ハイスクールB×B 蒼の物語   作:だいろくてん

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そこは地獄の中にある地獄だった……。



黄獄獸鵺《Inferno in Hell》

 

 渚はシアウィンクスに力を貸すと約束した。

 しかし今回は規模の大きい戦いになる。それは渚にとって不安材料にもなる事柄だった。戦闘は得手でも、戦争に関しては未経験だからだ。ただ目の前の敵を倒せば終わるわけではない。圧倒的な力を持っていようと所詮は一人。闇雲に立ち向かえば何処かで(ほころ)びが(しょう)じて取り返しの付かない状況に発展しかねないのだ。

 最悪、シアウィンクスはバアルの手に落ち、民は鏖殺(みなごろ)される。防ぐには知恵──即ち戦略が必要だと思い当たる。

 そして幸運にもソレを持つ者は渚の近くにいた。

 蒼の少女、ピスティス。

 渚の中に息づく謎の存在の一人。彼女は"蒼"と密接な関係にあり、色々と力を貸してくれるアリステアに並ぶ相棒。

 幼く機械的で稀に感情的な彼女は力だけではなく、意外にも戦術にも通じていた。

 バアルからシアウィンクスを救うにはどうすべきかピスティスに問うた時、彼女は情報を求めた。

 バアルの大まかな戦力、周辺領土の関係性、旧ルシファー領土の総人口、冥界全体の地理、"ルオゾール大森林"の先にある領土。

 

『まず領土は捨てる。シアウィンクスの身柄を優先させるのなら一ヶ所に留まるのは下策、守りきるには戦力不足。例えナギサと私が善戦しようと分断されれば終わる。数で大きく劣る以上、戦うべきではないと判断。今やるべきは"次"に繋げること……即ち戦略的撤退。推奨する行き先は"ルオゾール大森林"を抜けた先にあるフェニックス領。あそこはライザー・フェニックスの件でバアルと確執があり、その件で魔王に庇護を受けている。何よりライザー・フェニックス及びレイヴェル・フェニックスはナギサに恩がある。それを盾にすれば交渉は可能と判断する」

 

 様々な情報を与えたピスティスが出した結論がこれだ。

 渚は幾つかの質問を挟み、ピスティスの案を採用した。実現可能なアイディアがこれしかないと思ったからだ。渚がそれを伝えるとピスティスは最後にこう言った。

 

『ここからは時間の勝負。バアルは既に動いている』

 

 その話を聞いた渚は次の日には計画の(きも)となる"ルオゾール大森林"へ向かう事にする。

 カルクスやククルには無謀だの(なん)だの言われたが他に代案は無さそうだから行動に移させてもらった。

 今ある手札でしか戦えないうえに時間は敵だ。

 なので渚はこの計画を進めると決めた。例えどれ程の危険が待ち受けようとも……

 

 

 

 

 ○●

 

 

 

 

 ──ルオゾール大森林。

 

「いい加減、体が持たないぞ」

 

 渚は疲労に染まった顔で苦笑する。

 そこは嵐の真っ只中にあった。吹き荒れる風は魔素、猛るは魔力、迫り来る魔物たち。

 殺意が雨のように降り注ぐ魔境で死の舞踏が繰り広げられる。"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が引き裂き、"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"が射ち砕く。

 殺戮の権化となった渚に魔物は次々と命を賭け金に飛び掛かってくる。

 2mはあるオオカミが音速を越えたスピードで渚の肉を噛み千切ろうとするが頭を叩き潰す。返り血が全身を汚すが気にしている暇はない。飽きずにやって来る魔物は多種多様の一言に尽き、次はカマキリのような奴がキシキシと耳障りな音を()らしつつ両手の大鎌を振り抜いてくる。両サイドに洸剣を設置して受け止めるとそのまま自慢の両鎌ごと滅多斬りにして絶命に追いやる。

 渚は積み重なる疲労に耐えながら魔物を駆逐し続けた。そうしている内に死屍累々の光景が出来上がる。

 やがて最後の魔物を倒し切った渚は大樹にもたれ掛かり、肩で大きく息をする。明らかに疲労困憊だった。

 

『ナギサ、これで最後。コロニーへの帰還を推奨する』

「……何体倒した」

『小型5453体、大型は1227体。周辺に魔物の反応なし。ナギサ、連戦による疲労で体力の限界が近い。このままでは表層に帰れなくなる。想定ルートA~Hは開拓済み、悪くない進行具合』

 

