翌日、デートの日。早朝から起きた私は手早く準備を済ませた。今日のために購入した服に身を包み、朝食はトーストを焼き、親が作っておいてくれた味噌汁を飲んで歯磨きをしてシャワーを浴びてドライヤーで髪を整えて……と、いつもの準備をした。
昨日、私の方から告白して、私と優衣は恋人になった。出会ったばかりの私達に言ったら発狂しそうな話だが、実際の話、少なくとも私は優衣が大好きなんだし仕方ない。
付き合ってから思ったけど、勉強も出来て運動もそれなりに出来る、いざという時は本気で蹴ればコンクリも破壊する戦闘力を持つ彼はかなり良い彼氏だと思う。
……優衣が彼氏、か。そっか。今更だけど昨日、キスしたのよね。恋人なんだから、二人で外に遊びに行ったり、クリスマスや正月といったイベント日は常に一緒にいるのはもちろん、恋人ならではのキスやそれ以上の事も……。
「ーっ……」
そ、それ以上の事って……! ……そっか、私優衣と恋人になったから、彼があれだけ言ってたこの胸も曝け出すことになることもあるんだ……。
って、ダメ! これからデートなのに彼でエッチなこと考えるのは! とにかく、なるべく下手なこと考えないようにしないと……。多分、優衣も口では下ネタ言うけど純情なはずだし、そういう行為をするならお互いのペースで行くべきだ。
……よし、落ち着いた。
優衣との待ち合わせ時間まであと一時間以上ある。でも家を出た。待ち合わせ場所はお互いの家の境界線だ。
「……あれ? ゆ、優衣?」
「っ、お、おう。奏」
「早くない?」
「……なんか、早く目が覚めちまってな……。お前こそ、あと一時間以上あるけど」
「……私も、早く目が覚めちゃって……」
頬を赤らめたまま二人揃って目を逸らした。
……あ、アレ? 何かしらこの空気……。なんだか、異様に恥ずかしいんだけど……。裸見られた時だってこんなには恥ずかしくなかったのに……。
「っ、い、行くか……」
「え、ええ。そうね……」
優衣が肘と身体の間に隙間を作ったので、私はそこに腕を絡ませた。
……な、なんでかしら? 心臓の高鳴りが収まらない……。何を今更緊張してるのよ、私。こいつと二人で外出なんてよくあることじゃない。
……落ち着きなさい、私。横にいるのは所詮、優衣よ。アホの優衣よ。精神年齢10歳未満の男なんだから、私が緊張したって仕方ない……仕方ないってのに……!
ああああ! ダメだ! 何これ、何この感じ⁉︎ なんでこんな恥ずかしいの⁉︎ 恋人ってこんな恥ずかしい存在なの⁉︎
「っ、きゃっ、奏っ」
「っ⁉︎ なっ、何っ⁉︎」
「お、おう……どうした?」
「き、急に話しかけないでよ! ビックリするじゃない!」
「っ、わ、悪い……」
「あ、いや……悪くはない、けど……」
……私のバカ。どんなポイントでキレてるのよ……。大体、デート中に彼に謝らせてどうするの?
「……それで、何?」
「お、おう……。えっと、今日、何だけど……」
「え、ええ」
「……すまん、なんかどこに行けば良いのか分からなくなって来てな……」
「はい?」
「テキトーに買い物とかで良いか?」
「元々、どこに行きたかったの?」
すると、言いにくそうに俯く優衣。何? もしかして変な所に連れて行く気だったの? ラブホとかだったら流石にちょっとアレなので、その辺だったら断ろう。
俯いた優衣は徐々に頬を赤く染めると、ボソリボソリと呟くように言った。
「……その、ど、動物園に……」
「……へっ?」
「……ふれあいコーナーをやってる、らしくて……」
「……」
……え? 何この子、動物好きなの? あ、あはは……まさかね? 喧嘩したがらないとはいえ、人をあんな簡単に再起不能に出来る人が動物なんて好きなわけ……。
……いや、だからこそかな? 動物は悪意を向けてこないし……。何にしても、確かめる必要があるわね。
「……好きなの? 動物……」
聞くと、無言で頷いた?私の胸に「ギャップ萌え」という名の矢が突き刺さった。
「でも、嫌でしょ動物園。あんなガキっぽいところ……」
「嫌じゃないわよ。それよりも、あなたの好きなものが知れて嬉しいわ」
「……お、おう」
……今にして思えば、優衣の好きなものなんてゲームと巨乳くらいしか知らないわよね、私。
「じゃあ、動物園で良いのか?」
「ええ。行きましょう」
電車に乗った。動物園か……。行くのかなり久しぶりかもしれないわね。
×××
上野駅に到着した。んー、この駅は色んな物あるわよね。動物園とか科学博物館とか。期間限定なら恐竜の何かもやってるらしい。
ここに来るのは本当に久しぶりだ。多分、小学生以来かしら? あの頃は早く動物が見たくてパパとママの手を引いてたっけ……。なんてしみじみ思い出しながら改札を出ると、グンッと手を引かれた。
「何してんだ! 早く行くぞ!」
「いやちょっ……⁉︎」
今度は私が手を引かれる番⁉︎ 親の気持ちがわかるのって親になった時なんじゃ……!
