Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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第十六話 世界樹の迷宮 −the phantom atlas− (四)

白く光る弾丸がライドウの体に折れた腕に突き刺さる。すると腕部へと移動した光はさらに強く明滅をはじめ、見る間に着弾地点からライドウの両腕を余さず包み込んでゆく。腕を包み込む光の暖かさは春の陽気のそれとよく似ているとライドウは何処か他人事のように感じていた。

 

「――痛みが……!」

 

光が強まった箇所を起点として、腕より生じていた痛みは薄らぎ消えてゆく。痛みが波ひくようすっと失せてゆくと共にわずかなくすぐったさだけが残るその感覚は、自らの世界において使役する悪魔等より傷を癒すための回復術を受けた際の感覚そっくりだった。感慨覚えている間にも痛みの消失は進んでいる。やがて掌より伝わってきていた痛みがほとんど失せたころ、ライドウが腕に向けて「動け」と命令を下すと、上腕部から前腕部、指先にかけてまでが一切の不全なく反応してくれる。自らの腕へと撃ち込まれた弾丸は腕の傷を完治させてくれたのだ。

 

「――消えた……!」

 

身動きに一切の制約がなくなったことを確認したライドウは、復活した十全さを確かめるよう、両の拳を一瞬だけ思い切り握りしめる。握りしめた拳から、脳を突き刺すような痛みによって生じたものではない、血の巡りによる熱が伝わってきた。生まれた熱はやがて血液を通じて全身に巡り、体中へとその熱を伝播させてゆく。体中が熱い。まるで全身が両腕の復帰を喜んでいるかのようだった。

 

――これならば……!

 

ライドウはすぐまた握りしめた両の拳を開いてみせると、左の足を前に差し出し、右の足を後ろに置いて踏ん張り、両手をすでに回避不能なくらい目前に迫ったと栄耀の潜航者の方へと向けて差し出した。閉じられていた掌に秘められていた熱が解放されて、周囲との温度差により掌の前方にわずかばかり白い霧が発生しはじめる。それはまるでライドウとそれ以外とを別つ境界線のようだった。

 

だが突撃してきた栄耀の潜航者の体は、そんなライドウが敷いた薄い境界線を呆気なく突破すると、ライドウの両の掌に接触し――、

 

「――っ!」

 

直後、両の掌より伝わってくる予想をはるかに上回る衝撃が、ライドウの顔をわずかに歪ませた。腕から伝播してくる振動は、ライドウの頭にまで到達し、脳を直接揺るがした。骨に守られ無防備さらしていた脳へと届いた衝撃はなんとも耐え難く、一瞬目が霞み、意識が飛びかける。直後、消失した意識の分だけ地面を踏みしめている足から少しばかり力が抜けかけた。ぐらついた瞬間、腕からもわずかに力が抜けて、掌で支えている敵とライドウとの距離が近くなる。だが押し迫る死の気配が本能を刺激したのだろう、不十分ながらも正常な意識を取り戻したライドウは、素早く自らを混濁へと導いていた衝撃の残渣を脳髄の中より取り除くと、意識を十全な状態へと移行させ、慌てて下半身から胴体、腕、頭にかけてまでの全身のバランスを調整し、目の前より迫りくる脅威への対応を再開すべく両腕に力を終結させる。そうしてライドウが両手にこめたのは、間違いなく全身全霊の力だった。

 

「――くっ、ぐっ……!」

 

だが奮闘むなしく敵の突撃は強力で、敵の体は一秒ごとに渾身の力こめられた両手を押し退けてライドウへと迫ってくる。このままでは遠からず、敵の突撃はライドウの胸に到達し、骨身もろとも心臓をも砕くだろう。それは間違いなくライドウの下した敵を受け止めるという判断が招いた事態だった。

 

