Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜   作:うさヘル

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エピローグ1 長い戦いの終わりに

自分の居場所が世界にない、とそう感じたのは、あの白い小部屋が最初だった。突然目に飛び込んできたその光が白という色だということを、自分は後から医者に聞いてはじめて知った。だってそのとき、自分にとって世界とは、全てが赤に染まっているものだった。他にある色といえば、黒と茶色と灰色くらいで――――――、そのときはじめて目も眩むような光というものの存在を、自分は始めて知ることができたんだ。

 

 

太陽の光に満ちていた見渡せばその白く清潔な部屋の中には、自分と同じ様に包帯を腕や頭に巻いている姿をした奴らばかりがベッドの上に半身だけ起こして寝そべっていた。はじめのうちは人が入れ替わり立ち替わりやってきて、独特の異臭が部屋の中に充満していた。いくつかのベッドと、ベッドの数と同じだけいる子供が、その部屋にある全てで、それ以外に何もかもが部屋の中には存在していなかった。やがて窓の外を眺めて、始めてそこに広がっている色が青という色であることを知った。その時の自分にとってはやっぱりその色も見覚えがなくて、どこか気持ちを落ち着かなくさせる色だったことを覚えている。

 

 

ガランとした部屋の中には同じくらいの年頃の多くの子供達がいて、見た目多少怪我の具合が悪そうな奴もいたけれど、喋れなかったり動けなかったりってほど怪我をしている奴は一人もいないかった。テレビも何もない雑居部屋の中、そんな退屈な環境に普通の子供が身を置かれたのなら、多少体に不都合があろうとも暇を持て余して会話くらいはする様になるのが自然だが、部屋の中はいっつも静かだったことを覚えている。

 

 

そう。部屋の中いつも静かだった。見舞いに来る訪問者なんていうものは、一人たりとしていなかった。時折部屋の中にやってくる医者や看護の人だけがいつだって部屋の中で一番忙しく動いていた。

 

 

みんな、それ以外の時は、ただひたすらに宙を見つめていた。時折、布ずれの音がする以外、部屋の中にあるのは、部屋の外から聞こえてくる音だけだった。誰一人として喋ろうとする奴はいなかった。誰一人として自分から積極的に動こうとする奴はいなかった。みんな、医者が来る時以外は寝そべっていた。半身を起こしている奴は、診察とか着替えとかでそうさせられた奴らばかりだった。そこはとても白くて、清潔で、本当に静かな場所だった。部屋の中は静寂に満ちていて、全員がまるで死人の様だった。

 

 

白、という色に囲まれた部屋はその時の自分にとって、とても異様な空間だった。少なくとも、自分には違和感でしかない色だと思っていた。だってそれは、自分の世界になかった色なのだ。だって自分の記憶の中にある世界の色は、赤と黒と茶色と灰色ばかりで――――――、だから、白い部屋の中っていうのはその時の自分にとって、異世界である様なものだった。逃げる様にして窓の外を眺めると、部屋の中から拝める外の色は青という色ばかりだった。世界には自分にとって違和感のある色ばかりが溢れている。部屋の中にも外にも、自分の周りにも、違和感あるものに満ちている。それが酷く気持ち悪かった。

 

 

その時不意に、自分の居場所は世界のどこにも存在しないのだと実感した。どこかの誰かも知らない人から君の両親は死んだのだと聞かされた時よりも心が冷えていくのを味わった。多分、その時、自分は初めて、この世で一人ぼっちになってしまったのだということを悟ったのだ。

 

 

そして、衛宮士郎という存在はその時を境に、虚空を見つめている彼らの気持ちがわかる様になったのだ。あれは適応だ。自分を含めた彼らは、自分を拒む様な異世界という場所に適応するため、その心を殺したのだ。

 

 

部屋の中にいる誰もが生気というものを失っていた。何かをしようなんて気力があるやつなんて、一人たりとして存在していなかった。時折思い出したかの様に目をしぱたたかせるくらいがせいぜいだった。積極的になにかをやろうとする奴なんて、ただの一人もいなかった。

 

 

だってその時、自分たちにはもう他に何も残っていなかった。あの業火に自分たちの全てを奪われてしまったのだ。もう自分たちには何も残っていない。家族はあの火災で失ってしまった。おもちゃを持って見舞いに来てくれるような仲の良い親族も、わざわざ訪ねてきてくれるような親しい友達もいなかった。あるいは失ってしまった。部屋の中にあるものだけが、自分たちに残されたものだった。つまりはその時、身一つのみが、今や自分たちの財産であり、世界の全てだった。

 

 