 ここは"ルオゾール大森林"の中層にして深奥への入口付近。渚は近く行われる領民の大移動に備えて、魔物を狩りながら道を放り開いている最中だった。

『蒼』を駆使した一方的な乱獲による安全ルートの確保。かれこれ丸2日は森を狩り続けている。

 "ルオゾール大森林"は未踏の地なだけあり、小型の魔物でも強く、大型の強個体となれば"不死鳥"クラスも闊歩している。"蒼"の力とピスティスの的確なフォローがなければ100回は死んでいる自信がある。

 

「カルクスさんやククルさんが反対するわけだ」

 

 一瞬の油断が命取りだ。こんな場所を横断するなど正気じゃないなと渚は苦笑した。

 

「ティス、深奥を覗いておきたい」

『これ以上の戦闘は推奨しない』

「そこで"蒼"が通じるなら迂回せず深奥を真っ直ぐ通る。多少の無理はしてでも調べたい」

『分かった。しかしコンディションが万全じゃないと自覚して挑む。無理だと思ったら撤退を』

「あぁ」

 

 そこまで言われたら納得するしかない。

 渚は切り開いた道へ振り返った。その有り様は切り開いたというよりは破壊である。この森は木々が邪魔なうえ凹凸が激しく歩くだけでも苦労する。だから大木を薙ぎ倒し道を平たく潰しながら団体が通れるように道を大きく作った。地球の環境保護団体が見ればギルティ宣告は受けるだろうやり口だが、幸いここは地球じゃない。

 

「ここからフェニックス領までの距離は?」

(およ)そ1100。深奥は半径100程になる』

「反対側のコロニーが大体900だったか。遠いな2000kmの大移動になる」

 

 これは直線距離での話だ。深奥を通れないとなれば迂回が必要になり、距離は大きくなる。

 バアルは既に動いている、ならば無理を通してでも深奥の危険度は調べるべきだ。

 渚は疲れた体にムチ打ちながら魔境の中枢へ脚を踏み入れる。

 今までの魔物は確かに強かった。

 しかし想定以上ではあっても想像は上回っていない。冥界屈指の危険スポットと揶揄されるのだから、もっと手こずると渚は考えていたのだ。警戒しながら戦う渚だったが、どの魔物もコカビエルやヴァーリ程じゃない。充分に対処が可能であり、このレベルならば『蒼』さえあれば問題ない。どうか想像を上回らないでくれと祈りながら歩き出す。

 

 だが渚の願いを一蹴するように全身が恐気立(おぞけだ)つ。

 たった数km進んだだけのソコはまるで別世界だったのだ。空を隠す木々はより太く、より高い天幕となり、果てなく森全体を薄暗く染めていた。

 一切、人の手が入っていない天然自然の場所に道などある筈もなく、ひたすらに悪路で陰鬱かつ冷たい空気は進むほどに強くなる。

 

 ──気持ちが悪い。

 

 体じゃなく魂が汚染されるような苦しさがじわじわと全身へ広がっていく。

 ここは何かが致命的にズレている。魔素が濃いとかそう言うものではなく、根本的に何かが違う。

 

『……ナギサ、撤退を推奨する。ここは先とは別世界、"異界"と化している。真の意味で外界とは(ことわり)が違う。長居は精神を病む』

 

 ──異界。

 その名を耳にして納得する。

 構成しているあらゆる(ことわり)が独立化した世界と言えばいいのか。とにかく普通ではない。

 通り抜ける? 何をバカな事をほざいたのだろうかと先の自分を殴り付けてやりたい。

 外の生命はここでは生きられないのだ。この世界は在り方そのものが魂を削り、正気を侵す。こんな場所に生息するモノがマトモなはずがない。

 渚は大量の脂汗を流しながらピスティスの言う通りに引き返すことにした。

 来た道に戻ろうと背後を振り向く。

 

「クゥン」

 

 可愛らしく首を傾げる犬みたいな生物がいた。

 大きくはない、チワワくらいの小さな小型種だ。

 気配を全く感じなかった。

 

『ナギサ、回避!』

 

 瞬間、死の気配に襲われた。

 渚は反射的に横へ飛ぶ。同時に立っていた場所が隆起して鋭利な地柱が突き上がる。留まっていたら串刺しどころか粉々になっていた。

 

「敵!?」

 

 渚が周囲を窺う。

 どこから狙われた? 異能が発動する際に発生する魔力すら検知出来なかった。

 

『ナギサ、敵はあの小型種』

「あの子犬がやったのか!?」

『凄まじい気配遮断。森の魔素と一体化していると言っても過言ではない。逃がせば厄介、すぐに倒す』

 

