Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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第十九話 世界樹の迷宮 −the phantom atlas− (七)

見上げれば頭上には巨大過ぎる月がある。もはや地球の周囲を規則正しく動いていた月と地球上の表皮部分を漂っていたマギニアの距離は無いに等しく、かつては模様のようにしか見えなかった月の表面はすでにごつごつとした地面を肉眼で認識できるほどになっていた。かつて夜空に散らばる星々のどれよりも煌めきを放っていた月は今、泥という異物を纏った状態で夜空の中へと投げ出されてしまった飛行都市マギニアの目の前にある。しかし、頭上目一杯を覆う月から落ちてくる光の量はむしろ常の時よりも少なかった。今や月からもたらされる光は遠くに輝く星々の煌めきよりも小さく頼りないものとなっており、マギニアの街はほんの少しでも油断をすればすぐに足元を取られてしまいそうになるほどに薄暗い。加えて街を包み込む闇の濃さは時間経過と共にゆるゆると増しつつある。街を照らす月光の量が少なくなっていっていた。今、マギニアの目の前にある月という存在と、マギニアと月の周囲を取り囲んでいる黒々とした呪いの泥という存在が、マギニアの街に闇を落としている。あの呪いの泥が月を完全に覆い尽くしたときに世界は生まれ変わり、瞬間、今の世界に残る人々はあの泥と月に吸収され、永久の覚めぬ眠りにつくことを強要されてしまうという。しかもそれは絶望の底へと堕ちたある女の独り善がりによって引き起こされた事態であるともいうのだ。

 

その女――桜とやらの事情を聞けば、彼女が絶望に堕ちたくなる気持ちも理解できなくはない。だが無論、だからといってただ一人の女の我が儘によって今の世界が滅びる何て言う暴挙を許容するつもりなどない。

 

そんな我らの決意を証明するかのようにマギニアの街中には、金属が石を叩く甲高い音が街のあちこちで非常に規則正しい間隔で鳴り響いている。音はまるで街が永遠の眠りにつくことを邪魔しようとする鐘楼の音のようでもあった。ただしもしその音を耳にした者が従軍経験のある存在であったのならば、それが兵隊として高度な訓練を受けた人間のみが鳴らせる軍靴の音色であることに気付けるにちがいない。

 

そう。すなわちこうして街中の静寂を破る音は、暗がりになったマギニアの街を見回る衛兵たちがたてている軍靴の音色であるのだ。薄闇の帳落ちた街には、そうして街中を見守る衛兵の靴甲冑が石畳を叩く音だけが規則正しく響いている。軍靴の音色は、マギニアの街の衛兵たちが自身の乗船しているマギニアがこのような上下左右の区別すらもつかない亡羊とした空間に放り出されながら、しかし、今だにマギニアの司令部にて指揮を執っているペルセフォネらの言葉を信じ、粛々と自らに課せられた役目を果たしているという何よりも証左だった。

 

――ならばそんな衛兵らの信頼に応える事こそ、正しい王道というものだろう

 

衛兵たちの精神の屈強性と信頼感に満足を覚えたペルセフォネは、手にした剣の柄を握り締めると歩を速める。街の中に響く足音の一つはやがて不協和音を奏でるようになり、ペルセフォネはマギニアの内と外とを別ける境界に近づいてゆく。

 

 

やがて中層の街を走るような速度で抜けたペルセフォネは、飛行都市マギニアの入り口広場へとたどり着いた。広場の中央には『桜』やマイク、ミュラーらが待機しているのだろうテントがある。テントの周囲はテントから漏れる光によって明るさを保っている。ペルセフォネはそのままテントに一直線に向かおうとして――、

 

「……! 何者だ!」

「……む?」

 

衛兵たちに強い口調で呼び止められた。常ならば来訪者を明るく歓迎しているのだろう声には彼の声には今、あからさまな敵意と警戒心が含まれている。

 

「……見て分からんか?」

 

一時的なものかもしれないが、曲がりなりにも現在彼らは自らの配下である。ペルセフォネはそんな彼らから不躾な態度と疑念に満ちた言葉を向けられたことに戸惑いと僅な苛立ちを覚えつつも、答えるために口を開こうとして――、

 

「私は――」

 

そこまで言いかけて、ペルセフォネは気が付く。

 

――兵士の姿がよく見えない

 

「……」

 

ペルセフォネは闇に佇む兵士に向けて目を向け、凝らした。ペルセフォネの目は兵士が自らの方を向いて槍を構えている事を認識できている。だがペルセフォネは闇に紛れた兵士の姿からそれ以上の情報を見て読み取ることが出来なかった。闇は必死に模索したところで微かな手がかりを掴ませないほどに深く、兵士は自らの影とほとんど同化しているような有り様だ。闇はテントから遠ざかり、街や入り口に近づくにつれて、徐々に深く濃いものとなっている。闇はペルセフォネが現在いる街の路地や入り口の付近になると、もはやほとんど闇ばかりしか見えない状態だった。ならばきっとそんな闇の中にある衛兵の目からしたら、ペルセフォネが衛兵のペルセフォネの鎧に刻まれた特徴ある多重円文様も、額にしているマギニアの王族のみが身に着けられるティアラも、両耳にした高価な水晶のイヤリングも、もちろん自身の顔も、闇の帳の下に隠れているにちがいない。

 

――これでは私が誰であるかわからなくとも仕方ない、か

 