白い部屋――――――病室に集められたのはそんな事情を持つ子供達ばかりだった。それは当時、大火災によって駆け回っていた冬木の市長が事後対応に追われた結果、生まれた環境だった。部屋の中は静寂に満ちていた。部屋の中には行き場を失った死人だけが詰め込まれていた。部屋の中と外は隔絶された空間だった。外の世界から弾き出されてしまった子供達だけが、その部屋の中に詰め込まれてしまったのだ。

 

 

部屋の外では色落ちた葉っぱが風に舞っている。風が吹くたびに葉っぱは宙を行き来する。色を失い茶色くなったそれは、居心地悪そうに世界の中を彷徨っていた。まるで自分たちのようだと思った。色褪せたその茶色の物体を可哀想だと思った。葉っぱはまさしく今の自分の姿を表しているようで、心の底からその葉っぱに同情した。

 

 

もう自分の居場所はどこにもない。自分たちはあとは世間の風吹くままに何処かへと追いやられていく存在なのだということを、子供心に理解していた。自分たちは頭ではなく、心でそれを理解してしまっていた。だから動けない。この一畳あるかないかくらいのちっぽけなベッドの上だけが自分の領域であり、同時に自分たちを守る檻でもあった。そして、それすらもいつかは自分たちから取り上げられてしまうものだということを、自分たちは大人たちの態度と言動からなんとなく理解してしまっていた。きっと不要となった自分たちは、世界のどこかの片隅に打ち捨てられてしまうのだろうと、そんなことばかり考えていた。そうして考えて、考えて、何か別のことを考えようとして―――――― 、でもやがてやっぱり思考はそこへと戻ってきてしまっていた。

 

 

自分の居場所はもう、世界の何処にも残されていない。

 

 

いらなくなったゴミは、ゴミ箱に入れるのが正しいのだ。悲しいとは思わなかった。だってもう、そう思える理由がない。ただ、それなら早く終わらせてくれ、と思ったことはあった。違和感しか感じない色ばかりが目に入ってくる部屋の中、自分の無力とただ無為に時の流れに身を任せているしかないというのは、本当に辛かったから。だから、そんな辛さしかない世界からの解放を、いつだって心から願っていた。

 

 

「こんにちは。君が士郎くんだね」

 

 

そんな時、そいつはやってきた。ボサボサの頭に、ヨレヨレのトレンチコート。ヒゲは不精に伸び放題で、白い日差しの中に溶け込んでいるそいつは、いかにも胡散臭かった。けど同時に、そのしゃがれた声を聞いて、纏っているタバコの匂いを嗅いで、ひどく気持ちが落ち着いた。だってその声は、その時の俺の中で、一番違和感を感じない声だったから。だってその臭いは、その時の俺にとって、一番違和感のない匂いだったから。

 

 

「率直に訊くけど。孤児院に預けられるのと、初めて会ったおじさんに引き取られるのと、君はどっちがいいかな」

 

 

そうして光の中から出てきたそいつを見て、俺はさらに気持ちを揺さぶられた。ボサボサの黒頭に、ヨレヨレの茶色いトレンチコート。手にしたボストンバックは薄汚れた茶色をしており、かつて白かったのだろうシャツは汚れで灰色のように見えていた。そいつはこの白と青ばかりに満ちた世界の中で、唯一、俺の知る色をたくさん身に纏っていたからだ。だからだろう俺は、特に考えもせずに、その提案を受け入れた。

 

 

「そうか、よかった。なら早く身支度をすませよう。新しい家に、一日でも早く馴れなくちゃいけないからね」

 

 

そう言ってはしゃぐそいつは、医者だのボランティアだのが暇つぶしにと持ってきた本だのおもちゃだの服だの着替えだのを片付け始めた。緑だの青だのピンクだの白だのの色が、茶色いボストンバッグに消えていくさまは、なんとも小気味が良かった。そうして苦心しながら手際悪くもなんとか手持ちの小さなボストンバッグに荷物全てを入れ込んだ男は、部屋の外へと出る直前、思い出したかの様に天井を指差した。

 

「おっと、大切なことを言い忘れていた。うちに来る前に、ひとつだけ教えなくちゃいけないことがある。――――――いいかな?」

 

そしてそいつは俺が肯定するよりも早くに振り向くと、本気の仰々しい態度で、こう言った。

 

「うん。初めに言っておくとね、僕は魔法使いなんだ」

 

そして××士郎は、やってきた衛宮切嗣によってファミリーネームを与えられ、衛宮士郎となる。それこそが、この世界より居場所を失っていた××士郎が、世界に居場所を取り戻した瞬間だった。

 

 

居場所を衛宮切嗣という男によって与えられた衛宮士郎という存在が次に居場所を失ったと感じたのは、やはりというか、衛宮切嗣という男を失った後のことだった。

 

