Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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第二十三話 世界樹の迷宮 −the phantom atlas− (十)

生温さ帯びた暴風が肌を撫ぜてゆく度、風が耳孔の中へと侵入し、鼓膜を揺らしてゆく。振動は三半規管によって音と信号へと変換され、やがて風切り音となって脳髄の中に鳴り響いた。

 

「――」

 

無茶な稼働を続けているせいで、全身は悲鳴をあげ続けている。脳は意識を手放してさっさと楽になってしまいたがっていた。天然自然において水が低きに流れてゆくよう、人間の体の中にある本能という自然由来のものは楽に傾きたがるものである。これが温和な空気揺蕩う平時であるのならばそんな本能が望む安楽の願いに身を任せて眠りに堕ちてしまっても構わない。だが今この時、そうして本能の願いに応じて安楽に堕ちることは、それすなわち永遠に覚めぬ眠りにつくことと同じ意味を持っている。

 

「■■■■■■■■っ!」

「――くっ……!」

 

遅かれ早かれ人はいずれ永久の眠りにつくものだ。だから自分も死の眠りを否定する気はない。そうとも。もし自分がすべての役目を終えた後ならば、そんな永劫続く安寧に身を任せてしまっても構わない。だが今、自分の双肩にはこの世界に住まう住人たちの命と彼らの住まう場所である地球の大地、そしてさらには自らが守護するべき帝都に住まう人々の命を守るという使命が乗せられている。それはどれ一つとっても欠くことの出来ない重要なものであり、だから――

 

――まだ死ぬわけにはいかない

 

「――……!」

 

決意を騎手に本能の手綱を毅然として握りしめると、怠惰へ傾きたがる本能を無理やり御して、引き続き無茶を敢行する。眼前にて棍棒を振るう敵は強大にして無比な、宇宙の支配権をめぐる戦いであるギガントマキアにおいて多くの巨人/ギーガスを鏖殺した、一騎当千を実現する強さを持った存在だ。彼は常人ならば一つですら値を上げそうな試練を十二も乗り越え、それ以外にも数多くの伝説を残してきた、半神半人の大英雄である。すなわちその名をヘラクレスという。自分たちはそしてこの世界を救うためにも、そんな比類なき伝承を持つ存在を打倒しなければならないのだ。ならばそうとも、気を抜いている暇など、安楽にしてよい瞬間などありはしない。

 

「■■、■■■、■■■■、■■■■■■■■っ!!」

「くそ、また弾かれた! 流石のおばちゃんも辟易するよ!」

 

とはいえ、現状、敵打倒のための手段が見つかっていないのも、また事実だ。ヘラクレスは大地を響動ませる必殺の威力を秘めた強力無比な一撃を、外しては振りかぶり、外しては振りかぶりを繰り返し、次々と繰り出してくる。ヘラクレスはまるで重機のようだった。だがヘラクレスは無敵の重戦車というわけではない。ヘラクレスのの攻撃は一撃こそ強大であるものの、繰り出すおりにいちいち振りかぶるため、大きな隙が生まれるいのだ。だからこそ自分たちはこうして敵の近くに張り付き、振り回される剛腕が空を切り、大地を揺るがす度に、生まれる隙を狙ってスカアハとともに人体急所目掛けて反撃の一撃を加えている―ー、のだが、自分たちの繰り出す攻撃はいずれもこの大英雄の持つ物理耐性の前にあえなくその威力を失い、結局有効打を与えれられずにいる。結果、こちらの時間と体力だけが無意味に削られてゆく。ヘラクレスは無敵ではないが、無敵に限りなく近い存在だった。

 

――状況は最悪だ

 

自分たちは一刻も早くこの大英雄ヘラクレスを退け、月の迷宮の最奥へとたどり着かなければならない。にもかかわらず、こうしてヘラクレスと戦い始めてからもう半刻は経過している。加えて自分たちはここに来るまでの間にたっぷり一刻半以上を費やしていたはずだ。また、この番人部屋に入る以前、見上げた月はもうほとんど泥に覆われていた。それらの事実から逆算するに、おそらくはもうあと数刻ほどもしないうち月は完全に泥へと飲み込まれ、この世界は終焉の運命の渦に飲み込まれてしまうだろう。

 

一応パラ子たちの言動によれば、この月へと続く泥の迷宮は世界樹の迷宮と似た造りをしており、それ故にこの番人部屋の奥はすぐ迷宮の最奥に通じている可能性が高いとのことである。けれど、それが真実であるというどこにも保証はない。少なくとも自分が迷宮という侵入者を拒む要塞を作り上げるのであれば、迷宮を既存のものと同一の造りという攻略されやすいものに作り上げないだろう。無論、時間がなく、突貫工事で作り上げる必要があるというのであればその限りではないが――、ともあれ、この番人部屋を抜けた後もまだ迷宮が続くかもしれないという最悪の事態を考慮するに、月の最奥探索のために費やす時間はあればあるだけ良くならばすなわち、この部屋の番人であるヘラクレスを可及的速やかに討伐せしめる必要がある。だというのに――

 

「■■――!」

「――ぐっ……!」

 

自分らは今、この完全なる物理耐性を保有するこの部屋の番人であるというヘラクレスを打倒せしめる手段を見つけられていない。つくづく嫌になるくらいこの大英雄の守りは完璧だ。敵に攻撃を防がれるたび、ほかの悪魔召喚管がない事実を口惜しく思えてしまう。無論それは、今自分が召喚し、使役し、ヘラクレスとともに戦っている悪魔スカアハが頼りにならないなどということではない。むしろ、彼女という手練れがいなければ、自分は先ほどの光線を時点で時点で死んでいただろうし、この猛攻を防ぐことも出来なかっただろう。今の自分がこうして死線ぎりぎりのところで踏ん張れているのは、間違いなくこのスカアハという悪魔のおかげである。そう考えるに彼女という悪魔は葛葉ライドウたる自分の命の恩人であり、頼りになる相棒であり、感謝すべき対象と言えるだろう。だがしかし同時に、彼女というどちらかという物理攻撃に優れた悪魔ではこのヘラクレスという大英雄を打倒する手段がないのもまた事実だ。

 

――そこに加えて、この攻撃の苛烈さ……

 

そんな絶望的な事実に加え、今やヘラクレスが先ほどから行っている挙動のせいで、敵の弱点を探るために繰り出している反撃の機会すらも少なくなりつつある。ヘラクレスは今、地面に削りながら棍棒を振り上げる攻撃を繰り出すによって地面を構成している泥を自分やスカアハの周囲へとばらまきいたのち、振り下げか振り回しによる追撃を加えるという攻撃手段を多用してきていた。地面の泥は皮膚に直接触れればそれだけで意識を蕩かすほどの快楽を提供するという、危険な猛毒だ。そのためこちらはヘラクレスの猛攻に加え、それをも回避することを念頭に置いて行動しなければならず、それが攻撃機会の損失に繋がっている。

 

「ああ、もう、まったく、あらゆる攻撃が無効化する上、戦い方も上手いだなんて、なんて可愛げのない!」

 

そうとも今、自分は、繰り出される苛烈な攻撃をスカアハとともに、あるいは彼女の助力を借りて、すれすれでそれを回避しつつ、自身の周囲の空間へとまき散らされた泥に触れないようにするので手一杯だった。それでも必死に、ヘラクレスが繰り返し行う、振り上げ、振り回し、振り下げの攻撃と、それら一連の動作によって生まれる汚泥の雨霰が、自分たちの行動を制限し続けてある。おかげで自分は羽織ったマントや纏っている長袖の学生服、学帽で防ぎつつ、いかにすればこのヘラクレスという悪魔を御せるか思考を巡らせる。

 

相対する相手はギリシャ神話の大英雄、ヘラクレス。自分たちはすでに、脳天、目、鼻、口に、耳孔、乳首、脇の下、へそに、股間といった人体急所と呼べる部分に対して、斬撃、銃撃、打撲に属性弾といった持てる攻撃手段のすべてを叩き込んでいる。にもかかわらず目の前にいる半人半神の大英雄は、一向に怯むことなく、ダメージを受けた素振りを見せることもなく、ただひたすらに容赦のない苛烈な猛攻猛進を続けてくるのだ。傍らで千を超える連撃を繰り出してくる合間、スカアハとともに百を超える反撃を繰り出して応戦するも、いまだに十全さを保つ、唯一無二の強靭さを誇るそんな存在を、果たしていかにして攻略したものか――

 

「危ない、ライドウちゃん!」

「――ッ!」

 

わずかな瞬間だけ懊悩に意識を割いていた時、スカアハの慌てた声が耳孔へと飛び込んできて、自分の意識を現実へと引き戻した。見れば数メートル離れた位置にいるヘラクレスは、右手に持っていた五メートルはあろうかという巨大な棍棒の半分以上をも地面にめり込ませている。一瞬の戸惑いののち、ヘラクレスが一体いかなる攻撃を繰り出すつもりなのかを予測し、血の気が引いた。慌てて体をひくも――

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

こちらの行為を遅いと嘲笑うかのように、ヘラクレスは半分以上も泥にめり込ませていた棍棒を振りぬく。直後、地面を構成している泥はヘラクレスの強大な膂力から生まれた威力によってばらけ、前方へと押し出されていった。そして生まれた泥の塊と礫はすさまじい速度を保有しており、まるで散弾銃のよう、自分とスカアハの真正面から襲い掛かってくる。

 

――まともな手段で回避することがかなわないっ……!

