事務所。周子と美嘉がラウンジのソファーに座って話をしてると、奏が入って来たのが見えた。今日は珍しく機嫌が良いようでニコニコしてるのが見えた。
というか、機嫌が良いのはここ最近では希のため、むしろ二人としては戦慄するまであった。
軽く引いてる間に、奏が周子と美嘉を見つけて機嫌良さそうに手を振って駆け寄って来た。
「あら、二人とも早いのね」
「……ま、まぁね。どうかしたん?機嫌良さそうだけど」
「何かあったの?」
「ふふ、実はね……今日初めてあのアホに勝ったのよ!」
そのセリフに二人して「なんのこっちゃ?」みたいな表情でキョトンとしたが、奏は構わずに続けた。
「どういう事?今まで殴り合いの喧嘩でもしてたん?」
「やめておきなよ、殴り合いなんて非生産的なこと……」
「違うわよ。そんな殴り合いなんて子供っぽいことするわけないじゃない」
もう既に子供っぽいけどね、と二人揃って思ったが口にはしなかった。
「じゃあ、どう勝ったん?」
「実はね、私傘忘れちゃって、さっき河村に傘に入れてもらって駅まで送ってもらったんだけど」
「え、何それ。あたし達的にはそっちが大事件なんやけど」
「それで、今日数学の時間自習で、課題のプリントあったんだけど、その最後の問題が解けなくて、下校中もそれについて考えてたのよ」
自分の質問を聞く気がないことを悟った周子はとりあえず黙ることにした。
「で?」
「それで、河村の質問に耳を貸さずに考え事しながら歩いてたんだけど、そしたらなんかあいつ『傘忘れて迷惑掛けてる』って私が凹んでると勘違いしたみたいで……」
そこで言葉を切って、急にキメ顔を作った奏は声を低くして言った。
「『なんかすごく静かで気味悪いけど、今更お前に静かにされるくらいならまだいつもみたいに罵倒して来た方がマシだから』とか慰めて来て!全然、そんなんじゃないのに!」
一人愉快そうに説明する奏を見ながら、周子と美嘉は半眼になりながらボソッと呟いた。
「……美嘉ちゃん、この子こんなに性格悪かったっけ?」
「……相手が嫌いだとこうなっちゃうんだよ、きっと」
そのセリフに、さすがに奏は「へっ?」と呆気に取られた顔をした。
「へっ?」
「や、いくら嫌いな相手でも心配してくれたんだからそこまで楽しそうにしなくても……」
「ね。相手だって奏の事嫌いなのに心配してくれたんだし……」
「そ、そう……?そういうものかしら……?」
「なんていうか……アレだよね。そこまで言うと付き合い考えるよね」
「うん。まぁ、気持ちは分からないでもないけど……そういうのは本人をからかう時だけにしておいた方が良いというか……」
盛大に引いてる二人を見て、奏は少し冷静になった。確かに、少しやり過ぎたかもしれない。
少し内心で反省してると、周子が「そもそも」と続けた。
「別に奏ちゃん、彼の事嫌いじゃないでしょ」
「はぁ⁉︎」
そのセリフに、奏は若干顔が赤くなった。
「き、嫌いよ!何をいきなり言いだすのよ⁉︎あんな奴別に好きじゃないし!」
「いや、誰も好きなんて言ってないけど」
「え、好きなの?今までのツンデレの一部だったの?」
「好きじゃないわよ!嫌いの反対は好きでしょ⁉︎」
「反対は好きだけど、別に反対じゃないし」
「好きでも嫌いでもないって奴だよね」
「分かった。仮に、仮に嫌いじゃなかったとしても好きじゃないわ、絶対に!考えただけでも鳥肌立つから!」
そう言う通り、奏の腕はスパイダーセンス並みに鳥肌が立っていた。
それに気付いた周子は好きではないのは理解したが、とりあえずもう片方を確認した。
「でも、嫌いじゃないんでしょ?」
「や、それは仮にの話だから!大体、なんで今までの私の話聞いて嫌いじゃないと思うのよ!」
「んー、だってほら、ぶつぶつ文句を言いながら毎回一緒にいるし」
