転生したら天災(♂)だったし一夏は一夏ちゃんだしハーレムフルチャンやんけ!!   作:佐遊樹

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破:天災の絶望

 

 

 

 

 篠ノ之束にはISが造れない。

 

 

 壁を殴った。何度も殴って、涙を流した。

 床に座り込んで、顔を手で覆って呻く。こんなはずがない。こんなはずじゃなかった。なんでこんなことになっているのか。

 涙に視界がにじみ、それがどうしようもないぐらい、自分が人間の限界を超えた天災ではないことを証明しているようで、声にならない声が唇から漏れた。

 

 彼は部屋からほとんど出ない。

 食事は月に一度買い込む栄養食品のみで済ませている。かつて家族がドアの前に食事を置いていたが、やがてそれも消えた。見捨てたのではなく余裕がなくなった。

 

 家庭の事情を全て、束は把握していた――それが自分のせいだということまですべて。

 愕然とした。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 研究所からの振り込みはいつの間にか消えていた。研究所自体がなくなっていた。暗部同士の抗争に巻き込まれたのだと、ハッキングして知った。後ろ盾はなくなった。織斑計画を知る人間はこの世に残っていない。当事者と、自分だけだった。

 

 開発をした。発明をした。役に立つ機材を造っては企業に売りつけた。どれも評判を得ているが、束の手元に返ってくるのはわずかな契約金のみ。それだけでは、七人の大家族を養うことはできない。

 企業に打診した――もっと大きな発明ができる。そのために開発費を、研究費を貸してほしい、必ず返すと。一蹴された。鼻で笑われた。彼らは皆、束を嘲っていた。後見人はいない。企業にとって束は、()()()()()()()()()()()()()()だった。どこの組織にも所属していない束をまともに取り合う企業はいなかった。

 

 研究所にも駆け込んだ――頭脳を評価はしてくれたが、高校を出てから企業を受けなさいと言われた。束は赤裸々に家庭の事情を語ったが、研究所の責任者は苦い顔を浮かべた。

 

『君ぐらいの年齢の子に話すことじゃないのは、分かっているんだ。でも、すまない。我々は――()()()()()()()()()()()。恐らくここに勤めたところで、君の問題は解決できない』

 

 目の前が真っ暗になった。事実、それを聞いて束は、その場に崩れ落ちていた。

 研究員の生活――調べるほどに吐き気がした。賃金は雀の涙。研究成果は、企業なり政府なり、とにかくどこかの誰かのものになる。例え莫大な利益を生み出すような発明品が存在したとしても、それは結局研究者の懐には来ない。

 

 それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 必要だった――空を裂き縦横無尽に駆け回る存在。IS。インフィニット・ストラトス。夢物語だった。どんなに理論を積み重ねても完成の一端すら見えない。

 束は既存の理論ほぼすべてを吸収していた。自在に組み合わせ、応用することができた。

 それでも造れない。未知の技術を創造するという能力が、悲しいほど致命的に、彼にはなかった。

 

 生活苦は解決できない。自室の中で、モニターを睨み続ける日々。理論の進展はない。収入だけは確保できているが、それだけでは現状ですら足りていない。一夏、マドカ、箒が小学校に入学するのは来年。

 それは、本来ISが公表されている年だ。

 間に合わない。どうしても間に合わない。既に本来の通りに時が動くことを、束は半ばあきらめていた。

 

 いまや篠ノ之家では、働ける年齢になったら誰もが働いている。千冬がアルバイトをしていることを知った時に、束は絶句した。

 父の勤務はうまくいっていない――派遣社員故に、侮られている。道場の経営は委託こそしたが、委託先が虎視眈々と土地の売却を狙っていることを束は知っていた。知っていても、どうにもできなかった。

 

 彼には世界をひっかきまわせるような力が、何もなかった。

 

「ふざ、けんな」

 

 二畳ほどのわずかな物置。四方の壁には数式と図がびっしり書き込まれていた。

 それでも、彼が求めるものは完成していない。

 

 彼の眼前に立ちふさがっている問題は3つ。

 

 ①ISコアの製造

 ②ISアーマーや武装の量子化技術

 ③PICの開発

 

 どれもこれも、既存の科学技術では到底太刀打ちできない難題のみだった。

 本来の篠ノ之束は、息をするようにこれらを超えていったはずだ――そう考えるだけで、無力感に死にたくなる。

 

