Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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三十話 英雄エミヤシロウvs月と幻想の巨人 (六)

 暗がりの中、言葉を発するものは一人として存在していなかった。月という天の頂の中、人の手によって作られた施設の中にある闇の中は、まるで夜の帳が落ちたかのように静まり返っている。それはまるで通夜のようだった。違いがあるとすれば、静寂を破って聞こえてくるのは横たわっている桜とメルトリリスの小さな呼吸音だけだで、意識をこの場に残しているはずの存在からは音が聞こえてこないことだろう。この月という死人の魂を収集してきた場所において、死者のように眠っている二人からが生の音を奏でており、瞼をしっかと開いているそれ以外が死者のように黙りこくっているというのは、何とも皮肉が効いていて――否、だからこそとてもしっくりとした感じがする。

 思い付いた皮肉を嗤うかのように肩をすかすと、深く呼吸をした。この世の全ての悪/アンリマユなどというものを受け入れたためにまるで老人のように衰えてしまった肉体は、たった一呼吸するのにも苦労がいる。だが、そうして胸の奥にまで周囲に漂う冷たい空気を取り入れた途端、霞がかっていた頭に活が入るのを実感した。苦労に見合うだけの報酬を手に入れられたと満足する思いが湧き上がる。思いはやがて自らの疲労たまった体と頭を活動させるためのさらなる力となり、私はそしてようやく周囲の様子に意識を向けることが可能となったのだ。

 見渡せば培養ポットから漏れる光だけが照らし上げる闇の中には見覚えのある多くの顔と、見覚えのないいくつかの顔が並び、新旧の英霊がそろい踏みしている。呼吸をすることも忘れている周囲の彼らは、話の中心となっている私と彼とだけに向けられていた。さもありなんむべなるかな、先ほどの慎二の発言には間違いなくこの場に存在している意識あるものたちから音を奪うだけの威力が秘められていたのだから。彼らは言葉を発しない代わり、視線にて訴えてきているのだ。果たしてお前はどんな答えを出すのか、と。

 

――やれやれまったく……

 

 世の中は等価交換だ。何かを成し遂げるためには何かを犠牲に払う必要がある。生きるためには自らの体を動かすエネルギー源となる食料が必要だ。食料とはすなわち、動物の肉であり、植物そのものであり――、つまりは、世界に生きている自分以外の何かの命のことである。そうとも。人間、生きるためには他の存在を糧とする必要がある。多くの人間を生かそうとすれば、それだけ多くの命が――、犠牲が必要だということになる。ならばこの崩壊しかけている世界を救うため、かつてこの世界の内側で多くの命を救って/犠牲にしてきた彼らが贄として必要だという理屈も――、納得できるというものだ。

 

――聖杯、か

 

 聖杯。それは元をたどればはるか昔、メソポタミア神話に登場する女神イナンナに豊穣を祈る儀式の際に使われていたウルクの大杯を起源とする、やがて変遷によってアーサー王物語においてキリストの血を受けたとされる器にして、それ故に万能の願望器としてたたえられるようになった聖遺物の名前だ。

 

――贄を捧げた存在に豊穣をもたらす器……

 

 無論、私の掌の中にある心臓(/それ)は、贄を捧げたものに豊穣をもたらす聖杯などというものではない。私の掌の中に納まっているそれは小聖杯と呼ばれる、かつてとある魔術師たちによって開発された聖杯を模して造られた、英霊の魂を収めておくための器だ。だがそれはまた同時に、聖杯として完成すれば、全てのモノに救いをもたらす真の聖杯(/全能の願望器)たりえるかもしれない、魔性の器でもある。

 手中に収まっているそれは人ひとりの命を支えていたとは思えないほどに軽く、しかし、世界の全ての運命を握るほどに重い。そうとも、掌の中のそれには、世界の全てが詰まっているのだ。聖杯(/心臓)はもはや鼓動することを忘れている。だが、一度必要とされる贄を――、周囲にいる七人の英霊の魂を注ぎ込んだのならば、小聖杯であるこの心臓は『真なる聖杯』として完成し、人類を救う希望の存在として再稼働を果たすのだろう。

 

――七つの魂と引き換えに、世界を救う器……

 

 七つの魂があれば、世界を救うことができる。だが七つの魂を捧げるということはつまり、周囲にいる彼らの命を簒奪するということにほかならず。

 

――まったく、慎二/アンリマユも、最後にとんだ難題をぶつけてくるものだ

 

