動画配信で食べていく 作:キ鈴
「さっ、付いてきて」
老倉から逃げるのに協力してもらう交換条件として桜木町にあるビルに連れてこられた倉敷は女性……庭瀬小春の誘導に従いフロア内を進んでいた。
倉敷は歩きながら辺りの様子を窺う。フロア内には沢山の机や椅子、パソコン等が並べられており、ここがなんらかの会社のオフィスであることが推察できた。
(居心地わるっ!!)
庭瀬の後を追う倉敷に何故かオフィス中の人々の視線が突き刺さった。談笑に花を咲かせていた2人組は会話を止め、カタカタとキーボードを叩いていた者は目を見開き倉敷に視線を集めた。
「ちょっとここに座って待っててもらえる?飲み物と資料取りにいってくるから」
「はぁ」
オフィスの隅にあった4m×2m程の机……恐らく普段は仕事の打ち合わせ等に使っているのであろう場所に通された倉敷は言われるがままに椅子に座る。
(まじでここ何処なんだよ……てかこんな場所に一人置いてかないでくれ、部外者が侵入してるとか思われたらどうすんだよ)
周囲からの視線に居心地の悪さを感じ倉敷は肩を窄める。すると彼に視線を送っていた内の一人の女性が立ち上がり彼に近づいた。
「ねっねっ、貴方ゲーム実況者の桃太郎さんよね?よねよね?」
スーツ姿の庭瀬とは異なり真っ白いパーカーにジーンズと随分とラフな格好をした女性は倉敷にずんずんと顔を近づけながら話しかけた。倉敷は逃げるように背を仰け反らせながら応える。
「そうですけど、僕のこと知ってるんですか?」
「そりゃ知ってるわよ!むしろ貴方は業界の中じゃかなり有名よ」
「有……名?」
この女性の言う通り、倉敷……いや桃太郎のゲーム配信者としての知名度はこの時点でかなりのものだった。だが倉敷はその事実を認識できていない。老倉Farmから脱走して1年、ここまで食いつなぐのに必死だった彼は『桃太郎』という自身のコミュニティにしか目を向けておらず他者との比較ができていなかった。もちろんエゴサーチなど一度もしたことはない。
『井の中の蛙大海を知らず』の逆バージョンと言えるかもしれない。
「またまた謙遜しちゃって。ところで今日はどうしてここに?もしかしてうちと契約してくれるとか?とかとか?」
「契約?いえ、そういうのではないです。さっきのスーツの人に連れて来られただけでここが何処なのかも分かってないんですよね」
「あーそういう……小春先輩強引だなぁ。でも今のうちはそのくらいグイグイいかないと不味い状況だし仕方ないか」
「……?」
「そうだ!小春先輩か帰って来る前に桃太郎さんと私が契約を結んじゃえば私が彼の担当に!」
「なれる訳ないでしょ」
いつの間にか戻っていた庭瀬が筒状に丸めたパンフレットのようなもので倉敷に迫っていた女性の頭を叩いた。
「げっ、小春先輩」
「げっ、じゃないわよ。なに人の担当かっさらおうとしてるのよ。ほら自分のデスクに戻って、私は彼と大事な話があるんだから」
「はぁ〜い、すみませんでした」
シッシッと追い払われ女性は名残惜しそうにその場をあとにした。
「ごめんなさいね、あの子は私の1つ下の後輩なんだけど少し強引な所があって」
それは貴方もですよね、という言葉を倉敷はすんでのところで飲み込んだ。庭瀬は倉敷の向かいの椅子に座り胸ポケットから名刺を取り出し倉敷に手渡す。
「まずは自己紹介からね。私の名前は庭瀬小春、この
「えっと僕は倉敷良、動画配信者やってます」
「知ってるわ。ねぇ倉敷君、今貴方はどこかのMCNに所属してたりする?」
「いえ、というかMCNって何です?」
「え」
庭瀬は驚愕した。今時、しかも倉敷のようなチャンネル登録者40万人を超えるような配信者がMCNの存在を知らないなど想定していなかったのだ。
「いやいや知らないって事はないでしょ?倉敷君なら今まで沢山勧誘のメールが届いてるはずでしょ?というか私も送ったし」