だがしかしライドウは、咄嗟に両手を差し出しての防御行動をとる判断をしたのが間違いであったと思っていない。もし仮にこうして治った両腕を前に差し出していなければ、敵の突撃は間違いなく回避の余裕なかったライドウの胴体を直撃し、血肉内臓もろとも粉々に打ち砕いていただろう。今ライドウがこうして五体満足の状態で入れるのは、間違いなくライドウが両腕にて敵の突撃を受け止める判断をしたおかげである。故にライドウは、無理に敵を避けようとせず防御という行為を選択した自らの判断を一切後悔していなかった。

 

とはいえ咄嗟にした防御の判断が今のようなにっちもさっちもいかないじり貧の状況を呼んでいるということもまた確かな事実だ。思考を巡らせる間にも差し出している手は徐々に押し返されつつある。一ミリ、また一ミリと敵が迫りくるたび、ライドウは己の危機を自覚させられた。激突を支える手は彼我より加えられる圧力に耐えきれず、力が抜けつつある。また、腕部のみならず、脚部の踏ん張りも徐々に効かなくなっていた。ライドウの足はすでに靴の半ばまでが柔らかく泥濘んでいるような地面にめり込んでしまっており、力を入れ難い状態にある。それにもうこれ以上足が泥の地面にめり込むのもまずい。泥と直接接触すれば、数秒たたずに意識は快楽に飲み込まれてしまうからだ。

 

すなわち、どう転ぼうがもはや数秒の猶予もない。何より胸元と敵との距離はあと少しだ。猶予は箸を二膳繋げた長さ程も存在していない。回避したはずの最悪の未来がすぐ間近にまで迫っている。ライドウは自らが最後の賭けに出ざるを得ない状況に追い込まれたことを自覚した。

 

――やるしかない……!

 

決断の時を迷う暇すらも惜しく、また、迷うなんて贅沢な時間は残されていない。決断したライドウは体幹を駆使して全身に振り分けている己の体の力の入れ具合を調整すると、さらに最後に両手へと込めている力の入れる具合をも細かく調整し、真正面に向けていた両手の力を垂直方向にも振り分けた。ぎりぎり釣り合っていた力のベクトルが崩れ、敵がライドウの体に迫る勢いがさらに増してゆく。敵迫るその勢いやすさまじく、先ほど立てた数秒の猶予、という予測すらが悠長だったと感じてしまうほどの勢いだ。このままでは一秒強で敵の体は自分の胸元に到達する。否、判断している間にも猶予はさらに短くなっており、もはや一秒たりと残されていない。

 

「――っ!」

 

限界がすぐそこに迫っている。だが掌と接している敵の体は、ライドウの意図通り、徐々に体の上方向へと浮き上がっていっていた。刹那の最中、一瞬、刻一瞬ごとに敵の体はライドウの頭部に迫りつつある。だが同時、刹那の最中、一瞬、刻一瞬ごとに敵の体はライドウの胴体から遠ざかり、虚空へと逸れていっているのだ。ライドウの狙いは徐々に腕をスライドさせ、突撃してくる敵の進行方向へを自らの頭上の空間へと逸らしてやることにあった。

 

「――っ!!」

 

やがてスライドさせていたライドウの腕の掌の位置が頭部のすぐ前方にまで迫った頃、両の掌に激痛が駆け抜ける。生じた痛みに続けて、掌から伝わる感覚がさらに鋭敏なものとなった。びぃぃぃぃ、と気味の悪い音が耳孔へに飛び込んできて、やけに大きく頭の中に残響する。音は死した馬の皮を剥いだ際に聞こえる者とよく似ていた。瞬間、ライドウは耳に飛び込んできたその音が、自らの両の掌の皮膚が敵の突撃との接触に耐え切れず剥がれた事により発生したものであることを直感する。

 

――ッ

 

