貴方のいない楽園を目指して《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

モモンガ「あの野郎絶対許さねぇ」←待ちぼうけ
 


1章 再ログイン

 

 

 会社が倒産して、無職になった。その日、昔のゲームを引っ張り出してやろうと思った理由は、精々そんな理由である。

 

 かつて、〈ユグドラシル〉というDMMO-RPGがあった。昔、自分もよく嵌っていたゲームだ。データの自由度が半端では無く、本当に自由自在と言えるほどに多種多様なデザインを自ら生み出すことが出来たし、アイテムや魔法、特殊技術(スキル)など、キャラクターの種族や職業も、十年以上経った今でも全て発掘されていないだろう。

 そんなゲームで、最初はソロプレイヤーとして行動していたのだが、しかし自分もあるギルドに加入し、パーティーで活動するようになった。理由は、おそらく自分のことをよく知らなかったのだろう、自分の好きな声優にそっくりな声のプレイヤーに「一緒にゲームをしませんか」と誘われたからだ。その頃の自分は既にソロ活動に慣れ切っていたので、もう「一人でストーリーイベントを全部クリアしてやるぜ。フーハハハァ」などと割り切っていたのだが、ついその声に誘われてついて行ってしまった。

 ……まさか、ついた先があの悪名高いギルド〈アインズ・ウール・ゴウン〉であったとは思わなかったが。その頃から、既にあのギルドは悪名が轟いていたのだ。

 しかし、話をしてみると皆気のいいプレイヤーばかりで、昔PVPで殺したり殺されたり(ほとんどは自分の敗北だが)した仲であるたっち・みーも、ギルドに加入することに反対はしなかった。

 そして、仲間と一緒にゲームをするのは、思いのほか楽しいものだった。妙なところに拘る職人気質の、俗に言う変態プレイヤーが多かったのも、楽しめた理由だろう。

 ただ、長年の癖は中々抜けなかった。ギルドメンバーがほとんどログインしていない時は、よくソロでダンジョンを攻略しに潜りに行ったものだ。その度に、ギルド長のモモンガには「俺達にも声をかけて下さいよ」と笑って言われたものである。

 楽しかった。その言葉と、この思いは嘘じゃない。

 しかし、如何に無駄に前向きだとよく言われる自分でも、現実と仮想の区別はつく。仕事が忙しくなり、ログインする時間も無さそうになった時、ゲームはすっぱり辞めてしまった。その頃には自分だけじゃなく、半数以上のギルドメンバーが引退してしまっていたので、もはや〈アインズ・ウール・ゴウン〉は事実上のギルド解体に等しい。「引退する」と告げた時のモモンガの寂しそうな声を聞いて、罪悪感が疼いたものだ。

 だが、その罪悪感も長くは続かない。仕事が忙しいのだ。なので、一週間もする頃にはそれどころでは無くなった。

 勿論、永遠に忙しかったわけではない。だが、もう一度〈ユグドラシル〉をやろうとは思わなかった。一時間程度ログインする時間はあったが、ログインはしなかった。

 データを更新するのが面倒だという思いもあったし、もっと言えば所属ギルドは社会人ギルドであったので、誰もいないだろうと思っていたのだ。

 ……なので、モモンガからメールが届いた時には驚いたものである。あの〈ユグドラシル〉が終わってしまう事もそうだが、モモンガがまだあのゲームを続けていた事に、何より驚いた。

 自分のようにソロで活動することが苦にならないプレイヤーではなく、仲間と一緒に何かしている方が楽しいタイプに見えたのに、まだこんな過疎化したゲームをしていた事に驚いたのだ。

 ……もっとも、後で自分で勝手に納得したものだ。〈ユグドラシル〉自体は楽しかったのだし、最終日に「記念にもう一度集まってみよう」というのもあるか、と。

 しかし、その頃の自分はまた忙しい時期であったので、残念に思いながら「忙しいから無理」だと返信したのだ。実際、メールに気づいたのは一週間くらい経ってからであったし。

 そうして、現実でずっと忙殺されそうになる日々で――ぷつりと、糸が切れた。会社が、企業連合から解体するように言われて倒産になったのである。

 理由は、全く分からない。単なる下請けである自分達に、その理由が分かるはずはない。あるのは、明日からどうすればいいのか分からない現実だけだ。

 

「まあ、なるようになるか」

 

