教えてよ 教えてよ その野菜を。

 野菜を育て始めた美食家と、彼にレンズを向けるカメラマンが駄弁るお話。



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農業喰種

 それは良く晴れた日の事だった。

 真夏の容赦のない日差しを麦わら帽子で遮る青年が一人、鍬を持って畑を耕している。時には水を撒き、乾く畑を潤していく。

 だが、作物のために働く彼は、農作物を作る者にしては一挙手一投足が洗練されており、スラリと長い脚、端正な顔立ちと、一見すれば農家には全く見えない。

 

 しかし彼は、より好い実りのために鍬を振るう。

 

「―――dolce(ドルチェ)!」

「やってるね、没落貴族」

 

 額を伝う汗を、首に巻いた手拭いで拭った青年は、仰々しく空を見上げた。

 その瞬間、カメラのフラッシュが瞬き、青年の姿を収めてみせる。シャッターを切ったのは、こう言ってはなんだがネズミやハムスターのように丸く小さい女性であった。だが、彼女は鍬を振るう青年と同い年。24歳だ。

 

 合法ロリともとられかねない女性の登場に、空を見上げていた青年は、これまた演劇を行ってでもいるかのような挙動で振り返り、女性に目を遣った。

 

「やあ、掘! 僕が丹精込めて育てている野菜を撮りに来たのか」

「うん。汗だくの月山くんよりは絵になりそうだしね」

「Joke! 汗水を流して働く殿方ほど輝くものはないと思わないかい……?」

「でも、泥に汚れてて汚いし」

「ハハハ! 肌に纏う泥も、働く男の勲章さ」

 

 ああ言えばこう言う。

 まさしくその言葉が似合う言動の青年―――月山習を前に、掘と呼ばれた女性は、淡々とシャッターを切って野菜を撮る。

 

 棘がピンと立っているキュウリ。

 日差しを反射するほどの光沢をもつナス。

 撒かれた水を浴び、赤々と照っているトマト……等々。

 畑にある作物は、どれも食欲をそそるかのような出来だ。水でさっと表面の汚れを洗えば、そのまま齧って食すことが可能だろう。

 

 だが、当の作っている本人は、これらの野菜を食べることはできない。

 アレルギーがある訳ではない。生物学的に無理なのだ。

 何故ならば彼は喰種。喰えるものは、水とコーヒー―――それから人肉だけ。

 

 しかし、これから始まるのは、そんな喰種の青年と小さい友人が織りなす物語だ。

 

 

 

 Ⅰ

 

 

 

 月山は、とある家の御曹司だった。だが、ある時を境に家を失い、数多くの犠牲を払い、旧友の助けもあって逃げおおせることができ、東京の郊外にあたる場所でひっそりと暮らしていたのだ。

 

 閑話休題。

 

 掘は、吸い込まれそうなほどに黒い皮をもつナスにレンズを向け、しきりにシャッターを切っている。

 

「このナス、月山くんみたいだね。紫で長いし」

「That's right! いいところに気が付いたね、掘。因みにナスの花言葉は知ってるかい?」

「え? 知らないよ。月山くんみたいなら、ナルシストって意味じゃないかな」

「Non♪ 正解は、『優美』、『よい計らい』、『希望』さ」

「ふーん。それは置いといて、麻婆茄子にでもしたら美味しそうだね」

 

 花言葉についてはさっと流し、食べる気満々の掘。

 そんな彼女へ、月山は『ハハハ!』と高らかに笑いながら、ナスを一つもぎ取る。

 

「見てくれ、この光沢を。この皮には色素アントシアニンやクロロゲン酸などの抗酸化作用をもつポリフェノールがたっぷり含まれている。だが、これだけの彩りを宿すには、それこそ身が焼けるほどの光を浴びなければならなかったんだよ」

「まな板の上で切ると、紫色が滲み出て洗うの大変なんだよね」

「そう! 身を切られても色を残すには、それだけ光を―――表舞台で万来の光を浴びなければならない! 歴史に名を残す者は、やはりそれだけ世間で有名な人というのも分かった気がしたよ……」

「ナス一つでそれだけ妄想できる月山くんって、ある意味凄いよ」

 

