け目や火星の大地へ続く切れ間のすぐ近くにいる、飛行都市マギニア改も、あまりに小さな存在に過ぎず、なるほど無知無力である事を告白しても当然と呼べるような状況だった。

 

「だが、こちら側が完全に何の情報ももっていないというわけではない。幸運にもこの場にはそれらの説明を出来る人材がいる。――ライドウ。ゴウト。説明をお願い出来るだろうか 」

「――はい」

『承知した』

 

言葉にライドウとゴウトが女王の前にまで進み、壇上に手踵を返すと、漆黒のマントを翻しながら振り返る。壇上を照らす丸灯の下、露わになった白皙の顔立ちをみて、兵士たち――、ではなく、パラ子がしみじみと言う。

 

「うーむ、やはり美少年だ……!」「あんたは……」

 

パラ子が馬鹿を言い周囲に漂う緊迫を散らしかけたのを見て、ガン子が殺気迸らせた。

 

「……!」

 

ガン子の三竜もかくやと言わんばかりの殺気を受けて、パラ子は己の口に手を当てて無言をアピールする。そんなガン子の気遣いの甲斐あってか、壇上の上にたつライドウとゴウトは二人が繰り広げる茶番を気にすることもなく互いの視線を合わせると、頷き合った後、壇上の前にいる兵士たちと師匠らへと視線を向けなおす。

 

『どうやらこの世界の住人は総じて我の声が聞こえるようであるがゆえ、こうして直接語らせてもらうとしよう。お初目お目にかかる。我の名はゴウト。主らからすれば異世界に住まう住人であり、隣にいる悪魔召喚師(/デビルサマナー)、葛葉ライドウのお目付け役でもある』

 

壇上の上、ライドウの隣より一歩進み出たゴウトは、その猫の体から丁寧なあいさつの言葉を発すると、首を小さく下げ、誠意を露わにする。

 

「――只今ご紹介にあずかりました、悪魔召喚師(/デビルサマナー)、葛葉ライドウです」

 

ライドウもゴウトに続けて彼の隣へと進み出ると、やはりぺこりと頭を下げた。

 

「ね、猫が……!」「しゃべ……!」

 

動物が喋るという珍しい事態にもかかわらず一切動揺を見せることなく沈黙を貫く兵士たちとは異なり、パラ子とメディ子は過剰な反応をしてみせた。

 

「……」

「……!」

「……!」

 

しかし彼女らのそんな所作は、隣で睨めつけてくるガン子の視線の圧力によって言葉は途中にて中断させられる。彼女たちは慌てて両手を口に当てると、押し黙った。

 

『かつてカナダのラブラドルとグリーンランドを横切る航路はギンヌンガガプ航路と呼ばれ、その航路上には存在しない島、例えば悪魔の島(/island of demon)が存在したといい、ケルト人の航路譚(/イムラヴァ)によれば、ブリテンよりグリーンランドに向かう航路にはハイ・ブラジルという透明化魔法のかかった島や、トゥーレという太陽が永遠に沈まぬ島があったと伝承に語られているが……、今の外の有様はまさにそんな幻や伝説の島が一挙に現れた、とでも例えるのが正しいような状況だな』

 

そんな彼女らのやりとりをまるきり無視してゴウトは外に窓の外へと視線を送った後にそんなことを述べると、視線を窓から部屋の中へと戻し、再び口を開く。

 

『さて。では早速本題に入らせてもらおう』

 

ゴウトの所作は少し固く、緊張しているようなさまが見受けられた。

 

『まず、此度の事態を理解するためには、“神”、そして“神話”と呼ばれる存在の事を知識として保有しておる必要がある。だが、主らの住まうこの世界ではその“神”の存在と名前は忘れられて久しいようであるがゆえに、まずは神というものについて語らせてもらうとしよう。わしが見る所によれば、かつてこの世界にも神と呼ばれる存在がいた。例えば、先ほど泥の上の戦場にて采配を振るっていたギルガメッシュという存在がそれだ。神と呼ばれる彼らは人間の力――、皆が使うスキルよりもさらに大きな力をもっており、その中でも最上位に位置する彼らはその大いなる力をもってしてこの世界を創生……、生み出したといわれている。また、そんな神々と呼ばれる彼らの活躍を示した物語を、過去の世界では神話と呼んでいたのだ』

「ふむ。神話……」

『然り』

 

