■前回のあらすじ
蛆「私がヒロインです」
「ホディエー殿!」
約束の日の日の出の時間。ウィーウェは荷運び用のマンモス魔獣と共に陥没穴付近で待っていると、聞き覚えのある声を聞いた。声の方を振り向くと、同じような姿の藍蛆が幾人か見える。彼女達は皆、ウィーウェが解体してあげたワームの部位を持っていた。こちらに近づいて来ているのが、おそらく先程ウィーウェに声をかけた本人……ジーベーベだろう。
「本日は、よろしくお願いします」
「よろしくー」
頭を下げるジーベーベに習い、ウィーウェも気軽に挨拶を交わす。ジーベーベはウィーウェが連れている魔獣を見て、困惑したような声色で訊ねてきた。
「あの……そちらの魔獣は何でしょうか?」
「これ、俺の食糧運び。俺、大食漢だからね。闇小人の所まで、どれくらい掛かるか分かんないから、ちょっと色々狩って運ばせてる」
魔獣の左右には荷物を載せる籠が取り付けられており、ウィーウェはそこに狩った山羊や狼などをそのまま幾体も載せていた。節約しながら進めば、三日は空腹のペナルティなどを受けずに進めるだろうし、食欲も腹の中で多少燻る程度で済む。
だが、ジーベーベが聞きたいのはそういう事では無いようだ。彼女は少々怯えたような様子を見せている気がする。そこで、この魔獣のレベルを思い出した。ウィーウェにとっては脆弱に過ぎるレベルだが、彼女達にとっては身近に感じられるほどの、けれど決して勝てない強さなのだろう。
「コイツ、俺が召喚したようなものだから。あんま気にしなくていいよー」
「召喚モンスターなのですか?」
「うん。ただ、特殊なやつで召喚継続時間が長いんだ。中々消えないけど気にしないでね」
ウィーウェの言葉に、ジーベーベは納得したようだ。召喚モンスターならば、召喚主には絶対……怯える必要は無いという事だろう。ジーベーベの様子から、召喚モンスターの忠誠心に関してはどうやら心配する必要は無さそうだ。これは傭兵モンスターだが。
「それにしても、君も来るの?」
「はい」
ジーベーベの様子を見て、疑問を投げかけると彼女は頷いた。その言葉に、ウィーウェは困惑する。確か、彼女はこの部族の参謀役だと聞いていたのだが。闇小人と交渉するのに彼女は必要なのだろうか。幾度か交渉している様子が見える事から、別に彼女自身が来なくても良さそうな気がするが。
(まあ、本人の勝手だしね。別にいいかー)
彼女達が決めた事なのだから、特に何も言うまい。ウィーウェはこの件についてはそれ以上の言葉を黙殺し、別の疑問を投げかける事にした。
「それで、闇小人は何処に住んでるんだい?」
「はい、彼らは山岳地帯に住んでいるのです。山羊人などが住んでいる場所ですね。此処から――」
どうやら、ウィーウェがかつて訪れた山岳地帯にいたようだ。ただ、岩山などの裂け目などから、地下に向かっていかないと行けないので、表層を歩いた程度のウィーウェには発見出来なかったらしい。
「なるほど。じゃあ、さっそく出発しようか?」
「そうですね。なるべく、急いでおきたいです」
ウィーウェの言葉に頷いて、ジーベーベが背後の者達に声をかける。彼女達も二人のもとへ集まり、それぞれ荷物をソリのようなものに乗せて引っ張り始めた。ウィーウェはそれを見て、一応声をかけてみる。
「どうする? コイツの籠に紐引っ張らせる?」
ウィーウェが魔獣を指差すが、しかし彼女達は首を横に振った。既に魔獣は幾つも荷物を載せているし、これ以上の迷惑はかけられないと言う。彼女達がそう言うならばと、ウィーウェはそれ以上何も言わなかった。
「では申し訳ありませんが、ホディエー殿はジーベーベと共に最後尾をお願い出来ますか? 先頭は
「いいよー」
戦闘能力が高いウィーウェを最後尾に配置するのは当然の事だろう。背後から強襲されようとも、この丘陵地帯の平均レベルでは、ウィーウェに致命的ダメージを負わせる事が出来る存在は皆無に等しい。ウィーウェの体力的にも、
それに、ウィーウェの速度なら先頭が襲われても秒で先頭に駆けつけられる。護衛には向かない職業構成をしているが、低レベル帯ならば気にする必要も無い。魔獣もこの丘陵地帯では強いのだから。
配置を決めて、ウィーウェは彼女達と共に山岳地帯へ歩き出す。山岳地帯の方角から、少し冷えた空気が風下にいるウィーウェ達の方へ流れてきていた。
丘陵地帯では暖かな春の気温であったが、山岳地帯はまだ雪が残っているらしく、冷えた空気が傾斜を降りてくる。最初はそれなりに緑が見えた景色も、傾斜を登っていくにつれて段々と減ってきた。流れる小川は透明で、まだ水温が冷たいのか生物の姿も見えはしない。
ウィーウェが全力で走れば一日で辿り着く頂上も、藍蛆達の足では一日程度では三分の一も進めない。ましてや、蛆のような下半身では山羊人のように崖を駆け登るなど不可能な事で、必然遠回りの道を進む事になる。
だが、そうした通り道はよく草むらからモンスターの奇襲を受けるので、左右を警戒しなければならない。幸い、ウィーウェが連れている荷運び用の魔獣のレベルから、頭の良いモンスター達は奇襲を仕掛ける事に躊躇していた。その為、道中は藍蛆達からしてみれば比較的穏やかである。ウィーウェ自身は残念ながら、本人の自覚無く探知阻害の指輪を装備している為に、強者の気配が隠れてしまっていた。彼がそのままの気配で闊歩していたのなら、誰も襲っては来ないだろうに。――もっとも、代わりに藍蛆達とも穏やかな関係を結べたかは疑問だが。
「――少し、休憩しましょう」
疲労無効のウィーウェはともかくとして、たくさんの荷物を持って歩いている藍蛆達に、長時間の登山は不可能だ。ジーベーベはリーダーとして、二時間ほど歩いた後に少し開けた場所へ辿り着いた後仲間達の様子を見ながら告げる。藍蛆達はジーベーベの言葉に足を止め、その場で疲労を回復する為に水分を補給し始めた。
