ダリアの歌わない魔法   作:あんぬ

89 / 89
本当の望み

 次の日からダリアは、寝室に引き籠ることを止めた。

 大広間で食事を取り、友人達と中庭でおしゃべりに興じ、休暇中の課題に手を付けて眠る健全な毎日。

 

 しかし、それは決してダリアの気持ちが前向きになったという事では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 レイブンクローの女生徒達がこちらに時折目線を走らせ、なにやらクスクス笑いをしている。それに気づいたミリセントは、眉をつり上げ腕まくりをしながら立派な上腕二頭筋を見せつけた。

 

 慌てて逃げていく女生徒達の後ろ姿を、パンジーとダフネが不快気に睨みつけた。

 

「シッシッ――――ったく。コソコソするだけで実害が無いのはいいんだけど、こうもあからさまだといい加減煩わしいわね。」

 

「顔は覚えてるわ。何人か痛い目見せてあげたら、すぐに落ち着くでしょ。――――気にしちゃダメよダリア」

 

「うん。……あのさ、別に気を使わなくていいよ。私、なんとも思ってないから。」

 

 気遣ってくれるダフネに、ダリアは何でもないように返した。

 事実、ダリアは自分に向けられる好奇の目にも遠巻きなヒソヒソ話にも、何も感じていなかった。

 

 

 

 

 

 セドリックと言い争ったあの日、何人かの生徒達が泣きながら階段を駆け下りるダリアと慌てて追いかけるセドリックの姿を目撃していたらしい。

 数日後には様々な憶測がホグワーツ中を駆け巡っていた。

 

 曰く、振られて逆切れして癇癪を起こしたモンターナがとんでもない事をしでかしセドリックを怒らせ、逃げ回っているらしい。

 曰く、振られた腹いせにモンターナが何か良くない事を企み、セドリックはそれを阻止しようと奔走しているらしい。等々。

 日頃の行いの差だろうか、流れる噂の殆どがダリアを悪く言う内容だった。

 

 セドリックは頑張って否定してくれているらしいが、詳細を詳しく話せるはずも無く、言い淀むその姿が逆に怪しいと噂は信憑性を増す。

 しかし、ダリアはそれでもかまわないと考えていた。

 

 ――――取り繕ったところでどうにもならないもん。だって私は陰口を言われても仕方がない人間だし……。

 

 ダリアは小走りで廊下の陰に消えていく女生徒達の背中を横目に見ながら、どこか諦めたように俯いた。なにもかもがもうどうでもよかった。

 

 

 

 

 ふと、ダリアの肩がピクリと動いた。

 

「――――ごめん。私ちょっとトイレに行ってくる。」

 

「……そう。じゃあ、私たちは先に寮に戻ってるから。」

 

 数日間で何度も繰り返されたこのやり取り。ダフネ達はとっくに、ダリアが何らかの方法でセドリックの接近を感じ取り、避けているという事に気付いているだろう。セドリックはあれ以来、どうにかしてもう一度話そうとダリアを探し回っている。

 

 しかし、ダリアはもう何も聞きたくなかった。何も考えたくなかった。

 これ以上自分の過ちを直視することに耐えられなかった。

 

 ダリアは敢えて何も言わずに見送ってくれる友人に感謝しつつ、セドリックが来る方向とは真反対の廊下へ足早に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人気の無い廊下まで進んだところで、ダリアはようやくいつかセドリックとクィディッチの試合を観戦した時に使った「姿が目につきにくくなる呪文」の存在を思い出した。

 

 ポケットの中をゴソゴソ探り、取り出した呪文を手首に結び付けたダリアはほっと一息つく。これなら派手な呪文では無いし、変な魔法を使っているなんて誰も気づかないはずだ。最初からこうしていればよかった。ダリアは上がった息を整えるために壁に寄り掛かった。

 

 

