「おう、夏樹」
ここは都内有数のアイドル事務所である346プロダクション。
次の仕事の打ち合わせがひと段落し、休憩に出た向井拓海は休憩室のベンチに腰掛ける見知った背中を見つけて声をかけた。
『炎陣』をはじめ、多くの仕事を一緒にこなし、公私共に良好な間柄である木村夏樹の姿だ。
そういえば昨日はライブを見に行くとか言ってたっけ?そんなことを記憶の引き出しから引っ張り出しながら声をかける。
「………」
あれ?
いつもなら振り向いて軽く挨拶をかわしてそのままダベる流れになるはずなのに、何も無い。
聞こえなかった…わけない。
もっと遠くからでも、夏樹は自分の声を聞き分けたことがある。第一、耳が良くないなんて夏樹に限ってありえない話だ。
「おい、夏樹?」
「…え?」
なんとなく不審を感じ、近付いて肩を揺すってみるとそこでようやく反応を見せる。
その反応は、まるで今気付いたかのようだ。
「あ、ああ。おはよう、拓海」
「お、おう」
少し恥ずかし気に頬をかきながら笑う夏樹の姿に拓海は面食らいながらも挨拶を返す。
「具合でも悪ぃのか?」
「いや、そういうことじゃないんだ。昨日のことを思い返してて」
「昨日?ってぇと、ライブがどうとかってやつか?」
「ああ」
そう頷いて返す夏樹の姿は深い仲である拓海をしても見たことのない珍しい表情だ。
「アタシは昨日、ロックな生き様ってヤツを見たよ」
「お、おう」
誰なんだろうか、この燃え尽きながらも爽やかに笑う女は。
「な、何があったんだ?」
「ああーーー」
・
「李衣菜チャン!」
「ーーーふぇ?」
見知った声に反射的にそちらを見ると、これまた見知った顔が間近にあった。
前川みくの顔だ。
「わあああ⁉︎」
反射的に身体を反らしてしまい、椅子からずり落ちる。
ガターン、という大きな音が響き近くにいた人達が何事かと身を乗り出して見るが、倒れたまま頭をさする李衣菜の姿と側に屈むみくの姿にいつものことかと姿勢を戻す。
李衣菜が椅子を倒すのは今に始まった話ではない。
「いたた…近いよ、みく」
「もうっ、李衣菜チャンがちゃんとみくの話聞いてないからでしょっ」
私怒ってます、と言わんばかりの顔に李衣菜は困ったように笑いながら頭を下げる。
その態度にみくは肩から力を抜くようにして息を吐いた。
「それで? 李衣菜チャンはなんでぼんやりしてたのかにゃ?」
「あー…うん、昨日ちょっとね」
「昨日? たしか、ライブを見に行くって」
「うん」
そう言って頷いた李衣菜は照れくさそうに頬をポリポリとかく。
「その顔は何かあったって感じだにゃ?」
「うん。その…さ、ロックな生き様ってのを見たんだ」
「ロック?」
「うんーーー」
・
昨日のライブは武道館だったんだ。
新進気鋭のバンドでさ、結構いい歌出してるんだよ。
まあ、アタシの目当てはそっちじゃなかったんだけどーーー
ーーーライブは結構大変だったんだ。
昨日はほら、電車が事故で止まっちゃってたじゃん?
