6時間目。本日最後の授業だ。あくびをしながら聞いている。
キャンパスノートよりも小さい国語の教科書。その中ほどにある話を小山先生が朗読している。ようやく話が完結したところだ。
その題名は、『ベロ出しチョンマ』。
あるところに長松《ちょうまつ》という少年がいた。あだ名はチョンマ。彼の特技は、面白い顔をすること。妹が、あかぎれになった手の包帯を取り替える時に痛がって仕方がないので、眉毛をハの字にして舌を出すという表情をつくって、痛みを紛らわせてやるのだった。
その年は飢饉だった。年貢の負担があまりに多く、チョンマの父親が将軍への直訴を試みるが、失敗。一族郎党死罪となった。
磔にされたチョンマとその家族。迫りくる槍、鋭い切っ先。恐がって泣き叫ぶ妹を、チョンマはいつものように面白い顔であやすのだった。自分が殺されるその時まで。
その後、直訴が認められ、年貢は減らされた。助かった農民達は、チョンマの家族を祭るための神社を建てた。何度も役人に壊されたが、何度でも建てられる。今では、その地で祭りが行われる時には、ベロを出した長松の人形が飾られるのだった。
「ああ、つまんねえ。なんだよこれ……面白い顔ってどんなだよ……」
つい、考えが口に出てしまう。
「どうでもいい? いや、違う。この感情はなんだ?」
ここで、パン、パン、という手を叩く音が。小山先生によるもの。
「はい、それじゃ、いいかな……みんな。今日、この話を読んで、聞いて、どんなことを思った? このお話は、江戸時代を背景にしている。地理歴史の赤木先生から習ったよな。身分制度と差別について。幕府の将軍が豊臣秀吉だった時代に、被差別集落で暮らしていた穢多《えた》や非人と呼ばれていた人たちを最底辺に据えた身分制度が作られた。彼らは、当時は実在を信じられていた『穢れ』なるものを一身に集めることをその生業としていた。幕府は、この身分制度を利用して安定した統治を進めた。農民に対しては、生かさず殺さず。絞れるだけ年貢を絞り取る。困窮した農民は、一揆を起こさざるを得なくなるが、その抑止力として、被差別集落に暮らす人々の存在があった。幕府の言い分は、こうだ。『農民の暮らしが辛いのはわかる。だが、あの連中を見てみろ。汚物や罪悪に塗れて、あんなに苦しい生活をしている。それに比べれば、自分達はまだ幸せな方だ』というのがお決まりの論法だ」
捲し立てる小山。気迫にあふれた調子でしゃべり続ける。
「差別を受けた人々は、江戸時代という近世を超えて、明治時代になっても救われることはなかった! 『四民平等』という形だけの近代化とともに、皇族や貴族が一定以上の収入を保証されたのに比べ、彼らには何も与えられなかった。ただそこには、名前だけの『平民』という肩書きがあるに過ぎなかった。いや、もっと辛い。なぜなら、江戸時代には被差別集落に住む人々が生業としていた――食肉業や皮革業、刑務官、葬儀業といった、法や慣習に確証づけられた専門の仕事があった。しかしながら、明治時代になると、その仕事が近代企業や公務員に奪われてしまう。さらに、免税権が失われたことで、本格的に困窮してくる……だがッ!」
――黒板を叩いた。
凄まじい気迫だ。気持ちが悪い静けさが漂う。
「人間は、醜い。被差別集落に住んでいた人たちが『平民』となることで、農民はどう感じたか。自分達が低い身分の者と一緒になったと考えたんだ。そして、怒りの矛先は明治政府じゃなく、被差別集落に住んでいる人々に向けられた……これが今でも尾を引いている。そういう、差別を受けた人々が集まり住んでいたところ、そう、みんなも知っているだろう、被差別集落だ。ここに住んでいる人たちと、私たちの間には壁がある。差別という名の、歴史の壁がある! この際だからはっきり言おう、私たちの先人は、誤った道を歩んできた。だから、同じ人間であるはずなのに、こんなことになっている……先生、思うんだ。みんなには自分から喜んで差別をするような人間になって欲しくない。周りの大人が、どんなことを思っていようと関係ない。いや、それどころか、家に帰ったら、おとうさんとかおかあさんとか、おじいさんとかおばあさんとかと、このことについて話し合ってください。そのなかで、もし差別を肯定するような発言があったら、勇気をもって断じてください。『ねえ、それは間違っとるよ。いけんよ』って……小山先生は、思います。みんなには、『差別』と戦うことができる勇気のある、そういう人間になってほしいと思っています……はい、今日の授業はこれで終わりです」
チャイムが鳴っていた。
すべて出し尽くしたような雰囲気の小山。手早く教材を片付け、教室を出て行った――
今日という日が、ようやく終わった。
* * *
カバンを揺らしながら、下駄箱へと。
くたくたになったスニーカーに履きかえて、校門へと向かう途中――駐輪場が目に入る。アルミベンチがある辺りに視線を移す。
由香里がいた。いつもは教室に残り、篤や砂羽と一緒になって宿題をこなしているはずの。
一緒に話しているのは――集だった。
俺は、声をかけようとして、止まる。
「やめとこう」
ふたりの顔は見えない。
なんだか、話しかけるのは間違いだと思った。由香里は……笑っている? 感じだった。
集と仲良くする気になったんだろうか?
「……」
頭を擦りながら、歩き出す。
校門を越えると、今日で何度目だろうか――逆さまの状態で山にめり込んだ文化会館が見える。
「ニュースにもなってないよな……」
三六〇度、辺りを見渡す。
異常などあろうはずもない。
「なんか暇だし、跡地にでも行ってみるか……ん?」
誰かに、名前を呼ばれた気がした。