Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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最終幕間 正義の味方の物語

夢を叶えた。

ようやく、叶った。

 

……いや、違う。

無理やり叶えたんだ。

 昔の話だ。あるところに正義の味方に憧れた一人の少年がいた。とある戦争に巻き込まれて家族やそれまでに持っていたすべてを失ったその少年は、しかしある男の手によって助け出され、そして引き取られた。

 窮地において救いを求めていた時、颯爽と現れ自分を救い出したその男は、少年にとって、まさに正義の味方と言える存在だった。記憶をなくし、友人を失くし、両親を亡くし、そして居場所も、自分を知る人も何もかも失った少年にとって、何の得にもならないだろうに自らを助け、引き取り、養ってくれるその人は、まさに正義の味方以外の何物でもなかった。

 ――だから、切嗣に憧れた。

 自分もそうなりたいと願うようになった。人生経験の少ない子供が、何でもできるように見える親に憧れるなんて言うのは別段、珍しいものじゃない。だから、××士郎が衛宮切嗣という男に引き取られて衛宮士郎となり、仮初と言えど親子の絆で結ばれた時、きっとその運命は決定づけられていた。

 正義の味方。それは弱きを守り、悪を挫き、困っている誰にも手を差し伸べる、完全無敵の英雄の呼び名。衛宮切嗣という男は、衛宮士郎という少年にとってまさにそれだった。だって少年は知っていた。そうやって困っている誰かに手を差し伸べることが、どれだけ差し伸べた人物を幸せにするか、少年は知っていた。

 ――だから、正義の味方に憧れた

 だってそれは、初めの記憶の一つであるからだ。天をも貫く炎の逆巻くあの誰もが死んでいった地獄において、あんな死地において衛宮切嗣という男から手を差し伸べられた衛宮士郎は、そうして自分を助けたときに切嗣が見せた心底幸せそうな笑顔を目撃した衛宮士郎は、正義の味方というものがどれだけ幸せな存在であるかを、誰かを助けるという行為がどれだけ助けた当人を幸せな気持ちにするのかを、その行為が助けられた誰かをどれだけ幸せな気持ちにするかを、心の底から理解してしまっていた。

 ――だから、切嗣/正義の味方に憧れた。

 幸せになりたかった。でも、自分にその資格はないと思っていた。だって、あの誰もが死にゆく煉獄において、自分は自分が生き残るため、それ以外の全てを切り捨てた。助けを求める声があった。ここから連れ出してほしいとの懇願があった。せめてこの子だけでも連れて行ってほしいという願いがあった。どうか力を貸してほしいという悲痛な叫びがあった。でも――

 ××士郎という存在は、自分が生き残るため、それらの全てを踏みにじった。

 ――だから、正義の味方に憧れた

 悲鳴から必死に耳を塞いだ。それでも耳から離れない声がある。瞼を必死に閉じていた。それでも網膜から離れてくれない光景がある。鼻口を塞いでいても鼻腔に焼き付いた匂いがあり、そうして生き残ってしまった体には染みついたどれだけ望もうが消せない罪が刻まれていて、だからこそ心の底にはどうあがいても消えてくれない罪悪感が常にあった。××士郎が××士郎として死に、そうして衛宮士郎となるその間、自分は許されざる罪を多く犯してしまった。一人の命を救うため、十人の命を蔑ろにしてしまった。それでも――

 衛宮士郎は、幸せになりたかった。

 ――だから、憧れた

 多くの命を踏みつけにして生き残ってしまった自分には、多くの命を救う義務があるのだと思った。

 ――だから、正義の味方に憧れた。

 一人の人間を見捨てた罪がどれだけの重さであるかはわからない。十人の人間を踏みつけにして生き残った罰をどう贖えばいいのかはわからない。けれど、百人の人間を助け、千人の人間を助け、やがて世界中の人々を助けられるようになれば、自分が背負ってしまった罪も消えてくれるのではないかと、子供心に期待した。

 ――だから、万人にとっての正義の味方に憧れた

 だから衛宮士郎は誰にも認められる正義の味方になろうと思った。正義の味方となり、多くの人を救い、多くの人を幸せにすれば、自分もやがて彼/切嗣/正義の味方のような幸福な顔を浮かべられるようになるだろうと、信じた。