「とにかく、企業にアピールするとすれば間違いなくコアだ」

 

 一人きりの部屋、自分の中で思考を整理するため、絶えず彼は考えを口に出す。

 狭いスペースを往ったり来たりしつつ、インターネットに公開されている論文を次々に読み込んでいく。

 

「エネルギーの出どころ……原材料は時結晶(タイム・クリスタル)、東欧のルクーゼンブルク公国地下だ……もう発掘されているなら大使館を通じて……だめだ、コネがまったくない……」

 

 膨大なエネルギーを蓄えることのできるコアは、現在世界に存在するあらゆる物質を見ても不可解な存在だ。

 それを可能にするのがルクーゼンブルク産出の時結晶(タイム・クリスタル)なる物質だと束は知っていた――知っていたが、果たしてどうすればそれが手に入るのかはまるで目途が立っていない。

 

「いや待て。コアの問題が時結晶で解決できると見込んだうえでならば、まずはPICから取り掛かるべきか?」

 

 PIC――慣性制御のようなものだと理解していた。ISを浮遊・加減速させる、基本中の基本システムだ。これがなければISは兵器としての有用性を発揮しない。

 だがこの世界に一体全体どのようにして、物体に自在に推力を与えるギミックがあるのだろうか。

 そもそも慣性力などというものは存在しない。物体の移動のつり合いが取れているという現実を前提に、()()()()()()()()()()()()()という状態を説明するための言葉だ。いや、力としては観測できる以上存在しないという言い方は不適切だろう。反作用が発生しないという面を見なければ確かに力として……

 

 言葉に惑わされるな、と束は頭を振った。ここで肝要なのは、物体に対して自由に推力を与えることが可能かどうか。

 でなければ宙に浮遊する機械を生み出すことはできない。

 

 天才の頭脳が回転する。考えろ。考えなければ、この地獄を終わりにできない。

 推力を得る方法――液体燃料の流動によるもの。小型コアではできない。気体の場合も同じだ。

 膨大なエネルギーを蓄えることができたとしても、それが質量を伴ってしまえば大型化を強いられる。いっそ大型のコアを試作してから考えるべきか――甘い誘惑にかられる。

 回転が、空回りし始める。今まで積み重ねてきたもの一切が無駄であることに、低く唸る。悔しさに涙がにじみ出る。最近は、一日中ずっと泣いてばかりだ。

 

 壁に書いた図面を見た。だめだ。既存の技術の組み合わせでは限界を超えられない。

 何度目かもわからない現実に打ちのめされる。声が出ない。自分が自分でなくなるような感覚。天災であることを自負して、そう生きるために生きてきた――天災なんかじゃなかった。自分は劣等な、まがい物だった。できるはずのことができなかった。万能感は失われた。

 

「クソ……」

 

 篠ノ之束ならこんな場所で躓かない。そのはずだ。笑いながらこんなハードルを跳び越えてしまうはずだ。自分にはできない。できるはずがない。拳を強く握り、爪が皮膚を破る。溢れてきた血が、床にしずくとなって落ちた。血が赤いただの人間が、自分だった。それではいけなかった。

 

 突拍子もない、天才特有の現実味のない案もあった。現実味のない案は、現実にできないのだと知るだけだった。恐らく天災はそれを現実にできる。そこでもまた、自分にはできないことが増えた。

 できない。何もできない。できないことばかりで嫌になる。想像していた名誉も運命も、跡形もなく砕け散った。手の上に何も残らなかった。

 

 時間を確認した。既に日が暮れている。部屋に窓はなく、時計もモニターの隅に表示されているのみ。時間感覚が失われてどれほどだろうか。

 睡眠をそこまで必要としない身体はありがたかった――夜遅くになってシャワーを浴びる時、いつも鏡を見て、伸びっぱなしの髪とどす黒い隈を見て笑った。嘲笑った。この有様だというのに、成果はまるでない。

 

 何も得られない日常がひたすら繰り返される。ただ心が摩耗していくだけの日々。千冬は新聞配達に加えて、同級生の妹の家庭教師を始めていた。剣道部には週に一度顔を出していたのが、それすらできなくなった。束にはどうすることもできなかった。無力で、みじめだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金策の必要性に駆られていた。

