集。俺を抱き止めたのは集だった。
一緒に花壇を造っていた時のようなヨレヨレの作業服じゃなく、もう、こちらの方が見慣れてしまったスーツ姿だった。
真白のシャツ、青色のネクタイ。きらりと輝くネクタイピン。スラッとした体型が、スーツに入った縦のラインのおかげで、より一層、引き締まって見える。
「……さて」
集は、喬木をチラッと見たあと、高森を見据える。
「おい、やってくれたな。人の弟子、ボコッてくれやがって」
高森も、負けじと集を睨み返す。
「相変わらず乱暴ですこと。さっきからゴンゴンうるさいと思ってましたけど、ついに人の召喚獣にまで手を出しましたね?」
「おお、出してやったとも。そうでもしないとこいつが死んでた」
「あなたはもう、一般人《エンス》の仲間なんでしょう? こういうことに手を出さない方がいいんじゃないかしら?」
「そこそこ関係があってな。どうしても助けたい」
俺は今、集に抱えられながら話を聞いている。
なんだか恥ずかしい。
「おい。そろそろ降ろしてくれよ」
「ああ、そうだった。よし」
……地面に下ろされた。
足手まといになるのは目に見えていた。後ろに下がる。
「渉、もっと後ろに行け!」
叫んだ瞬間を狙って、音速の斬撃が飛んでくる。
――集の腕が真横に振られたなら、それらを打ち返してしまう。
そこいらに敷かれたタイルが衝撃によって割れ散った。
「逃がすことはできません。ご存知のように、私は魔術教育監です。こんなところで恥をさらすわけにはいきません」
暗闇が晴れたあとの風景が、目の前に映っている。
平日の夕方にもかかわらず、誰一人として通行人がいない。
「しょうがない……ちょっと、ちょっと喬木議員。もうすぐ会議ですけど、今からどうする予定です?」
喬木は、車止めに腰をかけていた。
「どうするかのう。会議までは時間もない。仕方がない、歩いていこう……高森よ、後は頼んだぞ。それと三良坂くんも、今日の会議に遅れんようにな」
「わかりました。俺が勝てたらね」
喬木が腰を上げた。
そのまま北の方角、国府第三中学校へと歩き出す。
「……食らいなさい」
高森は、苛立ちを隠せない口調とともに、両手を地面に付ける。
「渉! とりあえずそこにいろ!」
力強い声。集が構えをとる。
……目の前には、詠唱らしきものを口ずさんでいる女がいる。集は、動かない。
唱え終わったなら、しっかとこちらを見据えるのだった。そして――
――《グラビティ・フォール》――
「……やべっ!」
集の、半径数メートルの範囲が沈み込んだ。
剥き出しの大地も、アルファルトで舗装された部分も、煉瓦製のタイルも、なにもかもが沈んでいく――
重力という名の暴圧に耐えながら、集は、深呼吸をする。
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン――」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン――」
「マインドリデュース」
「マインドリデュース」
「マインドリデュース」
「マインドリデュース」
「マインドリデュース……これでどうだっ!」
一切、視認することができなかった。瞬きの速度で、女の懐へと潜り込んでいる。
「うっ!」
突き上げられた拳を、両手を組んで受け止める高森。が、防御もむなしく、紙くずのように弾き飛ばされてしまう。
弾き飛ばされた先へと、常軌を逸した速度で回り込んだ集、タイミングを合わせて――回し蹴りッ!
