Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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三十一話 英雄エミヤシロウvs月と幻想の巨人 (七)

 薄暗い闇を貫くかのような鋭いな眼差しがこちらへと向けられている。二人の男が向けてくるそれらの視線はあまりに眩しく、思わず目を背けてしまいたくなるくらいに純粋なものだった。「自分の命を是非ともお前のために使わせて欲しい」。彼らの瞳はそう語っている。二人の瞳には先ほど二人が述べた言葉が嘘偽りでない事が真摯に現れていた。

 

 彼らは自らの魂を聖杯という器に焼べて欲しいと告げてきている。だがその申し出を聞いてしまえば、その時点で彼らの死が確定してしまう。今のこの小聖杯に魂を焼べられるということはすなわちその魂が完全に魔力へと変換されてしまうということであり、つまりは即座に死へと直結する願いだ。だからこそ――、そんな申し出を受けようなどとは思えない。どうして自分に対して無条件の信頼を寄せてくる相手を死なせたいなど思えるだろうか。死なせたくない。心の底からそう思う。

無論、彼らのほかにも今しがた聖杯に焼べるべき魂として選ばれてしまったギルガメッシュやランサー、メルトリリスという知己の者達や、ペルセフォネという彼女らも犠牲になどしたくなどない。桜も、慎二も、凛も、ライドウも、この場にいる皆が笑える未来を掴みたいと心底思う。

 

 そうとも。できることならばこんな他人の魂を贄として必要とする魔の器など用いたくなどない。可能ならば、こんな器を使わずに世界を元の通りに戻す方法を見い出し、皆で生きて帰りたい。だが――、どうすればそれを実現できるか、どんな手段を用いればそんな奇跡みたいな出来事を実現できるのか、まるで皆目も見当がつかないのだ。

 

 世の中は等価交換だ。何かを為すためには相応の犠牲が必要となる。いうまでもない世の基本法則だ。ならばこうまで滅茶苦茶になってしまった世界を元通りにしたいと願うならば、それ相応の贄が必要となるのは当然のこと言えるだろう。そしてまた、慎二という男が提案してきたその手段が、おそらくは最も犠牲が少なくて済む手段であることは間違いがない。だってそれ以外の手段は、どうあがいても七人どころでない犠牲が出る。というよりも、もはやそれ以外に案など見当たらないのだ。

 

 モリビトの桜が言っていた案は、現行生き残っている人類を生き残らせるための手段であったが、グラズヘイムというかつての富士山付近にあり、そして今までは世界樹の表層にあった施設が泥の中に沈んでしまっている時点で、世界中のほとんど多くの地帯が蠱毒の泥の中に沈んでしまっていることはもはや明白だ。そう。おそらく今、世界に人類という種は――、否、それ以外のあらゆる動物は、蠱毒の泥の中に沈んでしまっている。確実に生き残っているだろうはヴィーグリーズと呼ばれた大地と月との間付近に待機している飛空都市マギニア改とかいう船に乗っているらしい数百人と、彼らとここにいる十数人、あとは改良された火星の大地に移住した何人いるかわからない悪魔の力を得た人間たちくらいのものだろう。

 

 また何より、その案は、グラズヘイムという場所が十全に保たれていて、世界樹やその上にある大地というものが幾分かでも残っている事という前提の案だった。犠牲は出ないが、助かるのはたった数百人+αだけで、その後泥をどうするかも定っていない、今となっては実行不可能な案と、七人という犠牲は出るが、泥を全てどうにかした上で、世界を元の通りに戻せそうな案。そんなもの、どちらを選ぶかといえば、誰だって返答は後者であるに決まっている。

 

 ――全てを救える選択肢は果たして存在しないのか

 

贅沢といえば贅沢であり、絵空事といえば絵空事にすぎる願いを、しかし、如何様にすれば叶えられるのか。

 

 「衛宮。悩んでいるところ悪いけど――、最悪のお知らせだ」

 

懊悩していると、背後にいる慎二がこちらへと語りかけてきた。口調からは先ほどまであった余裕が嘘のようになくなっている。そうして多少慌てた様子の慎二がセリフを口早に言うやいなや、十数人の頭上に真っ白い光が――つまりは先程、慎二がクラリオンという存在を映す際に使用したモニターが現れる。仄暗い闇の空間に現れた四角い光のそれは一瞬だけ乱れると、やがて白い光は瞬時に周囲の黒と同系列、かつ、少しばかり明るいものへと切り替わり、黒の上にはやがて別の色が投影され始めた。

 

 「これは……」

 

そして立体投影型モニターと化したその上に映し出された光景を見て、誰もが絶句する。

 

 「なんだ、あの異形は……」

 

 画面の上には醜悪としか呼びようもない姿の何者かが写り込んでいた。ヴィーグリーズの大地と呼ばれた場所の上に浮かんでいる、泥に満ちていたギンヌンガの裂け目からぬるりと現れたそいつは、大きさにして千キロはあろうかという巨体の持ち主だった。その巨大という言葉が陳腐に思えるくらいの大きさをした人間の脳のような形をしたヘドロ色の本体からは、数百本もの蛸の触手のようなものが伸びている。そんな脳のような姿の本体にはまた、相応に巨大で真っ赤な瞳がひっついていた。