 感嘆にも皮肉にも聞こえる言葉に、月山は『ありがとう』と素直に感謝を述べる。

 そのポジティブさもまた、月山の凄まじい部分の一つだと、付け加えておこう。

 

 

 

 Ⅱ

 

 

 

「掘。きゅうりの花言葉は知っているかい?」

「なに?」

「ふっ……いきなり答えを求めるその姿勢、相変わらずだな」

「あんまし興味ない部分はちゃちゃっと答えだけ聞いておきたいから」

「なら答えようじゃないか、リトルマウス。『洒落』さ。そのすらりと伸びる細長い姿や、曲がった姿に由来しているそうだよ」

「昔の人は何を思ってそんな花言葉付けたんだろうね」

 

 棘が立つきゅうりをカメラに収める掘は、きゅうりのどこに洒落の要素があるのか思案したが、数秒で考えることを止めた。

 

 それにしても見事なきゅうりだ。

 表皮にはブルームと呼ばれる白い粉が纏わりついている。これは、乾燥から身を守るためのものだ。

 そんな白い粉が纏わっていても分かるほどの緑色。きゅうりは緑色が濃い程、鮮度がいいとされている。収穫前なのだから、鮮度がいいのは当たり前と言えば当たり前だが、思わず手を伸ばしてみたくなってしまう。

 

「どれ」

「っ!」

「うん……まあまあかな」

 

 一本もぎ取り、表皮の棘を手で擦るようにして払えば、掘はそのままがぶりときゅうりを齧った。

 シャク、とみずみずしい咀嚼音が畑に響きわたる。

 きゅうりと言えば、やはりその軽快な咀嚼音だろう。夏を代表する野菜だけあって、その音だけで心なしか清涼感を得られそうだ。

 だが、味はさほど濃くはない。味噌でもつければまた話は別だっただろうが、素材そのままの味だと、少し味わいが調理したものよりも劣ってしまうだろう。

 

 素直な感想を口に出す掘。

 そんな彼女を目の当たりにした月山はと言うと、肩をワナワナ震わせていた。

 

「ほ、掘……ぼ、僕のだぞッッッ!!!」

「いいじゃん。月山くん、どうせ食べれないんだし。このまま腐らせるくらいなら、私が食べるよ。腐らせちゃう方が食への冒涜じゃない?」

Santo cielo(なんてこった)! まさか君に正論を吐かれるとは、夢にも思っていなかったよ」

「食に対する意識だけなら立派だもんね、月山くん」

 

 かつては“美食家”と呼ばれていた月山。

 あくなき食への探求心は、やがて至高の素材を見つけることになったが、今もまだ、その素材を用いた究極の美食を口にすることは叶っていない。

 

 月山がふと昔のことを回想している間、掘はバリボリと女性らしからぬ咀嚼音を立てて、きゅうりを完食した。『漬け物でもいいかな』、という呟きは、現在自分の世界に入っている月山の耳に届くことはない。

 

 

 

 Ⅲ

 

 

 

「さて……僕の畑を荒らすげっ歯類。そんな君にぴったりの野菜を差し上げようじゃあないか」

「ん? なに?」

「Cornさ。きっと、君にはもったいないほど甘美で大粒な実がなっているハズだよ」

 

 月山が掘に差し出してきたのは、若緑の葉に覆われ、立派に蓄えられたひげを靡かすトウモロコシであった。

 サイズは、ちょうど掘の顔と同じサイズ。

 手に持つと、そのサイズに見合った重量がズシリと手に圧し掛かってくる。

 

「ふーん。生食はアレだし、後で茹でて食べるよ」

「安心するといい、掘。僕が愛情をたっぷり注いで育てたトウモロコシさ。調理しなくたって、きっと一粒一粒の弾けるような食感と、舌の上に優しく広がる甘美な味わいを楽しめるハズだ」

「月山くんの愛情がたっぷりだとお腹に悪そうだし、やっぱり火ぃ通すね」

 