何かツッコミを入れる前に優衣は私の手を引いたまま動物園に向かう。
「ちょっ、優衣! 待ちなさい!」
「時間は待ってくれねーぞ!」
「あんた何言ってんの⁉︎ ちょっ、待ちなさいってば!」
引っ張られながらも優衣の襟首を掴むと、服が喉に引っかかったのか「グェッ」と断末魔。後ろにひっくり返り、私からようやく手を離した。
「てめっ、何すんだよ⁉︎」
「こっちのセリフよ! 子供じゃないんだから慌てないの!」
「これで急に雨降って見れなくなったらどうすんだよ!」
「大丈夫よ! 鬱陶しいほどの快晴だから! ていうか、大人しくしないなら帰るわよ私!」
言うと、押し黙る優衣。で、今更になって反省したのか俯いて呟くように頭を下げた。
「っ…す、すまん……」
「……あのね、好きな場所に来てテンションが上がるのはわかるけど、他の人に迷惑かけるようなことはしちゃダメ。良い?」
「……はい」
ふぅ、まったくバカなんだから……。まぁ、誰にでもこういう一面はあるって事ね……。
落ち着いた優衣の腕を、私は両腕で抱き締めてしっかりと固定した。
「……罰として、今日はこのまま離さないからね」
「っ……か、奏……ふれあいコーナーでは離して欲しいんだけど……」
……我慢よ、私。引っ叩きポイントは5ポイントでようやく一発にしておきましょう。
そのままチケットを購入して二人で園内に入った。動物園独特の香り……といえば聞こえは良いけど、早い話が獣臭い。こういう匂いが服につくのは嫌なんだけど……優衣は楽しそうに目を輝かせてるし、この際我慢しましょう。
二人で園内を歩き、まず目に入ったのは猿山だった。
「……うお、猿だ」
「あら? 猿は好きじゃないの?」
「いや、猿山だけで三時間潰したことあるよ」
「何の自慢なのかしら……」
「まぁ、動きがあればの話なんだけどな。小学生の遠足のときかな、一回猿山にクラスメートのおやつのバナナ投げつけてメチャクチャ怒られた」
「何してるのよあなた……」
そういえば元ヤンだったわね……。その時から喧嘩したがる適性はあったのかもしれない。
「……言っておくけど、私と付き合う以上は変な喧嘩はダメだからね」
「わーってるよ……。ていうか、喧嘩なんてしねーよ。しそうになったらコンクリに穴空けて帰らせるわ」
「……それはそれで問題だと思うけど……」
「……うお、あの猿サービスがいいな。さっきから元気に動き回ってやがる」
「あなた、動物園の楽しみ方知ってるの? ……というか、まだここで見て行くの?」
ここは特に臭いがきつい気がする。こやし玉ってこんな感じの匂いなのかしら……。
「あと50分は見て行きたいんだが……」
「そんなんじゃ全部周り切るのに何時間掛かるよ! 次に行くわよ!」
「えー」
「えーじゃないの! ふれあいコーナー行くんでしょ⁉︎」
そう言うと、優衣は渋々従ってくれた。この人の彼女って結構大変なのかもしれないわね……。
色んな動物を見回りながら歩いてると、鳥が飼われてる場所に来た。
「……奏ってさぁ」
「? 何?」
「動物で例えるとツバメだよなぁ……」
「え? 動物園にツバメがいるの?」
「や、いないけどふと思っただけ」
「なんでよ」
「スカしてカッコつけてる所とか?」
「あんた喧嘩売ってるの?」
「でも、自分の身内には優しくて面倒見が良いところ」
……いきなり何を言うのよ、この子。
「あ、今照れたろ」
「……次、行くわよ」
いつか仕返ししてやるんだから……! 付き合ってもあんたに負けるつもりはないわよ。
「……優衣はアレよね、動物に例えたら……」
「お、あっちふれあいコーナーじゃね?」
「……」
……仕返しは今度にしましょう。テンション上がり過ぎててダメだわ。
