それでも大丈夫な方はどうぞ。
※修正しました。
プロローグ
女神である母と人間である父との間に生まれたその子どもは『アステラ』と名づけられ、大切に育てられました。
そうしてアステラが大抵の事を一人で出来るようになった頃。
母は外で遊んでいた彼女を呼び出し、告げた。
「恋をすれば貴女は不幸になるわ」
優しく、歌うように囁かれた言葉。
突然突きつけられたその不穏な言葉と母の真剣さに一瞬気圧され戸惑うも、幼さ故に理解が及ばず、内容自体には恐怖を感じていなかった。
それよりも、アステラは"こい"という聞き覚えのない言葉に対しての興味の方が勝っていた。
まって。まってね。それって何だっけ。
覚えたての数少ない知識の中からそれを引っ張り出そうとするも見つからない。
つまりそれはアステラにとって未知の言葉であるという事。
だからアステラは純粋に母に問うた。
「こいってなぁに?」
すると、母は困ったように眉を下げた。
「好きは、分かる?」
その問いに勿論だとアステラは大きく頷いた。
アステラは母が"すき"であったし、父も"すき"であった。最近ではこの山の空気も、森も、空も、花も"すき"であると分かった。
具体的にどういうことなのかを説明する事はできないけれど、それが"いいこと"だと知っている。
「もしかして"こい"って"すき"と同じなの?」
「ううん少し、違うわ」
「違うの?」
「そうね……例えば自分とは別の誰かに特別な感情を抱いてしまったり、その人を見るたびに走ったみたいにドキドキしたり、一緒にいるだけで幸せだって思ったり……ね」
「それが"こい"?」
「勿論それだけが恋ではないのだけれど、そうね」
その答えにアステラは「ふーん」と曖昧に返事をした。聞いたはいいものの、やはりその内容は難しくアステラには理解できなかった。
「わたしはそれを"ふこー"になるからしない方がいいの?」
「恋はね、唐突にしてしまうものよ。だからもし貴女が誰かに恋したのならそれでいいのよ。ただそれが貴女にとって幸せとは言えないかもしれないというだけの話なの」
悲しそうに微笑む母を尻目にアステラは考えた。
話を聞く限り、"こい"は悪いことじゃなさそうだけれど、自分で御せるものではないらしい。そのいつなるかも分からない"こい"をすれば、母が言うにヴェガスはきっと不幸になるのだと言う。
「ふこーになるの……やだなぁ……」
できるなら幸せでありたいという安直な考えからぽそりと呟いた言葉に母は酷く泣きそうな顔になった。それから唇を噛み締めて頭を振ると、アステラの目線の高さまでゆっくりとしゃがみこんだ。
「もし……もしも、よ?貴女が恋をして、苦しくて仕方がなくなったのなら、これを成人するまでに使いなさい」
大きな母の手がアステラの手をぎゅっと包みこみ、何かを握らせた。
その手の中に置かれたそれは角があってゴツゴツしていて冷たい何か。その正体を確認しようと手を開いた瞬間、アステラは「わぁ!」と感嘆の声を洩らした。
花を象った蒼玉は、光の加減で明滅する星のように六条の光を放つ。周りを縁取る銀の装飾は滑らかな曲線を描き、その青を映す髪飾りは見事なものだった。
アステラは瞳をキラキラと輝かせて年相応にはしゃいだ。
「これ、わたしがもらっていいの?」
「えぇ、貴女の為に作ったもの、ですもの」
夢中になって見ていた髪飾りの上に、ポツリと雫が一つ落ちた。雨でも降りだしたのだろうかと不思議に思い、顔を上げたアステラは目を見開いた。
母の夜みたいな色の瞳から、はらはらと涙がこぼれ落ちていた。
「普通の人みたいに、家族が欲しかった。どうしてもあの人との子どもが欲しくなってしまったの。貴女に会いたかったのよ、アステラ。それなのに、ごめんね、ごめんなさい私が──」
声を震わせて泣く母はアステラを抱き締めた。アステラはというと、母が泣いてしまった事に驚いてしまって動けないでいた。
しばらく目を泳がせて戸惑っていたが、母の温もりがじんわりと伝わり、強ばった体から余計な力が抜けていく。
そうしてその心地よさから段々と微睡みに誘われて、母の腕の中でゆっくりと目蓋を閉じた。
しっかりと、その青い花飾りを握りしめて。
