まだ幼かった頃の私にとって、歳の離れた姉さんは家族というよりもむしろ偶にやって来る親戚のような印象だった。
年齢が干支一回り分も離れていたことから、私が生まれた時から既に姉さんは学園艦暮らしのため実家には不在で、寄港日やお盆、それに年末年始ぐらいしか会う機会は無く、どうしても家族という実感が湧かなかった。
ただでさえ希薄だった関係の上に、姉さんは帰省する度に過剰なほどの猫可愛がりをしてくるものだから、幼い私はすっかり苦手意識を持ってしまっていた。
そのため、私が小学校に入学すると同時に育児を理由に仕事を短時間に抑えてきた母がフルタイム勤務に復帰すること、そして熊本市内の大学に通うために姉さんが実家に戻ってくると聞かされた時、私は姉さんと2人きりになるのが不安で仕方なく、母に「仕事に行かないで」と無理な懇願をしたことを今でも覚えている。
もっとも、いざ実際に姉さんと生活を始めてみると私の心配は杞憂に過ぎなかった。
今までしてきた過剰なまでのスキンシップは息を潜め、姉さんはごく普通に優しい姉として私の面倒を見てくれた。
講義の合間を縫ってご飯や洗濯といった家事をしてくれたのは勿論のこと、習い事への送迎、授業参観や運動会といった学校行事も欠かさず参加してくれた。
一緒に暮らすようになってしばらくしてから、あの異様な構い方は妹に会えなくて寂しかった姉さんなりの愛情で、私のことを大切に思ってくれているというのが充分に理解できたため、いつしか私たちはごく一般的な仲の良い姉妹の関係になっていて、黒森峰に進学した今になってもその関係は変わっていない。
戦車道の試合はほぼ全てといってよいほどの頻度で応援に来てくれるし、寄港日には必ず時間を空けて会いに来てくれるぐらい気にかけてくれている。
ただ、そんな優しい姉さんが最近は少し心配になっていた。
姉さんはもう30歳を目前としているにも関わらず、今まで浮いた話1つ聞いたことがない。
よくよく考えれば、大学生の頃から空き時間を割いて私の面倒を見てくれているのに、社会人になってからも同じ状態が続いているのだから、異性との出会いやお付き合いをするような時間が無いのは当然と言えば当然の話ではあった。
私のことを想ってくれているのは嬉しいけど、もうちょっと自分の将来を考えて欲しい。
そう思わずにはいられなかった。
そんな心境の中で、とある寄港日にいつもの喫茶店で姉さんとお茶をしている最中に、突然「実は今日エリカに会ってもらいたい人がいるの」と告げられた時の私の驚きっぷりは相当なもので、思わず飲んでいたコーヒーを吹き出すところだった。
「姉さん、もしかしてその相手の人って……」
「うん。私のお付き合いしてる男の人」
まさかの喜ばしい知らせに嬉しさと驚愕が入り混じった気持ちが高ぶり、私は思わず立ち上がって姉さんの手を取った。
「やったじゃない、姉さん。おめでとう」
姉さんにようやく春が来てくれた。
その事実があまりに嬉しすぎて、少し恥ずかしそうにしながら「ありがとう」と嬉しそうに微笑む姉さんの手を何度も握り返してしまう。
すると、何度目かの時にふと姉さんの左手薬指にはめられた輝く指輪が視界に入る。
素人の私が見ても安物と思えない指輪の存在にある仮説が頭に浮かんだ直後、指輪を凝視する私の視線に気づいたのか、姉さんは「実はね……」と前置きをして「その人と結婚することになったの」とハニカミながら私の予想を裏付ける答えを口にした。
「え、え……? ちょ、ちょっと待って結婚!? それ本当なの?」
思ってもいなかった事実に思わず、声が漏れてしまう。
このまま私のせいで行き遅れるんじゃないのかと本気で心配していた姉さんに恋人が出来たというだけでも驚愕の事件だというのに、それどころかもう結婚まで決まっていたという事実はあまりにセンセーショナル過ぎた。
「そんなすぐに結婚なんて本当に大丈夫? 悪い男に騙されたりしてないわよね?」
興奮のあまり、矢継ぎ早に姉さんに質問を投げかけてしまう。
姉さんの結婚は良い報告であるのは間違いなく、おめでたいことには変わりないのだけど、嬉しさよりと心配、そして不安の入り混じった感情も溢れてくる。
姉さんが付き合っているなんて話を私は一切知らなかったから、付き合い始めたのはつい最近と言うことなる。
付き合ってすぐに結婚という流れになるなんて、よほど相性が良かったかという可能性も無いとは言えないだろうけど、姉さんが30の大台を前にして焦ってしまい、悪い男や詐欺師に騙されている危険性も否定出来なかった。
「落ち着いて。大丈夫よ、エリカが心配してるようなことは絶対に無いから」
