ハイスクールB×B 蒼の物語   作:だいろくてん

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一誠視点の物語になります。


兵藤 一誠の受難《Dead End Boy》

 

「ねぇイッセーくん」

 

 それは初デートも終わりに近づいた夕暮れの公園だった。人生で最高に楽しかった一日が幕を閉じる憂鬱さとこれからも続いていくだろう嬉しさの合間で兵藤 一誠は大事なガールフレンド──天野 夕麻(あまの ゆうま)の声に耳を貸す。

 

「なんだい、夕麻ちゃん」

 

 自分でも分かる優しい声。きっと松田や元浜の辺りは気持ち悪いというかもしれない。渚に限っては苦笑だけで済ませてくれるだろう。それでも大事な人の前で優しくありたいというのは男として当然と胸を張る。

 大好きな彼女がどんな顔をしているのか気になってしょうがない。三歩ほど前を歩く夕麻は腰まで届く黒髪を揺らすと一誠の願いを聞き届けたように振り向く。

 残念ながら逆光する夕暮れの光で夕麻の顔は見えない。

 そんな彼女は手を後ろに組んでこう言った。

 

「……キスしよっか?」

「え? き、キス?」

「そう、嫌?」

 

 嫌なわけがない。(むし)ろ自分から勝負を仕掛けようか迷っていた最中に誘いが来たのだ断る理由はない。

 

「いいの?」

「いいよ」

 

 即答だった。

 ここまでお膳立てされてヘタれる訳にはいかないと一誠が夕麻に近づいて柔らかい身体を抱き止めた。

 唇同士が近づき、やがて接触する。

 

「ん」

 

 夕麻の息づかいを目の前に感じる。それは触れ合うだけのキスだったが鼓動は(はや)り、脳が溶けてしまいそうな感覚に支配される。

 

「は、ははは。初めてだったから少し下手だったかも……」

 

 一誠が顔を真っ赤にする。それに夕麻は小さく首を振って返答する。

 

「下手じゃなかったわよ。ううん下手でも私には分からないわ、初めてだったし」

「そ、そうなんだ」

「色々とあったから」

 

 夕麻の口調が一瞬だけ大人びたような気がした。次に見た彼女の顔は一誠同様に頬を赤くした──モノではなかった。

 

「デートというのは悪くなかった。だけどもう終わりにするわ」

 

 声のトーン下がる夕麻。今まで楽しそうだった声音は変わり果てて悲哀さえ感じる。

 一誠は困惑した。夕麻の表情が余りにも悲しそうだったから。

 そして予想だにしないこの言葉が放たれる。

 

「──死んでくれる?」

 

 夕麻の背から黒い翼が広がった瞬間、腹部に焼けるような激痛が走った。見れば光が夕麻の手から伸びて一誠の腹を貫いている。

 

「ア、ガ……ゆ、夕麻……ちゃん?」

「……"摘 出(ミューティレーション)"」

 

 一誠の胸付近に白い細腕が入り込む。そこから心臓を鷲掴まれたかと思うほどの例え難い痛みが発生する。

 

「ガアアアアァァアアァァァ!!」

「"確 保(スナッチ)"」

 

 ズブリと夕麻の腕が一誠の胸より出てくる。その手に握られていたのは碧色の宝玉だ。

 

「これは"龍 の 腕(トワイス・クリティカル)"かしら」

 

 地面に倒れ込む一誠に聞こえたのは冷たい夕麻の声だ。遠ざかる意識に抗い、夕麻へ手を伸ばす。

 

「ゆ……ま……ちゃ」

「恨みなさい、そして……」

 

 彼女の目元が前髪で隠れて表情が見えなくなる。

 数秒の沈黙が二人の間に訪れ、再び夕麻が言う。

 

「せいぜいそこで空しく死んで逝きなさいな」

「う、そだ」

「さよなら」

 

 黒い翼が羽ばたくと暗い空へ夕麻の姿は消えた。

 幸せの絶頂から絶望の淵に落とされた一誠は訳が分からないまま涙する。

 何がどうなっているのか。夕麻はなんなのか。

 だが、それよりも強く思ったのは──まだ生きたいという事だった。

 血が流れ、混濁する自我が闇に呑み込まれる際、せめて誰かに危機を伝えようとスマホを取ろうとしてポケットにあった紙を握る。

 それはデート前に駅前で渡されたチラシだった。怪しげな魔方陣が描かれた『あなたの願いを叶えます』などとふざけたキャッチフレーズと共に渡された謎の紙切れ。

 

 ──死にたくねぇ!

