青薔薇に憧れて   作:天澄

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#5.始めての練習

「早速始めていくわよ」

 

「よろしくお願いします!」

 

 何とか湊さんの協力を得られることになってから約一週間。スタジオの予約がとれた、と湊さんの方から連絡がありこうしてスタジオの一室へとやってきていた。

 

「……頑張ってくださいね……」

 

「おうさ」

 

 この場には燐子も来ており、どうやらキーボードを用いて練習に協力してくれるそうだった。湊さんと二人きりでないのは少し惜しいとは思うが、それでも今回の目的はボーカルとしての技術を得ることだ。そもそもここで湊さんに認めてもらえなければこの先話す機会すら失うわけであるし。

 

「とりあえず、やってくるように言っていたトレーニングはやってきたかしら?」

 

「おう、一通りな。腹式呼吸とかは、できてるのかいまいちわからないけど」

 

「……そうね、確かに初めてならそんなものかしらね。一応一通り確認しましょうか」

 

 湊さんより適宜修正を受けながら声の出し方や呼吸法などの基礎部分の確認を行っていく。時々、姿勢の修正などで湊さんがこちらに触れたりしてくるが、それにときめいている余裕などないほどに湊さんの真剣な視線に充てられこちらも練習に熱が入っていく。

 

「とりあえずは、こんなところかしら。あまり確認だけに時間をかけていられないし……」

 

「基本的に今のは家で一人でもできるようなやつだろ?そしたら今しかできないことを教えて欲しい」

 

「……わかったわ。それなら燐子、少し手伝って欲しいのだけど」

 

 そのまま、湊さんは白金さんと話し始める。このあとの練習についての打ち合わせが済むまではひとまず休憩だろうと判断し、持ち込んだスポーツ飲料で水分補給をする。

 練習を開始してからまだ一時間経たない程度であったが、それでも身体はかなりの疲労を感じていた。それは普段の生活では使わない部位を意識して使っていたのもあるし、何よりついつい熱が入って全力で練習していたのが大きいだろう。今までになかった心地よい疲労に、思わず口元には笑みが浮かんでしまう。

 

「……どうしたのかしら、急に笑って」

 

「いやいや、何でもねーよ。それで次は何するんだ?」

 

「次は本格的な発声練習よ。音域を確かめるから燐子の鳴らした音と同じ高さの声を出してちょうだい」

 

「おっけー」

 

 あー、と指示通りキーボードの音に合わせて声を出す。徐々に高くなっていく音に、ある高さを超えてから声が出しづらくなってくる。流石にキツい、というラインまで来てついに音が少しズレたと認識した瞬間、手を挙げストップをかける。

 

「……悪い、限界だ」

 

「……そう……」

 

「……えっと……」

 

「あれ、二人ともどうした?」

 

 どうにも歯切れの悪い湊さんと白金さんに首を傾げる。今の感覚で言えば、そこまで音を外したわけでもなく、中々いい声だったと自分では思っていたのだがさて。存外、耳の方が音程のずれを認識できないポンコツだったのかもしれない。だとしたら致命的だなぁと困った顔をしていたら、どうやらそれを見かねたらしい湊さんが違うわ、と首を横に振る。

 

「別に悪い所があったわけじゃない。……次は私に続いて歌ってみてちょうだい」

 

 まぁ悪いところがあったのでないならば、とりあえずはいいだろうと再び指示通りに湊さんに続いて同じ音程で歌う。しばらくそれを続ければまた、どうにも音を出すのが辛い音域となってきてズレを自覚した段階で中断させてもらう。

 そんなこちらに対し、やはり何かあるらしく湊さんと白金さんは顔を見合わせる。三人いる場で自分以外の二人だけで認識を共有されるとどうにも引っかかるものがあるのだが、と頭の後ろをかいているとそんなこちらの気持ちを察したのか湊さんは白金さんと頷きあってからこちらに目線を向けてくる。

 

「……なんか、あったのか?」

 

「さっきも言ったけれど悪いことではないわ。むしろいいことね」

 

 お、と予想外の言葉に思わず首を傾げる。正直、音楽経験者からすればこちらにマイナスの要素はあってもプラスなどないと思っていたのでいいことがあるなんてのは完全に予想していなかった。

 予想外のことであったためにかなり気になるので早く教えてくれ、と湊さんに視線を向ける。それに対し湊さんは溜めるほどのことでもないからか、あっさりと口を開いて答えを教えてくれる。

 

「あなた、多分だけれど絶対音感かそれに近いものを持っているわ」

 