「それはたまたま一緒になっちゃうからもう諦めたのよ!」
「にしても嫌いなら避けるでしょ、普通」
思わず納得してしまう奏を無視して、今度は美嘉が根拠を言った。
「ね、一緒にテストの答え合わせもしちゃう仲だしね」
「そ、それは……!」
「普通、一緒の傘なんて入らないし」
「あ、あれは洋服濡らすわけにはいかないから……!」
「幸子と小梅には夫婦に見られたらしいじゃん」
「……あ、あれはあの二人がおかしいだけよ!」
とにかく!と机をバンッと叩いて立ち上がった。
「私は本当にあいつのこと嫌いなんだから!」
「分かったから落ち着いて」
「声大きい。胸も大きい」
「胸は関係ないでしょ⁉︎」
そう言いながら機嫌悪そうに足を組んだ。
流石に言い過ぎたと持ったのか、美嘉が苦笑いを浮かべながら口を開きかけた時だ。
「ま、まぁ嫌いなのは分かったからさ」
「あ、奏さん!彼氏出来たってお姉ちゃんに聞いたんだけど本当⁉︎」
妹の城ヶ崎莉嘉が爆弾持って走って来た。直後、ギロッと奏は美嘉を睨み、美嘉は気まずげに顔を逸らした。
「……どういうことかしら?」
「あー……あはは」
「今すぐ誤解を解いて来なさい」
「……はい」
怒られた美嘉は歳上とは思えない程に素直に従い、莉嘉を連れて何処かへ去っていった。
その美嘉に心の中で敬礼しながら、周子はふと気になったので奏に声をかけた。
「でも、なんかその子面白いね。今度、紹介してよ」
「やめておいた方が良いわよ、周子。ほんとに」
「なんで?早い話が男版奏ちゃんでしょ?」
「違うから!一緒にしないであんなのと!」
「でも大体行動や思考回路が似通ってるんでしょ?」
「そ、それは……!ま、まぁ……そうかもしれないけど……」
「なら気になるし、良いじゃん」
そう言われて、奏は顎に手を当てた。まぁ、確かに学校のボケナスと目の前のを会わせても問題ないかもしれない。むしろ、上手く相殺されるかもしれない。
「連絡先とか教えてよ」
「あ、ごめんなさい。それは無理」
「? なんで?」
「連絡先知らないもの。必要もないし」
「あー……じゃあ紹介とかは無理か……」
「そうでもないわよ。休日に私と出掛ければ多分顔合わせるし」
「恋人みたいな信頼関係」
「何か言った?」
「べ、べつにぃ……あははっ……」
本気で睨まれ、気まずげに目を逸らした。
「まぁ、紹介するだけなら良いわよ」
「やったね。いつ紹介してくれる?」
「今日で良い?何と無くだけど、なんか帰宅中に会える気がする」
「だから恋人みたいな信頼関係」
「周子?」
「怒るなら自分の言動を振り返ってよ……」
言われて自分の口にした言葉を頭の中でリピートすると、確かに恋人っぽかった。
「……ごめんなさい」
「ほら」
「でも、ほんとに違うから」
「分かったって」
そんな話をしてる間に、そろそろ仕事の時間になったため、二人は席を立った。妹を連れて行った美嘉を置いて。
×××
帰宅中。奏と周子は電車に乗って帰宅していた。
「あー、楽しみだなー。なんだっけ名前、河村くんだっけ?」
「そうよ。あんまり良い子じゃないわ」
「それは奏ちゃんからしたらでしょ?まぁ、傘に入れてあげたりしてるし、案外良い子な気もするけどね」
そう言われてみれば、奏も少し納得してしまった。確かに、あの行動は優衣以外の人にされたらと思えば少しありがたいと思ってしまうかもしれない。
「はぁ……河村じゃなきゃ良かったのに……」
「今からでも仲良くすれば良いやん」
「無理よ。それをするにはもう喧嘩し過ぎたから」
遠い目をしながら奏はそんな事を呟いた。
なんだか気まずくなった周子は、それはさておき、と話題を変えた。
「でも、ほんとに会えるん?あたし、寮の門限無視しちゃってるんやけど」
「平気よ。最悪、私ん家の隣の家のインターホン押せば何とかなるから」