 

「あれの名はクラリオン。そして旧世界の住人が魔のモノと呼んでたものであり――、さっき、僕が見せたあの触手の化け物が本来の姿を取り戻したものさ」

 

 人間の脳みその正面に目玉が付与されたものから数百本にもわたって触手が伸びているような光景は、それだけでも回虫型寄生虫にやられた脳を見ているようで相当な嫌悪感をもたらすような姿である。だというのによく見れば、その異形の姿をした存在の異形たるや、それにとどまらない。なんとその巨大な生物の蛸に例えれば触手の吸盤にあたるだろう部分の一つ一つは、吸盤ではなく黄色い目玉であったのだ。

 

 その醜悪な姿をした巨体から生えている数百の触手の全てに数十もの目玉をことを考えれば、その目玉の数はおそらく千を下るまい。無論、一つの生物が千の目玉を持つこと自体は珍しくない。昆虫など、複眼と呼ばれるものを持つ彼らは、それこそ数万から数十万の目玉を持っていることだってある。だが、彼らのそれが進化の過程において発生した必然性を感じられるものであるのに対し、巨体がそこには何に必然性も感じられなかった。

 

 そうとも。必然性がないのだ。だって普通、触手なんていう場所に自らの目玉をつける奴はいない。触手というものは、蛸などの軟体生物にとって、自らの体であると同時に、使い捨てのきく武器に過ぎないものだ。いざとなった際には、自らの触手を千切ってでも彼らは逃げようとする。触手とはつまり、人間にとって爪のようなものだ。人間の指先の爪や髪の一つ一つに目が生えている事を想像してもらえれば、いかにあの生物が意味のないことをしているかを理解してもらいやすくなるだろうか。

 

 「奴さん、どうやらここに来るまでの間、この世の全ての悪/アンリマユの成分が混じっている蠱毒の泥という悪意の全てが詰まったそれを大量に食らってきたらしい」

 「――そうか……! 魔のモノは、負の感情を食らい成長する化け物……。ならば蠱毒の呪いによってまさにこの世の全ての悪が溶け込んでいるあの泥は、奴にとってまさに極上の餌であるというわけか」

 「腹立たしいことにその通りだよ」

 

 いうと慎二(/アンリマユ)は、吐き捨てるように返してくる。どうやら彼は、自分の分身とも言えるそれが喰らわれ、魔のモノの栄養とされたことが噴飯レベルで気に食わなかったらしい。

 

「ともあれ、まぁ、人のことばかすか食いやがったあいつは、飢餓状態のやつが今まで得られなかったご馳走を前にして、意識がかっ飛んでるような状態だ。つまり、奴は今、まさに本能だけで動いていて、そしてそれ故に――」

 

 そうして慎二がいう最中も動きを止めないそいつ――、つまりクラリオンであり、魔のモノでもあるそいつは、やがてギンヌンガの大穴から表したその触手生えた見たものに生理的嫌悪感を発生させる巨体をゆるゆると下降させてゆくと、ヴィーグリーズの大地の上にその触手を接触させる――、やがて湯船にでも身を浸すかのよう、その巨体を泥の大地の中へと突き入れてゆく。

 

 「悪の側に落ちた人の魂を求めている。おそらくこのままだと、そう遠くないうちにあの人間の魂が多く詰まった泥は余さず喰われ、そして聖杯を起動させて世界を救う魔力すら残さず無くなってしまうだろう」「な……」

 

 そして聞こえてきた言葉に、もはや何度目かわからないほど閉口させられた。言い終えた慎二は視線を画面からこちらへと向けなおすと、真正面からこちらを見つめたのち、この手に握られている心臓を――、つまりは小聖杯を見つめながらいう。

 

 「悪いな、衛宮。僕のさっきの言葉が嘘になっちまった。多分、このペースであの化け物に吸収されていくと、時間にしてしまえば多分、半日としないうちに世界は元の通りにできなくなっちまうぜ」

「……!」

 

 その言葉にこれまでにないほどの焦燥感が湧き上がる。もはや一刻の猶予も許されていない。悩むなんて贅沢は、今この瞬間において存在していないのだ。焦りに促されるようにして周りを見渡すと、いつのまにか画面に向けられていた周囲の視線が全て自らへと集中していることに気が付ける。否、正確にはこの手に握られている、世界の運命を決めるという小聖杯に、だ。

 

 「どうする、衛宮」

 

 背後から慎二の声が律儀に聞こえてくる。目の前からは縋るような、祈るような、図るような、さまざまな視線が投げかけられてくる。十人十色、様々な視線が向けられる最中、やはりというか気になってしまうのは、凛の同情するような視線でなく、ギルガメッシュの感情読めない視線でなく、ライドウらの行為を問う視線でなく、シンとヘイが向けてくる視線だった。

 

 先ほどまで信頼ばかりを向けていたはずの彼らの視線には、どこか不満げな様子が含まれ始めている。その視線はこう問うていた。なぜ貴方は迷うのか。なぜ貴方は本懐を果たそうとしないのか。なぜ貴方は私達の提案を受けてくれないのか。なぜ貴方は、私たちを救ってくれたように、世界を救おうとしないのか、と。