 ――だから、万人にとっての正義の味方になろうと思った

 その思いを確かなものとさせたのは、衛宮切嗣という、衛宮士郎にとっての正義の味方との別離の時だった。まだ夜も薄明の時いまだ遠いころ、衛宮切嗣という正義の味方は正義の味方という存在について語ってくれた。かつて誰をも救える正義の味方を目指していた衛宮切嗣は、それ故に万人にとっての正義の味方などというものが空想の中にしか存在しえないことを理解しつくしていた。だから衛宮切嗣は、衛宮士郎を諭そうとして――、しかし失敗した。

 ――だから、万人にとっての正義の味方になろうと思った

 衛宮士郎は、衛宮切嗣という男が誰をも助ける正義の味方であると心の底から信じていた。衛宮士郎は、盲目的なまでに、衛宮切嗣という男を愛していた。衛宮士郎という少年は、衛宮切嗣がそんなものはこの世にないんだよと苦笑するその様子がたまらなく嫌いだった。だって、衛宮士郎という少年にとって、目の前にいる衛宮切嗣こそが、誰をも助ける正義の味方がこの世に存在するという証明なのだから。

 ――だから、万人にとっての正義の味方になろうと思った

 そうしてなれなかったと自嘲する切嗣の横顔が嫌いだった。そうしてなれなかったと自嘲する切嗣の声色が嫌いだった。そうしてそんなものこの世に存在しないのだというその言葉が、心底気に食わなかった。だから衛宮士郎は――

 ――だから、衛宮士郎は衛宮切嗣になろうと思ったんだ

 ほかでもない切嗣のために、切嗣が理想とする正義の味方になろうと思ったのだ。それはまさに、衛宮士郎という少年が、衛宮切嗣という男の思いを呪いとして受け継いでしまった瞬間だった。決意を露わにすると宵の頃はさらに深まりだす。そしてその夜、衛宮切嗣という男は逝去した。衛宮士郎という存在はそうして、正義の味方を失った。月は未だ天頂にすら到達しておらず、薄明の訪れるときはいまだ遠かった。

 幼い少年も十年もたてば立派な青年となる。そうして衛宮士郎は、小さなころの身長が何だったのかと思うくらい立派に成長した。背は伸びて知り合いの誰よりも高くなった。鍛え上げた肉体は昔より多くのモノを持てるようになったし、誰かを窮地から助けるための技術だって多くを身につけた。我が身に宿っていた投影魔術なんていう特殊な技術も使いこなせるようになり、どんなところにだって自分の足で、自分の意思で行けるようになった。

 少年は成長した。衛宮士郎という少年は、もはや大人と言っていい体躯をしていた。そして多くの力を身に着けた大人になった衛宮士郎は、多くの人が困っているだろう場所を渡り歩き、そして起こる争いの中で多くの人を窮地から拾い上げ――、

 気が付けば、不幸の真っただ中に、自分はいた。

 ――だから、憧れた

 輝く夕焼けを見ながら、物思いにふける。両手に握っている黒白の双剣からは、自らの正義を執行した証として、どこかの誰かの血が垂れ落ちていた。返り血の染み込んだ衣服の感触が何とも気持ち悪い。沈もうとしている夕日は空を毒々しい赤色に染め上げていた。茜色に染まっている雲は、まるで今の自分の不肖を責めたてているかのようだった。

 ――だから、憧れた

 沈みゆく空の下では、徐々に光が失せ始めている。夜はもうすぐそこまで迫っていた。身を隠すにはちょうど良いか、などと思った自分がなんとも恨めしかった。切り捨てたのは誰かを浚い、犯し、金品を巻き上げてから殺すことを生業としている下種だ。自分はそうしてそんな下種にさらわれる直前、娘を助けた。切り捨てた下種の名前はもう覚えていなかった。けれど、そうして助けた誰かはおびえた視線と悲鳴だけを残して、この場から逃げ去ってしまった。無理もないことだとはわかる。だがそうして誰かを助けるために、誰かを殺す、そんな不等価すぎる交換を強制的に下種に強いた挙句、助けた誰かに嫌われてしまった自分がなんとも馬鹿らしかった。そうして助けた誰かから怯えた視線を向けられるのが、なんとも悲しかった。

