妄想感傷代償連盟   作:渡邉 実一

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#08:冷たい氷みたいに(上)(1)

 午前7時50分。

 国府第三中学校を見下ろせる丘にいる。

 右手の方向には、山の斜面に真っ逆さまに突き刺さった文化会館が見える。

 

「はあ……」

 

 暗い面持ちのまま、丘を降りる。

 道路に出ると、左に曲がって、また歩き出す。

 ――蒸し暑い。そろそろ学ランを脱ごうか。

 

「おーい!」

「!」

 

 背後からだった。

 俺の首元をガバッと抱いてくる腕が。

 

「いつも朝早いのう」

 

 尚吾だった。

 不良のくせに、朝早く登校するものだから、通学路でよく出会う。

 

「お前こそ」

「んん? ワシが早起きしとる理由を聞きたいんじゃな?」

「違う」

「それはのう……おっ!」

 

 途端に、よそよそしく距離をとる。

 

「なるほど……あれか」

 

 自転車に乗った女子高校生が、こちらに走ってくる。もうじき、すれ違いそうだ。

 ……国府高校のセーラー服を着ていた。髪は後ろでポニーにしてある。肌の感じが瑞々しい。

 そんなことを考えているうち、すぐ横を通っていった。俺たちとは反対の方向に。

 

「尚吾、ああいうのが好きなのか」

「まあの。あれが見たくって、毎日こうやって早起きしとる」

「ふーん、国府第三中学校最強の男がねー」

「最強はお前らじゃ。奇跡が起きたって勝てんわ」

「概念力《ノーション》抜きならどうだ?」

「それは……」

 

 尚吾が一瞬、頭を悩ませる。

 

「それでも勝てん。思い出したわ、昔、お前に骨を折られかけたこと」

「あれは尚吾が悪い。なにがどうして、○○を小屋に××んで△△……」

 

 尚吾がまた、俺の肩に手を回す。

 昔からそうだ。こいつなりの親愛表現というやつ。

 

「なあ、渉。ぜったい」

「うん。絶対言わない。約束な」

 

 *  *  *

 

 午前8時30分。

 チャイムが鳴った。朝礼が始まる。

 いつもどおりの、変り映えのしない教室。ざわめきは、大きくなったり、小さくなったり。こんなにうるさいはずなのに、教壇にいる和田先生が出席簿をめくる音がはっきりと聞こえてくる。

 

「……おかしい」

 

 どうしてだ? どうして、みんな文化会館のことを気にしないんだ?

 あの山に、しっかと逆さまに突き刺さってるじゃないか。それなのに。

 

「はい、みなさん、静かにしてください」

 

 あまり効果がない。半分以上が無視している。

 

「……」

 

 和田先生は、何も言わない。

 

「……」

 

 和田先生は、何も言わない。

 

「……」

 

 和田先生は、何も言わない。

 

「……」

 

 静かになった。

 和田先生が、教室中をグルリと見渡す。

 

「はい、静かになりましたね。1分7秒もかかりました。人の時間を奪わないようにしましょう」

 

 どうしてだろう。なんというか、威厳というか。

 大人のなかには、そんな声色が身に付いている人がたまにいる。和田先生も、そんなひとりだ。

 

「今日から、箱田くんが復帰します」

 

 みんな、どんな顔をしてるんだろうか。

 

「時間が経って、箱田くんも考えることがたくさんありました。ともに学ぶ仲間の復帰をお祝いしましょう」

 

 それだけ言うと、教室の外に出て、箱田を呼んだ。

 やがて、和田に導かれ、おずおずと教室内に入ってくる――

 

「……」

 

 すっかりと自信をなくした様子で、たどたどしい歩き方だった。

 微かな調子で、『おはよう……』とだけ告げると、机まで歩いていく。

 そして、座ろうとした瞬間だった。

 

 ガタタッ!