 とりあえず、一時間ほど考えた後にそう結論を下して、自分はゲームを引っ張り出した。モモンガからのメールを思い出したのだ。〈ユグドラシル〉がサービスを終了するという話を。

 まず、数年はネットに繋いでいなかったニューロン・ナノ・インターフェイスをアップデート。データロガーも同様だ。ニューロン・ナノ・インターフェイスは最低限のアップデートはしていたが、〈ユグドラシル〉などのDMMO-RPGに関してのアップデートは全くしていない。アップデートの完了には、数時間ほど必要だった。

「さて、ゲームをするか」

 アップデートが終わり、〈ユグドラシル〉にログインする。プレイヤーアバターを削除していなかったので、ちゃんと自分のウィーウェ・ホディエーのデータはそこにあった。そして――この時が、自分が一番驚いた瞬間だった。

 

 

§ § §

 

 

「……マジで?」

 ウィーウェはギルド拠点であるナザリックの円卓の間で、呆然と立ち竦む。まさか、あるとは思わなかった。ギルドなんて、とっくに無くなっているとばかり思っていた。

「もしかして、まだギルド活動してたのかー……。うわー、俺、暇が出来た時くらいログインしとけばよかった」

 ギルド維持費を稼ぐのは、少人数では大変であっただろうに。ウィーウェは気まずげに呟くと、コンソールを開いてフレンドページを押した。

「ギルメンは……誰もログインしてないかー」

 ざっと見回して、自分以外がログインになっていないのを確認する。当たり前だ。何せ、まだ夜が明けて一時間くらいしか経っていない早朝なのだ。社会人ギルドなので、今日が休日の人間でないかぎり、こんな時間からログインは出来ないだろう。

 ウィーウェは適当に誰もログインしていないのを確認すると、誰かがログインするまでの暇潰しに、外でダンジョンを攻略する事にした。

 確か、全盛期の装備品は全て宝物殿にあるはずだ。モモンガはギルドメンバーの装備品などを売らずに、そのまま課金ゴーレムのアヴァターラに装備させて、管理していたはずである。

 アバターを残していたタイプの自分のようなプレイヤーは、モモンガに頼まれてこのナザリックを移動する時の専用の指輪、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを装備したままなので、宝物殿にはすぐに向かえる。しかしウィーウェはまず宝物殿に向かうより、自室に設定されているアイテム保管庫へ急いだ。

「うっへー……。アイテム、多いっ」

 自室へ向かったウィーウェが見たのは、適当に放り出されている自分が今まで収集したアイテムの山だ。整理整頓をしていないので、非常に面倒な事になっている。

「くっそー……適当に詰め込むんじゃなかった」

 ウィーウェは内心で舌打ちしながら、目的のアイテムを探す。数分ほど確認して、目的のアイテムを発見する。

「お、あった」

 それは、装備していると毒に対する完全耐性を得ることが出来るアイテムだ。ウィーウェの初期種族は蟲系なのだが、種族レベルを二〇程度しか取得していないので、毒に対する完全耐性は持たない。宝物殿の最初の転移場所の一つは、猛毒を放つマジックアイテムによって汚染されているので、毒無効系のアイテムか能力を持たないと体力が瞬く間にゼロになってしまう。確か、そうであったはず。

 ウィーウェは目的のマジックアイテムを装備すると、とりあえずは良しとして宝物殿へ向かった。宝物殿の奥へ行き……目的の場所へ辿り着く前に、立ち止まる。

「やっべぇ……」

 そういえば、そうだった。確か、暗号がいるのだった。ぽっかりとした闇のエフェクトの前に、ウィーウェは呆然として立ち止まる。

「なんだったっけなー」

 頭を捻り、考える。確か、共通の暗証番号があったはずだ。アレを思い出せれば、まだ何とかなるはず。

 ウィーウェは数分ほど考え込み、ようやく思い出した。

「『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』! よかった、思い出した!」

 パスワードを入れると、更に長文が闇エフェクトに現れる。ラテン語であるが、自分のプレイヤー名をラテン語にするだけあって、ウィーウェはこちらはちゃんと分かった。

「『かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう』だったっけな」

 そう入力すると、闇のエフェクトが消えて通路が見える。ウィーウェは先へ進んだ。

 進んだ先に、一人のNPCを発見する。確か、モモンガが作成したNPCだ。名前は、パンドラズ・アクター。パンドラズ・アクターはウィーウェの姿を見つけると、すっと敬礼する動作をした。