 背中を常に追いかけてくるような圧迫感があった――そんなことをしている暇があるなら、ISを造るべきだ。うるさい。分かっていると束は吐き捨てた。髪をはさみで雑に切り捨てて、身だしなみを整えた。外行きの時だけはこうしていた。

 家を出る束を、三人の幼子が不安そうに見ていた。大丈夫、行ってくるとだけ言って、束は外に出た。

 往来を歩く人々の中に、埋没するようにして歩を進める。男子としては低い身長、私服姿、学校をサボっているのは明白だった。その不健康そうな顔色に、少しだけ通行人が道を譲っていく。譲るのではなく、避けられているんだな、と束は自嘲した。

 

 誰もかれもが敵だった――無条件に信じられる存在などなかった。家族だけはそうだったが、怖くて顔を合わせることもできなかった。今までの苦難も、絶望も、全て束が引き込んだものだ。すべての元凶であるという自覚が、かたくなに物置部屋のドアを閉ざさせている。

 

(……とにかく、今あるものを売っちまうしかない)

 

 リュックサックの中には、ハイパーセンサーの雛形とも言うべき、高精度センサーが入っていた。

 恐らくこれなら大丈夫。自分に言い聞かせる。束は何でもできるが、自分を鼓舞することは苦手だった。無根拠な自信が打ち砕かれた後の彼は、自分を信じることができなかった。

 

「こんにちは。ご用件は?」

 

 目的地のビルに入り、受付まで進む。受付嬢は戸惑いながらも、束に声をかけた。

 

「あの、ものを、見てほしくて」

 

 困ったような表情を浮かべられ、心臓のテンポが速まる。

 

「発明品なんです。役に立つとおもいます」

「君が、造ったの?」

「はい――篠ノ之束、と伝えてください」

 

 眉を寄せながら、彼女はどうやら束をいかに穏便に追い払おうか考えているようだった。

 冗談じゃない。心臓が早鐘を打つ。門前払いを受ける前に、せめて発明品を。祈るようにして、リュックに手を伸ばした時だった。

 不意に束の肩に手が置かれ、びくりと身体が跳ねた。倦怠感と絶望感が、感覚を全て鈍くしていた。後ろに立つ人間に気づいていなかった。

 

「あ、アルベール社長!?」

 

 受付嬢の叫びに、今度こそ束は言葉を失った――恐る恐る振り返る。

 

「噂を聞いたことがあるよ、発明家の少年君……話は奥で聞かせてもらおうかな」

 

 長身瘦躯、撫でつけた金髪と自信に満ちた眼。

 束が訪れたデュノア社の頂点に君臨する男、アルベール・デュノアがそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 応接間の調度品は豪奢で、ソファーに座るだけでも気後れした。

 束はおずおずとリュックサックのジッパーを下げ、中に入れていたセンサーを机の上に出した。

 

「これは?」

「高精度センサー……です。死角なしに、遠方を観測することができます。想定は、宇宙で、宇宙線などを観測するためのものです」

 

 アルベールの目の色が変わった――束は素早く彼の心理を読んだ。驚嘆。疑念。困惑。恐らく発明品と、その作り手のギャップに戸惑っている。

 

「その……どうでしょうか」

「試してみても?」

 

 アルベールは束の承諾を待てないというように、机の上に置かれた電話機に視線を走らせた。束はこくりと頷く。壮年の男は飛びつくようにして受話器を取った。

 

「アルベールだ。視察を延期にして、第三実験室を開けろ――宇宙開発部の人員全てを回せ」

 

 大事になってきた。唾をのんだ。これは願ってもないことだ。発明品の出来は保証できる。問題は、ここから如何に金を引き出すかだ。

 命令を簡素に伝えてから、アルベールは受話器を置いた。それから、束の瞳を見た。

 

「よくない目だ」

「え?」

「噂から予想した人物像と合致したよ。君は……()()()()()()()

 

 カッと、頭に血が上るのを自覚した。ふざけるな。何故自分が、憐れみを受けなければならない。本来は違うんだ。違うはずだったのだ。こんな風に、企業の人間の顔色をうかがうようなこと、している予定じゃなかった。それなのに。

 

「金策に走り回る子供というのは、もっと明るい目をしているはずだ。娘は私に甘える時にやや打算しがちだが、それでも純粋な目だ。君は――うん、そうだな。よくない場所で育っている」