疲労・睡眠・食事無効のマジックアイテムがあれば平気な登山も、そうした高価なマジックアイテムを持っていない藍蛆達には辛い旅だ。彼女達は闇小人達に渡すワームの素材と共に、数日分の保存食と水分を持ち歩かなくてはならない。特に登山はかなりのスタミナを消耗するので、高カロリーの軽食を齧りながら進まねばならないのだ。チョコレートなどがあればいいのだろうが、そんな甘い菓子が存在するはずは無く。またウィーウェがそんな菓子を持っているはずも無い。
彼女達の足に合わせて進むのは、ウィーウェも中々気疲れするものだった。基本の歩幅と速度が全く違うのだ。肉体的な疲労は全く無いが、精神的な疲労は蓄積した。彼女達が休憩している間に、精神的な疲労回復も含めて暇潰しを行う事にする。
ウィーウェがごそごそと何かをしている事を目敏く見つけたジーベーベが、ウィーウェに声をかける。
「何をされているのですか、ホディエー殿」
「んー、積み木」
木の枝を幾つか集め、なるべく均等に切り分けた後に三十センチほどの高さに組み立てる。そして、一本ずつ引き抜いていく簡易版の積み木遊びだ。この小さな塔が崩れてしまわないようにする遊びで、ウィーウェは以前も一人でこうやって暇を潰していた。以前は集中していたところに刃鎧蟲達が何故か自分に声をかけてきた為に、驚いて崩してしまったが今回は大丈夫だろう。
不思議そうな様子のジーベーベに遊び方の説明をしながら積み木を組み立て終えると、彼女は感心しているようだった。
「なるほど……倒さないようにするのなら、脳の運動にちょうど良さそうですね。私も参加してよろしいですか?」
「いいよー。一人でやる遊びじゃないしね、基本は」
ジーベーベがウィーウェの向かいに回り、コイントスで先手と後手を決めて一本ずつ木の枝を引き抜いていく。幾つか木の枝を抜いていくが、実際には綺麗に切り分けられていない木の枝はすぐにバランスを崩していった。その為、倒さないようにするには中々考えないといけない。
そうして二人で遊んでいると、決められた休憩時間を過ぎた為に再び列を組んで出発する。土の中に住んでいる為か、藍蛆達はそれほど寒さに弱くないので、標高の高い場所へ移動しても行動に阻害は中々出ない。雪でも降らないかぎりは大丈夫だろう。
のろのろとした足取りで、何度も休憩を挟みながら目的地へ向かっていく。ウィーウェはその道中の間に魔獣に運ばせていた肉に齧り付き、行儀の悪い食べ歩きをする事となった。ジーベーベなどは一人で大型草食獣を一頭食べる姿に、「燃費が悪いんですね」と思わず呟いたほどだった。ウィーウェも、好きで食べ歩きなんてしているわけじゃないので、その言葉には曖昧に返した。
日が暮れ始めると、更に気温が冷え込む。何とか目星をつけていた休憩場所まで進んだ一行は、荷物を降ろしてそこで一夜を明かす事となった。寝ずの番はウィーウェと、
藍蛆達が見張りを残して寝静まる中、ウィーウェは同じ見張りの者達と会話を行った。そうして会話をしていく内に、気がついた事がある。
どうやら、彼女達は自分達の種族を亜人種だと思っているようだが、その根拠が亜人種に効果のある魔法が効くからというものなのだ。藍蛆は元から特定種族のみに発揮する魔法の効果を受けるという、種族的弱点があるのでそれのみで亜人種だと断定するのは根拠が薄いとウィーウェは思う。更に、彼女達の種族にはあるジンクスがあるようで、それを聞いたウィーウェは思わぬところで生命の神秘を知ってしまった。
そうして、夜が明ける頃。再び一行は傾斜を進む。闇小人達はこの山岳地帯の地下に居を構えているらしく、岩の裂け目や洞窟などから入らないといけないらしい。更に、亜人種達と交流する場所は決まっているようで、そこで他の亜人種達と鉢合わせになって殺し合いになる事も少なくないようだ。闇小人達は、そんな彼らの殺し合いには関わりにならず、生き残った者達と取り引きを行う事がよくあるらしい。
ただし、今回はウィーウェが護衛として行動を共にしているので、余程の相手でないかぎりは藍蛆達の勝利で終わるだろう。誰が相手であろうと、藍蛆達が怯える必要は無かった。
そして、運の良い事に。二日かけて取り引き場所へ辿り着いた一行は、確かに他の亜人種達と遭遇してしまったが、幸いと言うべきかウィーウェの顔を見て彼らは尻込みをしてしまった。何故なら、彼らはウィーウェが丘陵地帯で遭遇した獣身四足獣――ヴーヴァ達だったのである。
ヴーヴァはウィーウェに遭遇すると、最初に遭遇した時と違ってかなり腰が低くなっていた。そんな彼らにウィーウェは首を傾げるが、特に気にせず談話する。聞けば、彼らも闇小人達と取り引きを行っており、取り引きが終わって帰り支度をしようとしていたところだったようだ。
その為、互いに何事も無く別れる事となった。かなり運の良い出来事だったと言えよう。
闇小人達と交渉を行う藍蛆達を尻目に、ウィーウェは手の空いている闇小人へ声をかける。
「ねえ、ちょっと訊きたい事があるんだけどいいかな?」
「なんじゃ?」
気難しそうな風貌の、見るからに設定通りの闇小人といった様子の男。彼はウィーウェに声をかけられたので億劫そうに訊き返した。
「ちょっとさ、最近変な奴みてない?」
「変な奴? お前さんみたいな奴しか見とらんな」
闇小人はウィーウェの姿を頭の天辺から足の爪先まで見回して、そう答えた。
「そう、俺みたいな奴。毛色が違うっていうか、この辺じゃ見るはずが無いっていうか。……うーん、ユグドラシルとか日本が故郷とかそう言ってる奴」
ウィーウェの言葉に、闇小人は考える素振りをするがしかし首を横に振る。
「いや、知らんな。ユグドラシルもニホンも、そんな地名は聞いた事がないぞ。どんな所なんじゃ?」
