・とある道、商人ネイバーの馬車に数人が乗り合わせて近くの街へと行こうとした。
 しかし、その途中、蛮族の襲撃を受ける。
 果たして彼らは無事に生き残ることができるか。

※サーシャはとなる人物の提供キャラです

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弱虫戦記

 陽光が照らう、温かな日。

 生暖かな風が道に吹いている。

 その風に吹かれながら、馬車がそれなりに均された道を歩んでいく。

 舗装されたわけではないが、草が刈り取られ、踏み均されて地面が露出している道。

 道の脇は青い草が生え、道から遠ざかるほど茂り、森の中へとつながってゆく。

 馬車の前方では、荷台と馬の持ち主らしき男がたずなを持って座っている。

 この森は蛮族が出現すると言われている危険な場所であるが、既に森に入り数時間以上も過ぎると、注意も薄れ、退屈さを感じるのも無理なことではないだろう。

 道に合わせて荷台が上下に揺れるたびに、恰幅の良い彼の腹も上下に揺れる。

 次の食事に食べることをつらつらと夢想しながら、彼は荷台の会話へと耳を傾けた。

 決して広くない荷台。その中では置かれた荷物に挟まれる形で数人の男女が座っていた。

 息を吸うのも苦しそうと錯覚する狭さであるが、屋根がついており、強い日差しから身を隠しつつ、自らの脚で歩かないでよいだけ、徒歩よりもはるかに楽であった。

 うち数人は傍らに杖や盾を置き、剣を佩いている。

 恐らくは護衛で雇った冒険者であろうか。

 人種は様々であり、人間が幾人と角の生えた男――おそらくはナイトメア。

 そして、浅い緑の鱗の生えた蜥蜴の男、小型の竜のようなリルドラケンが、背の羽を畳み、特に社内で狭そうにしていた。

 リルドラケンという種の特性、彼は大柄な上、荷物に圧迫され、背の羽を折りたたみ、尻尾を丸めて場所を確保しており、本当に狭そうである。

 しかし、リルドラケン特有の陽気さか、あまり気にした様子はなく、蜥蜴のような顔の口端を広げ、彼は笑みを作っていた。

「それで、サーシャ殿はヴァルキリーなのですな。これは珍しい、ヴァルキリーなどめったにお目にかかれるものではない」

 と、少女に対して両の掌を合わせ、拝む動作をする。

「私に祈っても何もでませんよ……?」

 サーシャと呼ばれた少女が苦笑する。もちろん、リルドラケンの男もそのことはわかっている。

 単に茶目っ気を出しただけなのであろう。

「………」

 とんがり帽子をかぶり、外套を羽織り、杖を肩に乗せた、眼帯の女性は黙ったまま周囲を警戒しているようだ。

「んで、旦那ぁ、他に聞きたいこともあるんじゃないですか?」

 軽戦士(フェンサー)であろうか、金属製の鎧を着たリルドラケンに比べると、明らかに軽そうな皮の鎧に、細見の剣。機動性を重視した装備の男が肘で旦那と呼ばれたリルドラケンをつつく。

「おおう、そうであった。サーシャさんや、ここらへんで半棒使い男の噂を聞かんかえ?」

「半棒………そもそも、半棒ってどういう……武器であってるんですか?」

「そこからであるか……」

 こりゃ見込みが薄いわい、とリルドラケンの男ががくりと頭を下げつつも、軽く説明する。

 普通の棒よりもはるかに短く、おおよそ1mにも満たない棒を半棒という。

 かなり短い分、武器術というよりは素手の体術に近い動きをする武術らしい。

「いや、ここらで名を轟かせていた武術家の先生が、先日病で倒れたそうでな。代わりに、その一番弟子が半棒を使うらしいんじゃが……」

「なーんか、臆病な奴らしくな、名前があんまりわかんねぇんだよ」

「脛に傷があるから身を隠してるとかじゃないのですか?」

「いや、そういうきなくさい話は聞かないな。まぁ、俺たちも帰りの場所で帰った後に、旦那が手合わせしたがってるだけだから、そこまで詳しくは調べてないんだけどな」

「うむ、とても良い使い手であると聞く。しかし……」

 悩まし気にリルドラケンの男が目を逸らし、言葉を濁す。

 サーシャからすると、何の問題があるのかよくわからないため、首を傾げた。

「なーんか、調べるとやたら臆病な話ばっかり出るんだよなぁ」

「うむ、暴れ牛が近づいてきたときに、いの一番に逃げ出しだの、蛮族の噂が出た際に、しばらく家に引きこもっていただの……」

「あの、本当に強いのですか……??」

「……もしかすると、あんまり戦うのが好きじゃないかもしれませんよ……?」

 一人、離れてびくびくと外を見ていた少年が話に加わる。

 屈強な体格のリルドラケンが怖いのか、恐怖を帯びた視線をちらちらとリルドラケンの男へと向ける。

 それをどう受けったのか男は、少年の肩を抱き、自分の方へと引き寄せた。

「ひゃ!?」

「ははは、ぼっちゃん、そんなに見らんでもとって喰いやせんよ」

「……」

 ひぃ、と頬を引きつらせる少年に対して、リルドラケンの男は豪快に笑う。

 その様子がおかしかったのか、軽戦士の男もつられて笑顔になる。

 ふと、少年がびっくりしたような顔で外を見る。

 続けて、軽戦士が血相を変えた顔で、馬車の外へと身を乗り出し、周囲を見渡した。

「どうかしたんですかい、アロケレの旦那?」

 不思議そうに軽戦士アロケレを見る商人の男ネイバー。

 アロケレは先ほどまでの陽気な顔を顰め、険しい顔で目を凝らしている。

「……来る」

「えっ?」

「急いで馬車を走らせろ!」

 真剣な口調のアロケレ。

 荷馬車の中ではリルドラケンの男、グルル・ルが斧を持ち、魔法使い風の美女イトニが杖を握っていた。

 ネイバーが慌てて綱をはしらせるが、少し遅かった。

 どこからともなく飛んできた矢が馬の脚に突き刺さり、馬が驚き、跳ね上がる。

 よたよたと歩く、馬にちっ、とアロケレが舌打ちした。

 移動手段が潰されたことを悟った冒険者たちが急いで荷台から降り、周囲を警戒した。

「えっ?」

 手早く動き始めた冒険者たちに対して事態の急変についていけないのか、サーシャが目を丸くする。

 先ほどグルル・ルに絡まれていた少年ネビルはがたがたと、荷台の端で震えている。

「な、何が起こったのですか!」

「敵襲だ!」

 商人ネイバーの言葉に軽戦士アロケレが鋭く返す。

 同時に、がさがさと木々の間が揺れ、蛮族の集団が現れた。

 

 直立した犬のような魔物コボルトや大きな目に鉤鼻を持った蛮族ゴブリンたち、総勢30人ほどの集団は大声をあげながら、四方八方より一斉に荷台へと群がる。

 それに呼応するようにイトニが杖を掲げぶつぶつと詠唱を唱えると、杖の先から雷が発生し、その一角を焼き払う。

 しかし、蛮族たちもただではやられていない。

 魔法使い(ソーサラー)である、イトニの姿を認めると、彼女の火力を警戒し、そちらに群がっていく。

 しかし、その前に、リルドラケンのグルル・ルが立ちはだかる。

 彼は2mを超す、その巨躯と変わらないほどの巨大な斧を振りかぶると、一息で蛮族の群れを薙ぎ払う。

 グルル・ルの振るった斧は、ゴブリンやコボルトの貧弱な力で受け止めることは出来ず、彼の斧に触れた先から蛮族たちは押しつぶされたかのように肉塊へと変貌していった。

 まさに無双。グルル・ルが斧を旋回させ触れるたびに、蛮族の手足が斬り飛び、腹部からでろんと腸が零れ落ちていく。

 しかし、仲間の死に恐れおののきながらも何かに狂奔するかのの様に蛮族たちも雄たけびを上げて、荷馬車へと突貫をかける。

 その群れをイトニが詠唱からの雷で次々と焼いていくが、彼らの足は止まらない。

 蛮族というものは基本的に個人主義であり、仲間意識というものが薄い。

 特に今襲ってきている蛮族、すなわち妖魔などは他者のことは利用できる便利な物ぐらいの認識しかないはずなのだが、彼らは果敢に馬車への突撃をやめようとはしない。

 先ほどから細剣で、妖魔の首を裂きつつも、これは上位の蛮族がいるなとアロケレは顔をしかめた。

 そして、それは現れた。

 妖魔を斬りはらいつつ、戦況を確認するアロケレの後ろの樹が弾け飛ぶ。

 森の木々を薙ぎ払いながら繰り出される鉄槌。

 安全と思われていた背後からの一撃をぎりぎりで反応できたのは、ひとえにアロケレの軽戦士(フェンサー)としての経験によるものだろう。

 咄嗟に振り返りつつ、細剣(レイピア)で胸を防御する。

 その防御ごと。

 鉄槌は防御に繰り出した細剣(レイピア)ごと、アロケレの身体を浮かし、浮き飛ばす。規格外の膂力は木を砕きつつもなお衰えず、アロケレの皮鎧すら貫通して、彼を弾き飛ばす。ごろごろと球のようにアロケレは地面を転がり、馬車にたたきつけられて、矢っと止まる。ガハッ、と異物が吐き出される音共に、アロケレは口から血を吐いた。

