貴方のいない楽園を目指して《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

幕間。
 


3章 追い詰められた者たち

 

 

 この異常事態に巻き込まれて一週間――ウィーウェは、アベリオン丘陵の北部にある山岳地帯にまで足を延ばしていた。理由は簡単、食事の為である。

「ひーふーみー……ひとまず、これでいいか」

 ウィーウェは山岳地帯で狩った獲物……山羊三頭を地面に並べて、山羊の腹を捌いて腸と胃を取り出す。取り出した後は、すぐにガツガツと貪った。もはや、完全に鮮血滴る生の肉には慣れてしまった為に躊躇いは無い。

(今日で一週間か……。現実の方はどうなってるんだろ? そろそろ、何らかのアクションがあってもいいと思うんだけどなー)

 相変わらず、コンソールは出ないしGMコールも使用出来ない。時々槍の刃で指先を切って痛みがあるか確認した。腹も空く。味覚も触覚も、嫌な事に痛覚も――あらゆる五感に付随する感触は万全だ。現実と、何ら差は無い。

 いよいよをもって……此処が異世界だとかいう、わけの分からない世界である可能性が濃厚になって来た。問題は、何故か〈ユグドラシル〉のシステムが通用している事だろう。これだけが、どうにも一番理解出来ない。自分が元の人間の姿だとか、〈ユグドラシル〉のシステムが一切通用しないだったりだとか、それならもう少し真面目に異世界かどうか検証出来るのだが。この覚えのあるシステムがひたすら、異世界の可能性を否定してくる。

(ゲームが異世界で本物になるとか、有り得るのかなー?)

 これが首を傾げざるを得ない為に、ウィーウェはどうにも複雑な心境だ。

 もっとも、どんな状況にせよやる事は決まっている。ウィーウェは、ただひたすら生き残ろうとすればいいのだ。今を生きていれば、いつかは状況も改善するだろう。

「――良し! 腹ごしらえも済んだし、また探索に戻るかな」

 全てを胃に収めたウィーウェは立ち上がり、再び山岳地帯を歩き回る。此処は山羊人(バフォルク)などの生息地帯のようで、彼らが岩壁を登っている姿をよく見かけた。あの巨体が二本の足で山岳地帯の岩壁を駆け上がる姿は、中々にシュールだ。……今のウィーウェの身体能力なら、きっと同じ事が出来るだろうとは思うが。

 しかしこの一週間……その内二日は獣身四足獣達と行動を共にしたが、何かピンとくる発見は何も無かった。目新しい技術などは確かに存在したが、特に何か元の世界に帰る方法に連なる発見は無い。運営からの接触も皆無だ。これは、長期戦を見越さなければならないかも知れない。

 だが、この異常事態が長丁場になるとすると――元の、現実の自分の身体は、果たしてどうなっているのだろうか。生命維持の為に専用の施設が用意されているのだろうか。だが、ウィーウェは無職になっている。貯金をはたいても払える気はしない。おそらく、借金をしても払える値段では無いはずだ。国や企業が出してくれるとは、とても思えない。そんな甘い連中では無い。

 それを思えば不安が鎌首をもたげるが、何か出来るわけでもない。意識だけが暴走して、数時間が数日に感じられるようになってしまっていると希望的観測を抱くしか無いだろう。この世界の時間と現実の時間がリンクしていた場合は、その時はその時だと思うしか無い。

 ウィーウェは首を軽く振って不安を追い出すと、すぐにその事は忘れて再び山岳地帯を見回した。山岳地帯を見回る以上、念の為に〈飛行(フライ)〉の魔法が込められたネックレスを装備している。魔法の効果が込められたアイテム――巻物(スクロール)短杖(ワンド)などは、原則的に魔法職……それもその魔法を使用出来る系統の魔法詠唱者(マジック・キャスター)しか使用出来ないものなのだが、中にはそれを誤魔化す事が可能な職業や、そもそも使用者制限の無いアイテムも存在する。この〈飛行(フライ)〉の魔法が込められたネックレスなども、使用者制限の無いアイテムだ。

 高所では必ず、こういった落下対策のアイテムが必要になる。落下ダメージなどは馬鹿にならない威力を誇るので、中には魔法職のプレイヤーであろうとこういった対策アイテムを装備している事があった。

 ウィーウェは山岳地帯の山の一つである、その頂上から地上を見渡した。米粒のように、様々な亜人種や動物達が動いている。だが、気になるものは何も無い。プレイヤーにしては弱過ぎるし、運営が絡んでいるようなキャラクターにも見えない。

 あれは、今まで遭遇した亜人種達と同じ、ただの現地民だろう。

(山岳地帯にも新しい発見は無さそうだし……別の場所へ移動するかな。人間の国は無理だろうけど、大森林の方へ移動するのもいいかもしれない)

 アベリオン丘陵の、人間の国とは反対方向へ向かうと大森林が広がっている。どれだけ広いかは知らないが、森の中なら遭遇するモンスターはがらりと変動するだろう。この丘陵での経験上、誰も彼も知的生命体であり言葉が通じるのですぐに戦闘になる事も無いだろうし、もし戦闘になって勝てない強さであったなら、アイテムでも使って逃げればいい。

 ……それに。もしかすると、ウィーウェのように困っているプレイヤーがいるかもしれない。あちらに足を延ばしてみるのも一興だろう。このフィールドが、どれだけ広いかは分からないが。

 ウィーウェは決意すると、山岳地帯を駆け下りた。

 

 

 山岳地帯を下りて再び平野に出たウィーウェは、近くを通りかかった刀鎧蟲達の集団に手を振られた。首を傾げていると、彼らはウィーウェに向かって来る。

「お久しぶりです、ホディエー殿」

「えーっと、どちら様?」

 ウィーウェが困惑して訊ねると、刀鎧蟲のリーダーらしき存在は名乗った。

「以前、貴方に助けていただいたプフ族のクレーンプットです」

「ああ! あの時の!」

 流石に名前はまだ忘れていない。この丘陵について色々教えてくれた、最初に遭遇した知的生命体の亜人種達だ。名前は忘れていないのだが……流石に、顔の違いが判別出来るほどでは無かった。

 本人達も種族の違いで判別出来ないのは慣れっこなのか、ウィーウェの薄情さを特に気にした様子は無い。

「また大所帯で移動しているねー。どうしたの?」

「それなのですが……もし良ければ、私共の頼みを引き受けて下さいませんか?」

「ん?」

 クレーンプットは、口を開いてウィーウェに語る。

 彼らは、以前の縄張りを捨てて大移動の最中らしい。それは人蜘蛛達の襲撃に遭ったからではなく、もっと切実な理由を耳に挟んだからだ。

 以前から、定期的にこの丘陵地帯には凄まじい装備をした人間達が訪れ、二つ名付きの亜人種達を殺して回っている事があるのだとか。彼らは皆二つ名付きの亜人と互角に戦える強さであるらしく、一対一ならともかく複数人で襲撃されると撃破されるしかない。亜人は、元々同じ部族同士ならともかく群れたりしないからだ。

 そういった事があるので、襲撃に来る人間達に合わせてクレーンプットは定期的に縄張りを移動しているのだと言う。

「間引きってやつかー。大変だねー」

「ええ。その所為か、魔現人の“炎雷”などはよく縄張りを移動するようです。我々も、それに倣って移動しようかと」

「ふーん」

 魔現人と中々遭遇しなかったのは、そういう理由であったのか。魔現人が定期的に縄張り移動をしているとなると、確かに遭遇する確率は減るだろう。道理で走り回っても、見つけられないはずである。

「それで、君らは移動の真っ最中なわけだ」

「そうです。それで……出来れば、その間の護衛を頼まれてもらえませんか?」

「護衛?」

 クレーンプットが言うには、目的の場所へ向かうにはある二つ名持ちの縄張りを通らなくてはならないらしい。遭遇する確率は限りなく低いのだが、万が一遭遇した場合は全滅を覚悟しなくてはならないのだとか。

 それを聞いたウィーウェは、二つ返事で了承した。

「いいよー」

「ありがとうございます。しかし、何分払える対価が少ないのですが……」

「あー、今回はいいよ。無料で受け付けてあげるよー」

 一応、この世界で少し関わった存在だ。このまま寝覚めの悪い事態になったら、ちょっと気にしてしまう。この丘陵の平均的な強さも分かってきた事であるし、別に無料で引き受けても構わないだろう。正直に言って、ウィーウェはあまり対価は気にしない方だ。メリットやデメリットは気にせず、自分が満足出来るかどうかが重要なのである。そうでなければ、〈ユグドラシル〉のようなDMMO-RPGをソロプレイで長年活動していない。