倉敷は少し考えた後、ハッと気づいたような表情を浮かべた。何か思い当たる点があったらしい。
「あー、僕チャンネルに届くメール一切見ていないんですよね」
「それは……やっぱり仕事として動画配信をする気はないってこと?」
「へ?いやそんな事は全然ないです。というか動画配信が僕の生活の生命線ですし、むしろお仕事ばっちこいです」
「いやいやいや、ならどうしてメッセージを見ないの?沢山お仕事の依頼来てるでしょ?」
庭瀬の問いに苦虫を噛み潰したような顔をしながらも倉敷は応える。
「今日僕を追いかけてた女……あいつ老倉って言うんですけどあいつが以前仕事の依頼を装って僕を捕まえようとしてきたんですよ…それ以来届くメッセージが全部老倉から送られて来たものなんじゃないかと疑うようになってしまって……」
余談だが今現在、倉敷のチャンネルには2000通あまりのメッセージが未開封のまま放置されているが、その内の8割が老倉から送られたものだったりする。つまりメッセージを見ないという倉敷の判断は正しかった。
「そんなことが…でもそれって裏を返せば信用できる相手からの依頼なら請け負う気があるってことよね?」
「もちろんです」
「うんうん、そんな貴方にとっても美味しいお話があってね」
満足気にそう言うと庭瀬はテーブルの上に持参したパンフレットを広げた。
「まずはMCNが何なのかについて簡単に説明するわね。MCNって言うのはマルチチャンネルネットワークの略」
「マルチチャンネルネットワーク?」
「そう、無数にある貴方達動画配信者さん達のチャンネルを企業や視聴者とより深く繋げるって意味だと思って貰っていいわ、ちょっと違うけど」
「はぁ……」
「MCNの主な業務内容は貴方達配信者のマネジメント、そうね…配信者専用の芸能事務所だと思って貰えれば分かりやすいかしら」
「配信者の芸能事務所……そんなのがあるんですか」
「うん、ていうか割ともう世間一般にも認知されてる筈なんだけど……まぁいいわ。つまり今回貴方にここまで同行してもらったのは私達、BUUUMネットワークに入ってくれないかっていうお誘いの為なの」
「……具体的にはどんなことをしてくれるんですか?」
「そうね。例えば企業案件の斡旋や貴方の動画の著作権管理、イベントの開催なんかが主な所になるわね。他にも配信者同士のコラボレーションの企画とか沢山あるのだけどその辺はおいおいでいいと思うわ」
「なんか話が美味しすぎる気がするんですが僕の方に何かデメリットはありますか?」
「デメリットって言い方は違うのだけどそうね、私達MCNは貴方達配信者のマネジメント料として貴方の動画収益の20%をマージンとしていただく事になります」
「20%!!」
その数字に倉敷は驚愕した。ただでさえ日々食いつなぐので精一杯の毎日なのだ、今の収入から20%も差っ引かれては生活がままならないのは火を見るより明らかだった。
そんな倉敷の表情をみた庭瀬はこれは不味いと補足を付け加える。
「安心して、確かに20%を貰うことにはなるけどうちと契約して貰えれば今以上の収益が得られるわ」
「…」
だがそんな言葉を倉敷は鵜呑みにはしなかった。そもそも倉敷はMCNと言う企業の存在をつい先程まで認知していなかったのだ。もしかしたから新手の詐欺集団なのではないかと疑ってすらいる。
「お話は分かりました、ですが急なお話なので1度家に持ち帰って検討させてください」
「えっ」
庭瀬は考えた。このまま倉敷を家に帰してしまってもいいのかどうかを。
(倉敷君が今までMCNに所属していなかったのはMCNの存在その物をしらなかったから……だけど今は知ってしまっている。もしもこのまま家に帰れば確実にMCNについて調べる、そうなればうちの経営が傾いていることにも気づいて他のMCNに行っちゃうかもしれない……それだけは絶対にダメ、何としても今ここで契約を……… せめて仮契約だけでも!)
