一章のエピローグ的なお話です
最後に少し謎めいた発言もあります。
「あー、数式が頭の中で回っている……」
午後の授業が終了するチャイムがなると同時に渚は突っ伏す。
苦手科目の中でも尤も苦手な数学のせいで頭がオーバーヒートしそうだった。
そんな渚を尻目に一誠が声を掛けて来る。
どうやら部活のお誘いらしい。
断る理由もない渚は誘いに同意し 二人は並んで新校舎を抜けてオカルト研究部のある旧校舎へ向かう。
「色々あったなー、最近」
会話中の一誠の一言だ。
堕天使騒動から既に四日である。
渚の家だったマンション周囲は悲惨な事になったが、人が住む場所から離れた所だったので大きな問題にはなっていない。その辺りはリアスが隠蔽したのだろう。シトリーも動いたと聞いている。
短い時間に様々な事が起きた。
堕天使の襲来、一誠の悪魔化、アーシアの来日、龍との戦闘。
どれも渚にとって忘れがたい出来事である。
そんな事を一誠と話している内に、長い木造の廊下を渡り終えてオカルト研究部の部室へ入る。
「あ、ナギさん、こんにちは」
そうで呼ぶのはアーシアだった。
駒王の制服を身に付けた彼女はトコトコと渚のもとへやって来る。
飼い主を見つけた子犬みたいで可愛らしい。
「こんにちは、アーシア。制服、似合ってるぞ」
「あ、ありがとうございます」
頬を仄かに赤らめるアーシア。
彼女は駒王の学園に編入することが決まっている。今日はそのための手続きの為にやってきたのだ。
制服を嬉しそうに眺めている姿からも学校生活が楽しみなのが伝わってくる。
「学校はいつから?」
「明日からのようです」
「そっか、よろしくな」
「はい、私こそ色々とご迷惑をお掛けするかもしれませんけど宜しくお願いします」
「少しでも困ったことがあったら言ってくると嬉しい。俺でなくてもオカ研のメンバーなら助けてくれるよ」
「私はこんなにも良い人に恵まれました。これも主のお導きです……きゃう!」
満面の笑みだったアーシアが神に祈りを捧げると同時に頭を抑えた。
「難しいかもしれないけど祈りは程々にな?」
「はぅ、気をつけます」
アーシアの頭痛の原因は悪魔化による弊害だ。
アーシア・アルジェントは一度死んだ。自らの持つ神器を摘出された事による死。
だがリアス・グレモリーの"
渚はそんなアーシアに対して罪悪感を覚える。
彼女をこの姿にしたのは自分の願望からだ。リアスに頼み込んでアーシアに人を辞めて貰った。
聖職者である彼女は祈りを捧げるのが日常と化している。しかし悪魔は聖なる物とは相性が悪い。それでもアーシアはどうしようもなく聖なる者なのだ。
救った事に後悔はない。しかし正しいと断言するには重荷を背負わせてしまっているのも事実だ。
「……きっとステアは自己満足って言うんだろうな」
誰にも聞こえないように言った声は、ある人物に拾われた。
「それでも善だよ、渚くん」
渚の表情と声音から全てを悟ったのは祐斗だった。
「……祐斗」
「悪魔化が正しいとは僕も言えない、けど彼女の顔を見てごらんよ」
祐斗に言われてアーシアを盗み見る。
一誠とリアスの二人と会話するアーシアは楽しそうに笑っていた。
間違っても今からの人生に憂いを感じている様子はない。
「笑ってるな」
「うん、彼女の人生は確かに大きく変わるだろうね、でも渚くんは間違いなくアーシアさんを救ったんだよ」
「そんな大それた事はしてないさ。グレモリー先輩のおかげだ」
「君らしい答え方だね」
「それ、褒めてんのか?」
「勿論だよ」
渚が祐斗を疑わしそうに睨んでいると背後から人の気配が近づいてくる。
「退きなさいよ、"居眠り男"」
「おっと、すいません」
不機嫌さを隠さない声。
渚は振り返り様にその人物に挨拶をする。
「こんにちは、天野さん」
「刺し殺すわよ、私の名はレイナーレよ」
ギロリと渚を睨むレイナーレ。
敵意は剥き出しだが、襲いかかってくる気配ない。
メイド服を着た堕天使にリアスが眉を潜めた。
「イッセー、使い魔の躾がなっていないわよ?」
「え、あ、すいません、部長。夕麻ちゃん、ナギを刺し殺すのは勘弁してくれないか?」
「チッ。ほら紅茶よ、居眠り男、兵藤 一誠も。さっさと飲みなさい」