――だから、憧れた

 そうしていつしか切嗣の言ったことはたしかな真実だったのだと悟った。世の中は地獄で、正義の味方は空想の中にしか存在しえないのだ。貧富の格差。生まれの違い。才能の有無。――人間の醜さ。それらの全てが、誰にとってもの正義の味方というものがこの世に存在することを拒絶していた

 ――だから、空想の存在(/正義の味方)に憧れた

 夜の帳が落ちていく様を眺めながら投影した剣を破棄した。少し遅れて、ばしゃり、と、音がした。剣を濡らしていた血液の塊を大地が受け止めたのだ。飛び散った血液が足元に広がってゆく。そうして与えられた水分を喜んで受け入れた。地面に消えゆく液体の行方を眺めながら物思いにふけり続ける。太陽はやがて沈み、月が柔らかな光で地を照らし始めていっていた。

 世界は広くて自分はどこまでも愚かだった。そんな愚かな自分よりもさらに愚かしい人間が、世界にはいくらでも蔓延していた。世界中のどこに行っても、自らの幸福のためならば他人を蹴散らしてでもそれを手に入れようとする人間が多いことに、心から失望した。人間は愚かで、どこまでも救えない存在だった。もしそのようなどうしようもない存在を救おうと思ったのならば、それこそ今の自分とは比べ物にならないだけの、英雄と呼ばれる彼らのような力が必要だろうことは明らかだった。

 ――だから、英雄という幻想に憧れた

 英雄。自らの正義のため、あるいは多くの人を救うために、いくばくかの敵となった人々を切り捨てて、語り継がれるまでに至った、そんな存在。彼らは決して正義の味方などではない。ある民族の英雄が、ある民族においては悪魔と呼ばれいることなんてざらにある。彼らは自らが執行すべき正義を峻別したがゆえに、その正義の在り方と合致する誰かたちによって、英雄と呼ばれているのだ。

 彼らは決して善人ばかりというわけではない。彼らの多くは殺人者だ。彼らの多くは、別の正義を持つ誰かを多く殺してきたがゆえに、誰かが持つその別の正義を疎んでいた存在から英雄と呼ばれるようになったに過ぎない存在だ。

 そうとも、彼らは自らを救うため、救うべき正義を選んだものたちだ。それ故に彼らは、万人を救う正義の味方とは呼べないものであるが――、少なくとも、彼らの掲げるそんな正義が、今の自分などよりも多くの人を救い、多くの人を幸福にし、多くの人に慕われているのは明らかだった。

 ――だから、英雄という正義の味方の在り方に憧れた

 そうとも。彼らは今、少なくともこうして誰からも疎まれている自分とは別の領域にいる存在で、自分などよりも目指した正義の味方に近しい存在であることは間違いない。だから、それを目指してみるのも悪くないのではないかと考えた。

 ――だから、英雄という存在に憧れた

 思惟から戻ると、すでに夜はとっぷりと更けていた。服に染み込んだ血液はもう乾いている。地面に落ちた血の跡は、すでに風の中に消え去ってしまっていた。遮るもののない砂漠の夜の空には満天の星空が広がっている。綺羅星はまるで世界中に散らばっている英雄のようだった。

 ――だから、英雄になろうと思ったんだ

 空には月あかりを隠すほどの星光に満ちている。太陽に光が地平線より現れるその時は、まだ遠かった。

 英霊となってからの日々は地獄だった。瞼を閉じる間もない日々を、瞼を閉じる必要もなくなった体で駆け抜ける。英霊の座。世界で英雄と呼ばれる活躍をしたもの、あるいは、その力があると世界から認められ、契約を交わしたものの魂が保管されている、人類の滅びを防ぐ最前線の防衛機構。――地獄のありか。

 ――だから、憧れた

 その場所では、記憶も思いも、あっという間に時の流れの中に流れて失せてゆく。光は陰影を織りなす間もなく記憶の中より消え失せてゆくし、音だって心を揺らすよりも前に目の中から失せてゆくのだ。そんな、外界に流れる時の流れから完全に隔離された、外界の影響を全く受けない場所こそが、英霊の座と呼ばれる煉獄である。