 

 ――その、問いかけるような、不満を訴えるような視線には、見覚えがある

 

 そうして視線を向けてくる彼らの顔は、まるで子供の不満顔のそれだった。そう。

 

 ――否、見覚えがあるのでない

 

 衛宮士郎という顔は、彼らが浮かべるその顔に覚えがある。その顔を見ていると、なんとも言えない感情が胸の奥から湧き上がってくる。それは困惑と安心が入り混じった、なんとも言えないものだった。そう。それはまるで、自分にとって正義の味方である人物が、自分は正義の味方ではないなどと言い出した、あの月夜の縁側の時のようで――

 

 ――、ああ……

 

 瞬間、視界に一筋の稲光が走り、脳裏には過去の記憶が再生され始める。記憶の濁流は瞬時のうちに意識を脳裏の中へと放り込んでいった。

 

 

 『子供の頃、僕は正義の味方に憧れていた』

 

 今でも鮮明に思い出せる光景がある。あれは宵もまだ浅かった頃、天の頂きにあった大きな満月が顔を傾げていた時ことだった。正義の味方になる。武家屋敷の縁側にて自分が貴方のその願いを継ぐと宣言したその夜、その言葉を聞いた衛宮士郎の養父、衛宮切嗣は微笑とともに冥府へと旅立った。あの誓いこそが始まりだった。

 

『なんだよそれ。憧れてたって、諦めたのかよ』

 

 はるか昔、私が心底尊敬している養父、衛宮切嗣とのあの誓いがあったからこそ、衛宮士郎という男は正義の味方になるべく――、否、自らにとっての正義の味方であった衛宮切嗣という男になるべく、駆け出した。

 

 『うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、オトナになると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気が付けばよかった』

 

 胸を焦がす思いがある。

 

 『そっか。それじゃしょうがないな』

 

 自らに課した使命がある。

 

 『そうだね。本当に、しょうがない』

 

 違えぬと誓った約束がある。

 

「うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ。爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢は」

 

 他の全てを捨ててでも叶えたい願いがある。

 

 ――俺が、ちゃんと形にしてやるから――

 

 そうとも。月下の元、自らが尊敬してやまない私の養父と交わしたあの誓いこそが、衛宮士郎という男の中よりそれらの全てを生み出す、衛宮士郎が衛宮士郎たる源であり、原点だ。

 

 「ああ――――――安心した」

 

自らの発言によって、彼は全ての荷が降りたと言わんばかりの微笑とともに浮世から消え去った。臨終の際に彼が見せたあの微笑があったからこそ、自分は――、その先にあった地獄という地獄を踏破し、多くの人に支えられながら、自らの歪みを指摘されながら、ここまでやってこれたのだ。自らの発言が自らの恩人たる存在を満足させたというその思いと自負があったからこそ――、自分は自分にとって大切な存在を救うことができたのだという思いがあったからこそ、衛宮士郎という存在は何があろうと正義に味方になるという思いを曲げようとしなかった。ならば彼が死の直前に見せたあの微笑こそが、衛宮士郎という存在のその後の全てを決定づけたといっても過言でないだろう。

 

 そうとも。死の間際、私の恩人であり正義の味方である衛宮切嗣という男は、幼かった衛宮士郎の発言によって救いを得て、微笑を浮かべながら逝った。彼は衛宮士郎という正義の味方の後継者を得ることができたからこそ、彼は死に瀕していながら、あれほど穏やかな微笑を浮かべ、「安心した」と言いながら、救われて死んでいったのだ――――、と、私は今の今までそう思っていた。

 

 だが、言峰綺礼という男によって、養父への依存――奴が言うところの、衛宮切嗣の呪い――から解き放たれた私が思惟を巡らせてみれば、衛宮切嗣という男が幼い衛宮士郎という自らの後継者を得たという安堵からこの世への未練をなくしたというような考え方が可笑しいということに気が付ける。なぜなら彼は、正義の味方というものがこの世に存在し得ない事を知っていた。

 

『正義の味方は期間限定で、大人になるとなれなくなってしまう』

 

 あきらかに自らが歩んできた道を後悔してのものだろう、寂しそうな顔でそんな言葉を漏らした彼が、それを求めたが故に地獄を邁進する羽目になり、追い詰められたその果てに自らの妻や娘を犠牲にしてまで万能の願望器たる聖杯なんていうものを求めざるを得なかった彼が、万人にとっての正義の味方になるという事の不可能性に気付いていないはずがない。

 

 『いいかい士郎。正義の味方に救えるのは、味方をした人間だけだ』

 

 自らの子が自らが歩んできた同じ過ちの道を歩くことに安堵する。少なくとも衛宮士郎という男が知る限り、切嗣という男はそういう大人ではなかった。不器用で、抜けていて、身内の人以外にはあまり良い顔を見せないようなそんな人だったけれど、少なくとも彼は、不器用なりに自らが引き取った子である衛宮士郎という存在を必死になって愛そうとしてくれる人だった。そんな不器用な愛がらも注がれる愛を一心に受けて育ってきた存在だからこそわかる事が――、思い出せる記憶がある。

