季節は2月後半。もうそろそろ期末試験だ。降り積もっていた雪も徐々に溶け始め、コンクリートの上を歩いていると足を滑らせることが多くなる時期だ。俺は足を滑らせて転んだことなどないが、子供や老人、運動神経の悪い奴は要注意である。
そんな季節に、俺とカナは二人で並んで下校していた。こうして二人でのんびりしていられる時間は嫌いではない。呼吸をするたび白い息が漏れる、この冬ならではの感じは、寒いのに心地よかった。
「……なぁ、カナ」
「何?」
だからだろうか、俺はこんな恥ずかしいことも平気で言う気になってしまう。
「ボトルキャップチャレンジ、やってみたいんだ……」
「……はい?」
すっとぼけた声で返されてしまった。しかし、やりたいものはやりたい。
「やってみて良い? カナの部屋で」
「なんで私の部屋なのよ。外でやりなさいよ」
「やだよ。過ぎ去った流行に今更乗ってるやつ、みたいに思われたくないし」
「じゃあ自分の部屋使いなさい」
「溢れたら汚れるから嫌だ」
「それは私も一緒よ!」
そうかぁ。でもやってみたいなぁ。肉体スペック的にはいけると思うんだよ。何せ俺、強いしムキムキだし。
難しいのは力の加減だが……それもいける気がする。何せこの前、カナが腕相撲やりたいって言うから、勝つか負けるかギリギリのクロスゲームを演じた後に瞬殺してやったくらいだし。
「とにかく、部屋はダメ。せめてうちのお庭でやって」
「見ててくれる?」
「分かってるから」
「じゃ、コンビニ行こうぜ。ジュース買いに行く」
「買ってなかったのね……」
そりゃ、今思い出したんだもん。前々からやりたいと思ってたんだけどね。
「じゃ、行きましょう。飲み物奢ってね」
「良いけど……何飲みたいの?」
「私もやってみたいチャレンジがあるの」
×××
カナの家に到着し、早速、ボトルキャップチャレンジとやらを始めた。アウトドア用の机を庭に置き、その上にペットボトルを設置する。
「よっしゃ、見とけよお前」
「ていうか、それ飲んでからやれば良いじゃない」
「バカ言え。中が入ってるのに成功させるからカッケェんだろうが」
「……あっそう」
興味無さすぎだろこいつ。もう少し構ってくれても良いのに。
「あ、そうだ。あなた、成功させたら後で何か奢ってあげるわよ?」
「は?」
「だから、何か奢ってあげるって。何でも良いわよ? ……まぁ、一万までなら」
「バーカ、彼女に一万円分も奢られてたまるかよ。いらねー」
「じゃあー……AVかエロ本、どちらか一つだけなら所持を許してあげる」
「は、ははっ、はぁぁぁ⁉︎ そ、そんなもん一冊も持ってねーし!」
その直後、奏は目の前からいなくなった。家の中に戻り、5分もしないうちに自室の窓から顔を出した。
バサバサバサッと降って来たのは、俺のベッドの下の床下の下の小中の卒アルの下の過去の自由研究の下の喧嘩売って来たヤンキー達から没収したメリケンサックや釘バットの下に隠しておいたエロ本とAVだった。奏と付き合う前から持ってて、捨てるに捨てられなかった奴。
「……」
「……」
……あ、奏の眉間にしわ寄ってる。あれ? 中指立てた?