 その為、今回は気軽に引き受けた。ギルドメンバーのモモンガやぷにっと萌えなどは、ウィーウェのこういった行動には少し困った顔をする。しかし、たっち・みーはこういう時にはウィーウェの味方だ。むしろ、ウィーウェが何かする前にたっち・みーの方が率先して引き受けて、ウルベルト・アレイン・オードルに嫌味を言われる事の方が多い。

 ウィーウェの二つ返事にクレーンプットは礼を言い、ウィーウェはクレーンプット達のプフ族と行動を共にして約三日ほどかけてアベリオン丘陵を進んだ。目的地はこの北部にある陥没穴付近の森であるらしい。

 北部に存在する陥没穴の数はおよそ一〇〇〇ほど。そこに、藍蛆と呼ばれる種族が基本的に生活しているらしいが、ウィーウェはその話を聞いて首を傾げた。

 藍蛆……確か、藍蛆系は〈ユグドラシル〉では異形種だったはずだが。此処でも、種族にちょっとした違いが出て来てしまっている。気をつけなければ。

 そんな話を聞きながら、件の縄張りも無事に通り過ぎて、クレーンプット達は目的地の小さな森へ到着した。ウィーウェの仕事は此処で終わりだ。この地の縄張りを確保するのは、ウィーウェではなく彼ら自身の仕事である。彼ら自身で、それは確保しなければならない。

「ありがとうございました、ホディエー殿。もし、我々に何かご用がありましたら、またいつでもお訪ね下さい」

「気にしなくていいよー。まあ、また何かあったら此処に訪ねに行くから。お達者でー」

 ウィーウェは彼らに手を振って別れを告げ、再び旅に戻る。ゆっくりと北部の山岳地帯から離れたが、特に変わった出来事は起きない。もはや、新鮮味は何も感じられなかった。

(やっぱりあの大森林に行ってみるのが無難だなー。アイテムですぐにでもエリア移動出来るようにしておいて、あの大森林を少しずつ探索してみるか)

 その前に、まずは情報収集だ。クレーンプット達はあの大森林の事については、詳しく知らないらしく特に情報が出てこなかった。一番情報収集に適しているのは人間の国であろうが、さすがに堂々と異形種の姿で人間の国に入る気にはならない。

 つまり、あの大森林の近くに生息しているモンスター……亜人種から、話を聞くしか無いだろう。何だったら、まずはこの森の付近にある陥没穴の藍蛆達に話を聞いてみるのがいいかも知れない。亜人種だという話だが、彼らは面白い種族的弱点を持っているので、その所為で亜人種と勘違いされているだけなのかも知れないからだ。実際は、寿命が無い異形種の可能性が高い。異形種ならば、その寿命の長さから色々な事を知っていそうだ。

(大森林の前に、藍蛆達を探してみよう)

 ウィーウェは陥没穴を目指して野を駆けた。

 

 

§ § §

 

 

 陥没穴(シンクホール)とは、何らかの理由で地面が陥没し、地表に円形の大規模な穴が開く現象を言う。現実の世界でも酸性雨の影響で元々自然があった場所に、幾つも陥没穴が開いてしまい巨大な空洞しか無くなった。地盤に出来る関係上、更なる雨により時間経過で刻々と規模が大きくなっていくので、非常に困った事態になっている。

 ウィーウェの知識としてある陥没穴は、ブルー・プラネットよりそう教わっていたものだけだ。工事現場で地盤沈下が進み崩落し、陥没穴と化した場所を見た事は無い。

「おー……」

 なので、実際に一〇〇〇もの数で存在する巨大な陥没穴を見たウィーウェは驚嘆した。現実では三〇〇〇以上の陥没穴が出来ている場所もあるというが、中々に圧巻である。穴の縁まで近づき、じっと底を覗いてみるが暗闇が広がっていて底がよく見えない場所が幾つもある。深さ一〇〇メートル以上だろう。完全に崖だ。

 ウィーウェがまた別の陥没穴を覗くと、ぶわりと何体もの吸血蝙蝠(ヴァンパイア・バット)が陥没穴から飛び立った。それはそのまま夜の空へと吸い込まれていく。おそらく、食事の時間なのだろう。彼らはウィーウェを無視して、丘陵地帯に広がる獲物を目指して飛び立った。

 その吸血蝙蝠の群れを見送って、ウィーウェは適当に選んだ陥没穴へ飛び込む。勿論、〈飛行(フライ)〉の魔法が込められたネックレスは装備してだ。どれだけ深いか分からないので、注意しながら進むしかない。ウィーウェは自由落下しながら、周囲を目まぐるしく観察する。勿論、着地の事は絶対に忘れないが。

 陥没穴には横穴が幾つも開いており、おそらく元々は地中系モンスターの通り道であった事が窺えた。巨大な縦穴が出来てしまって、既にその通り道は捨ててしまっているだろう。

 ウィーウェは地面に近づいて来た事が分かると、ネックレスの力を発動させる。ふわりと身体が宙を飛び、地面にゆっくりと着地した。地面は完全に土で出来ており、ざらざらとしている。光の届かない闇を見通すと、横壁に幾つか穴が開いていて何かが住んでいる事が分かる。

(とりあえず、不可視化しておくかー)

 ウィーウェは装備を切り替えて、神器級(ゴッズ)アイテムであるフード付きローブから、それより少し劣る伝説級(レジェンド)アイテムの似たデザインのローブを装備する。これは〈アインズ・ウール・ゴウン〉のギルドに参加前の主武装だった装備だ。ソロプレイで最も重要なのはダンジョンで雑魚モンスター相手にどこまでリソースの消費を軽減出来るかなので、雑魚モンスターとの戦闘を避ける為に隠密・潜伏に特化した能力を持っている。

 ウィーウェは不可視化の効果を発動させると、何者かが通り道にしているだろう横穴へ進んでいった。

 横穴へ進んだウィーウェは、注意深く周囲を観察しながら道を進んでいく。時折土壁を見ながら、この道を生んだ存在がモグラのように手足で地面を掘り進んだのか、スコップなどの文明の利器で掘り進んだのか考える。しかし、実際にトンネルを掘った事があるような土木作業員では無いので、ウィーウェには判断がつかない。体格的にはウィーウェが通れるような横穴なので、二足歩行生物のような、上半身が縦になっている生物の気がするが……モンスターの中にはウィーウェの体格を平然と上回る蚯蚓の姿のモンスターもいるので、そうと決まったわけでもない。

 ただ、仮にそのような大型モンスターが存在するのなら、藍蛆のような種族が陥没穴で生きていけるとは思えないので、多分藍蛆達が掘った横穴だと思うのだが。

 ウィーウェは不可視化の効果が切れて姿を現さないように、気をつけながら道を進んでいく。しばらく進んでいくと、広間のように大きく開いた場所へ出た。上を見上げると、小さな白い穴がある。おそらく、別の陥没穴に出たのだろう。

(別の陥没穴か……時間的に見ても、そろそろ一度地上に帰らないとまずいかも)

 主に、腹の具合が。食欲増大のペナルティがそろそろ襲ってくる時間だ。何かモンスターに遭遇する事も無かったので、地上に戻って食事をしてまた訪れるべきかも知れない。

 ウィーウェがそう考えていると、奥から微かな話し声が聞こえた。ウィーウェは声の聞こえない横穴へ身を滑らせ、不可視化が解けないように効果の残り時間を考えながら身を隠す。数分もしない内に、奇妙な客人が二人ほど現れた。

 その二人は同じような、上半身にはぬるっとした長細い魚類に手が生え、下半身は藍色の蛆虫のようにぬらぬらとした生き物の姿をしている。ウィーウェの記憶が確かなら、あれが藍蛆という異形種のメスの姿のはずだ。オスは強制的に上位種族のロードになるので、また違う姿をしている。

 ウィーウェは二人の会話にこっそりと聞き耳を立てた。

「……此処まで離れれば聞こえないはずです。現在の同卵達の数は、どの程度になっていますか?」

「ジーベーベ殿……残念ながら、更に数を減らしております」

 二人の藍蛆は、暗い雰囲気で会話を行っている。

「そうですか。……やはり、あの人間達に王と側近の者達を全て討ち取られたのが痛いですね」

 ジーベーベと呼ばれた藍蛆の方が、両手で顔を覆った。

「なんという事でしょう……。このままでは、我らは一週間と経たず全滅します。王達さえ御無事であったなら、あの巨大なワームとて追い払えたでしょうに」

「ジーベーベ殿、やはり、あの奇妙な巨大ワームには我らでは勝てませんか」

「不可能です。あの巨体をどうにかするには、高位階の魔法の力が必要でしょう。ですが、今の生き残りの同卵達にはそこまでの高位階魔法の使い手はおりません。武器が通らないほどの硬さを誇る以上、魔法の力は必要不可欠です。ですが……」

 その高位階魔法を使える肝心の使い手が、もう存在しない。二人は、そう嘆いているようだった。

「いざとなれば、他の部族に入れてもらうのも手だと思っていましたが……あんなものがこの陥没穴に棲み付いた以上、他の部族であろうと滅びるのは時間の問題でしょう」

 人間達に討伐された王族と精鋭。そして陥没穴に出現し始めた巨大なワーム。

(なんか、すっごくピンチっぽいなー)

 困惑する。あまりに希望が存在せず、もはや絶滅の末路しか残されていないと嘆く二人の藍蛆にそして同情した。二人は、これから辛い未来を背負って夢も希望も無い現実を生きていかなくてはならないのだろう。

 これが、アベリオン丘陵の生存競争。弱者は食物として強者に淘汰されるしかない、悲しい現実だ。

(うーん、どうするかなー?)

