戦場に屍の山が築かれていた。
夜が近い黄昏の空は命を吸い上げたが如く真紅に
多くが死に包まれる中で唯一の生は十代にも届かない白雪の少女だけだった。
幼い身体に比べ、表情はあまりに"無"が過ぎる。
なにも感じない。こんなのはただの作業だ。
言葉にせずとも、それを如実に体現する姿は余りにも機械的だ。
熱のない冷たい姿見を体現した少女が真っ赤な世界に立っていると二つの影が伸びる。
最初からいたのか、それとも今やって来たのか。その男と女は白雪の少女を見た。二人は変わった風貌であり、一見して魔女と魔王を思わせる。
ふと、この死山血河の惨状を前にして魔女めいた女が満足げに男へ笑みを向けた。
『ふふふ。どうだい、彼女は? 自慢になるが、かなりの物だと自負してるのだけどね』
『……詰まらんよ、実にな』
偉丈夫な魔王は意外にも魔女の言葉を一蹴した。
『おやおや。初の戦闘にしては上々じゃないかな? この戦場には上級 第一種 異能個体を1000程を用意したんだよ? 国一つ攻め落とせる軍勢に勝利したという結果では不服なのかい?』
『個体値の高さは認めよう。しかし感情がない、精神に宿る火こそ魂に熱をもたらす。アレはただの殺す事に特化しただけの人形だ、真の強者には届かんよ』
『では彼女はあなたの後継機としては不満?』
『いや不満はない。アレの心に火を着ける何かがあれば評価は変わる』
『ふふふ。"プロフィティエンの聖王"や"
「何故だ、アンブローズ?」
「簡単さ、人類の天敵たる"不死王"さまが心を語っているなんて夢に思ってないはずだからね』
「少なくともお前よりは知っている、"魔王"よ」
「魔女って言いなよ、これでも女の子なんだがね」
魔女が帽子をかぶり直すとコツコツとハイヒールで屍を踏みつけながら少女へ歩み寄る。
『試験はおわったよ。帰ろうか、
『めあ……?』
いつものシリアルナンバーではない呼び方に疑問を抱いたのか、少女はルビー色の瞳で魔女を見上げた。魔女は演説家のように両手を広げると、誇らしいと称えるように、哀れだと
『完成品には、その称号を与えると決めていたんだ。今日からそう名乗るといい。世界の"
黄昏の終わりが来る。空が赤から黒へ移り変わり、太陽が闇に落ちた。暗き死の世界で何よりも誰よりも雪のように純白な幼女は"メア"として生まれ堕ちた。
●○
「……ん」
窓から差し込む朝日で目が覚める。
胸の上にある小さな小説の重みを感じながらアリステアは体を起こした。
どうやら本を読みながら寝ていたようだ。少しズレてしまった眼鏡を直して安堵のため息を吐く。こんな隙だらけの状態で寝るなどいつもならあり得ない。少しだけ心労が貯まっているのを自覚しつつ、時計へ視線を向ければ時間は七時半、随分と寝坊をしてしまったと思いつつベッドの代わりをしてくれたソファーから立ち上がった。
「最悪としか言い様がありませんね」
夢の内容は覚えている。かつての記憶の焼き増しだ、思い出したくもない過去である。
夢見の悪さにウンザリしつつも洗面台に向かい、顔を洗う。タオルを取ろうとして目の前の鏡に自身の顔が映る。
その瞳はいつものアイスブルーではなく真っ赤なルビーのような色だった。
「やはりギャスパー・ヴラディとの交流が切っ掛けですか。……全く仕方の無い」
直ぐに意識して瞳の色を戻す。
そしてタオルを投げ捨ててリビングへ出るや箱買いしていた大量のゼリー飲料に手を伸ばすとちゅーっと飲み始める。五秒ほどで食事を終えたアリステアは空になった容器をゴミ箱に捨てた。
我ながら質素だと自嘲してしまいそうだ。
アリステアは料理が出来ない訳じゃない。むしろ一流料理人に匹敵するだろう技量を持つ。
だが作るのが好きかと言えばノーだ。彼女にとって食事は栄養補給に過ぎないので自分の為には決して作らない。
何もなければアリステアの主食は簡易栄養食品になってしまうのだ。彼女にとって食事に時間を潰すなど愚の骨頂で、その時間を読書などに回した方が有意義と言ってしまうくらいだ。
そんなアリステアなのだがエプロンに手を伸ばすなり、冷蔵庫から卵とベーコンを取り出して慣れた手つきで調理を開始する。