 返事代わりに"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を投擲する。

 洸剣を前に子犬は地面を押し上げて壁を造り上げた。

 光の剣と大地の盾が激突する。

 衝撃による突風と爆音で森がざわめく。

 

「……ウソだろ」

 

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"は壁に深々と刺さっていたが止められていた。

 まさか貫けないと思っていなかった渚は一瞬だけ意識を驚愕に染めてしまう。

 それは隙となり、子犬は牙を剥き出しにして可愛らしい顔を(おぞ)ましいモノへと変貌させながら渚を見た。

 

 ──攻撃が来る。

 

 そう思った瞬間、渚の左肩から鮮血が舞う。

 背後で軽快な着地音がする。

 少し離れた場所に子犬はいた。可愛らしく尻尾を振りながらクチャクチャと肉を咀嚼(そしゃく)する音をさせている。

 

()ぅ、喰われたのか……?」

 

 見えなかった、速すぎる。

 子犬はトテトテと渚へ体を向けた。その口は真っ赤に染まっており、狂喜する瞳は肉を喰わせろと訴え掛けていた。

 渚は肩の出血を抑えながら前方に"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を展開して斥力フィールドを発動させた。

 間一髪、子犬はフィールドにブチ当たり跳ね返されて地面に転がる。

 その隙は逃さない。すぐに追い討ちを掛けるため駆け出すが邪魔するように地面から円錐形の巨針が突き上がる。

 

「邪魔クセェ!」

 

 行く手を阻む円錐形を洸剣で薙ぎ払う。

 その間に子犬は体勢を立て直して距離を取った。

 小さく舌打ちしながら油断なく子犬を見据える。見た目にそぐわず戦い慣れている。

 

『ナギサ、あの魔物は"ルオゾール大森林"を覆う魔素を身体能力の強化及び異能の発現に使用している。恐らく戦闘力はコカビエルやヴァーリ・ルシファーに匹敵する、油断は禁物』

「言われて納得だ。……ティス、肩の出血が不味い。止められるか?」

『生命力を活性化させる。完全な治癒は難しいが血は止まる』

「頼んだ」

 

 渚は"蒼"を解放して子犬と対峙する。

 "聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を展開して"冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"を装備。今ある全力で自らよりも小さな犬に挑む。

 両者は命を奪い合うため地を駆けた。だが、そんな二人の間に真っ赤な光と灼熱の疾風が割り込んでくる。

 

(あつ)ッ、なんだ!?」

 

 いきなり出てきた熱波から離脱する。同時に正面の子犬が消えて、代わりに巨大な影が現れる。ソイツは子犬を丸飲みにすると横目で渚を見下ろした。

 それは溶岩を引き連れた恐竜(ティラノサウルス)だった。彼が現れたのを皮切りに周囲の風景が一変する。深い森林が煮え滾る溶岩地帯へ変貌したのだ。

 

「なっ……!」

『固有境界の流出を確認』

「ティス、何が起こってる!?」

『有り余る莫大な森の魔素で自らに適した環境──"異界"を造り上げている。ナギサ、アレは魔物というより自然災害が形になった神性生物に近い。今までの相手とはレベルが違う』

 

 煮え滾るマグマが大樹を焼け溶かす。

 焦熱地獄の権化が渚を見て舌滑(したな)めずりをする。

 どうやら極上の餌と認識されてしまったようだ。

 強烈なプレッシャーに全身が強張るが、動かなければ間違いなく死ぬ。

 渚は全力で死から逃れるため拳に力を込める。

 

「術式!!」

『了解』

 

 "冥天崩戒の魔拳(シュバルツ・ゲペニクス)"に"蒼"を装填すると装甲がスライドして冥 天 核(アトラクト・コア)が露出。赤黒い波動が吹き出す。

 

『術式解放』

漆黒の(ジオ)……焉撃(インパクト)ォ!」

 

 渚は迫り来る脅威に対して最高の一撃で反撃する。

 指向性のある重力の塊は正確に"溶岩の恐竜"を捉え、超重力の中へ呑み込む。

 

 ──決まった! 