ペルセフォネは彼の不躾な態度の理由を納得した。同時、ペルセフォネはマギニア――マギニア改の現情と入り口付近の現在の事情を思い出し始める――

 

 

現在飛行都市マギニア改は、月に向かって浮遊しながら進んでいる泥に最接近し、泥の近くに佇んでいる状態を保っている。マギニア改がいる位置は、泥とマギニア改が接触しないで空中待機していられるだろう限界の一歩手前の地点だった。

 

そんな危険地帯に浮かぶマギニア改の側面からは、タラップが泥と接触しないすれすれの位置にまで降ろされている。タラップはライドウらを迷宮に送りこんだ際に使用されたものであり、また、常ならばマギニアの街に出入りする人々の声に賑わう、マギニアの内と外を繋ぐ橋でもあった。

 

タラップはそれ故に、欄干と欄干との間の幅が馬車が二、三台、並んでも余裕なほどに広い。しかし今、そんな広い橋の如きタラップの地面の上には、たった一本の薄く光る細い糸のみが置かれている。闇に薄く頼りなく伸びているその糸は入り口広場の中央にあるテントの中から続き、やがてタラップを横断したのち泥の地面の上にまで落ち、地平の彼方に至るまで伸びている。地面に垂らされた糸のもう片方の端はそして迷宮を進撃しているライドウたちにまで続いているのだ。

 

そうして未知なる迷宮の中を突っ切るライドウたちとマギニアの入り口とを結ぶその糸の名前は『アリアドネの糸』と言う。それは、ある地点にいる者が糸の端を糸車より引いたとき、糸を引いたの人間とその周囲にいる人間を迷宮内や遠くの場所から街中へと瞬時に帰還させる道具である。故にペルセフォネたちのような貴人たちや迷宮に潜る冒険者たちは必ずといっていいほどこの道具を持ってゆく。糸は一度その縛めを解けば、必ず自分達を特定の場所にまで転移してくれる。この道具が転移という現象を引き起こすのは、ペルセフォネたちにとって起こって当たり前の事であった。しかし今、ペルセフォネたち世界樹の上の大地に生きる者たちにとって聞きなれたそのアリアドネの糸が、二点間の距離を瞬時に零とするその効力を十全に発揮することはない。なぜならここは、この場所には、アリアドネの糸を使った際に使用者たちを移動させる通路となる、世界樹の大地の中に網目のようにあり巡らされた『磁軸』と呼ばれているものがないからだ。

 

アリアドネの糸はこの『磁軸』に糸の使用者を送り込み、転移という事象を引き起こす。『磁軸』とは例えてみれば移動のための道であると共に船や自動車、飛行船のようなものである。ならばアリアドネの糸とはつまり、そのそれらを使うための許可証や乗船券のようなものと言えるだろう。許可の証や乗船券を持っていようが、道や乗り物が存在しないのであれば、何の意味もない。すなわちこの世界樹の大地より離れた呪いの泥ばかりが離散と集合する空間において、『アリアドネの糸』は転移の力を発揮出来ない、無力な存在である――、

 

はずだった。

 

だがその発揮しない筈の力を発揮するように出来る者がいた。それが世界樹と繋がり深いモリビトの体の転生した『桜』だ。

 

今、『桜』は、入り口広場のテントの中で常に糸の片端を手にして、糸自体へと特殊な力を込め続けている。『桜』によれば、糸は、そうして世界樹の端末である彼女の送る特殊な力によって、それ自体が磁軸の役割を果たすように変異させられているのだという。それはすなわち、『桜』が糸に世界樹の力を込めているいる限り、アリアドネの糸は磁軸としての機能を有するようになり、その転移の力を発揮する事が可能であるという事を示していた。

 

『桜』が力を込めている限り、糸は糸が持つ本来の道具としての以上の役目を果たすことが出来る。『桜』の力が込められたこのアリアドネの糸は、磁軸として機能し、また同時にアリアドネの糸としても機能をも保有する。それはすなわち、このライドウのいる地点にまで伸びているアリアドネの糸は、『桜』の力によって、他のアリアドネの糸と同様、糸車より糸を解いた時点でその効力を発揮するようになっているということだ。『桜』はそんな、いわば裏技を使うことで、糸は本来もつ性能以上の力を引き出させられている。

 

そもそも本来ならばアリアドネの糸は、糸車より糸を解いた時点で効力を発揮してしまうものだ。つまりいくら糸車の端を掴んだ『桜』が磁軸の力を糸に込めようが、磁軸にした糸を垂らして道にしようと糸車より糸を引いた時点で、アリアドネの糸というものは効果を発揮してしまい、すぐさま目の前の糸車を持っている人間の元へと転移してしまう事態が発生するということだ。すなわちこうして糸が解かれた状態を保っている事がまず矛盾している事態であり、この『桜』の力を帯びて磁軸としての役割果たすというアリアドネの糸が、矛盾している状態であるのだ。ありえない状態にあるということを指し示している。

 