レイナーレが舌打ちをすると乱暴な口調のわりに丁寧な仕草でカップを置いていくのが妙に面白い。
堕天使レイナーレはあの一件以来、兵藤 一誠の下僕となっている。
理由は多々あるが最も大きいのはレイナーレの内に赤龍帝の力が未だに存在しているからだ。"
こんな者を放っておくなど出来る筈もなく、どう対処しようか迷っている最中に一誠の言葉もあって今の状態に落ち着いている。
先の戦いでもあったように力の一部しか持たないレイナーレでは"赤龍帝ドライグ"が宿る一誠には太刀打ちできない。
加えて"赤龍帝"の子となったレイナーレには一誠に対して隷属術式と呼ばれる絶対服従の術式をドライグから掛けられていると聞く。最初は戸惑っていた一誠も彼女の犯した行為の大きさと新しい相棒の判断に納得せざる得なかった。
「紅茶、ありがとう」
渚がレイナーレに礼を言う。
「黙って飲めないの?」
「変わらずの刺々しさ」
「こんな状況で愛想よく出来ると思ってるの? あんたってバカなの?」
「確かにおっしゃる通りですね、はい」
「困った顔で笑うな、ムカつく奴。それになんでイチイチ奴隷に敬語よ、気持ち悪い」
渚と話し終えたレイナーレが一誠を一瞥すると踵を返して部屋の隅に引っ込む。
それを見送った渚が黙っている友人に声をかけた。
「イッセーは夕麻さんと話さないのか?」
「まぁちょっと話し掛け辛い。なんかアッチも話し掛けてこないし……」
「あー、確かにお前らの関係って二転三転してワケわからんからな」
元恋人同士、被害者と加害者、悪魔と堕天使、同じ神器の所有者。
これだけの要素を叶え揃えた組み合わせはそうはいないだろう。
「でもさ、夕麻ちゃんが生きていて俺は嬉しいよ。それに今の刺々しい感じも嫌いじゃない、アレが彼女の素なんだなって思えるからな」
「だったらまた距離を縮めなきゃな」
「だな、よし早速行ってくるぜ」
「頑張れ」
一誠がレイナーレに堂々と近づく。
渚はしばらく静観することにした。周囲も二人に意識を集中させている様子だ。
「そのメイド服、似合っているよ」
「ご主人様、忙しいので話しかけないでもらえます?」
暇そうなレイナーレは敬意のない敬語で容赦なく一誠を叩きのめす。
渚は思わず顔を抑えて「うわぁ~」と内心で呟く。主人を主人と思わぬ言動。苛立ちと敵意を隠そうともしないレイナーレに一誠が固まる。
それを見たリアスが無言で魔力を高めた。一色触発のムードに渚が歯止めをかけようとした。
しかしリアスが手を下すまでもなく、レイナーレが膝を突く。隷属術式が彼女を戒めたのだ。
一誠が助け起こそうとするが手を振り払う、苦痛の中でも決して悪魔の手は借りないと言う意思表情だろう。
──反骨精神の塊。
そんな言葉が渚の脳裏を掠める。
「さっさと殺せばいいのものを」
「それはしたくないんだ、夕麻ちゃん」
「なにそれ? 善意の押し付け? あんたのエゴに私を巻き込まないでほしいわ」
「ごめん……」
「謝罪するなら我を押し通すなんて事をしないで、鬱陶しい」
重苦しい雰囲気が部室を包む。
渚がどうしようか悩んでいるなかで二人に歩み寄る人影があった。
アーシアだ。
彼女はレイナーレに近づくと意を決したように声を張り上げる。
「あ、あの! 一誠さんはレイナーレさんを失いたく無かったんだと思います!」
「ハッ、シスターが堕天使に説教? いらないわ、私は戦って死ねるならそれで構わなかった」
「きっとその死を悼む人がいます、それは悲しい結末……だと思います」
「……ッ。私の死を悼む? そんなの勝手にさせておけばいい。私はこの生き方しか知らないもの」
「ならこれから探しませんか? レイナーレさんを心から想う人が居ます、その人たちとなら変われるはずです」
「言い切るじゃない」
「私は信仰する事こそが絶対の幸福だと考えていました。……でも今は違います。この町に来て本当の幸せがなんなのかが少し分かったんです」
幸福の象徴とも言いたげにアーシアが渚を見た。
真っ直ぐな碧の瞳が再びレイナーレに向けられる。その純粋な瞳にレイナーレは臆するように顔を背けた。
「祈り中毒者の元シスターが、ろくに祈りも捧げられない身体にされてよく言うわ」