 

 万の軍勢を押し潰した最強の一撃だ。直撃して無傷はありえない。

 そう思っていた。

 "溶岩の恐竜"が造り上げたマグマが活発にうねりを上げて熱光が漆黒を超重力を焼き千切る。

 

「グォオオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!」

 

 怒れるは"溶岩の恐竜"。

 恐るべき暴威を以て暗黒を捩じ伏せて雄叫びを上げる。

 

「耐えただと? 今出せる最強の一撃だぞ……」

『問題ない。一撃でダメなら二撃目で仕留めればいい』

 

 コカビエルやヴァーリすら倒した一撃に耐えた化物だが流石に無傷とは行かず半身が潰れて重傷だった。

 

「アレを受けて生きてる時点でおかしいだろ」

『大した生命力。けれど倒せない敵じゃない』

「だな!」

 

 渚は二擊目を繰り出そうとすると駆け出す。対して"溶岩の恐竜"は大地を踏み締めて吠える。大気を轟かせた咆哮は物理的な一撃となって渚をぶっ飛ばす。

 

「がぁ!」

 

 酷い耳なりに苛立ちながらも上手く着地する。

 

悪足掻(わるあが)きを……!」

 

 悪態を吐きながら顔をあげた。睨んだ先で驚愕の光景を目にする。マグマが"溶岩の恐竜"に吸い寄せられると欠損した半身を再生させていたのだ。

 

「厄介な!」

 

 再び攻撃を与えようと動き出すが遅かった。

 "溶岩の恐竜"の半身はより強靭となって生まれ変わる。ならば次は再生が間に合わないくらいのダメージを与えるだけだ。もう一度、だが次は確実に討ち倒す。

 渚は"魔拳(ゲペニクス)"に"蒼"を装填する。"溶岩の恐竜"は攻撃がくると察したのか、地面からのマグマを噴出させて津波のように操る。視界全体にマグマの壁が広がる、渚を呑み込む腹積もりらしい。

 

「丸ごと消し飛ばす! 漆黒の焉撃(ジオ・インパクト)ッ!!」

 

 前方のマグマを宣言通りに消し飛ばす。そして二撃目を撃とうとした。

 だが"溶岩の恐竜"の姿がない。

 

 「(──倒した? いやだとしても残骸くらいは残っていても良いはずだ。なら何処に……?)」

 

 渚が"溶岩の恐竜"を探していると上空から巨大な物体が落下して地面を踏みつけて隆起させた。小さな渚は空中に投げ出される。

 

「上かよ!」

 

 マグマを隠れ(みの)に上空からの奇襲。脳ミソまで筋肉みたいな外見で中々に考えている。

 渚は天地がひっくり返った体勢で、(なお)も構えた。"溶岩の恐竜"と視線と死線を交わす。互いに狙うは相手の命だ。

 "魔拳(ゲペニクス)"が渚の意思に呼応すると冥 天 核(アトラクト・コア)が黒く輝いて闇の波動を(まと)った。腰を捻り、肩を上げて、腕を引いて拳を作る。あとは解き放つだけだ。

 

「(こっちが速い)」

 

 (いま)だに相手は攻撃態勢に入っていなかった。何かされる前に拳を繰り出そうとする。しかし次の瞬間視線の先にいた"溶岩の恐竜"が液状に変化して崩れた。足元にマグマ溜まりが残る。

 

「……は?」

 

 溶けた……?

 急な出来事に呆気に取られているとマグマ溜まりが盛り上がり、後ろに"溶岩の恐竜"が現れる。フェイント攻撃だと気づいた頃には鋭い牙に囲まれていた。

 

 ──不味い、死ぬ! 

 

 渚の確信はピスティスの横やりで回避される。

 

『斥力フィールド、展開』

 

 6本の"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が花開くように展開。斥力フィールドが大牙を受け止める。

 ガキィンッ!!!! 

 硬い物同士がぶつかり合う音が耳に轟くと同時に強烈な浮遊感が全身を襲う。

 フィールドごと噛みつかれ口の中に拾われたのだ。

 堅牢な斥力フィールドに阻まれて口の中にいる()を噛めない苛立ちからか半狂乱状態になって暴れまわる"溶岩の恐竜"。痛みを知らないのか容赦なく首を使って木々に体当たりを繰り返す。

 

 ──ギシリと嫌な音がした。

 

 恐ろしい事に斥力フィールドが軋みをあげている。気を抜いたら防御ごと噛み潰されるだろう。

 しかし"溶岩の恐竜"はそれだけでは済まさない。口内の奥が火の粉を散らす。まさか……と思った時には炎が吐き出された。光に目が眩み、熱が肌を妬く。フィールドが更に悲鳴をあげて崩壊を始める。

 渚は生と死を(わか)つ"洸剣"に手をかざすと"蒼"を装填。

 

「ティス、全力だ!!」

『力の解放を承認。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"の出力25%まで上限解放。──聖 天 核(リパルション・コア)、起動』

 

 全ての洸剣が形状を変化させて宝玉を展開。

 "溶岩の恐竜"が放つ炎光に劣らない聖光を放出する。

 

詠唱破棄(コード・キャンセル)、"聖域・削(ペネトレイト・ルミナス)"』

 