手の皮がずる剥けた。そんな光景を幻視した途端、幻想であるはずの光景は現実のものとして認識され、更なる痛みがライドウの頭に発生する。頭の中で白光が明滅した。光の眩さ耐え難く、ライドウの瞼が無意味に一瞬だけ落ちかける。ライドウは、訪れた痛みに耐え、瞼が落ちて敵の姿を見失うという事態を回避すべく、歯を思いきり噛み締めて食いしばった。すると体内に響く歯ぎしりの音が皮剥がれる痛みを中和して、瞼が落ち切るのを阻害してくれる。発生した歯ぎしりの音が四肢の先端にまで至り、連鎖して体内中の骨までが軋みをあげ始めていた。腕が軋む。足はもう靴の縁まで泥に沈んでいた。あらゆる意味での限界がもう近い。そして――、

 

「――っ!」

 

腕と掌の向きが一定の角度に到達した頃、望んでいたその時がやってきたと判断したライドウは両の掌と十指から力を抜く。びぃっ、と気色の悪い音色が聞こえ、新たに発生したひりつく痛みが両の掌に広がった。同時、砲弾と化していた敵はライドウの頭上を瞬時に通り抜けてゆく。

 

「ギ?」

 

今まであった抗う力が完全に失せた事を疑問に思ったのだろう、後からは間の抜けた声が聞こえてくる。

 

「ギ――」

 

続けて、忸怩たる思い滲んだ声色がライドウの耳に飛びこんできた。声音は数秒もしないうちにドボンッ、と岩が溶岩の海に沈んだかのような重苦しい音の残響へと変化する。続けて聞こえてきた音色は、ゴムひもが撓んだ際に発するもののようだった。音はおそらく、栄耀の潜航者が飛び込んだ付近の泥の地面が大きく波打つことにより聞こえてくるものなのだろう。その音は栄耀の潜航者の体がライドウの体を打ち砕くという事態は完全に回避された証明に違いなかった。

 

「――っ、はっ、はっ、はっ……」

 

だがライドウは敵の攻撃を逸らしたままの万歳の姿勢で短く浅い呼吸を繰り返すばかりだった。直撃、即、死に繋がる一撃を避けるに必死で、攻撃の回避に全身全霊の力を費やしたライドウには、事態の回避を喜び、余韻に浸るような余裕は残されていないかったのだ。ぼうぜんとしたまま視線をうつろに虚空を彷徨わせているライドウの姿は、まさに魂抜けた、という形容詞が何ともぴったり当てはまるといえるだろう。

 

「――はっ、はっ……」

 

やがて少しばかり時間が経過し、瞳に色が戻り始めたころ、ライドウは思い出したかのように荒い呼吸を再開した。続けて頭上へと掲げていた両手を静かに降ろすと、左手を胸元に、右手を口元へと持ってゆく。それはライドウが意識したものでない、本能が彼にさせた動作だった。

 

「――はっ、はっ……」

 

ライドウは様々な感情が頭の中で渦巻いている事を自覚する。特に大きいのは、死より逃れることが出来たのだという大いなる安堵の感情だった。安堵の感情は、まるで暴れ馬の様に脳裏を駆け巡って、いまだに死の恐怖の影響が大きく残るライドウの神経を無造作に刺激している。負の感情満ちていたところに突如として現れた真逆のベクトル持つ信号は、元あった負の感情もたらす信号と打ち消しあい、増幅しあい、ライドウの思考はさらに大きな混乱の渦に叩き込まれてゆく。

 

「――はっ、はっ……」

 

神経内にて起こる二つの波の暴走が影響して、荒ぶる呼吸は一向に収まる気配を見せてくれていない。体内で起こっている混乱の信号を外へと吐き出そうとするかのように、呼吸はいつまでも早く短く繰り返されている。早く短く繰り返される呼吸が邪魔をして、いつまでたってもまともな思考を巡らせることが出来ない。酸素を過剰に取り込んで処理し続けている肺がいつまでもいつまでも悲鳴をあげ続けていた。

 