 ――だから、憧れた

 英霊を目指していた衛宮士郎は、その果てに世界と契約して、見事英雄と呼ばれるに等しい力を手に入れた。その力を振るって、それまで自分が助けてきたよりも多くの人を助けることに成功し、しかしその果て、切り捨ててきた少しの人とかかわる多くの存在から恨まれ――、結果、助けた人数なんかよりもはるかに多くの人間の悪意を浴びて、その果てに処刑された。

 ――だから、憧れた

 どうせ正義の味方になれないと悟った現世のことだ。衛宮士郎という男にとって、自分が番人にとっての正義の味方になれない場所のことなど、考えるべきことでもない些末なことである。故に衛宮士郎は、そのことをまるきりどうとも思っていなかった。むしろ、衛宮士郎という存在は、英霊の座に行くことが出来ると喜んだくらいである。

 ――だから、憧れた

 だが、現実というものはどこまでも衛宮士郎という存在に厳しかった。英雄。多くの人を救った、そしてこれからもその伝承で多くの希望となり、多くの人を救ってゆくだろう、そんな存在。衛宮士郎という存在は、確かにそこへと到達した。自分は間違いなくその場所に到達した。自分は間違いなく現世の裏側にある空想に過ぎなかった場所へと到達したはずなのだ。

 ――だから、憧れた

 だが、焦がれてやってきたはずのそんな場所は、目指した正義の味方というものからは遠くかけ離れている場所だった。人類と呼ばれる存在のため、一部の人間を人類のカテゴリーから切り離す。多数の強者のために、少数の弱者を殺す。弱肉強食と等価交換をどこまでも冷酷に推し進めるためのそんな機構こそが霊長の抑止力と呼ばれる世界にとっての正義の在り方であり、そしてそんな世界の正義を実行するための力を保管する場所こそが、衛宮士郎という誰にとってもの正義の味方というものを目指した男がたどり着いた到達地点だった。

 ――だから、憧れた

 召喚されるたび、目の前には地獄が広がっている。あの灼熱の地獄に等しい光景があった。あの灼熱の地獄に劣る地獄があった。あの灼熱の地獄に勝る地獄があった。そして召喚された衛宮士郎は、そこにいる自分以外の全てを殺しつくし、あの灼熱の地獄の状況をただひたすらに再現させられる。

 助けを求める声があった。命を懇願する声があった。救いを求める声があった。だが衛宮士郎という男は――、それらの全てを、自らの身に宿った力をもって、鏖殺した。剣の荒野に残るのは常に一人、変わらず衛宮士郎という存在だけである。そう実感するたび、心の奥底より怨嗟の声が我が身を焦がす炎と共に蘇ってきた。

 ――だから、死に憧れた

 ただ一人生き残っているという事実がこんなにも恐ろしい。ただ一人、剣の荒野で裡より這い出てくる怨嗟に焼かれることは、こんなにも息苦しい。罪悪感で押しつぶされそうになるたび、心に蓋をした。瞼を閉じ、耳を塞ぎ、訪れる恐怖から必死で目をそらし続けた。抗いが功を奏したのか、あるいは衛宮士郎という男がその好意に対して慣れたのか、やがてどれだけ惨殺を執行しようと衛宮士郎の心は何も感じないようになる。

 迷いがなくなれば、その分、その作業を終わりへと導く時間も少なくなる。人類を滅びに導く事態が起きるのは、大抵深夜だった。多分それは、滅びの原因となっている存在達の一応は存在する過小な良心がなせる業なのか、あるいは、滅びが起きる要因としてよく利用される魔術というものを用いるには夜や郊外という環境の方が都合がいいことと関係しているのだろう。そうして自分が呼び出されるのは、ネオンの光にあふれた夜の都心部ではなく、星明りに満ちた夜空の郊外であることが多かった。今の自分はもはや服に汚れを作る間もなく、滅びの阻止を実行することが出来る。だからそうして空いたわずかな時間を使って、自分が未来に万人にとっての正義の味方という存在を目指すことが出来なくなった原因を、必死になって考えようとした。

――だから、過去に憧れた。

 もはやこの身に未来は望めない。故に必要なのは、計画ではなく、調査だと思った。探るべく要因は過去に必ず隠れているはずだ。そうして思い返した時、いつでも初めに思い出させれるのは、過去、衛宮切嗣の忠告を無視して、万人にとっての正義の味方などになろうと決心したあの夜のことだった。

