妄想感傷代償連盟   作:渡邉 実一

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#11:心らしきものが消えて(上)(1)

「気を付け、礼!」

 

 今日一日が終わる。これでもかというほどに早く。

 由香里は、学校を休んでいた。それが寂しいやら、嬉しいやら、安心したやら、自分でもわからない。

 篤も砂羽も、そそくさとした様子で教室を出て行った。いつもなら、ここに残って宿題を片付けてるんだろうけど。

 

「よ、渉ッ!」

「!」

 

 尚吾だった。

 今日は、一度も会話をしていない。

 

「どうしたんじゃ? ぜんぜん元気ないけえ、話しかけるのに勇気が要ったじゃろうが」

「ああ、うん」

 

 そう言って、肩口に手を回してくる。

 払いのけようとする手を静止する。

 

「……ごめんな、今日はちょっと」

「まあまあ、ちょっと聞いていけ。お前にな、わしのな、彼女を紹介しようと思ってな」

「! へ、へえ。彼女って、どんな?」

「驚くなよ。年上なんじゃ」

 

 吐き気がこみ上げる。

 

「へえ、年上なんだ」

「渉は知っとろう。朝、たまに――あ、おいっ!」

 

 走り出した。

 ゴ、ガ、ガッ! 痛い。教室を出る際に肩をぶつけてしまう。

 

「は、は、は、は……!」

 

 ひたすらに走った。

 廊下を渡ってから、3段飛ばしで階段を降りていく。

 くつ箱へと駆け込んで、スニーカーを放り投げる。考えうる限り最速のスピードで履いたなら、西側の校門へと続いている石畳を駆け抜ける。

 あとは、ひたすらに続く坂道を登り続けるだけだ。

 

「はあ、はあ、はあ、はぁ……くそっ! もっと早く動けっ!」

 

 呪詛の言葉を吐きつつ、ひらすらに走っていく。

 ……我が家の入口が見えてきた。車1台分がなんとか入る程度の、木造の古風な門だ。

 敷地に駆け込んだと同時、由香里の家が目に映った。

 

「くそ、どうしてなんだよ、いつも! この、仲間はずれにされたような感覚!」

 

 涙が零れそうになる。零れた。

 玄関口まで来て、走るのをやめた。

 

「ハア、ハア……!」

 

 汗で髪の毛がべたつく。

 

「風呂まで待てねえ」

 

 玄関扉。木目調で、各所に穴が開きつつある。

 背負っているカバンを降ろしながら、手をかけようとした。

 

「……親父が……いる?」

 

 耳を澄ます。

 

「……だろう!」

 

 やっぱりだ。ついてない。

 口調が荒い。何の話をしてるんだろう。

 

「こないだ来たばっかりなのに」

 

 ドアノブに触れる。ガチャリと回して引こうとする。

 

「どうしてあの子の言うことを聞いてやらないんですか!」

「公務員になんか、あいつがなれるわけないだろう!」

 

 舌打ちをした。その場で立ちつくす。

 

「不採用になる可能性が高いなんてわかってます! でも、あの子の進路でしょう」

「それで進学も就職もできなくなったら、いったいどうするんだ。誰があの子の将来に責任をとるんだ。あの年代にとっての1年が、いったいどんなに」

「失敗してもいいじゃない。挫折しても、立ち上がる手助けをするのがわたしたちの役割でしょう」

「だめだ、認めない。渉には進学させる。いったい、なんのためにこんなところまで逃げてきたんだ?」

「逃げてきたなんて言わないで!」

「逃げてきたんだろう! 俺たちは! ああ、そうだよ。俺がみんなを導いたんだよ。成功だったか失敗だったか、まだわからないけれども、責任を取ることはできるつもりだ。今だって、片親の汐町さん家と鵜飼さん家は金銭的に面倒をみているし、俺が殺されたら保険金がおりる。みんなで分けたらいい」

「そんな話しないで! 今は渉の将来のことでしょう?」

「わかってるさ」

 

 ……どうでもいいし、興味がなかった。

 歯軋りをした。わずかに空いたドアの隙間に、呪詛の言葉を吹き込むかのように。

 早く、早く終わってくれ。このままじゃ入れないだろ。

 

「ねえ、どうして? あなた。どうして、そんなにあの子の道に反対をするの。あの子には概念力《ノーション》の才能があるし、公務員にも使用者《エッセ》を採用する枠があるんじゃないの?」

「それが恐いんだ。ざっくり言うとだな、あいつ、この間の文化会館まつりに動員されてたんだ。あんなに反対したのに。でも、それだけじゃない。ああもう、真実を言うとだな、俺はあいつと戦ったんだ。喬木を襲ったところ、凄腕の護衛がいて。十中八九逃げられそうだったよ。ああ、それじゃあ、ここにいる連中だけでも皆殺しにしてから脱出しようか。そう思っていた。すると、だ。下の階から渉と、汐町さん家の子が昇ってきた。それで、止むに止まれず、戦うことになった」

「バカッ、あの子が死んだらどうするのよっ!」

「手加減はしたさ。だからなんともないはずだ。でもな、公務員として魔導技術職として採用されたら、俺以上の強い連中とも戦うことになるだろう。あいつの腕じゃ、到底無理だ。国府の森《こうふのもり》の連中になんか手も足も出ないだろう」

「やってみなくちゃわからないじゃない!」

「わかるだろ! 少なくとも、栞だったらわかるはずだ。あの連中がどれだけの化け物か」

「わかるわ。だけど、わたしは信じる。たったひとりの息子だから。信じる」

「それは……ばかばかしい、なんてことはないが……とにかくだ、公務員になれなかった時の保険を――そこにいるのは誰だッ!」

 