 

「――スカアハっ」

「了解っ」

 

判断した瞬間、スカアハを悪魔召喚管に収め、彼女の協力の元に前方へと最小の異界を発生させると、その内部へと身を投じた。そうしてこの世界と位相のずれた空間へと我が身を放り込んだ直後、現実世界においてごく短時間だけ暴風が吹き荒び、泥の塊礫が通り過ぎてゆく。やがて見計らっていたとおり、致死の威力秘めた嵐の過ぎ去ったタイミングにて異界から抜け出ると――

 

「■■■■■■■■ッ!」

 

荒ぶる死神の咆哮が頭上より耳孔に飛び込んでくる。

 

「――っ!」

 

瞬間、心臓が痛いくらいに跳ね上がったのを自覚した。わずかに崩れた体勢だったというにもかかわらず迷わず声の聞こえてきた方向を見られたのは、考えるよりも先に肉体が反応したからだろう。頭上、視線を向けた先には、高い位置より両手に持った棍棒を思い切る振りかぶった半人半神の巨人が落ちてくる光景があった。おそらくは先ほどの泥の地面をぶちまけた勢いの乗せて跳躍したのだろう。その雄々しい姿を見た瞬間、着地地点を逆算するまでもなく、ヘラクレスの狙いに気が付く。

 

――まずい……っ!

 

「■■■■ッ!」

「――っ、スカアハッ!」

 

回避は不能。防御も不可能。喰らえば死ぬ攻撃に対して自らにできる対抗策を一切見いだせなかった自分は、しかし瞬時ののちに思い浮かんだ生存のための手段を実行に移すべく、反射的にスカアハを悪魔召喚管より再召喚し、現世へと呼び出した。

 

「ライドウちゃんっ!」

 

瞬時に状況を把握したスカアハの美貌が焦燥に歪んだ。

 

「手を取りなっ!」

 

そう言ってスカアハは手を差し伸べてくる。おそらく彼女は、自分の手を取り、自らの飛行能力を駆使してこの場から離脱しようという算段なのだろう。だが甘い。おそらくヘラクレスは先ほどまでの戦闘において、我らの能力を見切っている。もし自分がこのままスカアハの手を取り、彼女の飛行能力を頼りに宙へと跳躍してこの場からの離脱を図ったとしても、一人の余計を抱え込んだ彼女の飛行速度ではヘラクレスの棍棒の振り下ろし初撃はかわせても、その後ヘラクレスの攻撃によって爆裂した地面より生まれ出ずる泥の波状攻撃を回避することはかなわないだろう。無論、スカアハを悪魔召喚管に収め、瞬間だけ異界を生み出しその中に身をひそめ、泥を回避することも可能であるかもしれないが、それをやったとしても異界から現世へと戻る際に自分が現れるのは身動きとれぬ空中である。ならばその後、飛行能力を持たない自分は眼下、ヘラクレスの待ち受ける泥の地面へと無防備に落下してゆくしかない。そして生まれるその隙をヘラクレスが見逃すはずがない。

 

もちろんその落下のさなかにスカアハを再召喚したり、あるいは再異界化を使用することで、その後続けてヘラクレスより放たれるだろう攻撃に幾分か対応することもできるかもしれない。たが、どのみち空中という自分が足手まといにしかならないフィールドに追い込まれた状態での足掻きが長く続くわけもなく、いつかは必ず負けてしまう勝負に付き合わされることとなる。

 

――だから

 

そうとも、ここでスカアハの手を取って空中へと退避するというのは、間違いなく悪手だ。空中へ滞在する時間が長ければ長いほど、飛行能力を持たない自分が枷となり、こちらは不利に追い込まれる。回避は不能。防御も不可能。そして、スカアハに協力を仰いでの空中への離脱も不可能。そんなヘラクレスの攻撃に対して自分は――

 

「――スカアハッ」

「ライドウちゃん、はや――」

「――自分を思いきり蹴り飛ばせ!」

 

ヘラクレスの攻撃ではなく、スカアハの攻撃を受けるという選択をした。

 

「……っ、了解だ、ライドウちゃん! ラク・カジャオン」

 

呼びかけからこちらの意図を読んでくれたスカアハは、防御能力上昇のスキルを使用する。瞬時にマグネタイトの光が自分の体に流れ込み、体は硬化していった。そしてスカアハは自分の横へと回り込むと、空中でくるりと一回転する。それを見た瞬間、自分は片手に悪魔召喚管を固く握りしめつつスキルにより硬化した両腕で盾を作り構えると頭と胸の前で固定し、すぐ後に来るだろう衝撃に備えた。

 

「ごめんよ、ライドウちゃん!」

 

直後、スカアハは謝罪とともにその細く、しかし、鍛え上げられた羚羊のような足を思い切り突き出される。

 

「――っ!」

 

栄耀の潜航者の体当たりを受け止めたときのそれとよく似たすさまじい衝撃が両腕へと襲い掛かってきた。瞬間に両足から力を抜くと、遅れて嫌な音が体の内側から聞こえてくる。たぶんはまた腕が折れたのだろうとどこか他人事のように認識した。到来した痛みを無視して訪れた衝撃に身を任せると、自らの体は見る間に浮かび上がり、スカアハのいた方向と真逆の方へと進行し始める。

 

「――戻れ、スカアハッ!」

 

同時、手にしていた悪魔召喚管の中へとスカアハを収納するべく、折れた腕を振るってスカアハへと命令した。応じてスカアハの体が薄れ、透け、マグネタイトへと再変換され、その一部が右手に持った悪魔召喚管の縁へと到達する。

 

「――っ!」

 

自分の体が、あのヘラクレスすらも吹き飛ばしたスカアハの蹴りによって、勢いよく真横に吹き飛んでゆく。悪魔召喚管からは緑色のマグネタイトの光が尾を引いていた。吹き飛ばされる衝撃によるものだろう、腕の痛みが余計に強まってゆく。痛みに漏れた吐息はその場に置き去りにされ続けていた。生身の肌をさらしている後頭部と首の部分に強い風の圧を感じている。風はそして服の隙間の中から侵入し、体中をまさぐりながら再び隙間より出ていった。さなか、元居た場所より遠ざかってゆく視界にはヘラクレスが棍棒を地面に向けて振り下ろす姿が飛び込んでくる。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

自分の一回りも二回り以上も大きい巨漢より振り下ろされた棍棒が泥の地面と接触するやいなや、一瞬にして泥の地面は深く陥没した。直後、爆音とともに地面の泥は吹き飛んだ。地面を構成していた泥はそして大小さまざまな大きさの塊となって飛び散ってゆく。泥の散布されるその速度やすさまじく、ともすれば自分が全力で疾走した時かそれ以上の速度があった。だがそんな泥の散布する姿は、スカアハの蹴りによって吹き飛ばされている今の自分の目に、それはそれはあまりに緩やかな動きのものとして映っている。それを見てようやく、自分は回避不能のはずの攻撃を回避出来たのだと自覚した。安堵が胸の中に去来する。情報が目まぐるしく視界の中で交錯するさなか、自らの体が空を滑空するその勢いは徐々に落ちていった。

 

やがて靴の裏が地面すれすれまでに到達したのを見計らって、かがめていた両足を伸ばし、地面へと設置させると――

 

「――……っ!!」

 

靴の裏から全身がバラバラになりそうなほどの衝撃が襲い掛かってくる。衝撃は特に折れた腕を刺激して、つんざく痛みが脳を突き上げてきた。歯を食いしばって負担に耐えつつ、肌が直接触れないよう注意を払いつつ泥の地面を何度もけり上げ、跳ねて衝撃を逃がしてゆく。そんな動作を数度ほども繰り返したのち、やがて両足が泥の中に沈む心配がなくなったころ、体中に走るあらゆる痛みを無視してなんとか体勢を立て直す。そして眩暈と耳鳴りをも無視するも、多少ふらつきつつもなんとか無理やり立ち上がった。