ボールに片手割りをした卵を投入すると小気味良くかき混ぜ、パッパと流れるように軽く塩をふり、サッと油を引いて熱したフライパンで狐色に鳴るまで混ぜた卵に焼く。次に白いペーパーでフライパンを軽く拭くとピンク色のベーコンを軽く焦げ目が出るまで熱を通す。そしてパチパチと弾けるベーコンをBGMに食パンを二枚ほど袋から抜き取ると表面に網目上の切れ込みを入れてバターを乗せる。そしてトースターにセットしてタイマーを回す。
やがてスタンダードな朝御飯が完成した。きつね色の卵焼きにこんがりと焼いたベーコン、トースターは表明に入れた切れ込みにバターが浸透してより美味しそうである。
そんな朝御飯をトレイに乗せて、ある一室のドアを無遠慮に開く。
「おはようございます」
部屋に入ったアリステアが挨拶するも返事はない。
整頓こそされているが、ゲーム機や漫画が転がる普通の男部屋。その部屋にあるベッドでは渚が眠っていた。耳を澄ませなければ寝息すら聞き逃してしまう程に静かな吐息。かなり深い眠りだろう事が予測できる。ベッドのそばにある棚に朝御飯を置くとアリステアは渚の横に座る。
「全く、いつ目を覚ますつもりなのですか?」
アリステアの言葉に一切の反応を示さない渚。
そんな彼に怒るでもなく、呆れるでもなく、アリステアは渚の頬に優しく触れるも起きる気配がない。
渚はかれこれ2週間も眠り続けている。原因は"蒼"による強制的な肉体変性の負荷。肉体的にも精神的にも消耗仕切った渚は回復のため深い眠りについているのだ。
「早く起きないと唇を奪ってしまいますよ」
渚に覆い被さるとアリステアがゆっくりと顔を近づけた。彼女の美しい白雪のような髪がサラリと渚にかぶる。あわや数ミリの所まで唇同士が接触するが寸での距離で止まった。
コツンと額が触れた。数秒後、アリステアは渚から離れる。
「ふむ、熱は大分下がりましたか」
ふと強烈な光がアリステアの目を眩ます。
それはベッドの横に立て掛けられた刀。アリステアに自らの存在を主張するかのように太陽の光を反射していた。
「こんな不意打ちのような真似はしませんよ、驚きましたか?」
不適に笑いながら刀へアイスブルーの瞳を向ける。
渚の愛刀である"御神刀 譲刃"は当然ながら無言だ。しかし間違いなく担い手の目覚めを待っていた。
「それでは出掛けます、
そう言ってアリステアは渚の部屋を後にする。
●○
「どう? それなりに良い茶葉を選んだのだけど」
「悪くはありません」
「それならよかったわ」
午後、アリステアは駒王学園の旧校舎に来ていた。
ギャスパーに邪眼のレクチャーをするためだ。リアスも同伴しており、少し離れた所ではギャスパーが念じるように時計の針の動きを"
「すごいわ、今まで自分以外は停止させてしまっていたのに……。流石はアリステアね」
「コツを教えただけです。あれは才能の塊ですね。彼、間違いなく潜在能力は眷族一です。操作のコツ掴んだだけで時流操作に手を伸ばしている。とんでもない存在を身内にしたものです。しかしなんですか、彼の格好は……」
ギャスパーはなぜか女子の制服を着ているのだ。小さな身体に可愛いらしい容姿も相まって非常に似合っている。男だと見抜ける者はそうはいない。
「ふふ、可愛いじゃない」
あの格好についてはリアスも了承済みのようで平然とギャスパーを称賛していた。着ている服はおかしいが能力の高さは同意せざる得ない。扱いが難しい時間停止を操れている時点で規格がちがう。このまま成長すればグレモリー眷族でもトップクラスの実力者になるだろう。
そんな事を思いつつ古い机をテーブル代わりに紅茶を頂くアリステア。
「冥界で何か面白いことは起きていないですか?」
「急にどうしたの?」
「ただの世間話ですよ。指導対象が優秀過ぎてやることがありません。美味しい紅茶があるのです、暇潰しに付き合ってください」
ギャスパーの訓練ついでに情報収集もしておく。
リアスは魔王の妹だけあって鮮度の高い冥界情報を持っている。これは彼女の兄である魔王サーゼクスがそうさせているようだが、アリステアにとっては貴重な情報源なので利用しない手はない。情報は多ければ多いほど良い。情勢の動き、立ち回り、対策、全ては情報があってこそのものだ。
堕天使の総督アザゼルと魔王の妹であるリアス。この二人へのパイプを持っているアリステアは冥界陣営の情報には強い。欲を言えば天界とのパイプも欲しいがアチラは基本的に引き篭ってるので手の出しようがないから諦めている。
三大勢力の情報は常に握って置きたいのがアリステアの本音だ。自分の知らない場所で戦争でも起きたら後手に回る可能性だってある。それはあまり宜しくないのだ。