「やめてください……」

 

 激情に駆られた。はずなのに、出てきた言葉は弱弱しかった。

 何故だ、と自分に問う。怒り狂うべきだ。家族を蔑むなと、取引を捨てて走り去ってもいいような侮蔑の言葉だ。それなのに反抗する気力はなかった。

 もはや、束の中に、何かに対して戦う気概が残っていなかった。

 

「野心があるのは分かるよ。遠大な理想があるのも分かる。それぐらいは読めるさ。だが君は、何故か自分で設定したそれらを諦めそうになっている。なら結論は一つだろう。他人から押し付けられた希望なんて、捨ててしまった方がいい」

 

 心理を読まれた――アルベールの瞳は純然たる憐憫の情を映している。きっと親や家庭環境に理想を押し付けられている、と読まれた。それはあながち間違いではなかった。束にとっての最終目標は、彼が生まれた時から決まっていたのだから。

 捨てる――ISを造るのを諦める。そして学校に通って、普通の学生になる。アルバイトをして生計の足しにする。それから学歴を重ねて、企業お抱えの研究者となる。少なくとも、かつて打診した研究所よりは、企業とのつながりがある方がずっと生活を楽にする。

 

 そうした社会にとって当然の成功を、束は知らないうちに拒絶していた。

 

 ISを造りさえすれば。

 

 ISを造れば千冬は世界最強になる。莫大な富を得ることができる。

 

 ISを造れば一家は離散するが、国家によって保護される。

 

 

 

 ISは――造れなかった。

 

 千冬はただの学生としてアルバイトに精を出していた。

 

 篠ノ之家は国家にとって保護する価値もないただの一家庭に過ぎなかった。

 

 描いていた未来図は握りつぶされた。他ならぬ束の無力さが、台無しにした。

 

 

 

 どうしろっていうんだ――内心で吐き捨てた。

 安定した道を行くべきだ。いやそれは誰なんだ。篠ノ之束として生まれた自分がそんなことをしていいのか。そもそも時間がかかる。この地獄は続く。千冬や自分が大学に通うことはできない。高卒の労働者として働いて、それで一体どうなる。貧困が貧困の連鎖を生み、泥沼から逃れられなくなる。

 

 自分は家族を幸せにしたいと願っているのに。

 

(……ISさえつくることができれば)

 

 結局、懊悩の行きつく先はいつも同じだった。

 

「実験室へ向かう、着いてきてくれないか?」

「…………はい」

 

 ほぞを噛みながら、束はソファーから立ち上がった。

 アルベールは手に持ったセンサーをしばらく眺めてから、唇を僅かに吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えばセンサーは無事起動し、大いに実験室を沸かせた。

 アルベールは驚嘆に声を上げ、他の研究員らも言葉を失うか、あるいは思いつく限りの称賛の台詞を口にした。

 想定しているハイパーセンサーにはほど遠いが、現行の代物を大きく上回るスペックのものは既存理論の組み合わせで生み出すことができた。ISの技術は一部が成功している。あくまで一部で、その中核となる理論が一向に進まない。

 

「君は素晴らしい発明家だ」

「……どうも」

 

 研究員たちが束を肩を叩く。自分の方が優れていると声高に主張したかったが、束は彼が勝っている点が発明に関する一点のみであることに打ちのめされている。誰もが素直に束の発明を称賛していた――他人を信じることのできない自分が嫌になった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 アルベールの問いに、研究員が押し黙った。

 

「……我々が手を加えるよりも、いっそこのまま量産化したほうが良いかと思います」

「正直な感想だな。私もそう思う」

 

 恐る恐る一人の研究員が口に出した意見に、アルベールは鷹揚に頷く。

 それからぴたりと、自分の胸までほどしか身長のない束に視線を向けた。

 

「君にとって必要なものを出そう」

「――――ッ!!」

 

 必要なもの。開発費。時結晶。何もかもが足りていない。

 救いの糸が垂らされたような感覚に、束は安堵の息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルクーゼンブルク公国との連絡は速やかに行われた。

 アルベールが語るには、実際問題、時結晶は近年になって発掘され始めていたが、そのあまりに不可思議な性質から研究が進んでいなかったらしい。

 実物を一つ送るという連絡が来た時に、束は拳を突き上げた。想像だにしなかったハイテンションな様子に、アルベールは面食らった。

 