 

「――スカサハ」

 

多分はひびの入っているだろう右腕にしっかと握られた悪魔召喚管を痛みを無視しながら振るうと、中に収納されている命の恩人の名を呼び、管の蓋を解き放つ。すると管の縁より漏れたマグネタイトはあっという間に再びスカサハの形を作ってゆき――。

 

「ごめんなぁ、ライドウちゃん。痛かったやろ?」

「――いえ。たいしたこと、ありません」

「んもう、無理しなさんな。ほら、折れとる腕をだしぃな」

 

そして現れたスカアハは、怒ったような、困ったような顔をしてみせた。いわれるがままにひどく痛みの走る両腕を差し出すと、スカサハは「まったく、ライドウちゃんは仕方ないんだから……」と言いながら、「ディアラハン」といって、治癒スキルを使用してくれる。するとスカアハの手のひらから生じたマグネタイトの白い光は靄のような状態となって、折れた自分の両腕を包み込んでいった。やがて痛みは完全に失せ、慣れたこそばゆい感覚だけが腕に残ったころ、両腕は十全さを取り戻す。

 

「――感謝する」

「ええよ。ライドウちゃんは本当に礼儀正しい、ええこやねぇ。でも、意地を張るのもほどほどにしなきゃいけないよ。ライドウちゃんはまだ人間なんだから、自分の体を大切にせな――」

 

礼を言うとスカアハは、まるで聞き分けない子供に言い聞かせるような口調でそう言ってきて――、

 

「――それよりもヘラクレスです……」

 

心配して告げてくる言葉に反論をすることもできず、ばつの悪い思いを抱えながら逃げるようにして話題を転換した。視線を今しがた自らが飛来してきた方へと向けなおすと、スカアハはそんなこちらの態度に気に障った様子を見せることもなく、むしろ気をよくしたかのよう、「あらあら、若いわぁ」と言いつつ、ころころと笑い声を漏らしながら、微笑んだ。

 

「■■■■■■■■……」

 

そうして追及や説教から逃げるように向けた視線の先には、直径数十メートルはあろうかという巨大なクレーターが生まれていた。深い穴の底では、こちらに背を向けたヘラクレスが大小さまざまな大きさの泥の塊の雨を浴びながら静かに呼吸を整えている。鋼鉄色した皮膚からは発汗と体温上昇により生まれた湯気が蒸気のように立ち上がっており、まるで噴火直後の火山の噴煙のようにも見えていた。

 

「まさに鋼鉄の戦車、といったところだね……、それも車輪とかの弱点がない、とてつもなく厄介な一級品のそれだ。まったく、まるであの子(/クーフーリン)の持っていた、一回の突撃で五百人を殺せるそれみたいじゃないか」

 

自分のすぐそばを飛行しているスカアハは言うと、こちらを向くこともなく、そのまま告げてくる。

 

「で、本題やけど、どないする? あれ、正直に言って、今の手持ちのカードじゃ、御しきれないで?」

 

やがてそうして柔らかい表情を浮かべていたスカアハは一転して顔面に浮かべるそれをひどく真剣なものへと変貌させると、言った。

 

「――……わかっている」

 

その言葉は自分の胸に突き刺さる。そう。その通りだ。今の自分の手持ちの札では、あのヘラクレスという大英雄を倒すことは不可能だ。手持ちの悪魔さえ十全に整っていれば、このヘラクレスという大英雄にも負けない、それどころか完全に御しきることさえ可能だったかもしれないが、手元にないものをねだったところで今自分たちの手元には勝てるカードがないという現実は覆らない。だが自分たちは、それでもどうにかしてあの大英雄を倒し、未来を切り開かなければならないのだ。さて、どうしたものだろうか――

 

「……どうやら、ライドウちゃんの答えを待っている暇もないようだね」

「――……!」

 

思考を巡らせようとした途端、聞こえてきたスカアハの言葉にヘラクレスの方を見やれば、ヘラクレスはいつの間にやらこちらに視線を向けてきていた。その深く窪んだ眼窩から覗く眼孔は鋭く、十全なる殺意に満ち溢れている。その様はまるで突撃直前の雄牛を思わせた。一瞬でもこちらが隙を見せたのならば、瞬間、自らの持てる最大の力を発揮して、突撃し、圧殺してやるという気配が伝わってくる。

 

「さて、このままただ戦ってもそれじゃじり貧だ。――ライドウちゃん」

 

スカアハは、一転、声色をひどく真剣なものへと変化させると、言った。

 

「――なんでしょうか」

「ライドウちゃんが倒す手段を思いつかないってんなら、おばちゃんから提案が――」

『ライドウ、無事か!』

 

そしてスカアハが何かを言いかけたとき、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできて、思わず振り向きそうになる。その反射的な行動を無理やり力づくで抑えると、ヘラクレスから視線を外さないままに言う。

 

「――ゴウト……」

『どうやら大事ないようだな。安心したぞ、ライドウ』

 

いうとゴウトは自分の前方の足元へと躍り出たのち、自分とスカサハと同じようにヘラクレスを見据えながら、再び口を開いた。

 

『しかし一撃で地面をこれほどまでに吹き飛ばすとは、なんというすさまじき益荒男よ。流石は神統記、ギリシャ神話において大英雄と称されるだけのことはある』

「ほんとだよ。おまけに物理、属性、多くの異常状態に耐性がありとなっちゃあ、どう手を付けていいかわかりゃしないよ」

 

ゴウトの言葉にスカアハが呆れたように言う。

 

『いや――、そうでもない。どうにかする手段は見つけかった』

「――え?」

 

ゴウトの騙ったその言葉は驚愕の感情を生む。疑念の言葉が自然と口の端から漏れだしていた。

 

『確かにあ奴は伝承に語られる誇らしき功績に劣らぬだけの、完璧な防御性能を一見保有しておるように見える。だがしかしそれと同時、奴はキチンと死した伝承を持つ悪魔だ。ライドウ。ヘラクレスがどのような最期を迎えたか覚えておるか?』

「――確か、ヘラクレスの妻、デイアネイラが彼女を誑かそうとしたネッソスの姦計にはまって、彼の衣服にヒュドラの毒の混じっているネッソスの血を塗り込んだのが原因だったと……」

『その通り。そしてヒュドラの毒がもたらす激しい痛みに耐え切れず、ヘラクレスは自らの身を焼き、焼身自殺する道を選択する。つまり、一見完璧な防御性能を誇る奴の体には――』

「――毒が通用する?」

『おそらくはな』

「そこでこの槍の出番というわけだ!」

 

そして自分の目の前には先ほど自分たちを助けるために両腕を犠牲にしたその人が現れる。

 

「――パラ子さん」

「その通り! そら、受け取れ、ライドウ!」

 

元気な姿を取り戻したパラ子は自分の前に立つと、一本の長い棒をこちらへと差し出してきた。差し出された見た目二メートル弱ほどもあるその棒は基調として白く、しかし不揃いな凸凹だらけの表面にはところどころ赤く染まっている箇所がある。また、その片方の端には尖った台形型の刃らしきものが取り付けられていた。受け取ってまじまじと見ると、その形状に見覚えがあることに気が付ける。

 

「――これは……、………………槍?」

「お、すごい、ライドウさん」

「あら、一発で理解してもらえるとは嬉しいわね」

 

首を傾げながらどこか見覚えのあるその姿から連想される言葉を口にすると、メディ子とガン子が言いながら横から視界に入り込んできた。

 

『そうとも、槍だ。海獣――と呼べるかはわからんが、泥の中より生まれた魔物の骨を削り、加工し、組み合わせて作り上げた、とある英雄のそれを模して作り上げた槍。すなわち――』

「あらまぁ、うまく作ったもんやねぇ」

「――スカアハ?」

 

ゴウトの話に割り込んできたスカアハは、浮かせている身を乗り出すようにして自分の手元にあるその槍を覗き込むと、目を細めながら言う。

 

「材質こそちょいと違うけれど、見た目はほんと、あの子に譲った槍にそっくりだねぇ……」

「――スカアハ……、もしやその槍とは」

 

彼女の態度から得た確信と共に、尋ねる。すると視線を槍からこちらへと向けたスカアハは、ひどく機嫌良さげに微笑みながら、言った。

 

「ああ。巷じゃあの子――、クー・フーリンが振るう槍として有名な、使えば必ず相手を死に至らしめる海獣クリードの骨から作り上げた呪いの魔槍――、ゲイボルグにだよ」

 