「だから、俺みたいな奴がたくさんいる所というか……。とりあえずこう、この辺じゃ見るはずのない魔法の武具を持ってる奴。そういう奴を見かけた事無いか知りたいんだけど」
闇小人は再びウィーウェの上から下までを熱心に見回し、しかし首を横に振る。
「お前さんのように、桁外れの魔法の武具で全身を武装しておる奴なんざ、この辺じゃ見た事ないぞ。っていうか、本当にお前さん何処から来たんじゃ?」
「だから、ユグドラシル。でもそっかー……見た事ないか。いや、待てよ」
ウィーウェはインベントリに手を突っ込み、幾つかのマジックアイテムを取り出す。ウィーウェが今全身に装備しているマジックアイテムは、全て
ウィーウェが空間に手を突っ込んだ時はぎょっとした闇小人だが、そこからウィーウェが取り出したマジックアイテム群を見て更に、目玉が飛び出て落ちてしまいそうなほど驚愕していた。
「この中でさ、見た事があるランクのマジックアイテムってどれ?」
とは言っても、ウィーウェもあまり下位のランクのマジックアイテムは持っていない。何せ、寸前までソロでダンジョン攻略を行っていたのだ。どれも一〇〇レベルプレイヤーが持ち歩くに相応しいマジックアイテムしか持っておらず、当然だが
闇小人はウィーウェが広げた幾つかのマジックアイテムを、食い入るように見つめている。それらを全て見回し……首を横に振った。
「悪いが、わしには見た事も無いマジックアイテムばかりじゃ」
「えー……」
ウィーウェが更に、ユグドラシルの金貨を取り出す。ユグドラシルで使われる貨幣は金貨のみで、価値は同じだが二種類の金貨が存在した。ウィーウェは特にこだわりも無いので、その二種類の金貨をごちゃ混ぜに持っている。
「この金貨、どっちかに見覚えは? 持ってる奴も知らない?」
片方は男性の横顔が、もう片方は女性の横顔が彫られている。闇小人はその二枚の金貨をじっと見つめるが、しかし首を横に振った。
「いや、知らんの。そもそも、金貨なんか使うのは人間の国くらいじゃろ。わしらは金貨で取り引きなんか行わん」
「あ、そう……」
金貨で取り引きしない、という事は完全に物々交換なのだろう。闇小人の事だから、しっかりとした文明ぐらいは築いているのだろうが、それでも亜人種を相手に取り引きをしている以上、使用する事は無いのかも知れない。確かにそれなら、金は硬貨にせずに、武具などに加工してしまうだろう。
(うーん。参った。……人間の国に行かないと駄目か)
とは言っても、近くの人間の国は人間以外に優しくない。亜人種に襲われているので、当たり前だが。そうなるとかなり遠い場所を旅しないといけない気がするが、出来れば地図が欲しいところだ。
ウィーウェがマジックアイテムをしまいながら考え込んでいると、闇小人が再び声を掛ける。その言葉に、ウィーウェも顔を上げて思考を中断した。
「ん? なに?」
「わしは、お前さんの故郷らしきユグドラシルもニホンも知らん。だが、お前さんが見せてくれたマジックアイテムを見て、ちょいと予想出来る事はあるぞ」
「本当!?」
思わぬ収穫に、ウィーウェは瞳を見開く。闇小人は興奮するウィーウェに、「ただし」と前書きを付け加えた。「お前さんと関係ありそうで、関係無さそうな話じゃが」と。
闇小人が噂話を語る。――トネリコの枝を振り回して、幾多の
この中で、ウィーウェが気になったのは水晶の城の姫君だ。確か、ユグドラシルに水晶で出来た城があったはず。ウィーウェは他人のギルドを攻略した経験は無いので、確実とは言えないが。
「――以上、大昔の伝説じゃ」
「……え?」
伝説。伝え聞く、大昔の話。
今では、決して無い。
「伝説」
「そう、伝説じゃ。どいつもこいつも、大昔の話でな。結末は封印されたとか、今も眠っているとか、退治されたとかそういうのばかりじゃ。お前さんは何だか、伝説級の装備で身を固めておるようだが、お前さんが探すような装備品の持ち主は、伝説の中にしかおらんの」
「……伝説」
ウィーウェは、呆然と呟く。現在の話ではなく、遥か昔。だが、ウィーウェはこのわけの分からない状態になってから、まだ一月も経過していないのだ。あまりに、年代が合わない。
呆然としたウィーウェの様子を、闇小人は気まずげに見る。
「まあ、そんなわけじゃ。お前さんが何者なのかは知らんが、仮にお前さんがその伝説のどれかに覚えがあるなら、お前さん。ちょっとばかし、起きてくるのが遅すぎたの。お寝坊さんじゃ」
あらゆる伝説は、既に有るか無いかに分かれてしまっている。一応、跡地くらいはあるそうだが――跡地では意味が無い。
「……うん、ありがとう。色々教えてくれて」
「もうちっと詳しい話も、文献で良ければあると思うぞ? ただ、その場合は上層部の者達と交渉してもらいたいが」
「いや……その必要は無いよ。うん、ありがとう」
ウィーウェはふらふらと、闇小人から身を離す。大昔。伝説。それでは意味が無い。実在。本物。今を生きていなければ、意味なんて全く無いのだ。
呆然とした様子のウィーウェを見て、ジーベーベが不思議そうに気にかけてくれたが、ウィーウェは彼女に生返事しか返せなかった。
そして、数日の後にウィーウェは再び藍蛆達の護衛として闇小人達の集落を離れたのだった。
――闇小人達から衝撃的な事を聞いて。あれから、数日。ウィーウェは藍蛆達の住む陥没穴を出て、その周辺で色々と考え込んでいた。
「…………」
〈ユグドラシル〉のシステムと、正体不明のシステム。プレイヤーの自分と、まるで生きているとしか思えない亜人種や人間種達。知らない土地に、世界樹の不明。
わけが分からない。
意味が分からない。
プレイヤーは自分だけなのか。ネットではない、現実はどうなっているのか。自分の身体は。企業は何をしているのか。何もかもが不明だった。
(……マジにどうなってんの、これ? 俺ってこれからどうなんの?)
