Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜 作:うさヘル
男の思考は滅茶苦茶だ。気がつくと明後日の方向へと意識が飛んでいる。論理性なんてものは欠片ほども存在していない。傲慢に生きた男の矮小さだけがこの先には刻まれている。
故に諸君。どうか思いとどまってほしい。この先に見るべきものはない。この先にあるのは、ある倨傲で狷介な男の絶望だけなのだ。生涯を通じてただの一度たりとも心からの救いを得られなかった男の絶望だけが、この先には残されている。ここには、覚悟を決めたなどと格好つけたはいいものの、しかし結局意地を通し切ることできずに死んだ、そんな恥ずかしい人間が最後に思い浮かべた感情が赤裸々に残されているばかりなのだ。
私は諸君が死人の墓を暴くような無作法を常識とする人間でないことをよく理解している。
だから諸君。お願いだ。
――どうかその手を動かす事をやめてくれ。
どうやら諸君らの中には耳が遠いものがいるようだ。生まれつきなのか、後天的な要因によるものなのかは知らないが、私は自らの身に不具を持つ者に対して寛容だ。
故に私は怒ることなく、諸君らに繰り返し頼み込もう。
――どうかこの先に興味を持ってくれるな
……三度繰り返そう。
これが最後の忠告だ。
――人間の良心あるならば、この先に目を通そうとするのを今すぐやめろ
警告はした。それでもなおこの先を望むというのであれば、もはや止めようとは思わない。元よりそのような力、今の私には残されていないのだから。
先に述べた通り、この先には世界が狂わせた全ての原因が詰まっている。嫉妬と呪いに満ちた物語を望むのならば、どうぞご勝手に一読するがいいさ。
ただし僕は、そんな他人の恥に興味を示す厚顔無恥なお前らへの拝読料としてこの言葉を残しておこう。
――僕の言葉を無視したお前らと、僕の人生を狂わせた魔術に、あらん限りの呪いあれ
僕は優秀な人間だ。頭だけでなく、外見もいい。僕に唯一の欠点があるとすれば、わずかに天然のパーマがかかっている事くらいだろう。完璧な人間などというものにボンクラどもは近寄りがたいというし、僕自身はこの特徴を、僕という優秀な存在とそこいらに一山いくらで群がっている凡人とをつなげる架け橋だと思っている。時たま、僕のこの唯一の情け深さの表れを指差してワカメだの何だのいう奴もいるが、そういうやつに限って顔面の見てくれは、失敗した福笑いのように顔面の造形が崩れていたり、前衛芸術のような奇跡的な程に醜悪な骨格ラインの持ち主であるため、僕は気にしないことにしている。人間は自らにないものをこそ囃し立てて悪くいう生き物だ。奴らのそれはすなわち、自らが決して獲得できない僕の優秀さに対する嫉妬なのだ。哀れで惨めな存在である凡人どものささやかな抵抗に対していちいち腹を立ててやるほど、僕は小さな人間じゃない。
そうだ。僕は小さな人間じゃない。僕は優秀な人間だ。クラスでは常にトップクラスの成績を維持していた。戯れに受けた知能テストによって人類の上位一%に属する知能指数の持ち主であることも証明されている。見てくれだって街中で馬鹿な女をひっかけるのに困らないほどに悪くない。適当やってもあらゆることを人並み以上にこなすことの出来る才能だってある。生まれは古くの名家で、土地も人脈も並大抵ではない。人間の価値を定量化してアベレージで見れば、僕は間違いなく上位に位置する人間だ。
多くの人間は僕のこんな言葉を聞いて、それは傲慢だと文句を言う。だが僕から言わせてみれば、そんなことを言う奴らほど、現実を見ない傲慢主義者なのだ。この世の中は決して平等じゃない。生まれつき持った遺伝子と生まれ育つ環境がそいつの全ての人生を左右する。
オリンピックで上位に入賞するのはいつだって優秀な身体能力を生まれにもつ、そんな優れた身体能力を伸ばす環境に恵まれた黒人ばかりだ。研究でノーベル賞を受けるのは、いつだって特別な才能を持ち、特別な才能を悠々自適に伸ばすことのできる環境にある白人や黄色人種ばかりである。
才能と環境が人間の生まれてから死ぬまでのこの世の全ての出来事を左右する。才能と環境に恵まれた人間とそうでない人間は、まさに月とすっぽんだ。泥の中にいるすっぽんがどれだけ望もうと、夜空に輝く月に成り替わることは出来ない。どれだけ手を伸ばそうが、地に生まれ出でた才の無い人間の手は、元より天に浮かぶ月に届かないのだ。
ああ、「お前はそう言うが、人間はアポロという宇宙船に乗って実際に月に手を届かせたじゃないか」、とかいう、間の抜けた頭の悪い事を言うのはやめてくれよ? お前らはあいつらを月までかっ飛ばすまでにどのくらいの金銭と労力が費やされているかをきちんと理解しているか?