「がぁっ!!」
放り投げられたぬいぐるみのようにバウンドをした高森、そのまま地面に転がって、引きずられて、勢いが止まる。止まったと思ったら、よろよろとしながら立ち上がる。
さっきまでの余裕がなくなり、苦し紛れの笑みを浮かべている……ような気がする。
「自分の能力を高めるだけでなく……私に弱化魔法《デバフ》をかけたわね? 卑怯者」
集を睨みつけている。
……背中からは、燦然と輝くばかりの火柱が昇っていた。それは両対の翼を為して――体を、空中へと舞い上げる。
瞳は、諦めていない。
「燃えよ、燃えさかって、焦げ落ちろ――ワイルドファイアッ!」
集の真下の地面から業炎が舞い昇る。跳び上がって避けたものの、衣服の一部が燃えている。
燃焼材とはならないはずのレンガが、真っ赤に燃え盛っていた。
火の勢いは、加速していく。
「せいっ!」
人間離れしたスピードで火炎攻撃を回避し、高森へと迫る。
負けじと、炎の翼をはためかせ、迎え撃とうとする。
「食らいなさいッ」
炎の翼から、次々と打ち出される火球。その数は、5、10、15……あっという間に増えていく。
身体ひとつ分のステップで避けていく集、最後の火球をかわしたなら、ターンを決めて――
左手を高く掲げたなら、
――《永久の霧雨《イモータル・ブルー》》――
唱えたと思った瞬間、目の前が真っ白になる。
「冷たッ!? なんだこれ」
上空から降り注ぐ、止め処ない雨。
燃え盛る大地と接触した雨粒が、瞬く間に水蒸気と化した。
辺りが霧に包まれる。
「あ、ああ、あああああああああああっ、翼、私の翼がっ」
あんなにも輝しかった翼が、あれよあれよという間に溶けていく。
「美人が台無しだな!」
集の姿が見えない。迷わず俺は、水蒸気の霧の中へと。
……見つけた。両者が対峙しているのを。炎の翼は、まだ残っている。
「私を怒らせましたね? 本気でいきますッ!」
「……お手柔らかに」
背中に生えた炎の翼に手を突っ込んだ。
何かをまさぐっている、と感じたその瞬間、出てきたのは――どこまでも、どこまでも長い――槍だった。
「紅蓮の神槍――串刺せえッ!」
底知れぬ怨恨を重ね、重ねたような声色だった。
投擲の構え。槍の先端に灯った青白い炎が敵の方を向いている。
――投げたッ! 一直線ッ!
「……」
対する集は、左手を真正面に突き出す。
「卑金の障壁」ガッ
「卑金の障壁」ガガッ
「卑金の障壁」ガンッ
「卑金の障壁」ガッガッ……ガッ!
「卑金の障壁」ガッ……ガッ
「卑金の障壁」ガッ
「卑金の障壁」ガガッ
「卑金の障壁」ガッ……
「卑金の障壁」ガコ……
「卑金の障壁」……
青白色に燃え盛った炎の槍が――集が呼び出した10枚分の壁のうち、8枚目にまで突き刺さっている。
この壁の正体は、正面入口跡から道路に向かって続いていた煉瓦造りの石畳だった。あっという間に捏ね合わされて固まり、障壁を作った。
「ぐ、ううううう……!」
「文化会館さまさまだな。レンガの質によっちゃあ、俺が焼き鳥みたいになってたところだ」
女は、凄まじい形相で集を見詰めている……なにやら詠唱を唱えはじめた。
唱え終わったなら、右手の指を左肩に乗せるような仕草とともに、
「……猛き炎帝の護り《ファイアカウンシル》」
思わず、「熱い!」と叫びそうになった。
熱気がこちらにまで伝わってくる。
「あんたも魔法強化《バフ》か? どうするんだよ、あの子みたいに超級概念《トランセンドノーション》でも使うつもりか?」
「……あれは人間ではなく、別の生き物よ」
「おやおや、国府の森《こうふのもり》の教育監ともあろうお人が、そんなこと言っちゃっていいんですかね?」
「あなたも……人間じゃないでしょッ!」
燃え滾っていた槍が消滅した。
集も、障壁魔法を解いた。ただの土くれに戻っていく、壁だったもの。
――均衡。両者、一歩たりとも動こうとしない。が、少しずつではあるものの、立ち位置が変化している。
「……?」
今、高森が何度か瞬きをした。
「……がッ!?」
いきなりだった。
集の周りの地面が沈み込んだとともに、身動きが取れなくなってしまう。
「グラビティ・フォール。ふう、詠唱なしでも案外いけるものね」
「……畜生。やられた」
あがいているのはわかる。が、動き切れないでいる。
「お得意の重力系統《グラビタス》か。やるじゃねーか、動けないぜ」
「……違いますわ。重力系統《グラビタス》は、魔導《ドライヴ》の一系統でしょう? 私が使っているのは、魔術《マギア》の一系統である緑ノ術よ? さあ、ここからが本気。現われよ……紅蓮の神槍」
