刀使ノ巫女、柳瀬舞衣メインの短編になります。基本シリアスですが死人は出ません。ゲストでオリジナル刀使が登場します。時系列的には、第一話の前日譚くらいに考えてみていただけたらと思います。
この手の投稿サイトには初めて投稿します。色々と勝手が分かりませんがご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。
断崖は、人骨の如き白い岩肌を不吉に晒し、余人を拒むかと見えた。
その中腹に仰いで見ることの出来るのは、人家、というのも気が引けるほどの、小さな祠であった。
仰ぎ見ることは出来る。
ただ、そこに至る道が、見つけられない。正面は崖であり、後ろも崖であった。
誰が、何のために建てたのか。どのようにして建材を運び、どのようにして建てたのか、窺い知れぬ。
人知を超えた方法でそれを建て得たとして、そこを訪れる者は在るのか。訪れるものが在ったとして、その者は何を求めて、至る道なきそこを訪ねるのか――
「神明夢想林崎流、観世思惟(かんぜ・しゆい)様とお見受け致します」
「入り込みたるは何者かと思えば、お前であったか、刀使(とじ)」
しかし、人を寄せ付けぬかと見えた祠には棲む者が在った。
「美濃関女学園中等部二年、柳瀬舞衣(やなせ・まい)と申します」
そして訪れる者も在ったのである。
「…ですが何故、私を刀使と?」
「ここに訪れ得る者は天狗か修験者か、さもなくば刀使たる者しか居らぬからよ。そもそも刀剣携えし女人(にょにん)となれば、刀使と見当が付くであろうが」
「…それも、そうですね」
柳瀬舞衣は、微笑んだようであったが、観世思惟の側には応じて笑むつもりはないようであった。
「疾(と)く去れ、刀使。当所は我が修道の場と定めし所。余人が妄りに足を踏み入れること相為らぬ」
「突然の失礼、お詫びします。当方の用向きが済み次第、立ち退かせていただきます」
「用向きというは、この私への用向きか」
「はい」
「聞く耳持たぬと言えば何とする」
「待たせていただきます」
「待つか」
「はい」
「どれ程待つ」
「分かりません」
「それはつまり、どれほど待てば私が聞く耳持つか分からぬからか」
「はい」
「成程。ならば私も、お前が諦めるまで待つより他にない」
「…」
見れば、観世思惟の両手にはそれぞれ小柄と木片があった。
焚き付けとするには少々小さすぎる程度の、木片である。
坐した膝元に落ちた、三日月に反り返った木くずは、右手の小柄の仕業のようであった。
坐した思惟の膝元に、木くずは徐々にうず高くなってゆき、それとともに、思惟の手元の木片は何らかの姿を、現していく。
「刀使が現れた故か、木っ端め。刀使の姿を映しおったわ」
既に木片は、木像となっていた。本邦において和刀を身に帯びる女人(にょにん)は刀使であることを現わし、思惟の言葉とおり、木像は刀を帯びた女子であった。
舞衣は讃嘆のため息をつく。
その木像は、粗削りでありながら既に、舞衣を彫ったものであるとしか思えなくなっていたからである。
見れば思惟の後ろには、大小様々な木像が立錐の余地もなく林立していた。
人は老若男女。犬猫や熊、狸のような獣、虫や鳥、花々と思しき植物もある。まさに木彫りの森羅万象が、奇異、好奇の目を、来訪者の己に注いでいるように、舞衣には思える。
「森羅万象には須らく霊性を秘める。木っ端であっても例外ではない。究(きわ)めて進めば正体が知れる。人を宿ししものは人に。仏を宿ししものは仏に。故に荒魂を宿ししものは荒魂になろうし、刀使を宿ししものは刀使にもなろうよ。このようにな」
「究めて、進めば…」
コト、と舞衣の似姿が置かれた。
思惟の膝元、正面であり、舞衣の正面でもある。
思惟と舞衣の間を、先ほどまで木っ端であった、木彫りの舞衣が隔てている。
「…刀使が求めるのは刀使の業(わざ)であろう。刀使の業ならば五箇伝に学べ。五箇伝以上の伝えは、この世の何者も持たぬ」
「並ぶものなき居合の達者と聞き及びます」
「ならば話は早い。我が業は居合。刀使には無用の業よ」
