堕天使レイナーレは自らの過去を振り返る。
それは強さを求めて犯した罪の記録。
光の槍を手に神器所有者を殺している血の残影。
血の水溜まりが広がっていく様は今も覚えている。
相手は毒と影を使う接近戦闘を得意とした相手だった。
影を使って移動して毒を宿した剣で奇襲する、実力的には中級悪魔クラスだろうか。
本来、下級堕天使であるレイナーレなど瞬殺される手合いだ。
しかし結果は圧勝、レイナーレは自身の影から出てきた神器所有者が持つ毒の刃を光の槍で弾いて流れような仕草で心臓を一突きして絶命させた。
簡単な戦いのように見えるがそうではない。
相手がレイナーレの得意な接近戦を挑んで来た事、格下だと侮って油断していた事、様々な要因による薄氷の勝利でもある。
元々、生まれつき光力が少ないレイナーレは光の槍をたった一本しか維持できない落ちこぼれだ。それが唯一の武器であるので軽はずみに投擲を行えば無防備になる。
だからこそ努力で
クルクルと慣れた手つきで回転させながら槍を消す。
「お見事だね、レイナーレ様」
「……カラワーナ」
際どいボディコンスーツの女がハイヒールを鳴らしながら近づくと死体を指差す。
「神器、取らないのかい?」
「取るわよ、そのために襲ったんだから」
レイナーレは宣言通り、死体から神器を摘出をすると自らに取り込んだ。
「しかし勿体ないね、君は」
「何がよ?」
「槍捌きは一流なのに光力が三流。君がせめて普通ぐらいは光力を所持していたらと思うとね」
「無い物ねだりね、それにわたしは光力が三流だったからこそ槍を鍛えられたのよ。所詮は凡庸止まりだけど」
「だから力を欲している……か?」
「軽蔑でもした? けどね、わたしという存在の上限がここなの。自力で強くなれないのなら奪うしかない」
言っていて心が痛む。
かつて師と言える人物が言っていた言葉を思い出す。
──お前は命を奪う度に動作が鈍る、一対一ならば強いが集団戦に向かない傾向だ。
自覚はあった。
命を取り合っている間は、戦闘に集中しているので何も感じない。だが終わった瞬間に言い様のない罪悪感が肉体と魂を縛り付ける。
そうなる原因は薄々わかっていた。
レイナーレには信念とも言える指標がない、ただ強さを求めているだけの存在だ。
強くなって守りたいものなければ、成さなければならない目的もない。
あるのは自分という存在が弱くないと言う事を証明したいだけ……。
この世は強きが弱きを淘汰する……などと割りきれたら良かったがレイナーレには出来なかったのだ。
「我ながら薄っぺらいわね」
強さを求めて命を奪いながら罪悪感を拭えない自分に自嘲しながら記憶のスクリーンにフィルターをするレイナーレ。
そして思考を現実へと押し戻していくのだった。
●○
「レイナーレ、聞いているの?」
その言葉でハッとなった。
視線を向ければ部室の椅子に座ったリアスが真っ直ぐ見ている。
どうやら思考に
「何よ?」
「やっぱり聞いてなかったのね」
呆れ半分のリアスに対して隣の朱乃が静かに笑みを浮かべた。
「最近、イッセーくん達が部室に来ない原因を知らない?」
「さぁ。アンタらはなんか聞いていないわけ?」
朱乃の質問を適当に躱す。
するとリアスが腕を組む。
「小猫と一緒に渚と自主練しているとは聞いてるわ、ちょっと本当かは疑わしいけど……。今は駒王に聖剣があるから心配なのよ、内緒で聖剣を探しているとかは間違ってもないでほしいわ」
「どっちみち居眠り男が一緒ならイッセーくんの身も安全でしょ」
一誠の嘘をレイナーレは知っている。
以前、アーシアをほったらかしにしていた渚を問い詰めたら仕方なさそうに白状したのだ。
祐斗の探索と聖剣の破壊。
そんな事をしているとバレたら、リアスは間違いなく止めるだろう。
ともあれ最悪な状況にはならないと思っている。一誠は既に禁手に至っているし、一番弱そうな小猫もかなり強い。何よりあの蒼井 渚が付いているのだ。簡単にやられるメンバーじゃない。寧ろ主力がいないこの場所こそ危険だとレイナーレは考えている。
「あらあら、アーシアちゃんも渚くんと帰りたいでしょうに……」
「わ、私ですか? いえ、ナギさんのご用事の邪魔をするわけには!」
「健気ですわね」
慈しむようにアーシアを撫でる朱乃。
ここ数日前まで渚はアーシアと行動を共にしていた。
一途に渚を慕っているアーシアだ、笑顔で懸命に隠しているが一緒に帰宅できなくなって寂しいのだろう。
「もう、折角同じマンションにしてあげたのに意味がないわ」