「―――やばい! 旦那たちは逃げてくれ!」

 グルル・ルが悲鳴のような声をあげる。

 イトニが真語魔法(ソーサラー)で大分、数を減らしたとはいえ、敵はまだまだ健在。

 それに比べ、こちらのほうがはるかに数が少なく劣勢と判断したため、グルル・ルは早めに避難勧告を行うのだった。

 その彼の前に、黒い肌をした先ほどの蛮族が立ちふさがる。

 身長を2mを超すリルドラケンであるグルル・ルの前に立つは彼を優に見下ろせる黒い肌の男。

 この蛮族(ダークトロール)は無骨な黒の鎧を身に纏い、樹木と大差ない巨大な鉄槌を片手で担ぎ上げている。

 そして、上段に振り上げた鉄槌を無造作にグルル・ルへとたたきつける。

 グルル・ルが大斧を振り上げて、新たな蛮族――ダークトロールの鉄槌と自らの得物を激突させた。

 激しい金属音、火花が飛び散る。

 大剣と斧の暴風雨のような状況に周囲の蛮族は踏み込めない。

「逃げろと言われても、どうすれば!?」

「え、えぇっと!!」

 目を白黒としてるサーシャと商人(ネイバー)をよそに、がたがたと震えていた少年が声に弾かれるように荷物をひっつかんで一目散に逃げていく。

 顔は青くひきつっており、よく聞こえないほど甲高い声をあげながら、必死の形相で走っていく彼に、サーシャとネイバーは一瞬、ぽかんとなったものの、二人も同じく、馬車から飛び降りて、走り出そうとする。

 が、しかし、逃げ出そうにも蛮族に囲まれており、どう逃げればいいかわからない。

 先ほどの少年は、どうやって抜けたか知らないが、右に左に転げまわりながら、妖魔たちの間を掻い潜り、距離を離しているが、サーシャたちにはまねできなさそうだ。

「ネイバーさん! 私が囮になりますから……!」

「し、しかし!」

 そんな二人に救いの手があらわれる。イトニが再び呪文を唱えると、巨大な火球が妖魔の群れに放たれる。

 イトニを見ると、こくりと彼女は頷いた。道を開くからいけ、ということだろう。

 彼女にサーシャは頭を下げ――近くに転がっているアロケレの元へと駆け寄ると、腕を肩に担ぎ、共に行こうとする。

「何をしているんだ!」

「で、でも、ほうっておくとと死んでしますよ!」

「――――ああああ、もう!」

 ネイバーが視線を迷わせ、数瞬、大声をあげ、サーシャと逆の腕を肩にかける。

「……ありがとう」

 イトニが呟く。その声を背に受け、イトニの援護を受けながら、二人はなんとか、この戦域から離脱するのだった。

 

 

 息を荒げながら人が走っていく。

 頭を垂らし意識を失った軽戦士アロケレを両肩で支えながら、サーシャとネイバーが必死に走っていた。

 しかし、人を担いだまま走るのは容易ではなく、さらにここは整備された道を外れた森の中である。不規則に生えている木の根や石、整っていない不規則な地面に足を取られ、何度も転がりそうになる。

 さらに、後ろからは不愉快な声をあげながらイトニが討ちもらした妖魔が追ってきている。

 すでに獲物を取られた木でいるのか、彼らは意図的に速度を落とし、卑下した声で笑いながら嬲る様に石を投げてきたり、弓を射る。

 それは狙いをつけておらず、さきほどからサーシャの足元やイトニの脇腹を掠ったりしているが、完全にあたりはしていない。

 妖魔のゴブリンは気楽な様子で、一体が矢を引き放つ。

 鋭い矢じりがサーシャの首筋を掠り、彼女の金髪を数本地面へと落とした。

 そのはずした様子をげらげらと他の仲間のゴブリンが笑い、矢を射ったゴブリンが不機嫌そうに、そのゴブリンへに弓と矢を叩きつける。

 金切り声のような妖魔たちが何を会話しているかわからないが、恐らくはサーシャたちを追い詰めて楽しんでいるのだろう。

 サーシャは必死に走りながら、どこか高い崖か川の流れていない谷のような場所がないか見回すが、木々の広がるこの地にそれらの場所は見つかりそうにない。

 もし、そういう場所があるなら、この状況から逃げることができるのであるが、希望的なことを抱くことは出来なさそうだった。

 隣のネイバーは口を大きく開け息を必死に吸い込みながら走っているが、だんだん速度が遅くなってきている。

 かくいうサーシャも脇腹が痛く、喉が渇いたようにからからであった。

 そのうえ、意識のないアロケレは予想以外に重い。

 弦のたわむ音と共になにかが風を切ったと思うと、サーシャの足に痛みが拡がった。

 痛みに顔を歪ませ、サーシャの足が止まる。

 太ももの裏に刺さった矢を手で押さえる。焼けた鉄を押し付けられたかのような熱い痛さに歯を噛みしめた。

 それと同じく足の力が抜け、二人を巻き込みながら姿勢を崩した。

 肩を貸していた反対側が崩れたため、そちらにひっぱられるようにしてネイバーも倒れる。

 後ろでにやにやと笑いっていた二人のゴブリンがいやらしく笑い、サーシャたちへと歩いてくる。

 矢を背中に戻し、腰に吊るしていた粗雑な棍棒を引きぬいた。

 あれで打ち殺すのだろうか、それとも捕虜として連れ行くつもりだろうか。

 いずれにしろろくなことにはならなさそうであった。

「ネイバーさん。私たちのことは見捨てて逃げてください!」

「いや、しかし、君を置いていくわけにはいけない……っ

「私のことは置いていってかまいませんから、アロケレさんを!」

 必死で言い募るサーシャに、肩で息をしたネイバーが手をあげ言葉を止める。

「すまない、私もそろそろ足が限界なのだ……」

 力なくネイバーが首を振った。恐怖か疲労か、彼の足はがくがくと震えていた。

 意を決した、サーシャがゴブリンに向い手を掲げる。

神罰(バニッシュ)!”