ふれあいコーナーに到着し、優衣は何のためらいもなく列に並んだ。周りは小学生か子連れの親御さんばかりなのに、私達だけいい年した高校生。それがなんだかとても恥ずかしいのだが、優衣は一切気にしていなかった。
しばらく待ってると、私達の番になり、ふれあえる動物に手を伸ばした。優衣が手や伸ばしたのは……まさかの蛇だった。ふれあいコーナーに存在する動物の中で、唯一飼育員さんの手の上に乗ってる動物。
「……えっ、これに触るの?」
「おう。蛇に触る機会なんてそうそうないだろ」
「これ、毒ヘビとかじゃないわよね?」
「知らね。でも噛まれても平気だろ。俺、ハブに噛まれても平気だったし」
「あんただけよそんなの!」
ハブに噛まれても平気とか何者よあんた! FGOの主人公なの?
しかし、私のツッコミもむなしく、優衣は蛇に手を伸ばした。チロチロと蛇が舌を出したり引っ込めたりしてるのをまるで気にしないで身体や頭を撫で回した。
「や、やべぇ……何だこの生き物……触ってみると意外と可愛い……」
……この人の感性がわからない……。私と優衣に相違点が出来たのはこれで三つ目かしら?
すると、優衣が私の方を見た。あ、これは嫌な予感が……。
「奏も触ってみろよ」
「遠慮しておくわ」
「なんでだよ。可愛いよ? お前に似て」
「微妙に嬉しくないわよ!」
「ほら、何かあったら俺がいるから」
「あっ、ち、ちょっと……!」
私の手首を引っ張って、優衣は蛇に近づけた。
ちょっ、ほんとに触るの? 蛇を? アナコンダと同じ種類の生き物を?
涙目になってると、優衣は私を後ろから抱き抱えるように私の右手を掴んだ。逃げられなくなったはずなのに、何故か私の心は暖かくて、尚且つ安心していった。
そうこうしてるうちに、私の指先は蛇に触れた。蛇は相変わらず大人しいままで、舌をチロチロと出しながらジッと私を見つめている。
「ほら、可愛いでしょ?」
「っ……」
ま、まぁ、たしかに可愛く見えなくもないけど……。触り心地も思ったより悪くない……。
でも……それより、優衣に抱きつかれてる方が……!
「……蛇ってウンコとかするのかな……」
「あんた少し黙ってなさいよ……」
……台無しにも程があるでしょ……。
続いて優衣は色んな動物を触り回った。ウサギとかモルモットとかとにかく色々。
そんな背中を見てる中、私は何と無く複雑な気分になった。……まぁ、端的に言うと動物に嫉妬してしまった。
我ながら情けないわね……。でも、やっぱり私以外の生き物が可愛い可愛いと彼氏に言われてるのを見るのは複雑だ。
優衣が満足してふれあいコーナーから出た時は、少し不機嫌になっていた。
「……ふぅ、堪能した……。腹減ったな、飯にするか?」
「……」
「奏?」
「……なら、勝手に食べれば? 私は作ってきた二人分のお弁当食べるから」
「え、わざわざ作って来てくれたのか?」
「あんたにはやらないわよ」
「え、なんか怒ってる?」
「……ふんっ」
どうせ鈍感なあんたにはなんで怒ってるのかなんて分からないでしょうね。
「……あ、もしかして小動物可愛がり過ぎて嫉妬してんの?」
「……なんでわかるのよ」
「俺とお前だぞ、今更理由が必要か?」
……たまに不便よね、このスキル……。
……でも、気持ちわかるでしょ? 私も膝の上に乗せて頭を撫でながらご飯食べさせてもらった事なんてないのに……。あの小動物達がメスならこの動物園には一生来ないわ。
すると、優衣は何かを察したのか「分かったよ」と何かを察したようで呟くと、私の手を引いた。
「何?」
「お前にも同じ事すりゃ良いんだろ?」
「へ? お、同じ事って……?」
嫌な予感が私の背筋を凍らせた。で、凍らせた時には遅かった。
近くのお昼オープンカフェみたいな所の席に座ると、優衣は私の手を引っ張って自分の膝の上に座らせた。
