妄想感傷代償連盟   作:渡邉 実一

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今回は、文字数が多いです。


#05:視界ゼロの海に落ちて(後)(1)

「ぎ、い、い゛い、ああぁっ!」

「なに叫んでんだよ。おねーさん達に生意気な態度とってごめんなさい、だろぉ? おい、さっきなにしようとしてたんだっけ、大人に暴力ふるおうとしたんだよなあ、クソジャリがよお、生意気に」

「……」

「なんか、言うことあるだろ? ほら、負け犬みたいにワンワンって、鳴いてみなよ」

 

 ……痛すぎてそれどころじゃない。

 考えろ、道はある。でも、まずは、変数を……変数を、作り出す……。

 

「……わん、わん」

「アハハハッ! こいつ、本当にワンワンって鳴きやがったっ」

 

 快哉して、この景山という女は、由香里の方を向いた……と思う。

 

「あんたも大変だね、こんなやつ友達にもってさ」

 

 由香里は、黙っている。

 

「あ、もしかして彼氏とかだった? こんな弱い奴やめといた方がいいよ?」

 

 由香里は、黙っている。

 

「なによ、その顔。いやいや、冗談よ。そんな恐い顔しないでったら~!」

 

 由香里は、黙っている。

 由香里は――たぶん、心のなかで笑っているんだろう。

 この女の愚かさを。

 

「景山さん、でしたっけ? 足元、ご覧になってください」

「……え?」

 

 ――唇の裏側にあるもの、すべて。前歯から奥歯まで、しっかとこの女の足首に噛み付いている。

 

「ぎあああああああああああああーーーっ!! てめえっ、なにしやがったっ!」

 

 概念力《ノーション》を使って、俺が噛み付いた部位の感覚を失くしてやった。

 女は、絶叫とともに振りほどこうとする。死んだって離してやるもんか。

 

「このガキッ!」

 

 が、ついに渾身の蹴りが首元に命中し、引き剥がされてしまった。

 

「……!」

 

 サッと身を起こして後退した。

 景山の方を見やる。

 

「……チッ!」

 

 舌打ちをしたのは、景山じゃない。由香里だ。

 こっちの方に歩いてきた。俺を追い越してしまう。

 ――そして、対峙。開口一番、

 

「この度は、真に申し訳ございませんでした」

 

 が、お辞儀はしない。

 

「……おそれいりますが、お引き取りください。傷が浅いうちにお退きになることをお勧めいたします」

 

 顔が笑っていない。

 

「許すわけねーだろ、ボケッ。こうなったら、本気でやってやるよっ」

「……寒い!?」

 

 身震いをしてしまう。なんだ? 何が起きている?

 

「……霧?」

 

 凍てついた、凍てついた霧が――拡がっているッ! あっという間に、この周辺を包み込んでいった。

 まだ、なんとか視界は生きている。

 

「なんだよ、これ……」

 

 景山が、右手を振り上げるのが見えた。

 ――たちまちのうちに集まっていく冷気。やがて、それらが塊となって、

 

「大気の氷精《ブルーブレイカー》ッ! どうよっ」

 

 この女の右腕、その延長線上に氷柱のような剣が生えた。

 

「くらいなっ」

 

 その剣を振り上げ、向かって来る。

 さて、どうする?

 

「待ってください!」

 

 由香里の声がする。

 躊躇はない。氷の剣の矛先は、前方にいる由香里へと――

 

「由香里ッ!」

 

 ――すんでのところで回避する。俺が声を出す前に、真後ろに跳んでいた。

 

「ちょっと、そこの雑魚。さっきからうるさいよ。あんたも斬ってやろうか?」

 

 ……どこだ? 霧のせいで、視界が怪しい。

 なんとか、由香里は見える。

 

「……ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 

 再び、謝罪に出る。

 今度は、しっかりと頭を下げている。

 