 

衛宮切嗣が死んでからというもの、衛宮士郎の生活が落ち着くまでのあいだ、様々な面倒の多く――――――つまり、葬式から墓の手配、引き継ぎ作業や後継人の云々は、この武家屋敷の元々の持ち主である雷画という存在が世話を焼いてくれたおかげで、大した問題にならなかった。ただ、そうして衛宮切嗣があの世へと旅立ったおり、衛宮切嗣という男に惚れていた衛宮士郎の姉分、藤村大河が抜け殻の様になっていて、一切衛宮邸へとやってこないそんな時期があった。衛宮士郎という男が再び世界に居場所を失ったと感じたのはそんな時のことだった。

 

 

家に位牌も仏壇も置いて、相続の手続きも遺産のあれこれも全部済ませたそんなある日、玄関の扉をあけて家の中に入ると違和感を覚えた。その感覚がよくわからないままに、ただいま、と言った。家の中からは当然のように誰の声も返ってこなかった。

 

 

切嗣はよく仕事と言って外国に足を運んでいた。だから家に帰ってきた時、家の中から音が聞こえないのは別段珍しいことじゃないはずだった。ただいまといっておかえりの声が返ってくることなんてまずなかった。居間に向かうまでの間、自分を出迎えてくれるのは大抵、廊下の軋む音と長い廊下を風が通り抜けていく音くらいのものだった。それらは当たり前だったはずなのに、その時の自分は、どうしてか、声が返ってこないことを気にしていて、そんな音を廊下が奏でる音を耳にするたび、酷く落ち着かない気分にさせられた。

 

 

自室に行くためにあたって、切嗣が死んだ縁側が目に入った。いつもと変わらぬ姿を保っているはずのそこは、しかしその時、自分を妙に落ち着かない気分にさせる場所だった。だから足早に駆け抜けて、自室へと飛び込んだ。

 

 

ピシャリとふすまを閉めて自室と外界との接触を断つと、ため息が自然とこぼれていた。ため息は長く、細く、重苦しいものだった。どうやら気付かぬうちに、相当なにかを溜め込んでいたらしい。あるいはこの体にまとわりついてくる違和感がそうさせたのだろうか。何度も深く息を吸いこんでは、何度も長く、細い息を吐く。そんな行為を何度繰り返したかわからない。けれど、何度繰り返そうとも、胸の中の息苦しさは全然消えていってくれなかった。

 

 

最中、目を閉じ、両手を口に当てて、ため息の行き先を塞いでみた。暗闇の中、押し当てた手のひらの中で吐き出された息が循環する感触だけがあった。時折、漏れた吐息が胸元から服の中へと飛び込んでゆく感覚がなんとも心地よかった。まるで寒さに凍えているようだな、と不意に思った。暖かさが恋しいとは思ったけれど、不思議とその何もない伽藍堂の自室から出ようとは思わなかった。だってその時の自分にとって、衛宮切嗣に与えられたそこが一番落ち着く、自分だけの居場所だったから。

 

 

やがてどれくらいそうしていたのだろうか。突然、体の芯に突き刺すような寒さが訪れた。足元が指先から踵に至るまで冷たくなっている。あたたかい部分は上半身、胸元にしか残されていなかった。身を震わすと、肌と服の擦れる感覚があった。寒さと違和感から逃げるように部屋の奥へと視線を彷徨わせると、視線はすぐさま空っぽの部屋の中に新しく運び込まれた仏壇とぶつかった。迷うことなく仏壇の前に進むと、座布団を敷くこともなく、その前に座り込んだ。

 

 

『衛宮切嗣』。位牌にはそう刻まれていた。黒に茶色。透明に赤銅色。仏壇の中は、見覚えのある色で満ちていた。その時突然、切嗣がいなくなったことを自覚させられた。無音がやけに気持ち悪かった。切嗣がいた時は全然平気だった白塗りの漆喰壁が、まるで檻のように自分をその場に閉じ込めているようだった。

 

そこはまるで、あの白い部屋のようだった。檻の中を支配しているのは静寂という名の看守だけだった。違和感だけが部屋中を跋扈している。体の中にあったはずの熱が次々と失われていっていた。心が急激に冷えてゆく。救いを求めて手を伸ばすと、指先がすぐに目の前の位牌に手が当たった。

 

触れた位牌は酷く冷たかった。衛宮切嗣、と深く心に刻まれている名前の書かれたそれは、拒絶もしない代わり、肯定もしてくれなかった。かたっ、と音を立てて位牌が倒れた。まるで縁側に倒れこんだ切嗣のようだった。それを見て、衛宮切嗣はもうこの世にいないのだということを、そして衛宮士郎という存在は再びこの世から自分の居場所を失ってしまったのだということを、強く意識させられた。