 

ゲイボルグ。それは英雄クー・フーリンが用いていた槍の名前である。それは投擲すれば確実に敵へと命中し、命中したのちには毒を持つ三十の鏃へと分裂し、敵を確実に殺傷せしめると言う魔性の槍の名前である。

 

『そうか。そう見えると言ってくれるか』

 

スカアハの言葉を聞いて、ゴウトは誇らしげに言う。

 

「ああ。もちろん、オリジナルのそれには及ばないけれど、結構真に迫っている。よくできた贋作と言えるだろうさ。――しかしよくもまぁ、こんなものを作れたねぇ」

『冒険者である彼女らが持つ収集癖と行動力、そしてこれまで培ってきた経験のおかげだ。彼女らが自らが敗った泥の中より生まれた魔物の骨など収集していてくれており、かつ、慣れていない加工作業や毒の抽出を手間取りながらもなんとかこなしてくれたからこそ、このゲイボルグは日の目を見ることが出来たのだ』

 

ゴウトの言葉を聞いてふとパラ子らの手を見ると、パラ子とガン子の手には小さな切創や青あざといった痛々しい傷跡が残っており、また、メディ子の手は爛れたといって過言でないほどに赤く腫れあがっていることに気が付ける。それはまさしく彼女たちが常日頃慣れ親しんでいない作業に対して苦労しながら贋作の魔槍ゲイボルグを作り上げたという証左、勲章に他ならない。

 

「……っと、ごめんなさい、見苦しいものをお見せて……」

 

だがこちらの視線に気づいたメディ子は言いながら誇るべき腕をさっと背後に回して隠すと、羞恥に顔を赤らめつつ、バツが悪そうに謝罪の言葉を述べはじめる。

 

「持ってきた手袋をしたままだと細かな調合は出来なくてですね……、その、素手で劇薬を調合したものですからちょっとかぶれてしまいまして、オーバドーズが原因で出来た腫れですから回復薬みたいな薬を使うわけにもいかないし、手持ちの薬も全部使ったわけではないのですがスキルを発動させるにはちょっとこの手じゃきつくって――」

 

しどろもどろ選びながら発せられる言葉の内容から察するに、おそらくはメディ子は自らがメディックというパーティーのメンバーがおった怪我を治す職に就いていながらその役目を果たせていないという、いわゆる医者の不養生を恥じているのだろう。なんとも素晴らしい職業意識の高さだ。だが、このような致し方ない場面において発生した怪我や事態の場合、それを気にする必要はないと思う。

 

「――いえ、そんなことは……」

「そうそう、ライドウちゃんの言う通りだよ、お嬢ちゃん」

 

そして自分がメディ子が感じている不毛な羞恥の感情を撤回させようと口を開いとき、こちらの言葉にスカアハは反応して口を開いた。

 

「その怪我はけっしてみっともないものじゃあない。それはお嬢ちゃんが、慣れぬ分野に手を伸ばし、苦労しながらもそれを踏破したという、いわば戦士の証だ。それこそ――」

 

スカアハはメディ子へと視線を向けると、その白く細い両腕を伸ばしてメディ子が後ろへと回した左右の腕を前へと持ってこさせ、「ディアラハン」といって、治癒スキルを発動する。

 

「あ――」

 

マグネタイトの緑色の光がスカアハの体より発せられ、同時、スカアハの両手から生まれた白い光がメディ子の腕を包み込んでいった。そしてメディ子の爛れて赤く腫れあがった両手は瞬時の元の通りの姿を取り戻してゆく。

 

「こうして治して消してしまうのがもったいないくらいの、お嬢ちゃんの精神の気高さを示す、誇るべき傷跡だ」

 

やがて発動した回復スキルが完全にメディ子の両手の怪我を治癒したことを確認すると、宙に浮いているスカアハはメディ子の後ろへと回り込み、その小さな背を小さな切創と打撲傷だらけの両手をしているパラ子とガン子の方目掛けて優しく押しだした。見れば二人はメディ子とスカアハのやり取りを優しい目で見守っている。

 

「さ、両手の怪我は治ったはずだ。パーティーの怪我を治すのはお嬢ちゃんの役目なんだろう? だからこそきっとあの二人も、そんなお嬢ちゃんの誇りと矜持を汚さないため、ああして手持ちの回復薬ですぐさま治癒できるはずの戦士の勲章をそのままにしているんだからさ」

「……はい!」

 

そして背を押されたメディ子は、十全に動かせるようになった手をカバンの中へと突っ込むと、薬液の入った細瓶を取り出しながら、笑顔と苦笑を浮かべつつ彼女に向って両手を突き出しているパラ子とガン子の方へと向かってゆく。

 

「いやぁ、気持ちのいい子たちだねぇ」

『然り。まさに人のあるべき姿として見本のような若人たちであるな』

 

その様を見て、スカサハとゴウトが年寄りじみた会話を交わした。

 

「――……………、……っ!」

 

おそらくは彼女たちという共通点がそうさせたのだろう、そんな様を暢気眺めながら彼女たちが作り上げたという槍を手持無沙汰気味に遊ばせていると、ふと自らが手にしたその槍/ゲイボルグが一体何のために作られたものであるのかを思い出した。直後、戦闘のさなか強敵から意識を完全にそらしてしまったという自らの失態を恥じる思いとやってしまったという焦燥に突き動かされるがまま、慌てて槍の穂先を向けるべき対象の方へと視線を送る。

 

「――……?」

 

だが自らが思い浮かべた最悪の予想に反して、先ほどまで怒り狂った牛か獅子であるかのように猛攻を仕掛けてきていた巨漢の大英雄ヘラクレスは今、泥の迷宮という施設が持つ自浄力によって徐々に修復され盛り上がりつつある自らが生み出した穴の底からこちらに視線を送ってきているばかりで、それ以上のことを何もしようとはしていなかった。それどころかヘラクレスの視線からはつい先ほどまで烈火のごとく滾らせていた気焔と殺意が失せている。代わりにヘラクレスの瞳には、純粋なる敵意や闘志のようなものが浮かんでいた。

 

――いったい、何が起こったのだろうか……?

 

「なるほど、そういうことかい。まったく、嫌になるくらいにいい男だね、あの大英雄殿は」

「――スカアハ」

 

疑念の解消を求めて首を傾げていると、その答えを知っているといわんばかりの言葉を口にするスカサハの声が聞こえてくる。視線をそちらへと向けると、おそらくはこちらがこれから口にしようとしている質問の内容を察したのだろうスカアハは頷き、凶暴な、しかし妖艶さも含まれた死に場所を見つけた戦士のような表情をその顔面に浮かべながら言う。

 

「何、簡単な話さ。今この瞬間、おばちゃんたちは、あの英雄に敵として認められたのさ」

「認めらえた?」

「そうさ。ライドウちゃんも知っての通り、今までの戦いは奴にとって、単なる狩りでしかなかった。おばちゃんたちはいつか狩られてしまう運命の獲物で、奴はただの狩人だった。おばちゃんたちと奴の立場は対等じゃなかった。……たぶん、ヘラクレスという英雄にとって、狩りってのはさっさと終わらせるべきつまらないものなんだろうね。だからこそあのヘラクレスという英雄は、おばちゃんたちという獲物をさっさとしとめてしまうため、全霊を尽くしてこちらに襲い掛かって来た」

「――……」

「でも今、おばちゃんたちは、奴を打倒せしめるゲイボルグという武器を手に入れた。きっとあの瞬間からおばちゃんたちは、単なる狩るべき獲物から、刃を交わす価値のある敵として認識されるようになったんだ。だからこそあの英雄は攻撃を仕掛けてこないんだろう。戦士同士の戦い――、決闘の前に問答無用で襲い掛かるだなんて、それこそ下劣で誇りのない木っ端ならともかく、世に名を遺したという誇りや矜持を持つ戦士がやる戦術ではないからね。いやぁ、本当に、なんともわかりやすい、気持ちのいい男じゃあないか」

 

スカサハの感心の声に誘引されるかのよう、改めて視線をヘラクレスの方へと向けるとなるほど、件の大英雄がこちらへと向けてくる視線の中には、狩るべき獲物に対する殺意と苛立ちというよりか、どこか自らと同種の存在に対して向ける敬意と敵意のようなもの入り混じった感情を見てとることができる。おそらくはそれこそがスカサハの言う戦士が戦士に向ける感情とやらであり、だからこそこのヘラクレスという大英雄はこちらが隙だらけであるにもかかわらず先制攻撃を仕掛けるということをしないのだろう。

 

「――スカサハ」

「なんだい、ライドウちゃん」

「――どうやればこの槍でヘラクレスを倒せるだろうか」

 