「そういや、こういう設定だったっけ? うーん……うん」

 見ていると、このNPCの設定を作った後のモモンガの反応を思い出す。もはや、黒歴史と化してしまったと叫ぶ厨二病卒業者を。

 ウィーウェはNPCの製作自体はしていない。NPCは彩色担当だ。NPC達に実際に色を彩りしたのが、ウィーウェである。NPC製作者の中でも、ホワイトブリムの発注は鬼畜であった。外装製作担当者と共に悲鳴を上げたのも、懐かしい思い出だ。同じ金髪にさえ、細やかな色の差異指定をしてきたあの、ぐうの音も出ないほどの畜生行為は忘れられそうにない。

 パンドラズ・アクターを見物していたウィーウェは、すっと目を逸らし指輪をパンドラズ・アクターがいるソファの前にあるテーブルの上に置いて、目的地の霊廟へと向かう。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを装備したり、所持しているまま霊廟へ入ると、アヴァターラに襲われる設定になっているからだ。

 ウィーウェは目的地へ辿り着くと、自分のアヴァターラを探した。

「……えーっと……お、あった」

 自分のアヴァターラを見つけたウィーウェは、すぐにアヴァターラから装備品を剥がして自分で装備する。種族ペナルティで胴体に鎧を装備出来ないために、前衛系ビルドでありながら鎧は無い。

 ウィーウェは神器級(ゴッズ)アイテムで全身を武装すると、再びパンドラズ・アクターの待つ待合室へ戻り、指輪を手に取る。そして、指輪をつけるとすぐに再び自室へと転移で移動した。

「よっしゃ、インベントリに持てるだけ突っ込むぞ」

 ウィーウェは幾つものアイテムを部屋から発掘する。自分の予備武装に、アクセサリ系。回復系アイテムなどもどんどん入れていく。

 所持限界に到達した後、ウィーウェはナザリックを指輪で後にした。

「お、カエルのアクティブ切られてる。最終日だからかな?」

 ナザリックの外にいる蛙系モンスター達は、全て活動を停止していた。その所為か、自分に全く襲いかかって来ない。なのでウィーウェは全く気にせずに、ナザリックのあるヘルヘイムではなく、別の世界(サーバー)へとその場で移動する事にした。

 世界(サーバー)切り替えを行ったウィーウェは、なるべく人数の多い場所を目指し、そこで何度かPVPを行った。腕が鈍っているので勝てないかと思ったが、幸い全盛期のウィーウェと同じ実力であった上の上プレイヤーと遭遇する事はなく、何度か行ったPVPで敗北はせずに済んだ。

 異形種の入れない人間種などの都市にも、普通に入る事が出来る。本来異形種は人間の都市を襲撃する形で無いと、ペナルティで入れないはずなのだが最終日の為そのシステムも切られているのだろう。ウィーウェは人間種の都市を楽しんだ。ウィーウェだけでなく、何人かの異形種プレイヤーもいる。

 そして、最終日だからだろう。怪しい露店で売られているアイテムを見て、ウィーウェは思わず爆笑した。

世界級(ワールド)アイテム金貨一枚で売ってんじゃねぇよ」

 そう、〈ユグドラシル〉にも二百個しか存在しない、超級のマジックアイテム。それが普通に露店で売られているのは間違いなくおかしい。しかし、これもゲームの最終日ならではの現象だ。こういった事は、オンラインゲームの最終日ではよくある事である。おそらく、誰かが面白がって売りに出したのだろう。

「よっしゃ。買お」

 ウィーウェは迷いなく買う。そして、代わりのアイテムを売りに出しておく事にした。代わりに売ったアイテムは、『〈宿命〉と〈偶然〉の賽子』と呼ばれる、神器級(ゴッズ)アイテムだ。このアイテムは一部の確率システム操作にのみ使用でき、成功と失敗のどちらかの確率がゼロで無いかぎり、必ず五〇パーセントにする効果があって、主にカジノなどで使われる。ソロで活動していた時にダンジョンボスから手に入れた、ウィーウェにとっては物凄くいらないアイテムであったが、るし★ふぁーによく譲ってくれるよう頼まれていたアイテムだ。