『桜』によればそんなありえないパラドックス状態を成り立たせているのは、過去の神話的伝承にある『アリアドネの糸』の言い伝えだという。いわく、『かつてアリアドネの糸は、英雄テセウスが脱出不可能と呼ばれたクレタ島のラビリンス(/迷宮)より脱出する折にアリアドネより託された糸(/宝具)の名前です。糸はテセウスがラビリンスに侵入するおり迷宮の入り口に括り付けられ、彼が脱出する際に帰路を示す導となりました。――今、この世界は、神話的事象の積み重ねによる崩壊という事態を目前にして、現実と幻想との境目が非常に薄らいだ状態にあります。似ている名を持つ者、似た生き方をした者、似た道具を持つ者、似た考えを持つ者の下には、そのモノと最も親和性の高い過去の力や魂が宿るようになっているのです。それはすなわち、人は過去の英霊の魂を宿すようになりその力や知識を得る事が出来るようになり、道具は過去の道具が持つ力を得て宝具化するということです。――今、『このアリアドネの糸』は、迷宮の中に侵入してライドウさんたちとマギニアの入り口付近にいる私の指の間にひかれています。その事実が『このアリアドネの糸』を、『神話時代のアリアドネの糸』と化しています。すなわちこの『アリアドネの糸』は、世界樹の世界の迷宮脱出の道具である以上に、神話時代の概念を宿した宝具と化しているのです。そして世界は――、道具の使用者が強く意識している効力を優先的に発揮するようにできている。そうですね……、――それは例えるならはさみの使い方みたいなものです。はさみは切るものですが、その気になればその鋭利な先端で何かを突くことも、柄の部分で何かを叩くことも出来る。ですが無論、切るという使い方を知っていれば、切るために優先的に使用することもできる。だからこそ『このアリアドネの糸』は――、迷宮の入り口と迷宮に侵入した存在の間に繋がれていて、私が『このアリアドネの糸』は『神話時代のアリアドネの糸』であると意識し続けている以上、『神話時代のアリアドネの糸』の効力を優先的に発揮し、磁軸としての役割を果たせるのです』、ということらしい。

 

魔術的知識や過去の知識に乏しいペルセフォネは桜の語るそんな詳しい理屈を十全に理解する事はできなかった。だがともあれペルセフォネは、このか細い糸が迷宮を世界の命運に等しいものであり、断ち切るわけにはいかないモノであり、それの端を握るライドウらと『桜』を死守しなければならないということだけはきちんと理解出来ていた。だからこそペルセフォネは必要最低限だけ残してマギニア中の灯りを落とすよう命じたのだ。それは糸の端を持つ『桜』のいる飛行都市マギニアが、なるべく泥の魔物たちの意識をひかないようにとの配慮から生まれた命令だった。

 

故に今、現状において入り口付近にある灯りと言えば、月と星の頼りない光と、そして衛兵が腰に携えている光量を絞った状態の携帯のランタン。そして本作戦の要となる『桜』とマイクのいる設置されたテントの内部や周辺の簡易接地式電灯くらいなものである。

 

そうとも今、入り口付近にはたったそれだけ以外の光は存在しておらず、それ以外の場所はほとんど暗闇ばかりが広がっている。そしてペルセフォネが現在いる、街と入り口前広場との境目あたりに至っては、衛兵が腰に携えているほの暗いランタンの光が唯一灯りとなるもの程度にはほとんど真っ暗な状態だ。

 

そしてそんな中において、ペルセフォネはまた、本計画の要となる『桜』たちを守るべく、彼女らのいる入り口付近の広場を固く守護しろとの命をミュラーへと下していた。だからこそこうして見回りを行っていたこの衛兵は、街中の暗がりの方からを歩いてきたペルセフォネを目敏く発見し、瞬間的に警戒の態度をとったのだ。すなわちこの事態は、それこそすべてがペルセフォネの命と行動によって生まれた結果である。目の前にいる衛兵の彼は、自らに課せられた『入り口付近の広場を守護し、不審者がいれば応対する』という私の指示を聞いたミュラーが衛兵らに下した指令を、忠実に果たしているだけに他ならないのだ。

 

 

――なるほどならば、私が彼に対して怒りを抱くのは不当というものか

 

疑問の氷塊に伴い、わずかばかりに生まれかけていた衛兵に対する不満の念が霧散してゆく。同時、ペルセフォネの心の裡にはそんな任務に忠実な衛兵に対する感心の念が湧き出てきていた。

 

「ふ……」

 

やがて心を満たした感心はやがて衛兵に対する敬意の念へと変化し、ペルセフォネの口から歓心の吐息となって漏れだす。

 

「何がおかしい」

 

だがペルセフォネが漏らしたそんな感心の吐息を己に対する侮蔑のそれと判断したのか、衛兵はむしろ先ほどよりも口調と語気を強めると、一切警戒の態度を緩めないままに話しかけてきた。

 

「いや――」

 

ペルセフォネは弁解のために口を開き――、

 

「なんにせよ、まずはその手にしている抜身の剣を納めるか、ゆっくりと地面に置くかしてほしい。話し合いがしたいなら、それからだ」

 

そして自らの語りを遮って紡がれた衛兵の言葉を聞いて、自らの今の状態を思い出す。

 

――ああ、これはますます言い訳が出来ない醜態だ

 

衛兵たちはペルセフォネの出した指示によって灯の落ちた街に魔物や不審者が入り込まぬよう常に気を張っている。すなわち彼らは常に最高に警戒態勢を保っているということだ。そんな緊迫の糸が張られたこの状況の中に、突如として街方面の暗がりより、抜身の剣を片手に持った存在が現れた。抜身の剣を持って街をうろつく人間など、平時においてすら即捕縛されて文句の言えない存在であり、この有事においては尚更の事見逃すことのできない不穏分子といえるだろう。