降りて来た奏が、さっきまでとは違って真顔で立っていた。
「……ボトルキャップチャレンジ成功させたらそれを捨てられなかったことを許して下さい……」
「失敗したら、なんでも言うこと聞いてもらうから」
承諾せざるを得ない。なんか雲行きが怪しくなってきたが……とにかく集中だ。こういう繊細な技を試すのは初体験だが、俺の器用さなら何とかなるはずだ。
確か、後ろ回し蹴りだっけか? 喧嘩の時、敵に警戒されず、尚且つ即蹴りを放てる構えを取った。上半身は自然体だが、左脚を前脚より若干、引いて立っている。
調整しようと思っちゃダメだ。敵がどこに立っているかを想定し、ボトルキャップはそのおまけ、目の前のムカつく奴を一撃で殺す速さが重要だ。
「すぅ……はぁ」
うし、いける。引いておいた左脚を右脚の前に出しつつ、つま先を右に向ける。その勢いを利用し、右脚を振り上げながら踵から目の前の獲物に繰り出した時だ。
──ーペットボトルの後ろに、胸で容器を支えてタピオカを啜っているカナが目に入ったお陰で、集中力の糸がギロチンに切断された。
「ぶーっ!」
軸足からブレて、俺の右足は過去にない速さとコントロールの無さでペットボトルに直撃、その場で破裂させた。
勿論、蹴った俺もタダでは済まない。両脚の筋を綺麗に痛め、その場で慣性を疑うように転がり回った。
「クゴッ……あ、脚が……‼︎」
「はい、失敗ね?」
んがっ……コノヤロッ、誰の所為だと……!
「ていうか、どんな破壊力よ。ペットボトル破裂させるって……こっちにまで飛沫とんできたじゃない」
「誰の所為だコラァッ‼︎」
「だから、言ったじゃない。 私も試したいチャレンジがあるって」
「何のチャレンジだよそれは⁉︎」
「タピオカチャレンジ」
スマホの画面を見せられ、本当にそういう用語があった。まぁ、元ネタは二次元の世界だったが。
「テメェ……! 今のはないだろ!」
「知らないわよ。さ、なんでも言うこと聞いてもらうわよ?」
……まぁ、仕方ない。こういう時、こいつ絶対に話聞かないからな。
「その前に、これは全部捨てるから」
エロ本とAVはカナに回収されました。
×××
「にしても、タピオカチャレンジとかいうのもあったんだな」
カナの命令で、とりあえず表を歩くことになった俺は、カナとまた手を繋いで街を歩く。
「考えた奴はセクハラの天才だな」
「別に恥ずかしいことじゃないでしょ。見られても良い相手の前とか家の中でなら、普通にやっても良いんじゃないの?」
「いやいや、もっと恥じらえよ。胸の上に何か乗ってたりしたらこっちは割と気になるからな」
主に「え、物が乗るほど大きいんだ、あなたの胸」的な感覚に陥る。
「でも、それならあなたの腕も同じじゃないの?」
「何が?」
「人、五人くらいぶら下がれそうじゃない」
「いや、それと飲み物を胸に置くのじゃかなり違うでしょ。女の人って別に必ずしも筋肉が好きってわけじゃないじゃん」
男は必ず巨乳が好きだが。流石に大きすぎるのはアレかもしれんが、基本的に大きい胸を見て目を奪われない男はいない。
しかし、カナは納得いかないようで、さっきから妙に鼻につく余裕ある笑みを浮かべて言った。
「あら? 私は好きよ? 男の……というかあなたの筋肉」
「や、好きとかじゃなくて……だから、こう……」
……こいつ、分かってるくせに……。
「……もういいわ」
「ふふ、口答えせずについて来なさい」
この野郎、完全にコいてやがるな……! そっちがその気ならこっちにも考えがあんぞコラ。
「……カナ、ところでさ」
「何?」
「俺の筋肉に興味あるなら、触ってみるか?」
「……へっ?」
「さっきの話だと、お前は俺の筋肉に欲情しないんだよな?」
「え? いや……」
「ほら、お前アレ、俺の腕にぶら下がった事とかないじゃん」