 ダリアは壁に寄り掛かりながら、亡羊と行きかう生徒達の姿を眺めていた。クリスマス休暇に生徒達がこれほど残る機会は、後にも先にももう無いだろう。すぐ目の前を数人のグリフィンドール生が楽し気に話しながら通り過ぎて行ったが、誰も壁際のダリアには目も止めない。

 

 まるで世界に自分だけが取り残されたような錯覚に陥るが、今のダリアにとってはそれが存外心地よい気がした。

 

 ――――もう、ずっとこのままでいようかな……。

 

 そうすれば、自分を苦しめる全てから逃げることができる。自分のどうしようもなさから目を逸らすことができる。どこまでも逃げに徹した考えがとめどなく頭の中に浮かんでは消えていく。

 

 

 

 

 その時、ダリアは行きかう生徒達の中にあるものを見つけた。

 ぼんやり動いていたダリアの心臓が、唐突に激しく波打った。

 

 

 

 

 

「――――僕、クリスマスが来なければいいと思ったのなんて今年が初めてだぜ。」

 

「でも、パートナーは決まったじゃないか。ハーマイオニーがOKしてくれたんだろ?」

 

「かろうじてね。……でも、当日あのボロボロのドレスローブを着なきゃいけないと思うと、気が重くて重くて。君みたいな新品のドレスローブだったらなぁ。」

 

「ハーマイオニーにどうにかできないか聞いてみたら?変身術でどうにかならないかな。」

 

「君って冴えてる!そりゃあいつだって、パートナーが時代遅れのつるつるてんじゃ気に食わないだろうし、可能性はあるぞ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 ポッターとウィーズリーがダリアの目の前を通り過ぎた。

 

 楽し気に。おしゃべりしながら。時折大きな笑い声まで上げて。

 

 

 

 

 ダリアはフラフラと壁から体を離した。呆然と開かれた口元から、意図せず言葉が零れ落ちる。

 

 

 

「――――なんで。」

 

 

 

 

 ――――どうして今、私の目の前に来たの。どうして今、私の目の前でそんな楽しそうにするの。どうして、どうして、どうして、どうして、どうしてあんたが……!!

 

 

 

 

 ポッターの背中はピントがずれたようにぼやけていた。その代わりにウィーズリーの跳ねまわった赤毛の一本一本までが、網膜に焼け付くようにはっきりと見える。

 

 そのウィーズリーがポッターの肩に親し気にのしかかるのを見た瞬間、冷え切っていたダリアの内臓が瞬く間に煮え滾った。

 

 

 

 

 

 

「――――あ。そういえば僕、チョウに呼び出されてるんだった。」

 

「なんだよ、デートかい?」

 

「ウーン。ダンスパーティーの打ち合わせをしたいんだって。よくわからないけど……。」

 

「ちぇ。いいよなぁ、美人なガールフレンドが居て。」

 

「まぁね。……でもここだけの話、彼女、怒るとメチャクチャおっかないんだ。ホントここだけの話。」

 

「はん、贅沢な悩みだこって。じゃあ怒らせない内にさっさと行けよな――――」

 

 ポッターは用事があるらしい。二人が別れ、ウィーズリーは一人になった。

 寮へ戻るのだろうか、それともどこか別の場所へ行くのだろうか。都合のいい事に、ウィーズリーはどんどん人気の無い方へ向かって行く。

 

 その進行方向に使われていない教室がある事に気付いたダリアは怒りのままに、その扉に向かってウィーズリーの無防備な背中を蹴飛ばした。

 

 

 

 

「うわぁ!?」

 

 

 

 鼻歌を歌いながら機嫌よく歩いていたところへの予期せぬ衝撃に、ウィーズリーは面白いほど簡単に扉の向こうへ転がり込んだ。目を白黒させている赤毛を尻目に、ダリアはずかずかと教室に入り乱暴に扉を閉める。

 

 転んだ拍子にどこかに打ち付けたのだろうか。額をわずかに赤く腫らし唖然としてこちらを見上げるウィーズリーを、ダリアは心の底からの憎しみを込め睨みつけた。

 

「おまえ――――。」

 