「今の悪魔はキューピット役までするのね、リアス・グレモリー」
「可愛いアーシアの初めて恋よ、主として応援したいと思うのは間違っているのかしら?」
「うぅ、ありがとうござます」
顔を真っ赤にしてアーシアが礼を言う。
なんとも甘い主だとは思う。
眷属の一人一人に愛情を注いでいる珍しい悪魔だ。本来の悪魔なら部下として扱うか本当に駒としてしか眷属を見ていない。渚がリアスを善い悪魔だと言っていたがレイナーレもそこは認めている。
「部長もアーシアちゃんの恋ばかり応援していた足元を救われますわよ?」
「わかっているわ。レイナーレ、私はいつか貴方を越えてイッセーの一番になるから覚悟していなさい」
「越える? 何を言ってんだか、既にイッセーくんの一番はアンタよ」
言って胸が痛む。どうやらまだ一誠に対する未練がそうさせているのだ。今さらそんなモノを向ける資格さえないと言うのに……。
だがレイナーレの内心を知ってか知らずかリアス、朱乃、アーシアがきょとんとした顔をする。
なんだ、その顔は……。
「気づかぬは本人だけとはね」
「あらあら」
肩を竦める駒王学園の二大お嬢様と真剣な表情のアーシア。
「一緒にいる時のレイナーレさんとイッセーさんはとても素敵です」
アーシアが真顔でそんな事を言い出す。
素敵とはどういう意味なのか。
レイナーレからしたら、愛情と尊敬を一心に向けられているリアスこそが一誠にとって至高の存在に見える。
しかし目の前の三人からしたらリアスよりもレイナーレの方が愛されているように見えるらしい。
リアスが少し寂しげな表情でレイナーレを見た。
「レイナーレとイッセーはね、とても自然なのよ」
「自然?」
「ええ、何処にでもいるカップルと言えばいいのかしら」
「そうですわね、いつもツンツンしている貴女をイッセーくんが好意的になだめる、そして満更でもないように受けとめる。そこには普通だけど壊したくないような幸せがある」
「はい、イッセーさんはいつもレイナーレさんを想っています。同じ部屋にいるときはお優しい瞳で見ていますから」
「悪いけど、私はそうは思わないわ。だってアイツはリアス・グレモリーを見て顔を赤めている、憧れと言ってもいいのかしら」
だからこの三人の言葉を鵜呑みにはしない。
事実を知って落胆するのは嫌なのだ。
「頑固ね、確かにイッセーは異性として私も好いてくれているわ。けれどそれは敬愛が強い、対してレイナーレに向けるのは恋愛……恋心よ」
「恋心ってそれはアンタにも向けているでしょうに」
「なんて言っていいか難しいわね。そうね、例えるなら私のはテレビのアイドルに向ける感情でレイナーレに向けるのは学校にいる好きな女の子に向ける感情よ」
「ええ、部長と貴女では恋の純度が違うと言えばいいのでしょうか」
「何よソレ、言ってる意味が理解不能よ」
「簡単よ。つまり私よりも貴女が愛されている、ただそれだけ」
嫌みなど見せない笑みのリアス。
あり得ない、自分の方がリアス・グレモリーよりも愛されている?
目の前の紅の女は間違いなく自分よりも良い女なのだ。
愛する心と慈愛を持ち、姿も美しい。
自らの欲で血に汚れた自分などと同列に並べるのもおこがましい。
こんな純真潔白な女性から好意的なアプローチを受ければ自分など切り捨てるのが普通だ。
気分が悪い。胸を巡る痛みがヘドロのように精神を苛む。殺しの記憶が神経を掻きむしる。
過呼吸でも起こしそうなレイナーレに、ふと白い手が伸ばされた。
「レイナーレさんは素敵な女性です」
そう言い切ったのはアーシアだった。
聖女のような微笑みでレイナーレを包む。
「あなたは男の人に声を掛けられて困っている私を助けてくれました」
「違うわ、偶然よ」
「いいえ。レイナーレさんは、わたしを心配していつも学校帰りを見計らって通り道の商店街にいてくれてます。知ってるんです、いつも偶然を装ってわたしを待ってくれていること」
「それは……夕食の買い出しが偶々その時間になっただけよ」
「いいえ。だったら毎日はいないはずです。きっと世間知らずなわたしを心配してくれたんですよね? ありがとうございます」
「ち、違うわ! アンタには借りがある、アンタを悪魔にした発端は私よ! これは私が私を許すためにやってるだけ……そう自分のためにやっているの!! 勝手な解釈をするな!!」
勿論、そんな事で罪を償えるとは思ってはいない。
「では、もう許してあげてくれませんか?」
レイナーレは目を見開いて驚く。
決して自分を許してはいけない者が許してあげろと言っている。