ゴウトの背後にいたペルセフォネが反応する。ゴウトはペルセフォネの方を向くと首肯し、再び前を向いて話し始めた。

 

『そしてその神話だが、たとえばある神話――インドのリグ・ヴェーダにおいては世界の始まりはこうであったと記載されている。『そのとき(大初において)無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は存在せりや』。つまり、世界には闇と底が見えないほどの水だけに満ちていた、と』

「闇と水……」

『また、別の神話、我らが日本書紀に語られる所では、『古(/いにしへ)天地のいまだ剖(/わかれず)、陰陽の分れざりし時、渾沌(/まろが)れたること鶏の子の如く、溟幸(/くぐも)りて牙(/きざし)を含めり』、すなわち、天と地が陰陽に分かれる以前は、世界は鳥の卵のようであったと書かれ、エッダに語られる北欧神話では、世界はギンヌンガガプと呼ばれる空洞に生まれたユミルという巨人の体を解体して生まれたものであり、同時に世界樹こそが世界そのものであると説明し、神統記のギリシャ神話などでは、『まず初めに、カオスが生じた』、すなわち世界はカオスという深淵の泥から生まれたとあり、唯一神を崇める聖書には、『地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた』、すなわち、世界には初め唯一神の霊という存在が覆う闇と水があり――』

「――ちょっとまってほしい」

 

滔々と神話についての講釈を行っていたゴウトの語りを再び涼やかな声がさえぎった。疑念のこもった声を発したのはやはりペルセフォネだ。

 

『なんだろうか』

「普通、物事の始まりというものは一つでありはずだ。 神という存在がこの世界を作ったという事を受け入れるとして、なぜそういくつも世界の始まりが異なる要因にて説明されている?」

 

ペルセフォネは首をかしげてゴウトへと尋ねる。当然と言えば当然のその疑問を、ゴウトはその小さな猫の額の領域に皺を寄せながら受け取ると、困ったと言わんばかりにゴロゴロと喉を鳴らした。

 

『――そこは……、説明できなくもないが少々複雑かつ長い話となるし、今回の主題、本筋とは少し離れている。悪いが割愛させてくれ』

「……わかった」

『助かる』

 

ペルセフォネが疑問の声を引かせた様子を見て、ゴウトはほっとした声を上げた。

 

『ともあれ、世界には多くの神話があり、それぞれの神話は様々な語り口で世界がいかに誕生したのかを語っているのだ、という事だけを理解してくれていれば支障はない。――ところで、ペルセフォネとやら』

「なんだろうか」

『今までの話を聞いて、何か気付くことはないか?』

「なにか、とは?」

『今までに聞いた神話の始まりには何があった?』

 

ゴウトの問いに、ペルセフォネは口元にその細指を当てて考え込む。しばしの沈黙が辺りを支配する。

 

「――闇と水。卵に、ギンヌンガより生まれた巨人。混沌の泥。唯一神の霊と、その存在が覆う闇と水、だな」

『うむ、その通りだ』

 

やがて記憶の中から捜索を終えたのだろうペルセフォネは自信満々に言い切った。ゴウトはペルセフォネの答えを聞き、教師が満点の回答を出した子供に向けるよう、頷いた。

 

『さて、闇に水。卵、巨人に泥。そして唯一神。これらの言葉を聞いて、主は何か思い当たりはしないだろうか?』

「――」

 

そして再びゴウトは問いかけ、ペルセフォネは再び口元に手を当てると、そのまま視線を窓の外へと向けた。

 

「現状、マギニアの外にあるものか」

 

今度のペルセフォネの沈黙は先ほどよりも短いものだった。

 

『その通り。すなわち――』

「今、マギニアの外は、先ほどの神話の始まる直前の状況が混在しているような状況である、ということか」

 

ペルセフォネはゴウトの言葉を先読みして告げる。ゴウトはやはり満足げに無言で頷いた。

 

『詳しい理屈はわからん。誰の手によってか、というのも、おそらくあのメルトリリスという人造女神を名乗ったものか、その裏側にいる誰かの仕業なのだろうという推測しかできん。だが、その程度の情報しか持ちえぬが、それでも我らこれから世界に何が起ころうとしているのかという事についての予測だけは立てられる。かつてそれらの神話を信じておった各部族にとって、世界とは一年という区切りごとに生まれ変わるものであった。世界は未来永劫、回帰を繰り返すのだ。もとが農耕種族の神話であれ、狩猟種族の神話であれ、世界は季節の巡る一年ごとにそれまでに溜めこんだ業もろとも過去へと葬り去られ、再び無垢なる状態で生まれてくる。それと同じく、この世界は今――』