 

 ――衛宮切嗣という男が微笑を浮かべるのは、決まって、内心、目の前で起こっている出来事に困っているときだった

 

 例えば養子である衛宮士郎が失敗した料理を出してきた時、例えば衛宮士郎の姉分である藤村大河がその弟分からおもちゃを強奪した時、例えば武家屋敷の元々の持ち主である藤村雷画が突如酒を持って来訪して時、彼は常にそうした静かな人当たりのいい微笑みをたたえて、目の前の出来事に対して粛々と応対していた。

 

 多分、正義の味方を目指していた彼にとって、微笑みとは処世術の一つだったのだろう。もともと彼はとても素直に感情を表す人間だった。おそらくは孤児院にやってきた時、自らの家にやってくると宣言した衛宮士郎に対して、胸の奥から湧き上がってくる嬉しさを堪え切れないと言わんばかりに見せた満面の笑顔こそが多分彼の自然な反応であり、笑顔なのだ。

 

 そしてまた切嗣は、理にかなっていない事を嫌うたちの人間だった。だから切嗣は、本来自分の気持ちに素直に従うならば、多分目の前で我儘を言う誰かに対して悪態の一つでもつくような人間だったに違いない。だが切嗣は、そうして自らが目の前の誰かの我儘に不快の感情を抱いた事を素直に伝えれば、その目の前の誰かとの間に諍いや確執が生まれる事をよく知っていた。正義の味方を目指す彼にとって、誰かがそうした不快の思いを抱くということは、悪しき行いであると思うに至ったに違いない。だからこそ彼は、自らの目の前で誰かが我儘を言った時、微笑みの仮面でお茶を濁すという手段を覚えたのだ。

 

 そう。切嗣にとって微笑みとは、目の前の誰かを怒らせたり悲しませたりしないための一手段にすぎないのだ。

 

 

――だから

 

  そんな経験則から導き出した理屈から改めて彼が今際の際に浮かべた微笑みの真意を推察するならば、衛宮切嗣という男は、衛宮士郎という存在の、「正義の味方になる」という発言を受けて、困ったのだ。なぜなら彼は、この不平等ばかりが支配する世界においてその道を目指すのならば、待ち受けているものが涯のない地獄と、自らの善意と他人の悪意との不等価交換を強いられるそんな煉獄に続く道である事を知っていた。なぜなら彼は、自分はそうやって正義の味方を目指し、しかし失敗してしまったと感じていた人間なのだから。だからこそ彼は――、自らが引き取った少年が、自らと同じものを目指すという宣言を聞いた時、まずハッとした顔をして見せて、しかるのちに、困って、微笑を浮かべたのだ。

 

 ――きっとあの時、切嗣は困っていた

 

 そうとも。おそらくあの時、衛宮切嗣という存在は困っていた。彼はおそらく自らの息子が、自らと同じ過ちの道を歩こうとしていることに、心底頭を悩ませたのだ。切嗣という存在を盲信し、妄信していた衛宮士郎という存在は、しかしだからこそ、そのことに気が付かず、それどころか彼のそれは私の提案を肯定するものだと思った。――否。気付けなかったのではない。

 

――きっとあの時の衛宮士郎は、そのことに気付きたくなかったのだ

 

 自分の発言が、自らの恩人に微笑を浮かべさせてしまった(/顔を曇らせてしまった)。自分の発言が彼という存在を困らせた。幼かった衛宮士郎は、そのことに気が付きたくなかった。幼かった衛宮士郎は他人の気持ち(/心)の変化には鈍感だったけれど、他人の体の変化には敏感な存在だった。だからおそらく、幼い衛宮士郎はそんな高い感受性で、この月下の縁側において衛宮切嗣という男が死んでしまうだろう事を無意識のうちに感じ取っていた。そして幼い衛宮士郎は、この機を逃せば、もう挽回の機会はないだろう事を。敏に感じ取っていた。だから幼かった衛宮士郎は、その事実から目をそらし――、衛宮切嗣という男が死の寸前に漏らした「安心した」の一言に縋りつき、彼は衛宮士郎という存在の一言に安堵して逝ったのだと、思い込もうとした。

 

 ――自分の発言によって、切嗣が困ったなどと、思いたくもなかったのだ

 

 それはあまりにも無様で、あまりにも自分勝手で、それはあまりにも醜い思い込みだった。幼かった衛宮士郎が求めていたのは、衛宮切嗣という自らにとって恩人である存在の救いではなく、自分の発言によって彼が救われてくれる事。そうとも。思い返してみれば、衛宮士郎という存在は、どこまでも自分勝手で、自分の期待を周囲に押し付けてばかりの、そんな身勝手な存在だった。数年、数十年どころか、万年以上も経ってから初めてこんな事を理解するあたり、ほんと、衛宮士郎という存在は、どこまでも愚かで、自分勝手で、救いがたい存在だ。とはいえ、万年以上もの月日を要したとはいえ、こうしてその事を直視できるようになっただけ、それは成長と呼んでいいだろう。