「居合が刀使に無用とは思えません! 学校でだって、居合の基礎は学びます!」
「柳瀬舞衣、と言ったか。美濃関の刀使ならば北辰一刀流の教えに親しんだであろう。抜刀術が学びたいのであればかの流にも整えられておるはず、それを学んではどうか」
「学びました」
「ほう。学んだか」
「だけど届かないんです。付いていけないんです。何かが足りなんです。何が足りないのか、分からないんです…」
「…ふむ」
「諦めたくないんです。絶望したくないんです。五箇伝にも、当流にもない何かが、何処かにあるのではないか。もしあれば…」
「あれば、勝てるか? お前の心の内にある、その誰かに」
見透かされた舞衣は、息を呑む。
その舞衣を、舞衣に向けて置かれた、木彫りの舞衣が見ている。
「誰を見ているのかは知らぬ。だが間違いなく言えることは、お前は刀使の本分より離れつつあるということだ」
「刀使の、本分…」
「荒魂鎮めてこその刀使。御刀も刀使の業もその為に用いてこそ。違うか」
「……」
彫り物であるからには、木彫りの舞衣に心があるはずがない。
しかし舞衣には、眼前の木造の己がどうしようもなく心細いもののように思えた。
「居合とはな。咄嗟の業よ」
「…はい。そう学びました」
「学んだか。ならばお前は居合を知りながら居合より遠ざかって居る。意味が分かるか」
「…。いえ…」
「咄嗟の業、即ち同胞に不意を討たれぬ為の業よ。己の守るべき者たちに、思いもかけず斬りかかられたる時、納めた刀を咄嗟に抜いて応じる為の業よ」
「守るべき…者たちに…」
「この庵を見よ。四方は断崖、易々と余人の立ち入ることを許さぬ。人は時に味方となるが、心ひとつで後ろから己を斬る敵となる。敵となるからには、遠ざけるが無難。他者を寄せ付けぬこと、これもまた居合」
「じゃあ…」
舞衣は、木彫りの己から顔を上げた。
上げたそこには、炯たる思惟の眼光がある。
「じゃあ、居合を修めるなら、他者を遠ざけよ、って言うんですか。誰とも会うな、誰の傍にも居るな、そう言うんですか」
「究るのならば」
「貴方の居合に、意味はありません」
敢然と、舞衣は言う。
「居ないだれかに抜き合わせる業は要りません。居ない誰かが斬りかかってくることはない。貴方の居合は、不要の業です」
「不要か。ならばお前にも、不要であろう。この世の誰にも、不要であろう。不要故に私はここにこうして蟄居している。お前は、荒魂を狩れ。御刀を抜いて、五箇伝の教えを現わすがよい。畢竟刀使は、そこに帰結するのだ」
「…先輩も、刀使じゃあないんですか!」
「世の為、人の為、御刀を抜いて振るうが刀使というならば、既に私は刀使ではない。刀使の業とは御刀抜き合わせての立合いの業。我が居合とは対極に在るものだ。…これを見よ」
思惟は、傍らに横たえていた御刀「あずき長光」を、座前へと回して見せる。
「これは…」
鞘と御刀の鍔との間を、紐のような白い何かが結んでいる。
「封印の紙縒り(こより)よ。このようなものでも、結んでおけば簡単に御刀は抜けぬ」
紙縒り――紙で作った紐であった。
古神道に置いて紙は神であり、護符や幣帛等、紙を用いた用具を神事に用いる。紙縒りもまたその一つであり、何かと何かを結ぶまじないに用いられた。
この場合、それが鞘と御刀を結っているのである。
「刀使の業とは刀抜き合わせて斬り合う立合いの業。世の為人の為、或いは己の為に御刀を抜いてその極意を現わすがいい。居合とは立合いの対極。極意とは抜かぬことに在り」
「極意は…抜かぬこと…」
「刀使よ。ここにはお前が求めるものはない。今一度言う。疾く立ち去れ」
我が心を両断される心地を、舞衣は味わう。
***
「何か悩み事?」
その悩み事の原因が、舞衣を覗き込む。
「…可奈美(かなみ)ちゃんは、悩み事なんてなさそうね」
何時も一緒に居る友達、衛藤可奈美(えとう・かなみ)の疑問を誤魔化すことに、舞衣は決めた。
「ええ? 失礼しちゃうなあ。私にだって悩みくらいあるよー」
「どうせ、剣のことなんでしょ?」