 祈りを太陽神に告げ、神聖魔法が行使される。

 まだ未熟な神官であるサーシャが使える数少ないソレは蛮族やアンデッドに悪影響を与えるものである。

 途端、ゴブリンたちの顔が引きつり、顔を青ざめさせる。

 しかし、すぐに目を険しくし、怒気を表しながら、棍棒を振り上げる。

 その時である。

 茂みが揺れ、一抱えの大きさの石を振り上げた少年が現れ、ゴブリンの頭に石を振り下ろす。

 少年は絶叫を上げ、目には涙を浮かべ、必死の表情で石で殴りつけた。

 返り血が少年の頬にかかり、ゴブリンの顔が凹んだ。

 初めに殴られたゴブリンが倒れ、ぴくぴくと手足を痙攣させている。

 あまりのことに呆気に取られていたゴブリンが棍棒をつきつけた。

 その背中に再びの神罰(バニッシュ)が突き刺さる。

 唐突な怖気に止まったゴブリンの頭に血のついた石が振り上げられ、鈍い音が響いた。

 少年は泣きながら、狂乱気味に石を振り下ろす。

 ゴッゴッゴッとという音とともにゴブリンの顔がみるみるうちに血に染まっていき、地に伏せた。

 少年が肩で息をあげつつ、ほっとしたように息を吐いた。

 先に逃げた少年、ネビルであった。

 彼は地面に倒れているゴブリンが、ぴくりと動くと、ひっ、という声とともに猫のような俊敏さでそこから離れ、木の背後に姿を隠す。

 そして、そーっと、木の影からゴブリンの様子を伺っていた。

 ゴブリンたちは顔の原型がとどめないほど滅多打ちにされており、すでに事切れているようだ。

 それでも、ネビルは怖いようで、怯えた視線を向けたまま、木の影から出ようとはしなかった。

 もしかすると、いまのはなけなしの勇気を絞って襲い掛かったのかもしれない。

 とりあえず、ネイバーとサーシャは目を合わせ、頷き合った。

 

 

「こ、怖かったぁ……!」

 涙ながらに情けのない声を出すのは先ほどの少年、ネビルである。

 頼りなさげな印象の割に体はできているようだ。

「た、助かったけど、先に逃げたんじゃなかったのですか?」

 ネイバーが首をかしげて訪ねる。

「逃げたんだけど……後ろを見たらだれもいなくて怖ったんだよぉ……」

 えぐえぐと涙が止まらないネビル。

 がたがたと震えており、手には鳥肌が立っていた。本当に恐ろしかったのだろう。

「あの、逃げないと危ないのでは……?」

 座り込んだサーシャは矢を抑えながら言う。

 白い法衣にじわりと血が滲んできている。

「しかし、まず、足をどうにかしないと……」

「……一応、ボクがどうにかできるよ」

 おずおずとネビルが言う。

 彼は腰に吊るしていた宝石を取り出していた。

「ただ、その前に矢を抜かないといけないのだけど……」

「やってください」

「え?」

「やってください。どのみち、このままだと全滅しちゃいますから」

「……痛いよ?」

 心配そうな声色のネビル。

「構いません」

 こわばった音色のサーシャ。

 痛みに対して恐怖はあるようだが、それが来ることは覚悟できたようだ。

 ネビルが怯えた視線をネイバーに向ける。

 ネイバーも目を閉じて横に首を振った。

「じゃ、いくね……?」

 口を一文字に閉じ、みたくなさそうにネビルが目をそらしながら、矢を掴む。

 これからくる痛みにサーシャが目を閉じ、歯を噛みしめた。

 一息にネビルが手を引く。返しのついた鏃が肉にひっかかり肉柔らかさを感じながらも、サーシャの負担を考え一息に引き抜いた。

「――――っっっ!!」

 サーシャの傷口からねちょりと血が糸を引き、赤い液体が法衣に広がった。

 彼女は声にならない悲鳴を、無理やり押し殺し、激痛に喘いだ。

「ご、ごめん」

「いいから、早く治してやってください……」

 呆れたネイバーの言葉に、いそいそとネビルが宝石を掲げる。

「“光の門、清浄なる石を通っておいで”」

 詠唱と共に、透明な羽を持った少女が現れた。

 彼女は自然の触覚の具現、即ち妖精であった。

「彼と彼女を癒してくれるかな?」

 と、頼むと、妖精はこくりと頷くと、光の粒のようなものを二人に撒く。

 サーシャは傷口の痛みが和らぎ、熱がじわりと温かさに変わっていく感覚を覚えた。

 呼吸が荒かったアロケレの息も徐々に安定したものとへと変わっていく。

「うん、ありがとう」

 しばらく光の放出は続き、問題なく動けるようになったところで、妖精がそれを止めた。

 ネビルが軽く頭を下げると、妖精は宙オーガるくると飛び、光の中へと消えていった。

「妖精使いだったのですね」

「うん、森で薬草取りしてるうちに覚えたんだ」

 宝石を腰の釣り具に戻しつつネビル。

「それで、これからどうしたらいいんだろう……」

 ネビルが途方に暮れたような声を出す。

「とりあえず、歩いていけばどうにかなるのでは?」

「蛮族がうろついてるなかであてもなく歩くのは怖いよ……」

「一応、提案なのですが、目的地の街の方が近いはずですからそちらに向かって歩きませんか? いまここにとどまっていても見つかる可能性が高いですし」

 ネイバーの提案にサーシャが頷く。

 ネビルは不安そうに

「しばらく、どこかに身を隠すのはどうかな……?」

「食料とかの手持ちがないのと、蛮族がここを根城にしていたらどうにもならないこと、そして」

 ネイバーが倒れているアロケレを見た。

「彼の容態がいつ悪くなるかわかりませんので……」

 先ほどよりは容態は安定したようだが、未だアロケレは目を覚まさない。

「うん、とりあえず動かきましょう。いつまでもここにいても危ないと思うよ」

「そうしましょうか」

 サーシャが立ち上がる。

 今だ足に痛みがはしるものの、歩く分には支障はなさそうだ。

「あ、それならちょうどいい場所を見つけたよ」

 ネビルがおずおずと伏見がちに手を上げた。

 

 

 森の中にある窪地。

 周囲より地面がへこみ低くなっている場所である。

 近くに大きな木があり、焚火をしても、煙は枝に遮られて見られる心配はなさそうだ。

 日が高く昇ってからすでに大分経ち、やや、日差しも傾き始めている。

 ネビルがもっていったはずの鞄を持っていないと思ったら、すでにここに置いていたようだ。

 ネビルは慣れた手つきで、持ってきた薬草を取り出す。

 アロケレの皮鎧を外して、「真似事程度だけど……」と言いながら彼を触診し、傷のある部分に磨り潰した薬草をぬっていく。緑色のペーストが塗られる、アロケレは目を閉じたまま苦痛にうめくが、意識はまだ戻ってないようだ。

 ネビルの知見では、肋骨が折れてはいるようだが、幸い肺に刺さったりはしていないようだ。

 なので、細かな擦り傷などに薬草を塗り込め、包帯を巻いていった。

 そして、サーシャに対しても一つの草を手渡した。

 ぎざぎざの葉っぱをした細長く緑の草である。

 サーシャが受け取ると、若干青い匂いがする。もぎ取ってあまり時間がたっていないのであろう。

「苦いけど、噛んでると痛みが和らぐよ」

 そういって、サーシャが素直に草を噛む。

 苦い味が口の中に広がり、彼女は頬を歪めた。

 それでも我慢してもはむはむと草を噛んでいく。

 全員、腰を落ち着け、初めて一息ついていた。

「それにしても……怖かったぁ……」

 情けない声を出したのはネビルだ。

 彼は真底怖かったことを隠さず、からだをぶるりと震わせる。

「それにしてもこれからどうしたものでしょうか……街に進むとしても、やみくもに進んだらすぐに蛮族に捕まりそうですし」

「なんとかしましょう! 方法は思いつきませんけど、頑張ればなんとかなります」

「……その何とかの部分を考えてるのですけどね」

 ネイバーが溜息を吐いた。

「もう1つ。食事はいかがしましょうか。正直、荷物を持ってこれなかったので手持ちが全くないのですが……」

「お腹が空いたら力が出ませんからね」

「それなんだけど……」

 おずおずと、鞄のつつみを解くネビル。

「ちょっとだけならあるんだけど……」

 出てきたのはパンが少々。どうやら持ち出せた食糧はこれぐらいのようだ。

「とんでもない! 何も食べられないと思ってた状況で、これは神の恵みです! ネビル君、よくやってくれました」

「あ、ありがとう……」

 褒められてうれしかったのかネビルが顔を赤らめて目をそらした。

「とりあえず、行動方針をまとめたいのですがよいでしょうか?」

 ネイバーが確認を取る。

 状況は良いといいがたいが、商人としてそれなりに年をとっているためか、こういうときにも落ち着ているネイバーの態度は心強い。

「とりあえず、第一の方針としては街へ向かいましょう。ここにとどまってるよりは安心ですし、援軍や救助は期待できませんので」

 救助が期待できない、という言葉に不安からかネビルが口をこわばらせた。

「とりあえず、アロケレさんが起きるのを待ちましょうか。さすがにずっと引きずっていくわけにはいきませんし」

「賛成です。おいていくとか言われたら困っていたところです」

「ははは、そんなことはしませんよ。信用にかかわりますからね。ただ、問題として食糧でしょうか……」

 パンをもしゃりと、ネイバーが口に含む。

「やはり、これだけですと空腹になるのは免れませんし……」

 空腹でも動くことはできるが、思考や動きが鈍くなり、判断力が落ちるのは免れない。

 日常では苛立つだけですむことも、この状況でそれが原因で見落としてしまえば死につながりかねない。

 また、時間が経てばたつほど体力も減っていくため、それを防ぐ意味でも食事は重要だった。

「……虫を食べる、とかでしょうか?」

 サーシャがおずおずと。

「最悪それしかないですが……それでも、捕獲しに行かないといけないのではないでしょうか」

「そうですね……」

 それでも食べたくはないかな、とサーシャは思う。

 が、しかし、手段を選んでいられる状況ではなさそうだった。

「あの……」

 おずおずとネビルが手を上げる。

「ボクが行ってこようか……?」

 がちがちと、震える手を上げてネビルはそういった。

 