 人間はおそらく、あの城壁の向こうにある国からやって来た人間達だと思うが、巨大なワームという存在が気になった。もし仮に、その巨大ワームが最近出現したばかりだと言うのなら、ウィーウェと同じく〈ユグドラシル〉からやって来た可能性がある。ただ――

(ワーム系種族はいたけど、プレイヤー種族としてはあんまり巨大生物は選べなかったはず)

 〈ユグドラシル〉には人間種、亜人種、異形種と合わせて七〇〇種類にも及ぶ豊富な種族選択が存在した。ただし、それでもプレイヤーが自分のアバターとして選べる種族には制限があり、巨大生物の類は少ない。少なくとも(ドラゴン)系や全長が五メートルを超えるような種族は選べないはず。二人の会話を聞くに、巨大ワームは間違いなくプレイヤーに選べる種族ではなく、モンスターとして出現するタイプだろう。

(プレイヤーだけじゃなくて、やっぱりモンスターもいるのかな?)

 実際、目の前の藍蛆や獣身四足獣、刀鎧蟲など彼らも〈ユグドラシル〉に存在した種族だ。しかし、刀鎧蟲のクレーンプットは知っていて然るべき世界樹の存在を知らなかった。そうなると、昔から住んでいるという他の種族達も元からこの世界観にいた種族になる。〈ユグドラシル〉とは異なるシステムやデータを使用している形跡があるのに、〈ユグドラシル〉にいるはずの生物という矛盾。

(わけが分からないなー。あまり深く考えずに、とりあえず目の前の事から順に片付けた方がいいかな?)

 ウィーウェはそう結論付けて、二人の藍蛆に声をかけた。既に腹は決まった。とりあえず、現地民とは比較的友好的な関係を築くに限る。今のところ、友好的な関係を築いているのは刀鎧蟲のクレーンプットに獣身四足獣のヴーヴァ達の部族だけで、この地域にはまだ友好的な関係を築けていない。彼女達に恩を売って、仲良くしておくべきだろう。

「あのさ、お二人さん」

 ウィーウェが声をかけると、二人の藍蛆はびくんと身体を震わせて、周囲を見回した。自分達しかいないはずなのに、自分達以外の声……それも、同種族的に存在しないはずの男の低い声が聞こえたら驚くのも当たり前だろう。

 声をかけた後、不可視化の効果を切って姿を現す。二人は、ウィーウェの姿に驚いたようだった。

「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 ジーベーベと呼ばれた方が、ウィーウェに警戒気味な声をかける。ウィーウェは気にせず、名乗った。

「俺の名前はウィーウェ・ホディエー。ちょっとした迷子の旅人さ。さっきの話を聞かせてもらったんだけど……」

 ウィーウェの自己紹介に、ジーベーベは礼儀としてだろう、ウナギのような頭を下げた。

「私はジーベーベと申します。もしや、この陥没穴に落ちて道に迷われましたか?」

 ジーベーベはそう言うと、ウィーウェの姿を見て目を剥いた。この反応も覚えがある。ウィーウェの装備を見て、このアベリオン丘陵の者達は誰もが驚くのだ。気持ちは分かる。ウィーウェの装備は明らかに、このアベリオン丘陵の平均レベルに適していない。強過ぎるのだ。

 しかし、装備を下位に変える気にはなれない。それでは、いざという時に装備変更の手間がかかる。同レベル帯であればその遅れは致命的だ。万が一がある以上、装備レベルは落とせない。

「いや、実は君達に訊きたい事があったから、訪ねて来たんだけど……何だか大変そうだね。――どうだろう? 良ければ、俺に詳しい話をしてみないかい? ちょっとしたモンスター退治なら、得意分野だし」

 二人はウィーウェの言葉に、顔を見合わせる。続いて、ウィーウェの装備を上から下まで舐めるように見つめた。

「……その前に、一体我らに何の用だったのでしょうか? 先に、そちらを話されては?」

「君らは、とても長生きだろう? だから、ちょっとアベリオン丘陵の東にある大森林について少し訊きたかったんだ。もし良ければ、道案内ってやつもして欲しかった」

 ウィーウェが素直に答えると、ジーベーベは考え込み、「少しお待ち下さい」と言ってもう一人を引っ張ってウィーウェの視界の隅に寄った。

 二人は「……道案内……危険……ワーム……装備……」などと言い合っている。おそらく、ウィーウェに任せて良いか考えているのだろう。だが、藍蛆の現状は少し盗み聞きしただけでも、のっぴきならない状況に思える。最終的には頷くだろう。

 問題は、こちらに払える報酬の事に違いない。道案内だけで済むとは思えないのだろう。時折こちらに視線を送っては、うんうんと考え込んでいる。

 だが、それでもこの現状を打破するきっかけが欲しかったのか。二人は話し合いを終えると戻って来て、ウィーウェの言葉に頷いた。

「ホディエー殿、貴方がよろしいのなら是非とも、我々の話を聞いていただけませんか?」

「いいよー。さあ、遠慮なく話してみるといいさ」

 ウィーウェの許可に礼を言い、二人は今現在、藍蛆が陥っているどうしようもない状況をウィーウェに語り聞かせた。

「三年ほど前の話なのですが、貴方と同じような高位のマジックアイテムで武装した人間達が、我々の王とその側近である精鋭達を襲撃しました」

「その話は刀鎧蟲達から最近聞いたよ。何でも、アベリオン丘陵の亜人達は定期的に間引きされてるんだって?」

 ウィーウェがクレーンプットから聞いた話を伝えると、ジーベーベは頷く。

「そうです。我々も襲撃されるまで、それがどれほどの強者か知らなかったのですが、私共は奴らに為す術などありませんでした」

「だろうなー。二つ名付きの亜人と互角かそれ以上の強さの集団に挑まれたら、君らの強さじゃどうしようも無い。嵐が過ぎるのを待つだけだろう」

「その通りです。私共の部族はそうして、王を亡くした為に繁殖が不可能になりました。今まで、何とか我らの中で性転換する者がいないか他の亜人達の襲撃を躱しながら、耐えていたのですが……」

「最近、状況が変わった――と?」

 こくりと、ジーベーベは頷いた。

「おそらく、一ヶ月は経っていないと思います。この陥没穴に、巨大な魔物が現れたのです」

 それは、暗紫色のキチン質――エビやカニのような甲殻類染みた鎧板のような、装甲に覆われた巨大なミミズに似た姿をしていたと言う。口は牙が生えており、藍蛆を呑み込んでしまうほどの巨大さなのだとか。

「その、恐ろしい巨大なワームがやって来て――陥没穴に横穴を幾つも開けながら、この地を巡回するようになりました。最初は、その通りを避けるようにして暮らしていたのですが、すぐに新しい横穴を掘って、別の陥没穴に避難して住んでいる我らや、他の者達も食べてしまうのです。逃げようにも、あの巨体から逃げる方法はなく――」

「……皆一緒に胃の中に、ってか。ふーん」

 ウィーウェは特徴を考える。暗紫色の、巨大なワームモンスターと言えば……一応、特徴だけは覚えがあるが。

「二人とも、実際に見た事は?」

「勿論、この目で見ました……あの巨体を。同卵達を飲み込み、噛み砕き、再び横穴へ消えていく恐ろしい姿を」

「なるほど」

 名前は知らないが、しかし見た事はあると。なら、話は早い。ウィーウェはインベントリに手を突っ込む。いきなり空中に手を突っ込んだウィーウェに二人は驚いたようだが、そこからウィーウェが一冊の本を取り出すのを見て更に首を傾げた。

 その本は分厚く、一〇〇〇ページ以上の厚さが見て取れる。この本は百科事典(エンサイクロペディア)という名前のアイテムで、〈ユグドラシル〉のゲーム開始時に必ず運営から与えられるアイテムなので、プレイヤーならば基本は所有しているアイテムだ。持ち主が破棄を選択しない限り、奪われる事も消失する事もない特徴を持つ。更に、このアイテムはプレイヤーが遭遇した事のあるモンスターの画像データが強制的に登録される。未知を既知に変える事を楽しんで欲しいという製作側の意図が体現されていると言えよう。