「本当に、すいませんでしたッ! 今後は、このようなことがないよう注意を徹底してまいります。どうか、どうかこの度の件についてご配慮くださいますよう、お願いいたします」

 

 景山は、不敵な笑みを浮かべている。

 

「……そこの美人さん、ちょっといい? ウチね、難しい言い方わかんないの。もっと簡単に言ってみ?」

「……彼を諦めてください」

「だめえぇ~~ッ! こいつは、これからウチが家に持って帰ってぇ~、ボコボコにして遊ぶんですぅ~!」

「どうしたらいいですか?」

「あんたも使用者《エッセ》なら、わかってるよね?」

 

 睨みあう両者、視線をカッチリと合わせている。

 

「おい! 煙草の火が消えちまっただろう」

 

 ここで、割り込んできたのは、さっきの川上という男だった。

 

「お前たち、さっきも言ったとおりだ。こちらの意図は伝わってるよな? 戦いがしたいんだよ、戦いが。俺たちはプロだ。この道をギブアップしたお前さん達とは違う。少しでも多くの経験が欲しいんだよ、経験が! さて、そこの女。お前さんがどうしても戦いたくないんなら、こいつを解放してやってもいい。ただし、その場合は、お前さんに来てもらう」

「……」

「ああ、もちろん俺たちに勝てば話は別だ」

 

 男は、にやついている。

 由香里は、何も言わないでいる。

 

「……あー、わかったよ、わかった。ハンデ無し、というのは酷だろうからな。この女、景山秋実《かげやまあきみ》に一撃当てられたなら勝ちでいい」

「……決まりですね」

「おいッ! 由香里」

 

 由香里が振り向いて、どこか悟ったようなスマイルを俺に向けた。

 そして、まっすぐ、景山の方へと。

 右手の人差し指が天を向いている。心なしか、左右に揺れている。

 

「……ちょっと、あんた。言っとくけど、女だからって手加減とかしないよ? 歯とか折られてもいいんなら、好きにおいで」

「そうですか? じゃあ、遠慮なく」

 

 景山へと近づいていく。

 

「阿呆な子……え!?」

 

 この戦いの部外者となってしまった俺にもわかる――景山は、動けないんだ。

 由香里は、どんどん近づいていく。右手の指の振れは、さらに大きく。

 

「お前、なにしやがった」

 

 やがて由香里は、すぐ目の前へと至る。

 

「どうかしました? 年上さん」

「……」

「あたしの勝ちですね」

 

 景山に触れようとする。

 

「引っかかったな、このアホがあああああぁーーーーーッ!!」

 

 速いッ!

 ――回し蹴り。景山は、その右足を靴から抜きながら、回し蹴りを放っていた。

 と、俺が認識したその時、すでに由香里はいなかった。

 読んでいたのだろう。身を屈めていた。残った敵人の片足を、両手で掴んだなら――押し倒したッ!

 見事、尻もちをつかせることに成功する。

 

「ぐっ……ああ、もう、ウチの負けかよ」

 

 霧が解除された。

 悔しがる景山をよそに、由香里がこちらを振り向くのだった――満面の、笑みとともに。

 

「はっはっはっ! よくやったな……認めるよ。負けを認める」

 

 川上だった。

 ワザとらしい拍手をしながら、こちらに近付いてくる。

 由香里が、俺の方へと走り寄った……手と手が触れる。

 

「いったい、どうやったんだ? オレに教えてくれよ」

「企業秘密です」

「そうか、残念だよ」

 

 由香里の手の温もりが伝わってくる。

 

「改めて。オレは、川上清大《かわかみせいた》という。どうだい、記念に握手をしてくれないか」

 

 すぐ傍にまで歩いてくる。差し出された、左手。

 由香里も、恐る恐る、左手を出そうとする――止まった。

 ……いったん止まったものの、またゆっくりと、その手を川上に近付けていく。

 握手、成功――ああ、わかった、そういうことか。

 由香里は、眉をひそめながら、

 