カナが筋肉フェチ、という話は聞いた事ないが、こいつと付き合う前にプール行った時、水着姿を見て不覚にも見惚れた事あったんだよな。その時、こいつも同じようなリアクションしていたし、もしかしたら同じように見惚れていたのかもしれない。現にそのあと「……その、あなたも……筋肉すごいのね……」とか言われたから。
つまり、筋肉に興味がないことはないのだ。まぁ、欲情してるかどうかは賭けだが……。
「……い、良いの? 触っても……?」
あ、してるわ。この処女ビッチめ。ま、とりあえずからかうのは後にして、まずは触らせてやるか。
そう決めて、カナの前で右腕に力こぶを作ってやったときだ。何故か、カナは俺のお腹に手を当てた。
「……何してんの?」
「へ? 筋肉を……」
「普通、上腕二頭筋じゃね? なんで腹筋?」
「……」
さらに頬を赤らめるカナ。相当恥ずかしがっている癖に、腹筋に触れてる手は俺の六つのコブをなぞっていた。
あー……なんか、俺とカナの相違点がまた見たかったな……。
「なぁ、奏」
「っ、な、何よ……!」
「お前、ムッツリだろ」
足の甲をヒールで思いっきり踏みつけられた。すごく痛い。しかし、折れたのはヒールの方だった。
「……な、なんでこっちが折れるのよ……。あんた、本当どんな身体してるわけ?」
「つーか何してんのお前……。どうすんだよ、これから」
「とりあえず、靴屋ね」
あ、デートは強行するんだ。というか、なんでヒールで来たのさこの子。
「っ、そ、それまでは……その、おんぶ……してくれる?」
「え、いや一旦帰って履き替えりゃ良くね?」
「命令よ。あなたが私に似合う靴を選んで」
「……」
正直、おんぶはクソ恥ずかしいんだが……まぁ、命令とあれば仕方ないな。
小さくため息をついて、カナの前に片膝をついた。
「ほら」
「あ、ありがと」
背中にカナが体を預ける。俺の肩口から両腕を垂らし、耳元に口が来ているからか、吐息が漏れる。俺の両腕はカナの太ももを掴み、持ち上げた。柔らかい。何でこの時期にミニスカートなのか知らないが、とにかく柔らかい。
「……あの、ユイ」
「何?」
「大胸筋も触って良い?」
「……そういうのさ、せめて家でやらない?」
「……そ、そう」
「……や、ダメとは言わんけど」
「……ありがと」
……なんか、すごい変な空気になってきたな……。背中から俺の大胸筋に触れつつ、首元の三角筋の匂いを嗅がれるという、結局、俺が辱めを受けながら靴屋にきた。
×××
翌朝も学校。昨日の変な状況が未だに頭から離れない俺は、いつもよりもテンション低めで家を出た。あいつに筋肉のことを触れさせると俺まで辱めを受けることがわかってしまった……。むっつりってスイッチ入ると大変だというのは本当みたいだな……。
まぁ、あの一件は忘れてやるのが一番だろう。そう思ってどうせ同じタイミングで家を出てるであろうカナに声をかけようとしたが、カナはまだ家を出ていなかった。
「……?」
あれ、今日は仕事午後からで午前中は学校じゃなかったか?
とりあえず、カナの家のインターホンを押した。玄関から出て来たのはカナの母親だった。
「あら、義理の息子じゃない。どうしたの?」
「や、出てこないからどうしたのかなって」
義理の息子はスルーで。
「そういえばそうね。起こしてあげてくれる?」
「はいはい」
返事だけして家に上がらせてもらった。階段を上がり、カナの部屋に向かう。そういや、玄関からカナの部屋に入るのは久し振りだな。大体、窓からだし。
着替え中に遭遇する、なんて事にならないようノックをした。
「おーい、カナ。学校は?」
「……」
返事がない。ただの屍になられてたら困るな……インフルとかで。返事がない以上、着替え中ってことも無いだろうし、心配だし入るか。
扉を開けると、カナは布団にくるまっていた。
「カナ?」
「…………て」
「は?」
「……昨日の事、全部、忘れて……」
どうやら、シラフに戻ったようだ。俺はむっつりじゃなくて良かった、と心底ホッとしつつ、とりあえず写メを撮った。勿論、喧嘩になった。