 

 強く思うと手にあった紙が熱を帯びた気がした。そして強い光が周囲を照らす。気づけば夜の闇に屈することのない美しい紅の女が立っていた。

 

「貴方ね、私を呼んだのは」

 

 その声を最後に一誠は意識を手放す。閉ざされた(まぶた)の奥に夕麻の後ろ姿をしっかりと焼き付けながら……。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 

 けたたましい音で一誠は目が覚めた。見慣れた天井は自室のモノであり、耳元では目覚ましが激しく叫んでいた。それを乱暴に止める。

 気分があまり優れない。夢見が悪いとはこの事だろうかと再び目を閉ざす。

 どうにも気だるさが残る朝だ。昨日は夕麻とデートだったはずなのに途中から記憶があやふやで最後の方が特に思い出せなかった。

 不安になるはず記憶の欠損。だが不思議と安堵する自分もいた。深く考えないため理性がストップをかけているような違和感。

 

「なんか変だ」

 

 そんな事を言っていると遠くから呼び声が響く。

 一階のリビングから自身を呼ぶ母親の声だ。それが聞こえたのを皮切りに学校へ行く準備を始める。

 登校の支度と朝食を終え、いざ登校しようと外に出た瞬間、ますます体に変化が訪れた。昨日までは気にならなかった太陽光が妙に目障りに感じ、肌を刺すような小さな不快感に包まれる。

 自分でも分かるくらいにフラフラとした足取りに戸惑う。風邪にしては今までにない体調の変化だ。凄まじい倦怠感に全身がグラッと(かたむ)く。

 

「あれ、やべ」

 

 覚束(おぼつか)ない足取りのせいで小石に(つまづ)いてしまう。顔から地面にダイブする身体を止めようにも力が入らない。

 来るだろう痛みに耐えようと目を(つぶ)った一誠の腕を強く取る者がいた。

 

「あ、すいません」

「大丈夫か?」

「あ、蒼井か?」

「ん、おはようさん」

 

 聞き覚えのある声だ。見れば友人である蒼井 渚が腕を支えていた。いつもの鞄の他に何故か剣袋を担いでいる。

 あれ? コイツ、帰宅部だよな? なんて思いながら顔を見ると相変わらず目の下の(くま)が目立つ面持ちだ。こっちが大丈夫かと問いたくなる。

 

「なんでいんだ? 蒼井の家って逆方向じゃね?」

「近くに用があって偶然な。とりあえず行こう。体調悪そうだが歩けるのか?」

「おう、そっちの用事はいいのかよ」

「そりゃもう終わった」

 

 欠伸(あくび)をしながら答える友人がトロトロと前を歩き始めたので一誠が小走りで横に並ぶ。

 

 ──蒼井 渚。

 

 黒髪黒目、派手さはないが整った容姿を持つ彼は一誠の数少ない友人である。彼が転校してきたのは去年の10月頃、当初はそれなりの見た目もあり女子の中では密かに人気があった。だが転校してきて一ヶ月が過ぎた辺りから目に(くま)ができ始め、常に疲れた様子が彼のデフォルトとなる。不健全そうな印象が板についた結果、女子からは残念な方のイケメンとして認識されている始末だ。

 エロい事で問題児扱いされる一誠だが授業中に居眠りばかりする渚もまた違う意味での問題児だと周りから思われている(ふし)がある。

 

「兵藤、調子が悪いんだったら休んだ方がいいんじゃないか?」

「常に死にそうなお前が心配すんのかよ。逆にこっちが休めって言いたいくらいだっつの」

「そういえば最近よく顔色の事いわれるな。……俺ってそんなに顔ヤバイの?」

「ゾンビか幽鬼って言葉が人の皮を被ってるくらいには怖いな」

「……う、嘘だろ?」

 