「……お久しぶりね、ウィーズリー。しばらく見ない間に、随分と腑抜けた顔になったんじゃないの?」

 

 あら失礼、間抜け面は元々だったかしら。

 

 ダリアは攻撃的に口角を吊り上げてせせら笑った。事態を呑み込めずぽかんとしていたウィーズリーの顔が、ようやく微かに歪んだ。

 

 ダリアはこれが理不尽な八つ当たりに等しい事を理解していたが、ウィーズリーの能天気な笑みを崩すことが出来たという事実だけで、この上なく満ち足りた気分だった。

 

 

 ――――そうよ、その顔でいいの。そうあるべきなの。……あんたが私より楽しそうにしてるからいけないのよ。だってそんなのおかしいもの……!!

 

 

 

 

「ポッターに嫉妬してるんでしょ?してなきゃおかしい!だって相変わらずあんたはポッターの添え物、ポッターの引き立て役じゃない!」

 

「ドラコに聞いたけど、あんたのドレスローブ、とんだヴィンテージものだそうね。それでもってパートナーは誰ですって?グレンジャー?ポッターのガールフレンドとか言われてる?――――二人で並ぶとどんなに楽しい気持ちになるのかしら。バッカみたい!!」

 

「ドレスローブはお兄さんのお下がり、パートナーはポッターのお下がり!惨め過ぎて笑っちゃうわ!」

 

 ウィーズリーが何も言わないのをいいことに、叩きつけるように呪詛を吐く。自分でもどうかと思うほど流暢に相手を傷つける言葉が浮かんでくる。

 

 やっぱり自分はこういう人間なのだ。いい子なんかじゃない。敵を痛めつけるためなら手段を選ばない、救いようのない愚か者なのだ。

 

「ポッターだって言わないだけできっと内心馬鹿にしてる。そうに決まってる!私があんたの立場なら、絶対にそんな惨めな状況許せない。なのにあんな風にへらへら尻尾振って――――恥ずかしくないの?負け犬根性丸出しじゃない!」

 

「みっともない。不愉快だわ。見ててイライラするの!そんなに仲良しごっこが好きなら、一生ポッターの陰でコソコソしてればいいじゃない……!」

 

「私の視界で、ウロウロしないで!!」

 

 精一杯の高圧的な態度で罵倒するものの、ダリアは自分がウィーズリーより優位に立てている気が全くしなかった。

 以前のように平静さを保つことが出来ていない。余裕の無さが如実に表れている。挑むようにこちらを睨むウィーズリーの目が少しも陰っていないことが、余計にダリアを焦燥とさせる。

 

 言い募れば言い募るだけ自分が不利な立場に追い込まれているような気すらする。がなり立てるほどにダリアの焦りは増していった。

 

 

 ウィーズリーは癇癪を起こしたように喚き散らすダリアをずっと睨んでいたが、ふいと目を逸らして呟いた。

 

 

 

 

 

「――――お前って本当、かわいそうなヤツだよな。」

 

 

 

 

「は――――――――ぁ?」

 

 

 ダリアの喉がひゅうっと鳴った。自分の中の制御できないほどの暴力的な怒りが急激に温度を下げる。

 

 

 怒りが引いた後には、駆り立てられるような焦りだけが残されていた。

 

 

 

 

「な、によそれ。――――かわいそうなのは、あんたでしょ。あんたが……。」

 

 

 

 ウィーズリーの言う事が理解できない。理解したくない。

 どうにかしてこの場を切り抜けなければ、自分を保たなければ。そう思うほどに舌が喉に張り付いたように動かなくなっていく。

 

 

 顔を歪めながら必死で言葉を探すダリアを見て、ウィーズリーが大きなため息をついた。

 ダリアはびくりとたじろいだ。

 

 

「……お前の言う通り、確かに僕はハリーに嫉妬してる。僕は地味だし頭もよくないから目立つ兄さん達が羨ましいし、お下がりを着なくていいジニーを僻んだ事も一度や二度じゃない。ハーマイオニーばかり先生に褒められるのが面白くなくない時も勿論ある。」

