Fate/Distorted Apocrypha 作:三日月瑞樹
凍えるような空気、凍えるような静寂。
森はただ、暗くて静かだった。
そんな暗闇の森の中で、気絶していた少年は僅かに意識を取り戻した。
ゆさり、ゆさりと。
緩慢な等間隔のリズムで体が揺れている。
ホムンクルスである彼は感じたことはないが、揺かごで揺られる赤ん坊とはこのような感覚を味わっているのかもしれない。
そんなことを微睡みの中で感じていると、ふと柑橘系の香りが彼の鼻孔をくすぐった。
その香りに促されるように目を開けたところで、彼はようやく自身の現状に気づいた。
激しい疲労と損傷で意識を失った彼は、結祈の背中に抱きつくような形で背負われていた。
結祈は背中のホムンクルスが目覚めた事に気がついた様子もなく、淡々と暗闇の森を歩いていた。
「あの・・・・」
流石に女性に背負われている現状は、良いものではないだろう。
そんな思いから何とか声を振り絞ったホムンクルス。
結祈もまたそれに気づいて、背負っているホムンクルスをゆっくりと地面に下ろした。
直前に負ったダメージのせいか、疲労のせいかはわからないが、少しふらつく。
しかし、それでも彼は紛れも無い一歩を踏み出し始めた。
そんなホムンクルスに向かって、結祈はほんの少しの笑みをこぼす。
彼の虚弱な体ではそう長い時は生きられないだろうが、その短い生の中で少しでも生きている実感を感じ取れるなら、わざわざ危険を冒してまで救った甲斐があるというものだ。
「そういえば、貴方に名前はあるの?」
ふと思いついたかの様な結祈の問いに、彼は考え込む様なそぶりを見せる。
数秒の間考え込んでいたようだが、やがて僅かに首を振った。
「いや、ないな。短いとはいえ、一生をホムンクルスで通すわけにもいかないだろうがーーー」
ーーー難しい。
そう、困ったような表情で呟く。
腕を組んで考え込んでいる彼だったが、ふと何か思いついたかの様に顔を上げた。
「アルトでどうだろう?」
「アルト?別にいいと思うけどーーーなんで?」
「む・・・・」
露骨に言い澱むホムンクルス、もといアルトを訝しげに見ていた結祈だったが、しばらくすると興味を失ったのかすぐに視線を逸らした。
結祈が視線を外すや否や、胸をなでおろすアルト。
アルトという名前は、彼を助けてくれた“黒”のサーヴァント、アストルフォの名前をもじったものだ。
アルトという名前の由来について話そうと思えば、必然的に“黒”のライダーの真名にも触れなくてはならない。
恐らく“黒”のライダーは気にしないだろうが、それは助けてくれた彼に対して著しく礼を失する行為だ。
アルトが追求されずに済んで胸をなでおろしていることなど露知らず、結祈は先を歩く。
ある程度先に進むと、結祈は唐突に振り返った。
結祈の行動に違和感を覚えるアルト。
けれど、その違和感を言葉にするより早くに結祈は口を開いた。
「アルト、貴方はこれからどうするつもり?」
「どう、とは?」
「これからの予定の話だよ。トゥリファスを出るのは確定として、その先の話」
「その先・・・・・」
「好きに生きればいいよ。なにしろ、貴方はもう『自由』なんだから」
アルトは愚鈍ではない。
外の世界を知らないが故に、常識については疎いだろうが、純粋な知識量ならばそれなりだ。
しかし、アルトにはどうしても先の未来が見えない。
急に黙り込んだアルトを見て、訝しげに結祈が問いかける。
「どうしたの?」
「いや。『自由』という単語が持つ意味は無論理解しているつもりだ。だが・・・・何をやればいいのか、分からないんだ」
アルトは素直に己の悩みを吐き出した。
それは、未来への不安や、無知ゆえの悩みがないまぜになった吐露だった。
しかし、結祈はそんな泣き言を容赦なく切り捨てた。
「そんなのは私だって知らないよ」
「手厳しいな」
あんまりと言えばあんまりな言葉に、アルトはつい苦笑する。
そんなアルトにデコピンを見舞うと、結祈は真剣な表情で語り始める。
「生き方の正解なんてものは誰にも教えられないし、何をすればいいのかさえも誰も知らない。やりたいことをやればいいのか、やれることをやるべきなのか。そんなものは誰にも分かりはしない。だからせめて悩みなさい。考えることだけが、人間に唯一許された特権なのだから」
出会ってから短い時間とは言え、いつになく真剣な表情の結祈の言葉をアルトは神妙に受け止める。
ーーーー考える、か。
考えることは得意だ、とアルトは思った。
考えている間は無心になれるから。
けれど、考えるだけで答えが導き出せるとは、アルトにはとても思えなかった。