 顔に触れながら唖然(あぜん)とする渚。

 結局、三枚に落ち着く渚だからこそイケメンを嫌う松田と元浜の二人とも上手くやれているのかもしれないと一誠は思う。

 

「お前のあだ名って"生きたゾンビ"か"生きたフリをした死人"だ」

「初耳っ! それにどっちも死んでるじゃないか!? あぁなんてこった!よく女子から距離を取られると思ってたけど、そんなにヤバイのか。悪いことしたな、俺の顔がトラウマになってないといいけど……」

「それって女子よりも引かれたお前の方が被害甚大じゃねぇの? ……男として」

 

 気にする箇所が微妙にズレてる渚に苦笑してしまう。

 

「つか蒼井、お前って授業中にいつも寝てるけど夜中何してるんの?」

「あー。ネットとか?」

 

 少し考えて答える渚。人に言えない事でもしているのだろうかと(かん)ぐりたくなる。

 

「もしやエロサイトか?」

「ま、まぁそれもあるかなぁー」

「ほう、そういや蒼井のフェチを聞いていなかったな。俺は巨乳、松田は競泳水着、元浜はロリ、お前はなんだ?」

「流石エロ三人組の一人だけあってこの話題になるとイキイキするな」

「まぁな。さぁ言え、己が(ごう)を告白しろ。大丈夫、どんな属性がこようと俺たちは受け入れる」

「俺の性癖をあの二人にバラす気満々じゃねぇか」

「だって──友達だろ?」

「そこでそれ言うのかよ……。わかったよ、教えればいいんだろ。フェチかぁ。多分俺は──」

 

 嫌そうな顔をしつつもこんな馬鹿話にも付き合ってくれる辺り、やはりお人好しなのだと一誠はしみじみ思う。

 

 あと渚の業は案外と深かった。

 

 

 

 

 ●○

 

 

 

 放課後。

 何事もない平和な学校生活を終えて一誠は帰路に着いた。いや何事もないというのは嘘だ。違和感は確実に彼の日常へ入り込んでいた。

 その最たるモノが、"天野 夕麻"の消失だ。

 誰もが一誠に彼女が出来た事を覚えていなかった。松田と元浜が嫉妬していたのは一誠の記憶にも新しいのにだ。

 しかし、そんな素振りは夢だったように彼らは一誠の言葉を疑った。渚に関してはどうにも煮えきらない態度だったが彼もまた夕麻の存在を肯定してくれなかった。

 スマホに登録したはずの夕麻の連絡先も消えていたため存在証明すら出来ない有り様だ。

 まるで一人だけ違う現実を生きていたような気味の悪さを覚えて学校から逃げ出すように早々と帰宅する一誠。

 

 一人、道を歩いていると急に視線を感じて振り返った。

 

 そこには影を大きく伸ばした男が立っている。

 全身を包む漆黒のロングコートにシルクハットという奇抜な格好。

 一誠の身が(すく)む。あの男はまっすぐこちらを向いており、瞳は身体の芯まで凍りそうな冷たさを放っている。

 異様な雰囲気を纏う男が一誠に向けて歩き出す。

 

「こんな時間に悪魔との邂逅(かいこう)とはな。だが出会った以上は仕方ない」

「ひっ」

 

 駆け出す、少しでも男から離れるため全力で……。

 男は一誠に身も凍る殺意を飛ばしてきたのだ。あのままでは確実に殺されていた確信がある。

 身に覚えのない敵意からひたすら逃げる。

 気づけば夕暮れの公園に足を向け、一人(たたず)んでいた。

 胸の奥がギシリと軋む。

 

 ──ここで誰かに何かをされた。

 

 そんな漠然とした記憶がある。

 

「鬼ごっこは終わりか?」

 

 翼が羽ばたく音が聞こえた。

 振り向けばカラスのような黒い翼を生やした男。さっきの危ないシルクハットの男性だ。その手には鋭い槍状の光が握られている。現実離れした光景に一誠の記憶がフラッシュバックを起こす。

 

 ──死んでくれる?