 だからこそ私は、周囲から向けられる視線の問いかけに対して、何の反応をすることができずにいる。世の中は等価交換だ。可能な限り少数の犠牲で多くの成果を得る。それは確かに、この何をするにしても代償を必要とする現実世界において、もっとも理想的に願いを実現させるための方法だ。少なくともかつての命の価値を数で計っていた私だったならば――、たった七人の犠牲で世界を救えるというその方法を迷いなく実行しようとしただろう。だが命の答えを知った今――、少なくとも今の私は、たとえ世界のためにであろうと、周囲の彼らを――、私を導いてくれた人たちを犠牲にすることを、許容することなど、決してできない。凜という彼女の手によってこの世に再びの生を享けてからの半年にも満たない間、私はかつての私は何だったのかと思うほどに変わってきた。彼らと過ごしてきた日々は、まるで黎明の光のようだった。明け方、黎明の光の中に消えていったセイバーによって完全に止まってしまっていた私という存在の時計の針は、彼らという存在によって再び時を刻み始めたのだ。そうして送り出された世界は、思いもよらない未知と、かつて失ってしまった喧騒に満ちあふれていた。

 溢れ出てきた想いに曳かれるようにして目を瞑ると、脳裏をよぎっていくのははるか過去の切嗣と縁側で過ごした別離の時やセイバーとの出会いや別れの時の記憶ではなく、自分がこの世界で生きてきた記憶ばかりだ。この世界に初めて送り出されたあの日、見上げた蒼穹の美しさを今も覚えている。緩々と照り付けてくる太陽。肌をくすぐってゆく柔らかい風の感触。光を爆ぜ返すのは、目の前に映るは萌ゆる草原と森林。端にまで視線を向ければ山々が。峩々たる稜線を描く山々からは、淡く霞む雲が延びていた。そして見つけた手紙に涙した時の思いを覚えている。思慕に後ろ髪を引かれたのは果たして何年来のことだっただろうか。そして見つけた町で多くの人の情けを身に受けてきた。町の入り口で奢ってもらった牛串の味を覚えている。兵士の親切を忘れたことなどない。初めて出会う人に猜疑の目を向けられなかったのは何年来のことだっただろうか。自分の積み重ねてきた力が素直に歓迎されたのは本当に久しぶりの経験だ。他人の傷に怒る人と出会ったのも、久しぶりだった。紹介された宿が不思議なくらいに心落ち着く場所だったことを覚えている。そんな多くの人と触れ合いによって、私は自分が捨ててきた日常にどれほどの価値があったのかを思い知らされた。

 目を瞑るだけで半年の思い出は次々とあふれ出てくる。絶えることなく出てくる思い出は活力の水となり、悪意に枯れてしまった我が身を過敏な状態へと変貌させていた。かつん、と、耳朶に飛び込んできた地面をたたく音が、記憶に浸っていた思考を引き戻す。振り向き見ればそこには、この世界において最新最強の英霊となったシンという男の姿があった。

 

 

「エミヤ」

 鋭い声が闇を切り裂く。それはブシドーと呼ばれる刀を用いて敵を切り裂く職業に就く彼らしい、一切迷いの含まれていないものだった。その整ったと呼ぶに気後れしない顔には、研ぎすまされた刃のような鋭さに満ち溢れている。

「私は正直、君たちの話の内容を完全に理解したわけではない」

 さらに一歩を踏み出しながら彼は言う。

「だが、大まかに、貴方がその願いを叶えるために、私の命を必要としているということだけは、十分に理解した」

 その大きくもなく小さくもない声はしかし、闇の静謐を貫いた。自らの魂を欲するという男を前にしているにもかかわらず、シンは一切怯んだ様子を見せずにいる。その堂々としたありさまは如何にも彼らしかった。

「――私はこの世界に倦んでいた。私以上のモノがいない世界。私の退屈を満たす存在がいない世界において、しかし突如として現れた貴方は、あの世界において長点であったはずの私という存在を歯牙にもかけない活躍をしてみせ、私のそれが、所詮世界の広さを知らない未熟者の思い上がりであったことを知ることができた」

 言いながらシンはさらに歩を進めてくる。

「私は貴方という人と出会ってから、世界を心底面白いと思うことが出来るようになったのだ。貴方と出会ってからの日々はこれまでにないほどの刺激に満ちていた。私は――、私の生涯は、あの時、貴方が私の前に現れてくれた時から始まったのだ」