そんな話をしながら奏の実家の最寄り駅に到着したので、電車から降りた。
階段を上がって定期を改札に当てて出ると、目の前のシャッターの降りたテイクアウトの寿司屋から見覚えのある男の子が出て来た。
「……あ、速水……」
「ほら会えた」
「……」
ほんとに会えただけでなく、まさかの駅を出るどころか駅で出会えてしまった運命力がもはやギャグだった。
苦笑いを浮かべてる周子を見て、優衣は軽く会釈した後に奏を見た。
「この人は?」
「塩見周子。私のアイドルのお友達よ。あなたを紹介してくれって言われたから来たの」
「ふーん……。どうも、河村優衣です」
自己紹介され、周子はハッと意識が戻った。で、自分も小さく会釈して自己紹介し始めた。
「あ、ああ、おおきに。塩見周子です」
「……おおきに?」
「周子は京都出身なのよ」
「ふーん……京都出身の人って本当に『おおきに』とか言うんだ」
「それ私も思ったわ。まぁ、周子はあまり訛りは出ない方だから」
「何、もう一人京都出身の人がいんの?」
「いるわよ」
と、思っていたより普通に話す二人。
もしかして、奏が言うよりもそんなに険悪じゃないのかも、と周子が思った直後だった。
「じゃあ、お前はもういらないから帰って良いぞ」
火のついたマッチが投下され、奏に引火した。
「……は?何その言い方?彼女できたことなさそうな、ダメなあんたのために女の子連れて来てあげた人に何?」
「頼んでねーよ。てか彼女はいなかったけどなんで知ってんの?キモいんだけど、ストーカー?」
「違うから、自意識過剰ね。あんたみたいなダメ男に彼女なんて出来るわけないでしょ」
「そのダメ男に今日傘借りたの誰だよ」
「いつまで過去の話をしてんのよ。一人で恥ずかしい思いしてた癖に」
「恥ずかしいのは芸能界に出て折りたたみ傘一本持ち歩かないテメェだろ」
と、まぁいつもの口喧嘩。その様子を見ながら額に手を当てて呆れた周子は、周りの視線が集まってるのに気付きとりあえず二人の間に入った。
「二人とも落ち着いて。周りの人見てるから」
言われて、奏も優衣もハッとなって引き下がった。
「で、何?えっと……塩見さん?紹介って?」
「あ、うん。奏ちゃんが何度も河村くんとの思い出を惚気るもんだから」
「え、お前あの口喧嘩を惚気として捉えて周りに言ってんの?やめてくんない?気持ち悪い」
「は?違うから。周子、どういう事?」
「いや、本当に二人とも同じように嫌がるんだなと思って」
「……」
「……」
すると、周子は何か面白い事を思い浮かんだのかニヤリと微笑んだ。で、何を思ったのかスマホを取り出した。
「うん、よく分かった、二人の関係は」
「「は?」」
「それよりさ、河村くん。L○NE交換しない?」
「なんで」
「ほら、私は河村くんのこと別に嫌いじゃないから。奏ちゃんに聞いたけど友達いないんでしょ?あたしと友達になろうよ」
「……良いのか?」
「もちろん」
感動の眼差しを向けた優衣はスマホを取り出すと、周子とQRでL○NEを交換した。
「おお……ようやく、家族以外の友達が……!」
「奏ちゃんも交換すれば?」
「必要ないもの」
そっか、と短く返しながら周子はスマホをしまうと、改札口に向かった。
「じゃあ、あたし帰るね」
「へ?もう良いの?」
「うん。連絡先は交換したし、いつでも話できるようになったから」
「あ、そう……」
「じゃ、ばいばーい」
小さく手を振って楽しそうに帰って行く周子を見ながら、優衣と奏はボンヤリと呟いた。
「……なんなんだ一体?」
「さぁ?」
「まぁ良いか、帰ろうぜ」
「私に指図しないで」
「良いのか?そんな口聞いて。まだ雨降ってるけど」
「良いわよ、傘買って帰るし」
「あそう」
そんな話をしながら、二人並んで帰宅した。