 

慌てて指先を引くと、そのまま倒れこむようにして畳の上へと寝転がった。打ち付けた頭と背中に痛みが走ったが、そんなものはどうでもよかった。瞳には天井の光景が飛び込んでくる。慣れ親しんだはずのそんなものですら、今の自分には辛かった。殺風景な部屋の中、自分以外には何も存在していなかった。

 

頬が焼けたように熱い。雨音が畳から聞こえていた。自分は泣いているのだ、ということに気がついたのは、しばらくしてからのことだった。それまでの間、自分の頭の中はずっと真っ白だった。違和感しかないあの色で、ずっと満たされていた。

 

そうして見えた天井は、やっぱり違和感しかなかった。世界が自分を押し潰そうとしていた。耐え切れず目を閉じると、世界の冷たさと気持ち悪さをよりいっそう感じられるようになって、もうダメだった。

 

涙が次から次へと溢れてくる。仏壇の前、衛宮士郎という存在は、故人を偲んでではなく、自らの孤独を憐れんで、自らが孤独になってしまった恐怖に怯えて、ただひたすらに泣いていた。

 

涙を流すほどに、嗚咽をあげるたび、息をするごとに、体の中から熱が消えてゆく。体の中に入り込んでくる空気の冷たさを感じるたび、畳が擦れる感触を背中で味わうたび、違和感が自分の頭を苛んだ。その度に、衛宮士郎が安心していられる場所はもうこの世にないことを認識させられた。

 

自分という存在が現実に溺れてゆく。部屋の中は酷く息苦しかった。多分、深海の底というのはこんな感じなんだろう。伽藍堂であるはずの部屋は、自分を押し潰さんばかりの違和感で満ち溢れていた。

 

胸が苦しい。気付けば涙も枯れ果てていた。熱を失った体をその場において置くのがあまりにも辛かった。だから、体をひっくり返すと、必死になって這い蹲って部屋の中から抜け出そうとした。けれど体は重く、手は動かそうとしても思ったように動いてくれなかった。

 

世界は地獄で、自分はすでにそこの住人だった。ここはもう、自分の居場所ではなかった。部屋の空気は檻の中に収監された囚人を逃すまいと、自分の体をその場へと縫い付けてくる。ぎしぎしと体の中から聞こえてくる音がいかにも気持ち悪かった。心臓が壊れてしまったかのように早く脈打っている。肺は潰れていて、もはや呼吸をすることすらできなくなっていた。目眩がぐるぐると頭の中をかき乱して真っ白にする。違和感はすでに頂点に到達していた。それでもと言い聞かせるように、全身を使って、部屋の中を這って出口へと近づいてゆく。

 

頭が、体が、畳と触れるたび、汗と涎が畳を汚してゆく。それはまるで自分という存在の生き汚なさを表しているかのようで、なんとも滑稽だった。

 

やがて必死になっていると、脳天がふすまにぶつかった。動かない両腕の代わりに頭頂部を使って無理やり襖を開けると、それだけで少し体が軽くなった気がした。そのまま床を這い蹲って縁側に出ると、外はもう夜になっていた。違和感が少し薄れてゆく。そこでようやく、衛宮士郎という存在は、半身を起こしてやることに成功した。

 

外気のおかげで泥のように混濁していた意識が少しだけまともになる。両腕を使って無理やり立ち上がろうとすると、勢いのままにすっ転げた。顔面からではなく、肩から落ちれたのが唯一の幸いだった。じんと痛む体をそのまま縁側に横たえる。そのまま空を見上げると、空には白色に輝く月がポツンと一人浮かんでいた。

 

縁側に転がりながらそれを眺めていると、呆然と切嗣と過ごした最後の時のことを思い出した。そうだ。たしか、あの時もそうだった。雲ひとつない星屑の広がる藍色の夜空では、その中枢で白い月が、あの時と同じように静かに輝いていた。唐突にあの時聞いた言葉が蘇ってきた。

 

『ああ――――――、安心した』

 

途端、体が軽くなった。気付けば体には失われたはずの熱が戻っていた。息苦しさはもう欠片ほどもない。体を起こすと、自分はすぐに立ち上がることが出来ていた。

 

不思議だった。それはまるで魔法のようだった。違和感は完全に失せていた。自分の居場所なんてどこにでもあるという気持ちになれていた。振り返ると、襖の間から自分が這い出てきた部屋の中が見渡せる。あれほど自分を苦しめていたはずのその場所はしかし、もうすでにただの空っぽの小部屋にすぎなかった。

 