そんな事情は口にせずカップにある紅茶を優雅に飲む。仄かな紅茶の香りが吐息に混じり気分を柔らかくしてくれる。この感覚はこの飲み物でしか味わえないだろう。
アリステアが紅茶を吟味しているとリアスが思い出したように話を振ってくる。
「そうそう、最近人間が冥界に"強制召喚"される事象が勃発しているらしいわ」
「"強制召喚"、ですか?」
リアスとテーブルを挟むアリステアがカップを置く。
悪魔の名家であるグレモリーの出身だけあってリアスが扱う茶葉は高級だ、それこそヘタな店で出されるよりも美味しい物が楽しめるのだ。一緒に出されたスコーンに手を伸ばすと口へ運ぶ。美味な紅茶に負けず劣らず菓子も絶品だった。お茶と菓子を楽しみつつもリアスの言葉に耳を傾ける。
「アリステア、"強制召喚"がどういったものかは知っている?」
「本来、召喚とは何らかの誓約によって力を貸してもらう術式です。比べて"強制召喚"は相手の意思や都合など関係なしに呼び出して隷属させる物だと認識しています」
「流石に博識ね。その通りよ、しかも強制的に召喚するだけあって魔力の消費も大幅に増える傾向がある、何より無理矢理召喚させれた方も協力したいと思える筈もなく大体が失敗に終わるわ」
「一見してリスクしかない。余程の愚か者か力を持つ存在か、どちらにしても酔狂な事です。それで事件の犯人は?」
「目星も着いていないみたい。同一犯というのは確実らしいわ、拐われた人たちは同じ召喚陣を覚えていたようだし……」
「陣に術者のクセが出るのでは? そこから逆算すれば自ずと犯人は特定できるはずです」
「いいえ。上手く隠蔽しているから解析は不可能、しかも戻ってきた人たちは記憶を消されているわ」
「お優しい事ですね。わざわざ連れ去った者を帰すなんて」
「この事件の面白い所をソコよ。連れ去られた者は全員が魔法使いや英雄の子孫の関係者で素質が高い者が選ばれてるの、強力な神器持ちも含まれるわね」
「誘拐犯は余程戦力が欲しいと見ました。話を聞くにかなり厳選しているように聞こえます」
「けれど全員が三日以内で元の場所に帰されているわ」
「外傷及び後遺症は?」
「記憶の欠如以外は一切なし」
可笑しな話である。
魂を奪うわけでもなく、神器を盗るでもない。わざわざリスクの高い"強制召喚"を繰り返して何がしたいのだろうか?
目的が不鮮明すぎて予測が難しい。アリステアはすぐに考えることを放棄する。こんな事でわざわざ脳を働かせるなど労力の無駄だ。だから適当に答えを出しておくとした。
「お茶会にでも招待しているのでしょう」
「ふふふ。貴女も冗談が言えるのね」
真面目に考えろと言われると思ったがリアスは優美な笑みだけを返した。彼女にとって軽い世間話し程度の話題だったのだろう。
「私をなんだと思っているのですか?」
「親愛なる隣人かしら」
「それはどうも。ギャスパー・ヴラディ、時計の針が僅かに動いてます、集中してください」
「うぅう。が、がんばりますぅ、ししょー」
「その師匠というのはやめてください」
ギャスパーの集中力が低下した事を指定すると紅茶を啜る。リアスが肩をすくめるも次の話題に移った。
「ねぇ渚の具合はどうなの?」
「前に伝えた通り、休眠状態が続いています」
「長いわね、もう2週間よ?」
「当然でしょう。白龍皇とコカビエルを同時に相手をしたのです、それだけ力を酷使した……それだけですよ」
「もう、いつもながら冷静ね。ウチの子達なんて全員が気が気でないようよ」
「知っていますよ。毎日誰かが渚の家を訪ねてくるので落ち着いて読書もできません」
「貴女だってずっと渚の家にいるじゃない。折角部屋を用意したのにこれでは意味がないわ」
「護衛ですよ。流石にあの状態では無防備が過ぎる」
「ふふ、素直じゃない。違うわね、照れ屋……なのかしら」
「なんの話か解りかねます」
「ま、それがアリステアのスタイルならしつこくは言わないわ。嫌われてしまうものね」
「そうですね、もっと面白い話題を提供することをお勧めしますよ」
「じゃあアリステア・メアにとって蒼井 渚はどういったものなのかを聞かせて?」
色恋の話は苦手だ。
アリステアは恋愛をしたことがない。確かに渚を特別扱いしているのは認めよう。だが自分にとって渚が何かと言われれば恋人や想い人という答えになるのだろうか?