生きていれば何とかなるのが信条だが、そもそも自分が生きているのも不明だった。オカルトらしく、実は元の身体は死亡してしまって、意識だけが電脳世界を彷徨っているのだろうか。それとも全てが夢の中の出来事なのだろうか。
あんなに、痛みは強いのに。ウィーウェは最初にこの世界にやって来た時の、体力が減っていた時の激痛をまだ覚えている。忘れられない。現実とは無縁の痛みだったからだ。あんな激痛は、人間の貧弱な身体では死の間際にしか与えられないだろう。
その痛みは、本当に夢だったのか。分からない。今の自分が、さっぱり分からない。頭がこんがらがってくる。やはり、もっと外の世界に目を向けなくてはいけないだろうか。
「んー」
ガシガシと、頭を掻く。悩んでも始まらないのだ。何度も同じ結論に達しているが、やはりとりあえず、今を生きようとするのが先決だろう。このアバターの名前の通りに。
ウィーウェがそう決意すると同時に、背後からこっそりと近寄って来ていた人物が声をかけてきた。この声は、ジーベーベだ。
「ホディエー殿」
「ん? 久しぶり。どうかした?」
座り込んだ体勢のまま、振り向いて返事をする。ジーベーベは「いえ、この付近で生活しているようだったのでまだ何かあるのかと声をかけさせてもらいました」と告げた。どうやら、いつまでも遠くに行かずにこの陥没穴の周囲をうろちょろとしているので、気になったらしい。
迷惑なら離れると告げると、特に困ってはいないようだ。むしろ、この付近で生活しておいてもらえば地上の強力なモンスターが陥没穴に近づかないので、逆に助かるそうだ。あの荷運び用の魔獣は、ウィーウェが適当にこの付近で野放しにしている。さすがに食べるのはちょっと心苦しい。
「ちょっと色々、考え事をね。まあ、考えたところで何も始まらないんだけど」
人間の国に行けば、もう少し何か分かるかもしれないと思うが。異形種の自分が人間の都市に入れるのかは疑問だ。少なくとも、変身するか何かしないと異形種はペナルティで人間の支配する国には入れない。〈ユグドラシル〉ではそうだった。あの城壁の奥が人間の国なようだし、一度確かめる為に入り込んでみようか。どうやっても入れないなら、それは設定で入れないようになっているのだろう。ゲームならばそうだ。現実ならおかしな話だが。
「何か悩んでおられるのですね。私でよければ、相談に乗りますが」
「いや、いいよ。こればかりは、どうもなー」
プレイヤーになら相談出来るが、そうでないなら相談する意味が無い。ジーベーベには悪いが、彼女はウィーウェの役には立たないのだ。ウィーウェの言葉に、ジーベーベは「そうですか」と少し悲しそうな声を上げた。その寂しそうな声に罪悪感はあるが、やはりどうしようもないので見なかった事にするしかない。
二人がそうしていると、ウィーウェは聞こえてきた足音に立ち上がる。急に立ち上がったウィーウェに、ジーベーベは驚いていた。
「どうされたのですか?」
「足音だ。二足歩行だな、これは」
流石に、二足歩行の生き物の足音と四足歩行の足音、それ以外の足音の区別が付き始めていた。長くアベリオン丘陵に留まっていたからだろう。これは二足歩行の生き物の足音で、そして微かに金属音が聞こえる。ウィーウェと同じ、金属鎧の、金属の擦り合う音だ。
ウィーウェが音の方角へ目を向けると、何かがこちらへ近づいて来ていた。その二足歩行の生き物を目を凝らして見つめて――ウィーウェは驚く。ジーベーベも、ウィーウェの視線を追って見つめた先にいた存在に、酷く驚いていた。当然だ。
そこにいたのは、人間だった。しかも、不穏な気配を漂わせている。
ウィーウェはその正体不明の人間を見つめる。顔はフードがすっぽりと、まるでウィーウェのように覆い被さっていて分からない。肩幅などの体格から考えると男のような気がするが、筋肉隆々の男のような体格の女性も世の中には存在するので、実際は分からない。
ただ、あのみすぼらしいローブには見覚えがある。〈ユグドラシル〉の市販で売りに出されている、速攻速着替えのデータクリスタルが使われているローブだ。ローブを体から引き剥がすと、セットされた装備品と瞬時に交換出来る能力がある。
つまり、今見えている装備品は当てにならない。ウィーウェは目を細めた。じり……と目の前の人間を警戒しながら、ウィーウェは足を後退させる。人間はウィーウェを見て立ち止まっていた。相手との間合いを測る。一〇〇レベルなら余裕で瞬く間に詰められる距離だ。ウィーウェは相手との間合いをそう測ると、先手を取る事は諦めた。ジーベーベの位置を確認。続いて、背後の陥没穴との距離。覚悟は決まった。
ウィーウェは先手を取る事は諦め――ジーベーベとの距離を詰める。そして彼女の身体を足の甲になるべく優しく乗せ、そのままフットボールのボールを高く蹴り上げるように、ジーベーベを蹴り上げた。
「え」
ジーベーベは、おそらく気づいた時には既に空中だろう。彼女は悲鳴を上げながら、真っ逆さまにウィーウェが狙っていた陥没穴へと落ちていく。あの陥没穴は、それほど深い陥没穴では無い。高さも調節したので、落ちたところで平気だろう。ウィーウェは視線を正体不明の人間へ戻す。
その正体不明の人間……男は、既にローブを剥ぎ取っていた。ローブの下から現れた装備品を、ざっと大雑把に見回す。ローブとサーコート。サーコートの下に鎧は見られない。人間種の前衛で軽装鎧さえ装備しないような無謀者はいない。よって相手は後衛型。ただし後衛型でも魔法使いの場合自分との間合いは狭すぎるので、魔法系でもない。よって更に職業は絞れる。
だが、これ以上は初手を受けてみないと分からないだろう。致命的な魔法は飛んでこないだろうが、特殊技術には注意が必要だ。
ただし、相手はウィーウェの職業が丸分かりだろう。どう見ても前衛型。更に、槍を持っているので槍特化の戦士系。間合いを詰めさせてもらえないに違いない。
彼女の悲鳴が響く中、ウィーウェは人間種の男に向かって地を蹴る。間合いを詰める為に。だが、それより早く相手の先手がウィーウェへと延びる。初手はウィーウェにとって一番嫌いなもの。即ち。
「――テイマーか!」
地面から、ワームが何匹か出現しウィーウェの足首に噛みつく。だがその初手はウィーウェにとって対処出来ないものではない。足首に噛みつかれる前に、土から出てきた頭部を踏み砕く。頭部を踏み砕かれたワーム達は痙攣しながら死亡し、ウィーウェが相手から外した視線は一瞬だった。
……相手は、おそらくモンスターテイマー。ウィーウェにとって、もっとも苦手な職業構成の相手である。職業構成上、数の暴力は最も避けなくてはいけない相手だ。というより、基本前衛型のプレイヤーにとって数の暴力が得意な者はほとんどいないのだが。殲滅力では、どうしたって魔法系ビルドのプレイヤーに劣る。
(……でも)