「誰かの手によって、生まれ変わり、つまり転生をさせられる寸前にある、という事か」

『うむ。その可能性が高い、とわしは睨んでおる』

 

ペルセフォネに同意したゴウトの言葉は聞くものの意識に漣引き起こす波紋となったらしく、周囲の兵士たちの間から動揺の声があがり始めた。周囲は少しばかりざわつき始める。強靭かつ冷静沈着な探索司令部勤務のエリート兵と言えど、世界の転生などというスケールの大きな話にはさすがに思いを抑え付けきれなかったならしい。

 

「――ゴウト。貴方の理屈は理解した」

 

やがてペルセフォネのいまだに冷静さを保つ声が、兵士たちの動揺に満ちたざわめく声と切り裂いた。仮初であるとはいえ自らたちの指揮官が声を発した瞬間、兵士たちの間から無駄口が完全に停止する。よく訓練されているものだ、とゴウトは感心した。

 

「火急の状況、他に縋るべき藁もなし。私は貴方の語った言葉を信じようと思う。だが、ゴウト。私が知りたいのは、その先なのだ。――この問題を解決するために、我々はどう動けばよい?」

 

ゴウトは投げかけられた言葉にしばしの間考え込むと、『おそらく、という推測の話になるが』、と前置きを言ったのち、ゆっくりと語りだす。その場にいる誰もが、視線をライドウの隣にいる黒猫へと向けていた。

 

『メルトリリスが言うには、あれは人為的に造られた神であるらしい。そしてあのメルトリリスとやらは、我らすべてを泥の中に引きずり込もうと画策していた。そしてその場にいた大半以上の人間を飲み込んだ泥は、まず月へと戻り、その周囲に取り巻き、その後、今このマギニアの外に存在するあらゆる異物へと拡散し、異物を卵や巨人へと変質させつつある』

「……」

『この事実の内、着目したいのはあのメルトリリスが人為的に造られた女神であり、その造られた女神が溶け込んだ泥が初めに月へと戻った、という点だ。ならば――』

「月こそあのメルトリリスというやつや、奴を生み出した誰かの拠点であり、現象の起点ともなっている可能性が高いという事か」

『うむ。朔望、すなわち満ち引きを繰り返して変化をしながら元の形へと戻る月というものは、多くの神話において、古来より、死と再生の象徴だ。月面は、出現、増大、虧衰、消滅、三日の暗黒の夜ののち再出現と続き、あらゆる循環の観念の発達に大きな役割を演じている。神話の最期、大洪水、すなわち大水が衰えた罪深い人類に終焉を与え、新しく再生した人類は、通常この破局を遁れた『人』、もしくは『月の動物』から生まれてくるものだ。人類の『生誕』、成長、衰老、及び死、は月の循環と同化されておるのだ。ならば、月というその場所に、人や世界の破壊と再生を企むやつらの本拠地があるだろうことは論理的にも適っておる。つまり――』

「はい。そこの猫さんの言う通りです」

 

更に語りを続けようとしたゴウトの声を遮って、穏やかさを含んだ声が聞こえた。

 

「誰だっ!」

 

探索司令部の端、司令部の入り口扉付近より聞こえてきたゴウトの推測を肯定する声を聴いて、ペルセフォネは大きな声を上げ、厳しい視線を向ける。

 

「失礼しました。まさかこの世界に私たち以外に、事情を理解している存在がいるとは思わなかったものですから」

 

部屋の外の存在は、ペルセフォネの大声とその後の沈黙から彼女の今の思考と気持ちを察したのだろう、謝罪と説明の言葉を述べた。言葉に嘘がないのだろうことが、その迷いない口調から理解ができる。

 

「……」

 