 

「じゃ、じゃあ、行ってくるね……」

 目に涙を溜め、唇を震えさせながらネビルが窪地から身を乗り出す。

 腰に吊るしてる九〇センチほどの丸い棒が揺れる。

 その背中はとても小さく頼りない。

 後ろから見ても明らかに振るえてるネビルに、サーシャは心配となった。

「あの……そんなに怖いようならついていきましょうか?」

「…………、いや」

 ネビルが振り返る。

 笑顔。

 唇が震え、彼の目から涙がこぼれた。

 サーシャたちに迷惑をかけまいと無理矢理笑っているようだ。

「いつも薬草取りとか一人でやってるから一人のほうが逃げやすいからね」

「けれど、そんなに心細いようならだれかついていったほうがよろしいのでしょうないでしょうか……?」

「大丈夫……うん、大丈夫だから。代わりにアロケレさんとかを頼むよ」

 ネビルは力なく笑い、その場を後にする。

 残されたネイバーとサーシャが心配そうに顔を見合わせた。

 ネビルは「大丈夫」と言っていたが、震えるほど怯えており、どうにも頼りなく見える。

「………、大丈夫なのでしょうか」

 ぽつりと、ネイバーが零す。

「ネビル君のことなら大丈夫ですよ。会って間もないですけど、自分にできないことは言わない人だと思いますよ?」

 サーシャが朗らかに笑う。

「それもありますが、これからのことですよ」

 ネイバーがため息を1つ。

 豊富な口ひげがもっさりと揺れる。

「これから……、アロケレさんが起きるたら街へ向かっていくんですよね」

「いうほど簡単に行けるものではないはずですからね。頼みの綱であった冒険者たちともはぐれてしまい、非力な私たちが果たして蛮族に見つからずに街までたどり着けるのか、と思うと……」

「大丈夫ですよ」

 と、サーシャがティダン神の聖印を掲げる。

「ティダン様はあまねく日の光と共にすべてを見守ってくださってますよ。私たちが偽りなく前を向き続ける限り、かの神はかならずや加護を授けてくれるに違いありません」

 燃え盛る日輪を模したメダルを両手で包み込む。

「だから、ネイバーさんも一緒に頑張りましょう。私も共に頑張りますから」

「……あなたは強いですね、サーシャさん。どうも年を取ると、危機のほうが目についていけない」

「そんなことはないですよ。誰か一人ぐらい、そういうことにも目を向けきれないと危ないですから」

 屈託なく笑うサーシャ。

 その無邪気な笑みを見ていると、こちらまで陽気が染るようで、ネイバーも心に募っていた不安が幾分か和らぐのを感じる。

 彼女はきっとよい神官になるだろうと、ネイバーは思い、商人として今の間にもっとコネを作るべきか、頭の中のソロバンが動き出すのを感じる。

 慣れた感覚で損得利益を勘定する思考に、やっと普段の調子が戻りつつあることをネイバーは心地よく思った。

 サーシャはというと、アロケレの容態が悪くならないように様子を見ていた。

 

 

 ひとえに森といっても、全てが植物に覆われているわけではなく、道のようになっているところもある。

 初めて訪れる場所ではあるものの、ネビルは一際高い丘に登り、木の実が落ちてそうな場所や川が流れてそうな場所に辺りをつけると、蛮族に見つからない様におっかなびっくりとそれらを集めていった。

 何度振り返って周囲を警戒したかわからない、いま歩いてる時にも蛮族に遭遇するかもしれないと思うと心臓がばくばくとする。

 ネビルは震える唇を無理やり抑えて、罠を仕掛けた場所へと進んでいた。

 食料探しを始めるよりも前に、獣が通ったと思われる痕跡を発見したので、その痕跡の近くに簡易的な罠を仕掛けておいた。

 木をたわませ、蔓で作った輪に対象が入った瞬間、跳ね上がる罠である。

 うまくいけば、獲物がかかっていれば肉が手に入ると思われる。

 おっかなびっくり、周りを見ながらネビルが罠の場所へ近づくと、そこには宙づりになったゴブリンがきーきーと喚き散らしていた。

 周りの妖魔は、そんなゴブリンを見てはやし立てている。

 数は二人。ネビルには気づいていない。

 草むらにしゃがんで、隠れながら、ネビルはゆっくりと周囲を確認する。

 哨戒であろうか、目の前の妖魔(ゴブリン)たち以外に周囲に蛮族の姿は見当たらない。

 蛮族はネビルに気付いておらず、宙に吊られたゴブリンを、ボガードが指をさして笑っている。

 いまなら仕掛ければ不意を打つことができるし、ボガードさえ倒してしまえば、宙に吊られたゴブリンはどうともで料理できるはずだ。

 ネビルが下唇を噛む。

 いまだ、いまいけば蛮族を二人減らすことができる。

 震える手を抑えて、ネビルは息を呑む。

 ボガードが笑いながら、持っていた剣に手をかけた。

 いま、奇襲をしかけなければ、ゴブリンは解放され、せっかくの機会はだめになってしまうであろう。

 ネビルの額から流れた汗が顔の側面を垂れ、顎かぽたりと落ちた。

 しかし、それでも彼は立ち上がることはできず――。

 ゴブリンたちはげらげら笑いながら、その場を後にした。

 後に残されたネビルは、目を伏せ、うつむき、立ち上がれなかったことを後悔すると同時に、彼らがいなくなってくれたことに安堵した。

 

 

「やはり、グルル・グもイトニとも合流できてないか……」

「残念ながら……」

 パチリパチリと木が爆ぜる音が響く。

 もくもくと上がっていく煙は頭上の木に紛れて目立つことはない。

 ネビルが取ってきた魚が木に突き刺され、ネビルとサーシャが両手で焼いている。

 アロケレが気落ちした視線を煌々と燃える火に向ける。

 彼は合流できなかった仲間たちを憂いているのだろう。

 日が暮れたあたりでネビルが帰ってきた。

 その背嚢には人数分の魚や、明日の分は問題なく過ごせなそうな量の木の実や薬草が入っていた。

 また、彼は焚き木に仕えそうな乾いた木の葉や木も集めて持ってきてくれていた。

 送るときは頼りなさげ出会ったが、蛮族たちに見つからずにこれだけ集めて来れたのは彼が優れた薬師であり、山で自ら集めているというのも裏付けるだけの説得力を感じさせた。

 三人が協力して火を起こしていると、アロケレがうめき声をあげながら目を覚した。

「けど、グルル・グさんもイトニさんも僕より強いと思いますから、きっとどこかで生き残ってますよ……」

「はい、あんなに頼もしい人たちが死ぬとは思えません!」

 気落ちしたようなアロケレに、ネビルとサーシャが励ましの声をかける。

 その言葉に、力なく彼は微笑んだ。

 既に日が落ちた森。

 森の中は真っ暗闇で、焚き木から離れれば、目前に置いた手すら見えないであろう。

 ざわり、と風で木が揺れるたびに、ネビルがびくりと驚き反応して、そちらに怯えた視線を向けている。

「蛮族の足音は聞こえないから大丈夫だ」

「……アロケレさんは耳がいいんですね」

「それが斥候(スカウト)としての特技だからな」

 その言葉に多少安心したようだが、しかし、ネビルの落ち着きのない様子は変わらなかった。ここまでくると性分なのだろう。

「それで、アロケレさん。私たちは明日から街へ向かって歩こうと思うのですが、何か別案がありますか」

「いや……ないな」

 アロケレが目を閉じ、何か考えるように

「俺が戦力に慣れないのは業腹だが、ここにいてもじり貧になるだけだろうな。いま動けるのはネビルだけのようだし、それもいつまで続くかわからない」

 現在、仮に蛮族とであっても最低限逃げ切れるのはネビルぐらいである。つまり、彼が蛮族に見つかり、捕まってしまった場合、サーシャたち一行は薪を足すことも、新たに食糧を見つけることも困難となってしまうであろう。