落ち着かない私を鎮めるためか、姉さんはゆっくりした口調で語りかけ、私の肩に手を置いて優しく席につかせてくれた。
互いに座り直した直後、姉さんは「ごめんね。エリカには伝えて無かったけど実はもう1年以上前から付き合ってたの」と申し訳なさそうに口を開いた。
「……教えてくれれば良かったのに。どうして黙ってたのよ?」
騙されている可能性が減ったことに関しては喜ばしかったけど、1年間も話してくれていなかったことに対しては、私のことを信用してくれていなかったみたいに思えてしまい、寂しい感情が強く湧き出てくる。
「本当にごめんなさい。話そうとは思ってたんだけどなかなか話す機会が無くて……」
姉さんは私の険しい顔を見て私の気持ちを察したのか、これまでの経緯を順番に説明を始めた。
姉さんが言うには、その人と出会ったのは1年半くらい前。
私の試合を応援に来てくれた時にたまたま隣同士だったことをきっかけに意気投合。
自然と交流を続けていった結果、全国大会が始まる頃には交際するようになったらしい。
「試合で大変そうだったから、大会が終わってから報告しようと思ってたの。でも、決勝戦があんなことになっちゃったから……」
その一言で姉さんの言えなかった理解を察してしまう。
第62回戦車道全国大会決勝戦――
黒森峰が敗北し、連覇記録が途切れる大事件が起こってしまった忘れられない試合。
そして、チーム内外のゴタゴタが始めった忌まわしい日。
あの日以来、かなりの長期間私はチーム内の混乱を抑えるため、そして思わぬ形で巡ってきた副隊長の職務をこなすために奮闘していたため、姉さんと会う回数も減るぐらい余裕を失っていた。
姉さんもそんな私の状況を知っていたからこそ、とても恋人が出来たなどと報告できるはずもなく、完全に伝える機会を逃してしまった結果、言い出せないまま今日の今日を迎えてしまったのだろう。
「遅くなっちゃったけど、黒森峰もだいぶ落ち着いてきたみたいだし、彼が……その……プロポーズしてくれたから今度こそエリカにはちゃんと報告しないとって思ったから」
「気にしないで。むしろ気を遣わせちゃってごめんなさい」
落ち着いて考えれば姉さんが私を邪険にすることなんてあるはずがないのに、一瞬でも疑ってしまった自分が情けなかった。
穏やかな表情で「いいのよ。心配してくれてありがとう」と微笑む姉さんの笑顔がなかったら、しばらく落ち込んでしまっていたかもしれない。
「あらためて結婚おめでとう、姉さん。未来のお義兄さんはどんな人なの?」
いざこうして姉さんの結婚を実感してくると相手がどんな人なのか気になってしまう。
暗くなってしまった空気を変えたかったこともあって、姉さんの恋人について根ほり葉ほり尋ねていた。
「優しくて穏やかでとっても良い人よ。戦車道用の部品メーカーで働いてるの」
「へえ、年齢はいくつなの?」
「ね、年齢はね。ええと……その……私の5歳下……」
「5つも下なの!? 姉さん上手いことやったわね」
「歳のことは言わないでよ。私だってちょっと気にしてるんだから」
恋人について語ってくれる姉さんはとても嬉しそうで、幸せそうな気持ちが私にも充分伝わってくるのが理解できた。
このタイミングでプロポーズをしたのも姉さんを20代のうちに結婚させて、姉さん本人や家族を安心させてあげたいという願いからだったという話を聞くに姉さんの言う通りきっと優しい人なのだろう。
きっとこの人なら姉さんをきっと幸せにできるに違いない。
安心した気持ちで残ったコーヒーを口にしていると、姉さんのスマホからメッセージ通知音が鳴る。
スマホを取り出し、いくらかメッセージを入力した姉さんは「近くの駐車場がいっぱいで別のところを探してくるから遅れそうだって」と残念そうな顔をしていた。
「気にしないで。今日と明日は空いてるから多少遅くなっても大丈夫よ」
この3連休の寄港日は帰省推進期間として練習は初日の午前中のみと定められていた。
元々実家にも帰る予定だったので、有りえないだろうけど例え姉さんの恋人が来るのが夜になっても、慌てて学園艦に戻る必要がないのはありがたい。
「……あ、妹さんは降りて先に店に来るんだ。1人で大丈夫かなあ」
まだ追加のメッセージがあったのか、姉さんはスマホを見ながら呟く。
その中の妹という言葉にどこか引っかかりを覚えて「どういうこと?」と疑問をぶつける。
すると姉さんはしまったという表情で「ごめん。言うの忘れてた」と謝ったかと思えば、とんでもない爆弾発言を口にした。
「実は彼の妹さんも黒森峰の生徒で、その子も戦車道やってるの。せっかくの寄港日だからお互いの妹も紹介しようって話になってたの」
恋人、結婚に続く驚愕の一言に絶句してしまう。