 

「だけど、だからって僕は家族の事を嫌いになったりしないし、ハリー達と友達を止めようなんて全然思わない。」

 

 ウィーズリーはしっかりとダリアを見据え、きっぱりと言った。

 こんな風に話すウィーズリーを見るのは初めてだ。まるで無理やり感情を抑え込もうとしているかのように淡々としている。

 

「お前は僕を腑抜けだとか馬鹿にしたけどさ。どうして僕がハリーと仲良くしてるのがそんなに気に食わないんだ。――――友達に嫉妬しちゃいけないのか。自分より優れた奴と友達になるのは、そんなにいけないことなのか!?」

 

 突然の大声に、ようやくダリアは目の前の少年が本気で怒っている事に気が付いた。

 これまでダリアは常にウィーズリーよりも優位な立場に居た。

 こんな小物、怖いはずがない。今だってダリアは簡単にウィーズリーの事なんかコテンパンに痛めつけることが出来る。彼に恐れを抱く要素などどこにも無いはずなのに。

 

 必死で自分にそう言い聞かせて睨み返そうとするのだが、何故かダリアの体は蛇に睨まれたカエルの如くこわばり、全く言う事を聞こうとしない。

 

 ウィーズリーは燃えるような目つきでダリアを睨みつけたまま、ゆっくりと床から立ち上がった。

 

「――――そりゃあお前みたいに、自分が一番じゃないと我慢ならない様なお高いプライドを持った御仁からしてみれば、友達が自分より優れた才能を持ってるなんてこと、許せるはずないよな。お前、自分が嫉妬することも無い相手としか安心して過ごせないんだろ。」

 

 そうだ。自分より優れた人間なんて許せない。一番以外に意味など無い。一番でないと意味が無い。だって今までそうだった。

 

 呪文作りの才能は抜きんでていた。カーサ・モンターナで暮らしていた頃は既に神童とされていたものの、その時点ではダリアよりずっと深い経験を持った大人が沢山いた。

 あのままカプローナで大成していたなら間違いなく歴史に名を残す稀代の呪文作りになっていたはずだが、ダリアは早い段階で家を出た。自己流で技術を磨いてはきたが、純正の呪文作りとしては双子の兄のパオロの方が腕ききだ。きっとカーサ・モンターナを継ぐのはパオロだろう。

 

 そんな呪文作りの道を捨ててまで選んだクレストマンシーの道も、結局最後は別の誰かの物になってしまった。自分より優れた才能を持つキャットの物に。

 

 だからダリアは一番に成ることに執拗にこだわった。

 他人より優位に立っていないと安心できない。私より優れた人間は、いつか絶対私を追い詰める。視界の端には “自分より優れた誰か”の影が常にちらついていた。

 

 だからダリアは自分の心の平穏を保つため、自分より優秀な(可能性がある)人間をできる限り遠ざける必要があった。それは主にグウェンドリンだったり、キャットだったり、マリアンだったり様々だった。

 

 

 

「という事はつまりお前、今周りに居る人間の事を全員自分より下だと思ってるんだよ。対等な人間だと思っていないんだ。」

 

「――――。」

 

「――――それって、本当に友達なのか?お前、さっき僕の事をハリーの引き立て役だって言ったけど、お前は友達を自分の引き立て役にしてるんじゃないのか。」

 

 ウィーズリーの指摘に、ダリアは何も言い返せなかった。

 

 勿論ダリアは、ダフネ達の事を見下していたつもりなど微塵も無い。しかし彼の言う通り、ダリアは彼女らに自分の立場を脅かされると考えた事は一度も無い。クレストマンシー城に居た頃、一緒に修行をしていた子供たちにはあんなに敵意をむき出しにしていた自分が。

 

 それはまさに、自分がダフネ達の事を無意識下で『脅威にはなり得ない存在』だと判断していたからでは無いのだろうか。

 

 ――――違う、違うわ。そんなつもりじゃない。みんなが私より劣っているから好きになったわけじゃ無い。ダフネ達は、ちゃんと友達だわ……!!

