妄想感傷代償連盟   作:渡邉 実一

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#06:「あなたの名前はなんですか?」(2)

 坂道を、ひたすらに駆け降りる。

 山沿いになっている道。下界が見えてくるにつれ、舗装状況が良くなっているのが手に取るようにわかる。

 さらに百メートルほど走ると、道沿いに砂防ダムが連なっている。あと1キロほど行けば、なだらかな丘の下に国府第三中学校が見えてくる。

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

 ここで立ち止まる。

 全力疾走だったから、額に汗が染み出ている。

 両膝を触りながら、地面を見つめていた。

 

「はー、はー、はー……」

 

 息が治まりつつあるのを認めて、顔を上げる。

 

「ワァッ!」

「うわああああああああッ!!」

 

 尻もちをついてしまう。

 

「なに? そんなに驚いた? 昔からやってるでしょ、このおどかし方」

 

 由香里だった。といっても、目の前にはいない。

 ――斜め上を見上げると、いた。宙に浮きながら、ゆっくりと落ちてくる。

 スカートを片手で抑えながら、もう片方の手の人差し指を振っている。

 由香里の癖のひとつだ。概念力《ノーション》を使う時は、いつもああやって、ハクセキレイの尻尾みたいに指を振っている。

 

「びっくりした。器用だな」

「大気を遊ばせてるだけ」

「うらやましいよ。俺には、そういうタイプの才能がないから」

「別に。鍛えればできるんじゃない」

「無茶言うなよ。ところで、由香里はアレ行くのか。集から手紙もらったろ。文化会館のやつ」

「ああ、そういうことね」

「そういうことって……どういうことだ?」

 

 由香里は、得意げに笑ってみせる。

 

「反対されたんでしょ」

 

 くそ。図星だよ。

 

「やっぱり」

「由香里は行けそうか? 動員、てやつ」

「あたしもママに反対された。でも、説得したよ」

「やるな。俺なんかさっぱりだった」

「渉、行かないの?」

 

 バツが悪い、みたいな顔をしてたと思う。

 でも、そうこうしているうち、由香里の目を見据えた。

 

「行くに決まってんだろ」

「つまんないの。どうせ決まってたんでしょ、答え」

 

 足先で俺を小突いた。

 

「嘘、つけないな。俺」

 

 俺達は笑いあった。それしかやりたくないから。

 

「由香里のお母さんはいいよな、明るくって、分別があるというか」

「そう? いつも家にいないイメージしかないけど。放っておかれてるだけじゃない?」

「そういうもんか?」

「そういうもんよ」

 

 久しぶりに、ふたりで通学路を歩いた。朝の時間、最後にこうして一緒に登校したのはいつだろう。もう覚えていない。

 ……本当に、それくらい久しぶりだった。久しぶりすぎて、周りからの視線が気になってしまうほどに。

 

 *  *  *

 

 5月5日。こどもの日、というらしい。

 俺と由香里は、ハッピーマウンテン市文化会館に来ていた。

 

「……でかい」

 

 目の前には、見上げるほどの大きさの建物がある。高さにして、50メートル以上はあるだろう。

 

「でかすぎだろ、これ。市街地の方は違うな」

「あんな山奥と比べてもしょうがないでしょ」

 

 由香里が一歩、前に踏み出す。腕時計を見ている。

 

「集合時間ぎりぎり。早く中に入ろうよ」

 

 暖色系を組み合わせた煉瓦タイルの上を歩いていく。

 点字ブロックをなんとなく避けつつ、正面入口へと。

 

 ウイイイイイイ……自動ドアが開いた音だ。

 

「……!」

「ちょっと、田舎者だってばれるでしょ」

「もうばれてるぞ」

「……集!」

 

 館内を見渡すと、左斜めの方向に利用者受付があった。5,6人ほどがいて談笑している。

 その辺りから、集が歩いてくる。

 

「ふたりとも、おはよう。動員協力ありがとな」

「集、あそこにいる人たちは?」

「渉! 挨拶くらいしなさい……」

「ゆか……いや、汐町さん。おはようさん」

「……おはようございます」

 

 斜め下へと、視線を逸らす由香里。

 

「はは、冷たいな。あー、それで。あそこの受付にいる人たちはな、うちの職員だ。俺とは違う課で、社会教育課だ。今回のメインスタッフになる。で、渉と汐町さんが学生スタッフで、手紙のとおり風船釣りをやってもらう。ちなみに俺は教育総務課な。動員要請に応えてる」

「へえ……」

 

 1階フロアを見渡す。

 すぐ目の前には、階段とエレベーター。右手を向くと、ガラスケースがある。野球やサッカーなどの記念品が並んでいる。

 左側には、ひたすらに廊下が広がっている。色々な部屋があるようだ。最奥にはトイレが。

 利用者受付の奥に、いくつもの机が置いてある。事務室だろうか?