 ――だから、死に憧れた

 あの月夜の縁側、正義の味方などこの世に存在しないといった男は、しかしとても幸せそうな顔を浮かべ、この世から消え失せた。もはや自分は正義の味方になることなどできないのだといった男は、しかし何とも幸せそうな笑顔と共に、この世から去っていった。今の自分が彼のような笑顔を浮かべるためにはいったいどうすればいいのだろうか。

 ――だから、正義の味方を否定することに憧れた

 考えると結論はすぐに出た。彼はきっと、正義の味方などこの世にいないという結論を受け入れたからこそ、そうして間違いを正せたからこそ、あれだけ満足した顔を浮かべて死にゆくことが出来たのだ。

 

 ――だから、正義の味方を死なせてやろうと思ったんだ

 思い至った瞬間、結論は出た。皮肉なことだが、今この場所においては、人類を滅びの手から守っている衛宮士郎という男こそが、もっとも正義の味方らしいといえるだろう。ならば、それを否定/殺してやることこそが、衛宮士郎という男が正義の味方になるため、最も近しい手段なのだろう。だが、時間の流れから永遠に至ってしまったこの身は、もはや何があろうと死という終わりを望めない。だからせめて――、過去の永遠となる前の自分を殺してやろうと思ったのだ。

 結論を出し終えると、体が世界から消えてゆく。最後に見た光景は、雲が一面に広がり、星一つ見えなくなった灰色の夜空だった。

 そしてやってきた過去において、決着はついた。衛宮士郎という男は、過去の衛宮士郎に敗北した。未来の衛宮士郎は、自らが犯してきた過ちに気付かされたのだ。未来の衛宮士郎は、絶望から目を背けていただけだった。未来の衛宮士郎は、辛い現実から目を背けているだけだった。未来の衛宮士郎は、未熟な正義の味方として完成してしまっている自分に失望しているだけだった。とどのつまり未来の衛宮士郎は、あの灼熱の地獄でそうだったように、生に満ちた未来を渇望して、手を伸ばしていただけだった。

 ――だから、憧れた

 過去の衛宮士郎は未熟で未完成であるぶん、未来の可能性というものを信じていた。それが泣きたくなるくらいに羨ましかった。過ちに気付くことが出来たとはいえ、もはやこの身に変化の余地はない。世界という人外の手によってはめられた永遠という枷の首輪は、不変という名前の呪いとなってこの身を蝕んでいる。

 ――だから、憧れた

 だからせめて。過去の自分に希望を託そうと思った。過去の自分。未熟で、頑固で、応用が利かず、いつだって馬鹿正直に目の前の道を邁進するしか方法を知らぬ愚か者がやがて自分と同じ道に足を踏み入れてしまわぬよう、重石をつけてやろうと考えた。

 ――だから、憧れた

 重石の名前は遠坂凜。物好きなことに過去の衛宮士郎に懸想している女性で、過去の衛宮士郎なんかより見た目もよく、ずっと賢くて、ずっと世の中のことを知っている、でも少しばかりうっかりしたところのある女の子。彼女は強く、そして弱い女の子だ。彼女は夜に一人で過ごすことの恐ろしさを熟知しており、しかし果たすべき目的のためならば、そんな自らの迷いと臆病を踏みつけてでもそれを達成しようとする、そんな女性だった。

 ――だから、憧れた

 遠坂凜という、か弱い少女が衛宮士郎の伴侶である限り、正義の味方を目指す衛宮士郎はそんな彼女のか弱さを見過ごせない。だって過去の衛宮士郎が万人にとっての正義の味方というものを目指す限り、遠坂凜という少女だってその範疇に収まってくる。だから、遠坂凜という未来の衛宮士郎の結末を知っている彼女が過去の衛宮士郎の傍らにしがみついている限り、衛宮士郎という愚者は、しかし絶対にこの領域に到達しない。過去の衛宮士郎という男は、本当に恵まれている。若かりし頃から自らの生涯において比翼の鳥を手に入れられたという幸福を実感するのは、さて、いつのことだろうか……?