「しかし何故、時結晶(タイム・クリスタル)? だったか、そんなものの存在を知っていたんだ」

「すみません……僕、天才なんです」

 

 調子を取り戻しつつあった――猫を被っていた、あるいは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()か。アルベールは直感的に後者だと気づき、深くは追及しなかった。

 

「無論、その時結晶を用いた発明も報告してくれ」

「いいですよ」

 

 デュノア社は鉄鋼産業から先端科学までを取り扱う、一大コーポレーションである。

 今日、その日本支社にアルベールが視察のため来日したのは、束にとっては世界が自分を中心に回っていると錯覚してしまうほどの僥倖だった。

 

「そしてもう一つのお願いなのだが……」

「事務職でも、何でもいいんです」

 

 束の提案――父親をデュノア社で雇ってもらうこと。

 派遣社員としての労働に彼が追い詰められつつあるのは、一家が皆知っていた。いつしか父は、子供に笑顔を見せなくなっていた。自分のせいだ。ならば、その笑顔を自分が取り戻してみせる。

 

「どう思う?」

「アルベール社長の命令といえど、技能試験や面接などは受けていただきたいです」

 

 日本支社の人事部長は毅然として言い放った。そうしたほうがアルベールには受けがいいだろうという打算は、束に透けて見えていた。ふざけるな――お前の点数稼ぎのために、俺の家庭をめちゃくちゃにする気か。理不尽な怒りが胸に渦巻く。

 アルベールは顎に指をあて考え込んだ。

 

「工場労働であれば、よほどのことがない限りパスできるだろうな」

「それはそうですが……」

「無論大目に見ろと命令しているわけではない。君たちはきちんと試験を評価したまえ」

 

 束は落胆しそうになったが、持ちこたえた。

 工場労働、単純労働とはいえ天下のデュノア社だ。今よりは断然マシである。

 面接も試験も、最悪束が面倒を見る。頭脳のスペックだけは本物だ、苦も無くこなせるだろう。

 

「彼を送ってくれ――ああ、アドレスには私から連絡がいくことがあるだろうから、定期的にチェックするように」

 

 アルベールが自分のスマートフォンを取り出し、束に向けて軽く振った。不意に束は、ポケットから自分の端末を取り出した。データが一件送られている。不自然でないよう動きに気を遣って、そっとデータを開いた――採用試験の問題だった。

 いいのかよ、と呆れる。それ以上にうれしかった。アルベールが片目をつむった。

 

「今日はお世話になりました」

 

 頭を下げてから、束も片目をつむった。自分の身体の動きを掌握している天才にとって、ウィンクなど容易かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰路につくころには日が暮れていた――恐らく両親は既に帰宅しているだろう。

 足取りは軽い。いい報告しかないのだ、当然だった。

 デュノア社との契約金――期待していたより多かった。生活はぐっと楽になるはずだ。それが定期的に振り込まれる。束は自分を追い詰めていた敵が、一瞬で霧散するのを感じた。

 

 幸運に助けられた。あまりにも出来のいい偶然だった。

 

(こんなにラッキーなことがあると、しっぺ返しがありそうで怖いなあ)

 

 半ばスキップするような心地で、見えてきた家に進む。

 鼻息荒く、一歩一歩進む。

 

 ――最後にこうして歩いたのはいつだったろうか。

 これからの未来に希望を夢見てここを歩いたのは。

 

「…………ちーちゃん」

 

 隣に彼女がいた。互いに小さな命を背負って、ここを歩いた。

 思い返せば顔も合わせなくなってどれくらい経っただろうか。ないがしろにするつもりはなかった。ただ、怯えるようにして距離を置いていた。疫病神だと思われている。その目を見ただけで感情を悟ってしまう頭脳が、視線を合わせることを拒絶していた。

 

 でも、もう、違う。

 

「大丈夫だ」

 

 自分を鼓舞した。苦手なことだったけれど、今から、久しぶりに家族と顔を合わせる。そして自分が救世主になる。天災だのなんだのは、今はどうでもいい。

 ただ自分の家族を幸せにすることさえできればいい。それが、今ならできる。

 

「俺は、大丈夫だ」

 

 だって天才だし――続く言葉を舌の上に転がした。

 歩みを止める。眼前に家がある。生まれ育った自分の家だった。この家のローンだって、自分に振り込まれる金額と、父親の賃金を合わせれば大丈夫だ。一夏たちだって学校に通わせてやれる。