──女神ヴェガスは退屈でした。
ですから、父であるエクトスに今日もお願いしました。
「お父様、私にも何か仕事をくださいな」
何時もと変わらない願い。
「そのうちに来るから、もう少し待ちなさい」
何時もと変わらない返答。
本当は役割がほしかったのですが、貰えないことは分かっていました。
ヴェガスは諦めて散歩に出掛ける事にしました。
そうしてしばらく歩くと星の神に出会いました。
「おじ様、何をしてらっしゃるの?」
「あぁヴェガスか。下界を見ているんだよ。ほら」
そう言って天の門を開くと空に溢れた星達がコロコロと滑り落ちていきます。
ヴェガスが言われるがまま覗きこむと、空と同じ色の何かが見えます。空の世界しか知らないヴェガスは興味津々です。
「あれは何でしょうか?」
「海だよ」
「じゃあ、あれは?」
「大陸だよ。生き物が住んでいる──あぁ、ヴェガスあんまり乗り出すと──」
落ちてしまうよ。そう忠告する前にヴェガスは星と共に空から落ちてしまいました。
仕事を終えて帰ろうとしていた鍛冶屋オリクトの元に、星のようにきらきらと輝く女性が落ちてきました。
そして泣き出した彼女に、彼は驚きながらも宥めます。
「どうして貴女は泣いているのですか?」
「落ちてしまったの。このままじゃ帰れないわ」
そうしてオリクトを見上げる彼女の瞳は涙に濡れて、宝石のように、星のように輝いていたのです。
*****
祖父は全てを知っていた。
母が地上に落ちる事も、父と結ばれる事も。
あぁ、それなのに。そんな祖父でさえ予想だにしない出来事が起きてしまったのだ。
一体何処でねじ曲がってしまったのか。何を間違えたのか。
それは"私"という存在が生まれたこと。
それはいけないこと。あってはならないこと。
だから祖父は私に死を授けると決めた。
それを聞いた母は嘆き、祖父と三日三晩口論を続けた。そして遂に折れた祖父は母にとある提案をした。
それは私を生かす代わりに呪いを施し、家族が離ればなれになるというもの。
祖父は母が結論を出すのに七日間の猶予を与え、母は父と話し合うために直ぐに地上に降りた。
二人はあっさりと私を生かす決断を下し、祖父から与えられた五年の時を過ごした。
そして五年が過ぎると父は何処か遠くへと渡り、母は私に別れを告げて空に帰った。
地上に残された私はそうやって生かされている。
両親と別れたアステラは祖父の知り合いであったケイローンの元で暮らす事となった。
彼の住むというペリオン山の麓を訪れてみれば、一頭のケンタウロスが柔和な笑みを浮かべてアステラを待っていた。
少し跳ねた髪をゆるく束ね、その薄い碧色の瞳を細めて微笑む彼からは荒々しいケンタウロスの気配は感じられない。むしろ知的な印象を与える穏やかな青年であった。
アステラは側まで近づいてぺこりとお辞儀をすると、ここに来るまで何回も練習した挨拶を紡いだ。
「はじめましてアステラです。これからよろしくお願いします」
「はじめましてアステラ。私の名はケイローン。これからよろしくお願いしますね。
それと、他にも紹介したい子がいます。丁度貴女と同じくらいの年の教え子がいまして……ほら、アキレウス。挨拶なさい」
そう言ってケイローンは後ろを振り返ると、誰かにそう催促した。アステラもそれにつられてそちらに目を向け──
「すき」
「え」
それは意図せず溢した言葉。
アステラはなんだか急に苦しくなって、胸元を押さえた。心臓がおかしいくらいにドキドキと鳴っている。
それは緊張している時よりも遥かに速く、それはまるで走った時のような。
その胸の高鳴りが何なのか。口走った言葉は何なのか。それらを今のアステラは理解できない。
例え理解していたとしても、きっと目の前に現れた彼を見つめるだけで手一杯な筈だ。
彼女はその輝きに目を奪われてしまったのだから。
アステラの両親、祖父の名前を出しました。親戚に当たる方に実在の名前の方が出てくるかも知れませんが、アステラ含め、ここ四人(?)はオリジナルです。
これ以上オリジナル人物が出てくることはないです。
両親の昔話やらも加筆。
語る場所が無さすぎるのもと思い、思いきって増やしました。