もう一度振り返り、空を見上げると、藍色の空では月が変わらず静かに輝いている。月の白は、先程視界を満たしていたしろとまるで同じ色をしていた。それ以降、自分は白を気持ち悪いと思うことはなくなった。青も、緑も、それ以外の色もそうだった。

 

それが。衛宮士郎という存在が、衛宮切嗣という存在によって救われ、この世界に再び居場所を得た時の出来事だった。

 

 

三度目は海外で飛行機にのった時のことだった。父との約束だけを胸に、ただひたすらに夢を追いかけていた頃、とある国で起きた事件を解決するにあたってやり過ぎた自分は、政府の人間たちに追いやられるようにして国外行きの飛行機へと強制的に乗せられた。乗せられた飛行機はボロで、空調までもがいかれているようだった。その日、天気は雨で、灰色の空には白い雨雲が浮かんでいた。飛行機はそして雨雲の中へと飛び込んでゆく。強い風がガタガタと機体を揺らし、ボロの飛行機を責め立てていた。

 

自分の席の周りは数十席に渡って空っぽだった。後から聞くと国外強制退去の噂が広まっていたらしく、自分の回りの席はキャンセルが続出したという話だった。

 

もちろんその時、自分はそんなこと、気付きもしなかった。そう。はじめはそんなこと、なんとも思わなかった。けれど、飛び立った飛行機の中、寒さに耐えかねて毛布をもらおうとしたとき、しかしキャビンアテンダントが聞こえないふり/職務放棄をしてまですら近寄ってこようとしないのをみて、この飛行機の中に自分の居場所は心底ないのだなと痛感させられた。

 

居心地の悪さから逃げるように座り心地の悪い冷たくて硬い座席に身を押し込めると、窓の外へと視線を送った。そうして見た窓の外は白い雲だらけで、地上も天空も拝む事が出来なかった。雨が機体を叩くそんなの音だけが煩く耳に飛び込んでくる。音はまるで、人間の陰口のようにも、戯言を喚き散らす人間の叫び声のようにも聞こえていた。

 

だからだろう、ほとんど無意識のうちに、自分は安楽の場を求めて眠りにつくことを選択した。目を閉じれば疲れていたのか、意識はすぐさま闇の中へと落ちていった。

 

だがそうして逃げ込んだ意識のなかも、けっして自分の安楽の場とはならなかった。為してきたことの罪悪感が、追い出されたと言う事実が、誰もよってこないと言う事実が、夢の中にいる自分を苛む幻想の巨人となって、自分を責め立てて来るからだ。

 

苦悩と怨嗟の声が心の中で暴れまわっている。なぜ殺した。なぜ助けなかった。なぜお前はここに来てしまったのか。

 

ジクジクとした痛みが胸を締め付ける。幻想の巨人は常に心を切開し続け、衛宮士郎という存在が安寧の中に眠ることを許さない。自己満足の結果に救えなかった命は、いつだって自分をさらに苦しめる鎖となって、両足を雁字搦めに縛ってゆく。救えなかった命は、切り捨ててきた命は、いつだって心のなかで恨みの声あげて、重ねてきた罪の贖いを求めていた。

 

白い部屋が赤に塗り潰されてゆく。馴染み深いその色は、だからこそ自分をあの灼熱の地獄へと引き戻す。だが、痛みの熱によって、自分の心は極寒の真っ只中へと叩きこまれていた。痛みは体から余さず熱を奪ってゆく。熱を失った指先から徐々に感覚が失せていっていた。

 

この熱の喪失が芯にまで至ったとき、自分は死ぬのだろうという予感があった。だが、もはや自分には何とかしようとする気力がなかった。熱は命を繋ぎ止めるだけに必死で、抗うための余力なんて残っていなかった。この先には死の安楽が待っている。それを受け入れるのも悪くないかもという思いが生まれはじめていた。

 

だってここは、こんなにも静かだ。

 

熱が失われていくにつれて、あれほど煩かった怨嗟の声も小さくなってゆく。それは月夜の誓いを思わず忘れさせてしまうほどに甘美だった。そんな誘惑に抗う気持ちが生んだのだろうか、不意に暗くなってゆく頭の中に自分のいなくなった世界のことが浮かんできた。

 

追い出された自分。掃除屋の自分。多くの人を殺してきた自分。多くの人に疎まれ、恨まれ、憎まれてきた自分がいなくなった世界は、あまりにも美しいものだった。それは思わず涙がでそうなくらい、美しい光景だった。目撃と同時に、抗う気持ちが失せていった。これが自分が切り捨ててきた彼らの復讐であるというなら、あまりにも優しい鉄槌だと、そう思った。

 