「祈りは耐えれば捧げられます。失ったもの以上に私は素晴らしいものを知りました」
「素晴らしい? 温室育ちが何を吠えてるのかしら」
「初めて人として扱われたんです、アーシア・アルジェントとしての私を見てくれる人がいました。ただそれだけの事がこんなにも心を暖めてくれるます」
レイナーレが小さな驚きを目に宿す。神器使いはその異能から疎まれる事が多い。温室育ちと思っていたシスターが『人を癒すだけの生物』として扱われていた事を漠然と察してしまったのだろう。
「……一つ聞くわ。何故、こうも
他人であっても手を差し伸べてしまう優しい少女に堕天使は問う。
渚からしたら、これがアーシアという女の子なのだと答える。
しかしアーシアは『えっと』と前置きすると悪戯が見つかった子供のようにレイナーレを見た。
「実はミッテルトさんがよくレイナーレさんのお話をしていたので」
「あの子が……?」
「はい。とても格好いい方だと」
「目が腐ってんじゃないの。私はミッテルトに良いところなんて見せた覚えはないわ」
アーシアは小さく首をふる。
「いいえ。きっとずっとレイナーレさんを見ていたと思います。不器用で意地っ張りで、でもそれ以上に努力家だと言っていました。……これからも一緒に居たい、とも」
「…………言いたい放題ね」
「ご、ごめんなさい」
「ふん。どいつもこいつも謝ってんじゃないわよ。自分がそうだと思ったら言い切りなさい」
「は、はい。が、頑張ります」
「もういい、調子が狂ったわ。敗者の私がどうこう言ったところで現状は変えられない、なら甘んじて受け入れるだけよ」
言葉では否定的なレイナーレだったが声音からは刺々しさが若干取れていた。
彼女の罪は簡単には許されない。だが一生を懸けて背負っていくには堕天使の生は長すぎる。
渚はレイナーレがただの悪人ではないと知っている。言葉も態度も刺があるも所々に不器用な優しさを見せてくるのだ。
「あ、あの私はアーシアといいます」
「急に何?」
「じ、自己紹介がまだだったので」
「だから?」
「いえ、その、私、レイナーレさんとも仲良くしたいと思いまして」
「……は?」
呆気にとれらるレイナーレ。少し間の抜けた顔に渚は笑いを
「私ではダメですか?」
「いえ、そうじゃなくてね? 堕天使よ、私?」
「わ、私は悪魔です」
「知っとるわ!」
「ひゃう!」
「あ、ごめん」
びっくりしたアーシアに謝罪するレイナーレ。
完全に毒気の抜かれた彼女に、小さな笑みを浮かべて紅茶をすする渚。
時折、一誠に見せた甘さといい、レイナーレと言う堕天使は悪意のない人間に弱いのだろう。いや、もしかたら善意を向けられる事に慣れていないのかもしれない。
ともあれ、これが彼女にとって転機になればいいと思う渚であった。
●○
渚たちが龍化したレイナーレと戦った跡地。
かつては渚とアリステアの家であるマンションは今や瓦礫の山となっているため、"KEEP OUT"と書かれた黄色いテープが周辺を大きく囲んでは人の立ち入りを禁止している。
所々に激しく燃焼した跡の見られる場所は、さながらミサイルの雨でも降ったような酷い有り様だ。
そんな残骸の処理まで手が回っていない静かな所でアリステアは携帯端末を手にしていた。
「──という訳で事態は収束しました」
『そうか、ご苦労だったな』
「別段、苦労はしませんでしたよ、私は」
『どうあれ、助かった。礼を言うぜ、アリステア』
「レイナーレとミッテルトはこちらが預からせて貰いますがよろしいですね」
『ああ、アイツらの頭は予想は付いてる。そこから消えたドーナシークはソイツの元に戻ったんだろう。……気になるのはカラワーナとクラフト・バルバロイとかいう二人組だな』
「双方ともレイナーレとは比べ物にならない者たちでしたよ。最上級の天使や悪魔をも殺し得る実力者です」
『厄介な。それにしてもカラワーナ、か』
アザゼルが電話越しに考え込む。
腑に落ちない何かがあると伝わってきた。
「あの道化がどうかしましたか?」
『まぁ話してもいいか。カラワーナと言う堕天使は二年前に死んでいるんだよ』
「成る程、つまり私たちが交戦したのは偽物という訳ですね」
『そうなるな。話によれば"雷光"を使ったんだろ? あんなものを使える堕天使なんて数えるほどしかない』