 

 ――自分が彼の意思を継ぐというその宣言が、自らにとっての正義の味方である切嗣を困らせているという事実を、衛宮士郎というまだ幼かった男は受け入れられなかった

 

 しかし。

 

 ――だが

 

 そうとわかった今、新たに解せない問題が発生する。

 

 ――ならばなぜそうして内心困った切嗣は、しかし「安心した」といったのか

 

 なぜ彼はそうして浮かべた微笑みの中に、確かな安堵の思いをも生じさせながら、死んでいったのか――

 

 ――ああ……

 

 そうして衛宮士郎という存在は衛宮切嗣と同じ立場になった今のこの時、この瞬間、その答えを唐突に理解させられた。

 

 

 目の前にいる二人の人間――、シンとヘイは、かつての月下の縁側に座っていた衛宮士郎と同じような――、衛宮切嗣が自分は正義の味方になれなかったといった時に向けただろう不満げな視線をこちらへと送ってきている。その不満は、負の感情より生じたような類のものではない。その感情は、自らを救ってくれた存在に対する尊敬から生まれてきているものだ。彼らはエミヤという存在に対して無条件の信頼を置いてくれている。彼らはかつて衛宮士郎が衛宮切嗣を養父として慕っていたよう、ただ、憧れの人物に、憧れの存在でいて欲しいのだ。

 

 そうだとも。あの時、衛宮切嗣はそれに気がついたのだ。自分は血の繋がっていない子供から、なんの疑問も持たずにその跡を継いでやると言わせしめるくらいに無条件の信頼を寄せられていたのだと――――――、あの時切嗣は、初めて気付いたのだ。

 

 おそらくそれまでの間、彼の胸の中は不安で一杯だったに違いない。私は可能な限りの手段で切嗣に恩を返すべく、家事や勉強などを頑張っていたつもりだったが――、だが切嗣はきっと、それは衛宮士郎という存在が衛宮切嗣という存在に助けられ、養われているからやっていることだとこそ思っていた。

 

 彼はきっと、ずっと不安だった。果たして自分は、正しく親をやれているのだろうか。果たして自分は、衛宮士郎という子供を愛せているのだろうか。守るべき正義を選別したとはいえ、きっと衛宮切嗣という存在は、再び衛宮士郎という存在とそれ以外の多くの人間が天秤にかけられた時、衛宮士郎を切り捨てる判断をするだろう。多分爺さんは、そうしてずっと悩んでいた。

 

 きっと爺さんは、果たして自分は――、自分が救われたいからという理由だけで衛宮士郎という存在を助けた自分は、本当に目の前の衛宮士郎という存在が救えているのだろうかと、ずっと悩んでいた。だからこそ彼は――、衛宮士郎という存在が自らの跡を継ぐと宣言していた時、その行く末を思って困ると同時、自分はきちんと親を出来ていたのだと――、衛宮士郎を救えていたのだと確信した。

 

 かつて大勢のために少数を切り捨てていた自分はもういない。自分は多くのものを守る正義の味方にはなるという夢は果たせなかったけれど――、目の前にいる子供一人に憧れられる正義の味方には確かになれたのだと心底理解したが故に、彼は微笑を浮かべながらも、心底安堵の声色で「安心した」と漏らして、死んでいったのだ。

 

 ――そう。そうだとも。きっとあの時、衛宮切嗣は初めて、自分はすでに、なりたかったものに――、ずっと目指していた正義の味方に、自分はなれていたのだと気が付いた。だからこそ彼は、その事実に安堵して――、安らかな眠りにつけたのだ

 

 そうだ。きっとそうに違いないのだ。きっとあの時の切嗣と今の私は同じなのだ。私はずっと不安だった。正義の味方になると宣言し、遮二無二突っ走って、皆からそうであると認められるようになっても、それでも自分は不安だった。だって自分はずっと間違い続けていた。自分はあの時、言峰綺礼という男に助けられるその時まで、自分の歪さを心の底から理解できていなかった。間違えて、間違えて、間違い続けて――――――、そうして多くの人を切り捨て続けてきた。だからこそ衛宮士郎は、誰に礼を言われようと、衛宮士郎という存在が誰かを救えているという実感がまるで得られていなかった。

自分は本当に誰かを救えているのか。自分は本当に正義の味方を目指していい存在なのか。どれだけ覚悟を決めようと、衛宮士郎という男の心の底には――、英霊エミヤという存在の心には、それまでに犯してきた罪がヘドロのようにこびりついて、誰かを救えているという実感を得られていなかった。

 

 ――そしてあの時の切嗣と同様に、今、私も、なりたかった存在にすでに自分はなれていたことに気付かされた!

 

 だが今。自分は、彼らから命を差し出された。果たして自分には彼らを救ったという自覚がない。だが、それでも彼らは、私が成し遂げてきたことの何かに感銘を受け、勝手に救われるに至ってくれたのだ。そして――、英霊エミヤは、衛宮士郎は、先ほどのあの時、それを心底実感させられたのだ。すなわち。

 

 ――英霊エミヤは、その行いによって誰かを救える存在になれていた!