少し考える。いったい渚という存在は一番何に近いのか?
存外と答えは直ぐに出た。
「空気です」
「く、空気?」
呆けた顔をするリアス。
「そうです。在って当然であり無くては生きていけない、私にとってナギは空気そのものなのです」
それが妥当だ。
自分の行動指針が渚に片寄っているのは自覚しているし改める必要性も感じない。これはずっと昔に決めたことであり、誰がどう言おうと変える気もない。
自嘲してしまうほどに重い女だ。まぁ軽いよりは良いだろう。渚に直接被害を加える訳でもなく、彼が他の女性を愛するなら許容も出来る。パートナーとして隣に立っていればそれでいいのだ。
他者から見れば異常にしか思えないかもしれない……がアリステアにとっては他人の考えなどどうでも良い事柄に過ぎないので気に止めるなどバカらしい。
「まぁ貴女たちの関係が深いことは十分理解しているわ。ちょっと独特な解釈に驚いたけどね」
「人それぞれという言葉は便利ですね」
「さっぱりしてるわね」
「ドロドロよりはマシではありませんか」
リアスが肯定するように頷く。
こうして話をしていて常々思うがリアスは会話が上手い。人の気持ちに入ってくるが不快さがないのだ。身分を差し置いて他人と視線を合わせる気遣いがあるからだろうか。それは一種にカリスマ性といってもよい。
口を開けば相手を苛立たせる自分にはない才覚である、尤も全く羨ましいとは思わないだが……。
「し、ししょ~、僕、もう限界ですぅ」
アリステアは自身の腕時計に眼をやる。持続時間は30分46秒といったところだ。半径15センチの限定空間とはいえ、結構なタイムである。
「前よりも1分02秒伸びてますね。いいでしょう、今日はここまでとします」
「ふぇえ、やりましたぁ」
「これを食べてください」
「うわぁチョコレートですかぁ」
チョコの入った菓子袋を取り出すと子犬のようにアリステアへ寄ってくるギャスパー。
「見たこと無いチョコね。綺麗な形をしているけど何処のもの?」
「手作りです。眼と脳は親密な関係にあります、それは異能も変わりません。疲れた脳には甘いものが良いでしょう」
「私も一つ貰ってもいいかしら」
「構いませんよ」
リアスがサイコロのようなチョコを一つ摘まんだ。
「あら美味しいじゃない、もう一つ。絶妙な甘さが口に広がるわ、レシピは自分で考えたの?」
「様々なチョコを食べてから良いと思った部分を自分なり抽出して掛け合わせで作った模造品ですよ」
「模造品って……。それはもう貴方のオリジナルよ」
「もぐ、もぐ、おいしいれすぅ」
「ギャスパー・ヴラディ。口が汚れています」
ハンカチを取り出してゴシゴシとギャスパーの口を吹くアリステア。
「えへへぇ」
「なんですか、急に。気持ち悪いですね」
「ししょーは怖いけど優しいですぅ」
「……その二つは両立するのですか?」
「わかるわ、貴女って身内には存外甘々なのよね。渚しかりアーシアしかりってね」
「なら優しいという評価だけにしてほしいものです」
「だって貴女って雰囲気と言動が物騒だもの。特に敵対者には恐ろしいほど情けがないわ」
「殺しに来る相手に情けをかけてどうするのですか」
そんな談笑をしつつもギャスパーの状態を"眼"で確認する。時間操作のオンとオフがしっかり出来ているが、それは今が平時だからだ。精神を揺さぶられることがあれは勝手に発動する。強靭な精神力を持たせれば解決だが、臆病が服を着て歩いてるような彼を鍛えるのは時間が掛かる。こればかりは外部からどうにかするしかないだろう。
ともせず上等な紅茶を頂いて満足したので、そろそろ帰ろうかと考えた時だ。アリステアの第六感が反応を示した。
──キィィィン!!