 とは言っても、モンスターの細かなステータスなどが登録されるわけではなく、自分で発見した特徴などを書き込まなければならない。ウィーウェはソロプレイヤーだったので、これをとても重宝していた。おそらく、ウィーウェはプレイヤーの中でも上位に入る、詳細な書き込みをしたプレイヤーだろう。

 ペロロンチーノなどはウィーウェと違って自分の趣味満載の、面白い書き込みをしていたのでゲームを引退する際にほとんど書き込み内容を消してしまっていたが、ウィーウェは書き込み内容を消していなかったので十全な状態だ。

 パラパラとページを捲り、目的の項目を探す。やがて目的の項目に辿り着いたウィーウェは、二人に見えるようにページを開いてそこに記載されているモンスターの画像データを見せた。

「それって、こんな奴だった?」

 そのページに記載されているモンスターを見た二人は、ぶんぶんと頷く。

「そうです! それです! 間違いありません! ……それにしても、かなり詳細な肖像画ですね。さぞかし名のある方の作品なのでしょう」

「いや、これはそういうアイテムだから、この本が勝手に外見と名前を登録してくれるんだよね。とは言っても、遭遇した事が無いと記載されないし、弱点とか種族的特徴が分かるわけじゃないから、自分で調べてみないといけないんだけど」

「そうなのですか! ですが、それだけでもとてつもないマジックアイテムでは!?」

 どうやら、こういったマジックアイテムはアベリオン丘陵には存在しないようだ。確かに、モンスターに遭遇さえすれば自動書記してくれるマジックアイテムは、今の状況では貴重だろう。大事にしよう。

「それにしても……この書き込みは文字でしょうか?」

 ジーベーベは困惑気味に、ページにウィーウェがメモ書きしている文字を見つめている。そういえば、人間達を見て知った事だが、此処では言語が統一されていないのだった。ウィーウェが使う言語と、あの人間達が使う言語は全く別だ。ただ、翻訳だけがなされている。

「俺の故郷で使われてた言語なんだけど、知ってる?」

 二人は首を横に振って否定した。やはり、日本語――ひらがなも、カタカナも、漢字も分からないようだ。ただ、数字は読めるらしい。数字は共通文字のようだ。

「しかし記載されているという事は、ホディエー殿はこの魔物に遭遇した事があるのですね」

「うん。君らの見間違いじゃなければ、たぶんコイツだと思うよー。しかしコイツかー……うん、このアベリオン丘陵を旅した感想としては、そりゃ君らのレベル帯じゃ勝てないだろうね」

 このモンスターは、〈ユグドラシル〉でなら五〇レベルが討伐する際の適正レベルになる。三〇レベルさえ滅多にいないようなこの適正レベル帯の低いアベリオン丘陵でなら、これは無双するだろう。

「れべる?」

 また、二人が首を傾げたのでウィーウェも困惑する。やはり、強さの数え方も違うのだろうか。

「俺の故郷での、強さの表現方法だよー。この辺にはそういうの無いの?」

「はあ……。確か、人間共が難度と呼ばれるもので強さを表現していると聞いた事がありますが……我々には、そういった物差しのような表現方法は無いです」

「ふーん。難度、かー」

 後で調べてみる必要があるかも知れない。ただ、やはりと言うべきだろう。データが妙に現実に適した表現方法になると、こういった数値が曖昧になってしまうのが非常に不便だ。画面に表示される名前を見て、レベルが予想出来た頃は親切だったなと思う。

「まあ、いいや。その辺は。……良し、コイツなら問題なく俺が討伐出来るモンスターだ。巡回してるって事は、必ず決まった道を通ってるって事だよね。此処から、一番近い巡回路は何処になるの?」

「は、はい! ご案内します! どうぞ、ついて来て下さい」

 二人の先導に従って、ウィーウェは歩を進める。多少の空腹ペナルティでも、あのモンスターが相手なら大丈夫だろう。完封出来る。ただ、問題は二つ。その一つは自分の精神力が空腹に耐えられるか否か、だ。まあ、最初の日と同じように頑張ってみよう。

(それにしても……紫イモムシくんかー。どっから来たんだろ?)

 〈ユグドラシル〉ではプレイヤーに紫イモムシと呼ばれ親しまれていた、地中に潜む昆虫モンスター。かなり巨大なモンスターで、確か全長は三〇メートルを超える事もある。更に、一口で人間サイズを丸呑みにしてしまう中々に面倒なモンスターだ。確か、尾には強い毒攻撃の針が備わっていたはず。ノックバック攻撃や、クリティカルが入ると朦朧状態にされるので、本当に面倒臭い。しかも、倒しても滅多な事ではデータクリスタルを落としてくれないので、とっても美味しくないモンスターである。

 ただ、知性が限りなく低いお馬鹿さんなモンスターなので、精神系魔法が物凄く効きやすい。なので、面白がって捕獲(テイム)する魔獣使い(ビーストテイマー)や、精神操作する魔法詠唱者(マジック・キャスター)がよくいたものだ。

(でも、グレンベラ沼地にいるようなタイプじゃないっぽいから、良かったよー)

 ギルド拠点の付近にあったグレンベラ沼地にいるタイプは、七四レベルのモンスターなのでとても強い。しかも発見されると群がってくる性質があるので複数体を同時に相手にする事を考慮しなくてはならない。

 だが、今回二人が間違いないと言っているモンスターは、単独行動をする一般的なタイプだ。そう警戒する事も無いだろう。

(とりあえず、猛毒に対する完全耐性のアイテムは装備しているから、毒については万が一が起きても大丈夫。耐久値が高いけど、特殊技術も使えば二、三発で討伐出来るかな?)

 問題は、やはり自分がいつもと同じ動きが出来るかどうか、だ。空腹もあるが、あんな巨大なモンスターが自分に向かって来ていると思うと、思わず身が竦んでしまうかもしれない。覚悟を決めて、立ち向かわなくては。

(死にはしないだろうし、落ち着こう、うん)

 そう、レベル的にも、特殊技術的にも死ぬわけがない。ただ、攻撃が当たれば痛いだけだ。多少の痛みなら、きっと我慢出来る。だから問題は、やはり自分がいざという時に怯まないでいられるかどうかだろう。

 ウィーウェは深呼吸する。そして、気合いを入れた。

「――良し! まあ、なるようになるだろ!」

「どうされました?」

 ウィーウェが唐突に叫んだので、二人は困惑したようだ。ウィーウェはそれに「なんでもないよー」と告げて、二人の後を歩く。暗い、暗闇の道を。

 

 

§ § §

 

 

 土と鉱石の入り混じった、湿気た空気が充満している道を二人に案内されて歩いたウィーウェは、横と縦の幅が自分よりも数十センチほど広くあろうかという横穴に出た。ジーベーベはもう一人に向かって何事かを呟くと、もう一人は何処かへと去って行く。

「この道が、そろそろ巡回に来る時間の道です」

「ふーん」

 周囲の土を触ってみる。ジーベーベも土を触り、頷いた。

「やはり、今日はまだ通っていないようですね。我々がいれば、食事をする為に確実にやって来るでしょう」

「だろうねー。アイツ、結構な大喰らいだし……良し。じゃあ、此処で待ち構えるから君は端に寄っておいてよ」

 ウィーウェは槍を構えると、特殊技術や装備の効果を幾つか発動させる。

(……しかし、ヘイト値とかはどういう扱いになるんだろ? あんまり特殊技術を使い過ぎると、必ずこっちに意識が向かうようになってるのかな? そりゃ、気になるだろうけど優先順位としては普通、回復役(ヒーラー)から潰すものだし……それでもヘイト値にひっぱられて防御役(タンク)を狙うのかなー? うーん)

 ゲームの場合はヘイト管理というものがあり、あまり行動回数が多いとヘイト値が稼がれそのプレイヤーが狙われる。だが、ヘイト値を無視するならチーム戦の場合は最初に狙うのは回復役(ヒーラー)と相場が決まっている。でないと、イタチごっこになるしジリ貧になるからだ。

 だが、ヘイト値が適用されると攻撃などは防御役(タンク)などヘイト管理が上手い方に意識が引き摺られるはずだ。その辺りはどうなっているのだろう。

(あー……そういえば、同士討ち(フレンドリィファイヤー)はどうなってるんだろ? ゲームなら、同パーティーにダメージは与えないけど……今の状況でも、適用されるのかなー?)

 おそらく、適用されないだろうな、と思う。ウィーウェは〈絶望のオーラ〉などの、広範囲に影響を与える自分を中心としたオーラ系特殊技術は持っていない為安心だが、他はどうなのだろうか。非常に気になるものだ。

(まあ、これも後で検証するべきかな? 傭兵モンスターでも召喚して確かめてみようかなー?)