「絶対音感って……あれだろ?音を聞いてドレミのどれか答えられる、みたいなやつ。俺はそれ、できないぞ?」

 

「それはあくまであなたがドレミがどの音を指しているか覚えていないからよ。覚えさえすればあなたが言ったこともできると思うわ。……とはいえ、多分だから本当に絶対音感を持っているとは言い切れないのだけど」

 

 どうやら、意外な才能は自分は持っているようだった。今までの人生、音楽にあまり興味を持ってこなかったのもあって、正確に音階を聞き分けられるなど完全に自覚していないことだった。しかしとはいえ、である。

 

「そういうのを凄い、みたいな話は聞くけど、実際のところ歌うにあたってそれはどれだけ役に立つものなんだ?」

 

「そうね……あなたの場合、凄いのは絶対音感自体じゃないのよ」

 

 こちらの質問に対して返ってきた答えはよくわからないものであった。絶対音感が音楽という世界においてどれだけ役に立つものかを認識できていない身としては、凄いのが絶対音感自体ではないと言われてもいまいち何が言いたいのかがよくわからなかった。

 顎に手をあて何と言うべきか悩む姿すらも、湊さんは様になるよなぁ、なんて湊さんが何を言いたいのか理解できず思考を放棄しているとやがて何と説明すべきか言葉がまとまったのか湊さんが改めて言葉を発する。

 

「凄いのは、絶対音感で聞き取った音を正確に模倣できるあなたの喉、ということになるかしら」

 

「喉?」

 

「喉が凄いのか、それを感覚的にこなす才覚が凄いのか……。何はともあれ、あなたは正確に音階を聞き分け、それを正確に再現できる喉を持っている。これは強みになるわ」

 

「マジか」

 

 まさかの湊さんからの褒め言葉に口元が緩むのを自覚する。どうあがいても自分は素人なのだ、その至らなさに湊さんから注意ばかり受けるだろうと予測していたため、今回の褒め言葉は不意打ちであった。どうにも笑顔になる自分を止めることができない。

 そんなこちらに呆れたのか、はぁ、と湊さんは溜息を吐き、とはいえ、と言葉を続ける。

 

「ただただ音を正確に歌えればいいというわけでもないわ。ライブとかになれば演出としてあえて音を外す場合もある。こればかりはあなたやバンドの方向性次第になるわね」

 

 やはりというか、そこまで甘い話でもないらしく、こちらに釘を刺すように言われた言葉に何とか浮かれた気分を抑え込んで神妙に頷いて返す。それにまだ声の通し方や、感情の込め方といった技術については何も習得できたわけではないのだ、まだまだ問題点は山のようにある、と自らを戒める。

 

「それに、さっきの感じからすると少し音域が狭いわ。音域を広げるためのトレーニングもいるわね」

 

「うっす!」

 

 わかってはいたことだがやはり改善点はまだまだ多くあるらしい。長い道のりではあるが、だからこそまだまだ伸びる余地がある、と考え直し気合を入れて再び練習へと臨む。

 ―――そのまま合間合間に休憩を挟みながら練習を続けること数時間。休憩を挟んでもリカバリーし切れないほどの疲労が体に溜まってきた頃、どうやらスタジオを借りていられる限界時間が来たらしく、湊さんが練習の終わりを告げる。

 

「とりあえず、今日はここまでよ。今回の練習でやった中で、個人的に家でもできることは覚えているわね?」

 

「気を付ける点も含めて、適宜メモを取ってある」

 

「それならいいわ。それじゃあ片づけるわよ」

 

 その言葉を合図に、三人揃ってマイクや配線を片付け始める。自分に関しては白金さんのキーボード周りなどの細かい機材の片づけは手順などを理解していないため、スタジオの使用料の支払いや位置を戻すだけで済む機材の片付けを担当していく。流石に湊さんや白金さんは手馴れていて片づけはあっという間に終わってしまう。

 片付けが終わってしまえば、もうスタジオ内に残る理由もないので扉を開けて他の二人が出るのを待ち、最後に忘れ物がないかを確認してスタジオから出る。

 スタジオの使用終了時間が来た段階で理解していたことだが、既に外は暗くなっており、空には星が輝いている。まだ春先ということもあり、些か外は冷え込むため、多少着込んできて正解だったな、と思いつつ二人は大丈夫だろうかと振り返って確認する。