それに遅れて数秒後、学園に張っていた侵入者用の結界が独特の念波を鳴らして異常を知らせる。人ではない何かが駒王学園へ侵入者してきたのだろう。
「侵入者!?」
「正面からとは豪気なことですね」
「ふぇ?」
リアスとアリステアが言うと同時に魔方陣が展開されて人影が現れる。光が消えるとソコには四人の男女が立っていた。
真っ昼間からとは中々に肝の座った真似をするものである。アリステアはテーブルに肘を立てて頬杖にすると相手を見据えた。
「ゼノヴィアに紫藤 イリナ?」
リアスが眉をつり上げて困惑する。現れたのは以前コカビエルを追っていた二人組の聖職者だ。あの戦いが終わって早々と退却した筈の者が再び駒王を訪れていた。その二人に囲まれているのは長身で様々な装飾の着いた服を着た優男と全身をローブとフードで隠した少女だ。招かれざる客を鋭く観察する。その気配は人ではない。アリステアの"眼"が全てを見通す。
「天使ですか、見るのは初めてですね」
「天使!? そんな気配はしないのだけど」
「わわわ、眩しいですぅ、吸血鬼にはきびしいですぅ!」
ギャスパーが逃げるようにアリステアの後ろへ隠れた。
「光力は隠している筈ですが?」
優男の方が若干の驚きを見せた。
何を驚くのか、正体を隠したいのなら天使の気配をもっと上手く消すべきである。リアスは
「そこの聖職者。コレらはなんですか?」
アリステアがゼノヴィアとイリナに問う。彼女たちにとってアリステアは、ほぼ初対面に等しい。いつもの上から目線で喋りかけられた二人は眉を釣り上げた。
「あなた、蒼井くんが倒れた時に現れた人ね! その上から目線な所は直した方がいいわ!」
騒がしい少女である。知りたいのはこの天使達の名と目的であり、お小言ではない。聞いた相手を間違えたか。
アリステアはイリナを無視して視線をゼノヴィアへ移す。はっきりと自己紹介はされていないが、この聖職者二人の調べは付いているので今さら彼女たちの情報はいらない。将来有望な使い手と揶揄される若い
「このお方達はラグエル様とイオフィエル様、偉大なる大天使のお二人だ」
「ひぇえええ、おしまいですぅ。僕みたいな木っ端吸血鬼悪魔なんて瞬殺されちゃいますぅ」
欲しかった情報を提供するゼノヴィア。歯向かってくると思っていたが中々に話の分かる少女だ。イリナが下げた
「ラグエルにイオフィエルですって!? 四大
リアスの驚嘆の納得である。
智天使とは最上級の熾天使に次ぐ天界の重役だ、それが急にやって来たのだから心中穏やかではいられないだろう。警戒するリアスに柔和な笑みを浮かべたのは男性、ラグエルだった。
「急な訪問は謝罪します。今日は天界の代表という形でお邪魔しました」
「……天界の代表が駒王になんの用? まさか宣戦布告の代わりに私を殺しに来たのかしら」
「それこそまさかです。なんの事はありません、聖剣紛失の是非を問うためです。アレは私たちにとっても重要な物なので教会に返却しておきたいのです」
「聖剣? それはコカビエルが取り込んでそのまま消えたわ」
「なるほど。戦士ゼノヴィアの報告通りなのですね、確認とは言え、疑ったことは謝罪します」
ラグエルが頭をさげる。
やけにあっさり引いた。いや、最初から聖剣など無いと解っていた節がある。恐らく聖剣の有無など口実かこじつけ、そのどちらかだろう。
「リアス・グレモリー、貴女に感謝を。悪魔が教会の戦士を助けた事は僥倖です」
アリステアの背後に隠れるギャスパーがちょんちょんと控え目に肩を指で突っつく。
「し、ししょー、ぎょうこうってなんですかぁ?」
「
「も、もちぃ? おやつの話をしてるんですか! 余計わかりませんよぉ!」
「落ち着きなさい」
「で、ででで出来ません! 光で妬かれる未来しか見えませんよぅ!」
泣き顔でグイグイと服を引っ張れる。服が伸びるからやめてほしいアリステアはギャスパーを安堵させる意味も込めてラグエルへ言う。