だからもう、その倦怠感に身を任せることにした。抗うのをやめると、一気に体から熱が消え去った。熱が失せるほどに、体の中から聞こえていた雑音も聞こえなくなってゆく。声はもう聞こえない。心臓の鼓動の音が遠ざかってゆく。あれほど煩かった怨嗟の声はもう聞こえない。

 

だからもう、このまま、あとのことなんてかんがえず、ただおとずれるやすらかさにみをまかせようとして。

 

「――――――つっ……!」

 

しかし、まるで頬を叩かれるかのような痛みを感じて、気付いたとき、自分は現実へと引き戻されていた。

 

「こ、こ、は……」

 

見渡せばそこはボロの飛行機の中だった。背中の硬いシートは相変わらず冷たくて、空調は冷たい空気を吐き出していた。違和感を覚えて頬を撫でると、手のひらがびっしょりと濡れていて、ひどく驚く。寒さに凍えていたはずの自分は、しかし驚くほど寝汗をかいていたらしい。

 

――――――いったい、なぜ……?

 

「あ……」

 

答えを探すとすぐに見つかった。窓から差し込んだ日差しが、自分の顔や体にこれでもかと言うくらい当たっていたのだ。そうして差し込んできた光は、自分の特に頬を強く照らしあげていた。観れば窓もボロで、遮光性能が低いガラスが使われていた。そのせいで光は自分の頬へと集約され、まるで虫眼鏡のように自分の頬を焼いたのだ。

 

頬を撫でると、じんじんとした痛みにひりつく。そるはまるで、張り手を食らったかのような痛みだった。不意に、自分は太陽にひっぱたかれたのだとそう思った。自分を優しい悪夢から叩き起こした下手人の姿を拝もうと窓の外へと視線を移すと、見えた景色に言葉を失った。

 

 

「う、わ……」

 

 

飛行機はすでに雨雲の中を抜けだしていた。空はどこまでもはるかに青く広がっていた。雲海ははるかに下で、自分の進む先には何の障害も見当たらない。上を見れば、紫色の空には満天の星が散りばめられていた。目に映るもの全てが、落ち込んでいたはずの気持ちを高ぶらせてゆく。かつてはあれほど違和感しか覚えなかった光景も、今では自分の気持ちをこうも揺さぶるものとなりえるのだという事実に、ひどく感動を覚えた。

 

「こりぁ……、すごいな」

 

立ち込めていた白い雲を抜けたのは自分の力じゃない。悪夢を打ち破ったのだって、太陽の力だった。でも、そうして誰かの意図しない力によってだって、人はこうも救われることがあるのだと、そのときいたく感動させられた。そうして誰かに助けられながらみた景色はとても美しくて、それまでの鬱屈とした気分を吹き飛ばすだけの威力を秘めていた。

 

 

窓から外の景色を覗いていると、太陽の熱が痛いくらいに肌を刺激する。生まれた熱は自分の体へと入り込んできて、心を動かす原動力となっていた。この隔離された空間のなかで、太陽だけは自分の事を祝福しているかのようだった。その瞬間、その飛行機の一区画は、間違いなく自分の居場所だった。

 

窓の外には、気持ちいい光景が、何処までも、何処までも広がっていた。そのとき不意に、自分は世界から拒絶されていないと思う気持ちに溢れてきた。自分の居場所は、この胸のなかで燻り続けている正義の味方になるという願いを叶えられるそんな場所が、広い世界のどこかに必ずあるのだと、確信することができていた。

 

光が自分を照らしてくれたのは一瞬で、飛行機はそして再び雲の中へと飛び込んでゆく。視界は再び零へと戻り、自分は寒々しい環境へ引き戻されてゆく。疲れていたのだろう、自分はそして再び瞼が重くなってゆくのを感じた。けれど気持ちはとても穏やかで、眠りに落ちたあと、次に起きるまでの間、もう悪夢なんて見なかった。

 

 

 

自分の居場所がなくなってしまっても、ふとしたきっかけで、それは得られることがある。自分を思ってくれている人がいなくなってしまっても、そんな人が確かにいたのだと言う事実が、救いとなり、未来に足を進めるための原動力となる。やがて大人となり、現実の厳しさに打ちのめされたとき自分の居場所なくなったと感じたことがあっても、心が熱を帯びるきっかけがあれば再び人は歩いて行くことが出来る。

 

 

自分だけの正義を見つけ、自分だけの正義の味方になることが出来る。それは間違いなく、とても素晴らしいことだ。そしてまた、そんな彼らの手助けを出来ると言うなら、それはこの上ない幸福であるに違いない。

 

 

果たしてその考えは正しかった。この全てが溶け込んだ世界の中から、一人、また一人と消えて行く。皆が皆、自分の自分の元から自分だけの居場所を作るために旅立ってゆく。

 

 