尋ねるとスカアハは白い顔面を赤らめんがらニヤリと妖艶な笑みを浮かべつつ、口を開いた。

 

「こんな槍じゃ倒せないと思う、ではなく、この槍でどうすれば倒せるか、と聞いてくるあたり、本当にライドウちゃんもええ男やねぇ。――ええわ。教えたる。かつて影の国の女王と呼ばれたおばちゃんが、ライドウちゃんに、ゲイボルグという魔槍の、その真価を発揮する方法をな」

 

 

数分が経過した。英雄ヘラクレスが地面にあけた大穴はすでに完全に塞がっている。巨漢の大英雄ヘラクレスはそうして元の平らさを取り戻した黒泥の地面の上に棍棒を投げ出し、腕を組んだ直立不動の姿勢でこちらに視線を送りながら静かにたたずんでいた。泥の中より生まれた生物の特権なのか、見た目に相応の重量であるはずの巨躯はしかし、一向に沈みゆく気配を見せずにいる。

 

「――」

 

やがてこちらが向ける視線の質が変化したことに気が付いたのか、ヘラクレスがその鋼鉄色をした全身より発する圧はこれまでのものが児戯であったのかと思うほど段違いに強まった。心臓を思い切り締め付けられるような感覚が走り抜けてゆく。槍を握る両手に汗がにじんだ。自然と唾液の湧く量も増し、一定以上になるや否や、喉元を伝って胃腑へと落ちてゆく。時間が経過するとともに、定期的に発生するそんな嚥下の音に負けないくらい、心臓の鼓動はその速度を増してゆく。

 

「いやー、緊張するな!」

 

おそらくは身体の状態が今の自分と同じような状況にあるのだろうパラ子が、自らの体のそんな状態を一言で言い表した。だがしかし、おそらくはそうだろうと予想して彼女へと視線を送ると、冷や汗をかくことなく、体を緊張に固くすることもなく、常と変わらない何とも自然体な状態のパラ子の姿を底に見つけて、少しばかり驚かされる。しかる後にこちらの視線に気づいた盾を手にしている彼女が、ニッ、と快活な笑みを向けてくるのを浮かべているのを見て、彼女の発言の意図に気が付いた。おそらく彼女は自らそう言って弱みをさらすことで周囲の緊張をほぐそうとしているのだ。

 

「なぁ、みんな!」

 

ただしおそらくは、そんな彼女の気づかいは意図して行われたものではないのだろう。パラ子の顔からはそうした作為的なものが一切感じられないのだ。そう。彼女は自然な態度として、そうした周囲の気を解す所作を行うことが出来るのだ。なるほどなんだかんだと文句を言われながらも彼女が三人のパーティーのリーダーとして収まっているのは、きっと彼女のこんな気質が認められているが故なのだろう。

 

「貴女が言うとどんな難事も緊張感を覚えるほどの出来事ではないと感じるようになるのだから不思議よね」

 

応じてガン子は皮肉交じりの言葉を返しつつ、弾を込めた銃を構える。そうして緊張をほぐす言葉を受けた彼女は、一見すれば緊張感というものを感じておらず常と変わらぬ冷静な態度を保っているようにも見えていた。だがよくよく観察の視線を送れば、この中において誰よりも小さな体の彼女は、その小さな指先が微かに震えていることに気が付ける。

 

「それが師匠のいいところじゃないですか」

 

震えているガン子の両肩にそっと手を置きながら、メディ子は言った。常ならガン子よりも動揺した態度を多く見せる彼女は、しかし今、ヘラクレスという悪魔が向ける指向的な威圧を真正面から受け止めておきながら、常と変わらぬ平静の態度を保っている。おそらくそれは、ガン子よりもパラ子と長い付き合いであるという彼女だからこそとれる態度なのだろう。メディ子はパラ子を気の置けない親友として、あるいはまた多くの死線を共に潜り抜けてきた戦友として、ガン子よりもより深く信頼しきっているのだ。だからこそメディ子はヘラクレスという悪魔の指向的な威圧を浴びても、平然と佇んで、他社に気をかける余裕すらも持てている。もちろんそんな余裕の態度には、メディ子が自身はメディックというパーティーの癒しを一手に引き受ける職業であるという誇りも含まれているに違いない。

 

「……そうね、その通りだわ」

 

少しばかりの年月の積み重ねによる差異が、メディ子とガン子の間にある精神的余裕の違いとなって表れている。それを悟ったのだろう、メディ子の所作によって震えが完全に止めることに成功したガン子はメディ子の両手を振り払うことなく受け止め続けると、ぽつりと「ちょっと、妬けちゃうわね」、と呟いた。おそらくは本心だったのだろう言葉が宙に溶けて安寧の空気の中に消えてゆく。

 

「いいリーダー。そしていいパーティだ」

『うむ。確かに』

 

彼女らのやり取りを見ていたスカアハとゴウトは顔を綻ばせるとともに、感心の声を上げ、顔を見合わせた。

 

「――」

 

そうして緊張程よく氷解した状態の一同の視線は、やがて一つの場所へと集中し始める。一同の視線の先には先ほどから変わらず攻撃的な威圧と超然的な雰囲気を放つヘラクレスが映っていた。

 

「――」

 

やがて視線の集中に気づいたのだろう先ほどから変わらぬ態度を保っていたヘラクレスは、静かに組んでいた腕をほどくと巨大な棍棒を手に取り、自然体に構える。力みなく、淀みなく、迷いなく。ヘラクレスの構えや挙措は先ほどまでのそれとは異なり、どこまでも理性的だった。それはヘラクレスが今、内に秘めた凶暴性を完全に制御下においているという、何よりの証拠といえるだろう。今やヘラクレスはふと意識をそらした途端に見失ってしまいそうな、どこまでも透明な水のような存在と化していた。それは一部の剣の達人のみが至れる、透化の境地というものが実現したものだったのかもしれない。だからこそだろう自分の意識は、ヘラクレスを先ほどまでよりずっと恐ろしい存在として認識していた。

 

「――では打ち合わせ通りに……」

「任せておけ!」

 

湧き上がる恐怖を押し殺しつつ述べると、迷いない気風の良い返事が返ってくる。そしてパラ子はわずかな迷いをも見せることなく足を一歩前に踏み出した。

 

「――スカアハ」

「任せな、ライドウちゃん。ライドウちゃんも上手くやるんだよ?」

「――もちろんだ」

 

言うと宙に浮かんでいるスカアハがパラ子の隣に並ぶ。続けて、メディ子、ガン子が前に足を踏み出した。所作に迷いは見られない。一同はヘラクレスが向けてくるものに負けないくらい静かな視線をヘラクレスへと向けている。そうして自らが放つそれと似た気配を放つようになったパラ子たちを見たヘラクレスは、途端、緩々と口角を上げてゆく。伴ってヘラクレスの纏う気配が増大してゆく。静は動に。無は有に。相手の気配が増すに呼応して、場の圧が強まってゆく。息苦しさが増した。ぶつかり合う気配の応酬によってだろう、場の空気が張り詰めたものへと変化してゆく。毛穴が開き、自然と汗がにじみ出てきた。手汗をしみこませるよう、槍の柄を強く、しかし柔らかく握り締めると、心を集中させ、より一層意識を細く、鋭い槍の穂先とヘラクレスへと向けてゆく。

 

一撃。スカアハたる自らの力とこの世界のルールを利用してこの即席の贋作槍をゲイボルグとして放つことができるのはそれが限度だとスカアハは言っていた。自分はこれからそのたったの一撃を、あの強大な悪魔ヘラクレスの最も守りの薄いだろう場所に対して的確に命中させなければならない。責任は重大だ。失敗はそれすなわちこちらの死どころか、世界の滅亡をも意味している。だからこそ失敗は許されない。なにより自分は誉れ高き帝都の守護者、葛葉ライドウだ。そうとも自分は失敗が即世界の滅亡に繋がる事態なんて事件、これまで両の指では足りないほども解決してきた。だからこそ――

 

――絶対に失敗などするはずがない

 

自らへと言い聞かせるようその言葉を呪文のよう心中にて繰り返し唱える。やがてそれは自らは事を為せるという確信に繋がる自己暗示となり、自らの体から不信の念が失せてゆく。そして自らの体から自己不信がすべて願望実現の決意へと生まれ変わったころ――

 

「…………行くよ、パラ子ちゃんたち!」

 

スカアハが威勢よく声を張り上げ、ヘラクレスに向けての突撃を開始した。

 

「おっしゃ!」

「やるわよ!」

「行きます!」

 