 

「箱田くん!?」

 

 箱田が尻もちをついていた。

 これは、箱田の真後ろにいる席の不良――かつての仲間――が椅子をこっそりと動かし、位置を変えていたことによる。

 

「なにをしているの!? 箱田くん、大丈夫?」

 

 箱田は、何も言わない。黙って立ち上がる。

 心配そうに見つめる和田先生。

 俺は、そんな様子を醒めた目で見ている。

 

「和田先生の言うとおりだ! 復帰したばかりのクラスメイトになんてことをするんだ」

 

 ここぞとばかり、安田が吼える。

 

「あ? なんだよ」

「……度を越えてるって思わないのか? 病み上がりの人に。自分がそんなことをされたら、どう思う? 考えて行動しろよ」

 

 絶好調だ。

 さらに、ひと呼吸おいてから、

 

「なあ、でも、ほんとは冗談なんだろ。あとで仲良くするためにやったんだろ、そうなんだよな」

「……ああ、そうだよ」

 

 助け船を出すとは。

 やっぱり、あいつは色々と次元が違う。良い意味でも、悪い意味でも。

 

「失礼しました。和田先生、朝礼の続きをお願いします」

 

 和田先生は、安田を一瞥すると、いま座ったばかりの箱田に視線をやる。

 あれ? おかしいぞ。普段だったら、もうとっくに喧騒が支配しているはずなのに。

 

「みんな。ちょっと聞いて。いい? ……それじゃ、言います。人間はね、失敗する生き物なの」

 

 むず痒い顔になっている……と思う。

 

「どんな風に生きようが過ちを冒します。けれど、一度も失敗を冒さないで幸せになることはできません。だから、時には道を誤ることがあっても、必要なことなんだ、って自分に言い聞かせてほしいの」

 

 生徒一人ひとりの顔を見ながら、

 

「でも……悪いことをすると、見つかります――どんなに隠しても。どうしてだと思う?」

 

 静寂。

 

「神様が見ているから。だから、どんなことだって隠すことはできません。そして、罰が当たる」

 

 悲しげな視線を箱田に送るとともに――近付いていく。

 

「でもね。失敗を犯した人を攻めても、自分が偉くなるわけじゃない。それどころか、他人を貶めることでしか自分を満たすことのできない惨めな人間が誕生します」

 

 そして、箱田に声をかける。小さい声だった。

 席を立つ。視線が集まる。

 

「みんな、見て。箱田くんの制服を」

 

 箱田に視線をやる。

 ……学ランのボタン。すべて留まっている。

 さりげなく主張している、首筋からサッと覗いた襟のカラー。

 ズボンは、丁寧にアイロンされた痕が見える。縦のラインが通っている。

 まさに、ピタッとした着こなしだ。黒というスマートな色を体現した存在がそこにある。

 

「見てのとおり……完璧な着こなしです。箱田くんは、1年生の時から毎日こうやって、正しい制服の着こなしを実践しています」

 

 おお、という大らかなざわめきが教室内にこだまする。

 

「いい? みんな。どんな人にでも良いところがあるの。そういう、人の素晴らしいところを見つけることができる。そういう人が、本当に良い人なの――みんなは、どうかな? ほかの人のいいところ、見つけられるかな?」

 

 箱田の顔は、先ほどとはうってかわって朗らかだった。

 てれくさい笑みが覗いている。

 

「……」

 

 俺は、後ろを向いた。

 

「なに、渉? どしたの」

 

 今、生まれたての言葉を並べてみる。

 

「よく見たら可愛いよな。今日」

 

 ……呆気にとられた面持ちとともに、その顔を真下に向けた。

 「いや、よく見たらじゃなくて、昔から……」と言いかけたところで、

 

「えっ、あ……も、もしかして、渉。わかるの? あたし、今日は、ほら」

 

 ウインクを繰り返した。

 なにやら、目の下がほんのりと赤い。

 

「それって……」

「こ……これ? チークよ、チーク」

 

 よく聞き取れない。

 

「チンコ?」

「そうそう、チンコ! これをね、目の下にね、こうやって、塗って……」

 

 ガッ、ゴッゴゴゴアkガガガガガガガqgッ ゴンッ!!

 

 凄まじい威力の蹴りだ。俺の体が、机ごと黒板まで蹴っ飛ばされてしまった。

 ……騒然となる教室。悲鳴まで上がっている。

 

「あ、な、た、た、ち……」

 

 声でわかる。憤怒に染まった和田先生の顔つきが――

 全身に打ち広がる痛みと対面しながら、呟く。

 

「……これでよかったのか?」

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