「どこまでも汚いんですね」

「……なんだと?」

 

 川上が舌打ちをする。握手をしたまま。

 

「あなたのそれって、系統的に、魔導《ドライヴ》……ですよね? それ、使ってる時って、大気中を舞っている原子とか、分子とか、あと、電子や陽子の状態とか、どこまでイメージしてます? 例えば、真空状態《・・・・》とか……あれ、もしかしてあたしの声、聞こえてないですか?」

「……!」

 

 途端に息苦しい様子になる、川上。

 別に、由香里が騙し討ちにしたわけじゃない。今しがた、確かに見えたから――由香里への殺意が。

 でも、このままじゃまずい。『由香里、逃げろ!』と叫ぼうとした。叫べない。かくいう俺も、息が苦しい。

 

「ぐ、……え……ゲ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 川上は、握手をしていた手を切り離すとともに、足を振り上げる――ゴッ、という乾いた音。放たれた上段への前蹴りが、由香里の額にぶち当たっていた。

 見ていることしかできないわけじゃない。傾いた由香里の体を抱き止める。

 

「ゆ……かり……」

 

 意識が危うくなってくる。どうしたって酸素が薄い。そんな中でも、俺の眼は、憎悪とともにこいつを睨んでいる。

 

「て、めえっ、ぶっ、殺してやるっ」

「ぬんッ!」

 

 ――風圧。

 濁った風だった。身体が、身体が押さえつけられているッ! 動けない……。

 由香里を抱きかかえたまま、膝をつかされてしまう。

 ――由香里を見た。

 鼻血が出ている。悔しそうな面持ちだった、肩で息をしている。術者にしたって、苦しい空間に違いない。

 川上を見ると、喉元を押さえていた。苦悶に満ちた顔つきで。

 

「渉。ごめ……んね」

「なんで、お前が謝るんだよ。俺が、俺が――あぐぅッ!」

 

 血が流れ出る。

 真上方向からの風の刃。肩と膝頭を切られてしまう。

 

「……ほんっと、馬鹿ねぇ」

 

 景山の声が聞こえてくる。いつの間にか後ろの方に移動している。

 声の調子は良さそうだ。それなりに離れているのだろう。

 

「どうして握手なんかしようとしたの? 山野辺で、聚落《じゅらく》で、あんた達は、いったい何を学んできたの? まあ、こうなったら、もう詰みね。川上が操る大気の刃で、そのまま切り裂かれてな……て、おーい、川上! もう、ほかの生徒がこっちに気づいてる。軽く20人はいそう」

 

 感覚を研ぎ澄ました。

 

「……」

 

 西門側には、掃除を終えた生徒らがいる。こちらの様子に気が付いている。

 一方で、東門側にはほとんどいない。大丈夫だ。でも、そのうち寄り付いてくるだろう。

 

「がぁッ!」

 

 風の刃が、肉体を切る。

 背中、首元、胸、上腕、ふくらはぎ。

 ロクに動けない状況で、ありとあらゆる箇所が切られていく。

 

「……ぐっ!」

 

 すんでのところで、頭を直撃していたであろう一撃を回避する。

 身体中に血が滲んでいく。

 

「……」

 

 由香里の顔を眺める。目が合った。

 目が合っただけなのに、その一瞬で、自分が何をすべきかわかった。

 ――俺は、恐怖に打ち勝って、顔を上げる。

 

「ぐ、う、おおっ……!」

 

 敵は、苦しんでいる。

 そうだ、どっちにしたって苦しいんだ。俺達だけじゃない。あとは……!