『私たち以外に、事情を理解している存在がいるとは思わなかった』。その言葉を聞いて、ペルセフォネは思考を巡らせた。このマギニアにおいて、ゴウトという彼の旧人類の神話知識なくば出来ない推測の内容を是であると肯定できるような特殊な人物がいたという記憶はない。否、この世界においてゴウトが語った内容を正しく理解し、そして肯定できる存在など、それこそ、彼と同じように異世界からやってきたという特殊な立場の存在か、あるいは、メルトリリスという存在の関係者くらいしか存在しない筈。状況を鑑みれば、この声の主が敵である可能性は高いといえるだろう。しかし仮に敵であるとすれば、わざわざ自らたちに不利となるような情報に肯定の返事を返すこの声の主の狙いはなんだというのか。ペルセフォネの頭の中には様々な考えが浮かんでは消えてゆく。

 

「不信感を抱かせてしまったようですね」

 

ペルセフォネが返事もせずにいると、女の声に続けて扉の向こう側からもう一つの声が聞こえてきた。その声は先ほどのモノとは違い、何ともいえない平坦さがある。どうやら扉の向こう側には少なくとも二人いるらしい。

 

「そのことにつきまして、私たちの方から補足と詳細な説明をいたしたいのですが、顔を合わせていないこの状態ですと話が行いにくい。よろしければ入室を許可していただけますでしょうか?」

 

部屋の外から語りかけてくる存在はそれきり何も話さなくなる。その言葉と態度は、たとえ入室を断られた場合であっても、この場でこちらに語りかけることはやめないぞ、という部屋の外の存在の想いを言外に告げていた。

 

「……」

 

ペルセフォネは周囲を見渡し、ライドウ、ゴウト、パラ子、メディ子、ガン子が首肯したのを見やると、つづけて兵士たちを見た。彼らは手にした武装を頼もしく構えなおすと扉へと己が持つ武器に穂先を扉へと向け、ペルセフォネがいかなる結論を出そうと自分たちは貴女に従いますとの忠義を無言のうちに露わにしている。

 

「――」

 

彼らの態度から覚悟を決めたのだろうペルセフォネはやがて体中から発していた剣呑な剣気を収めると、音もなく一息ついて、口を開く。

 

「入れ」

「ありがたく。では失礼します」

「――!」

 

そして入ってきた存在に、一同が驚きの様子を露わにした。

 

「――確か」

『あんどろ、とかいう機械人形?』

 

ライドウとゴウトの驚きは主に部屋に先行して入ってきた機械人形に対するものであり。

 

「お前は」

「あー、お前!」

 

ペルセフォネとパラ子らの驚きは、主にアンドロの彼に続けて入ってきた裸に似たヘラジカの角を持ち、金糸の紋様が直にその柔肌に刻まれている浅黒い少女に対して向けられたものだった。

 

「お久しぶり、というには早すぎますね」

 

入ってきたほとんど裸身の格好をした少女はアンドロの前に進み出て言う。彼女の言葉に反応したパラ子は、彼らの近くへ掴み掛らんばかりの勢いで近寄った。

 

「お前、突然消えたと思ったらどこに……!」

「すみません。事態が思ったよりも悪い方向に進んでいるようでしたので、最悪の状況に備えて準備を……。どうしても彼の力であると判断したため、協力を仰ぎ、彼が動くための端末の準備をオランピアに要請していたのです」

「……彼、とは、隣にいるアンドロの事か」

 

二人の屈強な兵士たちをその横に携えたペルセフォネが二人組に近づきながら言う。

 

「はい。彼は――」

「そこから先は、私自身がご挨拶を致しましょう」

 

いうとまるで人間のようにも見えるアンドロは、しかし機械の彼らが陶器じみた顔や体に浮かべるにしては豊かな情緒を体の所作の端々から見せながら裸身の彼女の前に進み出ると、恭しく頭を下げた。

 

「私の名前はマイク。世界の安寧を守る桜AIとも呼べる統括システムの下、グラズヘイムの管理人として陣の維持と地上世界の監視、安寧維持の実行を行っていた人工知能です」

 

言葉が静寂さの雰囲気保たれた部屋の中へと響き渡る。声は部屋へと広がって窓にまでその振動を伝え、聞こえた人工音声を嫌うかのように窓の外では深淵の闇がうごめいた。

 

 

「桜AI……?」

「人工知能……?」

「はい」

 

疑問の声を上げる兵士たちの声に、マイクは丁寧な口調で答える。

 