 

「ッ!」

 

 それは夕麻の言葉。

 全て思い出す。彼女のまた目の前の男と同じ翼と光を携えていたことを。

 

「あ、あんた、夕麻ちゃんの仲間か」

「夕麻? それは確かレイナーレ様の偽名。なぜそれを貴様が知っている」

「やっぱり夕麻ちゃんを知ってるんだな! 彼女は今どこに──」

「黙れ」

 

 男が疾走し、一誠の横っ腹を光の槍で殴りつける。実体がないように見えた光は鉄パイプのように固く、内臓まで衝撃を与えた。ピンボールのように地面を転がる一誠。喉から熱いものが込み上げて吐き出す。

 

「ごほッ!」

「レイナーレ様の存在を知っている以上、確実に死んでもらう」

 

 男が槍を逆手に持ち変えると投擲する構えを取った。

 すぐに逃げようとするが腹部の鈍痛が身体の動きを阻害する。

 

「さらばだ、木っ端悪魔」

 

 男が一歩踏み出し槍を放とうとした。

 迫り来る死の恐怖から目を閉ざす一誠。そんな死と恐怖の合間に割り込む影があった。

 

「その喧嘩、混ぜろぉ!」

「ぐが!」

 

 ゴォンと鈍器で殴る音が響く。

 

「あ、蒼井!?」

 

 一誠を殺そうとした男の背後から現れたのは渚だ。手にあった剣袋でフルスイングするや男の後頭部を殴り付けたのだ。地面に倒れた男を追い越して目の前に駆けてくる。

 

「探したぞ、無事か兵藤?」

「あ、ああ」

「なら今はササっと逃げろ。ほら、いつまで寝てる」

「内臓が破裂しそうなくらい痛いんだよ!」

 

 腹に強烈な一発を喰らっている身に酷な事を言うなと一誠は声を大にする。

 

「なに言ってんだ、今のお前は悪魔……くそ、まだ自覚ないんだった。とにかくすぐ動けるようになるから、そうなったら学校に向かって死ぬ気で走れ」

「あ、蒼井はどうすんだよ!」

「もう少し粘る」

「バカ言うな! あれは見た目人間だけど、翼とかビーム兵器とか持ってるワケわからん生物だぞ!!」

「知ってるよ。ワケわからん生物の相手はここ半年でかなりこなしてる。……大変、不本意ながら」

 

 渚が遠い目でそう言うと一誠と男の間に立ち、白い剣袋の紐を(ほど)いて捨て去る。中から出てきたのは竹刀や木刀でなく黒い鞘に納まった刀だった。

 

「お前、それ」

「言いたいことは分かってるからあとで聞く。コレ()については、お願いだから警察には黙っていてくれ」

 

 こんな非常時なのに、かなり真面目に手を合わせてくる渚。

 

「殺してやるぞ。……人間風情がこのドーナシークに何をしたぁああ!!」

 

 倒れていた男が立ち上がり、憤怒を撒き散らす表情で怒鳴りを上げた。

 

「……堕天使か。聞いてその日に接触とはツいてないな、ちきしょう」

 

 嫌そうに吐き捨てる渚。

 相手の殺意は完全に渚へ向いていた。自分の代わりに友人が狙われる羽目になった事に気づき、逃げたいが逃げたくないという矛盾した感情に(さいな)まれる。せめて助けを呼ぼうとスマートフォンを取り出す。

 

「あ、蒼井、すぐ警察に連絡するから!!」

「ちょ、ちょっとそれ、俺も捕まるから! 前科ついちゃうから!」

「じゃあ、どうすんだよ! ありゃ俺らの手に追えるモンじゃないぞ!!」

 

 冷静さを()いた一誠に渚が背を向ける。眼前のドーナシークと対峙するためなのは明白だった。

 

「余計に死人が出るから警察はナシで頼む、俺がなんとかするから」

 

 渚の静かな声音に一誠は気負(けお)され、息を呑む。いつもの眠たげで頼りない声ではない。それは全てを任せたくなるような力強い宣誓(せんせい)にも聞こえた。

 渚が刀の束に手を当てて腰を落とす。

 友人の雰囲気が研ぎ澄ませるのを一誠は見た。決して素人ではない鋭利な構えは達人のソレだと錯覚する凄味がある。波のない水面が如く穏やかに敵を見据える渚だが冷たい底にあるのは鋭く研がれた戦意。

 その剣士と怪物の対峙に一誠はただ見ていることしか出来ない。

 