 

 アルベールの言葉を思い出した。そんな理想は捨ててしまえ。一理あると思った。ISの開発だけを見据えていてはいけないんだ。

 時結晶は入手できるが、まずはデュノア社に発明品を安定供給することを考えよう。それでいいはずだ。もうどのみち間に合うはずがない。ISを造って全部ひっくり返すなんて絵空事だ。できもしないことをいつまで引きずっているつもりなんだ。

 

「……俺は、大丈夫だ」

 

 ドアの前に立った。ドアノブを握るだけで、おなかが痛くなった。構わずに回して、ドアを開ける。

 玄関から続く廊下の奥で、リビングに明かりがついている。扉を閉め、鍵をかけ、靴を脱いだ。思っていたよりも動作が遅くて、もどかしいぐらいだった。

 リビングから話し声は聞こえない。自分が帰ってきたせいだろうか。束は普段、リビングに顔を出すことなく階段を上がって部屋に戻っていた。合わせる顔がなかったから。

 

(でも今は、違う)

 

 意を決して、一歩踏み出した。リビングに入る。食卓を囲む家族たちが、みんな束を見ていた。

 予期せぬ闖入者に目を見開き、箸を宙に突き付けたまま固まっている。

 

(ああそうか、この食卓に、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 でも、まだ大丈夫。まだ間に合うから。

 自分に言い聞かせて、拳を強く握った。

 

「ただい、ま」

 

 声を絞り出した。最初に反応したのは――千冬だった。

 

「ああ、ああ……! 束、お帰り……!」

 

 彼女の声は震えていた。視線は怖くて合わせられないけど、その声色が自分を気遣っているのが、束はどうしようもないほどにうれしかった。

 食卓を囲む一夏たちは、じっと束を見ている。その瞳には悪意も敵意もなかった。

 両親の顔は、まだ見れない。リュックを床に下ろして、中から封筒を引っ張り出した。視線を床に落としたまま、封筒を差し出した。

 

「父さん、これ……」

 

 父は無言のまま封筒を受け取った。

 デュノア社の刻印、中から出てきたのは中途採用に関する書類。

 

「受かる――テストとか、ほとんど形式的なものだ。今日、取り付けてきた」

 

 視界の隅で千冬の肩が跳ねた。驚いているんだろう。束自身も驚いていた。

 改めて言葉に出して、自分の成果に実感が伴う。なんとかなった――やっと、ようやく、スタートラインに立てた心地がした。

 

「給料もいいし、楽になるよ。俺も、別個に契約取り付けられたから。今までみたいな感じじゃなくなると思う……」

 

 言葉を切って、空気を窺った。

 静かだった。嫌になるほど静かだ。誰も声を上げない。束は自分の心臓が跳ねるのを感じた。何か、何かしくじったのか。いいやそんなはずがない。束自身も結果を出した。父の職も獲得した。非の打ちどころはないはずだ。

 

「た、束ッ」

 

 千冬が椅子を蹴り倒すほどの勢いで立ち上がった。反射的に顔を上げて、彼女の目を見る。読み取れる感情は恐怖、怯臆――

 

(――なん、で)

 

 何故千冬がそんな反応をするのか。

 答えはすぐに来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

破:天災の絶望

 

 

「誰が、そんなことを、頼んだんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ぇ?」

 

 声が、こぼれ出た。

 父の声は震えている。束は彼の表情を、その時になってやっと見た。

 真っ赤になっている。身体が震えている。束でなくともわかる。憤怒。

 さらに深層まで、瞬時に読み取れる。()()()()()()()()

 

 

 何故俺がこんな目に。

 何もかも順調だったはずなのに。

 職にあぶれて、お情けを受けようとしている。

 ふざけるな。

 誰のせいだと思っている。

 もとはと言えば。

 全部全部お前のせいだ。

 お前が全部台無しにした。

 

 

 お前なんて――

 

 

(あ)

 

 

 感情の奔流を、束は呆然と眺めていた。それしかできなかった。

 

 

 

 ――お前なんて、いなければよかったのに。

 

 

 

「う、ぁ」

 