 

「珍しいか」

「俺、山の方に住んでるから。こんな建物はぜんぜん」

「渉。ここからだいぶ離れてるけど、ハッピーマウンテンの中心市街地には11階建てのお店もあるのよ」

「11階!?」

「はは、よし。そろそろ準備に入ろうか。こっちな」

 

 俺達は、外に出た。

 すぐ脇に立ててある看板には、「親善フットサルフェスタ」という文字が入っている。さらに、「来賓 市議会議員 喬木 直利 様」とある。

 自動ドアを出てすぐ、正面の奥に自動販売機が見えた。その脇には、しぼんだ丸型の家庭用プールと空気入れ《エアーポンプ》、ホース。それと長机、椅子が2つ、白い手提げカゴが置いてある。「風船釣り 1回200円」と書かれたプラ製の縦看板もある。

 近付いていくと、カゴの中が見えた。空気を入れる前の風船と、注射器みたいな形のなにか、輪ゴム、風船を釣るための針金と糸、プラスチックの極小パーツ、これまたよくわからない形状のプラ製の道具、バインダーに挟まった売上表、手提げ金庫、筆記用具……などなど。

 

「由香里、これ」

「あたしもわかんないわよ。なにしていいのか」

「ふたりとも。まずは、プールを膨らませよう。そのあと、このホースがあっちにある蛇口と繋がってるから、プールを水で満たそうな。で、プール作りが落ち着いたら、次は風船を作る。かなりしんどい作業だ。9時までにやってもらう」

「よおし!」

 

 プールの空気栓にエアーポンプを繋ぐ。足で踏むタイプだった。踏むと、スコスコと音を立ててプールが膨らんでいく。

 

「うん、そんな感じだ。ある程度膨らんだら水を入れていい。さて……」

 

 由香里を見ると、白い手提げカゴから風船を取り出している。

 説明書らしきものを一瞥し、

 

「三良坂さん、教えてよ。これ、説明書があるけど、あたしだけじゃできそうにない。三良坂さん、できるんでしょ」

「お、いいね。積極性マル」

 

 集は、そのカゴから風船をひとつ取り出した。

 

「ああ、そうか、だめなんだ。水がない。おい渉、空気入れるのやめて、向こうにある蛇口をひねってくれ。自動ドアの右手に散水栓があるから。プールの空気は入れとく」

 

 サンスイセン? なんか、以前も聞いたような。とりあえず蛇口があるのだろう、と思う。

 

「はいよ」

 

 自動ドアの方に走っていく。視線は、その右手側へと。

 ええっと、サンスイセン、サンスイセン……。

 

「……ない!」

「あるって。ほら、今踏んでる!」

「踏んでる?」

 

 真下を見る。

 すっかりと銅色に錆びた蓋。よく見ると、「散水栓」と書いてある。

 蓋をはぐる。中に蛇口がある。ひねった。

 

「そうだ、いいぞ」

 

 集が握っているホースの先から水が出ている。足元にあるエアーポンプを踏みながら、プールを満たしている。

 俺は、また走って戻る。

 

「なんだよ、散水栓って。街中にはこんなのがあるのか」

 

 水が入りつつあるプール。俺と由香里は、楽しげに見下ろすばかりだった。

 家庭用プールなんてものを見るのは、今日が初めてだったから。

 

 シュコ、シュコ、シュコ、シュコ……

 

 エアーポンプの音が響いている。

 ふと、集が踏んでいる足を休めた。屈んだなら、カラの水風船をプールに投げ入れる。

 

「よし、と」

 

 ホースを、プールに突っ込んだ。

 その手には、さっきの注射器みたいなやつを握っている。

 

「いいか、まずはこんな感じだ」

 

 注射器に水を入れて、今しがたプールに漬けた水風船を手に取る。

 注射器の先を、水風船へと。

 

 キュ、キュ、キュ……

 

 ピストンが鳴る音とともに、水風船が水風船になって(?)いく。

 十分に水を入れたなら、長机の方に歩いていく。

 

「まずは、この水風船の口に輪ゴムを二重にはめる。緩めでいい……さて、次が難関だ。このすんごく小さい、口が開いたプラパーツがあるだろう。これをこの、お手軽パッチン、いや、俺が勝手に名付けたんだが……このセロハンテープの台みたいな器具にだな、こう、置くんだよ。それで……」

 

 説明しながら集は、お手軽パッチン? の上部にプラパーツを置いた。次いで、水風船に巻いた輪ゴムをプラパーツの口に噛ませつつ、ゆっくりと力を入れて、真下へと――

 

 パチンッ!