 

 いつもなら確信を持ってそう断言できるはずなのに、今ダリアの自信は揺らいでいた。ウィーズリーの指摘を否定できない自分が居ることに、気付いてしまったからだ。

 

 

 

 

 一刻も早く、この場を去らなければならない。

 恥も外聞も知った事か。こいつはきっと、自分にとっての致死性の毒になりうる存在だ。

 

 ダリアはようやくその事に思い至った。もうこれ以上、目の前の少年の言葉に耐えられる気がしなかった。

 

 

 

「は――――話にならないわ。これ以上聞く価値も無いし、時間の無駄だったわね!」

 

 震える足を叱咤して踵を返したダリアに、鋭い声が突き刺さった。

 

 

 

 

 

「逃げるな!!」

 

 

 

 

 

 たったそれだけで、ダリアの足は再び動かなくなってしまった。

 

 

 

「お前が最初に始めた事だろ。僕らの事をめちゃくちゃに引っ掻き回しておいて、途中で逃げるなんて許さないぞ!腰抜けはどっちだ!」

 

「――――っ」

 

 

 今度はウィーズリーがダリアに畳みかける番だった。

 ウィーズリーは怒りも顕わに、立ち竦むダリアに次々に鋭利な言葉を突きさしていく。それらの全てが、ダリアの心の脆い場所を的確に貫いた。

 

「確かにお前はすごい奴だよ。試験じゃいつも首席だし、授業じゃどんな質問にも答えられる。僕らが知らない魔法も山ほど知ってるんだろうよ。……でも自分より優れている誰かを認められない奴なんて、きっと“それだけ”だ!」

 

「そりゃあ、自分が人より出来ないことを思い知るのは悔しいさ。僕もそれは同じだ。」

 

「でも僕も人より劣る事ばかりじゃない。――――第一の課題が終わった後、ハリー達とじっくり話したんだ。そうでもしないと、お前に引っ掻き回された僕らの関係は修復できなかったからさ。」

 

「その時二人が言ってくれたんだ。僕には僕の良いところが沢山あるって。お前の言う“価値”なんかで友達になったわけじゃ無いって。」

 

「ハーマイオニーは僕よりずっと頭がいいけど、ユーモアのセンスは僕の方がずっといかしてる。ハリーは有名人でクィディッチも上手いけど、ちょっと短気だしかなり頑固者だ。柔軟さに関しちゃ、僕を見習うべきだね!」

 

 

 

 どうしてそんな風に断言することが出来るのだろうか。自分に自信を持つことが出来るのだろうか。私に比べて何もかも劣っているくせに、どうしてそんなに。

 

 私より苦しむべきだ。私より不幸であるべきだ。そうでないと不公平だ。

 

 どうしてこんなに頑張った私より、お前の方がずっと幸せそうなの――――

 

 

 

 

「みんなそれぞれ長所もあれば短所があって、それを認めて補い合うのが友達なんだ。なのにお前は自分と他人を比較して、自分が優れているという事だけに価値があると思ってる。――――そんなつまらない物差しでしか考えられないお前の方が、本当にかわいそうな奴なんじゃないのか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けばダリアは見慣れぬ廊下を全速力で駆けていた。

 周りには人っ子一人見当たらない。廊下の両側にはそびえる程巨大な扉がいくつも並び、暗く霞んだ先に無限続くかのように連なっている。

 

 ここがどこだかも、どうやってここまでやって来たのかも分からない。この廊下がどこへつながっているのかも分からないが、ここでは無いどこかへ行けるのなら、もう何でもよかった。

 

 ――――城を出た時と同じだ。あの時も城じゃない場所へ行けるならどこでもよかった。私が選ばれない現実から逃げることが出来るなら、何でもよかった……!