噂によればただの人間を宇宙まで数回かっ飛ばすのにかかった費用は、当時の価格で二百億、すなわち僕の生きていた時代の価値に換算するとざっと千五百億ちょいだと聞く。
千五百億だぜ? 大の大人の生涯年収が二、三億と言われているから、金額は少なくともただの凡人を五、六百人くらい死ぬまで奴隷としてタダ働きさせてこき使い、初めて釣り合いの取れるものだ。お前らはその千五百億という金額や、五、六百人の命を簡単に用意できるっていうのかい?
出来ないよな。普通は出来ない。それだけの金額を稼げていて、あるいは資産を元から持っていて、今すぐに用意出来るから首を洗って待っていろっていうんなら、喜ぶといい。お前は間違いなく、優秀な才能か、特別な環境か、あるいはその両方を持っている人間だ。そこいらにいくらでも転がる人間達とは違う、僕の立ち位置にとても近い、優秀で、選ばれた、特別な人間だ。
――ああ、安心しな。もちろん僕はお前らがそんな特別な人間じゃない事を理解しているさ
嫌味だよ。特殊な一例をまるで凡例であるかのように取り上げ馬鹿なこと言って揚げ足とった気になっている、一般論と常識という凡人の唯一の武器を振りかざして才能もないのに偉ぶる、そんなお前らに対するただの意趣返しで、単なる嫌味だ。大人気なかったね。謝るよ。論理のロの字も知らないような馬鹿相手に取るべき態度じゃない。反省している。
――しかし感受性が人より豊かだっていうのも良し悪しだね
君達のような馬鹿どもに混ざって生活していると、僕もつい君達と同じ頭と性格の悪さを得てしまうんだ。朱に交われば赤くなるっていう格言はまさに的確だ。あるいは悪貨は良貨を駆逐するっていうのが正しいかな?
――そうだとも。僕は、自身が普通の人間とは違う事を知っている
そうとも、僕は決して凡人とは違う。精一杯手を抜いて、ようやく世に蔓延る馬鹿どもと同じ立ち位置になるほどに優秀な人間だ。僕は上で、お前らは下の人間なんだ。僕は支配する側で、お前らは支配される側の人間なんだ。知能、外見、才能、保有する金銭と財貨、生まれつきの血筋といった、あらゆる要素がそれを証明してくれている。
――そして……
僕は優秀な人間だ。僕は特別な人間だ。僕は選ばれた人間なんだ。僕は優秀で、特別で、選ばれた人間で、上から数えれば上位一%以上に属する人間で、でも――
――同時に僕は、自らが唯一絶対の特別な才能を持っていない人間である事を知っている
見上げればいつだって僕の上には唯一絶対を持つ特別な誰かがいた。僕は確かに特別な人間だった。僕は優秀な人間で、特別な人間で、選ばれた人間で、上から数えれば上位一%以上に属する人間で、けれど、真に唯一絶対なんてものを持っていない、優秀で、特別で、選別すれば人類の上位一%に属するだけの、ただの人間だった。
見上げればいつだって届かない場所に誰かが立っている。しかもその誰かというのは身近にいる存在で、しかしそいつがいるのは、僕の持ちうる全てを投げ出したところで決して手の届かない場所であるのだ。下を覗き込めばいくらでも有象無象が見えている。しかし僕の本能が望むのは、凡人どものうごめくそんな地獄のような場所ではなく、選ばれた才人のみが至る事の出来る頂点の頂きにこそある。
僕には万能の才能がある。しかし僕には僕が望む唯一の才能だけが欠けている。だからこそ苦しむ。身を焦がすほどの絶望感。だがどれだけ嫉妬に身を焦がそうと、燃えて上がる煙がその頂きに昇ることすら叶わない場所に、奴らはいる。才能が僕と奴らを隔絶する絶対の隔壁だった。僕は多くの凡人どもが羨む才能と環境を持っていたけれど、唯一望んだ場所に手を届かせる魔術回路という才能だけを保有していなかった。僕とそいつの立ち位置は、まさに月とすっぽんほどに違うのだ。――そう、
