妄想感傷代償連盟   作:渡邉 実一

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#10:嘘(2)

 薄い絨毯が敷かれた音楽室。

 俺から見て右奥にピアノが設えてあり、今まさに先生が演奏をしている。一段上がった後ろ側には、広々とした合唱用のステージがある。

 いま演奏しているのは、『世界にひとつだけのナントカ』という曲。

 俺は、顎に手を当てながら演奏を聴いていた――隣の席には、顔がボコボコに腫れ上がった鵜飼尚吾がいる。

 

「おい……渉、おいったら」

 

 俺の席を、足でつついてくる。

 

「おみゃあ、まさかチクッたりしとらんよな」

「そんなわけないだろ。よかったじゃん、警察よりも先に親が見つけてくれて」

「よくないわ……」

 

 演奏が終わる。

 ゆったりとした調子でもって、立ち上がった演奏者――広中先生。

 

「皆さん。今日は、大事なお知らせがあります」

 

 広中先生が、教室内のあちこちに視線を配る。

 ……すると、1人の生徒が席を立った。続いて、2人目、3人目、4人目と起立してゆく。

 その4人、男女ふたりずつが真後ろの一段上がったステージに集まると、くるりと反転して、視線をこちらに移した。

 音楽室が、奇妙な緊張感に包まれる――ひとりの女子が口を開いた。

 

「みんな、聞いてください。今日は、大事な発表があります。まずは、これを見てください」

 

 彼女らは、ロール状になった紙の輪ゴムを取りはずし、縦横1メートルほどの、マジックペンで描かれた図表を示す。

 縦に並んだ棒グラフが複数あった。それぞれの棒の下には年が書いてある。平成元年から始まって、右方向に年が続いていく。

 内訳は、色の種類からして3つ。

 

「この記録表について説明をする前に、今日のお話しの題名について……です。今日は、被差別集落についての話しをしたいと思っています。みんな、聞いてください」

 

 広中先生が、拍手を送る。ほかの生徒らも続いた。

 ふと、尚吾の方を見やる……聞いているのだろうか? でも、彼女らの方を確かに見ている。

 由香里は、ピシッとした姿勢で話を聞いている。篤にしてもそうだ。砂羽は……爆睡している。

 

「これは、平成元年、1988年の1月から今年の1月にかけて、被差別集落に住んでいる子どもたちに取ったアンケートです。月に2回ある地域学習会でアンケートを配布しました。問いかけは、『ぼくは、わたしは、学校が過ごしやすい。毎日でも学校に来たいと思う』というものです。選択肢は、3つあって、①そう思う、②そう思わない、③わからない、の3つです」

 

 いったん切って、男子生徒に交代する。

 

「え、ええ、ええと、それでは、推移、を見てみます。平成元年では、①、②、③の割合は、2:7:1でした。それが、時間を経るごとに、ええ、この色の変化を見てもらえれば一目瞭然ですが、平成10年では、4:5:1に、平成20年では、6:3:1と、逆転しています。ここから導ける結論として、昔は、被差別集落にいる子どもたちは差別をされていて、悲しい、淋しい状況にありましたが、近年では、皆一緒に、仲良くすることができています。これは、社会の進歩であると僕たち私たちは考えています」

 

 再び、最初の女子にバトンが渡る。

 

「差別を受けない、誰もが平和に暮らしてゆける社会は、誰にとっても大切なものです。今、わたしたちは、平和に暮らすことができています。この状態は、慣れてしまうと当たり前ですが、普段は気が付かない、けれど人間が生きるうえで一番だいじなものです。これからも、みんな、一緒に学級を盛り上げていきましょう。発表を終わります。ありがとうございました」

「はい、それでは、みんな……ありがとう! 勇気を出しましたね!」

 

 拍手が起こった。広中先生は涙している。しばらくの間、鳴り続いていた。が――

 ガンッ、ゴロゴロ、という乾いた音とともに、俺の視界に何かが映った。

 それは、机と椅子だった。隣を見ると、目と口と鼻とを歪ませた尚吾の姿があった。

 

「ええ加減にせえよ! お前らはええじゃろうが、同和地区に住んどって。金がもらえるんじゃろうが。ワシらなんか見てみい、いつまで経っても貧乏なままじゃ。なにが言いたいかって、そりゃあ、ワシらの存在を忘れとるってことじゃ。自分らだけいい思いをしやがって」

 

 尚吾が吼える。

 対して、今しがた喋っていた女子が、

 