何としても今ここで倉敷と契約を交わす必要がある、だがその為の手札がない。無理に倉敷に迫り不信感を抱かせてしまっては本末転倒だ。
(くっ、どうすれば……)
そんな時に庭瀬にスマホに着信が入った。庭瀬は鞄からブーブーと振動するスマホを取り出し画面を見る、そこには見慣れぬ番号が表示されていた。
「出てもいいかしら?」
「どうぞ」
倉敷は直ぐにそう応えた。この着信の相手が誰なのかも知らずに────
□□□
「何処にもいません…」
倉敷と庭瀬がビルから脱出して1時間、老倉は未だにビル5階のフロアで倉敷を探していた。
「どうして…どうして…あの女の人は先輩が上に向かったと言っていたのに…」
庭瀬と別れたあと老倉は徹底的に5階と屋上を捜索した、だが倉敷の姿は愚か人っ子一人姿はなかった。探しても探しても見つからず老倉は徐々に焦りを募らせていた。
(冷静に、冷静に考えましょう。こういう時は視野が狭くなっている可能性があります。落ち着いて、きっとまだ先輩はビル内にいるはずです)
深呼吸をし思考をクリアにした老倉は考える。
(よく考えれば私とぶつかったあの女性の行動が不可解です。あの女性は何か用があって非常階段を上っていたはず…なのに私とぶつかった後はそのまま下の階へ下りていきました。…まるで私とぶつかるのが目的だったかのようにです)
「っ!!!つまりあの人は先輩の協力者!!」
真実にたどり着いた老倉はその場に崩れ落ちボロボロと涙をこぼした。
(ということは私が5階と屋上を探している間に先輩はもう外へ…)
涙を流す老倉の脳裏に倉敷の背中が浮かんだ。その背中はどんどん老倉から離れ小さく、小さくなっていく。老倉がどれだけ倉敷の名前を叫んでも振り向くことはない。
倉敷を想い涙を流す老倉の頭に彼との思い出がフラッシュバックする。
◇
『先輩!先輩!先輩は卒業後の進路はもう決められているんですか?』
『あ?いや決まってないな。やりたいことも特にないし適当に就職でもするかな』
『でしたらうちに来てください!先輩なら大歓迎です!』
『なに?老倉の家って会社経営でもしてるの』
『そんな感じです。フレックス制度やブラックフライデーだって導入してる超ホワイト企業ですよ!』
『マジか!?最高じゃん!行く行く!』
◇
(あの時はあんなに喜んでくれたのにどうして…)
倉敷勧誘の際、確かに老倉は嘘はついていなかった。だがそもそも老倉の実家は農家なので自分の判断で出勤時間も調整できるフレックス制度はもちろん、夕方になれば殆どの仕事は終わっているため毎日がブラックフライデーのようなものだった。その代わり休日はほぼない。老倉の勧誘に嘘はなかった、だが一種の詐欺のようなものだった。
(いやです……いやです……ようやく、また一緒に暮らせると思ったのに……どうして帰ってきてくれないんですか…… それにあの女性は誰なんですか)
老倉を騙した女性はもしかしたら既に倉敷と男女の仲にあるのではないかという疑惑が老倉を襲った。瞬間老倉は胸に刺すような痛みを感じうずくまってしまう。
ヒラリ
うずくまった老倉の胸ポケットから1枚の紙が落ちた。
「これは…」
涙で視界がボヤける中老倉はその身に覚えのない紙を拾い上げる。
「名…刺?」
老倉が手にした長方形の紙には『庭瀬小春』と女性のものと思わしき名と連絡先が記されていた。