 ……勿論、他のギルドメンバーから口を酸っぱくして「アイツにだけは絶対に渡すな」と言われていたので、ずっと後生大事に持ち歩いていたのだった。今回も、その癖で持ち出してしまったのだろう。持ち歩かずにいると、るし★ふぁーがこっそり使って元の場所に戻しておいた事があったのだ。

 それを金貨一枚で売り出すように設定して、ウィーウェは世界級(ワールド)アイテムを手に入れる。自分のステータスに『ワールド』のバフがかかり、世界級(ワールド)アイテムの効果が無効化されるようになった。

 ウィーウェはそれに満足すると、人間の都市を後にした。続いて、様々なダンジョンへ潜り、かつてしていた時のようにソロでネームドなどを狩っていく。手応えがあまり無く、これも運営が少し弱体化させているように感じた。やはり、最終日という事で運営も思う事があるのだろう。

(……待てよ。って事は、一人じゃ絶対無理だと思ったネームドも狩りに行けるか?)

 このゲームの運営は狂っていると称されるだけあって、適正レベルのダンジョンやモンスターは、本当に適正レベルなのか疑いたくなる強さをしている。しかし、今のこの状態ならば、もしや弱体化されて勝てるかも知れない。

 そうと決まれば、ウィーウェは早速高難易度ダンジョンへ潜る事にした。道中の敵は非アクティブ化しているので、リソースをそちらへ割かなくていいのが最終日の良いところだ。

 ダンジョンへ辿り着くと、やはりほとんどのモンスターは弱体化していた。些細ではあるが、リソースを他の事に消費せずに済んでいるので、楽に最深部へと到達する。

 その最深部へと到達し、ダンジョンのラスボス……ネームドモンスターに近くなった頃に、メッセージで連絡が来た。見ると、どうやらメッセージ相手はモモンガのようで、ログインしたらしい。

 ウィーウェはログイン出来ないと言っていたのに、ログイン出来た理由を訊かれたので、素直に答えるとモモンガは仰天したようだった。流石に、会社が倒産して無職になったというのは、モモンガにとっても驚くべき事だったようだ。

 他のギルドメンバーがログインするまでの間、少し話をしてウィーウェはメッセージを切った。そのまま、ネームドと戦闘に入る。何とかネームドに勝ったウィーウェは、脱出アイテムでそのダンジョンをすぐに脱出すると、ふと気づく。

「待てよ……俺、無職だから〈アインズ・ウール・ゴウン〉卒業か?」

 ギルド〈アインズ・ウール・ゴウン〉は社会人の異形種で構成されたギルドだ。社会人ではなく無職となったウィーウェは、ギルドにこのまま在籍していいものか。

 そんなどうでもいい事を真面目に考えながら、ウィーウェはまた別の高難易度ダンジョンへ潜る為に、再びフィールドを駆け抜けたのだった。

 

 

 

「やっべ……。もう一分切ってるじゃん」

 アルフヘイムに存在する高難易度ダンジョン、鏡の迷宮(ミラーハウス)。そこの最深部にいるダンジョンボスのアリス・ザ・ジャバウォックを討伐して脱出アイテムを使って地表に出たウィーウェは、時計を確認してポツリと呟いた。

「うわー、うわー……ギルド長に後で怒られる……」

 ぷりぷりする骸骨の魔王の姿を脳裏に描き、頭を抱える。最後はギルドの玉座の間で、と言われていたのに間に合わない。後でお怒りメールが届くだろう。間違いない。

「うーん、まあ過ぎた事はしょうがない! ここで花火でも見上げてるか!」

 先程までダンジョンボスとタイマンをしていたために、生命力が赤ゲージの状態でアルフヘイムの夜空を見上げる。空には、運営かあるいはプレイヤーが個人的に用意したのであろう花火がぽふぽふと上がっていた。視界の端では、生命力ゲージがファゴサイトーシスの〈自動生命力持続回復(オートリジエネート)〉で満ちていっていた。

 ファゴサイトーシスはソロプレイでは必須と言っていいクラスで、幾つかのデメリットはあるが食事・疲労・睡眠を気にしなくて済むのが大きい。生命力が時間経過によって自動で回復するのも便利だ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)のクラスを習得していると、更に魔力も回復速度が速くなる効果があった。

 その為、長い間ソロプレイをしていたウィーウェは例に漏れずファゴサイトーシスのクラスを習得し、ギルドに加入した後もレベルダウンを面倒臭がってそのままにしていた。それに実際、攻略の役にも立っている。回復役(ヒーラー)をあまり必要としないので、ダンジョンの情報を収集するための偵察部隊として、最初の攻略パーティーの中によく加わっていた。