「うん。胴を抜くときどうしてもさー……って、どうして分かったの!?」
「可奈美ちゃんのことなら何だってわかるよ」
「え! えええ!?」
予想以上にあっさり誤魔化される友達に、舞衣は内心手を合わせる。
隠し事はしたくないけど、ことがことだけに仕方がないのだ。
そう。可奈美にだけは知られるわけにはいかない。何故なら、当の可奈美をどうやって倒すかが、今の舞衣の悩みであるから。
舞衣の御刀が届くことがなくなったのは、何時からだろう。
刀使の試合は基本、一本勝負であるが、その一本が一度も取れずにいる。記憶があやふやなくらい、ずっと前からそうなのだ。
「惜しかった」
「紙一重だった」
見ていた刀使たちも素人ではない。彼女たちの見立てはお為ごかしではないはずだ。しかし、それが10試合、20試合と続くともう「勝敗は時の運」では済まなくなる。何らかの差がある。確かに。
その差が何なのか、分からない。
同じ学校に通い、同じ訓練を受け、同じ寮の食事を採って同じ時間に就寝しているというのに、どうしてどんどん差が付いていくのか。
才能の差、と諦めるのは寂しすぎた。
もう少し可奈美と、一緒のところに立って、同じものを見て居たい。そう思ってしまった。思ってしまったら、気持ちはどんどん強くなっていった。可奈美が遠くに行ってしまう、そのことが寂しかったのだ。
舞衣は舞衣なりに考えた。
星眼、正眼、晴眼。何れも(せいがん)と読む。まるで漢字の「兵」のような恰好に構えて、対手を切っ先より透かし見つつ追い詰めていく。隙が無ければ待つ。隙を見せれば斬る。斬った結果勝つのではない。勝ってから斬る。それが北辰一刀流を修めた舞衣の剣であった。
そしてそれは、刀使の多くが、五個伝に学んで最初に修める基本の剣でもある。その基本の剣でここまで来たのが舞衣であった。
ところが可奈美との試合になると、必ず思ってもみない斬られ方をする。
見えないのだ。切っ先の先に、可奈美は居ない。
何故そう思うのかは分からない。分からないが、可奈美に負ける時は、意表を突かれているからだ、虚を突かれているからだと舞衣は考えていた。
ならば己も虚を突く技を用いて見よう…そう考えて思いついたのが居合であったのだ。
北辰一刀流にも居合の体系はあるが、これを機に、一度他流の技も見知っておこう…神明夢想林崎流の刀使を訪ねたのは、そのくらいの気持ちであったのだ。
(逆に、増えちゃった、気が…)
心病みを減らすためにしたことが、逆に心病みを増すことになろうとは。
「荒魂鎮めてこその刀使。御刀も刀使の業もその為に用いてこそ」
思惟はそう言っていた。
(極意は抜かぬこと)
(抜かぬこと…)
「舞衣ちゃん」
抜かなければ試合に勝てない。勝たなければ意味がない。勝たなければ、可奈美は…
「舞衣ちゃん! ねえ!」
「え!?」
「どうしたの!? 魂抜けてたよ今!」
「ぬ、抜けてないよ! 抜けたら死んじゃうよ!」
「…」
「な、なに?」
「話して」
「え」
「話して! 何があったの! まさか…好きな男の人とか…まさか!」
「そ、そんな大きな声でそんなこと言わないでぇ!」
舞衣は、悲鳴を上げた。
***
「対面する刀使に対し写シを張るということが如何なることか、知っての所業か」
「分かっているつもりです」
孫六兼元。関の孫六とも通称される舞衣の佩刀が、ツラ、と白日にその姿を現す。星眼に取ったのは、剣界において一足刀と云われる距離の遥か以遠である。
刀法を行うには先ず歩法。如何なる武道においても運足は基礎となる。刀使においても例外ではない。「迅移」と称される歩法を習得しているか否かで、その刀使が実戦レベルに達しているかどうかが知れる。
刀使が迅移の業を行う以上、巻き尺で測れる距離は全く無意味のものである。
もしこのまま思惟が写シを張らなければ、何時でも脳天をカチ割れる距離で、舞衣は御刀を構えているのだ。
「友達が言ったんです。相手が刀使なら、御刀を交えて見れば良い。一度御刀を交えたならきっと友達になれるって」
「定めし、優れた刀使なのであろう」
「…はい」