それでもなんとかライドウは頭の一部を無理やり正常稼働させて己の現状を顧みると、己の神経の混乱が体に影響し、荒ぶる呼吸と脈動の原因となっているのだろうと判断する。

 

「――はっ、はっ……」

 

やがてほんの少しだけ時計の秒針が進んだ頃、ライドウは激しく脈動する心臓と、酸素と二酸化炭素の交換を激しく繰り返す肺臓を抑え付けるかのように、自らの学生服の胸元を握りしめた。そのまま意識を集中すると、皮のずる剥けた左の掌からは心臓の鼓動が伝わってくる。続けて同じようにして意識を口元へあてている皮の剥けた右の掌に集中させると、湿り気のある吐息がライドウの皮剥けた掌を刺激した。

 

「――はっ、はっ……」

 

鼓動と吐息。それらの刺激がライドウに今みずからは確かに生きてここに存在しているのだという実感を与える刺激となっている。二つの刺激はやがてライドウの交感神経と副交感神経に作用すると、手の皮の剥けた痛みなどというモノをはるかに凌駕する感情の奔流をライドウの頭の中へと生み出していった。

 

「――はーっ……………………、はーっ……………………」

 

同時、短かい間隔で繰り返されていた呼吸を無理矢理長い間隔のものへと変更する。挙動変更の無理を強いられた横隔膜と肺臓が暴挙に対して悲鳴を上げるが、ライドウはそんなこと知るかと言わんばかりに短いスパンでの呼吸を繰り返した。

 

ライドウの狙いは、外力と意識の力により荒々しく駆けまわる二つの感情の暴走を強制的に抑え付ける事にある。心臓や呼吸の動きに影響を与えるというのであれば、心臓や呼吸の動きを意識的に制御してやることで神経の状態を操り混乱を収めることが出来るということをライドウは把握していたのだ。

 

「――ふぅぅぅぅぅ……」

 

やがて己の各部位があげる悲鳴を無視して無理矢理呼吸の制御を行っていたライドウは、大きく長く細い息を吐くと、呼吸を常と変らぬものへと変更する。一度落ち着くよう体の調子を整えれば、そこから先は早かった。やがて数秒ほどもしないうちにライドウは自力で無理矢理自らの精神を強制的に落ち着かせた。

 

「――はぁぁぁぁ……」

 

 

そうして全霊の力を用いて自らを落ち着かせたライドウは、無理を貫き通した反動により訪れた疲労感から思わず地面に膝突くような体勢をとろうとして――

 

「――っ」

 

あわや掌や膝が泥の地面と接触する直前に地面の危険性を思い出し、慌てて両足に無理矢理力を込めて踏みとどまる。無理矢理の挙動に、全身の筋肉がぎしりと軋む音がした。ライドウの足もとの泥の地面が舌打ちしたかのように軽く波打つ。筋肉の動きに反応したのか、皮のずる剥けた掌が、思い出したかのように痛みの信号の送信を再開していた。

 

だが、時間の経過が多少傷を癒したのか、あるいは脳が痛みに慣れたのか、はたまた脳があまりの痛みに痛みを感じないようにしむけたのかは知らないが、皮剥けた直後に訪れた脳を貫くような灼熱の痛みはすでにない。代わりに、何とも度し難いむずがゆさとひりつく痛みが断続的に神経を擽って、いかんともしがたい感覚がライドウの掌の上を駆け回る。

 

刺激に耐えかねて視線を自らの両の掌へと向けると、両の掌からはほとんどの表皮が失われており、また、火傷と擦過傷がいたるところに目立っている事に気が付ける。この怪我がある限り、痛みは熾火のように信号を発し続けるだろう。多少の痛みとはいえ、放置しておけば敗血症や合併症が怖いし、痛みや痒みは戦闘における動作を邪魔する無視できない要素となる。ならばまずは、小型バックの中に潜ませてある回復薬(/メディカ)を使ってこの怪我を治すべきだ――

 

「ライドウ!」

 

