日本国憲法 第11条
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
2 ここにいう国民は、普通人である。特殊概念能力の使用者は、この限りではない。(※)
俺の名前が呼ばれると、ぎくしゃくしながら教壇の前に立った。
席を離れる際、真後ろからの視線がもどかしくてしょうがなかった。
由香里、頼むから見ないでくれ。恥ずかしいんだ。
「はい! ということで、今回、道ノ上くんが学校に新しい花壇を作ってくれました」
和田先生が、朗らかな笑顔とともに讃えてくれる。
――目の前を見ることができなかった。身体中から、痺れるような感覚が打ち昇ってきたから。
相変わらず、ざわざわとしている。和田先生のことなど露知らずとばかり、雑談に興じる生徒たち。
バンッ、という教壇を叩く音が鳴り響いても、声が止むことはなかった。見慣れた光景だ。
「……」
恐怖に打ち勝って、教室内を見渡した。
真面目に聞いているのは、どうやら俺の仲間と、あとは……教室の後ろ端にいる4人組だろうか。
あとは、お喋りをしている。
「先生ね、みんなに聞いて欲しいことがあるの。道ノ上くんは、悪いことをしました。暴力という悪い行いです。でも、彼は、『なにかを壊そうとした』ことを『新しい何か』を創ることで償いました。みんな、いいですか――」
あの、すぐ後だった。校長先生と和田先生が完了検査を行った。
結果は、文句なしの合格点。「パンジーがきれいだね」という校長先生の言葉を思い出す。「これは概念力《ノーション》によって咲かせたんです」とは、さすがに言い出せなかった。
ああ、もどかしい、もどかしい! もどかしいって、こんな感情だったんだな。
* * *
休憩時間中。
取り囲まれてしまった。例の4人組に。
1年生の時も2年生の時も、彼等が体育祭、文化祭、その他もろもろの行事を仕切ってきた。
俺なんかとはわけが違う、愉快な連中だ。
「ねえねえ、道ノ上クン! 毎日作ってたのって、花壇だったんだねー」
「道ノ上くん。ボクも技術教室の前のパンジー見たよ。綺麗だった」
なんとか、言葉を返そうとする。
「あ、あの……藤原さんも、安田くんもさ……見てたんだろ。あれ、作ったの俺じゃないんだ。あの大人の人がやってくれたんだ」
藤原さんは、今どき? な感じがする女子。
安田は、明るくって真面目系の男子だ。
「うそよ。道ノ上くん、コテみたいなの使ってレンガにコンクリート塗ってたの、わたし見たよ?」
「本物の左官屋みたいだったじゃん、渉っち」
「いやいや、あれもほとんど俺じゃないから……ええと、みや……」
「宮本よ?」
「渉っち、オレの名前知ってる!?」
「ええと、前田くん」
「あったりー!」
「えー、前田だけずるいよ?」
笑顔が張り付いて取れない。
耐えられなくなってきて、チラリと自分の席に視線をやる。
すると、由香里がむずがゆそうな面持ちでこちらを睨んでいた。篤と砂羽の顔は見えない。
……尚吾は、露骨だった。頭を引っかき続けている。
* * *
この日の4時間目は、技術家庭科だった。
俺は今、窓の外に映るパンジーの花々をうっすらと眺めている。
……やっぱり気になるもんだな。自分で作ったものは。
と、ここで、授業の準備をすっかり終えた技術科の沖浦先生が、
「はい、みんなぁ~! 前回までは、LED照明について学んだり、見て触ったり、準備工程をやっていったよな。今日からは、いよいよ本格的に作っていこう! それじゃ、そこの棚に自分のキットがあるから取りに行くように」
教室の端にスチール棚が置いてあり、これまで自分が作ったLED照明キットが置いてある。
前回は、基盤に、配線やLEDライトを差し込むところまでいった。でも、今日は大変そうだ。というのも、
「それぞれの班に2台ずつはんだごてを配ってる。早い者勝ちだ!」
俺の目の前には、『はんだごて』なる機械が置いてある。
説明書を見てみると、どうやら『はんだ』なるものをはんだごての高熱で溶かし、電子回路から突き出ているリード線、その根元を固定するらしい。
『……早く、誰かやってくれよ』
呟きそうになるくらい、誰も挑戦しようとしない。うちの4人班もそうだし、隣の班にしてもそうだし、ほかの班にしたって同じだ。
電子回路に突き刺さったLEDライトをぼんやりと眺めながら、「俺って、ほんとホシュテキだよな」と思う。
「沖浦先生、まず先生がやってみてくれません? ボク、どうしても不安で」
と、ここで安田が口火を切った。
「はっはー、安田、マジびびりでやんの」
「だったら前田! あんたやってみたらいーじゃん」
安田たちの班だ。なるほど、先生に見本を見せてもらうパターンだ。賢い。
そんな言葉を受け、沖浦先生は、技術教室の全体を見渡す。
「君達。なにを言ってるんだ、何事も実践! そらそら、恐がらずにやってみるべし!」
「……」
俺は、はんだごてを手に取った。もう十分に温まっている。
恐る恐る、はんだをリード線の根にもっていく。
……由香里も、篤も、砂羽も、俺の手元に視線を集めている。失敗は……許されないわけじゃない。でも、やるなら本気だ。
勝負は、一瞬――
「ねえねえ、道ノ上クン! はんだ、アタシにも付け方教えてよっ」
「!?」
藤原さんだった。ほかの3人も。
俺たちの班に遠征(?)している。
「え……こ、こうじゃないのか?」
ええい、ままよ。とりあえずやってみる。
電子回路上に等間隔に並んでいるリード線。抵抗器とやらを接着するため、はんだをその根元に近づける。
視線を集中する。ゆっくりと、はんだごての先をはんだに当てる。
「……お! 溶けはじめた。すごいなぁ」
誰かが感想を漏らした。安田だと思う。
……はんだの粒が電子回路に垂れ落ちた。あっという間に固まる。
「うわあ、すごーい!」
色めきたつ女子ふたり。藤原さんと、ええと……忘れた。
「やるやん! 渉っち。一番乗りとかマジやべえ。オレがやったら指が溶けちまいそう」
前田だった。『渉っち』という、とんでもない呼び方をしてくる。もしや、こういう口調が流行ってるのか?