 ――だから、未来の衛宮士郎は、過去の衛宮士郎のことが心底羨ましかった

 想いを現実に向ければ、目の前には今にも泣きそうな凛の顔がある。やるべきことはやり、伝えることは伝えた。ただ一つ、この、正直に伝えれば恥ずかしい思いだけは別として、もうこの世に未練などない。だが、ふと、この泣き顔をそのままにしてしまうと、それこそ死んでも死にきれないかもしれないという思いが、ある言葉を口から飛び出させていた。

「答えは得た。大丈夫だよ、遠坂。俺もこれから頑張っていくから」

 言葉に凜の泣き顔が笑顔へと変化してゆく。それが彼女の精いっぱいの強がりだということは、他でもない未来の衛宮士郎が理解できていた。わからいでか、目の前の彼女は、衛宮士郎という男を愛した女であり、そして衛宮士郎は、遠坂凜という女に惚れていた男なのだ。そうして向けらえれる笑顔は、地平線の彼方より現れた黎明の光の中、しかし負けないくらいにとても眩しく輝いていた。

 新たな決意を胸に秘めなおした衛宮士郎がやがて続く長き旅路の果てにたどり着いたのは、見知らぬ世界だった。太陽は空に燦燦と輝いており、滅びの光景などどこにも見当たらない。その事実にまず困惑した。霊長の抑止力は情け容赦なく救うべき存在を峻別し、衛宮士郎という掃除屋を切り捨てた端数の下へと送り込む。人類の集合無意識存在であるそれは、決して自らの手先を送り込む場所を間違えない。故に、いつだってその手先である衛宮士郎は、望まない地獄を見続けさせれてきた。

 だからこその困惑。だからこその混迷。だからこその狼狽。だからこその――、喜び。そうして世界に降り立った自分の側には、便箋があった。中身を見て、そして溢れ出てくる喜びに耐え切れなくなる。

 遠坂凜。過去の衛宮士郎。手紙によって未来の衛宮士郎たる自分は、過去の彼らにどれほど心配されていたかを知った。自分という存在が、どれだけ思われていたかを知った。自分という存在が、どれだけ愛されていたかを知った。

 

 ――だから、憧れた

 手紙には、もう枷は取り払われたのだから、好きに生きなさいと書かれていた。その言葉に胸が熱くなる。焦がれ、切望し、しかし手に入らないと諦め、やがては過去の自分を殺してしまいたいと思うほどになるまで追い詰められ、しかし結局は手に入らなかったたそれが、今、目の前に用意されていた。

 ――だから、憧れた

 涙で視界がぼやけていた。言葉なんて出てこなかった。自分のために体を差し出してくれた存在に感謝した。自分という存在のために、それまで培ってきたすべてを投げ出した彼らに出来ることなど、それ以外にないと思った。恥もなく、外聞もなく、ただひたすらに泣き晴らした。とめどなく溢れ出てくる滂沱の涙を止めるすべなど知りもしなかった。止めようとも思わなかった。

 ――だから、正義の味方/遠坂凜/過去の衛宮士郎に憧れた

 彼らは自分にとって、正義の味方に違いなかった。たった数枚の手紙で、これまでの自分の心の中をこうまで幸福で満たしてくれる存在を、未来の衛宮士郎という男は知らなかったから。

 ――だから衛宮士郎は、もう一度、正義の味方になる決心をした

 泣き晴らした後、濡れた瞳で見上げた空は高かった。蒼穹はどこまでも広く続いていて、世界は果てしなく広がっているようだった。抜けるような青空の下、地面を柔らかく照り付ける太陽を見て、誓う。

 私は必ず正義の味方になって見せるのだ、と。

 誓いは自然に溶けてゆく。目の前に広がる世界は駘蕩の心地よさを以って、私の宣誓を許容した。

 そうして訪れた世界は優しかった。誰もが誰かのために何かをすることが自然である世界。誰もが小さな正義の味方であるような世界は、万人にとっての正義の味方を目指す自分にとって、ひどく心地の良い場所だった。

 ――だから、憧れた

 初めて訪ねた町で、多くの人の優しさに触れてきた。腹が減っているだろうと食べ物を差し出された。初めて来る町ならば迷ってはいけないと、案内をしてくれる兵士がいた。どこの誰とも知れない初対面の相手を、しかし、すぐさま信用する男がいた。そんな彼れのような人間たちが集合して作られている町には、何とも言えない不思議な柔らかい空気が流れていた。