ライドウがそんな判断を下しかけた頃、少しばかり離れた所から自らの名を呼ぶ声が聞こえてきた。声のする方へと視線を向けると、いまだ銃口から煙を上げる長銃を脇に構えながらこちらへと走ってくるガン子の姿が目に映る。瞬間、ライドウは己の窮地を救った銃弾の存在を思い出した。同時にライドウは、自分を救った銃弾が誰の手によって放たれたのかという事実を完全に理解させられる。掌の痛みを上回り、感謝の念がふっ、と、湧き出てきた。

 

――彼女には礼を言わねばなるまい

 

そんな考えが自然と浮かんでくる。

 

「おーい、ライドウー!」

「ライドウさーん!」

 

考えていると遅れて、パラ子とメディ子の声が聞こえてきた。意識を声の方へと向けると、ガン子の後ろから盾を構えたパラ子とバッグから薬の細瓶を取り出したメディ子がこちらに向かって駆けてくる姿が目に映る。

 

「無事か、ライドウ!」

「大丈夫ですか!? 毒か何か受けたんですか!?」

 

二人はやがてガン子を追い抜くと、ライドウへと近寄って合流するなり、目を見開き、声を大にしてまくしたてるよう心配の言葉を投げかけてきた。その様子からライドウは、二人が心から自分の心配していたのだという事実を感じ取る。ライドウは胸に再び感謝の思いが湧き出てきている事を実感した。

 

『無事か、ライドウ!?』

 

魔物の攻撃と目の前で起こったライドウの危機という事態に驚き硬直したままだったゴウトも、遅れてようやく連続して起こる事態を呑み込みきれたのだろう、彼女たちに遅れて心配の言葉をぶつけてくる。ライドウは一瞬、「五体満足なのは見て分かると思うのだが……」、と、どこか他人事のように思った。だがライドウは自らが直前までどのような所作をしていたのかを思い出して、なるほど、そう思われるのもやむなしかと思い直し、納得する。自分だって、胸と口元へと手を当てて荒い呼吸をしていた男が、続けざまにふらつき、肩を落とし、その後、呆然とした様子で両の手の平を眺めていたのならば、何か問題があったのだろうかと訝しむに違いない。

 

「――いえ……」

 

ライドウは彼らの誤解を解くべく背筋を正すと、そのまま腕を動して我が身の平気を主張しようとした。

 

「――問題、ありませっ……!」

 

しかしライドウが掌の形を変化させよう意識した途端、掌から伝わってくる痛みが急激に増して、ライドウの動きを阻害する。平常心を取り戻すと同時に脳内で大量に発生していたアドレナリンやエンドルフィンなどの痛みを和らげる麻薬物質が供給を停止させられたのだろう、脳内中を激しい痛みが駆け抜けた。ライドウは一瞬だけ身を震えさせると、背筋を曲げて両手を半端に上げた、柳の下にいる幽霊のような姿勢で停止してする。

 

「お、おい、どうした。手か? 手が痛むのか?」

 

ライドウの言動の急激な変化を見て眉をひそめたパラ子は、慌ててライドウの両腕を乱雑に添えて、ライドウの掌が自らの目の前に来るよう動かした。

 

「――……っ!」

 

突如として訪れた動きは予想外の痛みを誘発し、ライドウの苦い顔がさらに深いものとなる。

 

「あ、悪い……、って、うぉ……」

 

ライドウが自らの所業によってそんな顔をしたのだということを悟ったパラ子は簡単な謝罪を行うと、改めてライドウの手の平へと視線を送り、ライドウに負けないくらい眉をひそめ、顔を引いた。

 

「おぉぅ……。手の皮がずるむけて、見えてるじゃないか……。その下の肉も真っ赤に焼けてるし……」

 