それにバンドメンバーも巻き込まれてたらしくって。
まあでも、奇跡的に他の仕事でギタリストの人が先に入ってたんだ。
ーーーライブの始まる時間になっても始まらなくて、ファンはかなりざわついてた。
SNS見ながら、もしかしたらライブ中止かも?とかって。
アタシも、実はそうなるんじゃないかって思ってた。
だって、ドラマーもベーシストもキーボーディストもボーカリストもみんないないんだぜ? それでライブが形になる訳がない。
…でも、アイツはギターを片手に1人舞台に上がったんだ。
ーーーギタリストの人はまず、お客さんに他のメンバーが遅れていることを説明して、頭を下げた。
「ライブは必ずするから待ってほしい」って。
ファンの人達もメンバーの過失じゃないしってことでざわついてはいたけど、結構落ち着きつつあった。
だから、その後の一言はみんなを驚かせたんだ。
「高速ギターソロでお客さんを繫ぎ止める!」
ーーーそう、ギターソロだけでファンの心を繋ぎ止めるってアイツは言った。
私は驚いた。もちろん、隣にいただりーも。
だって、ギターソロだ。
いつ来るかもわからないメンバーが来るまで、伴奏も無し。ただ、ギタリストとしての技術力だけで会場を盛り上げる。
そんなこと、いくらなんでもアタシにはできない。
ファンの人達も小さくなりかけたざわつきが大きくなり始めた。
誰にもできない。
できるわけがない。
そんな言葉はアイツがギターを手に取った次の瞬間、全て過去のものになった。
ーーー音が爆発したんだ。
あの人の手が動く度に真っ赤なギターが派手な音を吼えるようにして奏でる。
それが歌でもリズムをとったものでもないのは私でもわかった。
あの人は今、自分の感性と勢いだけでギターを奏でているんだって。
会場の誰もが静まり返った。隣にいたなつきちも何が起こったのかわからないって顔で、ぽかんとしてたな。
ーーー次に起こったのは、客席の爆発だ。
ギタリストの超絶技巧に誰もが圧倒されちまったのさ。勿論、アタシもな。
でも、それすらもまだ序の口。文字通り、高速だったアイツのギターソロはそこから少しずつ更に加速し始めた。
多分、あの舞台でギターを弾いていたアイツにも自分がどのコードを触っていたかなんて、わからなかったんじゃないかな。
でも、その高速ギターソロは確実にギターに影響を与えていたんだ。
ーーーブッツーンッ!
興奮の中にいた私の耳に突然、冷や水をかけられたみたいな音が聞こえた。
何処から聞こえたかなんて、客席にいた私は一瞬わからなかった。
「弦が!」なつきちの声が聞こえて、見るとあの人のギターの弦が千切れて吹き飛んだのが見えた。
あの人が崩れ落ちる。
もしかしたら怪我をしたのかもしれない、そんなざわつきが興奮から切り替わるようにして蔓延し始めた。
もう、あの興奮に立ち会えないの?そんな気持ちが私を覆って、涙が溢れそうになった。
でも、あの人は立ち上がった。
「まだ、ギターの弦が5本も残っている」って小さな、本当に小さな声を零しながら。
ーーー私もギタリストだ。
弦が1本無くなることがどういうことかくらいはわかる。奏でられる音は1本減るだけで驚く程狭まる。
それでもアイツは、千切れたギターの弦以外に残った5本の弦で高速ギターソロをまたやり始めたんだ。
当然、ギターの弦はまた吹き飛ぶ。
そしたら、残った4本の弦で。
自分のギターがどうなろうと御構い無し。自分の魂は今ここにあるんだ、そんなアイツの叫び声が聞こえてくるかのようだったよ。
しばらくして、誰が言い出したのか。アイツのことをこう評した。
「奴は地獄を揺さぶっている」ってな。
・
「ーーーそこからはもう、みんな叫び声を上げて大熱狂。いつの間にかみんな一緒のポーズでウェーブもしちゃってさ。ホント、すごかったよ」
そう言って笑う李衣菜の顔にみくはわかったようなわからないような、難解な表情を浮かべる。
「すごかったってことだけはわかったにゃ」
「えぇー?」
「だって、李衣菜チャン擬音まみれで何が何だか訳わかんないにゃ」
「そのくらいすごかったってこと!」
「ああ、そうだ。アタシ今そのCD持ってるからさ、拓海に貸すよ」
そう言うと、夏樹は鞄からCDケースを取り出して拓海に渡す。
CDのジャケットには、5人組の男達が写っており、バンド名と曲名が書かれていた。
「で? どいつがそのギタリストなんだよ」
「ああ…コイツだよ。この金髪」
そう言って指さしたそこには髪の長い金髪の男が真っ赤なギターを片手にポーズを取っている。
「とにかく! ホントにすごかったの!」
「ホントにすごかったんだよ」
「ふぅん…」
「なら良かったな」
「「ーーーで、なんて名前だっけ?」」
「だから!」
「おいおい…」
「「ヘルシェイク矢野」」