 

「これは失礼をした」

 

また、ペルセフォネの眼前にいる衛兵の声によって、他の場所にいた衛兵たちも集いつつある。ペルセフォネにとっては、このような自らのつまらない失態によって広場の守りの手が薄い場所が発生するというのは、望ましくない事態だ。故に――、

 

「重ね重ねの非礼を詫びよう。そして――」

 

ペルセフォネは衛兵の指示に従って抜身の剣を器用にそのまま腰のベルトに引っ掛けると軽く頭を下げて謝意を示し、目の前の衛兵に視線を向けなおすと彼の方へと近寄って口を開いた。

 

「しかしどうかこの顔に免じて、その敵意に満ちた槍の穂先を降ろすとともに、警戒の意志を解いてほしい」

 

そうしてペルセフォネの顔は兵士が腰に提げたランタンによって照らしあげられる。

 

「――こ、これは、ペルセフォネ様!」

 

ペルセフォネの謝罪の声を聴いた瞬間、衛兵は慌てて槍を上に向けて最敬礼した。自らたちが槍を向けているその相手が現在マギニアにおいて指揮を執っている人物である事に気が付いてしまったが故だろう、顔には冷や汗が浮かび、全身はわずかに震えている。また、この場所に集いつつあった衛兵たちは、その言葉を聞いて自らの仲間が誰に槍を向けたのかを理解したのだろう一瞬だけその場において固まり、その後、蜘蛛の子を散らすかのようにそそくさと離散していった。目の前の彼やそんな屈強な衛兵たちが、自らの言葉で一憂してみせる。そんな様は何ともおかしく、ペルセフォネから苦笑を引き出した。

 

「ご無礼を――、お許しください」

 

苦笑を断罪の刃のように捉えたらしく、衛兵はひどく震えている声色の言葉を放つ。

 

「いや、気にしなくていい。貴公はただ職務に忠実であっただけ――、悪かったのは周囲の目を気にする余裕のなかった私だ。どうか気にしないで欲しい」

 

自らの何気ない態度と仕草が、任務に忠実な衛兵の気を削ぎ、気後れまでさせてしまった。そのことに気付いたペルセフォネは、慌てて弁明の言葉を紡ぐと再び謝罪の言葉を発する。

 

「――は!」

 

すると最敬礼の姿勢を保っていた衛兵は震えを止め、そのままの姿勢で改めて体を動かし、最敬礼を行った。衛兵の顔や態度にあった不安の様子はすっかり失せている。ペルセフォネの言葉は彼の中から湧き上がった負の感情というモノを欠片も残さずに霧散させたのだ。

 

「どうか楽にしてくれ」

「重ね重ねのご厚情、感謝致します!」

 

ペルセフォネの指示を受けた衛兵は背筋をただすと、槍の穂先を上へと向けた通常の待機姿勢へと移行する。

 

「よい。……ミュラーや『桜』たちは変わらずか?」

「は! 『桜』、およびマイクは、ミュラー兵士長と共にテントにて待機しております!」

「そうか。……感謝する」

「いえ! お役にたてたのであれば、光栄です!」

「そうか」

 

言いながらペルセフォネは頷くと衛兵の横をすり抜けてゆく。衛兵はそしてペルセフォネがテントの中まで消えてゆくのを見守ると、背筋を緩め、ゆっくりと息を吐いた後、改めて槍盾を構えた。衛兵の体には再び緊迫感が漂い始める。そして指揮官から直々に褒めの言葉をもらった彼は、湧き上がってくる喜びを必死で抑えながら、再び警戒の意志を携えて闇の中で決まった見回りの道筋を徘徊し始めた。

 

 

「ペルセフォネ様」

 

ペルセフォネがテントの前にまで歩を進めると、テントの前には一人の人物が立っていた。短髪にまとめた彼の向けてくるその視線は鋭く、纏う雰囲気は先の衛兵が纏うそれよりも強大なものがある。

 

「ミュラーか」

 

そんなただならぬ気配を発しているのはミュラーと呼ばれる壮年の人物だった。おそらく彼は、先ほどの衛兵とペルセフォネの間に起きた騒ぎを聞きつけたがゆえに、待機場所をテントの中から外へと変えたのだろう。ペルセフォネはミュラーが不測の事態に対する臨機応変さを備えた人物であることを承知しているがゆえに、そんな自らの予想を疑うことはなくそう信じた。

 

「御用はお済になりましたので?」

「ああ」

「それはよかった」

「だが――、同時にもう一つやることが出来た」

「なんですかな?」

 

ペルセフォネはミュラーに視線を向けると、毅然とした態度のまま、口を開く。

 

「迷宮に突入する。私はライドウたちに合流しなければならない」

「……はて?」

 

ミュラーが眉をひそめた。それはペルセフォネの正気を疑うような口調のモノでなく――、

 

「それはいかなる意図によるものなので?」

 

彼女の真意を問うために発せられた言葉だった。ミュラーは続けて言う。

 

「『この泥の迷宮は地上にあった迷宮と同じ性質を持っており、また、その中に潜んでいる魔物も手ごわいものばかりだ。すなわち多数の斥候を送り込んだところで無駄に犠牲が増えるばかりである。何より、この泥の迷宮に磁軸として引くことの出来る『アリアドネの糸』はこの世に一つしか存在することが出来ない。だからこそ――、五人以下の少数精鋭を一グループだけ送り込み、彼らにこの世界の命運のすべてを賭ける。我らは彼らから連絡が来るまでマギニアにいる人々と本計画の要である『桜』たちを守護しつつ、待機する』。……それがご自身の下した決定ではありませんか」