「刀使たるもの、剣技、刀術に嘘はつけぬ。刀使には御刀を持って語るがよしとその者は言っているのであろうが…先日言ったであろう。私は既に、刀使ではないと」
思惟は――御刀を向けた舞衣に対し、何をどうかしようという風ではない。
ただ左手には木片があり、右手には小柄がある。その小柄が動くたびに、爪切りで切った爪にも似た木屑が、うず高く積み重なっていく。
「…」
思惟は写シすら張ってはいない。もしこのまま舞衣が斬り込めば、肉を斬ろうと骨を断とうと自在であろう。
それ故に測り兼ねた。
このような状況下でこその抜刀居合ではないのか。
このような状況に陥りたくないからこそ、人の手の及ばぬ山中に起居することまでしているのではないのか。
(何故…)
刀使に迅移の業があるを知らぬということは、ないはずであった。
ならば、舞衣には迅移が使えないと、そう思っているのか。
だとすれば、相手の技量を見てもとれない未熟者ということに、思惟はなってしまう。
(ううん、そんなわけない)
(学長の肝いりなんだもの。嘘や間違いじゃないと思うけど…)
考えていても仕方がない。
思い悩んで答えが出ない時には行動してみる。舞衣がその背中を追い求める友達が、そうしてきたように。
私もそうしよう。そうしてみようと思ってここまで来たのではないか。そうすることによって少しでも、遠ざかる背中に近づけると思ってここまで来たのではないか。
(どうするかなんて決まってる)
舞衣の孫六兼元の切っ先が、宙天を指した。得意の中段星眼より八相――右足ではなく左足が前に出る陰の構えは、斬殺に最も適した構えと云われる。「行くぞ」と言葉ではなく、この構えで舞衣は、思惟にそう伝えたのだ。
警告であり、宣戦布告であった。
そうしておいて、踏み込んだ。
迅移による踏み込みであった。
御刀は荒魂を清めるを専らとするが、形状は刃を備えた本身の和刀である。であるからには触れれば皮膚が裂けるし、斬れば骨肉を断つ。このままなにもしなければ、思惟の命運はここに尽きることになる。
対して、思惟は――
「どうして…」
ポトリと、木屑がまた床に積まれた。
一心に思惟は木片を刻んでいた。それ以外のことをしなかった。
何もしなかったも同然だった。
「何故なんですか!」
「我を斬殺せんとする者を斬殺し、身を全うするのが居合の業」
孫六兼元は思惟の首筋に触れ、触れていながら薄皮一枚も裂いてはいなかった。
「剣気有れども殺気なし。刀使の剣は皆そうよ。殺す気ならば斬る。殺す気が無いなら斬らぬ。それが我が居合。それだけのこと」
御刀であるあずき長光はガラリと置かれ、思惟は、手を触れてすら居ない。
「お前の友達は、御刀を交えたなら友達になれると云ったそうだが…言ったはずだ。私は刀使ではないと」
コト、と置かれたのは、刀使の木像であった。
木像の舞衣が、憮然とした舞衣を、無言で見上げていた。
***
大抵の料理がそうであるように、クッキーは作りたてが一番美味しい。
お菓子作りが趣味のように思われている今日の舞衣だが、割と実は、ただのお菓子大好き女子であり、作りたての美味しいお菓子の為ならば手間を惜しまないくらいには食い意地が張っているのだ、みっともないから、誰にも内緒にしているが。
ただ最近は、美味しそうに食べてくれる友達が出来たものだから、色々とお菓子作りが変わってきていた。最初は舞衣が思う美味しいクッキーを焼ければいいと思っていたのが、そうではなくなってきている。
何が言いたいのかというとつまりだ。
「クッキーに嘘はつけない」
「え?」
「ごめんなさい。何でもないの」
作り過ぎたクッキーの山が――比喩ではなく文字通り山のようになっている――色々と思い通りに行かない舞衣のこの頃を物語っている。
「そっか。でも本当に、これ全部食べていいの?」
「いいの。っていうか、お願いします。手伝って。これ以上食べたら私、学校に履いてくスカートが無くなっちゃうから」
「ホント!? じゃ遠慮なくいただきまーす!」
一掴みを一口で、みるみる平らげていく可奈美を眺めつつ、舞衣は内心溜息をつく。