――間桐慎二(/僕)は泥の中で足掻くすっぽんで、衛宮士郎/遠坂凛/間桐桜(/奴ら)は苦労もせずに夜空で輝く月だった
僕と奴らとの間には、天と地ほどにも越えられない差が存在した。僕は地を這う巨人で、奴らは月に住まう特別な住人だった。僕はただ優秀なだけの人間で、奴らは魔術回路というこの世で唯一つずつにしか存在しない特別な才能を持つ魔術師という存在だった。僕は普通の人間というカテゴリの中では最上位に属していたけれど、僕が憧れた魔術師というカテゴリの中では最底辺どころか番外に等しい存在だった。
僕はそんな魔術師という存在に憧れて、しかし奴らはその憧れを理解しなかった。奴らには魔術の才能があって、僕には絶望的なまでに魔術の才能がなかった。それが互いの理解を悲しいがまでに断絶した。
――僕にはそれがどうしても堪え難かった。
だからこそ僕は、僕を理解しない奴らを嫉妬し、僕に魔術の才能を与えなかった世界を呪った。嫉妬と呪い。そんな負の感情だけが、天空の月と泥地のすっぽん、天と地ほども離れた僕と奴らに共通する、相互理解のための架け橋が如きものだったからだ。
*
僕が求めていたのは、一般からすれば上位に位置する僕ですらも知らない未知であり、また同時に僕と同じような才能を持つ、僕の理解者だった。僕は僕にとっての未知である出来事を探求し、探求した結果を共有できる誰かを欲していた。
そうとも、僕が欲しかったのは、凡人どもが求める普遍的に価値ある物品や凡人どもの称賛じゃない。僕が欲しかったのは、僕の世界にとって唯一絶対である品と、僕の唯一絶対の感覚を理解する特別な誰かからの共感だったんだ。
僕は凡人どもの羨むあらゆる才能を保有していたが故に、一般の世界においては隔絶した存在だった。誰もが僕の足元に這い蹲っている。僕にとってほとんど全ての人間は地を這う羽虫に等しかった。
お前、地を這う虫の理解を得たいと思うかい? 好かれたいと思うかい? いやもちろん、その羽虫がお前らにとって有益な存在で、節度を持って行動し、子犬のような親愛の情を向けてくるってんなら、お前だって羽虫のことを理解しようと努めるし、親愛の情を返すこともあるだろうよ。
だけど、知能指数と生きる環境が違えば、同じ種族であっても倫理も常識も異なった存在となる。僕にとって、僕と同じくらいの才能がなく、僕と同じような環境にいないお前らは羽虫に等しい存在なんだ。ごく一部の極論馬鹿を除けば、羽虫からの理解を求め、羽虫を愛する事のできる人間がいないことを、お前らは凡人だからこそ本能的に理解できるだろう?
このくらいのことも出来ないのか。なんでこんなことが出来るのか。なぜこんなことに憧れるのか。なぜこんな事に失望するのか。保有するものが保有しないものの悩みを真に理解することは決してなく、保有しないものがまた保有するものの悩みを真に理解することもまた、ない。才能と環境という川は、種族という水の種類の如き違いよりも明確に、二者を別つ絶対の境界線なんだ。
似通った才能を持ち、似たような環境に育ったという共通の苦労の経験こそが種族の壁をも超える潤滑剤となる。例えば馬鹿な両親の元に生まれ育ったという苦労こそが共感を生む。共通する苦労の経験こそが相互理解のための最高の触媒だ。
――何? わからない?