 この時の俺は、ショックのあまりカバンを落としていた……と思う。走り去ろうとする時、つい、無意識にカバンを持ってしまった。こんなもの要らないのに。

 ……なんの舗装もされていない、いつもの道に出たところで西日が射した。地平線は、薄い紫色の雲に覆われている。ぼんやりとその雲にかかった、沈みつつある太陽。眩しさが気持ち悪い。

 それを遮るために、概念力《ノーション》を発動させ、自分で自分の視界を絶った。

 

「……ああ、見えない。何も。久しぶりだな」

 

 何も見えないはずなのに、見えている。不思議な感覚だった。

 どこを走っても、転ぶことはない。ただ、ずっと、ずっと、暗闇のなかを走り続ける。

 自分がどこへ行くべきなのか、そんなことはどうでもいい――なにもかも、忘れてしまいたかったから。

 

 *  *  *

 

 日が沈みかけている。

 夕暮れ時のうろこ雲。溢れ出したわずかな光が雲そのものを伝っていた。

 ……夜が迫っている。今にも沈まんとする太陽の最後の足掻きのごとく、ただ西の方角からの一隅を残すのみで、あとはほとんど暗がりだった。

 雲の縁々からは、薄もやのような赤い光が漏れ出ている。特に光量が多い部分が、ちょうど自分を照らしている。

 すべてを包み込むはずの、あの夜が間近に迫っている――でも、帰る場所はもうない。

 

「首無地蔵菩薩……?」

 

 来たことのない場所だった。

 

「いや、違う。1回だけある。2年前だ。1年生の時、遠足でここの寺に来たことがある」

 

 高い、高い丘の頂にいる。風は冷たい。

 「足元注意」の看板に目をやる。境内に目を移すと、数人の参拝客が帰ろうとするところだった。

 お寺の入り口にはグレーチングがある。白いコンクリで舗装された坂道を、参拝を終えた老人たちがゆっくりと降りていく。

 

「変わらないな」

 

 いくつものお堂がある。その中でも、特に大きな社屋の中に、頭が欠けたお地蔵――通称、首無地蔵がある。お経の書かれたタオルを買って、そいつの頭を摩ると願いが叶うという。

 

「『露の世は露の世ながらさりながら』、だっけ」

 

 首無地蔵が鎮座しているお堂の前に貼られた、御札の言葉だ。

 フラフラと、お寺の正面から一八〇度回転し、反対側を向く。すると、この町を一望できるのだった。それくらい、高い地点にいる。

 

「……あ」

 

 さっと、崖下を見下ろす。

 ガードレールは設置されていない。身を乗り出したところで、止める者はいないだろう。

 

「……」

 

 目を閉じる。

 そのままずっと、佇んでいた。

 ずっと、ずっと。

 

「……チッ」

 

 舌打ちをした理由はわからない。でも、崖の下を観続けていたかった。

 

「……あ、そうだ」

 

 視点を変えて、お寺の入口から右手に向き直る。

 暗闇のまま、辿ったであろう道を引き返すべく、身体が動こうとしている。

 

「……俺、けっこう歩いたんだな」

 

 ゆっくりと、歩き出した。

 これまでに走ってきた道というのは、意外とキレイに舗装されていた。山岳地帯にあるというだけで、すべての道が舗装されてないわけじゃない。

 

「なんだよこの道路、立派すぎるだろ。いくら観光名所が近くにあるからって……」

 

 途中、こぢんまりとした変電所に出くわす。山の奥に続く小路があった。人ひとり通れるかも怪しい。

 通れるのだろうか? ……行ってみたい。なんだか、この小路に入ってみたい。けれど、誰かに見つかったらどうしよう。しかし……

 

「ああもう、行ってる場合か!」

 

 かぶりを振って、また来た道へと。

 さらに、歩いて、歩いて。桜の名所で知られる大きな公園が見えてくる。

 

「……」

 

 葉桜の群れがあった。

 すっかりと薄緑色に染まった桜の木々を見て、思う。

 なぜ、自分は今、こんなところにいるのだろうと。なにもかも、気にせず生きていけばいいのに、と。

 公園の出口まで来たところで、また別の山の方を向いた。

 

「ここから先には行けません、か」

 

 工事用の看板がびっしりと並んでいる。

 行く手を阻んでいるのは……これらの看板と、カラーコーンとバーと、鉄条網。以上一式。

 ……国府の森《こうふのもり》。その入口である。

 山へと向かう、はるか先にまで続く坂道を、ぼんやりと見上げる――

 

 グギュルルルルルルル……

 

 お腹が鳴った。

 いつもなら、とっくに夕食のはず。

 

「……ははっ」

 

 カバンを投げ捨てた。

 

「ああ、そうか。こうすればよかったんだ」

 

 勢いをつけて、走り出す。

 スニーカーの靴底に響いてくる、アスファルトの感触。この向こう側には、人の手が加わっていない自然道がある――あと3歩、あと2歩、あと1歩――すうっと、息を吸い込んだ。

 

「……国府の森《こうふのもり》。頼んだぜ」

 

 鉄線の柵をしっかと順手で掴んだなら、空中へと身を乗り出す。

 滲み出る血。その感触がむしろ心地いい。両手は鉄線を掴んだまま、前方にくるりと回転し、そして――

 

「着地成功!」

 

 足取りは軽やかに。心の裡《うち》は重くとも。

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