 

 そう。そうして自分は、ようやくあの時の切嗣に追い付けた。目の前にいる彼らはあの時の自分だ。目の前にいる二人は、盲目的に切嗣という存在を信じていた、きっと彼ならば間違った答えを出すはずないと、そう信じていたあの頃の自分であり、凛に救われてこの世界へと送られ、再び正義の味方(/衛宮切嗣)を目指そうと決心した時の自分なのだ。

 

 ――切嗣はやはり自分にとっての正義の味方で、自分は目指していたそんな正義の味方(/切嗣)になれていた!

 

 だがあの時、切嗣は――、私が間違った道へと進むことを止めなかった。体調や寿命の事もあったのだろう。あの時の衛宮切嗣は、ずっと一人で悩み続けていた彼は、もう自分がこの夜を越せない事に気がついてしまった彼は、それを修正することすらも出来なかったのだ。でもきっと、衛宮切嗣があの日、あの夜を超えても生存して私の隣にい続けてくれるようなそんな運命があったのならば、多分、衛宮切嗣という男は、きっと衛宮士郎の間違いを指摘し、正そうとしたに違いない。彼はそして、自らの身に宿っている全てを用いて、願いを叶えようとする自分が道を間違えないように見守り続けてくれたに違いない。

 

 ――なら、やることなんて決まっている

 

 あの時の衛宮切嗣はそれが出来なかった。なぜなら彼のすぐ目の前には死が迫っていた。だが、今、この時の衛宮士郎にはそれができる。なぜなら今、自分の目の前にはまだ死が迫っていない。まだ世界が滅ぶまでには幾ばくかの時間が残されている。ならば――――――、やることなど決まっている。

 

――死にたがる彼らの願いを否定する

 

 私は私に対して無条件の信頼を寄せてくる彼らに死んでほしくない。だから私は、彼らの提案を飲むわけにはいかない。否定をするのは簡単だ。だが、そうして否定をするからには、自分は彼らの出した答えを上回るモノし、その上で、彼らの選択や覚悟も決して間違っていなかったという事を証明しなくてはならないのだ。

 

 それがきっと――

 

 ――誰をも救う正義の味方として、正しい道に違いないのだから

 

 

 ――だが自分に何ができる? 

 

 「……エミヤ?」

 

 決心をしたはいいものの、手段がないのでは話にならない。だから必死に考えた。

 

 「だ、大丈夫でしょうか?」

 

 ――思い出せ……。これまで自分が培ってきた全てを掘り起こせ……!

 

 「邪魔しないであげて。あれは士郎が――、エミヤが集中して考えるときに見せる顔よ。ああなってしまったら、その考えから抜け出さない限り、こっちの声は届かないわ」

 

 思惟を巡らせ、必死に考える。

 

 「はぁ……、凛さん、よくご存知ですね」

 

 ――この身に宿っているのは固有結界『無限の剣製』と、それからこぼれ落ちた解析と投影の魔術のみ

 

 「そりゃ――、私、あいつの、元パートナーだもの」

 

 頭の回転数は止まる事なくどこまでも早まってゆく。

 

『パ、パートナーとな!? それは一体、どのようなお関係だったので!?』

「ちょ、ちょっと、玉藻! 私の口を使って勝手に喋らないで!」

 

 ――モノを解析し、その情報を読み取り、それの複製を作るだけの魔術では、この世界の惨状はどうにもなるまい。

 

 「なぁ、おい、マジでうごかねぇぞこいつ。本当に大丈夫かよ」

 

 一秒の間に千の言葉を浮かび上がらせ、巡らせた思考で出来ることを模索する。

 

 「ふん……。貴様が気にする必要などないだろうよ。未だ英霊の域に達せていない雑種は、あやつのことよりも――、あの画面の上で起こっている出来事の方に気を配った方が良いのではないか?」

 

 ――……私一人の力では無理だ。

 

 「は? お前、一体何をいって……」

 「お、おい、サガ! あれを見ろ!」

 

そうして見つけた結論は、たとえどれだけ荒唐無稽であろうと優先順位をつけてナンバリングし、高順位のものは常に並列して脳裏に収めておく。

 

 「なんだよ、ダリ。耳元で叫ぶん、じゃ……」

 「な、なんじゃ、ありゃ!」

 

 ――私だけでダメならば、彼らの力を借りたならばどうだろうか

 

 「ギンヌンガの穴の裂け目から世界樹が……!」

 「世界樹が……宇宙を飛んでる!?」

 

 悪魔召喚師。旧時代の神代に生きた英霊。現代において旧時代の神と呼ばれる者達のちからを受け継いだ彼ら。その身に悪魔の力を宿した少女。我が麗しの元マスターにして、私をこの時代に送り出してくれた恩人の女性。かつての我がパートナーを宿した女性。

 

 「え……、なに、あの樹、飛べるの?」

 

 ――……ダメだ

 