 

 わかった。ようやく。

 濁った風なら、なんとか見える。けど、こいつが出している風の刃は見えない。

 しかしながら、今まさに、これとはまた別の印章《シンボル》が漂ってきている。すなわち、誰かが発動させたであろう、これとは異なる概念力《ノーション》が、今この場に現出しているということ。

 篤? いや、砂羽か? とにかく、誰かがこちらを援護しようとしている。

 

「おい、由香里。おいったら!」

「は、はぁ、あ……!」

 

 呼吸が荒い。首元には風による切り傷が。流血している……庇ったつもりだったのに。クソッ!

 拳を握り締めて、正面を見据える。

 誰が概念力《ノーション》を発動させようとしてるんだろうか。わからない。懐かしいような、でも、この感じは明らかに違う。感じたことのない質料《ヒュレー》だ。

 ……このまま、何も動きがないんなら。やるしかない。

 

「決めた。アレをやる」

 

 ――パアンッ!

 

 その音とともに、風が消えた。

 視界が開ける。

 

「なんだ? 何が起こった? ……ウッ!」

 

 目の前には、人間の形をした物体が――石畳に突き刺さっているような、へばりついているような。そう、まるで、犬や猫がアスファルトにこびりついているような。そんな物体があるだけだった。

 

「……誰だ?」

 

 いったい誰だ? この概念力《ノーション》を放ったのは。

 

「ああああああああ、川上、川上ぃッ!!」

 

 絶叫が響いた。

 切り裂かれるような、大事なものを失ってしまったような、心の叫びが伝わってくる。

 

「……生きてる?」

 

 目の前の物体が、折れた腕を必死に伸ばそうとしていた。

 

「渉! 渉ッ!」

 

 走り寄ってくる、何者かの姿があった。

 これは、そう――

 

「砂羽ッ!」

「……渉。話はあと。逃げよう」

「今の、砂羽がやったのか」

「半分正解。半分はずれ」

 

 砂羽はそのまま、座り込んでいる俺と、そして、由香里の手を取った。

 サッと身を翻して、3人で東門側にある駐輪場にまで進もうとする。

 すると、

 

「渉! 大丈夫だったか」

「……集!」

 

 集が駆けつけていた。

 スリッパのまま、こちらに走り寄ってくる。

 

「集。さっき、校舎の中に入っていったんじゃ」

「これだけの印章《シンボル》が渦巻いてるってのに、用務どころじゃない。会議は中止にした」

「さっきの重力系統《グラビタス》のやつ、この人が、わたしに質料《ヒュレー》を分けてくれたの。だから、あんなに早い時間で強力なやつが打てた……さ、ふたりとも、今のうちに」

「今のうちにって?」

「だから。逃げるの」

 

 そう言って、砂羽は急かすのだった。

 

「……渉、横尾さん。もう遅い。時間切れだ」

 

 諦念を漂わせつつ、集はそう言うのだった。

 

「どういうこと……あっ」

 

 今さっき、集が出てきたばかりの正面玄関。

 そこに、喬木の姿があった。

 茶色い革靴を履いている。ゆっくりと歩いてくる。

 

「……お前達。どうしてこうなった?」

 

 部下ふたりの前に聳え立つようにして、低い声で唸りを上げる。

 景山は、必死の形相で、

 

「そ、そ、それは……あの子たちが、その……山野辺という聚落《じゅらく》出身の使用者《エッセ》なんですが、その界隈でも特に強い家柄の子どもたちで……」

「強かったから、負けたと?」

「……いいえっ、ウチが弱かったからですっ!」

「そうか。お前さんが弱かったから負けたんじゃの」

「はい……」

 

 うつむく景山。

 

「川上よ、お前はどうなんじゃ?」

 

 川上に視線をやった。

 息も絶え絶えだったが、なんとか痛みを堪えながら、

 

「そ、れは……不意打ちです!」

 

 辛うじて動く指先が、砂羽と集に向けられた。

 そんな姿を見下ろしつつ、喬木は、

 

「……二言はないのう?」

「は、はい! し、神聖な勝負を、そいつらが汚したからですっ、不意打ちで!」

 

 喬木は、おもむろに右手を顎髭にあてる。

 