応じてパラ子たちは各々思いのままに声を上げると、スカアハの後に続いてゆく。

 

「■■■■■■■■ッ!」

 

だがヘラクレスは自らに向ってくるほかの誰にも目をくれようともせず、槍を持つ自分の方へと突撃しはじめた。当然と言えば当然だろう。今、物理攻撃に対して最高クラスの耐性を持つヘラクレスという悪魔を倒せる可能性があるのは、ゲイボルグを持っているのは葛葉ライドウたる自分だけなのだ。すなわちヘラクレスにとってはこの身、この槍のみが脅威であり、勝利条件とは自分の持つこの槍を破壊することであり、それ以外は歯牙に価値のない存在に等しいわけであるからして、ヘラクレスのその行動も当然といえるだろう。だが――

 

――おそらくはヘラクレスがそのような行動をとるだろうことは、当然こちらも想定済みだ

 

「おっと、そこから先は」

「行かせるわけにはいかないのよね!」

 

言いながらメディ子はショルダーバックより一枚の紙を取り出し、ガン子は銃を構えた。

 

「氷結術の起動符!」

 

そしてメディ子は言葉とともに取り出した紙をかざし、その名を呼ぶ。すると紙――符と呼ばれる氷結の力を閉じ込められた道具はその内に秘められていた力を発揮して、ヘラクレスの前方へと人間大の氷塊を複数生み出し――、

 

「■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

しかし生み出されたそれらの氷塊は、氷塊よりも巨大な英雄を一秒すらも足止めすることかなわず、ヘラクレスの突撃によって粉々に砕け散ってゆく。空中に大小さまざまな大きさの氷の礫が乱れ飛ぶ。さなか――、

 

「くらえ、明滅弾!」

 

ガン子の長銃より一発の弾丸が突撃してくるヘラクレスにむけて放たれた。それはやがてヘラクレスの進路上、大小さまざまな氷塊が飛び散っている空中の目的地点へとたどり着くと、爆発する。

 

「■■■■■■■■ッ!?」

 

弾丸内に収めらえれていたマグネシウム片が同じく内に封入されていた火薬によって炸裂した耳鳴りを誘発する音と強烈な光を生む。二つの要素のうち特に光はヘラクレスの周囲に飛び散った氷の破片によってさらに強化され、目視した瞬間、目が眩むどころかそのまま失明してしまいそうなほど強烈なものとなり、ヘラクレスを包み込んでいった。

 

「■■!?」

 

予想通り、物理攻撃ではない、光という粒子でもあり波動でもある存在による視神経系統への直接攻撃は眼球に氷塊を受けようと平然としていたヘラクレスにも有効であったらしい。突撃のさなか光に包まれたヘラクレスはとっさの反応だろうその足を止めると、棍棒を持ったままその太い両腕で視界を遮った。

 

「■■、■■■■、■■■■ッ!?」

 

乱反射を繰り返して生み出された光の交差はヘラクレスの眼球の奥へと白色の景色を焼き付けたに違いない。ヘラクレスはそして上半身を大きく揺らし、頭を振り、やがて瞼を閉じたまま腕を開放すると、手にした棍棒を無茶苦茶に振り回し始めた。周囲の地形が崩壊し始める。棍棒の一撃により崩壊させられた地面と氷塊より生まれた泥と氷の礫がが混じってヘラクレスの周囲へと飛び散ってゆく。

 

――チャンスだ

 

メディ子とパラ子の連携が生み出した隙に、この贋作ゲイボルグがヘラクレスの体に対して最大の効力を発揮してくれるだろうポイントを目指して、移動を開始する。狙うはゲイボルグがクーフーリンの活躍を伝承において登場する、刃を通さない堅固な皮膚を持つ戦士フェル・ディアドをも殺傷せしめたという箇所――、すなわち、肛門だ。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

だが自分がそうして飛び散る泥と氷の礫を避け、あるいは外套で弾きながらヘラクレスの背面へと移動し始めると、直後ヘラクレスは突如として両腕を振り回すのをやめ、目を瞑った状態のままその強面をこちらへと向け、まっすぐにこちらに向かっての突撃を開始した。

 

「――っ!」

 

ヘラクレスがそうして周囲に飛び散る泥と氷の礫をもろともせずまっすぐ自身へと向かってくる光景を見て、思わず息を呑む。目の見えないはずのヘラクレスが繰り出したその突撃は。あまりにも正確にこちらへと向かってきていた。

 

――なぜ視界を奪われているはずのヘラクレスはこうも正確に移動する自分の位置を察知できるのか

 

疑問に思った瞬間、ガン子の放った閃光弾の爆発によって生まれた音波の影響によって機能停止していた内耳の奥の蝸牛が再びその働きを再開し、自分が氷塊と泥を外套ではじく音が思ったよりも大きく聞こえてきた。同時におそらくは視界を奪われた敵がどのようにして自分の居場所を察知しているのかを知る。

 

――泥をまき散らしたのはこれが狙いか……!

 

おそらく、先の閃光弾の一撃によって発生した光と音のうち、氷という媒体を得て強化された光はヘラクレスを傷つけることに成功したが、強化されなかった音の方はヘラクレスに何ら影響を及ぼさなかった。故にヘラクレスは視界をつぶされた瞬間、残る五感のうち視覚の次に頼りになる聴覚を利用する判断を下したのだ。そしてヘラクレスは、聴覚を最大限利用できる、かつ、自身の周囲に敵が寄らない状況を生み出すために、全ての生命にとって害悪となる泥をまき散らした。そして泥はヘラクレスの思惑通り、自身の身を守る盾になると同時、敵である自分の位置を知らせる探知機ともなったのだ。

 

――さすがは大英雄ヘラクレス……!

 

視界という人間が八割以上頼る五感をつぶされておきながら、それが使えない状況になったと判断するや否やそれを切り捨て別のものを頼ろうとする判断といい、一瞬で聴覚中心の戦い方への決断をした直後にそれを実現できる度量と技量といい、やはりヘラクレスという英雄はその名高い伝承に恥じないだけの能力を備えている――

 

「させるかぁっ!」

 

などと思考を巡らせていた折、復活したばかりの内耳奥の蝸牛を威勢のいい声が揺るがした。反射的にそちらへと意識が向く。

 

「――パラ子さんっ!」

「させるか、デカブツめ!」

 

パラ子は言いながら隕石と見紛おう程の一撃の前に飛び出すと、左腕に装着した盾を前に差し出し、右手で左腕を支えながら、その言葉を叫ぶために口を開く。

 

「パリングッ!」

 

パラ子は、ついにそのスキルを使用した。声と共に盾の前方に生まれた白い光は広がり、スキルの力はやがてパラ子の前方に大きな盾の形を作り出し――

 

「■■■■■■■ッ!?」

 

そしてスキルによって発生した光の壁へと激突したヘラクレスは、直後にその突撃の勢いを失って、パラ子の前で停止する。パラ子の使用したスキル『パリング』が生んだ光の粒子が敵の突撃の物理エネルギーを完全に消失させたのだ。突如として起きた自らの突撃の勢いが殺されるという事態があまりに予想外だったのだろう、ヘラクレスは目を見開いて驚愕したの表情を強面の上に浮かべた。しかし――

 

「■■ッ!」

 

そうしてヘラクレスが呆然としたのは一瞬、瞬時に気を取り直したのだろうヘラクレスは見えないはずの目を自身の目の前にいる、自身と比べればあまりに小さな存在であるパラ子へと向けると、彼女めがけて迷いなく棍棒を振り下ろした。

 

「っ、パリングッ!」

 

パラ子は慌てて再び物理攻撃完全無効のスキルを発動する。パラ子の構えた盾の前、失せかけていた光の粒子は再集結し、彼女の身を守る盾となった。

 

「■■ッ、■■■ッ、■■■ッ、■■ッ、■ッ、■ッ、■ッ、■■■ッーー!」

「パ、パリングッ、パリングッ、パリングッ、パリングッ、パリングッ、パリングッ、パリングッ、パリングッーー!」

 

連続して叩き込まれる棍棒の攻撃。その連撃にはやがてその巨大な拳のそれすらも混じるようになり、両腕から繰り出される殴打の連撃の前にパラ子はスキルを連続発動させて対応せざるを得ない状況へと追い込まれてゆく。はじめこそ長かった攻撃感覚は徐々に短くなってゆき、パラ子がスキルを発動させる感覚も短くなっていった。おそらく攻撃間隔の短縮は、自身の物理攻撃の威力が完全に殺されるという不測の出来事に対して、しかしヘラクレスが対応しつつある証に違いない。そうともヘラクレスはすでにこの状況に対応しつつある。このままでは遠からずヘラクレスの攻撃速度はパラ子のスキル発動や腕を構える速度を上回り、彼女を肉塊へと変貌させてしまうだろう。