 フィールドを展開する洸剣たちが回転を始めると切っ先を"溶岩の恐竜"へ向けた。

 転瞬、今までとは比べ物にならない斥力が槍のような鋭利さで"溶岩の恐竜"の首を抉り跳ばす。

 その反動で口内から脱出する渚。死地からの生還に安堵しつつ立ちあがるも恐るべきものを目にする。"溶岩の恐竜"はマグマを吸収して新しい頭を生み出していたのだ。まさに悪夢のようだと顔を歪める。

 

「不死身かよ……!」

 

 6本の洸剣を手腕で操り脚を斬り跳ばす。"溶岩の恐竜"が倒れ込むがマグマが集まり修復を始めた。……キリがない。

 

『ナギサ、対象は魔素を取り込んで再生する模様』

「みたいだ、どうやって殺す……?」

「原子レベルまで消滅させる。溶岩地帯全域を"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"で囲むように設置してほしい』

 

 渚は返事をせずにピスティスの指示に従う。

 "溶岩の魔物"を中心に六方へ"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"を突き刺す。

 点となった洸剣たちが線を結び、地面に複雑な陣を描く。渚は暴れ出る霊氣に危機感を覚え、その場から大きく跳び退いた。

 再生を終えた"溶岩の恐竜"が渚を追うが取り囲むように設置された"聖天斬堺の洸劒(シュベアルト・フリューゲル)"が結界となり、閉じ込められている。

 

『術式解放──"審擊の聖柩(ディバイン・クルセイド)"』

 

 凄絶な聖光が"溶岩の恐竜"を呑み込む。

 光は大樹の傘を突き抜け、空を貫かんばかりに昇る。その威力たるや周囲の魔素ごと"溶岩の恐竜"を分解して消滅させた。

 渚は光と暴風に為す術もなく森の中を転げ回って大樹に背中を激しくブツけて悶絶する。

 やがて光が無くなり元の薄暗い森へ戻る。

 

「なんとかなったか……」

 

 背中を預けていた大樹から立ち上がり、よろめきながらも歩き出す。

 消耗が半端ない。また同じ事をやれと言われたら断固拒否だ。

 

『離脱を推奨。力を使い過ぎた、これ以上の"蒼"の使用は生命維持に関わる』

「あれだけ暴れたんだ、当然だな」

 

 頭がクラクラするし、身体も思う通りに動かない。

 渚は木々に身体を預けながらズルズルと引き摺るように森の外側へ急ぐ。

 今回の事でハッキリした。

 "ルオゾール大森林"の深奥は突破不可能だ。戦ったのはたった2匹の魔物だが、どれも強すぎた。

 あんなのが複数で襲ってきたら他人を守る余裕など無くなる。遠回りになるが迂回しなければならないだろう。

 渚は自嘲気味に嗤う。

 

「慢心してたかな」

 

 "蒼"があるからと何処(どこ)か楽観していた。

 コカビエルやヴァーリを退(しりぞ)けて調子に乗っていたのかもしれない。渚は世界の広さを痛感しながら前へ進む。

 次に何か会ったら笑えないな……なんて思ったのが災いしたのか。木々の影から魔物が現れた。

 

「グルルッ……」

 

 喉を鳴らす唸り声に身の毛がよだつ。

 今度は6mは越えようかという巨大熊のような奴だ、しかも"溶岩の恐竜"に勝るとも劣らないプレッシャーを放っている。恐らく同格の魔物だろう。

 

「そりゃ冗談キツいぜ……」

 

 思わず笑いがこぼれた。全身に巡る疲労と激痛で頭が可笑しくなっていたのかもしれない。

 巨大な熊は渚を見るなり爪を伸ばして襲い掛かってきた。

 満身創痍な肉体に鞭を打って紙一重で躱す。

 ここから逃げるために走り出そうとする渚だったが、雷撃が身体を貫いた。

 

 ──"稲妻の魔熊"。

 

 そう形容して良い魔物は先の"溶岩の恐竜"と同様に周囲の魔素を自らの適した環境へと変異させる。溶岩地帯から生き残ったと安心したら、今度は荒れ狂う稲妻が降り注ぐ危険地帯にいる。

 全く運がない。

 稲妻の直撃で動けずにいる。鋭い痛みと痺れが駆け巡り、立てないのだ。

 不味いと思うが既に状況は詰みである。

 渚は這いずるように身体を動かすが、魔熊は爪を振り下ろす。

 

「キシャアアアア!!!」

 