 

「おおっ!」

「こうやって作るのね」

 

 見事、水風船の口に極小のプラパーツが嵌まり込んだ。プールに投げ込んだところ、一滴の水も漏らさない。

 

「これを……9時までに50個作るんだ。あと45分で」

「50個!?」

「それで、料金は1回200円。釣れなくても残念賞で1個渡す。営業中に風船が足りなくなったら、追加で生産を行ってくれ。営業時間は、午後3時まで。目標売上は……1万円」

「1万円!?」

「そうだ。ちなみに、去年の売上は9,300円。俺がひとりで担当した……どうだ、できるか」

「……」

「やります」

 

 尻込みする俺をよそに、由香里がスマイルで応える。

 

「由香里、できるのか。1万円だぞ」

「ここで臆しちゃだめよ。成せばなる!」

「汐町さん、男前だね」

 

 ……わかる。由香里には計算がある。

 俺なんか比べ物にならないほどの頭の回転でもって、「1万円でも大丈夫」という結論を導いたに違いないし、また実際にそうだった。

 

 *  *  *

 

「ぜんぜん作れないぞ……」

「厳しいわね。あと15分で始まるのに、まだ25個しかできてない……あんた、何個作った?」

「5個」

「……」

 

 由香里は、きっと呆れてるんだろう。

 俺は、水を入れたばかりの風船を、お手軽パッチンに置いたプラパーツに挟んだ。真下へと、力を込める。

 風船の口を縛っている輪ゴムへと、挟まっていくプラパーツ。

 

 ……パキッ!

 

「渉、どう?」

「だめだ。とうとうプラパーツが折れてしまった」

 

 風船の口がなかなか挟み込めない。たまには成功するのだが。

 

「なんでだろうな。由香里、やってみせてくれ」

「はいはい」

 

 軽くかぶりを振ってから位置につく。

 真後ろにいることで、髪の香りが漂ってきた。思わず、身じろぎをする。

 

「いい? 口に輪ゴムを巻いたら、このプラスチックのやつに挟むんだけど」

 

 風船と向き合う。真剣な目つき。

 

「この時、輪ゴムに噛ませるのは、ほんのちょっと。ガッツリ噛ませると、さっきみたいになっちゃう。1回失敗すると、使い物にならなくなるみたいよ、このプラパーツ」

 

 由香里は、屈み込んだ。手元に視線をやる。

 

「さて、それでは――」

 

 力を入れる。輪ゴムを噛みつつあるプラパーツ。

 お手軽パッチンが、プラパーツを水風船へと嵌め込んでいく――

 

 パキンッ!

 

「……できたかしら?」

 

 水風船をプールに漬けてみる。

 ……ブクブク。風船の口から気泡が。

 

「ああ、だめね。これ、いつかはしぼんじゃう。ごめんね。参考にならなくて」

「十分だ。よーし、やるぞっ」

 

 *  *  *

 

 時刻は、午前8時55分。

 

「できた!」

 

 最後に巻き返して、なんとかなった。

 ちょうど、集が玄関から出てくる。

 

「お、できたか」

 

 プールの水面に浮かんだ、色とりどりの水風船。

 赤と白、黒と青、橙と緑など、原色による組み合わせが多い。

 

『……あっ!』

 

 そうだ、公務員になりたいこと、相談したいんだった。

 

「よしよし、ふたりともよくやった。これやるよ」

 

 ビニール袋が差し出された。缶入りのジュースがたくさん入っている。

 

「これ、どこで買ったんだ」

「この館内だ。うどんとかフランクフルト、ジュースの販売をするんだ。先に買ってきたってわけ」

「サンキュー! やっぱ炭酸だよな!」

 

 炭酸飲料に目がない。ロクに小遣いもないのに、新しい商品を見るとついつい買ってしまう程度には。

 コーラを手に取った。

 

「そーだよな、渉。男だったら炭酸一択だよな! ええと、汐町さんはスポーツドリンクでいい?」

「いらないです」

「なんで? タダなのに」

「三良坂さん、公務員なんでしょ。これも一応、贈収賄に……」

「由香里は、こっちの方が好きだよな」

 

 俺は、ビニール袋からスポーツドリンクを取り出した。

 

「……渉がそういうなら」

 

 由香里が缶を開ける。

 プシュウ、という開缶音。グイッと、勢いよく飲み始めた。

 ……横目で、ちらちらと由香里を見ていた。水分を流し込んでいる喉の様子がわかる。喉仏が膨らんで、しぼんで。膨らんで、しぼんで。

 ただ、なんとなく。本当になんとなくだった。見ていたくて。ずっと。

 

「いよっ、男前! 女なのに」

 

 集だった。

 

「ぶふぅっ!」

 

 由香里が、煉瓦タイルの上に液体を吹き出してしまう。

 

「おい! だ、だいじょう――ごほおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 刹那だった。右ストレートが集の胸部に直撃していた。

 その一撃は、圧縮された空気をそのまま体現するかのように、大人の肉体を撥ね飛ばした。

 

「集、大丈夫か!?」

 

 すぐさま立ち上がるも、腰を押さえている。

 

「あ~、痛って」

 

 集がこっちに戻ってくる。仁王立ちの由香里。

 ――対峙。

 

「汐町さん、冗談きついって。俺も悪かったけどさ」

「あなたも使用者《エッセ》なんですから、このぐらい大丈夫でしょう!? もう話しかけないでください」

 

 由香里は、フイとこちらを振り向く。憮然とした様子で。

 

「由香里。そこのベンチで休もう」

 

 俺の手を取った由香里、ベンチへと歩いていく。

 途中で振り向いて、口の動きで集に「すまない」を伝えた。

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