 

そう。ライドウに持たせた連絡機械からの知らせが有り次第、ペルセフォネらはアリアドネの糸の転移の効果を用い、『桜』とマイクら含む数人を迷宮の最奥へと移動する。そして最奥にある機械へとマイクらを設置し、世界の生まれ変わりを阻止する。それがペルセフォネらの当初の予定のはずであった。

 

「ああ。その通りだ。その思いと方針は今でも変わっていない」

 

月へと続く泥の迷宮――、というよりは、飛行都市マギニアの待機している泥の地面の付近に現れる魔物は強く、並大抵の冒険者や衛兵では歯が立たない。無論、魔物と言ってもそう数多く表れるわけでないし、一匹の魔物に対して十人前後の衛兵たちを用意すれば、何とか勝てる程度の強さではある。魔物は確かに勝てない強さの敵でない。だがしかしそれはいいかえると、泥の上に現れる魔物は衛兵を十人以上も用意しなければ勝てない強さの敵であるのだ。

 

「ではなぜ。樹海は冒険者に任せるべき。それはかつて姫様がレムリアに挑んだ時に発せられたお言葉です。餅は餅屋に任せるのが最も効率的であることは姫様がご存知のはずでは」

 

またそして泥の迷宮の魔物は、孤立している個人よりも徒党を組んで固まっている衛兵を優先して排除するという、世界樹の迷宮に住まう魔物たちと共通した性質を持っている事が確認されている。さらにそうした性質を持つ泥の迷宮の魔物たちは、やはり世界樹の迷宮に潜む魔物らと同様、衛兵たちが多く徒党を組むほどに多くの数を用意して衛兵たちの前に現れてしまうのだ。

 

「その通りだ。問題は多数の素人の手でこねくり回すよりも、専門家に任せる方が手っ取り早く事態の収拾を望める。ならば迷宮の探索と踏破は冒険の専門家である冒険者の手に任せ、我ら軍人と王族はマギニア改にて衛兵らを率いてこの場所に投げ出された民の守護と政治にあたるのが最も適当だろうことは明白だ」

 

生半可な衛兵ではかなわない力を持つ魔物は、こちらが多く徒党を組むほどにより多く姿を現す。そんな事実を目撃したペルセフォネらは、この月へと続く泥の迷宮は世界樹の迷宮と同じく、迷宮の攻略を拒む法則が働いているのだと結論づけた。それはすなわち、この月に続く泥の迷宮は多く人員を送り込むほどに多くの敵が立ちふさがるようになるということである。

 

迷宮を攻略してその最奥に『桜』とマイクを連れてゆかねば、この世界は次なる世界とやらを生み出すために失われてしまうということになる。しかし力の足りない衛兵や人員を多く送り込んだところで、無駄に犠牲ばかりが増えてしまうし、それどころかむしろ、成功確率が低下してしまうということになる。すなわちこの迷宮は、地上にある世界樹の迷宮と同じよう、少数精鋭による強行突破こそが最善手である。

 

――そう判断したからこそペルセフォネらは、残存する冒険者や衛兵といった戦力の中において最も戦闘能力の高いライドウとパラ子らにすべてを託す決定を下したのだ。

 

だがそれを覆す発言を、ペルセフォネは今している。ミュラーはペルセフォネが軽々とした判断を下さない指揮官であることを理解している。ミュラーはだからこそ――

 

「……ますますわかりませんな。ではいったいなぜ、人数が増えて迷宮が活性化するという危険性を冒すとご承知の貴女は、冒険者という専門家でないご自身を迷宮に投じようとなさるので?」

 

疑念に満ちた目をペルセフォネへと向け、尋ねる。

 

「それは――」

 

するとペルセフォネは、腰のベルトにひっさげた抜身の剣を引き抜いた、

 

「な――」

 

ミュラーはペルセフォネの行動に驚き、反射的に身構えようとした。そしてミュラーの頭には一瞬、かつてペルセフォネがとある相手に洗脳されてしまった時のことがよぎる。記憶はやがてミュラーの胸に不安の思いを生み落とそうとした。だが――、

 

「――な、あ……」

 

そうしてミュラーが不測の事態に対して応じる姿勢を整え終えるよりも以前に彼の鋭い眼光はペルセフォネの手に握られた剣を捉え、それを目撃した瞬間、ミュラーは金縛りにあったかのように停止した。

 

「その剣は――」

 

なぜならペルセフォネが引き抜いたその剣に、ミュラーは見覚えがあったからだ。否――、無論、見覚えがないはずがない。なぜならその剣はかつて、ペルセフォネの命によってレムリアという大地へと集った冒険者たちの内、レムリアの大地にあった迷宮をことごとく率先して踏破しつくし、やがては、レムリアの大地の迷宮の最奥へと秘められていた世界の危機に直結する問題すらも解決して見せた冒険者の内の一人が最後に使用していた剣だからだ。

 

「そう、真竜の剣だ。竜を越えし者にのみ振るうことを許された、偉大なる三竜の素材をもってして作り出された、偉大な竜をも屠る最高の切れ味を誇る、およそこの世にある剣の中でも最高位に位置する聖剣だ」