「危険ではあるが、周囲を警戒しながら行くしかないだろうな……」

 救助を待とうにも、そもそも彼らが危機に陥ってることすら誰も知らない現状では、自らの力で街までたどり着くことが現状を打破できる唯一の方法であろう。

「たどり着けるかな……」

 ネビルが力なさげにぽつりと言う。

 伏せ気味の目には不安がありありと浮かんでいる。

 彼の不安がわかるのだろう、ネイバーもアロケレも答えを返せなかった。

 慎重に進んだとして蛮族と出会えば、そこで捕まってしまうの可能性が高いのである。

 そして、街までの道のりは決して、短くはなかった。

 1度も蛮族に出会わずにたどり着けると考えるのは楽観視が過ぎるだろう。

「いけますよ。私たちが悪いことをしたわけじゃないんですから、ティダン様は必ずしや何らかの救いを齎してくださいますって」

「さすがに楽観視しすぎじゃないかなぁ」

「けど、ずっと暗くてもしょうがないじゃないですか。ほら、こんな状況でも美味しい食事ができて、笑い合える状況ってとても幸運だと私は思うのですよ。だから、ほら、これからも幸運に巡り合えるかもしれないじゃないですか」

「俺はいい考えだと思うぜ。やる前から暗くなってても仕方ないしな」

「ええ。私も。考えてみれば商談と同じですね。やる前から気持ちが萎えているとまとまる話もまとまりません。それと同じで行く前から気持ちが萎えていては仕方ありませんね」

 ネイバーとアロケレが肩の力を抜いて笑い、そして、魚へと齧りついた。

 内臓の苦味と塩のほのかなしょっぱさが合わさり、意外と悪くない味であった。

 ぱちりぱちりと焚き木が弾ける中、4人はしばしとってきた魚に舌鼓を打つのだった。

 

 

 名も知らない鳥がほーほーと鳴いている。

 虫たちも同じように四方八方で騒めいており、ネビルにとって聞き覚えのある音もあれば、聞き覚えのないものも鳴き声もあった。

 蛮族は暗闇の中でも問題なく見えるものが多いと聞くため、焚き木が発見される可能性があるが、人であるネビルたちにとって光源がない方が問題であった。

 ただでさえ月明かりしか光源がなく、それも木々に遮られやすい森の闇は濃ゆかった。

 薬草を取りに行き、夜になったこともあるため、ネビルはそれなりに慣れているとはいえ、一寸先に怪物が待ち構えてるような錯覚を齎す、この闇は好きになれない。

 比較的安全な街中でさえ暗ければ怖いというのに、この暗闇につつまれた先にはなにがいるかわからない。

 故に、さきほどからネビルは虫の足音にすら敏感に反応し、兎の様にきょろきょろと周囲を伺っている。

 早く朝が来てほしい、ネビルはそう願わずにはいられなかった。

 小さくため息を1つ、焚火に木オーガべた。

 そろそろ見張りの交代の時間だ。

 ネビルは油紙を敷布と毛布の代わりにしているサーシャの肩を叩く、

「……ふわぁ、おはようございます、ネビル君」

「ひゃぁ……っ」

「あの……、起こした本人が怖がるのはどうなのですか?」

「だって、物音が怖いし……」

 半泣きになってるネビルに、サーシャは微笑ましい感情を覚える。

 出会って1日ほどしかたっていないものの、本当に様々なことが怖いようで、些細な物音にも反応して、彼は怖がっている。

 しかし、昼の間ならいざしらず、この闇に囲まれた夜になら神経過敏になる理由もサーシャにはわかる。

 焚き火の明かりで照らされるより外はほとんど見えない、真っ暗な森。

 もしかすると、この闇の向こうではすでに蛮族に囲まれているかもしれない。そうでなくても、危険な獣などがぬらりと現れてくるかもしれない。

 そのような妄想を止めることができそうになく、サーシャがぶるりと身を震わせた。

「あの、見張りをするときは焚き火を見ない方がいいよ。明かりに目が慣れると、暗いところが見えなくなるから……」

 ネビルがそういって、自身の荷物から油紙を引っ張り出そうとしたところを、サーシャが袖を引いて止める。

「ネビル君。わがまま言ってることは分かるんですけど……、一緒に見張りしてくれませんか……?」

「えぇっと……」

 少しばかり眠いのと、眠らないと明日に差し支えそうであるため、ネビルがためらう。

「お願いします。私、ここまで暗い中で一人でいるのは初めてでして……」

 正直いって怖いのですよ、とサーシャは不安を露わにしてしている。

 ネビルは何かを言おうと口を開き、悩んだ顔つきになり、そして言葉が出ずに、変わりにため息を1つついた。

「……うん、いいよ」

「ありがとうございます!」

「声は小さくしてね」

 こくこくとサーシャが頷いた。

 

 

「……」

 ネビルが眠気を堪えて目頭を押さえ、革袋から水を飲む。

 夜も更けているためだろうか夜鳥の声もあまり聞こえなくなってきている。

 サーシャは口を結び、無言で闇を見つめている。

 昼間の朗らかな笑顔はどこへやら、今は緊張した顔向きでネビルの傍で闇を見つめていた。

「………」

「………」

「……あの、ネビル君は怖く……あ、いや、怖いのですね」

「うん」

 ネビルの震えっぱなしの手を見て、サーシャが気まずそうに言葉を打ち切った。

「サーシャの方は大丈夫なの? 僕より落ち着いてるけど」

「私は、正直怖いですね」

 サーシャがそっと手を差し出す。

 ネビルほどあからさまではないが、その白い指先は小刻みに震えている。

「ネビル君はすごいね」

「僕が? 特に凄いことした覚えはないんだけど……」

「ううん、食糧をとってきたのも、油紙を用意したのも全部ネビル君じゃないですか。ネビル君がいなかったら、いまごろみんなでひもじい思いをしてましたよ」

「慣れてることしただけだよ。アロケレさんだって怪我してなければ、同じ事できたと思うよ」

「それでもすごいですよ。私だったら同じことできないですし」

「サーシャだって怖いの抑えて努めて明るくしてるじゃないか。それも誰だってできることじゃないよ」

 特に自分には無理だ、とネビルは内心頷く。

 ほがらかで明るい雰囲気のサーシャがいなければ、もう少し暗く沈んだ雰囲気となっていたかもしれないと考えると、彼女の明るい雰囲気はとてもありがたいものであった。

「……気づいてたのです?」

「みんな気付いてるよ」

「そっか……、よかったです」

「?」

 ほっと息をつくサーシャにネビルが首をかしげる。

「空回りしてたらどうしようって思ったんですよね。みんなが元気になってくれてるならほっとしました」

「どうしてそこまで献身的になれるの?」

「献身的、ですか」

 サーシャが想定外の言葉を受け驚く。

「と言われましても……いつも通りに過ごしてるだけですよ」

「今みたいな状況で、いつも通り過ごせるほうがおかしいと思うよ。僕とかもう怖くて怖くてしょうがないのに」

「逆にネビル君はどうしてそこまで怖がりなんですか?」

 アロケレが健在であるのならアロケレが同じ事をできた、とネビルは言うが、逆説的に言うのなら熟練の冒険者であるアロケレと同じだけのことをネビルは成せることができたのである。

 もちろん森の中での行動や経験が豊富というのが理由であるであろうが、それでも十分誇っていいことである。現にサーシャが一人で放り出されていたら、なにをしていいかわからず彷徨っていたことだろう。