(作ったものには作った者の魂が宿る、か…)
焼いても焼いても納得が出来ないからこんなに山になったのだ。
舞衣が納得していないクッキーを本当に美味しそうに頬張る可奈美を見るのは何だか申し訳なかった。
己が美味しいと思ったものを、可奈美が美味しいと言ってくれたら嬉しかった。クッキーを通じて可奈美と通じ合えた、そんな気がした。
(最強の調味料は愛情って言うけど、創造には創造した者の魂が宿る、って誰の言葉だったかしら)
舞衣のクッキーには舞衣のクッキーへの愛(食欲?)が詰まっている。舞衣のクッキーには舞衣の魂が宿るのだ。
(何とかしなきゃ)
このままじゃ、クッキーの山が高くなるばかりだ。
自宅へと戻った舞衣は、お菓子作りはすっぱりと諦め、人知れず孫六兼元と共に自宅の庭に出る。
(もう一度あの山に…あの祠に登るためには…)
座敷ではなく庭であるから、坐居合はしない。
立居合である。これを前後左右、ひたすらに平抜きに抜き付ける。
百本ずつは行うつもりであった。
もとより舞衣が親しむ北辰一刀流の居合の体系は、立ったままで行う立ち居合を得意とするものである。
「極意は抜かぬこと」
観世思惟は、そう言っていた。刀使の剣には殺気がない、とも。
それは、そのはずだった。人の為に御刀を振るうのが刀使であり、刀使が用いる以上御刀が人に向けられることはない。刀使としての生を全うに歩めば、人を斬ることなどないはずであった。
舞衣には斬る気がない。だから思惟も抜かない。「抜かぬこと」という思惟の奥居合を破るには、この孫六兼元で思惟を斬るしかないのか。
そうなれば、舞衣は殺人者となり裁きを受けねばならない。そればかりか斬り合いとなれば勝つとは限らず、山から下りることはないかも知れなかった。
そのようなリスクを冒してまで斬り合いに望むのか。
刀使には本身を用いた試合があるが、写シを張る以上死人が出ることはない。それ故に試合が成立するのだ。
試合には反語がある。それが斬合なのだ。それを舞衣は行おうとしている。
(…ヤッ!)
前後左右計400本の居合を抜き納めたときには、舞衣は汗だくになっていた。
(斬れない)
斬ることは出来ない。思惟を殺すことは出来ない。そのことははっきりしている。だが斬らなければならない。そうしなければ思惟は御刀を抜くことはない。では、どうすればいいのか。
ふと舞衣は、足元を見る。
思惟が彫る木彫りの舞衣が、今なお己を見上げているような気がしたからである。
もちろんそのようなはずはないし、事実そのようなことはなかった。ここはあの山の祠ではないのだから。
思えば、舞衣が赴いた時には二度とも木彫りを行っており、二度とも舞衣の姿を写していた。思惟の背には木彫りが立錐の余地もなく林立しており、その様子からも思惟は常日頃から木切れに何かを彫り付けているように思われた。
(私のクッキーみたい)
ふと思った。
だとすると、思惟とも親しめるように思える。
また、それ以上に――
(創造には創造主の魂が宿る――)
それを思いついたときに、舞衣の表情は一変していた。
立居合400本を抜いた庭を後にする、舞衣の足取りに、迷いはなくなっていた。
***
「また現れるとは思わなんだ」
「はい」
「だが現れたからには、頼むところがあるのであろう」
「はい」
「斬る気になったか、私を」
「…はい」
はっきりと舞衣は肯定したが、目下御刀を抜くことも写シを張ることも、していない。ただ御刀を腰間に、端座するのみである。
一方の思惟も、御刀たるあずき長光は傍らに在るものの、以前の時と同じく、小柄を右手に、左手の木切れに何ものかを刻んでいた。
「木切れに宿ったものを削りだしているのだと、先輩はそう言っていましたね」
「言ったな」
「木々に宿る精霊のことを木霊(こだま)といい、人の発する言葉をオウム返しに返す習性があるとか。その木切れに宿っている木霊も、何かを写しているのだと思います」
「何かとは」
「創造には創造者の魂が宿る――写しているのはおそらくは、先輩の魂です」
「…なるほど」