「く、くく、そんな剣一本で私を止めるのか? 笑わせる」

「自分で言うものなんだけど、それなりの修羅場は(くぐ)ってきてるつもりだ。そう簡単に()れると思わないでほしい」

「大した自信だ。微量たりとも異能力を感じさせない弱者が……!」

 

 男、ドーナシークが動く。

 手には光の槍。それを使って刺し殺そうとするため渚に肉薄した。踏み込みは大地に亀裂を産み、弾丸のようなスピードだ。そんな人間サイズの弾丸を真っ正面から受ければ渚なぞ接触しただけで()ね飛ばされるだろう。

 

「身体能力は流石に化物じみてるな」

 

 極めて冷静な渚の声。

 鉄がぶつかり合う音が響く。

 見れば渚が鞘に納めたまま刀で槍を止めている。

 

「なるほど、大きい口を聞くだけあって素人ではないな。差し詰めリアス・グレモリーに(かどわ)かされた傭兵と言ったところか!」

「いや全然違う。なぜそうなる?」

 

 そこから始まる刀と槍の応酬。だがドーナシークの槍が渚を防戦へと追いやっていく。ギリギリの紙一重で躱すのが精一杯の渚。今にも切り殺されそうな状況に戦いを見守る一誠の緊張が増す。

 

「くく、どうした? つまらんぞ、反撃はないのか? 出来る筈もないか。人間の細腕で堕天使の豪腕から繰り出される槍を止められるだけ誉めるべきだな」

「……ッと、よく喋るなぁ」

 

 懸命に避け続ける渚。横から来た大振りの槍が来るも受け流す。人間とは思えない腕力が風を巻き起こし、一誠が思わず手で顔を(おお)う。

 端から見てもドーナシークは尋常じゃない。腕力だけでも大型野性動物を凌駕するだろう。

 その重い一撃が渚の脳天に向かって降り下ろされる。

 渚はそれを(いま)だ鞘に納めたままの刀で受ける。しかし彼の靴が若干コンクリートに埋まった。

 

「蒼井ッ!」

「ほら、潰すぞ?」

(おも)っ……」

 

 槍の重さに耐えきれず渚の肩に光刃が食い込み始めた。微かに焼かれる肉。

 渚が殺されると一誠は思う。膂力(りょりょく)が違い過ぎる。速さと力が赤子と大人以上の差があり、渚の勝ちが想像できない。

 

「もういい! 逃げろ、バカ野郎!」

「言ったろうが、なんとかするって」

 

 攻撃を(ふせ)ぎながら渚は言葉を返した。

 

「"なんとかする"? 笑わせる、この状況で貴様に何が出来るのだ?」

 

 ドーナシークの嘲笑(ちょうしょう)(もっと)もだ。脳天から迫る槍はもうじき渚の体を寸断するだろう。だが渚は顔色一つ変えずに唇を動かす。

 

「アンタ、……ドーナシークさんだっけ? 年長者に向かってこう言うのもアレだけど色々と雑だよ」

 

 渚が刀を横から縦にすると同時に半歩後ろに退いて半身となる。鉄鞘(てつさや)沿()って光槍が激しく火花を走らせるとすぐ脇を通り地面へ先端を埋めた。綺麗に受け流した槍を渚が荒々しく踏みつけて動かないように固定する。

 

「こちとら初めての堕天使戦だから色々と見極めてたけど手加減しすぎじゃないのか? 踏み込みも、間合いも、武器の扱いも、全部がダメ過ぎて逆にビビったわ! 俺の緊張を返せ、背中なんか汗びっしょりになったんだぞ! やる気あんのか! これなら毎晩会ってる"はぐれ悪魔"の方が何倍も恐ろしいっつの!!」

 

 渚が苛立ちを吐き出すように好き勝手わめき散らす。そしてドーナシークの顔面に拳を突き刺す。クリーンヒットした攻撃は一撃でドーナシークを地面に沈めた。

 

 一誠が呆気(あっけ)に取られる。渚があっさりとドーナシークという怪物を倒したからだ。ついさっきまで負けると思っていたが、実際には武器すら抜かずの圧勝。たった一撃の決着だった。

 

「よし、人間サイズなだけにやりやすい」

 