「悪魔に対して随分と友好的ですね。争う気は無いのでしょう?」
「はい。私が来た本来の目的は、礼を言わせて頂くためです」
「天使が悪魔に礼ですって?」
「お互い歩み寄ることも必要だと思っています」
リアスが今度こそ信じ難いと疑いの目を向ける。
なんの脈絡もなく歩み寄るなど信じられるはずもない。悪魔と天使はそれ程までに血みどろの闘争を繰り返し続けたのだ、今は冷戦状態まで落ち着いているが、少しの火種で再び爆発してもおかしくない。
しかしアリステアは冷静な心境でラグエルを見つめる。
「(狙いが見えましたね。わざわざ名のある天使を遣わせて争う気がないとアピールしている。リアス・グレモリーを通して冥界もしくは魔王にも和平を可能性を抱かせるつもりでしょうか。……天界は余程に戦争は避けたいと見えます)」
遅かれ早かれ天界は何らかの行動を起こすだろうとは思っていた。
天上の主たる神は不在。その事実は一部を除いて教会関係者にも伏せられている。知られれば信仰が失われてしまうからだ。トップが消え、戦争で疲弊した天界が苦渋の決断とはいえ悪魔に歩み寄るのは理解出来る。
渚が喜びそうな話題である。起きたら三大勢力が仲良しになっているのだ。自称、日常を愛しているらしい男には朗報だろう。
「それで貴方はどうなのです? 彼同様、因縁の相手と仲良くなりたいのですか、可愛らしい天使さん」
中学生くらいに見える智天使をアリステアは見下す。さっきからこのイオフィエルという天使はアリステアに対して冷たい視線を送っていたからだ。どうにも嫌われているようだとアリステアはせせら笑いを浮かべる。瞬間、イオフィエルが力を隠すのをやめる。そして重圧で部屋全体がミシミシと軋みをあげた。
空気中であっても溺死してしまいそうな息苦しさにリアスとギャスパーは冷や汗を流すがアリステアは涼しげに受け流す。
「可愛いなんて誉め言葉なのに、あなたから言われると怖気がすごいよ」
「それは失言でした。以後、気を付けましょう」
面白いくらいに嫌悪を隠さない。ここまで来ると清々しさすら感じてしまう。
「質問に答えようか。悪魔と仲良く出来るか否か、だったね。答えは
「神の敵を前に邪な考えを抱いた天使の行き先は堕天ですよ」
「ならないさ。わたしにとって悪魔も天使も同じでね。黒が悪で白が善など幼稚な考えはしていないのさ。だから悪魔を敵だと思ったことはない。あちらが手を差し出せば握り返すし、憎悪を以て害を成すなら暴力で返礼する。……あなたは違うのかい?」
飽きたように圧を納めるイオフィエル。
小さな体にしては尊大で芝居の掛かったイオフィエルの声。その顔はフードで隠れているが間違いなく嗤っている。
「存外、マトモなようでよかった。貴女から少し物騒な気配を感じたので」
「あぁ悪かった。これは個人的な感情でね、あなたが嫌いなんだ」
その言葉にざわっと周囲の空気が変わる。
急な告白だ。まさか初対面で嫌われるとは中々に自分も罪なものだ。
ラグエルがワザとらしく肩を竦める。
「意地悪な笑顔ですね、イオフィエルさん。それにしても失礼が過ぎますよ」
「仕方ないだろ、性格だ。ほら挨拶が用件なら早く帰ったほうがいいぞ、ラグエル。あなたは暇な身ではないと自覚すべきだな」
イオフィエルが嘲笑う口調で言う。
旧知の仲なのだろう、気安い雰囲気が二人の間にはあった。
「彼女の言う通り、今日は顔見せで済ませようと思っています。リアス・グレモリー、また近い内に会いましょう」
「今度はアポイントを取ってからの訪問にしてちょうだい、大天使ラグエル」
「それは失敬。次からはそうさせていただきます」
「失礼する」
「さよなら。そこの可愛らしい悪魔ちゃんも」
「ひぃぃ、
イオフィエルが天使特有の陣を紡ぐとラグエルがリアスに会釈して転移する。追うような形でゼノヴィアとイリナも消えた。