正気を疑う言葉だ。
だがアーシア・アルジェントは何処までも正気だった。
感情が暴発する。今まで押し込めていた罪悪の想いが奥から溢れて止まらなくなる。
「……許せないわ、許せるはずがない。アンタだけじゃない、私はたくさん殺してきた。アンタは……アンタも私を許してはいけないのよ、怒るべきよ、憎悪するべきよ、私はそれだけの事をした」
才能も
なんという勝手な弱さだ。奪うだけで奪ったあとに、やらなければ良かったと後悔する。
そんな吐き気すら覚える自分の本質を誰かが愛してくるれなどありはしない。
「ご自分が嫌いなんですね」
アーシアはレイナーレの心を見抜く。
そうだ、その通りだった。誰よりも何よりも嫌悪しているのは自分という存在だ。
心の奥でずっと思っていたのだ。
あの日、運命の日。渚と一誠に打ち負かされた瞬間、自分は死にたかった。
現実は常に自分を苛み、死者が夢の中で許さないと叫ぶ。
自分は死でしか許されないのかもしれない。
「何処にもいないはずの死者はね、夢には出てくるの。治らない傷のように私を許してはくれない」
「なら他の人が許さなくても、わたしは許します。レイナーレさんはいい人だって知っていますから」
なんという慈悲だろうか。アーシアは疑うことなくレイナーレを信頼していた。
一切の曇りのない微笑みだった、殺した相手に向けるモノではない。
さらけ出した自分に対してこんなにも優しさを与えてくれる人物は初めてだった。
「泣いているのですか?」
「え? なんで?」
なんだこれは?
頬から溢れたのは一滴の涙。
どうして泣く必要がある。こんなものは自分が流すべきでない。
感情が追い付かず困っているレイナーレにアーシアは優しく傷つけないようにハンカチで瞳を拭いてくる。
「泣いた事がないんですね、奪うたびに心を苦しめているのに、泣く資格はないと言い聞かせて……」
「なんでアンタも泣きそうになってんのよ……」
「レイナーレさんは悲しすぎます。ご自分の為に泣く事が出来てない。今も涙を流している理由に疑問しか持っていません」
「同情のつもり? 私みたいな奴にするなんて大バカね」
「レイナーレさんに……友達に寄り添えるのなら大バカでも構いません」
「……いつから友達になったのよ」
涙を拭きながら反論するとアーシアが慌てた。さっきまでの屹然とした雰囲気はどこにやらオドオドし始める。
魂が、心が暖かい。陰鬱だった気分が晴れやかになる。
確かにアーシア・アルジェントは聖女だった。
弱い堕天使である自分を励まし、鼓舞してくれた。
これは大きな、とても大きな借りだ。返済には一生を賭けないといけないかもしれない。
「す、すみません。わたしが勝手にそう思っていて……!」
「いいわよ、アンタが良いならそれでいい」
レイナーレは腕で涙を拭う。いつまでも無様な姿は見せられない。
「ほ、本当ですか!」
「アンタになら素直に負けを認めても良いと思うから」
どこまでも優しい聖女にはどう足掻いても勝てそうにない。
レイナーレは心の底から敗けを認めた。
けれど同時に決意した。アーシアには敗北した、だからもう一人には勝つ。
見守っていたリアスにレイナーレは挑発的な目を向ける。
「リアス・グレモリー」
「何かしら?」
「私、アンタには負けないわ」
「いいわね、その顔。これでなくては越える意味がないわ」
火花を散らす二人を見て「はわわ」と慌てるアーシアと「あらあら」と笑みを浮かべる朱乃。
朱乃がカップに手を掛けた時だった。
──凄まじい圧力が駒王学園を襲った。
リアスが立ち上がり、朱乃が驚嘆する。
アーシアも学園に"何か"が来たと察して震えていた。
誰よりも先に動いたのはレイナーレだ。
「リアス、すぐに渚かアリステアを呼びなさい!!」
知っているのだ。
この濃密な気配を彼女はよく知っている。
部室のドアを開けて廊下に出る。
時は既に黄昏から夜に移ろうとしていた。
暗い廊下の奥から足跡が聞こえる。
「連絡は?」
すぐ横に来たリアスに問うが首を振る。
どうやら通信が阻害されているようだ。
最悪だった。
このメンバーでは絶対に勝てない者が目の前まで迫っている。
闇の奥からゆっくりと現れたのは黒い男だった。
荒々しく伸ばされた髪と歴戦の猛者を思わせる長身と肉体。
レイナーレは単身で駒王に乗り込んだ存在に冷や汗を流した。
「久しいな、レイナーレ」
「……はい、お元気そうでコカビエルさま」
そう、彼こそ聖剣を奪った張本人であり、レイナーレの師でもある伝説の堕天使コカビエルだった。