 そして、上手くネームドのいる最下層まで行けた時は、ウィーウェの習得しているとあるクラスが便利なので、本命部隊にもその時は入っていた。

 視界の端で生命力ゲージが増えていくのと、時計の時刻を見ながら、ウィーウェは強制ログアウトを待ち――

 

 そして、サービスが終了したその時、絶叫した。

 

 

§ § §

 

 

 まず最初に感じたのは、酷い激痛だった。

 

 痛い。痛い。ただひたすらに痛い。こんなにも痛いなんて初めてだ。頭痛がするし、吐き気もだ。とても立っていられない。辛い。ただ、痛い。ひたすらに苦しい。ウィーウェはその場に蹲って思い切り吐いた。

「ぐ――う、おぇ――!」

 吐いた瞬間、胃の中から出て来たのは晩に食べた夕食ではない。血だ。べったりと、粘ついた新鮮な色の血液が、思い切りウィーウェの胃から吐き出された。

「げ……ば、は、は、ぁ……?」

 その自分の胃から吐き出された物質に、心の底から理解が出来ない。なんで、こんな物が自分の胃から出て来たのか、さっぱり分からない。はて、自分はいつの間にかとんでもない病気にかかっていただろうか――。

 理解がさっぱり及ばないウィーウェは、身体を動かそうとして更に与えられる激痛に身悶えた。そうやって悶える度に、更なる激痛に見舞われた。痛い。ただ、ひたすらに痛い。全身が、酷く痛かった。

「ぎ、い……」

 奥歯を噛み締める。激痛。身体が震える。激痛。泣き喚きたい。激痛。激痛。激痛。激痛。激痛――! ただ、全身が痛くて堪らない。その場に蹲って、ただひたすら激痛の嵐が過ぎるのを待った。

 そうやって、どれだけの時間が過ぎ去ったのか。気がつけば、痛みの波はほとんど引いていた。未だに全身がじくじくと痛みを訴えるが、それでも耐えきれないほどじゃない。

「な、何が……」

 あまりに呆然として、そして痛みが引いてようやく色々な物がまともに視界に入る。暗い。暗いが、まるで昼間のように明るく見える。ここは、ごつごつとした石壁の中だ。どれもコンクリートなどの固さでは無い。

「え? え、なに?」

 そのよく分からないものを呆然と見つめながら、きょろきょろと辺りを見回す。地面についていた手を、身体と共に起こそうとして、ぎょっとした。

「は、はぁ?」

 自分の手があるべき場所が、臙脂色の装甲で覆われているのだ。ガントレットを着けているかのように。思わず手を握り、そして広げる。一緒に動く。

 つまり、これは自分の腕だ。

「え?」

 そう見ると、このガントレットのデザインも色も見た記憶がある。当たり前だ。自分がデザインしたのだから。

「いや……まさか……」

 呆然としている内に、いつの間にか痛みも気にならなくなっていた。まるで、傷が塞がってしまったかのように。

「いやいやいや……え? いや、えぇ?」

 頭に浮かんだある答えに、即座に否定を返す。馬鹿な。有り得ない。こんな事が起きるはずが無い。自分の両手を見つめる。両手は、どちらも覚えのあるガントレットで覆われていた。装甲の無い、左手の肘から上は黒と赤褐色の、つるりとした別の装甲。

 それが、まるでネットで見た画像の、虫の装甲の様に思えた。有り得ない。

「……!?」

 ウィーウェは立ち上がり、全身を見下ろす。胴体と腰には金色の、かつて秘境に住んでいたという部族の民族衣装みたいな布。その下に黒と赤褐色の装甲。脚部にはやはり、臙脂色の膝上から足の甲まで覆う巨大なグリーヴ。今気がついたが、血塗れの全身を覆うような真っ黒の帽子つきローブ。そして、足元には先程まで自分が持っていたのであろう、全体的に禍々しい黒紫色の槍。穂先の部分は先端が細く、柄に向かうと刃が広がっていくパルチザンのような形をしていて、穂先は五十センチに近く、柄の部分は二メートルほどはあるだろう巨大さだ。とても持てそうにない。