 シン。天才と呼ぶに過言でない才能をその身に宿し、それ故に生涯のあらゆる出来事に関心を持てなくなったという彼は、何とも朗らかな顔で、自分がかつて過ごした二十数年の時よりも、この半年の方にこそ価値があったと語っている。簾髪から覗く目元は何とも涼し気で、己の不足と未熟を語る彼の顔はまさに美麗と呼ぶにふさわしいものだった。

「私は貴方という存在によって救われたのだ。君という存在がいたからこそ、私は自らの生涯を満足の内に生き抜き――、そして死した後にまでも満足というものを得ることが出来た。エミヤ。私にとって、貴方こそが私の救い手だ。だからエミヤ。君が私の命を必要とするならば、私は喜んで君にそれを差し出そう」

「……!」

 宣言するシンの顔には迫力に満ちている。もしこの胸の裡に湧き上がりつつある感情の赴くままに「そんなものは要らぬ」と叫んでしまえば、その時点でシンはきっと刃を自らの胸に突き入れ、自死を選ぶだろう。彼の顔にはそんなたとえ自らの恩人であろうと、文句は言わせぬという気概の色に染まりあがっていた。冷たかった空気がさらに低下する。彼の覚悟は肌を突き破り、私の胸に棘として突き刺さっていた。静寂があたりに木霊する。彼の覚悟は周囲を一気に凍り付かせていた。

 

 

「……エミヤ」

 零下にまで冷えこみ凍り付いていた空気を動かしたのは、そんな空気と同じくらいに顔色の悪い、ヘイムダル――、ヘイという男だった。

「覚えているか」

 傍らに旧神話における幻想種ペガサスを手綱にて従えた彼は、もはやその身に纏った見目に麗しい紫鱗の鎧をさすりながら言う。

「初めてお前が俺の店に持ち込んだものを見て、俺は心底それに――、いや、そんなものを持ち込んだお前に惚れこんだ。未知なる力。名声を勝ち取る力。若さ。強靭な肉体。それらに驕らない精神性。――お前には俺が持っていないすべてが備わっていた。お前は俺がかつて求めていた、かつて過去に置き去りにしてきたすべてを持ち合わせていたんだ。だからこそ俺は――、自分の全てを投げ出してでも、お前のモノを俺のモノにしたいと、そう願うようになったんだ」

 その告白を浅ましいと嗤うことなどできなかった。ないからこそ憧れるその気持ち。ないからこそ焦がれた願いを我が身の破滅と引き換えにとでも欲するその気持ちを、親子二代にわたってそれを望み続けてきたこの身は痛いくらいに理解できてしまう。だからこそ私はヘイのその暗鬱な告白をどうしても止められずにいた。

「俺は――、俺は、身の程知らずだろうけど、あんたみたいになりたかったんだ。年老いた男が言うようなことじゃないってことはわかっている。現実、俺はどうあがいてもあんたみたいな存在になれないことが分かっていた。だって俺にはその才能がない。だって俺にはもう若さがない。だって俺には、もうそんな気力もなかった。そうして気付いた時には手遅れだった。だって俺は――、ただ、周囲に流されるがまま無為に年を重ねてきただけの人間だったから」

 告白にはるか昔の自らを思い出す。かつて自分には欲する才能がないと嘆いていた男がいた。男が欲しかったのは、完全無欠の正義の味方になるための才能だ。正義の味方。悪を挫き、弱きを助け、この世の歪みをすべて正して見せる、そんな存在。

「俺なんていなくても世界は回っていく。お前という存在が活躍するほどに、俺という存在の不要さを自覚させられた。誰かに必要とされる存在になりたかった。でも俺には、それを実現できるための特別な何かも、自分が特別であると勘違いできる若さもなかった。だから俺は――、お前が必要だといって差し出された手に縋りついてしまったんだ」

 誰にも必要とされる正義の味方になりたかった。だがその頃の男には、自らの正義こそが普遍に通用するものだと信じて疑っていなかった。その頃のおときには男にはどうすれば自らの正義が他人にとっての正義になりえるかを、それになれるかを深く考えるだけの頭がなかったのだ。そうして男は自らの周囲との間に発生する齟齬により、徐々に追い詰められてゆく。男は自らの正義を標榜して押し付けてくる存在が周囲にとってどれだけ迷惑かも考えずひたすら愚直なまでに前進し、やがて、世界と契約して英霊と呼ばれる存在の力を得ることも出来た。だが――