 その爪は渚を貫かなかった。

 新たな魔物が魔熊に襲い掛かったのだ。

 今度は大蛇だった。胴回りだけでも渚が両手を広げても足りやしない。

 大蛇もまた環境を侵食する。出来たのは毒の沼だ。あらゆる物を溶かす(ぬめ)りのある液体が溢れかえる様は見ていて恐怖を煽る。

 

──"猛毒の大蛇"

 

 陳腐(ちんぷ)だが、そんな名前が脳裏を(よぎ)る。

 渚は毒沼から逃れるため痺れる体を(もが)くように引き()って待避する。

 片や周囲に雷を落として炸裂の中心にいる魔熊、片や周囲に毒を撒き散らして溶かす大蛇。

 膨大な魔素が、稲妻の(ほとばし)る地獄と猛毒が支配する地獄を造り上げる。全く違う世界の(ことわり)同士が衝突し合っている異様な光景だ。

 どう足掻いても助かる未来が見えない状況だ。

 稲妻に壊されるか、猛毒に侵されるか二つに一つしかない。

 

「とんだ動物園に来ちまったな」

 

 渚は再び笑った。先とは違う生きる意思を示す生者の笑みだ。シアウィンクスに死なないと約束した。だからあの2匹をぶっ殺して生還しなければならない。

 

「ティス、状況を打破する」

『"蒼"はナギサの肉体が持たない。これ以上はやるならあの者を使う必要がある──』

「あの者……? なるほど"鎖の人"か。ティス、この場を切り抜けられるなら彼女を呼びたい」

『危険。きっとナギサは後悔する』

「ティスが言うならそうなんだろうな。けど俺は死ねない、やらせてくれ」

『……分かった、"黄昏"を呼ぶ』

 

 ヨロヨロと死に損ないの姿で立ち上がる。

 その弱々しい渚を魔物たちが同時に見た。余程、美味そうに見えるのか、双方逃がしてくれそうにない。

 

「何、ガンくれてんだよ。……文句があるなら掛かってこい!」

 

 渚が"黄昏"を使おうと立ち上がるも力が抜けて前のめりに倒れそうになる。

 

「ち、カッコ悪いのな。……ティス!」

『"蒼獄界炉"が(くさび)にて、深蒼なる深淵へ囚われた古き(けもの)を解き放つ。解錠──"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"』

 

 渚の前に黄金の物体が現れる。これを鍵にも剣にも見える奇っ怪な物だった。触れれば"黄昏"と呼ばれる者がやって来るのだろう。

 

「ガァアアアアア!!!!!」

「キシャアアアア!!!!!」

 

 魔物たちが脇目も振らず渚へ突進してくる。どうやら本能で渚が呼ぼうとする者に危機感を覚えたようだ。

 鍵を手に取って柄を廻す。

 

『「来い(来たれ)、"喰らい尽くす者(ヴォア・アエテルヌス)"」』

 

 黄金が砕け、次元が裂ける。

 鎖の擦れる音と共に現れたのはボロい布切れを着た奴隷のような黒髪の美女だ。

 ふわりと長い黒髪を広げて爪先から地面を踏みしめる黒髪の美女。ゆっくりとした動作で迫る魔熊と大蛇を一瞥するが気にした様子もなく渚へ振り返った。

 

「ば、ばか、避けろ!?」

 

 彼女が危険に対してあまりにも無防備に背中を向けたので警告する。まさかこの状況でこんな暴挙に出るとは予想していなかった。焦る渚を他所に彼女は笑顔で(ひざまづ)く。

 

「アナタ様に呼ばれる日が来ようとは、まさに恐悦至極でございます。……しかし深蒼よりやって来たばかりのワタクシでは現状を把握できておりません。どうかこの卑しき愚か者に何を為せば良いかをご教授くださ──」

 

 渚に質問を投げ掛ける彼女が魔熊の爪に貫かれて電撃を浴びる。渚は衝撃で弾き飛ばされてしまう。

 そんなバカな──! 

 魔熊の爪に突き刺さった彼女は電撃を浴び続けていた。あんな状態では生きてはいられない。

 大蛇もまた標的を渚から彼女へ切り換え、魔熊へ襲い掛かる。

 2匹が(もつ)れ合い、稲妻と猛毒が周囲に広がった。争いの中心にいた彼女は稲妻に続き猛毒に全身を溶かされる。もはや筋繊維が剥き出しになり美しかった名残(なごり)はない。

 

「なんとも邪魔な……」

 

 凍てつくような声が冷たく響く。

 決して大きくはないのに、渚の耳にはあらゆる雑音を越えて彼女の声が届いた。

 瞬間、魔熊が悲鳴にも似た叫びを上げる。彼女の細腕が丸太ような魔熊の腕を引き千切ったのだ。

 