 見れば二人も冷えることは予測していたのか上着を持ってきていたらしく、それなりに暖かそうな格好をしている。まぁこんな時間までの練習は慣れていると言っていたのだ、対策してあるのは当然か、と思っているとふと視界に二人とも指先を意味もなく動かすのが映る。流石に、手袋までは用意していなかったらしく、陳腐な言い回しにはなるが外気に触れる白磁のように滑らかな指先が如何にも寒そうであった。

 

「二人とも、ほいこれ」

 

「あら……」

 

「……あ、ありがとうございます……」

 

 スタジオの精算を済ませた際についでに買っておいたが無駄にならなくてよかったと苦笑しながら小さなペットボトルのホットミルクティーを二人に手渡す。

 

「ごめんな、二人の好みを知らないから適当に買ってきたけど」

 

「いえ……大丈夫です……」

 

「ありがたくいただくわ」

 

 二人の言葉に安堵しつつ、自分も買っておいた微糖の缶コーヒーを口に運ぶ。無糖も飲めなくはないが、微糖くらいが個人的には飲みやすく好んでいた。

 スタジオからの帰り道。温かいものを飲みながら三人並んでゆっくりと歩く。街灯のせいで数は少ないが、それでも強い光を放つ星々ははっきりと空に見える。

 しばらくして缶コーヒーを飲み終わってしまい、ゴミ箱はないかと空から周りに視線を移した際に、重そうなキーボードを、細身の少女である白金さんが背負っているということを遅まきながら理解する。我ながら気が回らない人間だなぁ、と反省しつつも一応、今更ではあるのだが白金さんへ大丈夫か確認をする。

 

「白金さん、あれだったらキーボード持とうか?」

 

「……あ、いえ、大丈夫です……。慣れてますし……」

 

 そりゃ練習の度に運んでいるのだ、慣れもするかとも思うがそれでも大変だろうと更に押すべきか悩む。しかし、それに、と続けられた言葉にそれ以上は無粋だと悟る。

 

「キーボードを持っていると、落ち着くというか、勇気が湧くんです……。だから、大丈夫です」

 

 ネトゲでのRinRinの饒舌さに比べ、現実の白金さんは気弱な印象の強い少女だ。そんな彼女が珍しくはっきりと大丈夫と言ったのだ。ならば本当に大丈夫なのだろうと、そっか、と一言だけ告げてそこまでで話を終える。

 そのまま夜道をぽつぽつと他愛のない会話をしながら進めば、やがて一つの別れ道へと辿り着く。どうやらそこが白金さんと湊さんそれぞれの家への分岐点らしくそこで二人は別れるとのことだった。

 流石に時間が時間だ、少なくともどちらかは送っていくべきだろうと少し悩む。個人的には惚れた相手である湊さんを送っていきたいところだが、気弱な白金さんを一人歩かせるのも気が進まないところがあった。そんなこちらに何を悩んでいるのか察したらしい白金さんが、ある情報を教えてくれる。

 

「あの……私はここから家までさほどかからないので……。私より遠い、湊さんに着いていってあげてください……」

 

 そういうことなら、と頷いて返せばそれではお疲れ様でした、と一礼して白金さんが去っていく。それを見送ったあと、行こうか、と湊さんに告げれば湊さんは歩き出しながらもどこか不満げな目でこちらを見てくる。

 

「別にここはいつも帰っている道よ。わざわざ送ってくれなくても大丈夫だわ」

 

「と、言ってもなぁ……時間が時間だし。それに白金さんの口ぶりだと多少なりとも距離がありそうな感じだったけど?」

 

 こちらの言葉に湊さんが言葉に詰まる。それを見た段階でこれはこちらの意見を通せるな、と判断し、そのまま道を歩き続ける。

 

「なにも別に家まで送るってわけじゃないよ、近くまで来たら言ってくれればいい。流石に親に見られて何か言われるのも嫌だろうし、何よりこないだ知り合ったばかりの人間に家の位置まで知られたくないだろう?」

 

 そこまで言えば流石の湊さんもそういうことなら、と渋々ながらも納得を見せる。

 話がまとまったため、悩んでいたせいか少しばかり遅れていた湊さんに歩調を合わせペースを落とす。好きな人と夜道で二人きりというシチュエーション。当然ながら緊張と高揚で心臓が暴れるが、そこは年長の意地と男としての恰好付けで表には微塵も出さないように努める。

 

「……あなたの配慮はありがたく受け取るけれど」

 

「ん?」

 

 静寂に包まれていた道に、湊さんの透き通った声が響く。どうしたのかと湊さんの方へ視線を向ければ少しばかり照れた様子の湊さんが視界に映る。

 

