「なっ!?」
黄忠は自身の弓の腕に、かなりの自信を持っていた。
動かない相手ならば百発百中、戦場で動き回る歩兵が相手であっても、ほぼ確実に相手を仕留められる程の。
その黄忠の手から放たれた矢は、間違いなく夏侯淵の左胸へと向かっていた、はずだった。
………だが、その矢が狙いすまされた狙撃点へと届くことはなく。
「ふぅ………。間に合いましたね。」
矢の軌道上に、不意に現れた1つの人影。
彼がその矢を弾き、射手へと向き直る。
「あ、あなたはっ!?」
この定軍山で一際異色の存在。
森を駆け抜けてからは彼の事しか目に入らなかったのに、張遼や典韋、夏侯淵が現れてからというもの、誰もその姿を目に入れようとすらしなかった。
存在すら忘れてしまったかのように。それはまるで、”影”のような存在。
「蒼慈!」
「秋蘭さん、お待たせしました。………前線は私にお任せください。何人たりとも、矢の1本たりともあなたの元へ届かせはしません。」
王蘭とその隊員たちがざっと夏侯淵隊の前線に立ち、黄忠隊からの壁となった。
「さて、黄漢升殿。改めまして、我が名は王徳仁。曹操軍のしがない一人の将です。以後、お見知りおきを。」
「え、えぇ。………名乗られた相手に返さないのは礼を失してしまうわね。我が名は黄漢升、劉備軍の末席にいる将よ。」
「では………秋蘭さん、参りましょうか。」
「あぁ。お前が居ればもはや負けはない、なっ!」
そう言うと同時に矢を放つ夏侯淵。
黄忠は自身の弓を使って弾くや、すぐに矢を射返す。
だが、夏侯淵は黄忠から放たれた矢を一切無視して、次の矢を構え、射る。
これまでであれば、互いに矢を避け、弾きながら射返す戦いだった。
だが、そこに王蘭が現れた事によって夏侯淵の戦い方が一変。
矢を防ぐ、弾く、避けるなどの守りの行為の一切を捨て、矢を射る攻めの姿勢だけをとっている。
黄忠が放つ矢といえば、その全てを王蘭が夏侯淵の前で処理をする。
また、黄忠隊の兵士が放つ矢に於いても同様に、王蘭隊の兵士が対応する。
たとえ弓なりの弧を描く軌道だとしても、決して夏侯淵隊まで届かせていない。
石であろうと、その辺に落ちている鎧の破片だろうと、使えるものは何でも使って上空の弓矢を弾き落とす。
「これが彼の戦い方、なのかしらね? ………一度たりとも、こちらに攻撃を仕掛けて来ないなんて。だったら、私たちはそれを使って動くだけよ?」
黄忠は王蘭を盾にするような動きで、夏侯淵の矢を避けようとして見せる。
それは対弓兵隊としての動きとしては、きっと間違っていないのだろう。
通常であれば味方がいる方向に対しては矢など射掛けるわけがない。
先程の典韋隊の突撃でも、それをしっかりと確認しているのだから。
だが夏侯淵は躊躇いもなく矢を放つ。
彼がまだそこに居る場所であったとしても。
………それはまるで、王蘭がいつ、どう動くのかを知っているかの様であり。
矢が当たると言う直前に、サッと王蘭がそれを避ける。
王蘭が避けたその先には、もちろん黄忠の姿が。
何とかそれをすんでの所で躱した黄忠だったが、あまりのことに声を荒げる。
「なっ! 夏侯妙才、あなた味方を違えたとしても良いと言うの!?」
「ふん、無駄口を叩いていられるとは、まだ余裕があるか………。ではもう少し攻めてやろう。」
黄忠の言葉を無視するかの様にそう言うと、矢を弓に掛けて放つ。
それは、これまで彼女の手で放たれていたものよりも、更に弓の威力が上がっていた。
「ぐっ! こんなに弓の威力が一気に上るなんて………。」
同じ弓の使い手として、射手が弓を構える事に集中できる状況というのは、威力と精度に直結することは身にしみて理解していた。
やはり前線を任せられる存在というのは非常に大きい。
また攻める夏侯淵につられる様に、夏侯淵隊が黄忠隊をジリジリと押し返していく。
こうして黄忠たちは徐々に後退。馬岱たちからも離されてしまい、連携など取れなくなっていく。
もう既に、その距離はギリギリの所まで来ていた。
「くっ! このままではもうダメ………そろそろ潮時かしら。誰か、たんぽぽちゃんに伝令を! これ以上はもう保たないわ。このまま戦を続けて消耗戦になってしまっては、兵数に劣るこちらが不利。殿は私が務めるから、翠ちゃんと一緒に早く撤退するように伝えなさい!!」
「は、はっ!!」
黄忠隊から伝令兵が馬岱の元へと走り出す。
無論、黄忠が伝令を出す間も、夏侯淵からの攻撃は止むことはない。
「全く………。いい加減に折れてくれても良いのだぞ?」
「はいそうですか、なんて言うと思って? 私はあの子たちが撤退するまで、この戦線を維持しなきゃならないのよ!!」
そう言って複数の矢を弦に駆け、放つ。
その尽くを、王蘭はいとも簡単に弾き落とす。
「くっ………王徳仁、あまり名を聞かない将だと思っていたけれど、とんでもなかったわね。」
「それは、どうも。」
キッと睨む黄忠に対して、王蘭はどこ吹く風で答える。
「ちなみにその弓の技、お前の専売特許ではないのだぞ?」
夏侯淵はそう言って、3本の矢を弓に掛け弦を引く。
これを見た黄忠は驚愕の表情を浮かべ、自身の弓で必死に弾く。
それからしばらく、複数の矢が黄忠を何度も襲い続ける。
その全てを弾けるわけもなく、見る見るうちに黄忠の肌には幾つもの切り傷が刻まれていく。
「本当にしぶといな………そうやって今まで生き残ってこられたのか。称賛に値するよ。」
「くっ、まさか私たちがこんな所でこんな目に会うなんてね。流石は曹操軍、夏侯妙才といったところかしら。………それにあなた。どうしてそれほどの力量がありながら、荊州や益州まで勇名が聞こえてこないのかしらね? 見た目はそれほどまでに使い手には見えないのだけれど、これ程までに腕が立つのなら………。」
「さぁ、どうしてでしょうね? 私はあまりそこに拘りはありませんから。」
王蘭は相変わらず、どこ吹く風状態。
だが、それを聞いていた夏侯淵は………。
「なぁ、黄漢升? ………あまりうちの将を、そう何度も、何度も、何度も。………愚弄して、くれるなよ?」
彼女の纏う雰囲気がガラリと変わった。
周囲が凍てついてしまうかの様な錯覚を起こさせる。
それは、静かな怒り。
すみません、終わらんかった!!笑
定軍山の戦いその3をお送りしました。
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