コトリ、と置かれたのは、前の二度と同じく、木彫りの舞衣だ。
しかしその表情は険しかった。
鬼相を現わし、殺気を漲らせた舞衣がそこに居た。
置かれた場所が絶妙であった。もし一足刀に踏み込み、十分な間合いで思惟の首を断とうとするなら、丁度木彫りの置かれたそこを、右足で踏まねばならない。つまり踏み込むには、木彫りが丁度邪魔になっているのである。
無造作に木切れを置いたと見えて、正面に盾を置いたも同然であった。
恐るべき相手だった。舞衣の眼前の相手は、まさに斬り合いの本職であった。
「守るべき人を殺めて、我が道を究る。それは刀使に非ず、まさしく剣人の在り方。覚悟がなったなら、いざ刀使を捨てるがよい…」
「それは出来ません」
迷いはない。
「可奈美ちゃんと一緒に刀使の道を歩む。その為に私はここに来たのだから――!」
右手で柄元、左手で鯉口。
一日朝夕800回、10日で八千回、100日で八万回。
練りに練ってきたその用刀に淀みはない。抜き付ける孫六兼元の刃のその先は――
「…!」
「…ッ!」
涼やかな音色とともに、玉鋼と玉鋼が触れ合い、飛散した石火の火花が祠を明るく照らした。
「…お見事」
舞衣の刃は、思惟の刃に阻まれていた。
但し、舞衣の抜き付けた刃は、思惟の四肢の何処を目指したわけでもなかった。狙ったのは目前に置かれた、殺気を漲らせた木彫りの舞衣だったからである。
「封印の紙縒りがあっても尚互角…さすがは神明夢想林崎流」
「その封印を破っておいて何を言うか」
刃の噛み合ったのは一瞬であり、一合のみであった。
両者の斬り合いは、その一合で終わっていたのである。
「何故に木っ端を狙った。刀使よ」
「木っ端ではありません。貴方の魂です。それを狙ったのです」
「その木っ端を断てば我が魂が断てると?」
「それは分かりません。ですが先輩の彫り上げたモノには、先輩の魂が宿ると信じて斬りました。…斬れませんでしたけど」
「いや、斬った」
思惟は、二つに千切れた紙縒りを示す。
思惟抜刀のおり、千切れたものであった。
「我が身を斬らるるかと思い応刀(おうとう)しておったわ。抜かずの行もここに潰えた。我が居合道はお前に斬られたわ」
そのように言われると、舞衣の表情は複雑なものとなる。
だがまさしくそれを舞衣は、企てたのである。
「そうですね。そのように云われるならば確かに、斬りました」
舞衣はそう応えた。
「確か修験道や密法にそのような伝えがあった。仇を模した藁の人型に針を刺し、呪殺せしめる技だ。それと同じか。成程、至極見事…」
「せんぱ…」
「ありがとうございました」
思惟の佇まいが一変していた。
居住まいを正した思惟は、深々と座礼を行う。
「我が身の急を斬って治めるが居合と思っておりました。ですが今、我が居合は我が身ではないものを守りました」
「先輩…」
「我が居合を持って治めねばならぬのは我が身の急だけではない。また我が身を守るばかりが居合ではない。己以外も守り得ると知りました。貴方のお陰です」
「こ、こちらこそ。ありがとうございました。刀使の在り方について、考えさせられました」
慌てて舞衣も答礼する。
「門派の教えと刀使の在り方に乖離を感じておりました。故にこその山籠もりも、ここで終わりと出来そうです」
「それじゃ…」
「山を下ります。これを機会に」
「そうですか。良かった」
舞衣は微笑む。
「先輩はやっぱり、刀使だったんですね」
その笑みに、今度は、思惟も微笑んで応じた。
***
可奈美の机の上に、等間隔に行儀よく、見知った顔が整列していく。
「えーと、これは…」
「これが可奈美ちゃん。こっちは美炎ちゃん。あとこっちは…」
ご機嫌で敷いた和紙の上に並べていいってるのは、舞衣である。
「いったいどうしたのこれ? 今までと作風違くない?」
「美濃関女学院刀使顔クッキー。作ってみました!」
髪はチョコクッキーで表現したり、目はチョコチップやレーズンで表現したりしているのは序の口で、ソバカスやニキビまで生地に変化を付けて表現していて芸が細かい。一目でどれを食べれば誰を食べたことになるのか一目瞭然なレベルだ。