 喰種にも拘わらず、詳細なグルメリポートをする月山。彼の、人間用の食べ物に関する知識は全て本からのものだが、喰種にしては的確なリポートだったと言えよう。

 だが、そんな彼の熱烈なリポートを受けた掘は、尚更火を通して食べることを心に誓うのだった。

 

「ちなみに……」

「どうせ花言葉なんでしょ。早く言ってみて」

「……ふっ。僕の考えを読まれていたとはね」

 

 月山に先だってトウモロコシの花言葉を聞く掘。

 そんな彼女に対し、月山はこれまた仰々しい身振り手振りを加えながら、口を動かす。

 

「まずは『財産』、『富』、『豊富』などが挙げられる」

「今の月山君には疎遠な意味だね」

「他にも、『同意』や『繊細』……そして折れた茎には『けんか』や『仲たがい』といった意味も含まれているのさ」

「うんうん。色んな意味で月山くんとは疎遠な意味の花言葉を持ってるって分かった」

「ありがとう、掘。確かに僕は、友人との過激なじゃれ合いは行うけれども、喧嘩するまでに至ったことはないさ。」

「6区の時、カネキくんにハブられていたとは思えない口振りだね」

「……ふっ。Bitter Memories。あの時噛み締めた苦みが、一層僕のカネキくんへの食欲を掻き立てたものだよ」

 

 昔を懐かしむかのような声色で語る月山に対し、掘の声色は依然として平坦だ。

 

 そう、あの頃は互いに無茶をした時代だった。

 月山は、喰べたい相手の“剣”となって赫子を振るい、掘は、面白い写真を撮るためという理由だけでCCGへのハッキングをしたものだ。

 

「あぁ、思い出に浸っていたら、カネキくんの味と香りを思い出してしまった……bitter&sweet……それでいて鼻を吹き抜ける芳醇なFragrance!! 僕の美食に革命を起こしたあの衝撃を―――」

「うざいからちょっとあっち行ってるね」

 

 話が長くなると悟った掘が、足早に月山の下から去っていく。

 一方月山は完全に自分の世界に入り込んでしまっているのか、掘が居なくなったことにも気が付かず、両手で鼻を覆い、記憶の中の香りを思い出しながら身を捩らせて悶えている。

 傍から見れば変態。だが、そもそも彼は変人だ。つまり何かと言うと、手遅れという意味である。

 

 

 

 Ⅳ

 

 

 

「掘。トウガラシの花言葉は知っているかい?」

「知らない」

「なら、そんな野菜にたかる写真の虫たるリトルインセクトに知恵を授けよう」

「愚者は教えたがるらしいね」

「チェーホフの言葉だね? だが、タロットの0は上下左右いずれかを逆にしても、一目で反転しているかどうかなんてわかりはしないものさ。愚者と賢者は紙一重。違うかい?」

「少なくとも月山くんは前者だね」

「Kidding! 一先ず、その話は置いておくことにしようじゃあないか。トウガラシの花言葉は『旧友』、『雅味』、『嫉妬』さ。僕は……どこかトウガラシにシンパシーを覚えるよ」

「細長いところ?」

「Non」

 

 舌を鳴らしながら指を振る月山。

 だが、掘の視線は目の前でなっているトウガラシに向いている。赤々とした、いかにも辛そうな見た目である。料理に使えば、辛みがアクセントとなって料理全体を引き締めてくれるだろう。

 そんなトウガラシへシンパシーを覚えるという月山は、こう続ける。

 

「掘。君は僕の感じ得ない味を、確かにその舌で味わうことができる。少なからず、僕は人間に対して嫉妬している部分もあるのさ。だが、そんな歯がゆさ―――味わえぬ辛さがあるからこそ、喰種として美食の道を究めることができるんじゃないかと思ってね」

「当てつけも甚だしいところだね」

「僕は、そんな君の当たりが強いところも、月山習にとって良いアクセントを加えているのでは、と最近思うようになってきたよ」

「じゃあ、味わってみれば。ほい」

「ん? ゔっ……―――ゔぇぇっほ!!? お゛っほ!!?!」

 