「ねえ、ほら、みんなも来て? 渉くんのはんだ付けが見られるよ?」
思い出した! 宮本さんだ。
淑やかな声が響くと、導かれるようにみんなが集まってくる。
ガタタッ!
という音を響かせて、誰かの椅子が床を転がる。多分、尚吾だ。
「おおい、鵜飼! どこに行くんだ、授業中だぞ!」
尚吾は、そのまま退出する。
いや、まだ退出するなど決まっちゃいないが、あいつはそういうヤツだから。
「もうちょっと、もうちょっとだ……!」
心の声が漏れてしまう。
震える手。由香里は、所在なさげにこちらを見ている……と思う。
――はんだを、はんだごての先に当てる。たってこれだけのことなのに、どうしてだろう。ひどく疲れる。不慣れ、だからだろうか。慣れたら楽しくなるんだろうか?
はんだは、さっきと同じく一瞬で液状化した。水滴が落ちて、電子回路の穴を塞いだ。そのまま次々と、銀色の水の粒が――くるくると落ちる。
最後に、はんだごての先端でもって、落ちたばかりの液体を撫でていく……ひとつめの抵抗器の接着に成功する。
「へえ~、こんな感じなんだ。アタシもやってみよっと」
「やっぱり、先達の存在はありがたいね。ボクは、うまくできない気がするけど」
みんな、自分の席に戻ろうとしている。
と、ここで、沖浦先生がなにやら頭を抱えている。教壇にいるので余計に目立つ。
――目の前を由香里が通り過ぎた。帰ろうとする安田たちに向かって、
「ね、ねえっ、よかったら……あたし達と、一緒にやらない?」
教室中が黙りこくってしまう。
こんな不気味な静けさ、初めてだ。
「え、ええーと? 塩……田さん?」
「汐町《しおまち》だよ」
由香里の苗字を間違えてしまっている。
……ええと、誰だっけ。宮……宮……
教室内は、静かだ。
「汐町サーン、あのねー、えっとねー」
前田が、訝しむような視線を送っている。さっきまでは余裕ぶってたのに。
教室内は、静かだ。
「どうしたの? だめなの? ……いいじゃん、合同班。やってみようよ」
由香里は譲らない。
教室内は、静かだ。
「ちょ、ちょ、待って。沖浦センセに確認しないとまずいっしょ! ね、安田!」
藤原さん。クールな対応をする。頭の回転が早そうだ。
教室内は、静かだ。
「う~ん、まあ、そうだよね。でも、合同班も面白そうだなあ」
「わかった、安田くん。あたしが聞いてくる」
由香里が走り出した。沖浦先生の元へと。
教室内は、静かだ。
「……沖浦先生、お考えのところすいません、ちょっといいですか」
「ああ、すまんすまん、生徒に気を遣わせてしまって! どうした?」
教室内は、静かだ。
「……」
「……」
話し声は、聞こえない。不安な気持ちで眺めるばかりだ。
ふいに、篤と砂羽に視線をやった。目が合うと同時、視線を落とすふたり。強張っている。
教室内は、静かだ。
「……」
「……」
――教室内は、静かだった。
「よお~し!」
と、気合を入れながら、沖浦先生が俺たちの方を振り返った。
「それじゃあ、これから第5班の4人は、それぞれが第1から第4までの各班にひとりずつ散ってみよう。いいかい、これは汐町さんの素晴らしい提案を受けてのことだ。先生の個人的体験だけどな、普段《・・》は交流することのない人と接すると、自分という人間が深まるんだぞ」
静か……じゃないな、これは。
なんだろう、血の気が引くというか、そんな感情の奔流があちらこちらから伝播してくる。
「……」
周りを見渡す。
篤は、どこか苛立った指の動きをしている。砂羽は、凍りついた面持ち――指先は、震えている。当の由香里は、晴れやかな笑顔で凱旋の途中だ。
沖浦先生は、小さくガッツポーズを決めていた。
第2項は、この世界での日本国憲法の一部です。
渉くんなどの使用者《エッセ》は、日本国民としては扱われていません。