 「それは当然だろう。むしろ飛べぬ理由がない。なにせあのデカブツは宇宙から、貴様らが魔のモノと呼ぶあれを追いかけてやってきたのだ。そしてあれは、周囲の誰もが気づかせないうち、魔のモノ潜んでいたクレタの海底深くに着水した。ならば、己の身一つで飛ぶ手段の一つや二つくらい備えていると考えるのが当然であろう」

 

 彼らの力はたしかに強大で、あらゆる悪霊悪鬼を滅殺できるだけの実力を保有しているが、だからといって世界の崩壊をどうこう出来るようなの力を持っているわけではない。また、桜が羨ましかったというだけで、普通の力しか持たない三人の女性も同様だ。

 

 「えっと……、その、理屈は一応わかったんだけど、なんていうか、気持ちがついていっていないというか……」

 「たわけ。目の前で起こっていることを素直に受け入れよ」

 

――……桜、か

 

 「……なんかあんたにそう言われえるととてもムカつくけど、まあいいわ。しっかし、飛ぶ理屈はそれでいいとして、一体あの樹はこんなところまでなにをしにきたのかしら?」

 「おいおい、イシュタルよ。その答えとなりうる要素は今しがた我が言ったばかりだぞ? 眠りすぎてその憐れで小さい脳みその芯までお陀仏になったか!?」

 

 そして私は振り向いた。視線の先にはまずきちんと日本の足で立っている慎二が目に映る。そして視線は彼の傍、足元で眠っている女性らへと移動した。桜。虚無という架空属性を操る才能を持ち、それ故に女神として祭り上げられ、そしてそれ故に狂ってしまった哀れな少女。だが今、彼女はようやくその枷から外され、安らかな眠りについている最中だ。

 

 「ええぃ、ほんっといちいちカンに触る物言いをするわね!」

 「ふん……」

 「……でもいいわ。ギルガメッシュ。さっき貴方、もうヒントは出したとそういったわよね」

 「然り。……ふむ。その顔を見るに、もう答えに至ったか。――、一応。王者の義務として、その才、見事であると褒めておこうか」

 「――、はぁ。もういいわよ。それで……」

 

 ――魂を操れるという彼女ならばあるいは……

「世界樹は魔のモノの敵対者で、魔のモノをやっつけるため、あるいは封印するために宇宙から飛来した。そうね?」

 「然り」 

 「なら話は簡単……。世界樹は、かつての時のように、魔のモノを封じる、あるいはやっつけるために、わざわざあの泥の中を抜けて、ここまでやってきた。――そういうことなのよね、ギルガメッシュ」

 「その通りだ」

 

 魂を操れる彼女ならば、あの多くの蠱毒の術式の中から人々の魂だけを選別し、拾い上げることが出来るかもしれない。そんな考えが脳裏に浮かび、そして桜という少女に全てを任せられないかという思いまでもがよぎるが、今の桜という彼女の精神性では、仮に彼女の才能でこの自体をどうにかすることが出来るにしても、それを貫き等すことは難しいだろうとの結論に至り、その考えを却下する。

 

 「お、おぉ、見ろ! ヴィーグリーズの大地に着陸……、着水? した世界樹が、その根を泥の中に伸ばして、魔のものへと伸ばし始めたぞ!」

 「ええ、見てますよ、サガ。ですが……」

 「ああ。魔のモノも負けじとその触手を世界樹へと伸ばし始めている」

 

――まてよ……

 

 「……互角、だな」

 「ああ。泥の中から現れた触手と根っこががっぷり四つに組んでいる」

 「あ、でも、みてください。なんか、触手の方から白っぽいなにかが出てきて――」

 「根っこを攻撃し始めましたねぇ」

 

 だがその瞬間、頭をある考えがよぎった。そうして視界に映り込んできたのは、彼女の横で眠り続けているメルトリリスという少女だ。そうして頭の中に、桜の分身であり、彼女の強い部分を余さず吸収して生まれたという彼女が、私に語りやったことを思い出す。

 

 ――『見ての通り、私はあらゆる彼らの命をこの月の裏側という場所に格納している。ギルガメッシュのような私の蜜を逆に飲み込んでしまいそうな存在や、玉藻の様に蠱毒に耐性のある変わり種を手中に収めるのには苦労したけれど……、見ての通り、今や彼らは私の虜。無論、ここにいるのは彼らだけではないわ』

 

 「ふむ。あれは確か、フカビトとかいう輩だったか。そういえば記録によれば、魔のモノはそのフカビトとかいう存在を自らの手足として使役するとか」

 「……えっと、ってことは、もしかして」

 

 彼女そして、自らの身のうちに収めた蠱毒のなかに、人間を人形として格納することを可能としていた。推測するに、三女神のごうせいによって生まれた桜という彼女から生まれたメルトリリスという存在は、それ故に三女神の――、アルテミス、レヴィアタン、サラスバティの力によって、人々を溶かすも復活させるも自由にできる力を得た。

 

 「うわ、やべぇぞ! なんか世界樹、どんどん削られて――」

「おや、フカビトとか言う彼ら、ついに幹にまで攻撃し始めましたねぇ」

 

 だが彼女がいうことから推測するに、それはおそらく、事前に彼女が見定めた存在にのみ可能である技なのだろう。多分彼女には、そうして人の肉体を溶かしたりして保存する機能がある代わり、その魂をより分ける機能がないのだ。――けれど。