世界が小さくなってゆく。自分の周囲から、次々と熱が失われてゆく。自分という存在が無の中へと消えてゆく。この調子であれば、自分という存在がこの世から消え失せるまでにそう時間はかからないはずだ。

 

 

遠くないうちに自分という存在が消滅する。だというにも関わらず、気持ちは驚くほど穏やかだった。

 

 

体の中から生きるために必要な何かが次々と失われてゆく。だが、代わりに、そうして自分の袂から旅立ってゆく彼らを見ていると、それだけで体の中が別のもので満たされてゆく感覚があった。

 

きっとそれは、自分という存在はついにやり遂げたのだというそんな自己満足によるものなのだろう。一人が旅立つごとに訪れる充足感は、失われてゆく命の熱などよりもよほど熱量を保有していて、だからこそ次々と体から命の熱を失い続けている自分は、それでもこうして今も意識を保つ事を可能としているのだ。

 

 

旅立った彼らの中には、やがて再びこの場所に落ちて来そうになるような不器用なやつもいる。だが、一度元の世界での居場所を見つけた彼らは、二度とこの場所に戻ってたまるものかと、必死になって生き延びようとする。

 

 

袂から子供が旅立ってゆくのをみるというのは、きっとこんな気持ちなのだろうとおもう。そうして自分の居場所を見つけようと必死になる彼らの頑張りは、世界の何よりも尊く輝いていた。

 

 

今でこそ彼らは目の前に襲いかかってくる障害を排除するのに必死で、他のことに力を割く余裕なんて持っていない。でも。全てのいざこざが終わった暁には。

 

 

そうして自らの居場所を自らの延長線上にある力のみで勝ち取り、余裕というものを取り戻した彼らは、やがて己だけの正義を見つけだすだろう。

 

 

そして自分の軸を見つけた人は、周囲を見渡せる余裕をも持つようになる。周囲を見渡す余裕さえあれば、人は必ず隣に自分と同じような存在を見つけ、興味をもつ。そうして余裕のある人は、見つけた人がかつての自分と同じような困難に陥っているのなら、かつての自分と同じ状況で困っている存在に必ず手を伸ばす。

 

 

かつての自分を越えたことを証明したいという競争心が、同じような境遇の彼らを見ていると辛いという同情が、誰かを助けて感謝を得たいという虚栄心が、助けることで好かれたいという邪な念が、そんな自己満足を得たいという思いから生じた自分勝手な行動が、しかし、困っている彼らに必ずや手を伸ばさせる。

 

 

そうして助けられた人は、誰をも放っておけなくなる。だって、何処にだっているのは、自分と同じ存在だ。自分を助けられるのは自分の力と意思だけだ。だからこそ過去に誰かの手によって助け出されてしまった人は、目の前で困っている人を助けて過去の自分を救うために、彼らは必ずいくだろう。

 

 

見知った誰かに借りをつくって、見知った誰かに借りを返して。時には見知らぬ誰かに借りをつくって、見知らぬ誰かに借りを返しながら、そうやって人の世界は回ってゆく。誰もが正義の味方で、誰もが幸福になるために助け合いながら進んでゆく。自分はそんな自分にとっての理想の世界を作るための礎となれたのだ。

 

 

だから悔いはない。

 

 

もしもこの願いが間違っているというのであれば、かつての私という存在が言峰綺礼という自らを悪の味方といって憚らない存在によって間違いを指摘されたように、彼らの前には過ちを指摘する誰が現れて、彼らはそうして指摘された自らの過ちを反省しながら、それでもと歯を食いしばって、更新された正義を胸に前へと進んでいくだろう。

 

 

みんながみんな、自分/誰かの正義の味方になるそんな時代が、確かにやって来たのだ。

 

 

だから、悔いなんてものは、ない

 

 

 

そうこう考えている間にも、体は徐々に消え去ってゆく。それは、この世界にいたみんなが、自分の足で世界に居場所を作ろうと歩み始めている証拠だった。

 

 

かつて見放そうとも考えたそんな存在が立派になって世界と対峙してゆくの目撃するのには、この上ない愉悦と快楽に満ちていた。

 

 

なるほどきっと、これこそ、子の一人立ちを目撃した親の気分というやつなのだろう。なるほど、これこそきっと、かつての切嗣が今際に得たものなのだ。なるほど、これこそがきっと、自分はついにそれまで得ていた借りを返し終えたというそんな感覚なのだ。

 

 

つまりこの他の何にも変えがたい感覚は、それは自分の選んだ正義を貫けたものが、その理想の終着点で得られるものの正体なのだ。

 

 

私が為したことを、ほとんど誰もが記憶しない。だからこそ彼らは、生まれたその借りを他の誰かに返すために、どこかに自分/誰かを救いにいく。

 