「なら聞くが、どうして景山が双手刈りを受けて転んだ時、醜聞を捨てて助けてやらなんだ? あの時点で、敵の巧さは悟っておったろう? なあなあで収めればそれで済んだろうに」

 

 見るまでもない。川上の顔が凍りついている。

 

「それはそれとして、あちらの女子との戦いについてじゃ。お前さんは、不意打ちの風刃であの子らを切ろうとしておったのう。問題は、周囲の真空化によってそれが使い物にならなくなったあの時じゃ。あの子の顔を、その靴底で蹴り飛ばして優勢に立ったのお……川上よ。なぜ、さっさとトドメを刺さんかった? 真空化の効力は半減しておった、ある程度は風の刃も通る。ならば、全力をもってあの女子の心臓に風のナイフを突き立てておれば、お前の勝ちで終わったものを。どうして、嬲り殺しにする方を選んだんじゃ?」

 

 川上の震えが止まらない。

 

「お前、わしに嘘をついたな。不意打ちなどではない、お前が油断したからこのような結果になった……さてと」

 

 喬木は、倒れ伏している川上のすぐ傍に寄った。

 

「待ってください、喬木様。お願いします、ウチの唯一の同郷なんです、おねが――も、申し訳ありませんでしたっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

「ほう、景山よ。これが目に入らんか?」

 

 喬木がかざした手には、長さにして30センチはあろうかというニッパーが握られていた。

 刃先には、無数の血がついている。

 

「ひいぃッ!」

 

 景山が腰を抜かした。

 川上は、土下座に近い状態で頭を下げるばかり。

 

「……」

 

 喬木の足が振り上がった、と思った刹那――その靴底が、川上の首を捉えた。

 

 べキイィッ!

 

 周りのざわめきが最高潮に達する。もう、すでに50人以上が集まっている。

 ……当の本人は、殺したばかりの男の亡骸を見て、さめざめとした面持ちを保っていた。

 

「さて。侍衛《プレシディオ》がひとりいなくなった以上は、また転職エージェントに当たる必要があるのう。リクルートキャリアチェンジにするか、ジョブリーチにするか……おお、大事なことを忘れておった……景山、もうひとり欲しいか?」

 

 景山は、震えた顔で亡骸を見ていた。

 何も答えない。

 

「どうした、いらんのか」

 

 無言で、うんうんとうなずく。涙が滴っている。

 喬木は、俺達の方を向いた。

 

「三良坂くんよ! 今日の会合は、もうナシなんじゃろ。また案内の手紙を出してくれ」

「わかりました。早い日にちをセッティングしますね」

 

 よく聞き取れなかった。周囲の騒音があったから。

 「人殺し」「またあいつら」「追い出せばいいのに」……

 様々な声が聞こえてくる。

 

「おお、忘れるところじゃった。そこのふたり」

 

 これで終わりじゃなかった。喬木が、俺たちの方に向かって来る。

 あれよあれよという間に、すぐ傍にまで来てしまう。

 ……正直、凄まじい迫力だった。緊張の一瞬。

 

「ようがんばっとったの。一般人《エンス》しかおらん環境に来てみて、どうじゃ?」

「あの、まあ、元気で……」

「あの……」

 

 由香里だった。

 ティッシュで鼻を押さえながら、会話に入ろうとする。

 

「おかげさまで平和に過ごしています。その切は、どうもお世話になりました」

 

「もうええ、ゆっくり休みなさい。3年か。早いものじゃな。少年よ、友達ができなんで苦しいことはないか?」

「大丈夫……です。おかげさまで、その……友人に恵まれてます」

「それはよかった……うん、なら、もうええ。じゃあの」

 

 一瞬だけ。

 ただ、その一瞬だけで、その場から喬木一行、という空間要素のひとつが消えた。

 見ていた者たちは、何事もなかったように校舎へと吸い込まれていく。やがて、こちらを見ている者はいなくなった。

 俺達は、4人で固まっていた。由香里が肩に寄りかかっている。鼻血が止まっていない、ティッシュで拭いてやる。

 

「!」

 

 ふいに、また別の印章《シンボル》を感じる――!