相手の初手を判断するかぎり、それほどの脅威ではない。一〇〇レベルプレイヤーにこんなワーム群が相手になるはずがないのだ。
だが、フェイクの可能性もある。油断した瞬間に超強力モンスターを不意打ちでぶつける、という戦法もあるし、何より亜人種だらけのこのアベリオン丘陵でモンスターテイマーを相手にするのは、厳しい。何せ、トレイン――周囲のモンスターをわざと複数引っ掻けて、対戦相手に押し付ける方法の事だが――し放題だ。知り合いを引っかけられると困る。流石に。そういう可能性を考えたからこそ、初手でジーベーベを射程範囲から外したのだが。
「……面倒だなー」
呟いて。ウィーウェは話し合いの余地の無さそうな男に向けて、距離を詰めた。
――正直に言うと、その日は踏んだり蹴ったりだった。
「……逃がした、だと?」
「も、申し訳ありません!」
スレイン法国の誇る特殊部隊……漆黒聖典の第四席次を預かるモンスターテイマー、“地中旅団”オーガスタス・オールドマンは隊長である第一席次に頭を下げた。
オーガスタスは第一席次と同じく、神の血を引き、覚醒している神人なのだが力関係ははっきりしている。単純な戦闘力では、オーガスタスは第一席次には勝てない。勿論、あの番外席次にも。神官長にさえ。
だがオーガスタスの戦闘力は群体としての強さであり、当然他の神人のように個人の強さを比べるものではないのだが、“真なる竜王”達を従えられない以上、神人として覚醒した中でも最弱の神人と言っていいだろう。
そして、オーガスタスは事態を説明し、第一席次に頭を下げていた。オーガスタスから内容を聞いた第一席次は、溜息を吐いて呆れた声をかける。
「先程の
「はい。混乱の魔法をかけられたようで、私の手綱を離れました。これからすぐ追跡しようと思っています」
アベリオン丘陵で間引きなどを行っていた際の帰り道に、エイヴァーシャー大森林に立ち寄ったのが間違いだったのだろう。そこで森妖精達の奇襲に遭ったのだが、それ自体は問題無い。怪我一つ無く皆殺しにした。
問題なのは、オーガスタスの従えている魔物の一体が混乱状態になり、彼の手を離れた事だ。テイムしたモンスターは、混乱状態や狂気状態になった場合、従属が解除される事がある。
「分かった。お前ならば、一人でも大丈夫だろう。我々はこれから本国に帰還するが、お前はこの大森林を避けて帰れ。他の森妖精達ならば問題は無かろうが、あのクソが万が一出陣していた場合、お前では手に余るだろうからな」
「はい。申し訳ありません。……では隊長、行って参ります」
部隊の者達にも一言断り、オーガスタスは踵を返した。狼達を何匹か呼び出して、自分の周囲に配置しながら共に森を駆ける。〈
狼達の嗅覚に従いながら、森を駆け抜ける。辿り着いたのはアベリオン丘陵だ。どうやら、従属を解除されたあの深紅色のワームは、アベリオン丘陵まで駆け抜けたらしい。
「……まずいな」
オーガスタスはそう呟くと、再び狼達を走らせる。アベリオン丘陵にはあのワームの餌が大量にある。別にアベリオン丘陵で虐殺が起きようと構わないが、取りこぼしがあるのは非常にまずい。強者と戦いながらも何らかの理由で生き残った者は、飛躍的に強くなる傾向があるからだ。あのワームが取りこぼしをすると、厄介な事になるかも知れない。早急に発見しなければ。
オーガスタスは狼達に追跡させながら、アベリオン丘陵を駆けた。時折現れる亜人種達は、残らず殺す。人類の守り手とも言える自分達は、彼らを殺さなくてはならない理由があるのだ。
……何故なら、この世界で人類は弱者だ。亜人種達は人を喰う為に、法国としては狩らざるをえない。それは決定事項だ。こうして自分達が守護していなければ、他の人類は容易く亜人種達に殺されるだろう。尊厳を奪われるだろう。強さだけが全てだと思っている、あの野蛮人共に。
故に、殺す。でなくては、自分達は生き残れない。だから殺す。本当はアベリオン丘陵の亜人種達を皆殺しにしたいのだが、疲労的な意味でもそれは難しい。まず体力が続かない。そして、このアベリオン丘陵の亜人種達は油断していい相手ではない。何故なら、彼らは互いに殺し合って強くなるのだ。他者を殺せば殺すほど成長し強くなるこの世界では、互いに殺し合って強くなる彼らは恐ろしい相手だ。人類のように、手を取り合うという発想が無い。
もっとも、そういう発想が無いからこそまだ人類は生き延びる事が出来ているのだが。彼らが野蛮である事に、救われているのも事実だ。ずっとそうして、尾を噛む蛇のように一生ぐるぐると独楽のように回っていて欲しい。
オーガスタスは数日をかけてアベリオン丘陵を駆けずり回り、自分が逃がしてしまったワームを探した。しかし――
(……まさか、討伐しているとは)
陥没穴の付近でワームの足取りを掴んだオーガスタスは、しかし既に彼が追いついた時現地の者達に討伐された後であった。討伐したであろう藍蛆達は装甲を剥ぎ取り、闇小人達の集落を目指して既に旅立っていたのだ。
オーガスタスは考える。藍蛆達は王族を、オスを失っていたはずだ。強力な個体が生まれてきたとは考えにくい。確かに稀にメスがオスに性転換する事はあるが、可能性は低い。少なくとも、オスがいなくなって急に性転換する可能性はゼロに等しい。それほどすぐに性転換出来るような生態ならば、自分達だってもう少し間引きをする。
なら現存する戦力でどうにかしたと考えるべきだが、有り得ない。戦った感触から、藍蛆達にそこまでの実力が無いのは確実だ。それほどの実力を持っているのなら、その藍蛆には二つ名が無ければならないだろう。
結論として、おそらくは外部。藍蛆では無い何者かが、これを始末したものと考える。
(……少し、探ってみるか)
オーガスタスは即座に帰還せず、まずは情報収集をする事にした。あのワームを討伐出来るほどの強者がいる、というだけでも十分な情報になるが、しかしやはり情報収集は出来るだけしておきたい。幸い、アベリオン丘陵の亜人種達を最近幾らか間引きしておいたので、どの種族も現在大人しい。モンスターテイマーでもあるオーガスタスならば、個人行動が可能な環境だ。この隙に、出来るだけ情報を集めよう。
オーガスタスはモンスター達を呼び出し、彼らに同族達へ情報収集するように命令する。そして、自分は一応聖王国へ向かう。あちらにも何か異変は無いか探らなくてはならない。なるべく城壁の近くへ寄った後に、みすぼらしいローブへ装備を変更して這う這うの体を装いながら城壁へと近づいた。これで、亜人種達に襲われ一人生き残った間抜けなワーカーにしか見えないだろう。
オーガスタスが城壁へ近寄って行くと、すぐに「止まれ!」と城壁から兵士に叫ばれた。そこでオーガスタスは奇妙な様子を感じ取る。彼らは、どうしてか酷い緊張状態だ。まるで、何か恐ろしいものに襲われた後の小動物のように。
(……もしや、最初はワームはこちらに現れたのか?)