 しかし、ウィーウェはそれを拾い上げると、ずっしりと手に馴染むような重さを感じた。まるで、毎日持って振り回していたような馴染み方だ。

「いやいやいや……」

 思わず首を横に振り、否定する。何から何まで、とても見覚えがあるが有り得ない。こんな事があっていいはずがない。ウィーウェは顔を触る。硬い。ガントレットがでは無い。顔も、何だかとっても硬く感じた。思わず顔以外の肩の部分を触る。同じ感触がした。

「…………」

 ガチリ。自分の口があるだろう部分が、虫の顎のように音を鳴らす。

「いや……え? まだゲームの中なの? じゃあさっきの痛みは一体……? 俺は何の事件に巻き込まれたの……?」

 データロガーはちゃんとしていたので、犯罪に巻き込まれても無実は証明出来る。ログアウトは出来ていないと見て、ウィーウェはコンソールを出そうとした。出ない。

「ん?」

 コンソールがまるで出てこない為に、思わず首を傾げる。このログアウト出来ていない現象といい、運営が何かしくじったのであろうか。ウィーウェは緊急措置として、GMコールを行おうとした。そして、それも当然出来ない。

「え? なに?」

 あまりな出来事に、混乱がピークに達する。ウィーウェは考え事をするために、その場に座り込んだ。

「コンソールは出ない。GMコールは使えない。何か変な激痛は覚えた。っていうか、血吐いたよね俺……? ん、そういえば……血? 血!?」

 有り得ない。その事に気がついて、絶句する。〈ユグドラシル〉のゲームはアバターの口が動くように出来てなどいない。それだけではない。そもそも、五感の一部は再現されていないはずなのだ。先程血を吐いた、あの鉄錆の味は有り得ない。味覚は無いはずなのだ。この、今も香る血液の臭いも、当然嗅覚が無いのだから嗅げるはずが無い。

 つまり、先程から自分の周りには有り得ない出来事が起きている。

 有るはずの無い、再現されるはずの無い五感の一部。

 動くはずの無い口元。

 コンソールは出ず、GMコールは出来ず、そしてログアウトも出来ない。

「お、お、お、落ち着こう……うん、落ち着こう」

 ぶるぶると震えながら、言葉にして何とか冷静を保とうとする。その時点で失敗している気がするが、しかし言葉にしないと不安だった。

「と、とにかく周囲を探索しよう……うん」

 出来れば、同じようにログインしていたはずのモモンガに連絡を取りたいが、しかしコンソールが出ない以上ウィーウェには連絡手段が無い。おそらく、アルフヘイムからヘルヘイムへの移動も出来ないだろう。そして、今持っているアイテムの中に誰かと連絡を取れるような〈伝言(メッセージ)〉のような、便利な魔法の巻物(スクロール)も無い。ウィーウェは前衛の戦士職で、魔法職は習得していないのだ。

 その為、モモンガの方から連絡を入れてくれるのを待つしかない。

 ウィーウェは周囲を見回した。壁や地面を触り、此処がどんな場所なのか確認していく。幸い、種族特性の〈闇視(ダークヴィジョン)〉で闇の中も昼のように見渡せる。自分の主武装である槍を片手に持ち、警戒しながら進んだ。

「…………此処は、洞窟かな?」

 少しじめっとしているが、おそらくこの感触は岩壁だ。洞窟の中なのだろうと予測をつける。ウィーウェは岩壁を片手で思い切り引っ掻いた。壁に、ガントレットによる引っ掻き傷が出来上がる。

(とりあえず、道に迷わないように印をつけて……番号も振っておくか)

 引っ掻き傷の上に、更に横方向に一本線を入れる。こうやって何とか道に迷わないように出口を目指すしかない。出口か、入口が存在するなら風が入っているはずなので、空気の振動が無いか探す。――微かだが、どこからか風が流れているように感じた。肌を空気が滑るのだ。そちらを目指して、何十歩か進む度に印をつけながら進んでいく。

「…………」

 そうして、およそ三十分ほど。歩行なら既に二キロ近くは進む計算になるのだが、警戒しながら歩いているため、そんなに進んでいないだろう。一キロも進んでいればいい方だ。幸い、モンスターなどには遭遇していない。痛覚がある状態でモンスターと戦闘行為が出来るか、と問われれば難しいと言わざるを得ない。ましてや、死ぬ感触なんて絶対に味わいたくない。

