曹操軍が荊州の長坂から陳留へと戻ったのはそれから数日が経った頃。
戦の事後処理が落ち着き、将たちが一堂に会するこの陳留城内の部屋で、軍議が行われていた。
「まず、先の長坂の戦いでは敵軍の将、張飛と呂布の2名によって我が軍の主戦力である春蘭、秋蘭、霞、季衣の4名とそれぞれの隊が足止めを食らい、劉備は逃がしてしまったわ。地形的な利点は向こうにあったとは言え、たった2名に我が軍の主力部隊が撤退を余儀なくされた事は反省すべき点ね。」
「華琳さま、申し訳ありません………。」
「いいのよ、春蘭。張飛のあの闘気、あの気迫は流石の一言。無理に噛み付いてこちらが怪我をするくらいならば、あれで良かったのよ。………ただし、このままやられっぱなしで終わるあなたではないわよね?」
「はっ、もちろんです! 相手がどれだけ強敵だろうと、どれほどの兵数を従えていようとも、今後華琳さまのご期待に必ずや応えてみせます!」
「えぇ、期待しているわ。他の3名も同じ様に、ね?」
「「「はっ!」」」
あの場にいた武将たちの表情を見て、満足気に頷く曹操。
一度負けてしまった相手に、ふたたび負けるなど覇王としての自尊心が許さない。
「まぁ今劉備さんをやっつけて益州なんてもらっても、正直手に余りますしねー。」
「えぇ、風の言う通りです。我らは河北の広大な領土を手にしたばかり。豪族もまだまとめ上げられていません。あまり手を広げては、今回以上の危機が舞い込んでくるでしょう。」
「僕もそう思うわね。結果論かもしれないけれど、劉備軍にも痛手を追わせつつ、領土は現状維持できた、として良いんじゃないの?」
「華琳さまの領地が広がらなかったことに関しては残念ですが、他の軍師たちが申しました通り、現状はこれ以上手を広げても得策とは言えません。」
それに対して、曹操軍が誇る優秀な軍師たちは、事前に意見をすり合わせてきたかの様に現状を喜んだ。
実際彼女たちの机には、今も山の様に竹簡が積み上がっている。
これ以上書類の山が増えるようであれば、体力に自身のない軍師ならば無理をして倒れてしまうと言ったところか。
仮にそうでなくとも、実際に自軍の抱えられる範囲というものを、しっかり計算した上での上申なのだろう。
「そうね。まぁ我が領内の準備が整えば、必然的に彼女たちに向けて兵を上げることになるでしょう。蒼慈、その時に備えてしっかりと情報は掴んでおくように。」
「はっ。」
「さて、直近の状況共有はこれくらいかしら。………では、これより先の戦いでの評定を行う!」
そう言って曹操は場を仕切り直した。
「まずは城から出払っていた皆。よくぞあの短期間で戻ったわ。そのおかげで我が軍は大きな損害もなく、劉備を無事追い返すことができたわ。それも偏にあなた達が戻ってきてくれたから。………でもね、私は敵が兵を動かす前にあなた達を呼び戻したつもりはなかったわ。それなのに、あなた達は開戦後それほど時間を開けずにやってきてくれた。普通に考えればまだまだ時間がかかったはずなのに、どうしてあんなにも早くあの城へ舞い戻って来られたのかしら?………ねぇ、蒼慈?」
「は、はっ!」
「あなた………なにかしたのでしょう? 正直に話してご覧なさい。ただし、私の命令に背いて劉備軍が軍を動かす前に皆を呼び戻したというのならば、相応の対応をとる必要がある。それを覚悟して弁明なさい。」
「いえ、ちゃんと華琳さまのご命令の通り、劉備軍が動くまでは皆様に連絡をとっておりません。とても単純に、通常速度よりも早く情報を城まで持ち込み、通常よりも早く皆様に情報を伝達しただけでございます。」
「………詳しく話しなさい。」
「大陸中の諸侯、特に劉備軍と孫策軍については予てより諜報兵を潜り込ませております。そのため、彼女たちの情報は逐一報告が来るよう我が隊の運用を整えております。今回の戦についても、その兵士からの報告により早期に情報を仕入れることができました。内部に人間を潜ませていれば、号令がかかると同時に情報を我が軍に向けて走らせることが出来ます。」
「………そう。」
「それから、真桜さんにもご協力を頂いて、その情報伝達速度の改善に、この所多くの予算を注ぎ込んでおります。それが功を奏した面もございますね。」
「なるほどね………。内部諜報兵からの報告と、真桜の道具か。それだけの理由があったのならば、今回は納得しましょう。」
「あ、それから………。」
「まだあるの!?」
「はい。もう、よろしい………ですか?」
「………そこまで言ったならば、最後まで言ってみなさい。」
「はっ。今回は劉備軍が動く気配があることは、事前に申し上げておりました通りです。であれば、ただ指を咥えて待っているのは愚の骨頂。劉備軍の基本的な戦略や戦術を組み立てるのは諸葛亮の役目です。彼女が我が軍の情報をよくよく集めているのは掴めておりましたので、そこに敢えて此度の迎撃で使用した城の見取り図を忍ばせてみました。………もちろん、多少の手を加えて。」