例を挙げてやろう。
僕は研究者だ。特に聖杯戦争を始めた御三家にして、聖杯戦争のシステム周りを担当した間桐という家に生まれた僕は、英霊の召喚システムや令呪周りの魔術に関しては、他の追随を許さないほどの知識を保有している。すなわち僕は聖杯戦争の令呪周りの出来事においてはトップクラスの研究者といっても過言ではないだろう。
そんな僕はある日、魔術協会に提出するために一本の論文を書き上げる。魔術協会に提出する魔術研究家である僕の論文には、当然、数多くの魔術の書の知識が用いられている事だろう。そうとも、僕の持てる魔術知識をフルに用いて作り上げた論文は、魔術という専門性と特殊性故に多くの人間には理解出来ない代物となっている。
もし仮に万が一の手違いがあって論文がお前らの手に渡り、お前らが中身を見たとするならば、お前らは間違いなくこう言うだろう。
「誰にでもわかるように書かれていない。故にこんなものに価値はない」
誰にでもわかるように書かれていない? 故にこんなものに価値はない? は、笑わせてくれるよ。「誰にでもわかるように書かれていない」から「価値がない」のではなく、「自分にわかるように書かれていない」から「その価値がわからない」のだろう? 知識がなく、故に内容を理解出来ないお前らには、この僕がどれほど苦労し、苦心し、細心の注意を払ってその論文を書き上げたのかを理解できまい、この馬鹿め。
――馬鹿め。そう、この馬鹿め、だ。
お前ら馬鹿は、いつだって自分の知識と常識を最大限拡大解釈して、世間一般の常識のように扱う。いや、気持ちはわかるよ? 自分が馬鹿だと認めたくないもんだ。自分が誰かにとって劣る、誰かからすれば常識も価値もない存在だと認めるのはさぞ辛かろうよ。
だけど僕からすれば、僕の論文の内容を理解できていない時点で、お前らは僕にとって価値のない、常識外れの存在なんだ。僕が欲しかったのは、この僕が魔術の論文を書き上げるのにどれだけ注意を払って単語の一つ一つを精査し、選別し、ピタリと当てはまるものを選んできたか、そんな苦労を理解し、正しく価値を定め、間違いがあった場合にはそれを正すような存在だったんだ。僕が欲しかったのは、決して、僕の論文の内容を自らの知識と常識で理解できないからといって価値なしと批判する一般の知識しか有さぬお前ら馬鹿どもの称賛の声じゃない。お前らが僕の論文の中身を理解出来ないとの声を高らかにあげる時点で、僕にとってお前らの意見に価値はない。すなわちお前らの価値は僕にとって、完全に、零だ。
――精一杯わかりやすく説明してやったつもりだが、僕がなぜお前らを羽虫に例えたのか理解したか?