 それだというのにネビルは誇るどころか、俯きながら、むしろ自信がなさそうに見える。

 サーシャはネビルがどうしてそこまで怖がりで、自信がなさそうにしているのか不思議でならなかった。

「どうしてって……。怖いからだよ。だって、いまだって、いつ蛮族が現れるかわからないし。そうじゃなくても、いつ、どこで、何が起こってもおかしくないじゃないか。どうして、みんな、そんなに平然としていられるんだよ……」

 ネビルが口を引き結んで、嘆きを漏らす。

「未来なんて誰にも分らないじゃないか、それなのにみんなどうしてそんなに楽観できるんだよ。おかしいじゃないか……」

「ああ、なるほど。ネビル君は、何が起こる変わらないから、怖いんですね」

「うん。子供のころから地面が崩れたりしないかな、とか聞いてよく笑われてたんだけどね。ずっと不思議なんだよ。だって、ずっと崩れない保証なんてないでしょ?」

「そういわれるとそうですね……けど、それなら太陽なんていかがでしょう」

「どういうこと?」

 木々の間から見えるわずかな夜空に向いサーシャが指をさす。

 いまはまだ昇っていない太陽を指しているようだ。

「ティダン様がおわす陽の聖なる輝きは万物に降り注ぎ、昔から今まで変わらずにあり続けてます。地面が崩れるのが怖いというのなら、空を見上げて太陽を仰ぎましょう。そうすればそこに変わらないものがありますよ」

「……その考えはなかったね」

「ええ、怖いというのなら怖くないものを見つければいいんですよ。大丈夫ですって、ネビル君はすごい人ですから、ちょっとやそっとなら自分で解決できますよ」

「……ありがとう、サーシャ」

「いえ、これぐらいしかできませんので」

 と、サーシャが笑う。

 そろそろ次の人に変わる時間かな、とネビルが腰を上げた。

 

 

 翌日、アロケレを杖を頼りに先方を歩く。

 ネビルが拾ってきた頑丈そうな木をナイフで整えた杖であるが、いまのところは問題なく歩けているようだ。

 その後ろをサーシャとネイバーがついて歩いていく。

 そして、ネビルはその最後尾で背後を警戒していた。

 くしゃりと湿った土を彼らは踏みしめ、柔らかな葉を払いのけながら進んでいく。

 整備された道を歩けばもっと楽なのであるが、蛮族がうろついているかもしれいため、草木に覆われた道なき道を歩いていく。

 木々の間に垂れている蜘蛛に驚いたりしながら、一行は進む。

 その足取りは早いとは言い難いが、湿った木々や苔に覆われた石の上を歩く都合上、あまり速度を重視すると、滑って転び怪我をしてしまいそうで、着実に進む方が早く進めそうであった。

 怪我をしているはずであるがアロケレは、これらの道を難なく進み、緑に覆われ見づらい中に陥没しているくぼみなどをいち早く発見すると、素早く後ろに注意を指し示す。

 その眼は鷹のように鋭く、一党(パーティー)を預かっている責任感が彼を真剣にさせているのであろう。

 陽が高く昇ったあたりであろうか、アロケレが手をかざして3人を止める。

「な―――」

 サーシャが口をひらきかけたところで、アロケレが手で塞ぎ、自らの口の前で指を一本かざして止める。

 そして、指をさして、何がいるかを伝えた。

 ネイバーがそちらを見ると、鉤鼻の魔物。すなわち、ゴブリンの群れが数人、サーシャのほうへと歩いてきている。

 こちらの姿を発見下から近づいてるのではなく、探している中、たまたまこちらに近づいてきているようである。

 いまなら先に隠れてしまえばやりすごせるかもしれない。

 そう思い、近くにあった丈の長い草むらの中に全員がゆっくりと後退する。

 青臭い匂いが充満しているため、匂いはごまかせるであろう

 幸いちょっと距離があるため、あわてずに草むらの中に入れば、見つからずにやり過ごすことができそうである。

 きーきーと金切り声で話しながら、ゴブリンたちが草むらの前を過ぎていく。

 それをサーシャたちは息を呑んで見守る。

 3人はもとより、アロケレも怪我が原因で今は戦闘ができる体調ではないため、見つかれば一巻の終わりである。

 ぱきり、と音がした。

 見ると、ネイバーの足元に会った木が体重で折れている。

 ゴブリンたちが一斉にサーシャたちの方へと向く。

 アロケレが、杖を支えに腰元からナイフを取り出し、ネビルが腰に手を回す。サーシャには何かの棒の端に手をかけるように見えた。

 ゴブリンたちが棍棒を振り上げた。

「ネビル君、妖精っ」

 サーシャが慌てつつも小声で伝える。

 ネビルがその手があったか、と腰元の宝石を取り出し、地の妖精であるノームを出現させ、何かを頼み込むように頭を下げた。

 よたよたと草むらからノームが現れる。

 いかめしいノーム(老人)がじろりとゴブリンたちを睨んだ。

 自らより格が上の妖精に睨みつけられ、ゴブリンたちがたじろぐ。

 そして、つまらなさそうにその場を後にする。

 どうやら、目論見通りノームがその場にいたと勘違いしたようだ。

「……すいません」

 ゴブリンたちがいなくなった後に、ネイバーがしょんぼりと頭を下げる。

「いえいえ、気にしないでください。恰幅がいいのはネイバーさんのせいじゃなりませんから」

「サーシャ、それトドメになってるよ……?」

 え?と目を白黒するサーシャに、アロケレが小さく苦笑していた。

 

 