パラ子の瞳は、ほとんどすべての表皮が失せて、所によっては皮下組織下にあった筋までもが露わになり、怪我が重要な神経や動静脈にまで至っていないのが奇跡の出来事だと言っても過言ではないだろうライドウの掌の様子を目撃する。見た目からライドウの味わっている痛みを想像したのだろう、傷を見たパラ子がライドウに負けないくらいのしかめっ面を浮かべて身を震わせた。

 

「これのどこが大丈夫なんですか! 表皮、真皮が剥けているどころか、皮下組織まで傷ついてる箇所があるじゃないですか! ちょっとそのまま動かさないでくださいよ!」

 

パラ子によって持ち上げられたライドウの手の平を見たメディ子は、大きな声でライドウを叱りつけると、慌てて手にしていた草の浸かっている細瓶の蓋をあける。わずかに消毒薬液のつんとした匂いが辺りに広まり、ライドウにまで届いてその鼻腔を刺激した。ライドウは思考の端で、瓶の中身の液体に消毒用のアルコールが使われているだろうことだけを予想する。

 

「ちょっとだけ我慢してくださいね……」

 

メディ子が言うと、直後、瓶の中の液体をライドウの手の平へと振りかけた。直後、わずかに白みがかっている透明な薬液が細瓶の口から飛び出し、醜く爛れた傷口に降り注ぐ。

 

「――……っ!」

 

飛び出した液体がライドウの掌の皮剥がれた箇所と接触した途端、ライドウは深く顔を顰め、強く瞼を閉じこんだ。それはどう見ても強い痛みに必死に耐える人間がとる所作だった。重さを持った液体が露わになった肉の上を這いまわる刺激と揮発性の高い消毒薬剤自体のもたらす刺激とが合わさって、ライドウの神経をひどく痛めつけたのだ。痛みに反応したのか常ならば白粉を塗ったかのように白い顔には、先ほどまで以上の赤みが差しつつある。ライドウの顔と表情の変化を目撃した周囲の人間は、ライドウがいかほどの苦しみを味わっているかを強く理解した。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

ライドウの表情変化と所作に対し、特に過剰な反応して見せたのはメディ子だ。自らの行為がライドウからそんな顔を引き出してしまった。そんな事実を正しく理解したメディ子は慌て気味に両腕をライドウへと向けると、続けて癒しの意味を持つ言葉を発するべく口を開く。

 

「ヒーリング!」

 

途端、メディ子の体がわずかに発光した。時同じくして、ライドウに振りかけられた液体から白い光を放ち、やがてライドウの傷口を包み込んでゆく。直後、ライドウの脳を刺激していたあらゆる痛みの信号が消え失せていった。ライドウの苦悶に満ちた表情が完全に驚愕のそればかりが浮かぶものへと変化してゆく。

 

「――!」

 

驚くライドウは、続けて手の平に覚えのあるむずがゆさを感じて視線を送った。見れば肉に刻まれていた火傷はみるみる失せていっている。そうしてきれいになった肉の上には、皮膚が生まれ始めていた。変化に目を見張る間にも肉体の再生は続き、見る間にライドウの火傷や擦過傷などの怪我は失せてゆく。掌にあった怪我は、メディ子がヒーリングの言葉を口にしてからものの数秒もしないうちにきれいさっぱり消えてなくなってしまっていた。

 

「はい、終わりです。あまり無茶はしないでくださいね」

 

やがてライドウの怪我が完治したことを確認したメディ子は、空になった薬瓶をバックへと戻しながら言う。あらゆる傷を癒し、治す。それがメディ子が就く冒険者職業『メディック』の基本スキル、『ヒーリング』の効力だ。ライドウの怪我はメディ子の操るそんなスキルによって完治へと導かれたのだ。

 

「どうやら、無事に済んだようね」

 

メディ子の治療行為を見守っていたガン子が言う。ガン子は長銃をいつでも撃てるよう構えたままだった。ガン子の撃鉄が未だに降りていないそんな様を見て、ライドウは、ガン子が自分が治療を受けている最中の周囲の警戒を行ってくれていた事に気が付く。