 不意に月山の口に入る赤い物体。条件反射的に月山が咀嚼すれば、瞬く間に彼の顔は紅潮していき、尚且つ夥しい汗をあふれ出し、この世の者とは思えぬ形相で咳き込み始めた。

 そう、掘が彼に食べさせたのは取り立てのトウガラシだ。中々の辛さらしい。月山はとうとう蹲り、先程まで水を撒いていたホースから水をがぶ飲みする。

 

「美食家が聞いてあきれるね」

 

 辛さに悶えて水を浴びるように飲む月山を、掘はここぞとばかりにレンズを向け、シャッターを切るのだった。

 

 

 

 Ⅴ

 

 

 

「月山くん。随分トマトを丹念に手入れしてるね」

 

 掘は、トウガラシの地獄を切り抜けた月山がトマトの手入れをしているのを目の当たりにし、何の気なしに問いかけた。

 すると、月山は汗で肌に張り付く前髪を横に流し直し、薄い笑みを浮かべた。

 

「ハハッ、そう見えるのかい掘。僕は、この畑に宿る野菜全てに分け隔てなく愛情を注いでるつもりだが」

「この畑、月山くんの愛情で胸やけしてそうだね」

「ああ、そうさ! 考えも愛を与えすぎても、味は粗雑になってしまう……ふっ、美食の道は尊いと思わないかい?」

「うーん。とりあえず、一生懸命野菜を育てようって取り組む姿勢は凄いと思う」

 

 やっとそれらしい褒め言葉を掘から受けた月山だが、彼は普段通りの様子だ。

 彼にとって、美食を追求すること、それ即ち息をすることと同義なのだ。“食”とは“生”である。“食べる”とは“生きる”ことなのだ。美しく生きたいのであれば、それ相応に美しい食事を摂らなければならない。逆に言えば、自然と美しい食事を摂っていれば、その者の人生は潤いと彩りに満ちた、俗にいう七色の人生を歩んでいることになるだろう。

 

 だが、そんな月山が、心なしか丹念に手入れをしているトマトに、掘は気になってしまった。

 何か思い出でもあるのだろうか、というふとした疑問が脳裏を過る。

 

「ねえ、トマトの花言葉は?」

「―――知りたいかい?」

「うん」

「……そうか」

 

 掘の問いかけに、月山の顔は一瞬憂いを帯びた。

 そして、空に高く昇っている太陽を見上げ、彼が紡いだ言葉は、

 

「『感謝』」

「ふーん……」

「この丸々と赤い果実が生るためには、脇芽をかき、枝を整え、下葉をとるといった手間をかけねばならない。加えて立派な大きさになるためには、既に生った青々しい果実を犠牲にする。そして、最後まで安定して収穫できるよう、主枝があるていどの高さになったら、芯を摘むんだ」

「手間暇かかるんだね」

「Exactly。僕も、パパや使用人の皆に面倒を看てもらってここまで育ったが、もう向こう見ずに枝を伸ばすべきじゃあないと察したのさ」

 

 物思いに耽るかのように月山は言う。

 

 瞼を閉じ、思い浮かべるのは亡くなった使用人たちだろうか。

 叶、松前、マイロ、アリザ、ユウマ、他にも脱出に手を貸してくれた月山グループの喰種たち。

 彼らの愛を受け、月山はここまで育った。

 だが、それがどれだけ恵まれ、尊いものであったかは、失ってようやく気付くことができたのだ。

 

 失って分かる大切さ。三流の小説にも用いられるであろう表現を、まさか生きている間に自分が体験するとは思わなんだ―――月山は、もぎ取ったトマトを空に掲げ、しばらく黙祷した。

 

「叶うならば、僕が、彼らが生きている間に伝え切れなかった『感謝』が届くよう願うよ」

「……それじゃあ、そのトマトお供えでもしてくれば?」

「très bien!! それは言い考えだ、掘!! では早速、僕が手塩にかけて育てた野菜たちを捧げに―――」

 

 墓もないのにどこに供えに行くのだろうか?

 

 明後日の方向へ全力ダッシュする月山の背中にレンズを向ける掘は、自然とシャッターを切っていた。

 

「……うん、悪くないかな」

 

 まだまだネタに困ることはなさそうだ。

 掘は、撮った写真を眺めてそう感じるのだった。

 



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