……まぁ、いい。理解したとして話を進めよう。馬鹿に付き合っているといつまでたっても話が進まないからな。ともあれ、僕が欲しかったのは、僕と同じかそれ以上の魔術の専門知識を有する魔術師の存在だったんだ。
そうとも僕が欲しかったのは、僕が書き上げた論文を隅々までを熟読しないまでも読み流すだけの知識を保有していて、僕の書き上げたその論文に対して建設的な意見と感想をくれるような存在だった。僕はそうやって僕の為した事の価値を正しく評価し、間違いを正し、僕の価値を高めてくれるような魔術の師は欲しかったのであり、魔術についての研鑽を語れる友が欲しかった。
そうとも、なんてことはない。僕は僕と同じような才能や知識を有する、僕の事情を理解するそんな存在が欲しかったんだ。世界で一番の金持ちになりたいとか、世界で一番の有名人になりたいとかいう願いに比べて、謙虚で、小さな、そんなお前ら凡人どもであればすぐにでも叶うような願いが、僕にとっての心からの願いだった。
だけど、五つの事実が僕の望みの達成の邪魔をした。一つは僕が興味を持った魔術という存在が、世界から隠匿されている技術であるという事実。一つは僕が興味を持った魔術という存在に対して、僕がそれを取り扱う才能をほとんど保有していなかったという事実。一つは僕が興味を持った魔術以外を上手くこなせる才能を有していたという事実。一つはそんな魔術の才能だけを保有していない僕が、魔術の名家の跡取りという環境に生まれ落ちてしまったという事実。一つはそんな魔術に対してだけ才能のない存在が、魔術という隠匿された特別な技術を扱う環境に生まれ落ちてしまったが故に、魔術という特別な技術に興味を持ってしまったという事実だ。
魔術の世界では才能と環境が全てにおいて優先される判断基準となる。生まれた際に保有する魔術回路の本数に、そしてそいつがどんな魔術の家系に生まれた落ちたかという係数を掛けることによって、その存在が魔術の世界においてどれほどの価値を持つのかが決定されてしまう。
僕は魔術以外の才能を多く有していたが故に一般の世界において価値の高い存在だったけれど、魔術回路という才能を保有していない。故に僕は、魔術の世界においては価値のない存在だった。そうとも僕は、魔術師からすれば魔術師未満の一般人に等しい存在であり、その価値は僕にとっての羽虫に等しいものであり、つまりは零と等しい存在だったのだ。
僕という羽虫の価値や価値観は、人間である魔術師の価値観からすれば理解できない、否、する価値もない存在である。すなわちそれは衛宮士郎/遠坂凛/間桐桜(/奴ら)を持つ奴らにとって、僕の価値も同様であったということだ。
事実、三人は、魔術というものに対して憧れる僕の気持ちを理解しなかった。衛宮士郎は魔術を、正義の味方という夢を叶えるための道具としてしか認識していなかった。遠坂凛は魔術を人生を楽しむためのスパイス程度にしか考えていなかった。間桐桜は魔術を自らの身を間桐家に縛り付ける呪いの道具としか認識していなかった。魔術回路がなく、故に魔術の使えない僕は、狂おしいほどに奴らの不理解が腹立たしかった。
僕のこの憧れを知った衛宮士郎は、僕のことを「けどお前には俺にない、いろんな才能を持っているじゃないか」といって慰めるだろう。だが衛宮士郎の慰めは僕にとってまるで価値のないものだ。お前らは自分が嫉妬の炎に身を焦がすほどの才能を有している有名人から「君には呼吸をする才能がある!」と褒められて嬉しいか? 「君がこの世界に生きているというだけで、奇跡みたいな出来事だ」、なんて言われても、馬鹿にしてるのか、としか思えないだろう? 僕にとって衛宮士郎の慰めは、すなわちそれに等しい言葉である。
僕の事情を知った遠坂凛は、僕のことを「人畜無害なただの一般人」と認識した。人畜無害な、ただの一般人! は、さすがは、極東の魔術名門遠坂家の令嬢にして、規格外な量の魔術回路を持つ女だ! なんとも魔術師らしく僕の価値を否定してくれるものだね! 嬉しくて涙が溢れてきそうだよ、まったく!
――ふん、わかっているさ。こんなのただの嫉妬だよ、まったく。あぁ、くだらない、くだらない
……ああ、そうだ。
くだらないといえば、僕の事情を全てを理解していたつもりの間桐桜という女も、僕にとってくだらない女だったよ。なにせアレは、引き取られた当初から僕のことを「自分が居場所を奪ってしまった可哀想な人」と認識していたんだからね。まったく、ほんと、くだらないよな。魔術という僕にとっての憧れを完全に嫌っていた間桐桜という女も、そんな女に同情されていたはるか過去の僕自身も、そんな女の同情程度のものによって粉々に打ち砕かれてしまった僕の自尊心も、自尊心打ち砕かれたことによってさらに魔術というものに傾倒し始めた頃の僕自身も、やがて魔術に対する依存の毒を取り除かれて奴らも普通の人間であると認識を改めた僕自身も、どれも本当にくだらないものだ。
――まったく、本当に、くだらない。
くだらな過ぎて、涙が溢れてくるよ、まったく……
――ほんっと、くだらないよな
なぁ、お前もそう思うだろう?