 ゆっくりと、傾斜になっている地面を壁に手をつきながら歩く。だが……重要な問題が出て来た。

「……お腹空いた」

 ファゴサイトーシス。その食欲増大・食事量増大のペナルティが効き始めた。周囲を見回し、天井にいる蝙蝠や壁を這う蜥蜴など、小さな生物を捕まえる。そして……ごくりと喉を鳴らした。

「いや。うん。……食事調理不要だけど。……うぅ……マジか。マジなのか……!」

 このまま我慢し続けたらどうなるのだろうか。こんな感覚は、現実以来だ。現実で会社に泊まり込んで仕事をしていた時に、腹が空き過ぎて倒れそうになった事はある。だが、その時でも。

「いや、生で蜥蜴とか蝙蝠は無理だって!」

 しかも、今の自分は味覚があるのだ。蝙蝠と蜥蜴を口に入れるのは、酷く勇気が必要な行為だった。

「が、我慢しよう……我慢。よく分からんけど、たぶんログアウトさえすれば問題無いよね……?」

 だよね、ギルド長――。そう自分と同じように困っているかも知れないモモンガに思いをはせながら、ウィーウェは蝙蝠と蜥蜴を手から離すと、再び歩を進めた。食事は、限界まで我慢しよう。

 決意して、出口を目指す。風が強くなって来たように思う。モンスターが出ない事は、本当に幸いな事だ。ウィーウェはおっかなびっくりしながら、外を目指した。

 そして。

「……つ、遂に出口」

 空腹が割とピークに達していた頃に、ようやく外の明かりが入って来る出口らしき場所を見つける。ウィーウェは喜び勇んで、同時に空腹でふらふらしながら外へと足を一歩踏み出した。

 

「――――すげぇ」

 

 外へ出たウィーウェの視界に、酷く、美しいものが広がった。

 晴れ渡る、澄み切った蒼穹の空。広がる緑の草原と、そして木々。新鮮な、美味しいとさえ思える空気。

 美しい。何もかもが、美し過ぎる。大自然とは、まさにこういう光景を言うのだと目に叩きつけんばかりの光景。

 それは、大気汚染とも、土壌汚染とも無縁の、あまりに美しい世界だった。

「――――」

 その時ばかりは、苛まれていた空腹を忘れた。食欲なんて、頭の片隅にさえ残らなかった。

 美しい。ただ、美しいという言葉しか思い浮かばない。人は本当に素晴らしいものを見た時、語彙力が乏しくなるものなんだとウィーウェは初めて知った。

 現実は、こんな世界じゃない。こんな光景は何処にも無い。この大自然の前は、あまりに人間はちっぽけだ。

 その美しい光景を、ずっと見続けたいと思う。思うのだが――。

「やばい。そうだ……俺、腹減ってたんだった」

 空腹感が、まずい。もう限界だ。このままではとても嫌なペナルティが発症する。飲食は抜くとステータスなどが一時的に下がり、一度食事を摂取するまで時間経過で下がり続けてしまう。最終的には餓死だ。それは遠慮したい。

 ウィーウェは仕方なく、草原と、森を目指して走り寄った。

「――――」

 速度は、驚くほど。しかし、自分の身体はこれが当たり前の身体能力だと訴えている。そういえば、先程も難なく蝙蝠や蜥蜴を片手で捕まえられた。

(意識だけ、認識のズレがある)

 槍を持った時もそうだったが、つまり身体は平然と今までと同じように動いているが、しかし意識がよりアバターに近寄った事で混乱しているのだろう。五感などが完全再現されている以上、この誤差は経験でしか埋められまい。

 草原で見つけた小動物を、片手で掴む。兎らしき生物はウィーウェの姿を見ると身を竦ませ、怯えるがしかしその憐憫を誘う哀れな姿を見ても何も思わない。

 ぞっとした。小動物は、嫌いなタイプじゃない。ペットのハムスターが死んでペットロスになったギルドメンバーを、理解してやれる程度には小動物は嫌いじゃなかったはずなのに。何の感慨も浮かんでこないのだ。そんな自分の心の動きにぞっとする。