 後ずさりして、しりもちをついた。見上げる父は部屋の照明が逆光になって、顔に影が落ちている。

 束ほどの頭脳がなくても、分かり切ったことだった。全部そうだった。

 純然たる事実。全部、何もかも束のせいだった。

 成果でチャラにできると思っていた――甘かった。父は辛酸をなめさせられ、もう、間に合わない状態だった。

 

 デュノア社への取り次ぎが、火に油を注いだ。

 父親の瞳の感情が一色に染まり、それは痛いほどの赤色で、矛先は自分に向けられていて。

 

「――――ぁ」

 

 遅かった。間に合わなかった。

 篠ノ之束は、誰かを救うことが、もうできなくなっていた。

 書類を破り捨て、椅子を蹴倒して父が立ち上がった。

 

 誰が悪いんだろうかと考えた。他でもない、篠ノ之束自身だと即座にはじき出せる。

 ならこれは、仕方のない罰なのだろう。

 然るべき罰であって、理不尽な暴力じゃない。だから大丈夫。これは仕方のないことだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 動こうとした千冬を視線でけん制しながら、束はそんなことを考えていた。

 血のつながった実の父親が、自分に向かって拳を振り上げるのを見ながら、束は、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二畳しかない物置部屋に座り込んで、束は荒く息を吐いた。

 頬が痛む。何度も殴られ、床に叩きつけられた。止めに入ろうとする千冬を、母が怯えた様子で引き留めた。何事にも優先順位がある。引きこもりがいくら殴られても問題はないが、学校に通う千冬の顔がはれ上がっていたら、それは問題になる。そこまで無意識のうちに計算していることを束は察していた。

 一夏がじっと、目を見開いてこちらを見ていた。マドカは泣き出していて、箒と一緒に一夏の背中に隠れていた。三人には見てほしくなかった――忘れてくれと何度も願いながら、殴り倒された。

 

 痛みは感じない。身体のスペックが感じさせてくれない。朝を待たずして、腫れは引いてしまうだろう。自分のとっての罪の象徴として残りもしない。避けようと思えば避けられた。反撃して逆に父を打ちのめすことだってできたはずだった。しなかった。できなかった。

 当然の報いだと思った。束がこの家庭をぶち壊した。父には、束を殴る正当な権利があると思った。

 

「ちく、しょう」

 

 右手で顔を覆った。涙があふれ出る。どうしてこんなことになっているのか。自分がまいた種だということが嫌というほど分かるから、現状を受け入れきれない。

 間に合わなかった。どうにもならなかった。もうこんな、普通のやり方で救えるような段階は、過ぎ去っているなんて。

 

「畜生、やってやる、やってやればいいんだろ、畜生」

 

 折れそうになる心を無理矢理補強する。必然、現状への行き詰まりが発想を飛躍させる。

 一発逆転のチャンスはまだある。

 まっとうなやり方ではもうだめなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 束は涙を拭って天井を見上げた。天井の向こう側にあるはずの空、その向こう側にあるはずの成層圏を睨みつけた。

 

「やってやる……助けるんだ。俺がみんなを助ける。天災なんだから、みんなの幸福ぐらいちょちょいのちょいで……」

 

 フラッシュバック。

 

『俺、天災なんだから、三人分の幸せを創り出すなんてちょちょいのちょいだっつーの!』

 

 束は呻いた。

 できていなかった、過去の誓いが瞬時によみがえった。

 誰も幸せにできない。天災なんておこがましい。自分は、今の自分は、ただの愚か者に過ぎなかった。

 

「…………おれは」

 

 自分の手を見た。ちょっとした発明家に過ぎない。舞い上がっていた。過信していた。万能感は失われ、家族の助けになることもできなかった。

 

 足音が聞こえた。大人のものでも、幼児のものでもない――

 

「……束、入っても、いいか」

 

 千冬の声。びくりと身体が跳ねる。ドアにカギはついていない。誰もが入れる部屋だが、誰も入ってこなかった。

 束は慌てて立ち上がろうとして、身体が動かなかった。

 

「ま、待って、その」

「入るぞ」

 

 ドアが開かれた――肩にかかるぐらいの黒髪を下げた織斑千冬が、迷いのない動きで部屋の中に入ってきた。後ろ手にドアを閉められる。

 彼女はそのまま、束の隣に膝を抱えるようにして座った。

 

「……ちーちゃん、どうしたんだよ」

「いや、痛みは、引いたかと思って」

 