 

 心のどこかでは、誰もこんな自分なんか選ぶはずが無いと思っていた。セドリックみたいないい子になればそんな自分を変えることが出来るとも考えたが、性根がそう簡単に変わるはずも無い。私は偉そうで扱いにくい子供のままだ。

 

 

 

 ――――結局私はまた逃げるんだ。また同じ事を繰り返すんだわ。昔のまんま、ここに来た頃から何も成長してない……

 

 

 

 

「う……うぇっ――――ゲホッ……」

 

 

 

 喉の奥に血の味を感じ、ようやくダリアの足が止まった。気持ちは未だ荒れ狂っていたが、体の方に先に限界が来た。

 

 ひゅーひゅー鳴る喉を抑えつつ顔を上げると、ダリアの目にふと一枚の大きな扉が飛び込んで来た。

 周囲に数え切れない程並んでいる他の物と何一つ変わらない扉だ。しかし、妙に不思議な空気をまとっていた。

 

「――――――――。」

 

 好奇心を刺激されたわけでは無い。だがこの部屋には何かがある。その直感に促されるまま、ダリアは吸い寄せられるように巨大な扉の握りに手を掛けた。

 

 

 ――――――――キィ

 

 

 扉は意外な程に軽い音を立て、部屋の中へと押し込まれた。微かに開いた隙間へ、足元の冷えた空気が飲み込まれて行く。やはり、中から微かに魔力らしきものを感じる。

 

 一体何があるのだろう。こんな辺鄙な場所にあるのだ。きっと人目に触れてはいけない物に違いない。しかしダリアは扉を更に押し込んだ。

 

 どうにでもなってしまえ。どうせ行く当ても無いのだ。何があったって構うものか。

 

 ダリアは半ば投げやりな気持ちで、扉の隙間に体を滑り込ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋は思っていたよりも小ぢんまりとしていた。窓一つ無いにもかかわらず、不思議と部屋の中は薄く月明かりに照らされ、ぼんやりと辺りを伺うことが出来る。

 ぐるりと中を見渡したダリアは、部屋の一番奥まった場所に何かきらりと光を反射するものを見た気がした。

 

 

「――――パオロ?」

 

 そんなはずが無いのだが、何故かダリアはその光に双子の兄の姿を見た気がした。思わず呼びかけたが、返事は何も帰ってこない。

 

 一瞬の逡巡の末、ダリアは入ってきた扉をそっと閉じた。廊下を吹き抜ける冷たい風の音が消え、部屋が完全に静謐な空気で満たされる。その光の正体を確かめるべく、ダリアは均一に磨かれた石の床をそっと鳴らし、部屋の奥へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的にその光は、兄であり兄では無かった。

 

「これ――――鏡?」

 

 それはダリアの身の何倍もある、大きな古ぼけた鏡だった。よく磨かれた鏡面に青ざめた自分の顔が映っている。

 とはいえ、ダリアは自分の顔をよく似たパオロに見間違えたのでは無かった。

 

 

「あなた……パオロ、なの?」

 

 

 鏡に映るダリアの横には、黒髪に青い目の自分より背の高い少年が、にこにこと朗らかな笑みを浮かべて佇んでいた。双子の兄のパオロだ。もう何年も会って話した事は無いが、記憶の中の兄が成長していたらきっとこうなっているだろうとダリアが思い描いていた通りの姿だった。兄はダリアの問いかけに、笑みを一層深くして微笑んだ。

 

 パオロだけではない。反対側には弟のトニーノが、その向こうには姉のルチアが、コリンナが、ローザが、たくさんの従兄弟たちが。そしてダリアのすぐ後ろには両親が穏やかに微笑んで寄り添っていた。

 

 ダリアが最後に両親を見てからもう10年以上の年月が経っている。姉弟達は相応に月日を重ねた姿で映り込んでいたのだが、何故か両親はダリアの記憶の中の姿のまま何一つ変わっていなかった。

 

 ――――なにこれ。普通の鏡じゃないの……?