追跡したかぎりではそのような様子は見られなかったが、しかしこの緊張状態。ピリピリとした様子はどう考えてもおかしい。いつもの聖王国の兵士達の様子では無い。彼らはあれで、慣れている。常にあるのは程よい緊張と程よい弛緩だ。新兵のような、異様な緊張状態なんて有り得ない。
だが、今の彼らの様子はまさしくそうであった。
オーガスタスが人間である事を証明し、位相もまた善なるものである事を証明し終えた後彼らはようやく、オーガスタスを城壁の内側へと案内した。オーガスタスは自分を城壁内に案内する目の前の、おそらくは歴戦の弓兵に声をかける。……おそらくは、オーガスタスの正体に気がついている男に。
「バラハ兵士長殿、と言いましたか。一体何事ですか?」
「ああ……」
目の前を歩く男……“黒”のヨーン・バラハは周囲を少し見回すと、誰もいない事を確認してオーガスタスに口を開いた。
「貴方々には隠し事をしても無駄でしょうから、告げておきます。つい先日、とんでもない亜人が城壁までやって来ていたんで、それで全員緊張しているんですよ。何分、我々には未だ対抗手段が思いつきませんから」
「亜人……?」
どうやら、自分と関係のありそうな内容だと判断する。聖王国が対抗手段を思いつかないほどの強者だと言うのなら、あのワームを討伐した件の犯人かもしれない。可能性は高いだろう。
「どのような亜人でしたか?」
「それは……」
ヨーンは言い辛そうにしながらも、しかしオーガスタスの正体に気がついている以上隠しても無駄だと思ったのだろう。ヨーンは更に声を潜めながらも、この城壁で起こった事件の詳細を語った。オーガスタスにとっても、聞き逃せないそれを。
――曰く。それはあらゆる飛び道具を、第三位階魔法さえも無効化し。あの九色の“赤”の背後からの攻撃を一瞥もせずに防いだという。
「――――」
話を聞いたオーガスタスは、絶句する。確かに、それは強力な亜人だ。とてもではないが、聖王国の人間では対応するのは難しいだろう。九色を全員呼んで完璧な連携を取るくらいはしなくては。
「そういうわけなので、我々としても困っているわけです。まあ、あの亜人は何もせずに帰ってくれたので死傷者自体はゼロなのですが」
不幸中の幸いです、とそう最後に締め括ってヨーンは再び歩みを進めた。その背中に、オーガスタスは声をかける。
「……貴重な情報をありがとうございます。その亜人は、こちらで対処しておきましょう」
「……助かります」
オーガスタスは再び踵を返す。再び、亜人の領域であるアベリオン丘陵へ帰る為だ。ヨーンはそんなオーガスタスを止めない。他国の者同士、此処では互いに出遭わなかった事にした方が無難だと気づいている。
オーガスタスは単なる名も知れぬワーカーであり、ヨーンは城壁内にそれを入れて国内へ案内して放置した。それでいいのだ。
闇に紛れて再びアベリオン丘陵へ出たオーガスタスは、見ぬ振りをしてくれた狙撃兵達に一礼するとすぐさまアベリオン丘陵へと駆けた。再び、自らを守るための護衛を呼び出す。しばらく進んで城壁からは決して見えぬ位置まで移動すると、合図を送る。情報収集へ当たらせていたモンスター達はオーガスタスの合図に気がつくとすぐにオーガスタスの元へ駆けてきた。
「よしよし」
オーガスタスは彼らの頭を撫でると、すぐに〈
凄まじい魔法の武具で武装した、奇妙な蟲系亜人がいるという話だ。その亜人は、現在北部の陥没穴付近で生活しているらしい。
「…………ふむ」
常に黒いローブで全身を覆って顔は顎の辺りくらいしか見えないので、どんな種族なのか正確には不明。ただ、手足をガントレットとグリーヴで覆い、常に槍を持ち歩いているとの事で戦闘スタイルはすぐさま判明する。前衛戦士。ただ、槍がどういったものか正確には分からないので、素早さ重視なのか重装歩兵なのかその辺りは実際に遭遇するまで分からないだろう。
(第三位階魔法や飛び道具を無効化するなら、接近戦で仕留めるしかないな)
あのワームを討伐したのは、間違いなくこの亜人であろう。見逃す事は出来ない。オーガスタスは伝令役の梟の姿をしたモンスターを呼び出すと、その足に一筆したためた羊皮紙を括りつける。勿論、なるべくエイヴァーシャー大森林を迂回するよう命令するのも忘れない。伝言が伝わるのが遅くなってしまうが、しかしエイヴァーシャー大森林は多少伝令が遅くなっても迂回するべき場所だ。
羊皮紙には正体不明の亜人の事と、それを討伐してくる事を書いてある。あのワームを討伐出来る時点で、漆黒聖典の中でも一対一で倒せるのは神人くらいだろう。時折、アベリオン丘陵などの混沌の坩堝には、こうした通常の
オーガスタスはそう覚悟を決め、丘陵地帯を駆け抜ける。件の亜人を始末する為に。
彼は。――危険な亜人を一人で討伐出来ると思う程度には大胆で、勇気があって、無謀で。そして人類の為に一刻も早く始末しなくてはと思う程には、狂信的だった。
ウィーウェは男との距離を詰めようとするが、男はウィーウェに距離を詰めさせる気が無いのだろう。幾体ものモンスターを呼び出し、距離を詰めるのを邪魔する。
(うーん……)
ウィーウェはテイムモンスターを始末しながら、男を観察する。
レベル的には、間違いなくウィーウェ以下だ。反応速度的に見ても、ウィーウェの相手にもならない。というより、一〇〇レベルプレイヤーである自分からしてみれば、レベルが低い。テイムモンスターも弱い。
(でもなー)
そう、弱いがウィーウェは二の足を踏む。何せ、痛いのは嫌だ。ウィーウェからしてみれば脆弱だが、しかし今まで見た丘陵地帯の亜人達より遥かに強いだろう。ウィーウェの行動に対する反応速度が違い過ぎる。
それが、ウィーウェには面倒だ。もう少し格下ならば簡単に始末出来るが、相手を生かしたまま――自分が無傷で制圧しようと思うと面倒な強さの相手だ。
(最初っから敵意ありありで来てるんだもんなー、この人。俺何かしたっけ?)
