その日は朝から大雨で誰かと遊べそうになかったから大人しく本を読もうと思ってたんだけど、中々読みたい気分の本が無くて困ってる。
漫画は全部読んだし、DVDも全部見終わってるからなぁ……後は正面の部屋に片付けてある親父が昔購読してたって言う古雑誌くらいしか読む物無いんだよなぁ。
けどあれ、五行くらい黒塗りされてて読めなかったり読める部分もトリカブトの栽培方法とか爆弾の作り方とかだからなぁ……知ってどうしたらいいんだろ?
試しに親父が買って来てくれた本の中から一冊手に取って、中身を見てみると一発目から『死体を溶かす酸・塩基』って項目が出て来たからそっと棚に戻して他の本を探したんだけど、そうやってる内に気になる二冊を見つけた。
––––『De la Terre à la Lune』と『Autour de la lune』の二つ、日本の本ばかりの本棚の中で外国語で書かれたこの二冊は異様に目立ったから、暗号解読みたいな気分で部屋の中の外国語の辞書を片っ端から使って翻訳したら『地球から月へ』と『月を回って』というフランス語の本なのが分かった。
しかもこれ書いてある元々の発刊日見ると1865年と1870年ってなってるから百年以上昔の人が宇宙を目指した本って事だろ? タイトル的にも絶対束が喜ぶよな、これ。
そんな事を考えながら棚に本を戻そうとしたんだけど、やる事が無いのを思い出して何と無く机の上にこの本を置いて、床に散らかした辞書を一冊拾う。
日本語に翻訳された本くらい親父の店に置いてそうだけど、束との会話のネタになりそうだし、フランス語の勉強にもなるだろうから、暗号解読ごっこを延長して読んで見よう。
この時の俺はそんな軽い気持ちでこの本を読み始めたんだけど、辞書を片手に文法と単語を一個一個調べながら読むのはかなり時間がかかって、朝ごはんを食べたと思ったら何時の間にかお昼時になってて、ご飯を食べに来ないからって母さんに怒られた。
取り敢えずお昼ご飯は急いで食べて、速攻でまた書斎に入って翻訳を始めたんだけど、また没頭し過ぎたのか気が付いたら周りが暗い。
お昼ご飯を食べたのが12過ぎで、机の上の電子時計を見たらもう19時45分、ダイニングに行ったらラップの掛けられた晩御飯が置かれてて、『お風呂入って来るから、その間にもしも食べに来たらちゃんと洗いなさいね byお母様』って書かれたメモが貼られてた。
…………もしかしなくても俺休み丸ごと使っちゃった?
「–––––てな事があって、この本を読み切るのに二週間くらい使ったんだよねー」
「ほー、外国語の本なんか俺だったら読む気しないのに大したもんだなぁ」
篠ノ之道場での稽古日に束に見せる目的で持ってきたあの二冊の本の話を門下生の先輩としてると、丁度束が道場に顔を出したらしくて、もう一人の先輩が呼んでくれた。
翻訳に忙しかったから最近遊べてなかったから久々に長話が出来るなぁとか考えてたんだけど、束が少し疲れた顔をしてるのと、服装が整ってる事から何処かへ行った帰りなのが分かった。
今日は千冬も家の用事とかで休みだし、ちょっと元気付けてあげようかな?
「どったの束、なんか疲れてるっぽいけど?」
「……ちょっとね、予算とか利益とかの現実的な数字を出して大人を説得するのに疲れただけ」
「ふーん、よく分かんないけど頑張ったなぁ、頭でも撫でてやろーか?」
よしよしする様なジェスチャーをしつつ、俺は次に来る筈の束の口撃に少し身構えたんだけど、意外な事に何の罵倒も来ない。
精神的に少し疲れてるみたいだからちょっとからかってストレスを発散して貰おうと思ったんだけど、失敗だったかな?
「…………折角だし、頭撫でて貰おうかな」
「えっ? マジで? じゃあ遠慮なく」
そう言ってしおらしい束にちょっと驚きながらも手を伸ばした瞬間、––––両手で伸ばした手を掴まれた。
「あっ!? おまっ、まさか––––」
「なーんて、しおらしい事言うと思った? 残念ブラフでしたぁ!!」
束のしてやったりと言う顔を見ると同時に、俺はそのまま床に背負い投げられて天井を見上げる事になった。一応加減はしてくれてたみたいで、あんまり痛くはなかったけど。
「あースッキリした。この束さんが何年君の幼馴染やってると思ってんのさ? 考えてる事バレバレだっての」
「ちぇー、まんまと嵌められた……」
「ま、おかげで大分気が晴れたし、その辺は感謝してあげる。んで? 今日は何の用で私を呼んだのさ?」
「よっと、実は俺の鞄に入ってる本について話がしたくってさ」
そう言って、俺は例の二冊を鞄から出して束に見せたんだけど、その本のタイトルを読んだ束は無言のまま中身を読み始めた。
フランス語で書かれてるのに良くスラスラ読めるなぁとか思って関心してたんだけど、途中で視線を本に向けたまま束が口を開く。
「––––ねぇ、この本の何が凄いか、分かる?」
「えっ? うーん、親父から聞いたけど世界初のSF小説だって話?」
「それもあるけど、この本の凄い所は天体力学的な理論面で概ね不備が無いところだよ。着陸する時にロケットを逆噴射する方法も先見性があるし、考証の甘い部分はあるけれど現代から見た時にその甘さを指摘できる」
「百年以上昔の小説が?」
「そう、百年以上昔の最先端の知識を注ぎ込んでるの。そしてこの本に影響された人はみんな宇宙を目指してる」
パタンと本を閉じて、束は優しい笑顔を浮かべながら俺の方を振り向き、真っ直ぐとこっちを見る。
「ロケットの父って呼ばれてるコンスタンチン・ツィオルコフスキー、世界初の液体燃料ロケットを飛ばしたロバート・ゴダード、全てのロケットの元祖を開発したヴェルナー・フォン・ブラウン、みんなこの本に影響されて空の果てを目指した。––––この二冊の本が無ければ、人類はまだ地球の外へ出てないと言い切ってもいいくらい、凄い本なんだ」
言いたい事は言い切ったのか、束は『この本、ちょっと借りるね?』と言って二冊共持って部屋に帰って行ったんだけど、後に残された俺は束のこの言葉は妙に心に残って––––思わず空の上を見上げるのだった。
原作7巻までがどちらの会社かのアンケート(今後の描写に関わる為)
-
MF文庫J
-
オーバーラップ