――桜……
*
くだらない僕は、聖杯戦争なんていう片田舎のくだらない魔術儀式に参加して、くだらない敗北を喫し、十年以上の眠りなんていうくだらない景品をもらい受けた。まぁ、僕のくだらない事情なんて、どうでもいい。
重要なのは、そうしてくだらない眠りについた僕がやがて目覚めた後、桜のくだらない理由によって世話されていたのだという事実を衛宮士郎のくだらない手紙によって知った僕が、くだらない僕はこんなにもくだらない誰かから思われていたなんていうくだらない理由で滂沱の流し、そんなくだらない理由で人形のようなくだらない状態の桜を一人の人間に戻してやるだなんてくだらない使命感を生きがいとして抱き、しかし魔術というくだらないものすらを使えない僕自身のくだらなさによってやっと得た生きがいと桜を失い、そしてくだらないながらも必至に足掻いた結果、くだらない僕は、くだらない僕にふさわしい、ただ一人の家族であった桜を救うことも出来ないというくだらない結果を得たというくだらない事実だけなのだ。
家族を助けるのに衛宮士郎や衛宮の嫁となった遠坂凛の手なんて借りたくない。そんあくだらない意地を抱いた僕が、くだらないながらになんとか桜を攫った奴らの下までたどり着き、しかし桜を救えなかった理由は、単純明快にして簡潔に極まりない事実だった。
――僕には魔術の才能がない
桜は、その身に先天的に有する遠坂の遺伝子に基づく魔術の才能と、嫌々ながらにしても二十年近くに渡って間桐の魔術に適応するよう改造され続けたその体と、嫌々ながらにしてもそんな体で二十近くに渡って魔術の研鑽を行ってきたという経歴を、秘匿されているはずの魔術師の家の情報を何処より入手したくだらない魔術師たちに目をつけられたが故に、世界を救うなんていうご大層な目的を持った女神を人造するための贄となるべく攫われたのだ。
思想の幼稚さはともあれ、女神を魔術という手段を用いて人造するなんて目的のために動く奴らは、当然魔術の方面において僕よりはるかに優れた魔術の才能である魔術回路をきちんと保有している。そしてまた、繰り返すことになるが、奴らの目的は桜の優れた魔術の才能と培われた魔術の実力と、桜の背景に潜む魔術の事情だ。
――魔術。そう、魔術だ
とどのつまり、過去において僕を虜にした魔術が、僕の未来の全てを奪い去った全ての原因であるのだ。思えば僕の人生は魔術という存在に狂わされ続けてきた。魔術という特別な技術をあつかう家に生まれた僕は、しかし魔術という技術を扱うための魔術回路を持たずして生まれてしまった。持たぬが故に魔術というものにひどく憧れを抱くようになった僕は、されど魔術回路を持たぬが故に魔術の家系である間桐家の当主として道を断たれてしまった。やがてそれでも魔術の家の当主の座を諦めきれずに必死に魔術の知識を蓄え続けた僕は、しかし突如として養子になった桜に当主の座を奪われてしまった。
間桐の当主として大成することばかりを夢見ていた僕は、自尊心をひどく傷つけられ、やがて本意でないにしろ僕の手から当主の座を奪った魔術師である妹に嫉妬の炎を向け、憎むようになってしまった。憎悪の炎は僕の中で織火となって燻り続け、十年に渡って桜をいじめる原動力となり、やがて桜のように魔術の才能を持たぬ僕を見下すかのようあつかう世界の全てを見返してやるために参加した魔術戦争において、僕は敗北を喫し、十年という時間を月日を失ってしまった。そして十年も惰眠を貪る余裕を桜の魔術というに手段によって与えられ続けた僕は、やがて突如として訪れた魔術師の手によって桜という妹を失ってしまった。そして魔術という才能を持たぬ我が身の非力さと魔術という才能を持たぬものに対して冷たい世界をこれでもかというほどに呪う羽目となった僕は、最後にはそんな桜を攫った魔術師たちの操る魔術によってこうして命を落としてしまおうとしている。
