光陰矢の如し。
すでに午後4時を回っている。
篤に宿題を見せてもらっていたら、すっかり遅くなってしまった。
「……三良坂さん。遅れてすいません」
「まあ、誰にでもそういうことはある……いいよ、ちょうど準備が必要だったんだ」
「これでぜんぶ?」
「そうだ」
花壇を設置しようとする場所のすぐ脇に置いてあったのは、塗装コンパネと、丸ノコと、スコップと、インパクトドライバーに工具箱。
トラックの荷台に置いてあるのは、発電機、延長コード、木でできた小さな椅子、角材の破片。ほかにも、よくわからない器具がいくつか置いてある。
「まず、どれからやるんだ?」
「これが設計図面だ」
メモ帳にフリーハンドで描かれた、花壇と思しき四角形。ほかにも書き込みが目立つ。
「ええと、タテ830mm×ヨコ1000mm×H600mm……四角形の端を基準にしてレンガを……なるほど……って、今朝はレンガ買ってないじゃないか。あと、モルタルや砂利の袋が見えないけど、どこにいった?」
「レンガを買ってないって? そりゃあ、今日はその工程まで辿りつくことができないし……軽トラックだからな、あまり物を載せることができないんだ。ところで、ほら、メモの右上を見てみ」
メモの右上。
スケジュールが殴り書きしてある。
「……1日目。コンクリート基礎の型枠を作る。2日目。コンクリートを型枠に流し込んで整形する。3日目。午前にレンガを購入、午後にコンクリの硬度を確認し、レンガの仮置きをする。4日目。メジ用のモルタルをこねる。レンガを積み上げながらモルタルで固める。5日目。花壇に土を入れる。完了検査……?」
「というわけで、さっそく型枠を作るぞ。トラックの上に小さな椅子がふたつあるだろう。取ってきてくれ」
「……はいよ」
高さ30センチほどの椅子がふたつ。その上に塗装コンパネを乗せる。
発電機のスイッチを入れる三良坂さん。ワイヤーのようなヒモ(リコイルスターターというらしい)を引くと、ブブブブ……と、静かな音を立てて動き出す発電機。
延長コードを使って、発電機と丸ノコとを繋いだ。
「これ……」
「これ? 発電機。ガソリンを電気に換える装置だ」
「知ってるよ! 発電機なら、週に何度か動かしてる。地下水の汲み上げ用ポンプ」
「へー……そうか、今どきの子はそうなんだな。俺が若い時は、親の手伝いとかで使ったな。渉くんの親父さんとかお袋さんとかは、こういうのを使う仕事なのか?」
「親父は仕事が忙しくて家にいない。たまに帰ってくる」
「じゃあ、お袋さんしかいないんだな」
「……はやくやろう。みんなに見られる」
「よし、じゃあ、まずは……コンパネを切断する」
三良坂さんは、胸ポケットから鉛筆を取り出すと、途中で90度に折れ曲がった定規(サシガネというらしい)で直線の目印をつける。
そうして、丸ノコのトリガーを引いたなら、発電機よりも一回り大きな回転音が響くのだった。
「よーし、道ノ上くん。しっかりコンパネを押さえてろよ」
「わかった」
ふたつの木椅子の上に置かれたコンパネ。上から体重をかけて固定する。
「切り始めようか」
「……うっ!」
切断中の振動が伝わってくる。体重をかけているはずが、なにやら恐くなってきた。
少しずつ、少しずつ。丸ノコの刃がこちらに近付いてくる。
「話しかけるなよ。油断してたら指が飛ぶ」
「……」
刃が進んでいく。今は中ほど。
「……」
4分の3まで行った。ここで、いったん止まる。
三良坂さんは、サシガネを使って切断面がまっすぐかどうかを確かめる。
「……」
再び、動き出した丸ノコ。
「……よっしゃっ」
切断完了。
30センチ×180センチの板ができる。
「まだ切るのか」
「ああ、切るよ」
「やらせてくれよ」
「だめだ」
意外だった。
今朝は、俺の仕事だと言ったのに。
「なんで」
「渉くんは、ほら……丸ノコの講習、受けてないだろ」
「それ受けたら、使えるのか」
「まあ、働いてないと受けれないけどな」
「じゃあ、使えないじゃないか」
「そういうことだ。残念」
……塗装コンパネの切断は進んだ。三良坂さんがひたすらに丸ノコで切りまくっている間、俺が押さえの役をする。
10分も経たないうちに切断が終わり、4枚分の細長い板が出来上がる。
「ええと、次は?」
「次は……なにをしたらいいと思う? 型枠って、なんのためにあるんだろうな」
「ええーと……型枠は……花壇の基礎になるコンクリートを囲うもの……」
「そうだ。でも、出来立てのコンクリートはドロドロしてるもんだ。固まるまでに一昼夜以上かかる。ということは?」
「そうか、これから四隅を型枠で覆って、コンクリートが固まるためのハコを作るんだ」
「そのとおり。早速はじめよう」
インパクトドライバーとネジ、角材の破片を拾い上げると、花壇の設置予定場所に移動する。
「さて。これから、花壇をどこに置くか決める。その細長い型枠の1枚を、地面にブチ込んでラインを作ってみな」
「わかった」
恐る恐る、1枚の板を拾い上げ、地面に対して水平方向に差し込んだ。石畳が敷いてあるところと技術教室の、ちょうど間の地点にしようと模索する。
やがて、それらしい場所を見出すと、コンパネを地面に差し込んで位置取りをマーキングする。
「よし、じゃあ、そのラインを基準にするからな。いいか、一番大事な作業だ。ここでつまづくと、以降の作業はすべて無駄になる」
「俺がやっていいの?」
「道ノ上くんの仕事だしな。ところで、なんでそこにした?」
「技術教室からほどよく離れてるし、歩行路、そこの石畳をはみ出ない限りは花壇に触れることもない」
「やるじゃん。なら、そこにしようか。そらっ」
スコップを受け取る。
いま引いたばかりのラインを基準にして、ふたりで四角形の穴の線を掘っていった。深さにして数センチほどの。
「こんなもんか。よし、コンパネをもうひとつ持ってきてくれ」
「オッケー」
掘ったばかりの穴にコンパネを差し入れる。さらに、もう1枚のコンパネと繋ぎ目を直角にして組み合わせる。
次いで、インパクトドライバーを用意する。2枚の板の繋ぎ目に角材の破片を差し込んだ。
「これから穴を開ける。しっかり板を持っててくれよ」
そして、インパクトドライバーのトリガーが引かれたなら――
ガ、ガ……ウイイイイィィィ……ゴガガガガッ!