 

それはかつて世界を救って見せた剣だった。そんな十字を象った造形の剣は、かつての時と変わらない姿をミュラーの前に表している。ラピスラズリを削って造られたような深い青色の握りと装飾も、栄華を誇るかのように黄金で造られた柄も、月光を固めて鋳造されたかのような刀身も、そのすべてがかつてのあの時と変わっていない。人々が思い描く最高の剣という幻想をそのまま形造ったかのようなその剣は、かつてミュラーがレムリアの大地において目撃したあの時からまるで変わらない姿のままに、ペルセフォネの手の中で存在を誇っている。

 

「なぜそれがここに……それは彼らの最期の探索の最中、失われと……」

「英雄の使用していた最高の剣、などというものが後の世に下らぬ争いの火種となることは目に見えていたのでな。故に彼らはそれを隠す事としたのだ」

 

ペルセフォネは呆然とするミュラーに述べると、剣の切っ先を地面に突き立て刀身を固定し、柄頭に両手の掌を重ねて乗せると堂々とした態度でミュラーへと真剣な表情を浮かべて視線を送った。

 

「ミュラー。貴方も知っての通り、かつてこの剣の所有者であった彼らは立派な人物たちでした。私の命によってマギニアに集った彼らは、レムリアの大地において過大な功績をあげ、至上の名声と莫大な財貨を手中におさめ、しかしながら彼らは、そうして手に入れた名声と財貨に溺れることのない、そんな素晴らしい人たちでした。彼らは自らが成したことに対する責務というモノを十二分に理解し、そうして自らたちが成し遂げた事において後世に発生するだろう問題を予測し、もし自らの積み上げてきたものが未来を生きる人々に対して害となるのであれば、自らが手に入れた力を放棄する事を躊躇わない、そんな人たちでした」

「――」

「彼らは誰よりも分別のついた大人でした。彼らは自らの手に入れた強大な武力が未来の子らに悪影響を残すことを望まなかった。だからこそ彼らは手に入れた力の内、強大すぎるものをほとんど破棄し、破棄するまでもない程度のモノを王族の保管庫へと残し、去ってゆきました。しかしどういう因果か、そんな彼らの手によって破棄された武具の内、最も強大なものだけが残され、時代を超えてかつて彼らの手によってに救われた我が手の内にある」

「――」

 

ミュラーは一言も発さない。ミュラーはただひたすらに呆然としていた。ミュラーは顎が力なく落ちてその強面を保てなくなる醜態をさらさないようにするので精一杯だったのだ。

 

「ミュラー。知っての通り、この剣には闇を振り払う力がある。否――、かつてこの剣は、悪心無き彼らの手によって世界に生み出され、人の世に憂いをもたらそうとした蛇を切り裂く比類なき聖剣として活躍した。卵が先か、鶏が先かなどかはわからぬが、ならばともあれこの剣は、世界を救った者、あるいはこれから世界を救う定めにある者の側にある、そういう運命にあるのだろう」

 

ミュラーは答えない。ミュラーはただひたすらに、ペルセフォネの言葉に聞き入っていた。

 

「ならばすなわち、この剣には、今のこの時この瞬間、この場所にあるよりも相応しい活躍の場所に置かれているべきである。――そうは思いませんか、ミュラー?」

「……ですが、だからと言って、貴女様がわざわざ出向かれずとも――、それこそ残る専門家(/冒険者)たちの中から強者を選別し、彼らに剣を託せば――」

 

ミュラーの言葉にペルセフォネは首をゆっくりと左右に揺らし、否定の意をしてみせる。そしてペルセフォネは突き立てた剣から身を引くと、ミュラーの目をじっと見つめたのち、剣へと視線を落とした。

 

――握ってみろ

 

告げる視線を受けて、ミュラーは突き刺さった剣の握りへと手を伸ばす。そしてミュラーは一息に剣を引き抜こうとして――

 

「――これは……」

 

しかしそれは叶わない。どれほど力を込めようが、剣はマギニアの地面に突き刺さったまま、びくともしないのだ。まるで剣自身が担い手を選ぶかのよう、剣はただ泰然と地面の上に突き立っている。ミュラーはふらふらと身を引くと、剣から離れてテントの布地に背をやった。やがてミュラーがその頼りない布地によりかかるよりも以前に、ペルセフォネは再び剣の握りをつかむと、微動だにしなかったはずの剣をあっけなく引き抜いて見せる。

 

「すでにこの剣は私以外に真価を発揮する事は使用不可能な代物となっている」

 

光景にミュラーは絶句した。

 

「私はこの世界を覆い尽くそうとする闇を振り払える道具の担い手として選ばれた。今の私はかつての彼ら以上にこの剣の力を発揮する事が出来る。否、今や私以外にこの剣の真の力を引き出せる人間は存在しないのだ」

 

目の前で起きた事実がペルセフォネの言葉に確かな説得力を与え、ミュラーから否定の材料を削り取ってゆく。

 

「またそしてそれ以上に、この剣とそれを振るった彼らに救われた私には、王族として彼らに借りを返す義理があり、また、過去の時代を生き抜いた人間として過去の亡霊の手から今の時代の人間の手へと未来を取り戻し返してやる義務があり、なにより私を救ってくれた彼らの憂いを振り払ってやりたいという願いがある。だからこそ私は――、王族として課せられた責務を果たすべく、人としての義務を果たすべく――、何より私個人として彼らの思いに応えたいと願うが故に、迷宮の奥地へ向かい、世界を救わんとするライドウらと共にありたいと、そう思うのです」