「…………」

 そして、その兎を見ていると涎が垂れているのを自覚した。お腹が、くぅくぅと鳴っているのが分かる。このまま食べたいと、血の滴る肉を、骨を貪りたいと酷く興奮し――

「いやいやいや……うん。無い無い」

 ウィーウェは寸前で、そのまま齧りつこうとした顎を止める。涎は垂れているが、何とか抑えた。耐えられない。

 今までの主武装である槍を仕舞うと、炎属性の予備武装を取り出す。そのまま、兎を槍の刃先に押し付けた。叫び声を上げて、兎が燃える。炎に包まれた兎をすぐに刃先から引き剥がし、見つめた。

 毛皮は全て焼けて灰になり、肉は丸焦げになっている。それを、そのまま一口だけ口に含んだ。

「――――はッ!?」

 気がつけば、思い切り一口で貪っていた。口の中が、半生の肉を食べた為にぐちゃぐちゃとしており、骨が砕けてこりこりと素敵な食感を味合わせてくれている。喉に絡まる血が心地いい。

 そう、美味しいと思った。思ってしまった。この、肉を噛みきる感触を。骨を砕く感触を。血液を啜る感触を素敵だと思っていた。その事実に、ウィーウェは途方に暮れる。

 おかしい。絶対におかしい。今の自分は、絶対に正気じゃない。どんなに食欲が湧いたとしても、こんな風に小動物を貪れるような人間が何処にいる。絶対に、今の自分は変だ。変だと、そう思うのに。

「――――足りない」

 呟きが漏れた。そうだ。それが本心だ。そもそも、経験で分かる。いつもダンジョンへ潜って、攻略の最中は狩ったモンスターで食事をするのが常であったから、経験で知っている。本来はモンスターを討伐した場合データクリスタルに即座に変わってしまうのだが、ファゴサイトーシスのクラスを習得しているプレイヤーがモンスターを討伐すると、一定時間だけ死体が消えず、死体を食べるかどうか選択肢があるのだ。

 その経験が、ウィーウェに訴えていた。こんなものでは足りない――と。

「――足りない!」

 ウィーウェは草原を走り回った。兎。鳥。血の滴る生肉を、片っ端から平らげる。もう、火を通そうとは思わなかった。お腹が減っているのだ。ある程度は詰め込まないと、耐えきれない。

 食べて。ひたすら食べて。ウィーウェは泣いた。

「ぐ……うぇ、う」

 喉に絡まる肉が、血が、骨が美味しい。普通じゃない。こんなのは、絶対に普通じゃない。心の何処かで吐き出したいと強く思っているが、それよりも食欲が勝った。耐えられないのだ。美味しい。だから泣いた。泣きながら食べた。

 ――そして、そうした小動物を十数匹も狩った後に。ウィーウェは口元を拭いながら、決意した。

「……アレだけは、絶対に食べない」

 食べながら、罪悪感は皆無。食欲には勝てない。血肉は美味しい。現実でも、こんなに美味しい物は食べた事が無い。明らかに、精神がおかしくなっている。

 だから、決めた。恐ろしい事に、ある予想が脳裏に立っているから決意したのだ。

 知的生物だけは、絶対に食べないようにしよう。それを食べると、色々と終わってしまう。そういった生き物を襲うようになったら、もう終わりだ。そう心の奥で何かが――いや、人間性が訴えている。

 だから、知的生物だけは食べないと決めよう。どれだけ空腹が訴えても、アレを食べるくらいなら餓死を選ぼうと。

「…………」

 立ち上がり、必要じゃ無くなった予備武装をしまう。インベントリは、ゲームの頃と同じ感覚でアイテムを出し入れする事が出来る。なので、すぐに主武装に変えた。モンスターを警戒しなくてはいけないから。

「……行こう。この周囲の、探索だ」

 此処が何処だか分からない。分からないけれど、何とか生きて行こうとそう決める。生きてさえいれば、どうにかなるのが信条だ。だからウィーウェはこのよく分からない場所を、ログアウト出来るまで生きて行こうと決意する。

 そう、決意を固めたウィーウェは歩き出した。周囲の探索をする為に。安全を確保する為に。

 この世界を、今を生きていく為に。

 

 

 




 
■ファゴサイトーシス
貪食者。飲食不要の種族であろうと飲食が必要になるデメリットが存在するが、数少ない自動で生命力が持続回復するスキルや、魔力の自動回復力の速度が上昇するスキルを持つ素敵な職業。最大5lv。
・食欲増大
・食事量増大
・疲労・睡眠無効
・自動生命力持続回復
・食事調理不要  など
なお、異世界において地雷クラスと化した。
 

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