――魔術なんてくだらないものがあるから、僕の人生は大きく狂ってしまった
そうとも。魔術の才能なんていうものこの身に宿っていなかったせいで、僕の人生は大きくくだらないものになってしまったのだ。魔術なんていう才能と環境によって価値が大きく左右されるものがあったからこそ、僕はこうしてちっぽけな決意すらも貫き通せぬ、報われない生涯を、くだらない理由で閉じようとしているのだ。
――魔術なんていうくだらないものがあるから、世界はこんなにも僕にとってくだらないものへとなりさがってしまった
魔術は僕も妹も幸せにしなかった。否、きっと魔術なんていう才能と環境にのみでその価値を決定されてしまう代物は、僕たちのみならず、人類の誰にも幸福をもたらさない、くだらないものであるに違いない。そうでなければ、世界が僕をこんなにもくだらない結末へと導く訳がない。魔術なんていうくだらないものに関わってしまったからこそ、僕の人生はくだらないものへと成り下がってしまったのだ。
――……憎い
魔術が憎い。魔術の才能が憎い。魔術の才能がない自らが憎い。魔術の才能に嫉妬する自らが憎い。魔術の才能を与えなかった世界を呪う自らが憎い。魔術に焦がれる僕をもっと早くスキルとかいう魔術に似た新技術と出会わせなかった全ての原因が僕は憎い。
――……このままでは死に切れない
死の淵に瀕して生に執着し、後悔の念を残すなんていうのは小物のやることだと思う。だがそれを自覚しながらも僕は、こうまで僕の生涯を弄んだ魔術という存在とそれに関連するあらゆる事柄に対して憎悪を抱き、憎悪を抱いた存在に対して何もできずに死んでゆくのだという事実に後悔の念を抱かずにはいられなかったのだ。
――魔術……
妹を魔術師の手から助けるなんて大言壮語を吐きながら、しかし死を目前して抱くのが桜を助けられなかった後悔でなく自らの人生を狂わせた魔術という存在に対する憎悪の念であるあたり、僕はつくづく小さな人間だ。なるほど、優れた魔術師である遠坂のいうことは正しかった。小物は小物なりに、魔術使いである衛宮の言う通り、魔術なんていうものに対する憧れなんて捨ててしまえばよかったのだ。そうすれば僕は、奴にない人間社会を上手く渡れる万能の才能を用い、人間社会を存分に謳歌してやれはずなんだ。そうすれば僕は、優れた魔術師である桜に嫉妬心を抱かず――
――桜……
ああ、だめだ。それはだめだ。魔術というものが存在していなかったら、きっと僕と桜は、僕と衛宮士郎は、僕と遠坂凛は出会えていない。否、僕が僕として生まれてくることもなかっただろう。それはなんとも寂し過ぎる。
――魔術……
それにくだらない男のくだらないプライドだが、僕自身がくだらないからといって必死に生きた誰かのくだらなくない生涯をくだらないと断ずるのは、それこそ僕のくだらないプライドが許さない。そんなのまるで魔術みたいだからだ。僕はこれから訪れる死を受け入れることは、嫌だけど、本当は心底に嫌だけど、やってみせよう。でも僕は、僕の人生の価値をそんなくだらないものへと貶めた存在と同様のくだらない存在に成り下がるとかいう事にだけは耐えられそうにない。
――僕を苦しめたもの……
瞼が重い。視界がぼやけた。多分、涙だろう。あるいは、もう脳みそがバカになっているのかもしれない。うん、きっとそうに違いない。だって、僕の体の中にはもう、脳に元気を行き渡らせるための血液が存在していないのだ。ああ、だとしたら、きっとそっちが原因だ。だって全身の自由がとっくに効かなくなっている。憎悪だけが脳を動かす栄養源だった。
――桜を苦しめたもの……