 

世界の事情。剣が彼女以外に使えなくなっているという事実。王族としての責務。人としての道理。そして彼女個人の感情。それらの全てが彼女を迷宮へ向かわせることこそが最善であると告げている。ミュラーはもはや何も言えなくなっていた。突如として襲い掛かってきた現実に耐え切れず、彼を呆然自失の状態へと陥れたのだ。ペルセフォネはそんな彼をただ見守っていた。

 

「――そう、ですか」

 

しばらくしたのちに瞳に正気の色を取り戻したミュラーは、ぽつりと述べる。

 

「なるほど、そのような事情がおありでしたら、もはや私が貴女を止める理由はありませんな」

「ミュラー……」

 

ミュラーは言うと、改めて背筋をただし、右手を動かし、挙手による敬礼を行った。

 

「貴女様のもう一つの誇り、すなわち飛行都市マギニアの守護と、世界の命運のもう一つの要たるは彼らの護衛は、私どもが命に代えましても行いましょう。貴女は貴女の思うがままに動かれると良い。――どうかご武運を」

「――感謝する」

 

 

「して、どのようにして彼らの元まで行くおつもりですかな?」

 

やがてペルセフォネが答礼の態度を崩した後、敬礼をやめたミュラーは尋ねた。

 

「――ライドウらの垂らした糸を頼りに、全力で駆け抜ける。それしか方法はあるまい」

 

顔を顰めさせながらペルセフォネの答える。

 

「……正気ですか?」

 

ペルセフォネの言葉は、ミュラーからあまりに忌憚のなさすぎる、しかしまっとうな問いかけの言葉を引き出した。

 

「……唯一幸いにして泥の迷宮は鈍麻鈍感な性質であるらしく、地に足付けていない限り、つまりは泥と接していない限り、こちらに敵対の意志を見せない。だからこそマギニアは襲われずに済んでいるのだ。また、真竜の剣の加護を受けた今の私ならば、飛ぶが如き跳躍を繰り返し行うことも可能だ。すなわちそうして跳躍を繰り返して迷宮を進撃すれば、あるいは無傷で追いつけるやも――」

 

ミュラーの言葉に自らの考えはやはり尋常なものでないことを再確認させられたペルセフォネは、途切れ途切れに言葉を選びながら、なんとか自らの提案を自ら肯定してやろうとして――

 

「ペルセフォネ様。どうかこのような言葉を繰り返すご無礼をお許しください。また、かつてあの英雄たちが集団で踏破した迷宮を単独でうろついていた貴女様の実力を疑うつもりもありません。ですがあえてもう一度、ご無礼を承知でお尋ねさせていただきます。……正気ですか、ペルセフォネ様」

「……」

 

しかし返ってきた先ほどと同じ内容の、しかし先ほどよりも真摯な思いこもった問いかけに、反論の言葉を失った。

 

「跳躍を繰り返し、地に足をあまりつけないよう、飛ぶが如く迷宮を進む。なるほど、確かに迷宮の地面に接触していなければ魔物が襲い掛かってこないのは、こうして泥の迷宮のど真ん中にあるにもかかわらず泥に設置していないマギニアが無事であることからも証明されていると考えてよろしいでしょう。非常に稚拙ですが、接地時間を限りなく減少させることで、迷宮内に潜む大半の魔物と出会わずに済むようなるとしましょう。――ですが、魔物と出会わなくて済む。貴女はただそれだけで、この世界樹の迷宮と同じ性質を秘めた迷宮を攻略できると、本当にそうお考えであられるのですか?」

「……いうな、ミュラー。私とて自分の言っていることの無茶は理解している」

 

ペルセフォネは目を逸らして伏せると、ため息を吐きながら言う。

 

「だがそれ以外に手段が思い浮かばないのだ。この先の空間は泥が密集しており、飛行都市マギニアはこれ以上進めない。また、この泥炭地の如き地面だ。馬もまともに走ることはかなわぬだろうし、何より、馬は目立つ。ならば――、走るしかあるまい」

「――ふぅ……」

 

ペルセフォネの苦し気に述べた意見を耳にしたミュラーは、先ほどペルセフォネが落とした以上に大きなため息を吐く。

 

「理想が先行していて、現実に追いついていない。人間、余裕がなくなると、思考が単純化し、地の性格や気質が出てしまう。どたいらも良く聞く話ですが、仮にも現在マギニアの為政者の頂点に立って指揮をとる者がそれでは困りますな」

「……ならばミュラー。貴公はどうすればよいというのか」

「さて……」

 

ペルセフォネの言葉を受けて、ミュラーは腕を組み、空を見上げた。視線の先では、月とそれに纏わりつく泥の姿がありありと映っている。泥は接触したものへと快楽をもたらす魔性の泥だ。そして月へと続く迷宮はそんな泥によって形成された地面の上にある。泥はその上に長くいれば、体が沈み込んでいってしまうほどに柔らかく、その上、そんな泥によって作られた迷宮は攻略の意志持って地面の上にいるほどに魔物が寄ってくるような場所なのだ。

 