しかも、美味しい匂いがする。
「さあ召し上がれ」
「う…」
「どうしたの、食べないの」
「食べたい。食べたいけど食べずらいよ舞衣ちゃん…」
「おなかが減ってない可奈美ちゃんなんて珍しいね。仕方がないから私がたべちゃおう。先ずはこの可奈美ちゃんクッキーから…」
「やっ止めて。なんか止めて」
「そっか。じゃあこっちの、可奈美ちゃんじゃない娘を舐めちゃおうかなー」
「それもダメええ!」
思惟先輩は今どうしているだろう。
あの断崖の祠を、舞衣は思い描く。
祠は既に、無人であろう。去った思惟は、あの居合の業で何を守るのだろう。舞衣の姿を借りた木切れに過ぎぬものを、極意の封印を破ってまでも守った、神明夢想林崎流の居合の業で。
創造には創造者の魂が宿る。
思惟は木切れを守ったのではない。木切れに魂を見出したが故に守ったのだ。
そこに在ったのは似姿の舞衣の、舞衣の姿を与えた思惟の魂だ。
魂とは命と同義でありまた、同義ではない。魂は宿るものであり、分かつことも、込めることも出来るのだ。
今まで舞衣が作ってきたお菓子や御飯、ひょっとしたら見たり触れたりしてきた色々なものにも舞衣の魂は宿っているかもしれない。ならば舞衣の振るう剣の技にも、舞衣の魂は込められていよう。多分、可奈美の剣の技にも。
「…でも、ねえ。舞衣ちゃんの顔のは?」
「私の顔クッキー? あるよ。はいこれ」
「あるよって、どうして皆と一緒並べてないの」
「どうしてって…私のは、可奈美ちゃん専用だから。材料は同じでも、こうして可奈美ちゃんの為に可愛い包みとリボンでラッピングしたの。もらってね?」
「うっ」
「…いや?」
「…いただきます」
何とも複雑な顔で舞衣顔クッキーと見つめ合う可奈美に、久々に舞衣はご満悦であった。
この調子で、剣においても可奈美から一本を取ってみたい。
もし、剣の技に魂が宿るというなら、もう少しの間、可奈美の剣の魂の近くに在りたい。
そう在れたらいいと願う、舞衣であった。
≪了≫
臣です。読んでいただいてありがとう。お楽しみ頂けたのなら幸いです。
この場を借りて自己紹介を。
バラしてしまうと私は50歳になる印刷工場の労働者です。モテなかったので独身ですw 若いころには文筆で食うことも夢見ましたが如何せん才覚がなく、一度は筆を折って真面目に働いていましたが、現在はケータイ小説とかライトノベルとか、文芸の受け皿が格段に広がってきつつあるのを見るにつけ、ひょっとしたら僕のような老兵もその隅っこにも在れるのではないかと考え投稿を決めました。
オリジナルとなると年齢的に、斬新なものは書けないだろうと思い二次創作を選びました。
剣道の経験者で、それを活かして時代劇をとも考えていましたが、僕らの世代はラノベ黎明期で、「銀河英雄伝説」とか「クラッシャージョウ」とかがどんどん現れて、面白いからそっち方面ばっかり読んでいたらすっかりラノベ脳になってしまい時代劇の方には身が入りませんでした。書くなら時代劇でない時代劇っぽい何かをと世を見渡した時、「刀使ノ巫女」に出会ったわけです(刀剣乱舞とかもありましたけど、刀は良し悪しよりも合う合わないだと思う派で、あんま思い入れが出来ませんでした)。
そんな感じなので、言い回しが難しかったり漢字が多かったりすることがあると思います。まあそれも個性になるかと、変に今風にするよりこのままいっちゃおうと思ってます。
刀使ノ巫女以外ではガンダムとか艦これとか、書いてみようと思っています。
刀使ノ巫女では舞衣の他には一席さんとかが好きです。壁にぶつかっても逃げない人は素敵ですよね。わりとネットじゃ弱いとか言われてますし、実際今は弱い時期なんだと思います。迷った剣は弱いので。折神紫やら燕結芽やらにぶち当たって悩んでいるのではないでしょうか。
その一席さんを見守る、かつて彼女に敗れたという二席さん。このあたりも含めて好きですね。本編が楽しみです。
また短編を書きあげたらうpしようと思っています。長い目で見ていただくと幸いです。
それでは乱筆にて。