 この町は優しい街だった。町に住む住人は、誰もが彼らには幸福になって欲しいとそう素直に思える人ばかりだった。かつての残酷さばかりが支配していた世界と比べると、この世界はまるで理想郷のようだった。

 ――だから、憧れた

 だが今、そんな彼らが住まうこの町において、とある病が流行りだしているという。その病は一度罹患したが最後、すぐさま死に至ってしまうような、いわゆる死病だった。死病。誰かを殺すためだけに存在している病気。そんなもの、この世にあってはならないと思った。

 ――だから私は、冒険者/正義の味方になる決意をした

 聞けばその病気の原因は、近くにある迷宮と呼ばれる場所にあるという。だからこそ私は、優しい彼らを死病から守るため、その迷宮に潜る決意をした。かつての時代より天に近いこの場所では、数多の星が燦然と誇らしげに己を主張している。その中にあって一際目立ち、大きく輝く月は、かつて正義の味方になると誓ったあの夜のように、優しく儚げな光を放っていた。

 やがて世界が崩壊の危機に瀕した時、目の前に現れたその存在に絶句した。言峰綺礼。悪の味方を標榜する破戒神父にして、かつての時代、こことは別の世界において、私がこの手で殺したはずの、そんな存在。

 衛宮士郎が正義の味方を目指す存在であるならば、言峰綺礼は悪の味方として完成している存在であるといえるだろう。他人が悪と定める行為や、そこから生まれる感情を何よりの喜びとする男は、なるほど、悪の味方というに相応しいありさまだ。奴はそうして、自分はすでに完成している幸福な存在であるとして、自らにとっての幸福を追求しようとし続ける男だった。

 ――だから、憧れた。

 その男は他者が自らの正義と悪との戸惑いに苦悩する様を好んでいた。その男はそうして、誰かが望んだものが手に入らない状態と嘆くさまを好んでいた。その男はそうして、誰かの手から幸福がすり抜けていってしまったときにその誰かが見せる苦しみに歪んだ顔を、何よりも好んでいた。男はそんな悪意を何より好んでいた。男はそのような醜態を人間の在り方を、おそらくはこの世界の誰よりも愛していた。

 ――だから憧れた

 男は誰よりも人間を愛していた。その人間が醜悪であればあるほど、その人間が解決不可能な問題を抱えて苦悩しているほど、その人間は男に福音をもたらした。人間だれしも一つくらいは隠しておきたい、醜い秘密があるものだ。だから男にとって人間とは、子供から老人、男から女に至るまで、すべからく愛してしかるべき対象だった。男は正義の味方を目指して人間の醜さに絶望した衛宮士郎とは異なり、心の底から、そんな己の幸福のために誰かを傷つけずにはいられない人間の愚かなその在り方を愛していた。

 ――だから憧れた

 そしてまた、男は衛宮切嗣という男の知り合いだった。男はその他社の抱えている秘密を見抜く観察眼故に、衛宮切嗣という男が抱えていた歪みと、それをそのまま受け継いだかのような衛宮士郎という男の歪みを見抜いていた。衛宮切嗣と衛宮士郎という親子は、言峰綺礼という男にとって唾棄すべき存在だった。だってその二人は自分たち以外の何物をも愛していないのだ。世界はすでに己の中で完結している。故に二人は、外の世界に愛を求めない。言峰綺礼という人間からしてみれば、自分以外の他者を拒むような衛宮切嗣と衛宮士郎は、あまりにも自分勝手な存在と見えたに違いない。だって二人は己と己に近しいもの正義を持つ者以外を愛さない。それはつまり、二人は彼らに近しい存在以外を人間扱いしていないということに他ならない。二人の世界では、二人に属するもの以外は、単なる有象無象なのである。きっとその態度は、この世界の誰をも愛している言峰綺礼という男にとって、非常に不愉快な出来事であったに違いない。