「軽く()でる程度の力で抜けるとは(もろ)(はかな)きこと……」

 

 魔熊の爪に貫かれたまま着地すると獸のような眼光で睨み付ける。その圧力を前に魔熊だけではなく大蛇も(ひる)んで動きを止めた。

 その間に深々と刺さる爪を荒々しく抜き取ると焦げ溶けた体を見る見る内に再生させていく。

 そして魔熊と大蛇を交互に見るや真っ赤な舌で唇を小さく舐めた。

 

「どうやらワタクシはお腹が減っているようでありんす。ナギサ様の(めい)を受ける身であれ万全を()すが為、食と(いた)しんしょう」

 

 渚と話す時とは違う口調。

 何処か妖艶さを感じさせる様子で彼女が左手を前に出す。細い指先には一切の力が入っていないが渚には獰猛な(あぎと)に思えた。

 彼女が(あで)やかに微笑む。

 

()いしとうござりんす。愛でるべき肉体、無垢なるや魂、その儚きし()さえも……」

 

 それは一瞬の出来事だった。

 彼女の細腕が昏い炎のようなオーラを放つと影のような(けもの)に変容して魔熊の上半身を噛み砕いたのだ。

 血の雨が森を赤く染める。噴水のように鮮血を降り注がせる下半身が何歩か後ろに後退りして倒れると痙攣しながら地面に内臓を散撒(ばらま)いた。

 大元が絶命しても未だにバチバチと炸裂する稲妻を物ともせずに肉ごと骨を喰らう。いや稲妻すらも糧にしていた。血の一滴すら溢さなかった(けもの)がぬるりと鎌首(かまくび)をもたげて大蛇を見た。

 その瞳のない(あぎと)は無言でこう言う。

 

 ──ツギ ハ オマエ ダ。

 

 危機感からか大蛇は周囲の魔素に干渉して更なる環境変化を強要する。地面から泡立つ紫色の液体が噴火したように舞い昇り、大気すら致死量の毒へ変貌する。触れただけで溶解してしまう領域は生きとし生けるものを否定する毒沼そのものだ。

 渚は動くようになった体で地を蹴ると大樹の上に避難する。毒沼は津波が如く辺り一面に広がり、瘴気で満たす。あの中に入って生き残れるヤツは渚の知る限りいない。例え不死のフェニックスでも精神ごと全てを侵され溶け消えるだろう。

 あまりにも理解の外にある力だ。犬、恐竜、熊、蛇といい。どれが人間界に現れても災害レベルに匹敵する被害を与えるだろう。被害を考えればヴァーリやコカビエルの相手をしてる方がマシと思える。

 

「キシャアアアア!!!!」

 

 死ねと呪詛(じゅそ)を吐くように大蛇が彼女を威嚇する。渚と違ってその場を動かずにいた代償は大きく、毒という毒に包囲されて逃げ場が塞がっている。

 彼女が諦めたように顔を俯かせた。その身で表すのは憤怒か絶望か……。渚は救出しようと身を乗り出すが瘴気を吸ってしまい吐血する。

 

「がっ!」

 

 少量で肺がダメージを受けた。凄まじい毒素だ、"蒼"によって常人とは比べ物にならない肉体強度を持つ渚ですら容赦なく殺される。これでは近づけない。

 

「ガハッ、ゴホッ! クソッ!!」

 

 咳き込む渚を彼女が見上げていた。

 

「主さまが血を……?」

 

 二人の視線が交差する。

 渚は心臓が止まるかと思った。彼女の目は深淵の空洞みたいな暗黒色だったからだ。光のない目は何故か驚いたように見開かれていた。

 彼女が小さく肩を揺らす。

 

「よくも……よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも……ヨクモォ!」

 

 闇閻(あんえん)たる憎悪が禍々しいオーラの帳となり、彼女自身を喰い尽くさんと覆う。

 

()()()()()()()()と思い、苦しまずに喰らうてやろと思ったが気が変わりんした……」

 

 オーラの帳が弾けて中から実態のない闇色の獸が現れる。首だけしかないにも関わらず大蛇を一呑みにしてしまいそうな大きさだ。

 

「マズハ……コレカラ」

 

 獸が呻くと周囲の毒沼が吸い寄せられていく。闇色の獸は毒を取り込んで実態のない体を更に巨大化させたのた。

 

「毒の領域が消えていく?」

『世界を異境へ変質させる力は凄まじい。しかしそれは膨大な魔素が在ってこその所業。今アレは"ルオゾール大森林"の魔素を喰い荒らしている。あの様子だと数秒で周囲の魔素は消失する。そうなれば猛毒領域の維持ができない』