 

「――」

 

ガン子がそうして気を使っていたことがライドウの意識を刺激したのだろう、ライドウがふと周囲見回すと、ガン子のみならずパラ子もそうして最中の周囲の警戒を行ってくれていることに気が付ける。二人はメディ子、ライドウ、ゴウトを中心の起点に、互いの死角を補うような位置取りをしていた。彼女たちの意識は円の中心にいるライドウらへと向けられると同時に、自身らが守る領地の外側へも常に向けられている。それはまさしく何が起ころうと即座に対応できるだろう盤石の守りの陣形だった。

 

「はい。これで後遺症もないはずです」

 

やがてライドウと共に陣の中心にいたメディ子はバッグの口を閉じ終えると、立ち上がり、陣の一部に加わった。

 

「そりゃあ、よかった」

「ここまで来ていったん戻るような事態になるのだけは御免だものね」

 

そうして三人は、ライドウとゴウトを中心とした自然と互いの視線の死角を補い合う円形に固まると、周囲へ警戒の念を飛ばしながらもいつもと変わらぬ会話を交わしだす。三人の洗練された動作にライドウは彼女たちが熟練の冒険者であることを改めて認識した。

 

「……おい、メディ子。ライドウ、動かないんだけど、お前の治療、本当に完全だったのか?」

「し、失礼な! 私が今更こんな簡単なスキルの使用でミスするわけないでしょう! 師匠じゃあるまいし!」

「なんだとー!」

「貴方達ね……」

 

傷ついた者へと手を差し伸べたのち、傷に至った経緯やおそらくあったのだろう失態を叱責する事もなく、傷ついた者が自らの力で再び立ち上がるその時を待ってただ待機する。彼女たちは何も言わないし、必要以上の手を差し伸べない。彼女ら達はライドウが再び立ち上がる事を信じているのだ。彼女たちのそんな態度には、首鼠した者ですら迷わず蹶起に至らせるような雰囲気すらもあった。彼女たちのそんな態度を、今のライドウにはありがたいと思った。

 

「――ありがとうございます」

 

彼女たちの思い遣りとこれまでの行為に素直な感謝を覚えたライドウは、そのまま治ったばかりの手を合わせて一揖し、思い浮かんだ言葉をそのまま口にする。

 

『儂からも礼を言おう。あのままではライドウはやられていただろうからな』

 

ライドウの足もとに舞い戻ったゴウトも、続けて三人に向けて深く頭を下げていた。

 

「あら……」

「お」

「……はい!」

 

一人と一匹より礼を受けた三人は、三様に異なる反応をして見せ?。ガン子は意外なものを見たといった感じの少し呆気にとられた顔を浮かべ、パラ子は目を見開いてあからさまに驚いた顔を浮かべ、メディ子は屈託ない笑顔を浮かべていた。

 

「思ったより素直なところあるのね。もう少し頑固でいじっぱりな性格なのだと思っていたけれど」

「もしや、脈あり!?」

「師匠……、頭大丈夫ですか? リフレッシュいります?」

「……あなたって、本当に、バカよね」

 

そして再び三人は、三者三様の言葉を述べると、緊張感のない、いつも通りの態度で会話を交わし始める。彼らからはやはり緊張感というものがまるで感じられなかった。しかしそれは彼女らが油断をしているということを示しているわけではない。彼らは、そのようにいつもの振る舞いを見せながらも、先ほどまでと同様に周囲への警戒を絶やしていないのだ。

 

戦場に身を置きながら常と変わらぬ彼女たちの態度が、ライドウに彼女たちが常駐戦場の心構えを常に持つ強者であることをさらに強く意識させ、ライドウの感心を呼ぶ。

 

「なぁ、メディ子にガン子。なんか君たち私に対する風当たり強くない? 私、これでもギルドのリーダーなんだけど……」

「ならもう少しそれらしく振舞ってください」

「ならもう少しそれらしく振舞ってちょうだい」

「……う、うぉぉぉぉぉ!」

「うわ、吼えた」

「私は……、私は-!」

「ドラッグバレット、こんなことで使いたくないのだけど……」

 

三人は姦しく騒ぎながらもやはり警戒の意識は外部へと向けたままである。彼女らの纏う空気は、この泥の迷宮に漂う陰鬱な空気に比べると、なんとも魅力的な生命力に満ち溢れていた。

 

――……?