 束は対応を逡巡した。何を言えばいいのか、どう返せばいいのか、何も分からない。

 戸惑っているうちに、千冬の腕が伸びた。殴られた束の頬に手を当てて、至近距離から覗き込んでくる。

 

「……父さんも、きっと、明日には冷静になってくれる、大丈夫だ」

 

 慰めの、言葉だった――同年代の女子に、なんとか気を遣った言葉を懸けられていた。恥じ入った。

 頬に添えられた手は温かい。

 

「俺も、大丈夫だよ。まだあきらめてない。まだなんとか、できるはずなんだ」

「……インフィニット・ストラトスか?」

「ああ」

 

 あれさえあれば。

 こんな地獄を終わらせることができる。

 

「……束」

「やめろって、言うんだろ。分かってる。分かってるんだよっ。でもあれは造らなきゃいけない……あれを造れないと、俺は俺なんかじゃなくなっちゃう……必要なんだ、あれは、絶対に」

 

 千冬は束の声が震えていることを察した。強迫観念にとりつかれている。

 休むべきだ。夢を追って走り続けるだけでは生きていけない。なんとか言いくるめて休ませるべきだと、千冬の冷静な理性が告げている。

 

 けれど。

 

「私は」

 

 息を吸って、千冬は束の肩に自分の頭を乗せた。

 

「私は、お前を応援するよ」

「…………ッ!?」

 

 思ってもいなかった言葉――驚愕に目を見開く。

 千冬は泣きそうな声で続けた。

 

「私たちを助けてくれた、束の、助けになりたいんだ。私はどんな時も束の味方でありたいと思う。だから……」

「……だから?」

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 ハッとして、言葉を失った。その台詞は、かつて、自分が彼女に言ったものだった。

 

「大丈夫だ束。きっと、うまくいくさ。まだ、我慢がしばらく必要かもしれないけど。でもきっと、うまくいく。だから……大丈夫なんだ」

「…………うん」

 

 千冬の耳のすぐそばで、嗚咽の声が漏れた。鼻水をすすって、束は必死に涙をこぼさないようこらえている。千冬はいつか、妹たちにしたように、束の頭に手を伸ばした。

 根拠なんてなかった。けれど、束の味方でありたいというのは、心の底からの本心だった。

 これからどんな地獄が続こうとも、きっと彼さえいれば自分は大丈夫だと。

 織斑千冬はただ、篠ノ之束の涙を拭いながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月日は流れる。

 織斑一夏はランドセルを背負って、小学校へ行く道を歩いている。両隣には箒とマドカがいた。

 それを束は、窓から眺めていた。三人は学校の教室でずっと一緒にいる。仲が良いというのもあるが、単純に友達がいないのだ。誰かと一緒に何かをするという経験のなさは、多大な精神的負担になっている。二年生の今はだいぶ落ち着いたが、教室の中で突然箒が泣き出すこともしばしばあった。

 

 教師からの評判も、クラスメイトからの受けも悪いだろう。カーテンをさっと閉めて、静かに目を閉じる。千冬の部屋にいた。千冬は新聞配達のため、早朝から出かけている。

 

 壁を見た。かつて描いた落書きの画用紙。まだ貼っていたのかと笑う。悲しい笑いだった。

 

 篠ノ之束の手元に時結晶が届けられ一年。

 デュノア社にはISの技術を部分的に流している。金銭的な補助は、余裕こそないが、子供たちを学校に活かせてやれる程度には機能していた。

 そして問題の時結晶――ISコアの原材料。

 

 束はここでもまた、天災の壁を越えられずにいる。

 不可解な性質は実験のたびに結果を変動させる。安定した何らかの反応などなく、既存の科学法則をすべてあざ笑うかのような物質。

 

「……やってやる」

 

 父親はあの日以来、子供と会話をしなくなった。

 母親はいつも、父に怯えている。

 

『束お兄ちゃん、がんばって!』

 

 先日、不意に顔を合わせてしまった一夏が、そう言った。

 まっすぐな目で束を見て、そう言った。

 

 なんとなく、救われた気がした。

 

「大丈夫だ。やってやる。俺はやってやるよ」

 

 視線の先にある、クレヨンで描かれた『白騎士』。

 未だ地獄は終わらず。

 彼の理想は空の彼方に存在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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