『人工、というと……』

「お前、あのメルトリリスというと奴と同じ存在ということか」

「いいえ、違います。彼女も確かに私と同じく世界の安寧を目的として生み出された存在ではありますが、彼女(/メルトリリス)は桜AIの元となった桜という女性の精神の中から生まれた存在です。例えていうなればなんとも矛盾した表現ではありますが、彼女は自然発生したいびつな人工知能とでもいうべき存在であり、対して私は人の手によって生み出された、まさに真なる人工知能ともいうべき存在なのです」

 

続けてはマイクはゴウトとパラ子の口から出た言葉に対して否定の言葉を返すと、少しばかり誇らしげに自らの事情を交えつつ答えた。マイクの言葉を聞いてマイクの前にペルセフォネが進みでる。

 

「わかった。お前はメルトリリスとは異なる存在。そして君は私たちの敵ではない。一旦はその理解で話を進めよう。それで。その人工知能や桜AIとやらが、先ほどの話にどう絡んでくるというのだ?」

「それは――」

 

ペルセフォネの言葉を聞いて少し詰まったマイクの人とは違う光彩で輝く目が細め、隣にいるヘラジカの角を頭に生やした少女へと視線を送る。視線は人工知能が持つにしては似つかわしくない思いやりに満ちていた。

 

「ありがとう、マイク。私は大丈夫だから。……ペルセフォネさん。そこから先は私がお話ししましょう」

 

浅黒い裸身を惜しげもなくさらす幼い体躯の女性は、マイクに礼を告げると、前に進み出る。

 

「ペルセフォネでいい。貴公は確か、世界樹の精霊、星の端末だったか。名は確か『桜』……っ、『桜』!?」

 

ペルセフォネは彼女の情報を脳内より引き出すと、先程マイクyいり手に入れた情報と組み合わせて得られた答えに驚き、仰け反った。

 

「はい、その通りです」

 

ペルセフォネの所作から彼女がいかなる結論に至ったのかを推測したのだろう、桜が肯定の返事を返す。

 

「まさか! お前、じゃあ、あのメルトリリスとかいう奴の仲間だったってことか!?」

 

遅れて、身を前に乗り出してパラ子が叫んだ。

 

「……その答えは、はい、でもあり、いいえ、でもあります。――今こそ正直にお答えしましょう。私の正体は世界樹の守り手であるモリビトの身に、『桜』の魂を宿した存在。星の胎動と世界樹の危機という事態に瀕して内なる桜の魂を自覚し、世界樹を守ると同時に、いずれこの世に生まれてくるだろうメルトリリスをも守るため生まれた、存在。いわば世界樹とメルトリリスのモリビト。それが私の正体です」

 

パラ子の言葉を受けたメルトリリスが静かに告げる。瞬時に沈黙がその場を支配し、直後、溜めこんだ力が解き放たれるかのように、その場にいる人間は三様の反応をした。

 

「じゃ、じゃあ、お前! お前は私たちを騙していたのか! マギニアで世界中に散らばった冒険者たちを集めて、やがて最後に現れる敵を倒せば、世界は救われるってのは嘘だったってのか! 私たちはお前の嘘と都合に一方的に利用されていただけだったってのか!」

 

そのうちの一つは、パラ子のように、怒りの態度を露わにするものだった。彼女や彼女とにいた性格をしているのだろう、目の前の『桜』と面識があるのだろう幾人かの兵士たちは、師匠と同じ形相を浮かべて、隠そうともしない敵意を『桜』へと向けている。

 

「いえ、月の奥に潜む桜AIを倒せば、それですべては解決する。あの時点でそのこと自体に嘘偽りはありませんでした。しかし同時に、今それが偽りになってしまい、私が私の目的のためにすべてを語らず、あなたたちを利用したというのもまた、事実です。私は私の大本である桜AIがあんなふうになっていることを、先ほどマイクから聞くまで知らなかった。私は、出来る事ならば、メルトリリスという存在を貴方たちには知られたくなかった。私は貴方たちに、あの子の存在を知らないまま、世界樹とこの世界を救って、この星から旅立って欲しかった。……そうです。私は、桜の願いと、モリビトの使命と、星の願いを同時にかなえるため、貴方がたに一部の情報のみを流して、貴方がたを利用しようと画策した。私は私の都合で貴方たちを利用しようとした。それは事実なんですから」

「くぬっ……」

「待て」

 

思惑を白状した『桜』へとびかからんとするパラ子を、冷静沈着を保つ態度をとるペルセフォネが一言で制止した。この場に存在する二つ目の反応をしてみせたペルセフォネは、パラ子と『桜』との間に体を滑り込ませると、小さな彼女の瞳を上から覗き込んで言う。