 一応、傭兵モンスターを召喚する為のアイテムは幾つも持っているし、その代償である金貨も持ち合わせている。金貨は自分達の持ち物の中でも真っ先に消費されるものだろうから、流石にギルドに残っていないと思っていたが、モモンガは手つかずで放置していたようなのだ。道中のモンスターが非アクティブ化しているとは知らなかったので、自分が残していた所持金は全て持ち出した。

(いや、駄目だ。いざという時を考えると、金貨が尽きたら召喚出来なくなる傭兵モンスターは勿体ない)

 このアベリオン丘陵では適正レベルが低いが、隣の大森林などは適正レベルが急に上がって強敵ばかりになる可能性があった。その場合、傭兵モンスターはかなり重要な存在になる。実験の為だけには使えない。

(とりあえず、フレンドリィファイヤーには気をつけて戦うしか無いか。幸い、俺は近接職だからあのジーベーベとかいうのを巻き込む心配は少ないし)

 〈感知増幅〉で先手を取り易くし、〈上位全能力強化〉で全ての基本ステータスを上昇。更に〈上位幸運〉で幸運値も最大まで上げて不慮の事故の可能性を低下させる。魔法にも同じような名前の術があるが、ウィーウェは魔法が使えないので特殊技術による強化だ。これは魔法と違って、一日に使用出来る回数が決まっているので、あまり多用したくないが、今回はこの丘陵地帯でもかなり強いモンスターが相手だ。用心に越した事は無い。

(ああ……ドキドキしてきた。〈狂戦士化(バーサーク)〉でも持ってれば、戦闘中脳筋になれるのに……いや、まあ。うん。脳筋になったらなったで、後で困る事になりそうだけど)

 実際に命が掛かった戦いをするのは、流石に「無駄に前向き」と他人に言われるウィーウェでも不安を押し殺せない。精神操作系の魔法や特殊技術を無効化するアイテムは装備しているが、心の中から沸き起こる不安を消してはくれないらしい。無効にしてくれたらいいのに。

「…………来たな」

「……!!」

 そうして考え込んでいる内に、ウィーウェの知覚に引っかかるものがあった。ウィーウェの呟きに、ジーベーベも反応し、震えながらウィーウェと共に横穴の闇の奥を見つめる。

「…………」

 槍を握り込む。闇の奥から、何か異様なものが這い出て来ようとしている。ずるずると、巨体を引き摺る音が響いてきた。向こうも、もはやこちらに気がついている。それは獲物を呑み込もうと、こちらへ近づいて来て――

「――――え?」

 その前に、見え始めたその巨体が、自分が知るものと違う事に気がついた。

 暗紫色の、キチン質の鎧板のような装甲に覆われた、口から牙を幾つも生やした巨大なワーム。それが藍蛆達が語る、この陥没穴に巣食った魔物であったはずだ。

 だが――

 

「――――し、深紅色の装甲だって……!?」

 

 暗紫色じゃない。アレは、どう見ても紫ではなく赤だ。つまり、ウィーウェの想定していたモンスターではなく……適正レベルが八〇レベルの、上位モンスターである。

「……やっべ!」

 ウィーウェは即座に、ジーベーベの元まで踵を返して走る。そして、そのままジーベーベを掴むと脇に抱え込み、横穴ではなく縦穴の陥没穴に戻ろうとする。ジーベーベは急な転換に意識が追いついていないのか、ウィーウェに抱えられた状態で困惑しているようだ。

「え? え?」

 しかし、今はジーベーベに構っている暇は無い。あの巨大なワームはウィーウェとジーベーベに向かって口を開き迫っている。

 なので。

「えぇい! もう! 〈清浄衝撃盾〉!」

 ウィーウェの周囲に青白い衝撃波が発生し、巨大な深紅色のワームの頭部を吹き飛ばした。この特殊技術は攻撃を無効化し、相手に対して吹き飛ばし効果を発揮する。特殊技術で強化はしなかったし、狭い場所である為頭部を揺さぶるだけに留まったが、それでも強力な威力だっただろう。ちなみに、属性(アライメント)が悪に傾いている場合は特殊技術名が〈不浄衝撃盾〉となり、衝撃波の色が違う。ウィーウェは極善ではないが、悪に傾いてもいないのでそちらは使えない。

 急に頭部を揺さぶられた巨大ワームは意識が混濁したのか、動きが止まった。その間に、ウィーウェは横穴から陥没穴へ戻る。

 すぐにジーベーベを放り出すと、ウィーウェは叫んだ。

「おま……! アレ、暗紫色じゃないじゃん! 深紅じゃん!」

 ウィーウェの言葉に、ジーベーベは困惑したようだった。

「深紅? あれは暗紫ではないのですか?」

「……あー、あー! そういう事か!」

 現実にいる生物でもよくある話だ。生物はそれぞれ、識別出来る色が決まっている。人間は赤・緑・青の三原色で、それを下地に細かな色を識別している。虫の場合はそれに透明――紫外線を追加した四原色だ。

 だからこそ、中には色の見え方が根本的に違う種族というものが存在する。例えば、牛や馬はモノクロに近い色の見え方をしており、青と赤の違いが分からない。

 おそらくは、藍蛆もそういった特殊な色の見え方をしているのだろう。おそらく、彼らは明るいところでなければ色を見分けられないのだ。その為、紫と赤の違いが分からずに、場所が暗い事もあって暗紫色と勘違いしたのだろう。

「くっそー、そういう事かー。それなら仕方ないなー」

 これでは、責めてもしょうがない。今回は運が悪かったという事だろう。ウィーウェはフードの上から頭をがしがしと掻くと、すぐに横穴に向き直った。

「とりあえず、その場から動くなよー。動いたら、命の保障はしないからな?」

「は、はい!」

 ジーベーベは震えながら、その場に立ち竦む。ウィーウェは体勢を整え、先程の横穴を睨んだ。

(来るかなー? 来るだろうなー。 だって、アイツ紫イモムシくんと同じくらい、頭悪いし)

 一部の知性あるモンスターは、プレイヤーのレベルが高過ぎると逃走を選ぶ事がある。逃げられるかどうかは別にしてだが。しかし、あのモンスターにその手の知性は存在しないだろう。アレはただひたすらに、貪欲に有機物を手当たり次第に喰い散らかすのだ。

 ずるずる。気配がする。やはり、ウィーウェを追って来たようだ。ウィーウェは槍を握り、別の特殊技術を使用する。

(使うのはクリティカル率アップに、敏捷値上昇系、あと貫通強化。……さっさと仕留める為に、大技も使うか)

 完全な攻撃用特殊技術も使用する事を決めて、ウィーウェは待ち構えた。相手の敏捷値があまり高くないのが幸いである。幾つも特殊技術を発動する機会があるのだから。これがプレイヤー同士だったり、知性の高い上位モンスターだとこうはいかない。

「――来たぁッ!!」

 相手が横穴から飛び出してきたと同時、全力で地を駆ける。ウィーウェの踏み込みで地面の土が捲り上がり、土煙が巻き起こるがそんなものを気にする存在は皆無だろう。ウィーウェも、目の前の相手もそんな事は気にも留めないし、ジーベーベはそもそもこの攻防を認識出来るほどのレベルでは無い。

 ウィーウェの主装備である神器級(ゴッズ)アイテムである槍――コーギトー・エルゴ・スムは本来両手武器なのだが、筋力が高い場合は片手武器として扱える。そして、槍は本来刺突武器なのだが、これは斬撃武器としての能力も備えていた。

 無属性のクリティカル率上昇とダメージ率だけに特化しているだけあって、相手の弱点属性に刺さる事は無いのだがソロでダンジョンを攻略する事もあるウィーウェにとっては、どんな相手にも必ず最低限の効果がある武器は必需品だ。これはソロプレイヤーの時に、必死になってデータクリスタルを集めて何とか製作した神器級(ゴッズ)アイテムである。

 ギルドに所属するようになってからは、一緒にデータクリスタルを集めるから別の槍武器を作らないかと訊かれた事があったが、ウィーウェは他の装備品を神器級(ゴッズ)アイテムに揃えるのを手伝って貰い、結局主武装は変えなかった。

 何故なら――固定値とは、それだけで正義だからである。

「行くぞ! 〈ラインの黄金(ラインゴルト)〉ォ!」

 〈ユグドラシル〉には五大明王撃という連鎖攻撃の特殊攻撃技が存在するが、ウィーウェの使ったこれもその類で、一連の流れを〈ニーベルングの指輪〉と呼ぶ。元ネタは、ニーベルンゲンの歌と呼ばれる叙事詩であり、それをある有名なドイツ人が歌劇にしたらしいが。

 これは属性(アライメント)と連動しており、属性(アライメント)――カルマ値が中立でないと使用出来ない。善に偏っていても、悪に偏っていても不発に終わる。

 ただし、代わりにその効果は絶大だ。中立には最低限の固定ダメージしか与えられないが、善悪に大きく偏っているほどダメージ値が上昇する。そして、追加効果を発揮するのだ。