人間の国に近づいたのは確かだが、誰も殺していないはずだ。人間の精神性がかつての自分達と同じものであると仮定すれば、人を殺した過去があると面倒な事になるだろう。亜人種達のように、弱肉強食なんて自然の摂理は複雑怪奇な精神構造を持っている人間には通用しない。よって、ウィーウェは人間に対してはかなり注意を払って接していた。
だからこそ、いきなり敵意全開の目の前の男が理解出来ないのだが。
(相手を生かしたまま、口が利けるように制圧。それも自分が無傷のままで。両方やるのは辛いなーホント)
面倒臭さに汗をかきたくなるし、愚痴を言いたくなるが文句は言ってられない。この目の前の男を生かして捕まえるのは重要なのだ。ウィーウェは地中から飛び出してきた鎧でも装着しているかのような装甲持ちの、一メートルはあろうかというモグラの頭を瞬時に踏み潰して砕き、背後から飛びかかって来た狼を見もせずに気配だけ察して槍で一刺し。そのまま槍を梃子のように振り回して左右から迫って来た残りの狼達を、絶命した狼の身体で槌のように打った。ウィーウェの剛力で身体を打たれた狼達は、ぎゃん、という悲鳴を上げながら骨が砕かれ絶命する。穂先に刺さったままの狼の身体を、ウィーウェは槍を強く振るう事で真っ二つにして穂先から外した。見回せば、ウィーウェが殺したテイムモンスターの死体がそこかしこに転がっている。
(モンスターをテイムする数にも限界がある。幾らレベルが低いモンスターばかりとはいえ、軍隊レベルで従僕は出来ないはず……。そろそろ打ち止めかな、これは)
そして、ウィーウェは闇雲にモンスター達を狩っていたわけでは無い。モンスターテイマーはテイムしたモンスターによって強さが変わるが、どれだけ強力なモンスターだろうとテイム出来る数には限りがある。低レベルのモンスターばかりなら数多くテイム出来るだろうが、そちらでもやはり数に限りはあるのだ。少なくとも〈ユグドラシル〉のシステムではそうだ。昔どこかのプレイヤーが、あまりに悪魔を召喚し過ぎてサーバーダウンを起こしかけた事があるので間違いない。
テイムモンスターさえ片付ければ、後はどうという事は無い。一〇〇レベルプレイヤーならばともかくとして、八〇レベル以下のモンスターテイマーでは、ウィーウェに傷をつけるのはほぼ不可能だ。簡単に捕縛出来る。その為に、わざわざ距離を一定以上離さないようにこの間合いで相手を見ながら戦っているのだ。
このままならば、順当に相手を無力化出来る。ウィーウェはその予定だった。男はウィーウェとの力の差を理解したのか、懐に手を入れ、そこからあるマジックアイテムを取り出す。ウィーウェの人外の視力はそのマジックアイテムを鮮明に捉えた。
美しい立方体。華美に尽くされた装飾。刻まれた幾つものローマ数字。見覚えがある。奇妙な賽子。
「――――ッ!」
そう、このままならば順当に相手を無力化出来たのだ。ウィーウェはその予定だった。
男が、ウィーウェもよく知る
そのアイテムの名を、『〈宿命〉と〈偶然〉の賽子』。低レベルプレイヤーが高レベル対象に攻撃を通す為に使う、あるコンボ――連続技に使用するマジックアイテムだった。
『〈宿命〉と〈偶然〉の賽子』。
まだこの世が始まらない、何もかもが半分の世界で二柱の神が賭けをした。
「どちらが世界を支配するか決めよう」
賭けをしたのは〈宿命〉の神と〈偶然〉の神。それはこの世が全て決められた運命の内にあるのか、あるいは何の関係も無い運命の内にあるのかを決める一大勝負。二柱の神は互いに賽を振って勝負を行う。
どちらが勝ったのかは、誰も知らない。そんなとある創作神話の一つ。
それが、このマジックアイテムの元ネタであった。効果はただ一つ。それが
かつて、ウィーウェが持っていた、けれどこの不可思議に見舞われる前に〈ユグドラシル〉で露店に売りに出したマジックアイテムだ。アレの凶悪さは、よく知っている。攻略情報にさえ掲載されている有名なコンボだ。何せ、本来十レベルも差があれば勝る確率が限りなくゼロに近づくPVP勝負において、それを覆す事が可能な数少ないマジックアイテムの一つなのだから。
勿論、レベル差を覆せるマジックアイテムは幾つもある。例えば使用者のデータを完全抹消する代わりに、対象相手のデータも完全抹消させる
――そう。PVPなど勝負において一〇〇パーセントの確率など存在しない。高所で足を踏み外して底なし沼に転落して死亡するなど、いわゆる事故死と呼ばれる方法もあるのだ。
だからこそ、この『〈宿命〉と〈偶然〉の賽子』は恐ろしい。本来は一パーセント有るか無いかの確率を、
故に――ウィーウェは瞬時に、あらゆる欲目を振り切って決断した。死ぬのは嫌だ。生きてさえいれば何とかなるのが信条だから、死の危険性は限りなく排除したいのが彼の本音。
ウィーウェは有り得ないほどの思考速度でもって、今までの葛藤は何だったのかと言うほどに呆気なく、決断を行う。
「――――」
特殊技術の一つ、〈空間圧縮〉を使用。空間を圧縮して対象との間合いをショートレンジへ変更するこの特殊技術は、当然ながら幾つかの前提条件が存在するが全て無視。前提条件を無視した代償として、ヒットポイント――体力の減少による痛みが全身に響き渡るがそれらも根性で捻じ伏せる。
瞬時に詰めた間合いに、相手が驚愕するが全て無視。通常ならこのまま相手を斬り伏せるが、『〈宿命〉と〈偶然〉の賽子』を持つ危険因子に対しては、真っ当な手段は取れない。男をそのまま引っ掴み――ウィーウェはあのアーティーファクトを発動させない対処法の一つ、
即ち――男を引っ掴んだウィーウェは、陥没穴の一つに向かって跳躍したのだ。
「――――!!」
何を狙っているのか瞬時に悟った男が絶叫し、ウィーウェの拘束を外そうとする。だが、外れない。当然だ。ウィーウェはしっかりと掴んで、既に中空へと身を踊り出している。風が身を切った。フードが外れて、顔が顕わになる。人間では無い、黒と赤褐色の硬質な肌と、ぎょろりと動く複眼。おぞましい蟲の顔。
その顔は、リアルの人間ならばきっと「オオエンマハンミョウに似ている」と思ったに違いなく。
ウィーウェは狙っていた陥没穴に寸分違いなく墜落すると確信する。そう、これがあのマジックアイテムを無効化する方法の一つ。墜落という名の確実性。高所からの落下ダメージ。
一〇〇レベルの前衛戦士であるウィーウェならば耐えられる、超高所からの墜落は、人間種でありモンスターテイマーである男には耐えられない。
ウィーウェは死にたくないから、死ぬほど痛い方法で我慢したのだ。
……それは、異様な行動力だっただろう。
誰が、覚悟したからと言って、死ぬよりはマシだからと言って、死ぬほど痛いと思う方法で妥協する事が出来るだろうか。
死なないなら、自分の手首も平然と切れるのか。有り得ない。人間の精神は、誰だって自分の痛みに敏感だ。死なないから、後で繋げられるからと言って電車に轢かれる前に手に持っていた鉈で、レールの間に挟まった自分の片足を自分で切断出来るか。いいや、否。