「おおっ!」
「こんな感じだ」
ネジがコンパネを貫通して、角材の内部へと突き刺さっている。固定完了。
「いいか。まずは、ゆっくりと回転させてネジ穴を作るだろ、そしたら、一気に突き込んでやる。最後に、ダメ押しとばかりネジの頭まで木材にめり込ませてやる。見てろよ」
手際の良い動きで、反対側からも同じことをした。
合計4箇所、ガッシリと突き刺さったネジ。
「板同士の結節点、ひとつめ完了。あと3箇所だ。じゃあ、道ノ上くん」
「え?」
「次は、やってみるか?」
「俺、講習受けてないんだけど」
「インパクトドライバーはな、講習がいらないんだよ」
答えは決まっている。
「……やる」
……ずっしりと重たい。インパクトドライバーの感触。
残りは3箇所、計12穴。
インパクトの先にネジを差し込んで、残りの板同士の結節点へと向かう。
三良坂さんが、コンパネを運んでくれている。
「よし、これで……どうだ?」
ネジの先を、コンパネへと当て込んだ。
「いい角度だ。よし、スイッチ押してみろ」
「……!」
ガ、ガ、ガ…………ウイ……ウイィ……バチッ!
ネジが吹っ飛んでしまう。
「もう一度!」
ガ……ウイ……ウイ……イ……バチンッ!
「ああ、惜しい。もっと強く、前に押さないと」
「もう1回やりたい」
「何回だってやらせてやる……おっと」
空を眺める。夕闇が迫りつつある。
「そろそろやめるか?」
「まだまだっ!」
今一度、挑戦する。
ガ、ガ……ウイイィィ……ウイ……イ……
「……!」
ウイイイイイイィィィ……ゴガガガガッ!
「やったっ!」
「よくやったな。じゃ、残りも頑張ろうか」
「おうっ!」
悪戦苦闘。まさにその一言だった。
この場所も、他の2箇所も、時間を要したものの終わらせることができた。
差し込んでいた夕陽が、消えてなくなろうとしている。
「よし、今日の目標は達成! 解散だ!」
午後6時を過ぎている。
「まだできる。もっとやりたい」
「おいおい、勘弁してくれよ。残業申請、出してないんだよ」
「……渉? こんなところでなにやってるの」
……栞。東門に栞が立っている。自転車を引いて、こちらへとやってくる。
「渉。今日は5時間目で終わりなんでしょう? こんなところでなにをしているの?」
手提げ袋を持っている。夕食の買い物帰りのようだ。
「ああ、くそ。いいところだったのに。ええと……これが例のやつ」
栞を見ようとする。見上げそうになってしまう。
俺と背がほとんど変わらない。むしろ高いくらいだ。
「あら、そうなの……これが? 土木作業なんてしないと、先生は許してくれないのね」
今、感じた。確かに。
三良坂さんが、栞に嫌悪の視線を送っている。
「三良坂さん。こちらは、俺の姉で――」
「初めまして。道ノ上栞《みちのうえしおり》と申します」
「……三良坂です。宜しく」
「三良坂さん、ておっしゃるの? 下のお名前は?」
「あなたのような女性が、土木作業員の名前なんか聞くものじゃないですよ」
ヘンな空気。
ああ、これは嫌なヤツだ。
「……これは、失礼しました。お名前を伺う必要がない方に声をお掛けして」
「そりゃあどうも。あなたのように高貴な方のお名前を伺えて光栄ですね」
……教室まで制服を取りに行き、着替えを済ませて帰ってきた後も――今日の片付けをする三良坂さんと、無言で立っている栞がいるだけだった。
流れ解散みたいになって、栞に手を引かれて家まで帰った。ああ、ホント苦手だ、こんな空気。いくつになっても慣れやしない。
(第2話、終)