「鵜飼くん。どうしてそんなことを言うの? みんな、鵜飼くんのこと、仲間はずれにしようとなんかしてないよ。仲良くしようよ」

「じゃけえのう、そもそも、ぜん、ぜん……ええと……」

 

 『前提』と言いたいのだろうか? 小声で伝えてやる。

 

「ゼンテイがおかしいんよ。暮らしのレベルが違うんじゃ。どんなに仲ようしようゆうてもな、ワシらとお前らの間には『差』がありすぎて、説得力がないんよ……お前らの家、見たことあるぞ。あの聖蹟《せいせき》町の団地に並んどる家じゃろ? ワシらの家なんか、トイレはボットン便所じゃし、水道も通ってなければ……え、ええと……電気は通っとるけど、たしか……よ、よし! 渉。言うてやれっ」

 

 俺に振るんじゃねえ!

 いやがうえにも注目が集まっている。

 心臓が脈打つのを感じる。

 

「え、ええとですね、いま尚吾が言ってたのは、具体的には……まず、俺たちの生活環境、特に家まわりは、みんなのと比べてよくありません……ボットン便所というのは、便器に大きな穴が開いていて、そこにし尿、うんこやしっこが、真下にある汲み取り槽に入ります。とても臭いです。スイッチを押したら水が流れるなんてことはありません。そんな装置はついていません。例えば、スリッパが穴の下に落ちたら、外にあるマンホールを開けて、汲み取り槽に降りて、うんこまみれの空間に足を踏み入れることになります」

 

 どよめきが広がる。

 悪いどよめきじゃない……と信じたい。

 

「水道が通ってない、というのはわかりにくいと思います。みんなの家の前の道路には、水道局から延びた水道管が通っています。みんなの家は、この水道管を自分の家まで延ばしてもらって、きれいな水を使うことができます。でも、うちには通っていないので、代わりにそこらへんの地下水脈をポンプで汲み上げて使っています。ポンプは電気で動くので、停電したら水が使えなくなります。家の周りには排水溝がありません。大雨がきたら、家の中が浸水します。戸棚や布団でバリケードを作って、なんとか凌ぎます。凌ぎ切れなかったら……あらゆるものが水浸しです。あとは……家そのものですが、とてもボロくて、とても家賃が安いです。広さは、この教室の半分くらいで……1階建てです。少なくとも、俺、尚吾、汐町さん、横尾さん、神部くんの家はそんな風です」

 

 今、音楽教室は騒然としている。

 「そんな家があるの?」「冗談だろう」「知ってる、昭和時代の家だ」など。

 

「ええと、だから。尚吾が言いたかったのは……」

 

 尚吾を見た。親指を立てている。

 ――大きく息を吸った。

 

「きれいごと抜かしてんじゃねーよ、ボケッ!」

 

 粛然となった音楽室を見渡す。

 奥側にいる4人は、今にも泣き出しそうな顔をしている。

 ああ、言ってやった。言ってやったぞ。

 

「……も、もがっ!」

 

 息が出来ない。いや、それどころか、胸が……いた……い……。

 由香里を見やる――悲しんでいた。その顔を見れば、なんだってわかる。

 『うんうん』と頷くと、息苦しさが止んだ。

 

「みんな。授業中ですよ! 落ち着きなさい」

 

 広中先生だ。普段は大人しいけど、言うべき時はビシッと注意をする。

 

「おみゃあはだまっとれ、クソ教師っ!」

 

 と、ここで尚吾が割り込むのだった。

 ステージ上の4人に向かって、

 

「おみゃあら、思い出したど。ワシの親父が言うとった。うちの会社じゃあ、被差別集落とか同和地区に住んどる人間を差別するどころか、『差別』をする、しないという意識すらないってよ。おみゃあらも、先公どもも、そうやって差別差別いいまくって被害者面しとるけえ、逆に薄気味悪い目で見られるんじゃ! ええか、人間じゃったらな、そうやって集団で可哀想アピールするんじゃのうて、自分の力で人の輪に入っていって、認めさせてみろや!」

 

 尚吾が、俺の手をつつく。

 

「って、親父が言うとったんじゃ」

 

 俺は、ため息をつく。ついた途端に、尚吾が急に飛び跳ねる。「あち、あちぃ!」と叫びながら、床に尻もちをついた。

 教室中が大笑いに包まれる。

 

「調子に乗り過ぎたから、天罰でも下ったんだろう」

 

 ――篤だった。

 指先には、ほんの微かだが印章《シンボル》が見えている。尚吾の尻に、文字どおり火を付けたのだろう。

 先ほどまで発表をしていた4人がしょんぼりとしている。広中先生が寄り添っていた。

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