 

そうしてライドウが感心しながら彼女たちの騒乱を眺めていると、ライドウは自らの鼻腔を仄かに擽る香りがあることに気がつく。香りは、優しく、軽く、甘く、何とも心を落ち着かせる作用を持っていた。

 

――これは……、花の匂い……

 

不毛な臭気ばかりが漂うこのような場所に、鎮静作用をもたらす花の香りがある。

 

――……こんなところで?

 

そんな不可思議を体験したライドウは、反射的に鼻をひくつかせた。すると香りは、目の前でワイワイと騒いでいる彼女たちの方より発しているものである事に気が付ける。

 

匂いの元を求めて意識を彼女らに集中させると、姦しく騒ぎあう彼女たちの服はわずかに水気を帯びて皮膚に張り付いている部分が存在し、また、服や鎧の隙間から覗ける皮膚には少しばかり玉の汗が浮かんでいる事に気が付いた。その様を見てライドウは悟る。

 

――香水……?

 

香水は人の汗などと作用して人の気を落ち着けるような匂いを発するよう作られていると聞く。ライドウはこの匂いが、彼女らの体に発生した汗が彼女らが事前に纏っていた香水と化学反応をおこし、結果として生まれたものなのだろうと推測した。

 

――薫衣草(/ラベンダー)、万年露(/ローズマリー)に加えて、この甘酸っぱさは柑橘系……?

 

香りというものは普段こそあまり気にならないものであるが、戦闘面においても日常面においても視覚や聴覚からもたらされる情報によって感情が昂っている、あるいは気が沈んでいるなどの折に、改善効果をもたらすファクターだ。

 

精神が常の冷静の状態から外れたその時にこそ、生死につながるミスというモノは発生する。おそらくそんな理屈を彼女たちは理解しているのだろう。だからこそ彼女たちは、こうして戦闘や迷宮探索で疲労がたまり発汗が激しくなってきた際、昂りつつある自らの気を落ち着けるための対策として、このような鎮静効果のある香水を纏っているのだ。

 

――あらゆる事態を想定しての準備を怠らない……

 

死地に向かう際、生き残るためのあらゆる準備を怠らない。十全の準備と覚悟こそが、死地において己の命を助くものとなる。そんな法則を理解し、かつ、実践しているという事実が彼女たちの余裕となっているからこそ、彼女たちはこのような鬱屈さばかりが支配する死地においても、ああして溌剌といつもと変わらぬ態度を貫けているのだろう。

 

――これが本当の冒険者……

 

ライドウは彼女たちのそんな態度から、彼女たちが常駐戦場の心構えというものを身に着けている歴戦の冒険者であることを改めて認識させられる。同時にライドウは、悪魔たちとの戦いの経験を頼りにして迷宮を猛進し、幾度かの戦いの経験を得て自らの悪魔との戦闘経験はこの世界でも通用すると妄信し、挙句の果てに命を落としかけた自分の未熟さを実感した。

 

『強いな、彼らは』

 

彼女らの様を見ながらゴウトが言葉を発する。それは、まさしく今の自分の想いと重なっていた。

 

「――はい。感服させられる思いです」

 

故にライドウは迷いなく同意の返事をする。ライドウは、もし仮に彼女らが自分抜きで栄耀の潜航者と戦うことになっていたならば、先入観にとらわれず慎重に行動し、今頃敵を撃滅していたかもしれないなと思うほどに彼女たちを信頼し始めていた。

 

 

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