 最初の〈ラインの黄金(ラインゴルト)〉には中立に対する固定ダメージ、善悪属性に対する追加ダメージと狂気の状態異常を与える効果がある。ウィーウェが習得している職業に属性看破があるので、見たら分かるがこのアベリオン丘陵の亜人達は、基本的に中立が多い。このモンスターも、知性が少ない所為か属性が中立だ。追加ダメージと効果は見込めないだろう。

 だが、それでいい。正直、今となってはヴーヴァ達のようにどんな特殊攻撃を使って来るか分かったものではないのだ。固定ダメージで削った方が安全策と言える。

 槍を片手で薙ぎ払うように振るい、もう片方の手で特殊技術を使って行動を阻害しようとする。しかし――

「……うん?」

 放たれた攻撃は、ウィーウェが思った以上の効果を発揮した。端的に言うと、追加で行動を行う必要が無くなった。……何故なら、その槍の一撃でモンスターの首は胴体から離れ地面に転がったからだ。

「おっと、と……」

 肉体の勢いを殺せず、巨体が地面にざりざりと投げ出される。切断された首と胴体からは多量の血液が流れ落ち噴き出し、周囲を汚していく。ウィーウェは投げ出された巨体を避け、バックステップでジーベーベの横へ立った。

「……弱い。なんか、〈ユグドラシル〉のより弱くないか、コイツ」

 このモンスターの耐久力なら、一撃くらいはもつだろうと思ったのだが、予想外に一撃で死んでしまった。

「なんか、紫イモムシくん程度の強さしか無かったなー」

 首を傾げる。上位種のはずなのに、こんなに弱くていいのだろうか。確かに、ウィーウェは過激なほど特殊技術を使用して攻撃力も何もかも底上げしたが、それでも一撃で死ぬとは思わなかった。予想外にもほどがある。

(それにしても……あんまり、びびらなかったな俺)

 戦う前はドキドキしていたのだが、いざ戦闘になった場合は全く気にならなかった。恐怖のきの字も無い。

(どういう事だろ?)

 意味が分からないが、とりあえず今は放っておく案件だろう。それよりも、必要な事がある。

「…………」

 死体に近づき、槍の刃先で、つんつんと突いてみる。しん、と反応は無い。死んだふりをするような知性も無いはずなのだが、念の為確かめた。だが、やはり死んでいるようだ。まあ、生物である限り首は致命的な一撃……死んでもおかしくは無いが。

「うーん……何か、釈然としないものを感じるなー」

 首を傾げるが、仕方ない。これで全て終わったと見てとるべきだろう。ウィーウェはジーベーベに振り返った。

「退治完了したけど」

「…………」

 ジーベーベはウィーウェを見つめ、頭部を切り離されたモンスターを見つめ、それを交互に繰り返す。そして、数瞬の後。

「う、うわああああああああ!」

 ジーベーベは雄叫びにも聞こえる歓喜の声を上げて、ウィーウェにへばりついた。その唐突な行動に少し驚き、思わず槍を向けそうになるが押し留まる。ジーベーベはウィーウェに飛びつきへばりつくと、ウィーウェの顔を見上げて何度も同じ言葉を叫んだ。

「ありがとうございます! ありがとうございます! 我らは、これで何とか首の皮一枚繋がりました! ああ、本当に感謝いたしますホディエー殿!」

「あ、うん」

 べたべたと張り付くジーベーベに、ウィーウェは困惑するが興奮しているのだろうと思いそのままにする。ただ、ぬるぬるとした肌の感触が絶妙に気持ち悪い。この身体になってから、初めての他者との接触が藍蛆相手とは、何だか無性に悲しくなった。

 しかし、そんなウィーウェの心境など知らぬジーベーベは、興奮した様子でウィーウェの手を取った。

「さあ、どうぞホディエー殿! 精一杯のもてなしをさせていただきたいのです! こちらへ!」

「あー、はいはい」

 ぐいぐいと引っ張るジーベーベに、ウィーウェは少し辟易しながら大人しくついて行く。種族の滅亡間近であった状況から、事態が一気に好転した為に興奮を抑えられないのは分かるのだが、もう少し落ち着いたらどうだろうか。

(まあ、いいか。ちょうど、お腹もしっかり空いてきた事だし)

 食欲が出て来たので、そろそろ食事がしたかった頃だ。大人しく、ジーベーベについて行って持て成されるとしよう。ただ――

(こいつら、何を食べるんだろ?)

 口の辺りを見つめても、何を食べるのかさっぱり見当もつかない。ウィーウェは気になりながらも、ジーベーベに引き摺られるようにして巣へと案内される。

 そして、この後死ぬ程後悔するウィーウェであった。

 

 

「さあ、どうぞ! 我らが英雄殿!」

 ジーベーベに案内された先、彼女達の巣に辿り着いたウィーウェだが、ジーベーベの紹介ですぐさま事のあらましが部族の者達に広まった。彼女達は全員が狂喜乱舞とも言える興奮を示し、ウィーウェを讃え上座に案内する。

「…………うん。これ、なに?」

 そしてウィーウェは、ちょっと震える声で隣に控えている藍蛆に訊ねた。藍蛆は微笑みさえ感じられる口調で、ウィーウェの質問に答える。

「はい! 新鮮な地下長虫(アンダーワーム)です! まだ生きているので、鮮度は抜群ですよ!」

「ふーん」

 それを聞いたウィーウェは、震える声で返した。目の前には真っ黒な大きなミミズが一匹、うごうごと悶えている。確かに新鮮そうだ。やばい。

「あの、君らってこれ、どうやって食べるの?」

 もう一度訊ねると、藍蛆は首を傾げて教えてくれた。

「私共は生き物の体液を啜り食します。ですが、これは我らが体液を啜っておらず、一度も手を付けていない新鮮なものです。どうぞ、遠慮なさらないで下さい」

「あ、はい」

 体液をちゅうちゅうと啜るという藍蛆の恐ろしい生態を聞きながら、ウィーウェは目の前の大ミミズを見つめる。うごうご。やばい。勇気が出ない。しかし空腹が訴えて来ている。そろそろ胃の中に何か入れてくれ、と。食べない選択肢は、もはや存在しない。せっかく用意してくれたのであるし。

(大丈夫、大丈夫。うん。今の俺ならいける。……ミミズは一応、言葉を喋る知的生命体じゃないし)

 昔、現実でもミミズを食べる風習の国があったとギルドメンバーから聞いた事がある。なら、今のウィーウェならきっと大丈夫だろう。そうに違いない。吐きませんように。

 ウィーウェは覚悟を決めると、ミミズを掴んで齧り付いた。ぶちゅ。

「――――」

 まず、食感の時点でウィーウェの心は無の境地に達した。舌にざらっとした感触を覚えたのは、おそらくミミズの表面にある体毛だろう。それが最初に舌を刺激し、続いてゴムのようなぶよぶよとした皮膚の食感が続く。どろりとした体液が舌に零れ落ちて――

「――――」

 ウィーウェは、無言でそのままもぐもぐと齧り付いた。これ以上の食レポは不可能だ。もはや、無の境地で黙々と食べる以外の選択肢は無い。これが好意から発生したものでなければ、無言で大ミミズを藍蛆に叩きつけてやるところだが我慢する。

「美味しいですか?」

「……うん」

 小さな声で、藍蛆の言葉に頷く。ウィーウェの言葉に、彼女達は嬉しげに返した。

「どうぞ、遠慮なくお食べ下さい。貴方は、私共の英雄なのですから」

「……うん」

 黙々と食べる。おそらくは、きらきらとした表情で自分を眺め、崇める藍蛆達に囲まれながら、ウィーウェは無の境地で食事を続けたのだった。

 ――結論として、今回ウィーウェに分かったのは、自分は血の滴るレアステーキなどの方が大好きだという事だ。時々、ちゃんと調理された牛とかのステーキが食べてみたいな、なんて思っていたがとんでもない贅沢品だったと思う。神よ、日々の糧に感謝します。これからは、そんな不満は持たないと誓おう。

(二度と、イモムシとかワーム系は口に入れないようにしよう)

 何か、大切なものを失ってしまった気がする。

 ウィーウェは藍蛆達の好意で差し出される大ミミズなどを、黙々と食べ続けた。

 

 

§ § §

 

 

「よろしいのですか? こんな事まで協力していただいて」

 ジーベーベは、困惑しながらウィーウェを見つめる。それにウィーウェは「いいよー」と気軽に返事をした。

 二人は、今あの深紅色の巨大ワームの死体がある場所へ他の藍蛆達を連れて戻って来ていた。死体は変わらず、そのまま鎮座している。彼と彼女達は此処に、あの巨大ワームを解体する為に戻って来たのだ。