静かに瞼が落ちてゆく。景色が遠い。目の前にある桜の欠片が遠い。あと数秒もしないうちに僕の命は尽きるだろう。桜はバラバラだ。胴体から真っ二つにされて地面に全ての血を流す僕なんかよりもずっとバラバラの状態だ。バラバラの桜は脳みそと眼球と脳髄だけが存在していない。多分、魔術師の馬鹿どもがなにかの目的で持ち去ったのだろう。そういえば激昂する僕が魔術で僕を分断する直前、僕に向かって女神の召喚だとか言っていた気がする。ならきっと桜の脳はそれに使われるに違いない。
――魔術……
ああ、もう頭が働かない。それもこれも全部魔術とかいうくだらないものの存在のせいだ。魔術なんてくだらないものがあったからこそ、僕はこうして苦しい思いをさせられている。ああ、でも、魔術なんてくだらないものがあったからこそ、くだらない僕と桜は出会えたんだし、くだらなくない衛宮や遠坂なんて存在とも出会えたんだった。そう考えると魔術も案外悪いものじゃない。なら、ただ、そう、唯一惜しむらく点は――
――せめて僕に魔術に似た何かを操る才能が少しでも存在していたのなら……
僕に魔術なんていう特別の才能がなかった。その一点に尽きるだろう。ああ、そういえば、世界ではスキルなんていう魔術の亜種みたいなものが流行り始めていたな。あれも一部の人間のみがつかえる特殊な才能を必要とすると聞いたが、魔術とは異なり、そのうち誰もがつかえるようになる技術であるとも噂されていた。
――せめてもう少し早くスキルとかいう技術体系が完成していたのならば……
スキル。魔術のように生まれ持った才能や生まれた環境に左右される事なく、誰もがつかえる魔術のような技術。そんなものがもう少し早く誕生してくれていたのであれば、僕の人生ももう少しまともなものになっていたかもしれない。嫉妬に身を焦がすこともなく、世界に呪いを残すことなく、衛宮士郎/遠坂凛/間桐桜(/奴ら)とともに、僕が心底嫌いだった、ただそこにいるだけで幸せに感じる空気に浸れるような時がやってきていたのかもしれない。
――それは……
もし僕の生まれ落ちた時代がスキルなんていうものが当たり前のようにある世界であったのならば、きっと僕はそんな技術を迷うことなく習得し、スキル用いて未だこの身で体験したこともないような未知に対して共にスキルを研鑽し会う仲間と共に挑み、やがて今のように、才能溢れる自分でも敵わないような未知の手にかかり、世界の広さを実感しながら、満足して死んでゆくのだろう。魔術の導きによって出会った僕と桜とが出会うことはなくなるだろうけど、きっと僕と出会わなかった桜も満足して死んでゆくに違いない。
ああ、それは――
――それは……
それはなんて――
――なんて、羨ましい未来――
こうして間桐慎二という男は生涯の幕を閉じた。バラバラになった桜の体の前で真っ二つに分断された間桐慎二の体は、贄との親和性が高そうだという理由により、贄を補助する素材として使われることとなる。
目的を果たすことなく死んでいった間桐慎二の意思が何処へ行ったのかは誰も知らない。だが彼ほどの魔術に対して嫉妬心と羨望の炎を心の中で燃やし続けた男の体が、世界に影響を及ぼす神霊を召喚する儀式の補助材料に使用されたというのであれば、その体に宿っていた意思や魂が神霊を通じて世界に影響を与えてもおかしくない。長い時を重ねる間に、体と共に砕け散った魂がやがて再び結実するという事態だってありうる話だ。
真実は闇の中に包まれたままだ。否、多くの生命の自由な意思と判断の結果に生み出される世界の中に、唯一絶対正しい真実なんていうものは存在していない。世界に生きるものは信じたい物を信じ、ただひたすら思う様に生き抜き、死にたいときに死ねば良い。
魔術なんてくだらないものに囚われるな。
おそらくそれこそがきっと――、こんなくだらないに死に様を衆目の前に晒した、シンジなどという性格に似合わぬ皮肉な名前をつけられた、彼に対する何よりの供養となるだろう。