 森を抜けると、そこは草原となっており、あとは街まで一本道である。

 それを知っているためか、ボガードが数体、出口の傍に陣取っている。

 森より少し出た草原にある岩に腰かけており、なんらかのおしゃべりに興じている。

 周囲には細かな岩こそあるものの、それらを遮蔽物側代わりに街まで進むのは厳しそうである。

「……だめだな、どこから出ようとも見つかってしまう」

「迂回はできないのでしょうか……?」

「ここから迂回するとなると……」

「ごめん、地図は持ってない」

 ネビルが申し訳なさそうに謝る。

「いや、覚えてるから問題ないさ。迂回するとなると険しい山を越えないといけなくなるな」

「準備すれば行けると思うけれど……。さすがに、全員は無理かな」

「私はそこまで歩ける自信がありませんね」

 ネイバーが恰幅の良いお腹をさする。

 ここまでくる間にも息苦しそうであった。

 彼の額から汗が零れ地面に落ちる。

「うん、僕もそこまでいくまでに蛮族に会いそうな気がするよ……」

 ネビルが目を伏せて、言う。

 先ほど蛮族に見つかりかけているのを思い出しているのだろうか。

「さっきはサーシャの機転でどうにかなったけど……何回も同じようにごまかせるかはわからないよ」

「手詰まりでしょうか……」

「もし、俺の体調が元通りに戻れば、見張りを倒して強硬突破という手があるんだが……」

「ご自愛なさってください。そして、あの、ここを突破できる良い手がひとつありますよ」

 全員の視線がサーシャに向く。

「私が囮になって全員の目をひきつけましょう。そうすれば、他の人はみんな逃げきれますよ」

 拳を固く握り、彼女はそういった。

「え、ちょっ、ちょっと待って」

 ネビルが慌てる。

 アロケレとネイバーも呆気に取られていた。

「まった、嬢ちゃん一人だとさすがに時間を稼ぎ切れるかわからないぞ」

「それなら、ネビル君から妖精を借ります!」

「いや、自殺するのに貸したりはしないよ……?」

「じゃあ、一人で行きます」

「待った。待って」

 全員が慌てて引き留める。

「絶対に捕まるよ?」

「わかってます」

「捕まったらひどい目にあうぞ、嬢ちゃん」

「わかってます」

「さすがに、あなたを犠牲にするくらいなら、私が行きますが……」

「でも、ネイバーさん、私より足が遅いと思いますよ?」

 事実を言われ、ネイバーが黙り込む。

「……確かに誰かが囮になれば、街までたどり着ける可能性は高いだろうが、それを嬢ちゃんにさせるのは……」

 アロケレが絞り出すように、

「逆に聞きますが他にできる人はいますか?」

「…………」

 アロケレの顔が歪む。苦虫を潰したように口を閉じた。

「私一人なら崖から飛び降りればたぶん、追手を撒けます。それにこの中で無事動けるのは私ぐらいでしょう?」

 商人であるネイバーは、その恰幅の良い容姿の通り、走りまわるだけの体力はない。

 アロケレは怪我が原因で、戦闘が行える体調ではない。

 ネビルはさきほどから縮こまっており、涙目である。

 ヴァルキリーであるサーシャなら、その種族特性として、高い位置から飛び降りても、落ちる速度を緩和させ無傷で着地することができる。

「ダメ、ダメだよ。サーシャ!」

 ネビルがサーシャの手を取った。

「確かに、僕たちは逃げ切れるかもしれないけど、サーシャは絶対無理でしょう!」

「うん。けど、じゃあ、ネビル君はいける?」

「………」

 ネビルが目を逸らす。

 いま、サーシャの手を握っているネビルは恐怖で震えていた。

「なんでなの、サーシャ」

「えーと……何がですか、ネビル君」

「僕たちであってそこまで時間もたってないのに、なんでそこまで献身的になれるのさ」

「えーと……」

 サーシャが考えるように、頬に手を当てる。

 そして、三人を見つめ、納得したようにうなずいた。

「だって、みんないい人じゃないですか」

「はっ?」

「ずーっと危ないっていうのに、みんなずっと他の人のことを案じてたでしょう?」

「そんなことはないよ」

「ありますよ。ネビル君だって、ずっと怖いのに食べ物を取りに行ってくれたじゃないですか」

 サーシャがネイバーとアロケレに視線を向ける。

「アロケレさんは仲間がどうなったわからないのに一生懸命、私たちを導いてくれましたし、ネイバーさんもずっとみんな落ち着けるように努めて冷静に言ってくれたましたよね?」

「それを言うならサーシャさん、あなたも皆さんを元気づけるために明るく振る舞ってくれたので同等じゃないですか」

「それはそうかもしれないですけど。けど。私はティダン神に選ばれた神官です。ですから、私は他の人を照らして導く義務があります。だから、いま、この場の誰かが犠牲にならないといけないのなら、私が一番の適任であると思います」

 ――だから、私が残ります、とサーシャは言う。

 その瞳には強い意志が宿っており、彼女の意志を変える言葉を3人は思いつかなかった。

 ネビルが立ち上がった。

「わかったよ、サーシャ」

「はい、だから、3人は―――」

「いや、僕も残る」

「え?」

「僕も残るよ。二人ならなんとか逃げ切れるかもしれないし」

「ネビル君、怖いんでしょう?」

「怖いよ。怖くてたまらないよ」

 ネビルが鳥肌のたった手を見せる。彼の手は震え続けていた。

 歯の根がかみ合わない用で、ガタガタと震えている。

「だけどね、サーシャ。僕は臆病者だけど、さすがにサーシャ一人を犠牲にするような卑怯者にはなりたくないよ」

 それでも無理にネイバーは笑う。

「なら俺も」

「いや、アロケレさんはネイバーさんをお願い」

「だが」

「ネイバーさん一人だと、途中でなにかあったときに対処できないから……」

「……ちくしょう」

 アロケレが苦虫をかみつぶしたように、地面を殴る。

「私にできることはないのでしょうか……」

「えーと、罠の作成を手伝ってくれると嬉しいかな。ちょっとでも生き残る目を上げるために」

「………わかりました」

 ネイバーが目を閉じる。

「ちょ、ちょっと待ってネビル君も一緒に逃げていいんだよ?!」

「サーシャ一人だと心配だよ。それに」

 サーシャが頬を掻く。

「ぼ、僕にだって男の子としての維持があるんだよ。任せてサーシャ。君は僕が守るよ」

 ネビルは恥ずかしそうに眼をそらして、そういう言うのだった。

 

 

 アロケレとネイバーが道を急ぐ。

 見張りの蛮族はサーシャとネビルの陽動にひっかかりいなくなったが、急ぐことにこしたことはない。

 早く街につけば、それだけ二人が助かる確率が高くなるのだから。

「それにしても、いま、このときばかりは物語にでてくるような英雄のような力がほしくてしょうがないですね」

「……後悔してるのか」

「当然です。娘や息子のような年齢の二人が犠牲になって助かってしまったのですから。後悔しないわけがありませんよ」

「同意見だ」

 アロケレが視線を落とす。

「しかし、もしかすると」

「どうかしたのです?」

「あのネビルという少年がいるならなんとかなるかもしれんな」

 と、先ほど、引き抜こうとしていた武器を思い出しながら、アロケレは呟く。

 あれはたしか短棒であった。

 

 

 ネビルとサーシャが息を切らして走る。

 ネビルがサーシャの手を引きながら、苔や根に足を取られないように調整しながら走る。

 その背後からは、ゴブリンたちが不快な声をたてながら追っていく。

 真言使い(ソーサラー)のイトニが数を減らしてくれたからか、数は大分減っているようだ。

 恐らくは小規模な蛮族であるため、残りは十数体ぐらいだろう、とアロケレは予想していた。

 バッテンが書かれた木が見えた。二人は頷き、木々の間を飛び越える。

 後に続いてたボガードが浅く掘った落とし穴に足を取られ、こける。

 どうやら足が折れてるらしい。それに引っかかって数体が転び、あとからやってきたゴブリンたちに踏みつけられ絶命する。

 群れの中心と思わしきオーガが、ちっと舌打ちした。

「右から追い詰めろ! あとちょっとで崖だ!」

「ネビル君聞きましたか!」

「が、崖だね!」

 ゴブリンのうち半分が右へと散開する。

 包囲するように扇型の陣形に。

 ネビルとサーシャは右側へと進路を変更した。

 

 

「が、崖とは聞いてたけど……」

「ちょっと違いますね……」

 二人の前には崖があった。

 ただし、二人が期待した割れ目のようなものではなく大きく聳え立つ崖であった。

 土色の岩肌が二人の行く手を遮る。

 ゴブリンやボガードが二人を囲み、オーガがにやりと笑う。

 

 散々手間をかけさせてくれたうえに数が減ってるものの、若い人族二人を捕まえることができた。

 これなら奴隷として高く売ることができるし、その前に楽しんでもいい、とオーガはほくそ笑む。

 とくにあのサーシャと呼ばれる人族は良い。

 金色のさらりとした髪、つぶらな青色の瞳、白く陽の光が生える肌。

 オーガが舌なめずりをして、号令を下す。

「かかれぇ!!」

 サーシャがひっと身を竦める。

 卑下た笑みを浮かべるゴブリンたちが棍棒を振り上げる。

 コボルトが八相に剣を構えた。

 ネビルが怯えるサーシャの前に立ちはだかる。

「だだだだ、大丈夫だよ、ササササーシャ」

 言葉がどもる。

 それでも、静かな眼光で蛮族たちを見据え、

「ぼ、僕が君を守るから……!」

 彼の背後に二種の妖精が現れる。

 厳めしい1mほどの老人の姿をした妖精――ノーム。

 そして、数十体からなる蟻のような妖精――ムリアンたちだ。

 彼らはサーシャを守る様に立ちはだかる。

 そして、蛮族たちとぶつかった。

 

 

 目の前の男からこれほどの脅威を持った妖精を出せることには驚いたものの、所詮は妖精使いに過ぎないと、オーガはつまらなそうに見る。

 ゴブリンやボガードなど使い捨てに過ぎない、いくら数が減ってもあの二人さえ入手できればあとでいくらでも補給できる捨て駒に過ぎなかった。

 高レベルの妖精を扱えるようだが、しかし、この数をすべて倒すには魔力が持ちはしまい、とオーガは群がる蛮族を見ながら思う。

 ネビルが、腰元に手を伸ばし、何かを引き抜く。

 それは――鉄芯の入った九十センチほどの短棒であった。

 ネビルは腰から引き抜くと同時に、それを振りあげ、剣を振り下ろすボガードの手首を打ち上げると、返しの振り下ろしで首を付き、打ち倒す。

 ゴブリンの棍棒を斜めにかわしながら懐に入り、わきの下に短い棒を突き刺した。

 ゴブリンが悲鳴を上げる。短棒の逆側でゴブリンの足を払い、顎を掴むと、点灯させながら別の群れに押しかえす。

 すぐに振り向き。迫っていた剣を交すと同時に、逆手で持った短棒の先端を押し、突きを放つ。相手がそれにひるんだ隙を逃さずに、短棒を反転させながら入り身、ゴブリンの棍棒を弾き飛ばし、さらに返しの一撃が彼の膝がしらを砕く。