「君らじゃ満足に解体も出来ないだろ? 俺も、そういった特殊技術を持ってるわけじゃないから、丁寧に剥げるわけじゃないけど、君らの力じゃびくともしないだろうし」

 ウィーウェの言葉は事実だ。自分達は、これに手も足も(足は元から蹴る事は出来ないが)出なかった。なので、いざ解体しようにもこの巨大ワームの装甲さえ引き剥がせないだろう。

「感謝します、ホディエー殿」

「気にしなくていいよー。じゃあ、やろうか」

 ジーベーベ達が見つめる中、ウィーウェが空間に手を入れて、短剣を取り出す。その短剣から強い魔力の輝きが見て取れるので、確実に魔法の武器だろう。

 しかし、一番不思議なのはああやって、空間に手を入れてアイテムを出し入れする行為だ。確か〈小型空間(ポケットスペース)〉というアイテムを空間に収める事が出来る魔法が存在したが、別のマジックアイテムの効果の方が可能性が高いだろう。

 ジーベーベは改めて、ウィーウェの全身を見る。頭の天辺から足の爪先まで、全身を桁外れの魔法の武具で武装した、何と言ったか不思議な言葉の故郷からやって来た旅人。手に持つ槍も、何もかも、身を覆う襤褸のようなローブさえも、有り得ぬ魔力の輝きでこの地下世界を照らしている。

 これは、間違いなく只人ではない。そんな事は、絶対にあり得ない。自分達に武具を流してくるあの闇小人(ダークドワーフ)達でさえ、これほどの逸品を一つとして用意する事は不可能だろう。そんな桁外れの武具で全身を武装する彼は、一体何者なのだろうか。

(もしや、噂に聞く魔神の内の一体なのでしょうか?)

 この世には、昔から魔神と呼ばれる凄まじい力の持ち主が幾多か存在している。特に八欲王という化け物達や、十三英雄と呼ばれる者達が戦った魔神達は亜人の世界でも有名だ。八欲王達は互いに殺し合い自滅し、魔神達は全て十三英雄に滅ぼされたと聞くが中には封印されただけの者もいるだろう。ウィーウェはその封印された魔神の内の一体である可能性がある。

 自分達が手も足も出ず、ただ滅びるのを待つしか無かった相手を槍の一閃で討伐したその凄まじい力量。彼の十三英雄達も魔神達も八欲王達も、単なる伝説だとばかり思っていたがウィーウェを見ていると案外、伝説ではなく本当にあった話なのかも知れないと思える。

 滅びゆく自分達を救ってくれた救世主。口調は少し間延びしているが朗らかで、傲慢な様子を感じさせない温厚な姿。圧倒的な力の持ち主。

(なんて……なんて…………()()()()!)

 断言しよう。ぶっちゃけて言おう。惚れた。恋をした。とっても格好良い。

 ジーベーベは鈍い音を鳴らしながらワームの装甲を引き剥がしていくウィーウェの隣で、チラリとウィーウェのフードの下にある顔を見つめる。そこにはフードの影から覗く、虫系種族特有の装甲の黒くて鈍い輝きが見えた。

 あのフードの下には、どのような顔が隠されているのだろうか。いや、どのような顔であろうと構うまい。自分達のような亜人にとって、強さこそが全てだ。造形の美しさなど、何の意味があろうか。亜人にとっては、基本は強さこそが全てだ。自分達藍蛆はそういう傾向が少ないのだが、幸いにして彼は温厚で、朗らかで、優しい。

(このような御方には、きっと二度と巡り合えないに違いありません!)

 亜人というものは基本的に粗野な者で、どうしてもジーベーベは別種族の亜人達は好きになれない。だが、彼はジーベーベにとって初恋の王子様のようなものである。こんなにも強く、優しく、そして窮地を救ってくれるような雄に惚れない方がおかしいだろう。

(なんとかモノにしなくては!)

 ジーベーベは目を光らせて、ウィーウェのフードに隠れる横顔を見つめた。

 

 

(なんか……すっごく、見られている気がする)

 ウィーウェはワームから装甲を引き剥がしている中、横から妙な視線を感じて困惑していた。視線の主は間違いなく、藍蛆達の参謀であり暫定リーダーであるジーベーベだろう。

(俺、何かしたっけ?)

 何か仕出かしたかと内心で首を傾げるが、特にそんな記憶は無い。彼女達を不快にさせるような言動はしていないはずで、むしろ手助けをしてあげているくらいだ。

(それにしても……この短剣で装甲が引き剥がせるとなると、コイツのレベルは六〇も無いな)

 ウィーウェが今使用している短剣は、装備しているとドロップ率が少しだけ上昇する能力を持っている。データクリスタルがドロップするのではなく、現実的に獲物を解体して素材を手に入れなくてはならないこの状況では意味が無い気がするが、使わないよりマシだと思い装備したのだ。そのおかげか、思ったよりも綺麗に剥がせる。

 問題は、本来このモンスターにこうも深く傷をつけられるレベルの武器では無いのに、装甲を剥がせてしまう事だ。幾らウィーウェの馬鹿力があるとは言っても、それでも抵抗があまり感じられない。

(やっぱり、レベル低かったのかな、コイツ)

 そうとしか考えられないだろう。しかし、こんなに弱いのに何故このモンスターは高レベルモンスターに見た目だけでも進化してしまったのか。もしや、モンスターの成長具合もあのロモロという亜人の職業と同じように、下位種族を無視して成長出来てしまうのだろうか。

(後で、進化理由を調べてみるかなー)

 ウィーウェは〈ユグドラシル〉でこのモンスターにも遭遇した事がある。なので、百科事典(エンサイクロペディア)に詳細があるはずだ。そこで紫が深紅になる理由を調べて、レベル無視の環境変化が可能なのかどうか調べよう。

(ほんっと、よく分からないなー)

 装甲を次々と引き剥がし、その辺りに放り出す。それを藍蛆達がすぐに回収し、頑張って加工するのだろう。……彼女達は加工する手段があるのだろうか。おそらく、積み重ねたりして盾にでもする気かも知れない。鎧にするには、そもそも加工する道具が無いであろうし。

 そして、胴体を全て引き剥がし終えた後は切り離した頭部から牙を引き抜いていく。全てを解体し終えた頃にジーベーベが「お疲れ様です」と声をかけてきた。

「ありがとうございました、ホディエー殿。これだけの素材があれば何とか他の亜人達から身を守れそうです」

「それはいいけど、加工する当てってあるの?」

「此処から遠いですが、闇小人達のもとへ依頼しようかと思っております」

「ダークドワーフ?」

 森妖精(エルフ)にも二種類いるように、山小人(ドワーフ)にも二種類の種族がいる。おそらくは、そのもう片方の人間種だ。

「はい。彼らの加工技術は素晴らしい腕ですので、彼らに最低限の加工を頼もうかと。この丘陵地帯で魔法の武具を持つ者達の武装は、基本は彼らから物々交換で手に入れたものですから」

「へえ」

 山小人系の種族は、鍛冶などの加工技術に優れているのがフレーバーだ。此処でもそれは同じなようで、ウィーウェには興味が湧いた。

「なあ、その間の護衛っていらないかい?」

 なので、ウィーウェは自分を売り込んでみる事にする。すると、ジーベーベは頷いた。

「それは勿論、必要です。その……護衛として、雇われていただけますか?」

「いいよー。俺も、闇小人達には興味がある。大森林の事は後でいいや」

 闇小人はまだ見かけた事が無い。なので、彼らがいる場所とやらに興味があるのでウィーウェはまずそちらを片付ける事にした。大森林は逃げないのだ。後回しにしても大丈夫だろう。……まあ、〈ユグドラシル〉には移動する森とも呼べるおかしなアクティブモンスターもいたが、たぶん違うだろう。きっと。

「ありがとうございます、ホディエー殿。では、さっそくですが明日から頼まれてもよろしいですか?」

「おっけー。じゃあ、明日陥没穴外の地上で落ち合おうか。どの道、外には出るんだろ?」

 ウィーウェがそう言うと、ジーベーベは頷いた。

「はい。さすがに、地下に潜ったまま闇小人のもとへは向かえませんから。……泊まってはいかれないのですか?」

「ああ、うん。俺もまだ外で用事があるし。明日の日の出の時間に、陥没穴の外で落ち合おう」

 また大ミミズのような食感の食べ物を用意されたら、さすがにキツいものがある。なので、何とかしてウィーウェは外に出てその食事を回避しようと必死だ。だが、ジーベーベは申し訳ないと思っているのか食い下がった。

「もし迷惑をかけると申し訳なくお思いでしたら、杞憂ですよ。我々は、貴方に感謝しています。貴方が我らの住居で寝泊まりをしても、我々は喜んで受け入れるでしょう」

「いやいや。うん、大丈夫。俺、外で済ませたい用事があるだけだから。また明日ね、明日」

 ウィーウェは必至に拒否する。何となく、ジーベーベが悲しそうな口調のような気がしたが、気のせいだと思っておく。ミミズ系は本当に無理だ。空腹に耐えかねた場合は食べるだろうが、そうでないかぎりは遠慮したい食事である。本当に勘弁していただきたい。