「でもダメだった」

 ダメだった。

「確かに俺は必要とされた。特別な力を得ることも出来た。多分、世界で唯一無二の存在になれたといって過言じゃない。それでも――、そうして他人から与えられた力を振るうこの身に満ちるのは、後悔だけだった。当然だ。だってそれは――、俺が苦労して身に着けた力じゃないんだから」

 世界と契約して英霊となった。死後、魂を預けることを条件に手に入れた力は確かにすさまじかった。だが――、ただそれだけだ。力は力であって、それ以外の何物でもない。たとえ自らの身に過ぎる力を手に入れたところで、それを振るうのは己であることに変わりはないのだ。

「力を得たところで性根や心が変わるわけじゃない。長年生きておきながら、俺はそんなことにも気づくことが出来なかった。否――、俺の場合、もっとひどかった。だってその力は、俺の――、俺を信じてくれていた奴らを裏切って手に入れたものなんだから」

 それはつまり結局、今までやってきたことがもっと大きな範囲で出来るようになっただけで――、他人というものがどうやれば救われてくれるのかを理解していないのは変わらない。故にそうして手に入れた力を使って何をするかと言えば、今までと同じように善意と正義を押し付けられるばかりで――、つまりは周囲の人々から疎まれるまでの時間が短くなるだけだった。だからこそ男は――、自覚的に死後の世界にこそ希望を見出すようになったのだ。しかし。

「誰かを裏切って手に入れた力は、自らを裏切ってきた人間を操る力だった。世界の裏側に潜んでいたそいつらは、いつだって誰かを羨み、憎み、やっかみ、人のことを馬鹿にするばかりで――、そんな奴らが蔓延しているそこは、俺にとってとても居心地の悪い居場所だった」

 やがて希望を胸に辿り着いた居場所は、自分にとって地獄同然の場所だった。辿り着いた英霊の座において課せられた役目は、人類の滅びと関係した人を最小限切り捨て、それ以外の全ての人を救うというもので。つまりそれは、男は男が今までやってきたこととまるで変わらない、正義の規定より外れた人々をひたすらに排除する作業を、他人の意思でやらされるというものだった。

 考えてみればそれも当然のことだろう。世界は私の掃除屋としての腕を買ったからこそ、私を契約対象として選び、力を与えたのだ。ならば契約が履行されたのち、私に掃除屋としての役目が課せられるのは当然のことであり――、当時追い詰められていたその男は、そんな簡単な理屈に気が付かないほどに追い詰められていたのだ。

 永遠という枷をはめられた男は、そうして人間がやってきたことの後始末をひたすらにやらされるようになる。そこに正義などなかった。誰かが好き勝手やった結果、関係ない人が犠牲となる。そうして犠牲となる人たちは、力こそないかもしれないが優しかった人で――、世界に滅びをもたらそうとした輩の巻き添えとして犠牲になっていいような人々ではなかったのだ。

「才能あるやつですら届きそうにない領域がある。手を伸ばせばいつか空の彼方のある月や太陽にまで届くだろうと思うのは、子供だからこそ許される特権だと思っていた。遮二無二何かを頑張るのは格好の悪いことだと思っていた。だってそれは傍からどう見てもみっともなくみえてしまう。誰かに笑われるのが嫌だった。無駄かもしれない努力を重ねるのが嫌だった。誰かと違うことをやるのが嫌だった。間違いを犯すのが嫌だった」

 罪悪感が心を苛む穢れとなる。罪と罪と罪の残骸だけを正義の味方として踏破した。そうして見つけた悪を、罰と罰と罰として無関係な人々ごと切り捨てきた。永劫の命を与えられた男の地獄の日々はいつになっても終わることなく、男の心をどこまでも摩耗させてゆく。

「普通でない、間違っているとわかっていながら、それでももう俺は止まれない。だって俺には、もうここ以外に居場所なんてないと、そう思っていた体。けれど――、でも俺は、それが自分のやってきた結果だからしょうがないといつものように諦めて、粛々と課せられた役割を果たそうとしたそんなとき――」

 繰り返される地獄のような日々に、三千世界、あらゆる場所に地獄は存在していると悟った。人類の愚かで、そんなものを守ろうとした自らの愚かさを悔いた。だが後悔の炎がいくら強まろうと、我が身に科せられた永遠の首輪は外れない。やがて無知蒙昧に自らの理想だけに殉じた過去の己を殺傷せしめたいと願っていた時――、