 

 ――溶け込んだ魂を選別したり呼び出したりする。そんな器用ことを多分彼女はできないだろうけれど……

 

きっとヘイという男の持つ、多くの人の魂に呼びかけられると言うギャラルホルンの笛があれば、それは可能だ。無論、それがあったとしても、そうして私は蠱毒の中に閉じ籠ってしまっている彼らの気持ちを奮い立たせることは容易なことでないだろう。だが、無意識ながらもそうして他人の意識を罪悪感として収集し、心の内側へと後生大事に溜め込み、覚え続けていた、そしてこの世の全ての悪を手にいれた私ならばきっと――

 

 「呑気にいってる場合か! ぼけっとしていたら世界樹がやられちまうんだぞ!」

 「……ついでに言っとくと、今のあのやり取りで泥の魔力が相当消費されちまってる。あれがあのまま続くんなら、神話の再現によって世界の終わりが来るよりも先に、あれと世界樹との戦いによって世界の全て溶け込んでいる泥が魔力として失われちまうぞ」

 「ちょ、ちょっと、慎二! それ、本当なの!?」

 「性格が悪いのは自覚しているが、この期に及んで嘘をつく様な精神はしてないさ」

 

――決して不可能なんかではないはずだ……!

 

「――さて、で、どうだ、衛宮」

 

 結論に思い至った瞬間、集中は完全に消え失せ、慎二の声が聞こえてくる。彼の方を見やれば、その魔術紋様が刻まれている面には、片方の唇を吊り上げた、いつもの慎二らしい顔が浮かんでいた。慎二はだが、そしてその顔を一転して真剣なものへと変貌させると――

 

 「もう時間はない。――覚悟、決まったか?」

 

 聖杯を使うこと前提の問いを投げかけてくる。そして画面に向けられていた多くの視線は、再び私へと集中した。気が付けばいつの間にか周囲の空気から体を真綿で包み込むからの様な、ねっとりとした重圧は消え失せている。多分、それは衛宮士郎という男が覚悟を決めたことによる気持ちの変化の証なのだろうと、自然にそう思う。

 

 「――ああ」

 

 答えると空気が凍りつく。皆の方を向き直すと、シンとヘイからは期待の目を向けられていた。ギルガメッシュはこちらを推し量るような視線を向けてくる。凛はその名の通り、凛然とした態度のままだった。一言たりと発していないライドウとゴウトからは、気の毒そうな視線が飛来する。それ以外の人物から飛び込んでくるさまざまな意図含まれた視線をまずは全て受け止めると、深く息を吐いて、そして、言う。

 

 「――聖杯を、使おう」

 

言葉に空気がさらに冷え込んだ。多分、多くのものは、私が苦肉ながらも犠牲を許容する選択肢を選んだのだと思ったに違いない。あるものからは憐憫の、あるものからは複雑な、あるものからは失望の、あるものからは期待の眼差しが飛んでくる。

 

「ただし――」

 

 それらの全てをやはりしっかと受け止めながら、私はそう続けた。

 

「でもそれは、この聖杯にここの七人の魂だけを収めるという意味じゃあない」

「……え!?」

 

 その驚愕は一体誰の声によるものだったのか。それを調べようともせずに、続く言葉を述べる。

 

 「……おい、衛宮。一体どう言うことだよ」

 

 後ろから慎二の困惑の声が聞こえてくる。その疑問は当然だと思う。だからこそ、おそらくは皆の疑問であろうその質問に答えるべく、しっかりと首を縦に振ると、言う。

 

 「今のこの世界を救うには相応の犠牲がいる。それをその才能や資格があるからと言って、ここにいる十数人だけでその行く末を決めようと言うのが、きっとまず間違っていたんだ」

 

 言葉に反論は帰ってこない。意味を図りかねているのか、あるいは、意味がわからないと困惑しているのかは、わからない。だがそうして反論の言葉がないのをいいことにそのまま言葉を紡ぎ続けた。

 

 「例えそうして完成したとしても、聖杯を私一人ではダメなんだ。……そう。ここにいるみんなの意思だけでもダメなんだ。だってこの世界には、もっと多くの人が住んでいた。今でこそみんな、あの泥の中に溶け込んでしまっているかもしれないけれど――、でも、たしかに、あそこにはこの世界で生きていたみんながいるはずなんだ」

 

  誰からも話を途切れさす言葉は飛んでこない。

 

「だから」

 

 それはきっと、この意見を否定しないでいてくれているの証なのだろうと信じながら、二の句を次ぐ。

 

 「世界はわたしだけのものではない。だから聖杯は、みんなで――、この世界に生きていた、みんなの力と意思を用いて完成させる」

 

 言うと、呆然とした顔を浮かべる多くの人たちをい見回しながら、言い放つ。

 

 「そのための手段を、今、思いついた。だが、それを実行するには、この場にいる全ての存在の力が必要だ。だから――、どうか、世界の全てを救うために、力を貸して欲しい」

 

拒絶の回答は一つたりとも返ってこなかった。

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