 

「みんな、伏せろ!」

 

 叫んだとともに、由香里を押し倒していた。

 ナニカ。燃えたぎるナニカが差し迫っている――わかるのは、それだけだった。もう少し、もう少し時間があれば―― 

 

 ガ……キイイイイイィィンッ!!

 

 金属がレンガに跳ね返ったような音とともに、灼熱に燃え上がる槍が、玄関前に落ちた。

 バウンドを経て、石畳の上に横倒しになった槍には、橙色の火がしっかと燃え盛っている。

 

「おーい、大丈夫か!」

「篤!」

 

 真上を見上げる。

 校舎屋上、落下防止用のフェンスを乗り越えたところ――

 篤だった。離れていてもわかる。その瞳を、獲物を捕らえるために研ぎ澄ましている。

 

「すぐに行くからな!」

 

 そう叫ぶやいなや、屋上から飛び降りる――

 俺は、いまだに燃え上がっている槍を見た。概念力《ノーション》を解いたことで、あっという間に消えていく炎。

 槍の正体は、長さにして1メートルほどの鉄杭だった。篤が得意とする核熱系統《ニュークリウム》の魔導《ドライヴ》だ。

 また上の方を見る。人間が落ちるにはあまりに遅いスピードで、篤がゆらゆらと落ちてくる。地面まで数メートルまできたところで、終止《アミティ》――概念力《ノーション》を解いて、さっと着地を決める。

 

「ずっと、見てたんだ。あのふたりと戦ってるところから」

「さすが、元班長はレベルが違う」

「もちあげるな。それより、由香里の様子は」

 

 由香里は、俺の肩から離れて歩き出す。

 ぎこちない足取りだが、大丈夫そうだ。

 

「篤、ありがとう。来てくれたんだ。大丈夫よ、もう少し休んだら質料《ヒュレー》も戻るから」

「ならいいんだが。でも、もう私闘はやめた方がいい。使用者《エッセ》にとって、新たな概念力《ノーション》を知るのは大事なことだけど……もう僕たちは、違うんだから」

 

 言い終わると、篤は、集の方を向いた。砂羽も。俺も。

 由香里は、向いていない。

 

「なあ、集。教えてくれよ。さっきの人って」

「なんだ、知らなかったのか? 喬木直利《たかぎなおとし》。ハッピーマウンテン市議会議員7期目。広島県水平委員会委員長。今のところ、破竹の勢いだ。文教族で、若い頃から被差別集落問題について取り組んでいる」

「そういうことじゃなくて……」

「いろいろとガチな人だ。子どもの時から差別を受けていることもあって、一般人《エンス》に対する憎しみは相当なもんだ。水平委員会の言うことを聞かない企業や学校への襲撃も行っている」

「いや、それよりも」

「わかってる。あの人の概念力《ノーション》についてだが……見てのとおり、精神魔法《スピリチア》を得手とする。人間の心は、大抵あの人の思いどおりだ」

「……俺、もう疲れたよ」

「よし、じゃ、よく頑張った渉くんにご褒美だ」

 

 集は、カバンから封筒を取り出す。

 

「なんだ、これ」

「今日、ここに来たついでに渡そうと思ってな。渉と由香里さん宛てで」

「……すいませんけど、名前で呼ばないでもらえます? 助けていただいたことには感謝してますけど」

「すまない、汐町さん。今度からそう呼ぶよ、うん」

 

 解散となった。

 俺は、由香里の手を引きながら教室に戻っていく。砂羽も、由香里の手を引いていた。そんな砂羽の手を篤が握っている。

 ああ、もう、なんだよこれ。

 

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