 ――だから、言峰綺礼は、衛宮切嗣を殺す決心をした

 その片割れたる衛宮切嗣はすでに死している。だが、目の前にいる衛宮士郎の中には、そんな他人を当たり前のように見下してやまない男の魂が存在している。言峰綺礼は、持ち前の鋭い観察眼で、それを見抜いたのだ。そして奴は、衛宮士郎という男の歪みが、そこにあることに気が付いた。衛宮切嗣という男の呪いが、衛宮士郎という男を蝕んでいる。そう気づいた言峰綺礼という男は、だからこそ、自らの全霊を用いて、その悪霊を払う決意をした。そうして太陽も月も消え失せた闇の中、衛宮士郎という存在は、言峰綺礼という男によって、長年衛宮士郎を苦しめてきた呪いから、完全に解き放たれることに成功したのだ。

 やがて訪れた長き旅路の果て、過去の呪縛より解き放たれた衛宮士郎という男は、初めて自らの意思で大地を歩き始めた。そうして信念の刃を柔らかなものとして他者の許容を決意すると、この世という場所はあまりに弱いものに満ちていたのだと気が付ける。その時足りない足りないと嘆いてばかりだった衛宮士郎は、しかし初めて自らという存在が他者からすればどれほど強靭な存在であったかを思い知ることとなる。

 ――だから、憧れを向けられた

 その手に信念の刃を握れるものはごく僅かで、そんな信念の刃で日常の平穏を切り捨てられる存在はもっと少なかった。我が身から日常という要素を切り捨てるのは苦痛なのだと初めて知った。普通という世界に生きる人々は、自分からすればどうでもよいような悩みにあえいでいる人ばかりだった。

 ――だから、憧れを向けられた

 だからこそそんな悩みを平然と切り捨てられる自分は、相当他人に影響を与えてしまう人物であったらしい。他人からしてみれば、衛宮士郎はまるで、彼にとっての衛宮切嗣の如き存在であったらしきことを、衛宮士郎はそして心底思い知った。

 ――だから、憧れを向けられた

 そして衛宮士郎は、なるほど彼らは、衛宮切嗣を得られなかった衛宮士郎であり、あるいは衛宮切嗣を失った衛宮士郎なのだと理解する。長き旅路の果て、衛宮士郎という男はようやく、誰かを救いをもたらせる存在になったのだ。

 ――だから、誰かを救えた

 

 衛宮士郎という男がそのことを自覚したのは、彼がシンとヘイという男から、無条件の信頼を向けられたその時だった。彼らがそして差し出してくる無条件の信頼によって、衛宮士郎という男は、初めて自らがすでになりたかったものに――、目指していた正義の味方(/衛宮切嗣)になれていたのだということを理解させられた。

 

 ――だから俺は、正義の味方になれたんだ

 地獄の中から桜という少女を救ってみせた衛宮士郎は、その時、地獄の中から衛宮士郎を救い出した衛宮切嗣(/正義の味方)となった。そして二人から無条件の信頼を向けられた衛宮士郎は、あの時、武家屋敷の縁側で正義の味方であることを自覚した、衛宮切嗣(/正義の味方)になれたのだ。

 ――初めにあったのは罪悪感だった

 後悔があった。心を焦がす苦しさがあり、身を貫かれるような痛みがあり、過去を嘆く後悔があった。未来を憂いた悩みがあり、現実を憎んだ思いがあり、救われた思いへの感謝があった。そうして迷い、間違い、しかし足を折ることなく歩き続けた衛宮士郎という男の執念は、ここに完全に報われた。

 

 ――でも、今はもう、胸には満足感ばかりが広がっている

 

 だから――

 ――あとは、その先に、進んで……

 もはや道は見えている。頂はすぐそこだ。登り終えてしまえば、その先には転げ落ちるだけの運命が待ち受けているだろうことは重々承知している。だがそれでも――

 ――万人にとっての正義の味方となるだけだ

 衛宮士郎という男は、かつて抱いたその夢を叶えたい。もはや偽物などとは呼ばせない。それを完全に私のモノとするため――、たとえその先にあるのがこの身の破滅であろうと、私は正義の味方であるという誇りを胸に、その困難と苦痛の道を踏破して見せよう。

 ――だから

 私は行く。

 

 衛宮士郎(/私)は必ず、万人にとっての正義の味方味方になるという夢を、叶えて見せるとも。

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