 

 ダリアは混乱しながら数歩後ずさり、鏡の全貌を見た。

 この鏡が自分の心、ないしは記憶を読み取っているのだろうという事は予想できる。組み分け帽子しかり必要の部屋しかり、ホグワーツにはその手の物が溢れかえっている。

 問題はこの鏡がなんの目的で心を覗いているのかだ。

 

 やがてダリアは鏡の装飾部に、文字らしきものが刻まれている事に気が付いた。

 

 

 

 すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ

 

 

 

 それが鏡字だという事に気付いたダリアは、頭の中で単語を作りながらたどたどしく読み上げた。

 

「……私は、あなたの、顔、ではなく、あなたの、心の、望み、を映す――――望みを?」

 

 ダリアは驚いて鏡を見つめ直した。この鏡は覗き込んだ人間の心を読み、一番強い望みを映し出す。ならばこの光景が自分が持つ一番強い望みだというのだろうか。

 

 鏡の中ではモンターナ家の家族が殆ど全員揃っているらしい。皆が皆、愛しくてたまらないという表情を浮かべ、ダリアだけを見ていた。鏡の中の両親がダリアの肩をそっと抱きしめたのを、ダリアは呆けた顔で見つめた。

 

「――――ママ。パパ。」

 

 当然、現実のダリアの肩は冷たく凍えたままだった。所詮虚像に過ぎないのだが、ダリアの視界がじわりと滲んだ。

 

 夢のように甘ったるい、しかしどうしようもなく心が惹かれる光景だ。ダリアはずっと誰かに、家族に、両親に、こんな風に溢れんばかりの愛を向けて欲しかった。

 

 

 

 ダリアが震える手でけぶる鏡面に触れた時、ふと鏡に映る自分がへにゃりと相好を崩した。

 

 

 

 その気の抜けた笑みが意味する事に気付いた瞬間、ダリアは自分の『本当の』望みが何なのかという事を、十分すぎるほど理解してしまった。

 

 目の前が真っ赤に染まった。

 

 

 

 

「――――ああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 腹の底から迸る激情のまま、膨れ上がる魔力を目の前の鏡に叩きつける。護りの魔法は施されていたようだが、そんなものはダリアのがむしゃらな魔力の前では毛ほども役に立たない。過剰なほど強大な魔力が轟音と共に床を抉り、みぞの鏡を粉々に粉砕した。

 

 ダリアはただの石塊となった鏡の残骸を、それすら受け入れられないと言う様に踏みつぶした。

 

「なによ、それ――――何なのよそれ!!そんなことが私の望みだったの?――――じゃあ私が今までしてきたことって、一体何だったのよ!?」

 

 

 

 

 ダリアの本当の望みは、“ただの”自分を愛されたい、というものだった。

 

 

 

 稀代の呪文作りとなった自分を愛されたいのではなかった。クレストマンシーになった自分を愛されたいのでは無かった。頭が良い自分を褒めて貰いたいのでも、優しい自分を好きになって貰いたいのでも、一番になって誰かに選ばれたいのでも、そのどれでも無かった。

 

 呪文なんか一つも作れなくても、とんでもない音痴でも、命が一つしかなかったとしても。頭が悪くても、性格が良くなくても、自分の価値に悩まされることなく、ただただ暢気に笑っていたかった。

 

 死に物狂いの努力なんて、したくなかった。平凡なダリアのままでいいから、そのままで両親に自分を見て欲しかった。

 

 

 

 

 だからダリアはウィーズリーの事があんなに目に付いたのだ。

 

 ウィーズリーはなりたい自分そのものだった。ダリアと同じように大家族の中に埋もれながらも、その状況から抜け出すための努力など全くしておらず、にもかかわらず彼は確かに家族からの愛情を一身に受けて幸せに暮らしている。

 彼はダリアの心の奥底で燻っていた『本当の望み』そのものだったのだ。

 

 のうのうとダリアが本当に欲しい物を享受しているくせに不平不満を述べる彼が妬ましかった。だから何の努力もしていないお前には不相応な悩みだと思い知らせてやった。

 