 

 簡単には言うが実際はとんでもない事をしている。

 この"ルオゾール大森林"の魔素は常軌を逸したレベルの量と質を(あわ)せ持つ。一握り程度ですら上級悪魔クラスの魔力量を優に越える。

 それだからこそ、ここの魔物はどれもが強靭かつ強力なのだ。

 

「魔素をそんなに取り込んで大丈夫なのか?」

『問題ない。アレは元よりああいう者、あらゆるモノを糧とし破滅を体現する界滅の窯。"蒼 獄 界 炉(クァエルレース・ケントルム)"とは似て否なる対存在──"黄 獄 獸 鵺(クレプスクルム・アウルムレオス)"』

 

 漆黒の(あぎと)が大蛇に噛み付くと荒々しく振り回しながら肉と魔素を啜る。まさに暴力そのものが大蛇を削り取り、糧にされて逝くさまは弱肉強食の世界そのものだ。

 

「凄いな。流石にここまではとは思わなかった……」

 

 顔を引き釣らせる渚。

 初めて会ったとき彼女は自分を指して暴力と言ったが、ここまで凶悪だと納得せざるえない。

 

『アレは蒼に属する御神刀(ユズリハ)洸剣(フリューゲル)魔拳(ゲペニクス)とは全く別の力。だから私でも完全に制御が出来ない。いずれナギサを内部から支配する可能性もある。……とても危険』

「大丈夫さ。そうならないようにしてくれるんだろ?」

『楽観視は良くない。今のナギサはアレの恐ろしさを理解していない』

「見ていて分かるよ。彼女の力は普通じゃない。あの魔熊や大蛇を圧倒してるんだ。ただ俺とティスなら彼女を押さえて上手くやれるって信じてる。ま、勝手な信頼かもしれないけど、かなり頼りにしてるんだぞ?」

 

 大蛇を(なぶ)る獸を侮っている訳じゃない。

 ただ彼女以上に頼れる者がいる、だから渚は平常でいられるのだ。

 

『ほんと? 私、ナギサに大切なことを話してない』

「記憶の事か? そこは割りと、どうでもいいさ。思い出せない過去よりも今から作る未来が大事だろ。俺の未来設計に力を貸してくれないか。なんか色々面倒そうな俺だ、ティスがいれば心強い」

『絶対、力になる』

「助かる」

『うん』

 

 そんな会話をしている内に大蛇が喰い尽くされた。

 渚は大樹から降りると、それに気づいた揺らめく実体のない影が寄ってきた。その体は徐々に小さくなり、やがて元の美女姿に戻ると小走りで駆け寄ってくる。

 

「お体はご無事でありんす!?」

 

 ペタペタと身体中に触れられた。

 

「あぁこんなにも傷だらけ……。誰がやり申した?」

 

 ビリビリと殺意を滾らせる彼女に渚は冷や汗を流す。

 

「今、食べた奴だ」

「なんという! ならばもっと徹底的に殺せばようござりんした」

 

 こうして話して思うが妙に個性的な言葉を使う人だ。

 

花魁(おいらん)が使っていた言葉に近い言語』

「おいらん? なんでまた?」

 

 渚の疑問に彼女は恥じるように顔を背けた。

 

「ゆ、ユズリハさんの影響でありんす」

「譲刃が?」

 

 意外な人物だ。譲刃は普通に標準語を話していた。花魁語なんて譲刃の口から聞いたことがない。

 まぁ、別に不快じゃないから良いんだが……。

 

「話し方は良いとして、一つ大事な事を聞きたいんだけどいか?」

「なんなりと」

「名前、何て言うの?」

 

 これから仲良くやっていくのに名前ぐらい知っておくべきだろうと聞いた。

 

「名はありません」

「無いのか?」

「はい」

「不便だな、付けていいか……?」

「主様が直々に!?」

「わ、悪い、嫌ならいいんだ」

「め、滅相もなしでありんし!」

 

 食い気味に彼女は答える。何かと恐ろしい人だけど案外話しやすい。

 

「そ、そか。とりあえず考えとく」

「はい!」

 

 "ルオゾール大森林"の脅威を身をもって味わった渚だが"黄昏"を得たのは大きい。この力は間違いなくここの魔物に有効だ。それに森の中層までは安全に移動できることも確認できた。死にそうになったが中々の快挙ではないだろうか。

 しかしまだまだやることは多い。森へ籠っていた間にバアルが何らかの動きを見せた可能性もある。

 渚はズタボロな身体で急ぎ帰還するだった。

 


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