「あなたにならば家の位置くらいは知られてもかまわないわ。知り合ったばかりとはいえ、それなりにあなたのことは信頼しているの」

 

「それは……まぁ嬉しいけど、些か不用心じゃない?」

 

 信頼されている、という事実に嬉しくは思うも、どちらかと言えばそんなにあっさりと信頼されてしまったことに、湊さんの危機感のなさが心配になってしまう。咎めるべきかなぁ、なんて今の距離感で踏み込んでいいのかと悩んでいれば言葉が足りなかったと判断したのか湊さんがさらに言葉を続ける。

 

「あなたは……練習で、音楽に対して真摯だったから。だからそれなりに信頼してもいいと思ったの」

 

 その言葉にやはり嬉しくなってしまうのだが、同時に危うい子だなという感想を抱く。何というか、良くも悪くも音楽にありきの少女なのだろう。その在り方は傍から見ている限りは真っ直ぐ美しく見えるのだろうが、親しい人からしたら不安でしかないだろうとも思う。

 

「それにあなたはどこかリサに似ているから」

 

「リサって……今井さん?」

 

 こちらが勝手に心配している間にも湊さんは話を進めていく。似ている、と評されたのはRoseliaのベース担当の今井リサ。先日のファミレスでは結局、これから先生になるということで湊さんやネトゲ仲間である宇田川さんと白金さんをメインに話してしまったため、あまり彼女は印象に残っていない。確か見た目はウェーブのかかった茶髪に、いくつかのアクセサリとどちらかと言えば派手めな、他のメンバーとは毛色の違う少女であったように思う。そんな彼女と自分が似ている……?と首を傾げれば湊さんはそう感じた理由を話し出してくれる。

 

「片付けの時の手際の良さや、扉を押さえて私たちを通してくれるような小さな気遣い」

 

 これもそうね、と中身のなくなったミルクティーのペットボトルを揺らす湊さん。

 それらは今まで女性と付き合う上で自然と身に付いたものであまり誇れるものではないため、少しばかりリアクションに困る。それにやはり今井さんがどういう人物か理解していない自分にはピンと来ない話であった。

 

「私の幼馴染に似ているあなたといると、どことなく落ち着くのよ」

 

「……そうかい」

 

 予想していなかった落ち着くという言葉に、思わずぶっきらぼうに言葉を返してしまう。そんなこちらを気にした様子もなく湊さんはそうなのよ、と返してきて何だか悔しくなってしまう。とはいえそこで意趣返しなど図ってしまうのは些か情けない。とりあえず話の方向を別の方へと向けることにする。

 

「湊さんから見てさ、今井さんってどんな人なんだ?こないだのファミレスではそんなに話せなかったから気になる」

 

「そうね……リサはとても素敵だと思うわ。私には勿体ないと感じるくらい。さっきも言った通り気配りはできるし、料理も上手いわ」

 

 そのままポンポンと続けざまに出てくる今井さんを褒める言葉。それを口に出す湊さんは小さな、しかし確かな笑顔を浮かべていてそんな笑顔にさせることのできる今井さんに少しばかりの嫉妬を覚える。だがそれ以上にそんな笑みを浮かべて今井さんについて語る湊さんにある種の親近感を覚え、ポツリと、口から言葉が零れる。

 

「……自慢の、親友なんだな」

 

「親友……そう、ね。大切な大切な親友だわ」

 

 そっか、と湊さんの答えに笑みを返す。やはり湊さんにそう言ってもらえる今井さんに嫉妬を覚えるがそれ以上に湊さんの笑顔が素敵で嫉妬もすぐに気にならなくなってくる。そして意味もなく張り合いたくなってきて、自然と口が開く。

 

「俺にも自慢の親友がいてな。乾翔馬っていう」

 

「……紗夜にギターの練習を頼んでいた?あの場の印象ではただのお調子者って感じだったけれど……」

 

「まぁそれは否定しない。でもあれでも結構周りをしっかり見ててなー。空気は読めるし、友人の誰かの調子が悪い時、一番最初に気づくのはあいつなんだ」

 

 そのまま二人で互いの親友について話し合う。この時間で知ったことは今井さんのことばかりだし、湊さんに教えることができたのは翔馬のことばかりであった。それは好きな相手と話していた、ということを考えれば間違いなのかもしれない。本来ならもっと湊さんのことを知れるように、自分のことを知ってもらえるようにすべきだったのかもしれない。けれどその時間は間違いなく心地の良いものであり。例え間違いであったとしても、それでも構わないと言える楽しい時間だった。

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