その事を伝えようとして顔を上げたが、結祈はただ穏やかに微笑んでいた。
それでいい、と結祈が頷いた気がした。
突如、視界の端に日が差し込む。
夜明けの朝日に照らされた眼下の世界は、今まで見たどんな景色よりも美しかった。
「ああ、綺麗だ」
忘我したかの様にアルトが呟いた。
それと同時に正体不明の靄が晴れた。
ならば、良いだろう。
この世界をもう一度見れるなら。
この感覚をもう一度味わえるなら。
悩んでも、苦しんでも、逃げ出したくなっても、自分はこの世界で生きていける。
そう、アルトは心から思った。
*******
衝撃から立ち直った後、アルトはすぐに行動を始めた。
途中、なんども立ち止まったが、何とか日が高くなるまでには麓の村にたどり着くことができた。
取り敢えず、麓にまで辿り着ければ後はどうとでもなるだろう。
そう結論づけると、結祈はセルジュという老人にアルトを預けて自身の拠点があるシギショアラへと向かう。
昨日からほぼ休みなしの強行軍は、いくら鍛えているとは言え多少辛いものがあったのも事実だ。
しかし、疲労感以上の嫌な予感というものに急き立てられるようにして結祈は拠点へと急ぐ。
その甲斐あってか、日の沈む前には拠点に辿り着くことができた。
疲労で倒れそうになりながら、家の鍵を開ける。
扉を開けると、未だに秋だというのに氷点下に達しそうなほどの冷たい空気が流れ込んでくる。
反射的に扉を閉めたくなる気持ちをこらえて、リビングに向かうと、そこにはいかにも不機嫌そうな表情のキャスターがいた。
「・・・・・・キャスター?」
「なにかしら」
「怒ってません?」
「怒ってないわ」
「なら、垂れ流しにしている冷気を抑えてくれると嬉しんですけど」
そう口にした途端、更に室温が下がる。
ーーーやっぱり怒ってるんじゃん。
そう思ったが、内心で呟くだけにとどめる。
言葉にしても何一つ良いことがないことが分からない程に結祈は愚鈍ではない。
機嫌の悪さが肌で感じられるほどに怒っているキャスターに対して、結祈は困ったような表情を浮かべる。
どうしたものかと考えあぐねていると、不意に冷気が途絶えた。
驚いてキャスターの顔を見ると、心底呆れたと言わんばかりの表情を浮かべてはいたが、その顔に先ほどまでのような怒気は見受けられない。
「次からは、きちんと事前に連絡しなさい」
思ったよりも真っ当に諭されて、結祈は頬を掻く。
正直、今回の件でここまで怒られるとは思っていなかった。
が、それはそれ。
諭されたからには、素直に聞き入れる度量くらいはある。
「それで、何をして来たの?」
そう問われて、これまでの経緯を説明する。
“黒”の陣営のホムンクルスを助けたこと。
“黒”のセイバーの宝具を入手したこと。
それから、今回の潜入で判明したミレニア城塞周辺の地形などなど。
それらを伝え終わると、キャスターは表情を引き締める。
「入手した宝具は何処にあるの?」
「それならここに」
“黒”のセイバーから譲渡された後、霊体化した状態で持ち歩いていた宝具を実体化する。
柄に青い宝玉を埋め込まれた見事な意匠の大剣。
実体化したそれを、しばらくの間眺めていたキャスターだったが、やがて小さく首を横に振った。
「ダメね。見た目だけではセイバーの真名は特定できないわね」
「だね。けど、今回の潜入で“黒”のライダーの真名は分かったよ」
「“黒”のライダー。確か、“赤”のバーサーカーを捕らえたサーヴァントよね」
「うん。その“黒”のライダーの真名は、恐らくアストルフォ。シャルルマーニュ十二勇士の一人だ」
“黒”のライダー。
その真名をアストルフォ。
アーサー王伝説と並び称される騎士道の華。
ローランの歌に記された、伝説の騎士の一人である。
実力こそローランやオリヴィエに劣るものの、底抜けの明るさとその高潔さ故に数多くの難事を乗り越えていった。
そんな伝説の騎士の一人であるアストルフォの真名が割れた理由は、ごく単純なものだった。
ホムンクルスであるアルトは隠そうとしていた様だが、それ以前にライダーは自分で真名を暴露していた。
いくら距離があったとはいえ、あんな大声で真名を叫ばれては聞き逃す方が難しい。
「そう。それなら、緒戦は結果だけ見れば大成功ということね」
「そうなるね」
結祈が手を差し出すと、キャスターもそれに答える様に片手を上げた。
この先がどうなるかは未だ分からないが、一先ず緒戦の成功を喜ぼう。
そう決めると、二人は勢いよく手を合わせた。
間隔が空いてしまい、申し訳ありません。
次の話もなるべく早く投稿できる様にします。