「え……っ」

 サーシャの見る前で都合五体、瞬く間に蛮族が倒されていく。

 そうしている間にも、ボガードの剣を真横に避けたネビルが、手首を撃ちすえ、肘に短棒を押し付けるようにしてねじりあげた。

 そのボガードを盾代わりにしながら、跳躍。上からたわませた短棒の一撃が、ゴブリンの頭蓋を砕く。

「ぅぅぅぅ……」

 ネビルの口から悲鳴のようなものが見える。

 彼の顔は恐怖に歪んでおり、怯えながらも、動きには淀みなく、蛮族をうちすえる。

 その間にネビルが三方向から囲まれた。

「危ない!」

 しかし、ネビルは止まらなかった。

 このような場合、受けに回ったなら、手数の差で負けるだけである。

 前後と右、それらすべてを同時に捌きき斬るのなら阿修羅の如く、二つの身体と四本の手足がいるであろう。

 それらを持たないネビルは先に主導権を握ることに終始した。

 まず、右から来るボガードの足元に転倒(スネア)の呪文を唱え転ばす、そして、間髪入れずに短棒を肩にかつぐような八相構えになりながら、前方へと突進。

 するようにみせかけ、反転。予想を外された形となった後方のゴブリンが面食らう。

 それを見逃さずゴブリンの籠手を強かに打ち据える。

 ゴブリンが棍棒を落とした。

 ネビルは短棒を反転させ、ゴブリンの手首に押し付けるように突き上げ、その手を取った。

 てこの原理で手首を圧迫され、ゴブリンの顔が苦痛に歪む。

 あとはネビルが力を入れれば、苦痛に突き動かされ、ゴブリンがネビルの望んだ方向へと誘導される。

 そして、ゴブリンを前方のボガードの剣から盾代わりに使い受け、止まったところをゴブリンごと、蹴倒した。

「……っふぅ」

 安堵したように息が漏れた。

 先ほど転倒したボガードが立ち上がった瞬間を狙い、下から掬い上げた一撃がボガードの下あごを砕く。

 ぼたぼたと血を垂らし患部を抑えるボガードの頸椎にネビルの一撃が落ちる。

 そこを別のゴブリンが棒を掴んだ。

 武器を封じたと思ったのかゴブリンが笑う。

 しかし、ネビルがゴブリンの手をつかみ、棒ごと捻る。

 手首をねじられた形となったゴブリンがつんのめり、ネビルの膝蹴りがゴブリンの顔面に突き刺さる。

 ひるんだゴブリンの手をはなし、彼の頭の横に棒を動かし、短棒の逆側を引きつつ、ゴブリンが自身の腕にひっかかるように地面へと投げ飛ばす。

 後頭部から地へ落ちたゴブリンが口をがはっ、と短い呼気を話す。

 そこを踏みつけつつ、すぐに構え、ネビルが周囲を警戒した。

「……すごい」

 とサーシャ。

「………、なんだ、なんなのだこれは」

 オーガが呟いた。

 雇っていた用心棒のダークトロールこそ失ったものの、商品の奪取は成功し、あとは残りの人族を捕まえるだけだったはずである。

 しかし、目の前でどんどん手勢の妖魔たちが倒されていく。

 あのネビルと名乗った男、みるからに臆病で頼りなさそうな男にこのような力があったのは完全に誤算であった。

 オーガの口が呪文を口ずさむ。

 まだ、まだだ。まだ、手勢は残っている妖魔などいくらでも集めれる使い捨てのコマに過ぎない。ならば、ネビルごと纏めて始末してしまえば、あの(サーシャ)を連れて、逃げることができる。

 それに気づいたサーシャがオーガに向って、天罰(バニッシュ)を叩き込む。

 淡い光の塊をオーガは嘲笑の笑みを浮かべながら避ける。

「ネビル君!」

「……っ!」

 ネビルが目を見開き、オーガに向かう。

 遅い、すでに呪文は完成していると、オーガがほくそ笑む。

 サーシャがネビルの無事を祈り、目をつぶった。

 稲妻(ライトニング)!!

 青い稲光がネビルへと伸び、周辺の蛮族を巻き込んで着弾した。

「―――!!!」

 サーシャが目を見開く。

 もくもくと煙が上がる。

 ()った、とオーガがほくそ笑む。

 しかし、その煙の下からネビルが現れる。

 纏っている服は黒焦げになり、赤く火傷をしていたが、それでもまだ動いていた。

 目には涙を溜め込み、それでもオーガに向って突貫する。

「なんと!!」

 ネビルの身体に青い光が宿っている。

 それはサーシャの祈り、即ちヴァルキリーとしての加護であった。

 これがあったゆえに、ぎりぎりでオーガの呪文に抵抗することに成功し、ダメージを減らすことができた。

 それでも完全に防ぐことは出来ず、一早い決着をつけるべく、ネビルは突貫する。

「おのれぇっ!!」

 オークが背中に背負っていた巨大なメイスを引き抜く。

 ネビルががちがちとかみ合わない歯の根を無理やり嚙合わせる。

「ぅぅぅぅ、怖い怖い怖い……あーもう!」

 半ばやけくそな声をネビルが出す。

 オークが八相にメイスを構え、斜めに振り下ろした。

 ネビルが半歩引き、それを回避。メイスを一転、さらに踏み込みながらオークが攻撃を繰り出す。

 オーガの長身に加え、重量の重いメイスの連撃は途切れそうにない。

 短棒は変幻自在に軌道に繰り出せることこそが肝要であるが、下手に受けるとそのまま勢いで押し切られてしまいそうである。

 ネビルは振り抜いたメイスに合わせるように短棒の先を絡まらせ、円を描くように上に跳ね上げる。

 オーガの腕が跳ね上げられ、隙間が空く。

 ネビルが踏み込む。棒が渦を描きながら、先端がオーガの喉元を狙うように戻り―――そして渾身の突きが蛮族の喉へと突き刺さる。

「―――ッッ!!」

 オーガは口をぱくぱくと開きながら、えづいた。

 すかさず、棒が反転、先端がオーガの膝を砕き、前方に倒れたオーガの目、二度目の突きが突き刺さり、頭蓋を貫通した。

 

 

 倒れ込むオーガ。瞬時にネビルが反転し、中段に短棒を構える。

 しかし、周囲にもはや蛮族はいなかった。

 群れの中心であるオーガが倒れたことで逃げ出したのであろう。

 ほっと息を吐き、ネビルが構えを解いた。

「すごい、すごい、ネビルく―――?」

 駆け寄ろうとしたサーシャの目前で、ネビルが座り込む。

「ど、どうしたのですか!?」

「こ」

「こ?」

「怖ったよーーー!!」

 そして、盛大にえぐえぐと泣き出す。

「え、えーっと」

「あーもうやだ、こんな怖いこと、もう絶対に嫌だ……!!」

「いや、こんなに強いのに……」

「それでも怖いものは怖いんだよ!!」

「あ、はい」

 サーシャに抱き着き、背中を振るわせて、そのまま泣き続ける。

 蛮族に一方的に打ち勝ったはずの男が、恐怖に震えながら泣くという奇妙な光景にサーシャは呆気に捕え、しばらく身を任せるのだった。

 

 

「えーと、落ち着きましたか」

「うん、ごめんね……、けど、本当に怖かったんだよ?」

「そんだけ強いのにどうして、そんなに怖がりなんですか……」

「えーっと……、おじいちゃんがかつて強い冒険者だったらしくて、それで両親が死んでから強く育てようってことで、毎日鍛錬させられたり、棒一本持たされてゴブリンの巣穴に放り込まれてたりしてたら、もうずっと怖くて……」

「苦労したんですね」

「うん」

 二人が森を歩いていく。

 空高く昇っていた陽も大分傾いており、空はすでに茜色になっていた。

「嫌なことばかりだったけど、いまだけは強くなってよかったと思うよ」

「なんでです?」

「サーシャを助けられたからね」

「もう」

 ふふっとサーシャは笑い。

「ありがとうございます、ネビル君」

 そして、二人は街への道を歩いていった。

 

 

 


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