「シンとお前との戦いを目撃したんだ」

 果たしてその歪んだ願いは叶い、男は過去の己と対面し、過去の己を殺傷せしめる機会を得た。

「あれは――、俺にとって奇跡のような光景だった。信じられなかった。だってシンが――、あの傍若無人であらゆることを飄々とこなすシンが、必死になってお前に食らいつき、凌駕しようと足掻いていたんだから」

 たまっていた鬱憤と激情を過去の己に存分に叩きつけた。過去の己は当然未来の自分よりも弱く、それ故に一撃ごとに肉体に大きな損傷を負う。過去の自らが傷つくほど今の己の下した結論が肯定されるかのようで、得意げになって剣を叩きつけた。

「そこでは俺が否定してきたすべてが肯定されていた。必死は格好の悪いことじゃない。無駄かもしれない努力を重ねるのも、間違いを犯すのだって悪いことじゃない。だってシンはそうやって今まで自分が培ってきたものを、そうして自分の中にあるものをすべて吐き出して戦っている。エミヤだってそうだった。俺はそこでようやく――」

 過去の己は未熟だった。過去の己は身の程わきまえない愚者だった。過去の己は自分の正義はきっと誰かを救えるはずだと信じる痴愚者で、自らと同じ存在が蓄えてきた知識と経験にすら膝を折らぬ頑固者だった。馬鹿で阿呆で愚かで頑固などという救いようのない存在はしかし、未来からやってきた己自身の運命の記録をその身に刻まれてもなおも愚直に突き進み――、

「自分の過ちに気が付けたんだ」

 やがて自らの未来の自分を打ち破り、己の正しさを証明した。

「シンという現エトリア最強の男ですら届かなかったお前の領域に――、しかしシンは今まで培ってきた自分の力の延長線上にあるものだけで到達しようとしていた。いや、シンはそうして自らの中にあるものだけで、自分を無理やりそんな領域に到達させかけてたんだ。そうしてすべてを出し切ったシンは、残念ながらお前に負けちまったけど――けど俺は、勝負に負けてあんなに誇らしげな敗者の姿なんてものを、あの時初めて目撃した。あそこには俺が求めていたすべてがあった」

 自らの選択を信じ、誇ること。培ってきたすべてを愛し、活用すること。間違えることは恥じゃない。最短距離を走るのだけが正解じゃない。過去の己を卑下することはない。どれだけ近かろうが、たとえ未来の自分であろうが、所詮は過去の己を嗤う愚者の言葉に耳を貸す必要など毛頭ない。押し付けがましいのは承知の上だ。必要なのは、ただいつかこの手を届かせてみせると信じて、いつかは自らの思いが誰かに届くと信じて、涯なき世界をどこまでも駆け抜ける意思と覚悟だけ。

「そうだあの戦いを目撃して、俺は救われた。俺はあの時初めて、どんなに笑われようと、どんなに後ろ指をさされようと、自分の気持ちに従ってやりたいようにやることの尊さを知ったんだ」

 言いながら自らの思いを周りの目を気にすることなく余すことなく吐き出したのだろうヘイは前に進んでくる。すでに命の輝き途絶えていてもかしくない色の顔の中ではしかし、命の光というものが爛々と輝いていた。蒼褪めた顔がシンの横へと立ち並ぶ。

「だから――」

 彼はそして一度だけ申し訳なさそうにシンやヘイら、ギルド異邦人の五人の彼らの方を見つめ――、しかしそして返ってくる視線の中に戸惑いと納得と許容と承諾のモノが含まれていることを確認すると――、湧き上がる衝動をとどめるかのように一度目を閉じて天を仰ぎ、前を向く。

「エミヤ。俺も、シンとおんなじ気持ちを抱いてる。もしお前に心底叶えたい願いがあって、そのために俺の命が必要だっていうのなら――」

 かつてかけがえのないものを失くしてしまったと嘆いていた男の顔にはしかし今、過去に捨ててきてしまったはずの輝きに満ちていた。

「迷うことなく、必要だと言ってくれ。特別だから、誰かに必要とされたからという、そんな消極的な理由ではなく――、俺は俺の意思で、そうしたいからこそ、お前にそれを望んで欲しいんだ」

 言いながらヘイは真剣なまなざしを向けてくる。視線には自らを救ってくれた存在を救いたい、自らを救ってくれた存在に倒して恩を返したいという思いに満ちていた。その提案を無下に振り払うことも出来ず、かといって易々と受け入れることもできず、閉口する。そして訪れた静寂はまるで重圧に押し殺された我が懊悩の悲鳴であるかのようだった。

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