最後に残ったのはイオフィエルなのだが一向に立ち去ろうとしない。それどころかフードを後ろに倒すと素顔を露にする。天使の名に相応しい美しさと可愛らしさ同居した容姿。そんな彼女が蠱惑的に目を細め、軽く手を払って陣を破壊する。
「な、何をっ」
「グレモリーの娘。あなたの隣にいる彼女と少し話がしたい」
光が粉々に砕かれて粒子だけを残す。キラキラとガラス細工のような陣の残骸を背にイオフィエルは立つ。その顔は何か言いたそうに真っ直ぐアリステアを見ている。
「用件があるのでしょう? 聞いてあげますから言って下さい」
自分を嫌いだと
「──黄昏時のメア。あなたは世界にとって"
それは、かつてないほどに殺気を満ちた瞳だった。
彼女にとって絶対に聞くことがないと思っていた単語の羅列。アリステアの過去に触れる行為だったからだ。
「その名を
「はて、昨日見た夢かもしれないし、天界の大書庫かもしれない。もしかしたら今思い付いた冗談という線もあるかもな」
真面目に答えるつもりは無さそうだ。
メアという名に隠されたアリステアの二つの"
「どこまで知っているのですか?」
「その問いにはこう答えようか。──大概だ」
「まさかそんな言葉を投げ掛ける人がいるとは思いませんでした。けれど貴女という天使のお陰で"聖書の神"の正体が分かりましたよ」
「それは良かった。では返礼がてらに、あなたも答えろ」
「大概の事を知っている貴女が何を問うのです?」
「あなたなら即答できる簡単な問いだ。──蒼井 渚はいるのか?」
アリステアが銃を抜いて引き金に指を掛かる。
二人の間の空間が淀む。
「ちょっと、アリステア!」
「ひぃいい、このししょーは怖いししょーですぅ」
敵意、殺意、疑念、それは負の感情をぶつけ合う互いの牽制。取り残されたリアスは訳がわからないと言いたげな表情だ。
「所在を訪ねただけで銃を向けるとは無礼な人だな。まぁどうやら、わたしはあなたが嫌いなようだしお互い様か」
何処か楽しんでいるような声音のイオフィエル。
「天使様に嫌われる事は何もしていないと存じていますが?」
「今しているだろうに……。けどそれは理由じゃない。言葉にするなら存在かな。あなたとは相容れない。……そんな感じだよ」
「辛辣ですね。ですがこういう真っ直ぐな敵意も珍しい」
「敵意か。こんなにも負の感情が溢れ出たのは初めてかもしれない」
「ならばその感情のままに私を討ちますか?」
アリステアの挑発を鼻で笑うイオフィエルが首を振った。
「あなたの強さは予測の外にある。しかしわたしが負けるという予想も出来ない。……ゆえに過信は己を滅ぼす諸刃の剣と互いに自覚した方がいい」
「私が過信をしていると言いたいのですか?」
「そうだ。あなたの思考は読んで取れるぞ。『たかだか天使ごときが勝てると思っているのか』だろ?」
「おっしゃる通りですよ」
「確かにあなたの戦力は凄まじい。それこそ
イオフィエルの左手に雷華の光が迸る。
「投げますよ、ギャスパー・ヴラディ」
「へ? ふぇえええええ!!」
臨戦態勢に入ったと判断したアリステアは残った片方の手でギャスパーをリアスに投げつけると霊氣を込めた弾丸を叩き込む。
瞬間、アリステアの額に刃が向けられた。空中に浮いた一振りの剣は静止状態で動く気配はない。だがあと少し押し込めば脳を貫くだろう。
「ほら一回死んだ。吸血鬼くんなんかに気を割くからだよ?」
アリステアの放った弾頭を軽く摘まむイオフィエル。そしてスピンを繰り返す弾頭を菓子細工のように潰して砕く。
「紹介する、我が"剣兵"アドナキエルだ」
空中に浮いた剣の柄に手が現れる、それから腕が現れ、胴体、足、頭の順で剣の持ち主が実体化した。
隠していた姿は神々しい甲冑に身を包んだ白騎士だ。全身鎧のソレは無言でアリステアへ剣を突き付けている。召喚というには速すぎる、モーションどころか異能が発動した痕跡すら見えなかった。まるで今の今までそこに居たような錯覚すら覚える。