 ガッツポーズを決めた渚が一誠に近づく。

 

「大丈夫か?」

「あ、ああ、さんきゅ。蒼井、お前って意外っつかなんつうか強い……んだな? 体育の時間とかいつもボォーとしてるから運動が出来ない奴だと思ってた」

「あー、あれは立ったまま半睡眠してるんだよ。重心を中央からブレないように注意するのがコツだ」

「……寝てたのかよ。まぁいいや、それよりもアイツどうすんだよ?」

「意識はないみたいだし、グレモリー先輩のトコまでしょっぴくさ」

「なんでリアス・グレモリー先輩なんだよ?」

「それは纏めて説明するから学校に戻るぞ」

 

 一誠が渚の言葉に頷く。

 どうやら全てを知るにはリアス・グレモリーに会うしかなさそうだ。

 そう思い、立ち上がると心臓が大きく波打つのを感じた。同時に何故かドーナシークへ視線が動く。本能が察知したとしか言えない緊張に全身が硬直する。一誠と渚の視線の先には、先程までなかった筈の"黒い闇"があった。

 

「……倒されたか。人間を舐めすぎたな、ドーナシーク」

 

 倒れ伏すドーナシークにそう言ったのは全身を黒い布で隠す謎の人物。

 黒ずくめの人物は一誠たちの方へ向いた。

 瞬間、左手が疼く。一誠に"逃げろ"と伝えるように激しく脈打つ。本来なら左手の異常に驚くべき所だがそれどころではない。

 あの黒い人物を認識しただけでドーナシークとは比べ物にならない戦慄が圧迫感となって全身を締め付けるのだ。

 一誠は呼吸すら忘れて相手の様子を窺った。下手に動けば"アレ"を刺激するかもしれないためだ。"アレ"は全てが違う。"アレ"は手を出してはいけない存在だと本能が叫ぶ。

 

「リアス先輩、聞いてないですよ。あんなヤバイのが居るって……」

 

 人外(ドーナシーク)を退けた渚の言葉である。

 危機感を宿した余裕のない渚が一誠を庇うように前へ出た。その横顔には冷や汗が見える。一誠と同様の戦慄を肌で感じているのだろう。それでも渚は小さく震えながらも言った。

 

「どちら様で?」

「この男の連れだ。悪いがコレは回収させてもらう」

「……こっちと戦る気はないと?」

「挑むなら応えよう。だが、その態度からして解らん訳ではないだろう?」

「ああ、自殺願望はない。とっとと連れてけ」

「気丈だな。全身を震わせてなお強気な態度。ならばある程度の敬意を(ひょう)そう。我が名はクラフト・バルバロイ。"アルマゲスト"に席を置く"砕きし者"だ。少年たちよ、お前たちとは(いず)れ合間見える時が来るだろう。それまでに我が敵対者となっている事を切に願う」

 

 黒ずくめの男が言い切ると、ドーナシークと共に景色に溶けるように消えた。

 夕暮れの公園に静寂が訪れる。

 クラフト・バルバロイと名乗る男が消えて十を数えると同時だった。

 

「「死ぬかと思ったぁ」」

 

 凄まじい圧力から解き放たれて二人が地面に座り込む。

 生きた心地がしなかった。むしろ生きているのが不思議な位である。そう思わせる"何か"があの黒ずくめ男にはあった。

 

「ドーナシークを倒した蒼井でも、やっぱダメなのか?」

「直に感じたんなら解るだろ? ありゃ無理だわ、絶対ドーナシークよりも強い……ていうか桁が違う。俺が気配を感じなかったのはアイツで二人目だ。見ろ、手もガクガク」

「俺も脚がやばい」

 

 渚が心底安堵している事からも非常に危うい状況だったのだろう。正に命拾いである。

 全てが終わったあと現実離れした体験に一誠は精魂つきたのか力なく項垂(うなだ)れるしかなかった。

 だが兵藤 一誠は頭の(すみ)で予感があった。今日より自身の日常は様変わりすると……。

 その考えに同意するように、一誠の左腕が再び疼く。

 

 ──目覚めの時は近い。待っているぞ、相棒。

 

 胸の奥で、そんな声を聞いた気がした。

 





ドーナシーク、君の出番は終わりだ。

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