「かしこまりました。……それでは、ホディエー殿。明日の日の出にまた会いましょう」

「うん、またねー」

 彼女達に手を振って別れを告げ、ウィーウェは逃げるように陥没穴の縦穴を身体能力で無理矢理登っていく。土壁の凹凸に足をかけ、跳躍。落下しないように注意して。

 しばらくそうして駆け上がっていくと、外に出た。ウィーウェは外の空を見上げる。既に夜が明けており、何処かへと食事へ飛び立っていた吸血蝙蝠達が帰ってきていた。

(とりあえず大森林は置いといて、明日から闇小人の探索か)

 ウィーウェは頭をフードの上からガシガシと掻く。今回も色々と分かった事は多かったが、しかし何かが分かる毎に更に疑問が増えていった。本当に、この世界は何なのだろうか。ネットの中なのか、本当に異世界なのか。さっぱり分からない。

 そこで、装備を元に戻していない事に気がついた。別にこのままでも問題は無いが、しかし防御力は落ちる。どうするか少し考えて――結局は元の神器級(ゴッズ)アイテムに戻しておく事にした。護衛依頼なので、姿を隠せる装備品で先行して安全を確保しておいた方がいい気もするが、しかし場を離れている内に厄介なものに遭遇して胃の中にいかれていた方が面倒だ。自分が蘇生する為のアイテムはあるが、他人を蘇生させるアイテムは持っていないのだ。

「――――さて、それじゃあ食糧を探しに行こうかな」

 幸い、先程藍蛆達から奢ってもらった大ミミズを大量に摂取したので、すぐに必要というわけではないがウィーウェにとって食事はなくてはならない必需品である。それに、大量の荷物がある護衛依頼となると、傭兵モンスターを雇っておくべきかもしれない。実験に使うのは勿体ないと思ったが、実際に召喚出来るのかどうか、召喚時間はどの程度か見ておく必要がある。戦闘能力をほとんど持たない、荷物運搬用のモンスターを召喚しよう。確か、四〇レベルほどの魔獣がいたはずだ。

「あっと。そういえば、紫イモムシくんの進化過程を調べておくんだった」

 ウィーウェはインベントリから二冊の本を取り出す。一冊は傭兵モンスターを雇う為に必要な召喚の本で、もう一冊は百科事典(エンサイクロペディア)だ。ウィーウェは更に金貨を取り出して、まず召喚の本で目的のページを開く。

「あった」

 冷気や炎に耐性を持ち、移動速度が速く、何より長期間食料を食べなくてもいいという優良というか有料モンスター。それはマンモスのような見た目の魔獣であり、〈ユグドラシル〉でもよく使われていたモンスターだ。

 ウィーウェはそれを召喚すると待機を命じ、続いて百科事典(エンサイクロペディア)の目的のページを探す。すぐに見つけたウィーウェは、モンスターの詳細設定を読み込む。

 有機物なら何でも口に入れる、腐肉喰いのパープルワーム。様々な亜種や変種のいるこの種族は、当然環境によって細かな外見と装甲の色を変える。深紅色が良い例だ。

 そして、深紅色のワームは変種の内の一種で、出現場所は荒野や岩砂漠だ。どう考えても、丘陵地帯に出現するような生物では無い。森林などからやって来たのなら、緑か青色になっているはずだろう。

 つまり……やはりどう考えても、この辺り出身の生き物では無い。何処かに、砂漠地帯か荒野でもあるのだろうか。いや、捕獲(テイム)されていた可能性もある。その場合は、魔物使い(ビーストマスター)が付近にいる事になるのだが。

「うーん。でも、やっぱり環境変化で色違いになる事しか書いてないか」

 それ以外の進化理由が何か書いてないかと思って調べたが、無駄足だったようだ。しかし、自然界の法則に則って亜種や変種に変化するとなると、あのワームのように極端に弱いモンスターもいれば、本来そのレベルでは有り得ない極端に強いモンスターもいる事になる。それだと見た目で判断するのは禁物になってしまうだろう。

 これからは、他のモンスターと遭遇した時はもっと気をつけた方がいいかも知れない。未知の特殊技術だけでなく、未知の魔法も存在するかも知れないし、未知のモンスターもいるかも知れないのだ。油断は禁物である。

「――良し! 気を引き締めて、さっそく食糧を集めるとするか!」

 行くぞー、と声をかけるとマンモスの魔獣はウィーウェの声に従って、のしのしと歩き始めた。命令系統はしっかりしているようだ。こうして召喚して雇っても、忠誠心がゼロであったらどうしようかと思ったが杞憂だったらしい。後は、召喚継続時間だろう。位階魔法や特殊技術で召喚する場合、召喚モンスターには召喚継続時間があってそれを過ぎると消えてしまう。だが、傭兵モンスターにはその召喚継続時間が存在しないはずなのだが、その場にいないはずのものをこうして呼び出すのは大丈夫なのか。疑問は尽きない。位階魔法などの召喚継続時間がある召喚モンスターも気になるが、ウィーウェは習得していないので立証不可能だ。

 ウィーウェはぬぼぅっとしたマンモスの魔獣を引き連れて、食料を探しに向かったのだった。

 そして分かったのは、傭兵モンスターはどうやら討伐されないかぎり消滅しないという事だった。狩った狼などを荷物として吊るしていたウィーウェは、空腹を訴えるマンモスの魔獣を前にして、少し途方に暮れたのだった。

 ……仕方なく、自分の食事を少し分け与える事にする。ウィーウェと違って燃費がいいので、少し渡す程度で大丈夫だろう。

 ウィーウェは夜が明けて合流時間になるのを、陥没穴の近くでそうして待ち続けたのだった。

 

 

 




 
■紫イモムシくん
種族:魔獣・昆虫
【詳細】
パープルワーム。ユグドラシルでは一般的にLv.50程度の巨大ワームの事。生息している場所によっては超強い。グレンベラ沼地とかね!

■深紅色の奴
種族:魔獣・昆虫
【詳細】
パープルワームの変異個体。一般的なパープルワームより超デカい。普通はLv.70程度。でもこの世界では前提を無視出来るので、Lv.50程度の虚弱ワームだった。

■パープルワーム(現地)
種族:魔獣・昆虫
【詳細】
どっかのワーカーさんがボワン沼地とかいうところで狩ってる奴。ユグドラシル出身のプレイヤーが見ると「え……? なに、この……なに? キモい色のミミズ?」ってなる。たぶんユグドラシルだと幼体扱いのレッサー。サイズがシーボルトミミズとメガスコリデス・アウストラリスくらい違う。

■清浄衝撃盾
分類:スキル
【詳細】
不浄衝撃盾の、カルマ値が悪に偏っていない版って設定。一日二回だけ使用可能。衝撃波の色が赤黒くなく、青白い。

■ニーベルングの指輪
分類:スキル
【詳細】
五大明王撃のような、コンビネーション攻撃。ただし最大で四連続。カルマ値が中立でないと使用出来ない。善とか悪になると不発する。
カルマ値・中立には最低限の固定ダメージ。善悪に偏ると、偏った分だけダメージ上昇。更に、追加で状態異常を起こす。この状態異常攻撃が凶悪で、完全耐性じゃないと防げない。
一連の技名がドイツ語なので、厨二病の人達に大人気。なおウィーウェはカルマ値が中立で、固定ダメージが狙えるという理由で習得してた。

■ラインの黄金
分類:スキル
【詳細】
ニーベルングの指輪の初撃。ラインゴルト。列車じゃないよ。カルマ値・中立に固定ダメージ。善悪に偏ると偏った分だけダメージ上昇。
更に、追加で状態異常・狂気を発症させる。

■コーギトー・エルゴ・スム
種別:近接/両手&片手武器・槍/魔法 分類:刺突・斬撃 レベル:神器級
【詳細】
クリティカル率上昇と無属性ダメージ増加を狙いまくった、ウィーウェの主武装。ソロプレイの時に死ぬ気でアイテムを集めた狂気の産物。
更にエーテル体などの非実体に対しても、実体と同様のダメージを与える。無属性なので、ダメージ値は基本同じ。固定値は裏切らない。
本来は両手武器だが、筋力値によっては片手武器として扱う事が可能。神器級アイテムの中では珍しい、誰が装備しても一定の効果を発揮するタイプの装備品。ドロップには気をつけよう。
デザインはパルチザンのような、穂先の刃が大きく段々幅広になっていて、斬撃に特化。黒紫色の金属で出来ているっぽい。
神々しいんだか禍々しいんだか分からない、黒紫色の課金エフェクトオーラを漂わせる。

■Cogito, ergo sum. 
 我思う、故に我あり。

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