自分の背と同じ程度の長さをもつ炎の槍が出現する。くるりとひるがえし、逆手に持つ。槍の大きさ、炎の勢いは、先ほどのものよりはるかに小さい。
切っ先に迷いはない。まっすぐ、集へと向けられている。
「ねえ、あなた。もう、十分生きたでしょ?」
にっこりと笑う高森。
「高森さんほどじゃありませんよ」
目の前に、炎の槍が突き立てられる。集は、苦笑している。
高森は、攻撃に移るべきタイミングを整えつつある。
「受けなさい、私の炎をッ!」
放たれる、一閃――
集の口が動いたのを確かめる。
――《黒き血の星《ステラサグニ・ネグロ》》――
俺は、地面に伏せた。こうでもしないと、命を奪われかねないから。
耳をつんざくような破裂音が聞こえたかと思うと、凄まじい蒸気圧が真上を通り過ぎていく。伏せていなければ、おそらく死んでいた。
……なにが起こったんだ? ……そうだ、この感じ。冷気だ。一瞬だけ見えたような気がする、集が氷晶の固まりを召喚したのが。
――水蒸気爆発。見たことはないけれど、おそらくそれだ。
「……どうなった?」
爆発点へと歩いていくと、バッバッ、という、何かが転がるような音がする。
「集!」
見つけた。走り出す。
「あち、あちちっ」
「集、だいじょうぶかっ」
地面を転がり回っている集の姿があった。体についた火を消そうと足掻いている。
何度も何度も転がって、ようやく火が消える。
すると、コゲだらけになったスーツを整えながら、
「水蒸気も晴れてきたな……さて」
「……は、は、はあ、はぁ……よくも、私の魔術《マギア》を……利用したわねッ!」
消耗した様子の高森。膝をついている。
スーツがぼろぼろだ。はだけたブラウスからブラジャー? の肩紐が覗いている。
真っ白い肌に、肩紐のラインが覆いかぶさっている。ところどころが破れたブラウスと奇妙に合わさって、哀愁を漂わせていた。ラインを追っていき、やがて塊のようなものが目に入った途端、我に返って目を逸らす。
女は、ゆるりと立った。立ち眩みとともに後ずさる。
「は、はあ、はあ、はあ……三良坂くん? 私がこれから何をしようとしているか、あなたにわかります?」
「さあ」
「召喚獣を呼びます。私とあなたの真下に、特大のやつを」
「それは、あれですか。契約召喚?」
「そんな質料《ヒュレー》が残っていたら、とっくにあなたを殺しています……物理召喚です。それも、見境なしの」
「へえ、それで。なにが言いたい」
「何度も言わせないで。これから、『私とあなたの真下に、特大のやつを』召喚します」
「……チッ」
舌打ちをした。
「わかった、わかった! 俺の負けだ。降参!」
両手を挙げる。
「わかればいいのです……」
高森は、半ば悟ったような顔つきで、
「すいませんね。勝負に負けても、試合に負けるわけにはいきませんので……さあ、それでは」
指先を額に当てる。呟いた。
「召喚《サモン》、エルダードラゴンリッチッ!」
彼方からの重低音が響いてくる。声がする方を見た。
先ほど殺されたばかりの記者達の真下に、真っ黒い穴のようなものが出現していた。
ヴオオオオオオオオ……!
黒。ただ、真っ黒だった。
どこが目で、どこが口なのかわからない。ただ、巨大な塊が暗黒の中から現われて――死体が、宙にふわり、ふわりと漂いはじめた。
「これは……?」
そいつの口が開いた。
ガバリッ。そんな擬音がぴったりと似合う。
ゆっくりと口内に吸い込まれていく、宙に浮いた死体。
「……三良坂くん。別に、アレを使ってもよかったんですよ? いいえ、千の魔法を使えるあなたですから、ほかに手もあったんじゃなくて?」
「ご冗談を。アレはとっておきですよ」
「あら。けれど、あの技術《アーツ》なくしては、もはや貴方とは呼べなくってよ……あの……が……よく……まで」
高森が、真下に現われた穴へと消えていく。
……何を言っていた? 「あの落ちこぼれが、よくここまで」だろうか?
集が落ちこぼれ? そんな馬鹿な。
「まおぼえてなさい、三良坂くん。それと、そこの子どももね……右手の腱がまだ痛みます」
「はいはい、高森さん。また会ったらよろしく」
余裕の表情で、暗黒へと消えていく女を見送る。見送った。
すっぽりと吸い込まれた後、真っ黒の塊が這い散るようにして穴が消えた。
「おい、大丈夫だったか?」
俺は、バツが悪そうな顔になっている……はず。
「……まあ、かろうじて」
「これからどうするんだ」
「帰るよ」
集の顔を見ることができなかった。
なんだか、自分のすべてが見透かされていそうで。