「そもそもアレは堕天使なのでしょうか?」
『どういう意味だ?』
「カラワーナの姿を取ったという事は自身の素性を明かしたくなかったからでしょう。それは顔を隠すだけではなくレイナーレに容易く近づくために堕天使の皮を被ったとも考えられます」
『だとしても分からんな。なぜレイナーレだった? もっと使える奴もいたろうに』
「気紛れ、という可能性もあります。カラワーナを名乗った者は快楽主義者な一面を持っていました。レイナーレと言う些末な存在が世界を脅かす状況を楽しんでいたかもしれません」
アリステアの言葉にアザセルが舌打ちをした。
『だったら終わってるな、ソイツ。世界を玩具にする腐った性根をぶっ潰しに行きたいぜ』
「苛立ちも分かりますが、少しレイナーレの件を話しておきましょう」
『分かってるよ、そっちも興味深い現象だ。一部とはいえ赤龍帝の力を宿した堕天使か。初めても事例だけにどうなるか分からんな、徹底的に調べた方がいい』
「……かと言って"
『なんだよなー。どうするかな』
「拉致しますか?」
『……お前って物騒な性格と言われるだろ』
「良い考えと思ったのですが?」
アリステアが事も無げに言う。
『とりあえず保留だな。そっちは兵藤 一誠とやらがいるから心配ねぇだろ。上位存在である
「その辺は私より貴方の方が詳しいでしょう」
『似たような事例を幾つか見た事がある、"
神器研究者としては世界で指折りのアザセル。
彼が心配ないというのならそうなのだろう。
アリステアはこの話題を切り上げることにした。
「"
アザゼルにアリステアは問う。
電話越しの堕天使は数秒だけ黙る。
『"
「私に持たせるのは危険だと?」
『正直に言えばそうなる。お前さんの戦闘力は未知だが俺の予測ではヴァーリや
「私でしたら、そんな危険な
『お前な……』
呆れ声のアザゼル。
アリステアはそんな彼を無視する。
「少し総督は勘違いをしている様ですので訂正をしましょう」
『あん? どういうこった?』
「私が槍を求めているのは、力が欲しいからではないのですよ」
『じゃあ何を求める?』
「聖書の神との対話。アレには神の意思が眠っているのでしょう?」
アリステアの言葉にアザゼルの雰囲気が一変する。
『"
「貴方の雰囲気と声で今、確証を得ました。やはり対話の可能性はもうソレしかないようですね」
『クソ、俺としたことが相手に答えを出させちまった事かよ』
「殆ど答えは得ていましたのでそうお気になさらず。……以前まであったという教会関係者への加護の喪失。人間界から去った天使。悪魔や堕天使以上に守勢構えの天界。答えへと至るピースはこんなにも多い」
『普通は気づかんがな。全くどういう思考してんだ? まぁそうだよ、──聖書の神は死んでいる、死因は最後に起きた大戦での戦死ってことになってる』
「
まるでアザゼル自身も神の死んだ状況を把握していない言いぐさだった。
『あの件は色々と分からんことが多くてな。戦時中はゴタゴタでこっちも忙しかったんだよ』
「そうですか。何にしてもこれで私の目的は分かってくれたでしょう。用が済んだら槍は貴方の好きにすればいい」
『目的が聞けて大いに結構だが、お前さんの聞きたい事ってのは?』
「大した事じゃないですよ。この世界の在り方を少々訪ねたいだけです」
『在り方?』
「あの者しか知らない謎を問いただすといった方が正しいかもしれません」
『なんだ、歴史家にでもなるつもりか? 研究者気質だったとは驚きだ』
アリステアの目的が存外に平和的だった事に拍子抜けするアザゼル。
「そろそろ切ります、あまり長いと傍受される危険性もあるので」
『了解だ。また何かあったら連絡を寄越しな』
「ええ」
携帯端末のボタンを押して電話を切る。
一人たたずむアリステアは快晴の空を仰ぐ。
白雪の少女は、そのアイスブルーの瞳で遥か遠く、
「アザゼル総督、貴方は知っていますか? この世界は聖書の神によって踊らされている。ただ一つの下らない目的のために……」
そう問うアリステアだったが次の瞬間には風と共に姿を消す。
そして誰もいなくなった瓦礫の山だけが静かに残るのだった……。
次から原作二巻になります。