あぁ、それはなんて――――――

 

――――――なんて、素晴らしい、世界――――――

 

 

 

視界が白い光に包まれてゆく。かつて違和感だらけだった世界と自分が一体化してゆく。かつて、目の前に広がっている世界は自分の知る世界と違っていた。

 

 

自分の世界は常に業火にみまわれていて、いつだって地獄のようなありさまだった。世界はこんなに平穏で、だからこそ自分の居場所なんてそんななかにないと思っていた。自分の内側に広がる世界はあまりにも醜くて、そんなものと比べるには、目の前に広がる世界はあもりにも綺麗過ぎていた。

 

 

だからこそ衛宮士郎は、地獄を求めて旅に出た。

 

 

 

この世の地獄と困っている人に目をつけて、かつての自分を救うために、片っ端から手を伸ばし続けていた。そうして手を伸ばされたみんなが自分と同じように地獄へと落ちてくる事を、衛宮士郎は心底望んでいた。衛宮士郎はそうして彼らを、自分が落ちた地獄に落とそうと思ってたんだ。

 

 

自分が苦しんだのだから、あいつも苦しむべきだという、そんな気持ちが、衛宮士郎の行動原理だった。とどのつまり、衛宮士郎という男は、何処までも子供に等しい存在だった。

 

 

そしてこの度、衛宮士郎は、世界に住まう人々を、余さず、同じ地獄に叩き込んだ。そうしてかつての願いを叶えて、衛宮士郎という存在は、心からの満足を得た。

 

 

正義の味方は、救うべき誰かがいなければ成り立たない。言峰綺礼という男は、衛宮士郎の歪みをあまりに的確に見抜いていた。

 

 

あぁ、本当に。衛宮士郎という存在は、心の底から救いがたい存在だ。そうして拾い上げられた彼らがやがて世界のなかでたくさん苦しむだろう事を知りながら、それでも、彼らがやがて幸せになってくれるだろうことを信じて、自分はやりきったと満足して逝くのだから。

 

 

でも、悔いはない。

 

 

意識が光に融けてゆく。自分という存在が、余さず世界のために使い潰されてゆく。体の感覚なんてもう欠片ほども残っていない。意識を繋いでいるのは、そんな自分勝手な満足感だけだった。

 

 

そうして意識が消え去る直前、白に染まった世界のなかで、自分をこんな場所まで導いた男の顔を思い出した。

 

 

――――――あぁ……

 

 

光のなかには切嗣がいた。衛宮切嗣は、いつかあの縁側で見せたような微笑みを浮かべていた。それを見て、心底嬉しくなった。自分はかつて彼が到達したそんな場所にたどり着いたのだと思った。

 

 

自分は、自分の目指した自分にとっての正義の味方/衛宮切嗣になれたのだ。この出会いはその証明なのだろうと、彼の理想を受け継いだ衛宮士郎は、心の底から確信した。

 

 

――――――じいさん……

 

 

光が強まってゆく。まってくれ。あと少し。あと少しだけでいい。

 

 

――――――おれ、やったよ

 

 

これさえ言えれば、あとはもうなにも望まない。だって自分はやりとげたのだから。

 

 

――――――おれ、じいさんとの約束を、守ったんだ

 

 

口が上手くて動かない。もう顔も消えかけている。切嗣の顔が遠い。もう微笑みは光のなかに消えてしまっている。

 

 

――――――じいさん……

 

 

もう口に力が入らない。それでも、あと一言。あと一言だけ、伝えさせてほしい。だってそれは、かつて自分が本当に伝えたかった、心の底からの言葉なのだから――

 

 

――――――あの時、おれを助けてくれて、ありがとう

 

 

あぁ……、きちんと、言えた。

 

 

切嗣の顔はもう見えない。口は微かにだって動かない。思考は拡散して世界に散ってゆく。もう自分には何も残っていない。

 

自分は、完全に、やりつくしたのだ。

 

心地よい陶酔のなかに融けてゆく。世界と一体化してゆくその感覚はあまりに格別で、一瞬だけ感覚を取り戻した自分は、しかしそのとき確かに、その声を聞いた。

 

 

――――――士郎

 

 

その声の中に、彼の微笑みをみた。

 

 

――――――……なんで

 

頭の中に浮かんできたのは、彼が困ったときによく見せてくれた微笑みで。しかし意味を問う間もなく、意識は世界のなかに失せてゆく。

 

――――――切嗣は、最後に、あんな、困った顔を――――――

 

最後にそんな疑問を残しながら、そして衛宮士郎という存在の意識はその場から完全に消え失せる。後には完全なる無だけが、その場に残されていた。

 

 

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