 

「あの時点、貴公が発したあの時の言葉に嘘偽りはなかったんだな?」

「……隠し事はありましたが、少なくともあの時点では、多くの人と世界樹の世界を守り、星の願いを叶えるために最善と思われる手段をお教えしたつもりです」

 

対して三番目の反応、厳然と覚悟を決めた態度で発言してみせる『桜』は、やはり迷いない瞳で言葉に答えた。

 

「……わかった。話を聞かせてもらおう。ついてこい」

 

迷いない態度から発せられた言葉に首肯して見せたペルセフォネは一歩引き、踵を返す。この探索司令部の扉が開け放たれた状態で話すには相応しくない話題であると判断したのだろう、彼女は来た時と同じように迷いないさまで兵士たちの間を抜けて部屋の奥に進むと、元板窓の傍まで立ち戻り、再び踵を返した。瞳と所作は凛としていて、部屋は厳然な雰囲気に包まれている。

 

「お、おい、姫様! そんな言葉で納得して、この女を信用しちゃうのか!?」

 

ペルセフォネの態度から彼女が『桜』の話を聞こうとしているのを悟ったのだろう、パラ子が抗議の声を上げた。彼女の叫びはその場にいる幾人かの兵士たちの代弁でもあったらしく、彼女の咆哮に際して、数人の兵士が首肯する。

 

「いいや、そんなつもりは毛頭ない。無条件で他人を信用するのは為政者のやる事ではない。だが同時に、他人の言い分を無条件で斬り捨て、間違っていると判断するのもまた、為政者として正しいやり方ではない。――『桜』」

 

ペルセフォネは抗議の声に反論すると、『桜』を睨めつけて口を開いた。

 

「はい」

「全てを語れ。貴様と、貴様の隣にいるマイクとやらの話を信用するか否かの判断は、その後に行う。いいな」

 

ペルセフォネは言葉と共にあらん限りの剣気を体より発し、『桜』へとむけた。生まれた威圧はその場にいるすべての生物の体を自然と緊張させるほどに鋭く、重い。

 

「ええ。ご随意に。――感謝します、ペルセフォネ」

 

その場にいる生物どころか空間すらもを揺るがしかねないほどの剣気を浴びた『桜』は、しかし平然とした様子でヘラジカの角ついた頭を下げると、アンドロのマイクを自らの後ろに同行させながら、釈然としない様子のパラ子の横をすり抜けて、窓枠の近くに待機するペルセフォネの近くへと進んでゆく。それを見てパラ子も慌てて彼らの傍へ、楚々と近寄った。

 

「どこから話したものでしょうか。……、そうですね。では、少し長くなりますが、私がこの世に生まれた時からのことより始めましょう。あれは、そう。この世界が終焉に向かって一歩を踏み出した日の事でした」

 

やがて壇上の中心で踵を返した『桜』は、その場にあるすべての視線が自らを貫いたことを確信すると、静かに語りだす。女の語り出しにより、ペルセフォネの剣気によって不気味なほどに静まり返った荘厳な部屋は、少しばかり明るさを取り戻していた。

 

 

 




設定を凝りすぎるとろくなことにならない、話が分かりにくくなる、とは本を書く先人たちの言ですが、その通りだなと実感しております。とはいえ本物語に置けましては、ペルソナQ2の登場にて考えていた設定が被ったため変更を余儀なくされ、その後登場した世界樹クロスの存在を受けて改めて話を満足できる形に再構築したため、設定を込み入ったものにせざるを得なかったと言い訳させてください。申し訳ありません。

本編はあと二話で終わらせる予定でしたが、今書いているペースでざっと見積もると、修正と添削と削除入れても一話四十万文字程度になりそうだったので、8から16話程度に分断して投稿する事にしました。そのためしばらく世界樹、ライドウ側の視点で話が続きます。

また、次回は『桜』の独白シーンです。次々話の文頭で次話の話の内容を簡単にまとめて書き出すつもりですので、うっとおしい様でしたら読み飛ばしていただいても結構です。

最後に、おそらく一読くださっていらっしゃる方が疑問に思われた部分、思われただろう部分の書き込みも追加して行います。込み入った設定の話が続くことが予想されますが、もう暫しお付き合いくだされば幸いです。
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