「真実の中に虚を織り交ぜたのね………。僕が教えたこと、上手く実行してるじゃないの。」
「はい。流石はあの魔都洛陽でのし上がった詠さんです。ご指摘の通り、正しい情報の中に、幾つかの虚を混ぜ込んだ地図を諸葛亮は見たはずです。もちろん、彼女であれば真実かどうか疑念を持つでしょう。ですが、その疑念を抱いたとしても、それすらも含めて対応できるように用意するのが彼女の性格と読みました。………そして案の定、必要の無い攻城兵器まで抱えて行軍を始めます。」
「結果、行軍速度は通常のものより遅くなり、逆にこちらに時間が生まれる………というわけね。」
「はい。まぁ私が考えているよりもずっと早くいらっしゃったのですが………問題のない範囲に収まってくれましたね。それだけの猶予があれば、みなさんが城に戻るまでの時間は確保できる計算だったので、後方支援の兵たちも次々前線に送った、というわけです。」
「はぁ………なんというか、全くよくやってくれたわ。むしろ私の命令どおりに動いてなお、これだけの成果をもたらしたあなたの隊こそ、この戦いの殊勲賞に相応しいわね………。」
ようやく王蘭の報告が終わり、ため息をつく曹操。
まさかこれだけの活躍が知らぬところで行われていたとは、思いもよらなかった様だ。
「蒼慈の活躍もそうだけれど、真桜にもしっかり報いてあげないとね。2人はまた何か褒美を取らせるわ。………さて、次は前線指揮をとった皆の評定ね。今回、特筆すべきは………一刀。あなたよ。」
「んぉっ!? 俺ぇ!?」
「何をぼーっとしているの。そう、あなたよ一刀。確か、前線指揮をとるのはこれが初めてだったわよね? そんな中で、よく最後まで逃げずに指揮を取り続けたわ。両翼が崩れては、本隊の私にも大きな危害があったはず。真桜と一緒の指揮だったとは言え、十分にその役目を果たしたと言えるわ。」
「おぅ………ありがと。」
「で、前線に立ってみてどうだった?」
「そう、だな………。正直、戦は何度体験しても良いものじゃないよ。俺は蒼慈さんみたいに何か秀でたものがあるわけじゃないし、ましてや春蘭たちみたいに武力があるわけでもないしさ、やっぱり怖いよ。………でも、ああやって俺が前に立つことで、少しは華琳の役に立てたのかな、と思うとちょっと誇らしくはある。それと同時に、俺の指示に従って死んでいった兵たちの事を思うと………こんなにも重いものかと感じてる。」
「なんだ北郷、軟弱だなぁ!」
「だから、春蘭みたいに強くないって言っただろ! そういうこと、やっぱりまだ慣れてないの!」
「一刀、あなたはそれで構わないわ。むしろあなたはそのままでありなさい。その重み、決して忘れてはダメよ? その重みを感じなくなった時、目をそらした時、さらに言えばそれに気づけていない時、どれだけ優秀な人間であっても人は暗愚な者へと早変わりしてしまう。それだけ、人の生命は重いということよ。………でもまぁ、よく耐えてるわ。そこは誇りなさい。それは誰しもができることではないわ。」
「あぁ………正直、このところあまり眠れてないかもしれない。」
「ふふっ、いいわ。あとで私の部屋に来なさい。心を落ち着ける良いおまじないをしてあげるわ。」
「おまじない? わかった、お邪魔させてもらうよ。」
「ぐっ、北郷きさまぁ………!」
「華琳さまっ! そんな男を私室に招いては華琳さまのお部屋の空気が穢れてしまいますっ!」
「はいはい。あなた達は、また今度ね。それに、これは一刀が初めて前線指揮を全うしたご褒美なのよ?」
「ぐぬぬぬ………。」
「っち。」
今回の戦は、曹操軍の圧勝というカタチで幕を下ろした。
だが開戦時には将が圧倒的に不足する、確かに危機的状況だったのだ。
そんな窮地にいて、初めての前線指揮を全うした北郷を褒めこそすれ、誰が責められようか。
多少のご褒美をもらっても、誰も文句は無いだろう。
ここに来て、心の大きな成長を見せた北郷は、自身もようやく曹操軍の1人の将であると自覚が芽生え始めたのかもしれない。
その後も各将の評定が行われていき、評定が終了する。
「さて、次は今後の我らの動きについてね。直近は引き続き、領内の豪族たちとの折衝、盗賊の討伐を継続して行うわ。孫策たちは我ら同様まだ内部に力を入れているだろうし、劉備たちについては此度の戦でそれなりの打撃は与えられている。しばらくは大きな戦のない落ち着いた日々が続くでしょう。けれど、それに気を抜くこと無く、それぞれの仕事にあたるように。」
曹操がそう言うとあとは軍師たちがそれぞれ将たちの割り振りや進捗を確認しあい、軍議は終了した。
劉備軍、曹操軍、それぞれに大きな爪痕を残した戦い。
これからの彼女たちにどんな影響を及ぼすのか。
それはまだ誰にもわからない。
劉備軍との戦いを終えた曹操軍のお話でした。
華琳さまのオマジナイ私にもかけてください( ゚д゚ )
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