相手が黒森峰で戦車道をやっている子である以上、副隊長を務める私が知らない人間であるということはありえない。
先輩、後輩、それとも同級生なのか。
いや、それ以前に同じチームの隊員と義姉妹になるなんて、これから先、その子とどう接すればいいのだろうか。
「姉さん、教えて。その妹さんの名前は……」
聞くのは正直怖かったけど、どの道すぐに出会うことになるから避けようがない。
意を決して恐る恐る姉さんに尋ねたその直後、聞きなれた穏やかな声が耳に飛び込んできた。
「あ、あれ? エリカさん? どうしてここに……」
無意識に顔を声のした方に向けるとそこにいたのは私の見慣れた姿。
小柄で特徴的なくせ毛、そして温厚そうなタレ目の少女。
同じチームの一員で同級生、そして友人である赤星小梅が驚いた表情で立ち尽くしていた。
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「まさかあなたと姉妹になるなんてね」
衝撃の事実が発覚した翌日、私と小梅は連絡船で黒森峰への帰路についていた。
デッキの上で溜息をつきながら、海を眺める私に隣の小梅は「私も驚いちゃいました」と
穏やかに微笑んでいた。
「でも、相手がエリカさんで良かった……。お兄ちゃん、何も教えてくれなかったから、変な人だったらどうしようってずっと不安だったんです」
話を聞くとどうも素で忘れていた姉さんと違って、小梅のお兄さんは妹を驚かせようと恋人の妹、つまり、姉さんの妹である私が黒森峰の生徒であることすら一切話していなかったらしい。
姉さんの言う通り、遅れて喫茶店に来た小梅のお兄さんは血筋故か小梅に似てタレ目の穏やかで温厚そうな男の人ではあったけど、小梅曰く、ああ見えて結構悪戯好きなのだとか。
「まあ、姉さんたちが幸せならそれでいいわ」
「そうですよね、2人とも凄く幸せそうで羨ましかったです」
顔を見合わせると、揃って笑みが零れてしまう。
あの日、しばらく4人で一緒に過ごした短時間は僅かではあったものの、姉さんと小梅のお兄さんはとても仲むずましく、見ているだけでお腹いっぱいになるぐらいの熱愛っぷりだった。
きっと幸せになれるに違いない。
そう確信できるぐらい互いに想い合う良好な関係だったと思う。
「なんか2人とも仲良さそうだね? 連休に何かあったの?」
背後から聞こえてくる声に視線を向けると同じ船に乗っていたらしいヤークトパンター車長の直下が私の小梅の間に割って入ってきた。
きっと、私と小梅の様子を見て不思議に思ってこちらへ向かってきたに違いない。
「実はですね、私、エリカさんのお姉さんになって……」
「ちょ、ちょっと、小梅!?」
ごく自然に話そうとする小梅の口を慌てて塞ぐ。
小梅は気にしていないようだけど、隊員の兄と姉同士が結婚して姉妹になるなんて大ニュース、直下みたいな噂好きな子が聞いたらチーム中に広がるのは間違いない。
口を塞がれた小梅は視線で「別にいいじゃないですか」と訴えてきたものの、無駄に注目されるのが嫌だった私はそれを無視して、小梅の手を取り船内に引っ張っていく。
「この話はしばらく内緒よ。約束だからね、
「あ、エリカさんにそんな風に呼ばれるとなんか新鮮ですね。癖になっちゃうかもしれません」
3月生まれの私より小梅の方が誕生日が早いので、一応小梅が姉で私が妹ということになる。
別に気を遣うつもりはないし、妹になるつもりもないけど、こういう時に呼び方だけ変えるのは有効かもしれないと思い使ってはみたものの、どうもこの子にはあまり効果は無いように思える。
「まったく、困った義姉が出来てこっちはいい迷惑よ」
「そうですか? 私はエリカさんが妹で嬉しいですよ」
「ねえ~、さっきのどういうこと? ちゃんと説明してよ~」
よほど気になるのか、背後から直下が大声を出しながら追いかけてくるものの、そのまま無視を決め込み、小梅の手を引きながら船内を歩み続ける。
帰還早々に見せる普段とは違う様相に戸惑いながらも、私はしつこく食い下がってくる直下をどうやって諦めさせるか、そして、新しく出来た温和な義姉との関係をどうするべきかについて頭を働かせて、連絡船が黒森峰に到着するまで模索を続けてることとなった。
その後、直下が中途半端に耳にした話が曲解されて学園艦全体に広がっていき、私と小梅の親が再婚しただとか、私と小梅が実は腹違いの姉妹だったなんて根も葉もない噂が大流行してしまい、姉妹揃って火消しに走る羽目になることをその時の私たちは知る由もない。
小梅の誕生日や兄がいる設定は作者が咄嗟に考えた独自設定です。
ちなみにエリカ姉:29歳。小梅兄:24歳。で設定。
姪っ子が生まれたら間違いなくエリカは駄々甘になります。