 

「――パラ子さんっ!」

「かまうな!」

 

最悪の未来を予期し、援護に入ろうとしたその瞬間、おそらくはこちらの動きを察知したのだろうパラ子が、スキル発動の隙間に叫んだ。

 

「行け、ライドウ!」

 

放たれた言葉には迷いがなかった。

 

「――諒解……!」

 

助言の正しいを悟ると、ヘラクレスの背後に回り込むべく、移動を開始する。空間にふりそぼっていた泥と氷の雨はパラ子とヘラクレスが攻防繰り広げる間に失せていた。これならば一直線にヘラクレスの背面へと向かうこと可能――

 

「■■■ッ!」

 

だが――

 

「――な……!?」

 

それは果たせない。なぜならヘラクレス打倒の決意を胸に敵の側面を通過した途端、当のヘラクレスは突如としてパラ子への殴打をやめるとさらには棍棒を離し、体をこちらの方へと向けたからだ。また、突如として落ちてきた棍棒はそしてパリングという守りのスキルを発動する彼女の盾の前で動きを止めると、そのままの状態で停止した。

 

「ぬ、ぬぉっ!? パ、パリングつ!」

 

予想外の展開に、パラ子は狼狽える。棍棒はそしてパラ子をその場へと一瞬ばかり縫い付ける枷へと変貌したいた。もしパラ子がスキルの発動をやめてしまえば、パラ子の体の数倍ほどもある巨大な棍棒は間違いなく彼女を押しつぶすだろう。だからこそパラ子はスキルの発動をせざるをえなかったのだ。

 

「■■――」

 

そうしてパラ子が棍棒という枷から抜け出すよりも以前、生まれた隙をついてヘラクレスは背中から弓を引き抜くと、構え、弦へと手をあてた。瞬間、先ほどヘラクレスが弓より九つ光線を放った光景が脳裏に浮かび上がってくる。遅れて脳内に警鐘が鳴り響いた。先ほどの回避方法は使えない。なぜなら今、自分の側にには悪魔が―ー、スカアハがいないからだ。なぜなら彼女は今――

 

「おっと、その攻撃をライドウちゃんに撃たせるわけには――」

「いかないわね」

 

パラ子らとともにヘラクレスの攻撃、行動を阻害するために動いている。

 

「ガン子ちゃん! 拳の上あたりを狙いなっ!」

「了解よ! アームスナイプ!」

 

言いながらガン子はすぐ近くにいるヘラクレスへと向け、構えていた長銃の引き金を引いた。すると次の瞬間、銃口より飛び出したスキルの力が込められた弾丸は直進し、見事スカアハの指定した位置――、ヘラクレスの弓持つ手の中指の中手骨と基節骨の隙間、すなわちMP関節付近の部分へと直撃し――、

 

「■■ッ!?」

 

ヘラクレスの固く握られた拳を開かせることに成功する。巨大な弓が開いた手のひらを滑り、地面へと落ちてゆく。ヘラクレスはそして、物理攻撃を無効化するはずの自身の肉体に対して小さな弾丸一つが多大な影響を及ぼした事実に対してだろう、驚愕の表情を浮かべた。

 

「衝撃や反動を受けた感触まで無効化するってんなら、自分の体をまともに動かすことも難しい……! 思った通り、物理耐性で攻撃のダメージは無効にできても、稼働領域にかかわる部分へ与えられる衝撃まではかき消せないみたいだね!」

 

もしヘラクレスが体内に生じる反動等までをも完全に無効化できるというのであれば、理論上ヘラクレスは保有する筋力量や骨格に関係なく無限の力や速度を発揮できることとなる。仮にヘラクレスがそのような能力を保有してるというのならば、今頃すでに間違いなく自分たちは肉塊へと化していておかしくない。だが現実としてヘラクレスと敵対している自分たちはこうして生存し、それどころか彼と真正面からやりあっている。スカアハはそんな自分たちが今もこうして生きているという事実と、ケルトの神話にある同郷の英雄フェル・ディアドやローホ・マク・エモニシュが同様に物理攻撃の多くを無効化する体であったという知識、そして自身の蹴りによってヘラクレスを吹き飛ばせたという事実から、ヘラクレスのそうした特性や弱点を見抜くに至っていたのだ。

 

「――流石はスカアハとガン子さん……」

 

疾走のさなか自らへの脅威を防いでくれた二人に対して称賛の言葉をぽつりと呟くと、四人が作り上げてくれた隙を逃さぬため、ヘラクレスの背面から少し離れた場所へと移動するため自らの体へと鞭を入れ、足を動かす速度を上昇させてゆく。そうして再びヘラクレスの正面から、側面へと回り込み、やがて布と獅子の毛皮に隠された後頭部と背筋が見えるようになったころ――

 

「■■■■■■■■■■■■ッ!」

「――っ!」

 

弓を予定外に落下させられて呆然としていたヘラクレスはしかし再起動を果たすと、再びぐるりと体を反転させて、体の正面をこちらへと向けてくる。頭部では二つの瞳が殺意と怒りに爛々と燃え盛っていた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

悪寒が全身を駆け巡る。そうしてヘラクレスは、やはり自身の斜め背後へといたパラ子や、少し離れた場所にいるゴウトとメディ子、ガン子とスカアハを完全に無視すると、落ちた棍棒や弓を握ることもしないまま、両手を前に出してこちらへと襲い掛かってきた。その速度や豹やチーターといった陸上の生物よりもずっと早く、もはや隼などの一部鳥類が特定の条件下でしか出せないほどのものである。

 

――迷っている猶予は……、ない……!

 

もはや背後に回り込んで守りの薄いだろう肛門から体内めがけて槍を突き入れるなどと悠長なことを実行する暇などないことを理解させられた。メディ子やゴウトはもちろんのこと、ガン子の弾丸や細身のスカアハの攻撃でも、あの戦車の如き突撃を止められまいだろう。唯一あれに対処できそうなパラ子は、今ようやく巨大な棍棒の戒めから解放されたばかりで、身動きが取れない状態だ。事ここに至っては、真正面からあの大英雄とかち合うしかない。スカアハは敵の物理耐性はおそらく皮膚などの表面にしか働いていないのだろうと言っていた。そこから判断するにこのゲイボルグを叩き込む場所は、肛門でなくとも、皮膚がない場所であればよいわけだ。

 

――ならば……

 

ゲイボルグを構え、刀剣「赤口葛葉」や悪魔召喚管に対してやるように、体内のマグネタイトをゲイボルグへと込め始める。する贋作であるはずのゲイボルグと名付けられた槍は、この世界の概念のルールに基づきゲイボルグとしての機能を有し始め、やがて脈動とともにこの世界における魔槍「ゲイボルグ」としての本来の力を発揮し始める。

 

――その大きく開かれた口を狙うまでのこと……!

 

マグネタイトを注ぎ込むと、白を基調として作られていた槍はやがて深紅色に染まってゆく。呼応するかのように先端部分、台座に取り付けられていた刃は棒と一体化し、かつてライドウの知るクーフーリンが持つ槍とは別の形状――、一本の細長い深紅の魔槍へと変貌していった。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

ヘラクレスはもう目の前だ。右腕、右足を思い切り引き、体を捩じり、それ以外の必要としない部分には限界までの脱力を強いる。緊張はすべて彼方へと捨て去った。物怖じを覚悟で打ち消す。研ぎ澄ました意識を槍とヘラクレスの頭部にのみ集中した。狙うは一点。皮膚に覆われていない、今なお甲高く雄叫びまき散らしている、その大きく開かれた口腔内――!

 

――へっ、こんな形であの野郎に借りを返せることとなるとはな

 

頭にそんな幻聴が聞こえてきた。否、幻聴ではない。それは凛という彼女が使役していたクーフーリンの声に相違なかった。

 

――さぁ、いくぜ、ライドウ! 俺も力を貸してやる! お前は高らかにその槍(/ゲイボルグ)の名を叫びながら、全力で槍(/ゲイボルグ)を突き出せばいい!