「ご立派な従僕をお持ちなんですね。ですが届いていませんよ」
アリステアが宣言すると甲冑の白騎士の剣が真っ二つに折れた。
出てきたタイミングも攻撃手段も見逃したがアリステアはキチンと反応していた。自らに迫る凶刃を迎撃していたのだ。
「……二発目の銃声は聞こえなかったな」
「私を簡単に出し抜けるとは思わないことです」
「それでもあなたが死んでいることに変わりないよ」
冷たい金属がアリステアの首に添えられる。
背後から鋭い爪が伸びてきたのだ。見れば両手に長い爪を持った異形の白き暗殺者が死へと
その存在はアリステアの既知の外にあり、間違いなく不意を突かれた形である。
「彼は"暗殺者"ガムビエルという、まだやるかい?」
手を差し出して降伏を促すイオフィエル。アリステアよりも小さい体の少女だ、だがその力は想像を越えている。
屈辱ともいえる敗退にも関わらずアリステアは頬を愉快そうに歪ませた。
「不意打ちとはいえ私を一度殺すとは素晴らしいですね。貴女、本当に天使ですか?」
「こんなに可愛らしいわたしが天使以外に見えるのかね? それで死んでみた感想は?」
「ご自分で味わってみては?」
意味不明な回答だ……と言いたげなイオフィエルだったが咄嗟にその場から跳び退く。
しかし遅い。一発の弾丸が華奢な彼女の肩に命中する。苦痛に顔を歪ませるイオフィエル。見れば純白だった服が血に染まっていた。
「これはアドナキエルの剣を破壊した弾丸。生きていたか」
「特殊な魔弾です、これは音も光も匂いもしない。ただ無言で相手の肉を食い破る。尤も心臓を破壊するつもりでしたが外しましたね、いえ躱したと称賛を贈るべきですか?」
「ただの勘で体を逸らしたに過ぎないから世辞はいらない。実際にあと少し遅れていたら心臓だ、死んでもおかしくなかった」
「ですが敗北は認めてあげます。あなたがその気なら私の首は無事ではありませんでした。良くて相討ちとは我ながら情けないものです」
「意外だね、あなたはプライドが高そうだから敗北は認めないと思っていたよ」
「慢心していたのは事実です。この敗北を糧にするだけです。……続きは?」
「やめておく。それをしたら、リアス・グレモリーが憐れだ。これはわたしとあなたの問題だろ? ──バキエル」
剣兵と暗殺者が炎のように燃え上がり、痕跡一つ残さず消えたと思うとイオフィエルが側にシスター服を着た人形らしきモノが現れ、肩の傷を治す。
騎士に暗殺者、果ては僧侶。自立行動をしている様子からも恐らく召喚に近い能力なのだろう。
傷を癒したイオフィエルが再び聖なる陣を展開する。今度こそ帰るようだ。
「──殺した詫びに教えておこうか。わたしにあなたの忌み名を教えたのは"エル・グラマトン"だ」
その名を聞いた瞬間、アリステアは胸がざわつく。
「やはり、ですか」
「残念かい?」
「ええ、とても」
「それは良かった。ではそろそろいくよ、ではまた近い内に会おう。白雪の魔弾、そして紅の滅殺姫」
ヒラヒラと手を振りながら光の中へ消えていくイオフィエル。
アリステアはそれを黙って見送る。
「渚といい貴女といい、のっけから私のホームを戦場にしないでほしいわ。部屋が散らかったじゃない」
「トラブルメイカーですね」
他人事のようなアリステアにリアスは頭を抱える。まさかこんな急に戦闘紛いな事が起きるなど考えてもいなかったので結界を張り忘れていたのだ。異変を察知した者たちがもうすぐやって来るだろう。
「騒がしくなる前に帰ります」
グレモリーの眷属やシトリーの関係者たちが駆けつけてくるのを予感して旧校舎の窓から飛び降りた。瞬間、扉が開いて悪魔が雪崩れ混んでくる。
上から「ちょっと、逃げないでちょうだいっ!」とリアスが怒り、「ひゃあああ。人です、人がいっぱいいますぅ、助けてぇえええ!!」とギャスパーが悲鳴をあげるがアリステアを敢えて無視して立ち去ったのだった。