 同じようなコンプレックスを抱えているくせにポッターへの劣等感を乗り越えたウィーズリーが許せなかった。自分の弱さを受け入れることが出来るほどの強さがダリアには無い。

 しかし努力しているはずの自分に無い物を彼が持っていると認めてしまえば、今までの自分の死に物狂いの努力が意味のない物だったと気付いてしまう。

 

 

 

 しかし、ダリアはついにその事実から目を逸らすことが出来なくなってしまった。

 

 

 

 あの砂を噛むような日々は一体何だったのだろうか。

 遊ぶ間も惜しんで呪文集を抱えていたあの頃。格落ちと馬鹿にされながらもクレストマンシーになるために辛い修行に耐えていたあの頃。全て意味が無い事だった。

 

 自分が今までしてきたことは全て無駄だった。ダリアはもう無知というには知識を蓄えすぎたし、無能というには強くなりすぎた。望みはもう叶わない。

 

 

 

 

「もうやだ――――助けて、トゥリリ。どこに居るの?お願い、一緒に居て……!!」

 

 

 

 鏡の最後の欠片を叩き潰し、ダリアはしゃがみ込んだ。

 

 

 どこかに猛烈に帰りたかった。でも帰る場所なんてどこにもない。ディゴリー家は勿論、クレストマンシー城やカーサ・モンターナにも今更帰れるわけがない。

 

 

 

 ――――じゃあ私の居場所は一体どこにあるんだろう。

 

 

 

 がらんどうの部屋の中、ダリアは一人蹲って泣くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぶはぁ!!――――よ、ようやく体が動くようになった!ざまぁみろ!!』

 

 ガラクタの山の中に放り込まれてどれくらいの時間がたったのだろう。トゥリリはようやくリドルに施された魔法の拘束を振りほどき、ゴロゴロと地面に転がり落ちた。腹が減って体を上手く動かせないためか、強かに脇腹を地面に打ち付けてしまった。

 

『うう、お腹減った――――この分じゃきっと、餓死で1回か2回死んでるなぁ。僕が神殿のネコの子孫じゃ無かったら生きてなかったぞ……。』

 

 猫は9つの命を持っている。

 勿論それは『猫は高い場所から落ちても中々死なない』ということから生まれた迷信に過ぎないのだが、第10系列の世界の神殿に住むネコともなれば話は変わってくる。――――本当に9つの命を持っているのだ。

 

 神殿のネコ、スログモーテンを親に持つトゥリリもまた、9つの命を持つ特別な猫だった。魔力もそれ相応に強く、時間はかかったがこうして拘束を逃れ自由の身になることが出来た。

 

『ふん、詰めが甘いのはどっちだ。あいつ、自分がダリアの影響を受けてどんどんポンコツ化してる事に気付いて無いな――――いや、元からかもしれないけど。』

 

 リドルもトゥリリが普通の猫では無い事は察していたかもしれないが、それ程詳しい事情はきっと知らなかったはずだ。第12系列の世界で命を9つ持つ猫は、親であるスログモーテンとトゥリリの2匹しか存在しない。

 

『キャットーーー!!……クレストマンシー!!!!――――うーん。流石にそこらへんは対策してあるかぁ。』

 

 ざっと部屋を探ってみたところ扉は見当たらない。キャットに探されることを恐れたのか、世界Aとの接触も遮断されている。

 

 

 まずはこの部屋から脱出する方法を早急に考えなければ。さもないと命をもういくつか失うかもしれない。それはあんまり嬉しくない。

 

『誰かこの世界の人が気付いてくれればいいんだけど――――まあ、助けを待つよりも自分で脱出経路を探す方が無難かな。よし……。』

 

 

 トゥリリはぐうぐうと鳴るお腹を誤魔化して気合いを入れた。

 

 

 

 




二週間ぶりです。
3月まで残業がめっちゃ増えるので、しばらく更新速度落ちると思います。よろしくお願いします。

この話がダリアの精神最下層ぐらいなんで、これ以上暗くなることは無いかと思います。
たぶん、きっと。




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。