 

声は喜びに満ちている。先の台詞の内容から判断するに、おそらくこの世界のクーフーリンはヘラクレスと戦ったことがあり、そして打倒することできずに敗れ去っていったのだろう。だからこそクーフーリンは、自らの使用していた名を冠する槍の一撃が、そんな強敵に対して放たれ、やがては打ち破るその瞬間が訪れることを、子供のよう胸躍らせながら見守っているのだ。この世界のクーフーリンは忠義の騎士というよりか、まるで狂戦士であるかのようだった。

 

「――……!」

 

声に導かれるようにして胴体と四肢へと指令を飛ばし、一気をギアを零から最大にまでもってゆく。発すべき言葉は自然と脳裏へ浮かんでいた。

 

「刺し穿つ(/ゲイ)――」

 

右腕を振り、深紅の魔槍の穂先をヘラクレスの口腔内へ向けると、右足で地面を思い切り蹴り飛ばしながら、続きの言葉を紡ぐ。

 

「死棘の槍(/ボルグ)!」

 

言葉と共に槍はその真の力を発揮した。四肢と胴体に溜められていた力が解放され、槍に宿った因果逆転の力に導かれるかの如く、体は空中へと飛び出し、突き進んでゆく。

 

「■■■■■■■■■ッ!」

 

狙いに気づいたのだろうか、ヘラクレスがさらに大きく雄たけびをあげる。だがもう遅い。因果は決定した。すでに槍は命中したという結果を得ている。あとは逆転した運命に導かれるがまま、口腔めがけて突き進む槍の穂先はやがてヘラクレスの体内に侵入を果たし、心臓を傷つける――

 

「■■ッ!」

「――っ!」

 

ことはなく――、

 

『なんだと!?』

「槍を手と口で……」

「噛んで止めたぁ!?」

 

槍はヘラクレスの顔面の直前で停止させられた。ヘラクレスは自らの顔面――、口腔めがけて直進してきたその槍を、真正面から受け止めたのだ。そして槍の刃を上下の歯によって捕えたヘラクレスは因果逆転の槍の効力に対抗するためだろう、そのまま槍の柄を右手で握りしめると、さらに槍と一体化していた自分の体を左手にて捕縛する。

 

「――ぐっ……!」

 

全身がちぎれそうになるくらいの衝撃が訪れた。それはヘラクレスが獲物求めて突き進もうとする槍の効力を、己の体に宿る筋力のみで捻じ伏せようとしている確かな証と言えるだろう。定まった運命を自らの力――、膂力と握力と咬合力で捻じ伏せる。それはいったい、どれほどの力があれば可能な所業であるというのだろうか。それはいったい、はたしてどれほどの自信があれば実行に移そうと思えるというのだろうか。

 

「ッ、ッッ、ッッッッッ!」

 

ヘラクレスに捕縛されたマグネタイトの力こもった槍は、自らの定めた運命の結果をこの世に刻みつけるべく必死で直進しようとする。槍の直進しようとする力とヘラクレスが運命を否定しようとする力。その二つが拮抗した結果、ヘラクレスの顎部ではガチガチと不規則な硬質な音が鳴り響いていた。槍の柄を握り締めるヘラクレスの右腕は大きく震えている。呼応するかのようにヘラクレスが左腕に込める力が強まった。

 

「――ぐぅっ……!」

 

全身にかかる負荷と痛みがよりいっそうひどいものとなる。気を抜けば千切れてしまいそうな握撃に、全身のあらん限りの力をもってして対抗した。痛みに耐えかねて槍から手を離せば、それが自分の――、否、自分らの死の運命を決定づける契機になるだろう。だからこそ自分は槍ををしっかと握りしめ、何があろうと離すものかという決意を込めて全力でマグネタイトを槍へと注ぎ続けるのだ。

 

「ッッッッ!」

「――ぐ、ぐ……!」

 

そんな足掻きが功を奏して、マグネタイトというエネルギーを得た槍の穂先は徐々にだがヘラクレスの口腔内への侵入を果たしつつある。あと少しこの槍を押し出すことが出来たのならば、槍は確実にヘラクレスの体内に侵入するだろう。

 

「ッッ!」

「――がッ!」

 

だがその確信は現実の結果と繋がらない。ヘラクレスの咬合力が増したのだ。そして槍の進行速度が目に見えて減衰した。それはヘラクレスという大英雄がその身の内に秘めた圧倒的な力をもってして、定められた運命を捻じ伏せつつあるという証拠に違いなく――

 

「――ぐぁっ……!」

 

それを証明するかのように、ヘラクレスが両腕に込める力は徐々に強まりつつある。すでに槍の穂先とヘラクレスの歯の上下が奏でる音よりも、自分の全身の骨が軋む音の方が大きく聞こえていた。もはや押すも引くもかなわない。それでも確定したはずの運命をヘラクレスに刻み付けるため、体に残っているマグネタイトのすべてを槍に注ぎこもうとした瞬間――、

 

「ッ!」

 

ヘラクレスはその両腕に込める力をさらに強め――

 

「――がっ!」

 

やがて槍を手にしていた自分の腕は、ぶつり、とひどく耳障りな音を立てて、その繋がりを絶たれてしまっていた。

 

『ライドウ!』

 

その悲鳴はいったい誰のものだったのだろうか。意識の空隙は一瞬だった。訪れた灼熱の痛みが、自らを現世へと呼び戻す。感覚の喪失に、右腕の喪失を自覚させられた。反射によるものだろう、涙がにじみ、視界がぼやけてゆく。涙で霞む視界にはヘラクレスが握りしめている右拳の隙間から自らの捩じ切られた腕が落下する場面が映っていた。そして葛葉ライドウという使用者を失ったヘラクレスの右腕に握られた槍は、しかしいまだに注がれたマグネタイト全てを利用して確定したはずの運命を実現させようと足掻いている。

 

「この、化物め!」

 

おそらくはガン子の長銃による援護を受けてだろう、槍を握っていた右腕の拳は開かれ、槍は右拳の戒めより解放された。瞬間に最後の力を振り絞ったのだろう、槍はヘラクレスの体内めがけて突撃しようとするも――、

 

「……嘘」

 

時はすでに遅かった。ヘラクレスの上下の歯によって絡みとられていた槍は、その威力はヘラクレスの咬合力と首の筋肉によって完全に殺され、ヘラクレスの頭部を上にそらすだけの結果に終わってしまったのだ。強く噛み締めたことによる出血なのか、槍を咥えて上を向いたヘラクレスの唇の端からは血が流れ落ちている。わずかばかりに槍の内部に残留しているマグネタイトの効力によるものなのか、咥えられた槍の柄は諦めきれないといわんばかりに撓み震え続けていた。そんな折、ついに限界が来たのか、槍の柄に幾筋もの亀裂が走った。

 

「■■■……」

 

ヘラクレスの口の端から呻き声が零れ落ちてゆく。噛み締めているため吊り上がっているだけだろうの唇の形は、しかし勝利を確信した笑みにも、こちらを嘲笑うものにも見えていた。槍の柄の震えが収まってゆくにつれて槍に生じた亀裂はその数と箇所を増やしてゆき、同時にヘラクレスの唇は端から中央にかけて徐々に閉じられてゆく。あれが完全に閉じられたその時が、自分たちの敗北――、この世界の終焉が決定する。だが――

 

――そんな結末、認めてたまるものか!

 

「――スカアハっ!」

 

そう思った瞬間、気づけば自分は、この場において最も槍(/ゲイボルグ)の真価を発揮できるだろうその悪魔/女神の名前を高らかに叫んでいた。

 

「任せな、ライドウちゃん!」

 

呼びかけに応じてスカアハが視界内に現れる。彼女が姿を現したのはヘラクレスの直上だった。

 

「ッ!」

 

ヘラクレスの両目は大きく開かれる。おそらくは眼前に突如としてその女が現れたという驚きによってなのだろう。

 

「ライドウちゃんたちが命がけでもぎ取ったこのチャンス、無駄になんてするものかい!」

 

ヘラクレスの表情の変化を目撃したスカアハはそして宙に浮いたままマグネタイトが籠められている足を振り下ろし――

 

「とどめだよ! 刺し穿つ死翔の槍(/ゲイボルグ)」

 

妖艶かつ凶暴な笑みを浮かべつつ、かつてクーフーリンがフェル・ディアドとの決闘においてやったよう、ヘラクレスが噛み締めている罅だらけの槍の柄を、思い切り蹴り飛ばした。

 

 

 




改めて推敲すると意味が通らない文脈が散見しててびっくり。投稿ミスして良かったかもと思いつつ、そんなものを投稿してしまったかとを思うと顔から火が出る思いを隠せません。余裕がないときに書いたもの、推敲したもの、慣れない書き方をしたものを出すもんじゃないなぁ、本当に。

ともあれ、次くらいでようやく本パートも終わります。次の最終話とエピローグの部分を投稿したのち、全推敲のち、修正しまくるので、どうぞご容赦を。

いや、お見苦しいものをお見せして、誠に申し訳無い。
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