出来ない。出来るわけが無い。精神を病んだ人間であろうと、自分の手首を切る事はあっても手首を切り落とすような人間はいない。
けれど、彼はそれが出来る。死なないなら、後で回復するのならいいだろうと決断した瞬間呆気なく、今までの葛藤を放棄した。
ぐしゃり、と潰れる音がした。地面に叩きつけられる。ウィーウェは、全身の激痛に泣き叫びながら這って男から身体を離す。離れた場所に胡坐をかくと、インベントリからアイテムを取り出した。ポーションだ。放っておけばファゴサイトーシスのクラスで回復するが、かと言って敵対者がいる中でアイテムの使用をケチるほど貧乏性では無い。
「ぐ、あ……」
ウィーウェはポーションの瓶を自らの頭上で砕く。硝子の破片が粉々となって頭に降りかかるが、それを気にしている暇は無い。ウィーウェの頭上に真っ赤な液体が降り注ぎ、体力を完全回復させる。
それを横目で見ていた死にかけの男が、ポツリと呟いた。神の血、と。
「……うん?」
その擦れるような囁き声を聞き届けたウィーウェは、男へ振り向く。男は濁った瞳をウィーウェに向けて、そして肺と食道に血の詰まった濁った声で呟いていた。
「あな……た、神のちを……では、ぷ、れ……や……では」
プレイヤー。男は、確かにそう呟いた。ウィーウェは両目を見開き、男へ近づく。近距離に近づけば最後っ屁を警戒しなくてはならないが、それ以上に気になる事があったのだ。
「俺の事を知っているの? プレイヤーを?」
「赤……ぽ……しょ……を持つ、なら。ぷれ、やー……のる、なら」
男の囁くような声を、ウィーウェは懸命に聞き届ける。男はウィーウェに、目の前の、
かつて、六大神というプレイヤーを名乗る者が現れた事。同じく、プレイヤーを名乗る八欲王なる者が現れた事を。
男はウィーウェにそれを懸命に伝えると、最後に呟く。
「おねが……人類、すく……」
それで、パタリと息絶えた。ウィーウェは男に
「…………」
ウィーウェは、男の言葉を頭の中で反芻する。かつて、この世界にはプレイヤーがいた事を。それはつまり――ウィーウェが酷く否定したかった真実で。
「――――は、はは」
だから、ウィーウェは思わず笑った。口から笑みがこぼれ出る。信じたくなかった事実を目の当たりにして。
かつてこの世界にはプレイヤーがいた。最初に六大神。次に八欲王。時間軸のズレ。少ない伝説。
つまり――プレイヤーがこの異世界に来た事は間違いないが、どの時代に現れるのかは未知。伝説の少なさが、此処へ来れたプレイヤーの数が決して多くない事を肯定している。
自分はそんな、数少ない例外の一人なのだとウィーウェは今確信した。
「――つまり、帰る方法は無い?」
呆然と呟く。何故なら、伝説に異世界の勇者だとかそういう単語は無いからだ。この世に顕現したらそれっきり。眠りに就いただとか、退治されただとかそういう伝説は闇小人から聞いたけれど、元の場所へと去ったという記述だけは無いのだ。ジーベーベにも訊ねたが彼女も知らなかった。
ああ、つまりそれは。帰る方法は無くて。この異世界に骨を埋めなくてはならないという事ではないのか。
「――――」
なんて事だ。いつかは元の世界に帰れるだろうと信じていたのに、そんな事は有り得ないと今証明されてしまった。この異形種となった身体と、これからずっと付き合っていくしか無いのだと。
この、際限なく続く食欲の化身と。
「――――う」
ウィーウェは、口元を抑える。血の臭いが充満している。血の滴る生肉が目の前に転がっている事に、ウィーウェは気がついてしまった。
それはつい先程まで、言葉を喋り動いていたもの。知性ある、かつて人間だったウィーウェと同じもの。それを前にしてウィーウェは。
「――――」
無理だ。決めたはずだ。知的生命体を口に含んだら、自分は終わりだと。それくらいなら死んでしまおうと思ったはずだ。ウィーウェはそう決めたはずで、だがしかし。
元の世界には、もう帰れない。
「――――うん」
だから、ウィーウェはその葛藤を。
「……神様、どうかお願いです。より多くの殺生と食事を、俺にお許し下さい」
本当に、呆気なく手放した。死ぬまでこれと折り合いをつけていくしか無いのだと悟った瞬間。ウィーウェは人間としての葛藤を放棄したのだ。人間性を手放した。
何故なら、彼は異常なほどに前向きで、決断力があって。そして。
他人とは共感出来ない自己価値観を持っていて。
いつだって退屈していて何もしないのは落ち着かなくて。
そして、良心の呵責は有るようでいて、その実簡単に罪悪感を手放せるから。
だからウィーウェ・ホディエーは簡単に、自らの人間性を手放した。
今を前向きに。生きていれば何とかなるさ。自分は異形種として、このまま生きていかなくてはいけないのだと理解したから、迷いは無い。生きていれば幸せになる機会は幾らでもあるのだから、こんな自分を受け入れて今を生きていこうと、前向きに人間では無くなった自分を受け入れた。
この精神の異常性は、生来のもの。環境の変化だとかは関係無い。ウィーウェは元から、こんな精神性の者だったのだ。こんな、頭のおかしな奴だった。
だが、それを指摘する者は誰もいない。彼は一人で此処に立っている。他にギルドメンバーでもいれば、彼は此処まで簡単に人間性を手放さなかっただろう。どれだけお腹が空いていようと、こんな結論にはならなかったはずなのだ。他人とは価値観を共有出来ない、罪悪感も簡単に手放せるどうしようも無い人間だけれど、それでも確かに社会に適応不全はぎりぎり起こさずに、暮らしていたのだから。
たった一つの、小さな切っ掛けが。彼を呆気なく人間の地位から転落させた。
けれど、それを彼自身が気づく事は無いだろうし、この異世界に来てしまった他のプレイヤーが気づく事も無いだろう。こんな場所へ辿り着いてしまった者は、そうした小さな切っ掛けで転落してしまった者ばかりだから。これからこの異世界に来てしまう者もまた、そうして彼のように小さな切っ掛けで人間性を捨ててしまうのだ。
だから、誰もかつてプレイヤー達がどういう人間だったのか、思い出せる者はいないのだろう。これは『転移』ではなく、『転生』なのだと気づく者は誰もいない。
「それじゃあ、いただきます――」
ウィーウェはかつての自分に別れを告げた事にも気づかずに、自分はこういう生き物なのだと前向きに受け入れて、目の前の食事を見つめる。
貪食の魔神は、日々の糧に感謝しながら、目の前の食べ物に齧り付いた。
■オーガスタス・オールドマン
種族:人間
【詳細】
漆黒聖典第四席次“地中旅団”。神人。タレント持ち。Lv.60。モンスターテイマー。
■空間圧縮
分類:スキル
【詳細】
空間を圧縮して対象との距離を詰める。ただし、色々と対象との距離など前提条件があるのだがそれらを無視すると自分のHPにダメージ。
■〈宿命〉と〈偶然〉の賽子
分類:神器級アイテム
【詳細】
100:0じゃないかぎり確率を必ず50:50にする鬼畜性能のマジックアイテム。一番重宝される場所はカジノ。現在の持ち主は藍蛆達。