直後、ボフンと音がして煙が出ると思った程に顔が熱くなった。
「っ、ゆ、ゆゆゆっ……ゆーい⁉︎ にゃっ……ななっ……何を……⁉︎」
「はい、これで飯食わせてやるよ。これが良かったんだろ?」
「ちょっ……あっ、ああああんたバカなの⁉︎ ここ外よ⁉︎ 部屋の中ならともかく……!」
「そんなの気にすることないだろ。……あ、これか弁当」
「っ、い、いつのまに私の鞄……!」
っ、こ、これがテンションマックスの優衣……! 周りの視線なんかどこ吹く風ってこと⁉︎
「奏が嫌なら下ろすけど」
「ーっ……!」
そ、そう言われると嫌じゃ無くなるあたり、私も大概なのかもしれないわね……。
もはや羞恥プレイとも思える状態のまま、結局そのままお弁当を食べた。
×××
その後、テンションの上がり切った優衣によって動物園内を全て周り切り、精神的にも体力的にも私はガス欠となった。
今はその帰り道。最寄駅に到着し、後は私達の家に向かって歩くだけだ。
なんだか休日なのにドッと疲れた気がするわね……。明日の仕事は過去最大級に憂鬱だわ……。
でも、それでも朝からの時間はとても短く感じたんだから不思議よね……。なんだかんだ言いながら、やっぱり私も楽しかったようだ。
「いやー、楽しかった。最高だったわ」
「……よかったわね……」
「奏は?」
「私もよ……」
疲れも大きかったけどね……。
でも、まぁはしゃいでる優衣はもはや可愛かったし、良かったといえば良かったわね。優衣が動物好きだってことも知れたし。
……もう少し、優衣のテンションになってあげましょうか。
「優衣」
「? 何?」
「今日見た動物で一番可愛かったのは?」
聞くと、優衣はニコニコからニヤニヤに笑みを切り替えて答えた。
「決まってんじゃん。膝の上でご飯食べてた奏」
「ーっ、あ、あんたそういうことじゃなくて!」
「冗談だよ。いや本気だけど」
「っ、あ、あんまりからかうと怒るわよ! 大体、彼女を動物扱いするわけ⁉︎」
「怒るなって。まぁ、一番可愛かったのは事実だけど……」
「まだ言う⁉︎」
もういい! そのテンションには付き合わないわよ!
正直、嬉しかったしあまり怒ってないけど少し苛立ったし構って欲しかったので、ふいっと顔を背けると、さすがに調子に乗りすぎたと思ったのか、優衣は謝って来た。
「わ、悪かったよ。怒るなって……」
「知らないっ」
「あー…す、すまんってば……」
……思ったより反省させちゃったわね。……まぁ、こういう時はこれよね。
「……キス」
「へっ?」
「キス、したら……許してあげる……」
「……」
言うと、優衣はフッと小さく微笑んだ。私は私で目を閉じて、優衣の方に顔を上げて、唇を若干尖らせた。
そこに重なる唇と唇。唇は熱を一番繊細に感じる部位と聞いたけど、どうやら本当のようだ、と思うほど熱かった。
3〜5秒ほどで唇は離れ、私と優衣は見つめ合った。お互いに顔を真っ赤にしている。
胸がぽかぽかと暖かい。これが、幸せってものなのかしら? 昨日、告白しなかったらこれは感じられなかったんでしょうね……。
「……優衣」
「何?」
「私、やっぱり昨日のうちに告白しておいて良かったわ」
「……俺としては、やっぱ男から告白したかったから、今日告白したかったけどな」
「……もう、そこは乗る所よ?」
「や、でも不安になってるところをコクられて嬉しさのあまり泣いてる奏も見てみたかった」
その答えに、私は呆れたように小さくため息をついた。彼女の泣いてる姿を見たがるなんて……。
「……そう。やっぱり私達は全然気が合わないわね」
「……そうだな。全然合わない」
「さ、帰りましょうか」
「……んっ」
そう言って、二人で再び帰路についた。