ならば最も迷宮を突破するに有効なのは、今のマギニアのよう飛行する物体を用いる事といえるだろう。地に足着いていなければ、なるほど魔物が攻撃してこないのは今のマギニアが無事にある事態が証明している。だが、今の飛行都市マギニアには、この飛行都市マギニア本船以外に、宙を駆ける事の出来るような何かは存在していない。

 

もちろんミュラーはライドウらに不測の事態が起きてアリアドネの糸が使用不可能な事態となるか、あるいは、彼らが死するような最悪の事態になってしまった場合ならば、飛行都市マギニア事態を月の迷宮に突っ込ませて突破を試みるという犠牲を顧みない最悪の手段とることも視野に入れている。だが、ライドウとの間に敷かれているアリアドネの糸へと力を送り込んで架空の磁軸をひいているテントの中にいる『桜』たちが何も言ってこない以上、糸の先にいるライドウらは無事であるのだろうし、彼らの助けになるだろうからという理由でマギニアを丸ごと犠牲にするのはいかにもナンセンスだ。

 

ならば次に考えられるのは、地面を可能な限り早く突き進むなにかを使う方法だ。そう考えた時ミュラーの頭によぎったのは馬という手段であったが――、かといって迷宮という場所に置いて馬という生物に頼るのも危険度が高いと思い直す。なぜならえてして迷宮の魔物は馬などよりよほど早く、そして彼らよりも狡猾だからだ。

 

馬を迷宮に持ち込むと、大抵の場合、馬は魔物の犠牲になる。また、犠牲にならないにしても、馬の守りのために人手と労力を割かねばならないという、何とも本末転倒な事態に陥ってしまう。かつてほかの都市には『ペット』化する事ですそうした獣でもスキルが使えるようになる技術があったと聞くが――、あいにくマギニアにはそんな技術が残されていない。

 

「――なるほど……、八方ふさがりですな」

 

ミュラーはそして、ペルセフォネのように、自らが飛ぶが如く泥の上を駆け抜けるしかないという結論に達し、無念の思いと共に声を漏らし、ため息を吐いた。

 

「だろう?」

 

理解を得たペルセフォネもやはりため息を漏らしながら言う。どこか喜色混じりの声にはしかし、疲労感が満ち溢れていた。

 

「要するに、マギニアのように空を飛び、馬のような速度で迷宮を駆け抜けられる、そんな手段があればよろしいのですが――」

「あればとっくにライドウらに提供している」

「ですな」

 

ペルセフォネとミュラーは顔を見合わせて言い合うと、主従そろって仲良くため息を吐いた。二人の漏れ出した懊悩の証は空中にて溶けて混じり、闇の中へと消えてゆく。満足のいく答えが出ない事態が二人の間に沈黙を生む。

 

「ともかく、そういうわけだ」

 

やがて少しばかり時間が経過して、気を取り直したペルセフォネは崩れていた表情を整えつつ、切り出した。

 

「我ながら馬鹿らしい考えであるとは思うが、悩んでいる時間も惜しく、代案もない。だから私は――」

 

そうして表情を不退転の意志秘めたものへと変化させつつ、決意を露わにする言葉を紡いでた時――

 

「あるぜ」

 

彼らの耳元へと、そんな先ほどまでの意見を肯定する言葉が侵入してきた。どこか聞き覚えのある声は、しかしペルセフォネとミュラーの心をひどくざわつかせる。

 

「な……!?」

 

ペルセフォネが驚き、振り向いた。

 

「誰だっ!」

 

ミュラーは瞬間的に腰元の鞘より剣を引き抜き、声の聞こえてきた方向に構える。剣の切っ先が彼らのすぐそばのテントの影へと向けられた。

 

「空を飛ぶ馬が欲しいんだろ?」

 

そうして声と共にテントの傍の光の中に姿を現したのは――、

 

「お前は……!」

「たしか、ヘイムダル……!」

 

かつてこの泥の大地がまだヴィーグリーズと呼ばれていた頃、この世に未練を残して死んでいった死霊の軍勢を率い、ギルガメッシュら率いる英雄たちと激突し、やがてエミヤとシンとの激突が終わるころには姿を消していたそんな男だった。

 

「ペルセフォネ様!」

「ミュラー兵士長!」

 

慌てる二人の態度と叫びから異常を察知したのだろう、まわりにいた衛兵たちが慌ててテントの傍へと近寄ってくる。そしてテントのそばにいるヘイムダルは、すぐさま集った衛兵たちに囲まれた。今やヘイムダルの巨体の周囲には多数の槍の穂先が浮かんでいる。

 

「――あるぜ。俺なら提供してやれる」

 

だがそうして周囲全ての存在から敵意をあらわにされたヘイムダルは、四角四面の上にある青白い顔色を欠片ほども変化させないまま、無表情に言った。

 

「……なに?」

 

言葉を聞いて、ペルセフォネの口から言葉が飛び出す。問いかけを聞いたヘイムダルは初めてその無表情ばかりが浮かんでいた顔面の唇を歪に変化させて、笑いながらに言う。

 

「空駆ける馬が欲しいんだろ? ならこの俺が天馬を――、ペガサスをくれてやるって言ってるんだよ」

 

ヘイムダルは胸元を手のひらで叩きながらに言う。言葉と所作に反応したかのように、マギニアの電燈と月と星の光を受け、巨体の全身を包み込む紫鱗の見目麗しい血に塗れた鎧ともう片方の手に握られた見目に麗しい剣の刀身が怪しく輝いた。

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