邪霊ハンター   作:阿修羅丸

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エピソード6
サイキックソルジャー その1


 夕暮れの道場で、久我憂助は一人、一心不乱に木刀を振っていた。

 風切り音が絶え間なく響く。

 憂助の額には汗が浮かび、呼吸も荒い。

 十月の半ばを過ぎようという時期ではあったが、着ているグレーのシャツが汗を吸って変色していた。

 飛鳥竜摩に心臓を貫かれて出来た傷は、父・京一郎が治してくれたが、流れ出た血までは彼でもどうにもならなかったらしい。

 憂助の身体は今、血液が足りてない状態だった。これでは学校生活も無理だろうと判断した京一郎が、一週間ほど休ませるくらいである。

 そんな状態で稽古をすれば、汗も出るし息も乱れる。

 しかし憂助は、そんな自分の肉体にすら苛立っていた。

 

 木刀をがむしゃらに振るう間も、思い出されるのは先日の飛鳥竜摩との戦いである。

 そして思い出すだに、苛立ちは募る一方であった。

 憂助は怒っていた。

 ぶち殺してやりたいと思った。

 その思いの丈を声にして吐き出し、怒鳴り散らしたいくらいであった。

 飛鳥竜摩に対してではない。

 飛鳥竜摩に敗れた自分にでもない。

 

 峰岸葵を守れなかった、情けない弱っちい自分自身を、憂助は激しく憎悪していた。

 

「何をしよんか、お前は」

 

 呆れた声で、問い掛ける者があった。

 道場の戸口に立つ京一郎である。柿色の作務衣の下に、白い肌着が覗いていた。

 憂助は動きを止めて、息を整えてから答えた。

 

「見りゃわかるやろうが。稽古てぇ」

「どこがか。ただがむしゃらに体を動かして、自分をいじめとるだけやろが。そんなんは稽古とは言わん。そげなんするくらいやったら部屋戻って勉強せえ。もうすぐ中間テストやろも」

「知るか、ほっとけ」

「ほっとけんきこうして声を掛けようんやろが。イライラするのもわかるが、お前がそげなったんはただの自業自得やぞ」

 

 ジロリ。

 

 憂助は京一郎を睨み付けた。

 眼差しには、殺意に近い怒りがこもっている。しかし京一郎は涼しい顔で続けた。

 

「聞けばお巡りさんからも忠告されたらしいやねえか。それを無視して一人で乗り込んで、結果どうなった?」

「……峰岸は助かったやろが」

 

 憂助は吐き出すように答えた。

 

「俺がいかんかったら、どうなっとったかわからんぞ」

「そうやのう……けどそれは、結果論でしかなかろうも。しかも結果だけで言うたら、お前は結局飛鳥くんにボロ負けして、葵ちゃんは結局ピンチになって、お父ちゃん来んかったらそれこそどうなっとったかわからんぞ」

「やかぁしい! ならどげしたら良かったんか!」

「父ちゃんに一声掛けれ。そしたら一緒に行ってやったわ」

 

 京一郎の答えは、至極もっともであった。

 憂助は、その至極もっともな解答に、黙り込むしかなかった。

 どうやら、そんな事も頭に浮かばなかったらしい。

 京一郎は息子のその様子に、ただ嘆息した。

 

 一度こうと決めれば、一切の迷いもためらいもなく行動する。

 それは憂助の長所であると思っている。

 だが、長所は時に短所になる。

 困難をものともせず進もうとする姿勢は、ともすれば回避出来る危険にすら突っ込む猪突猛進でもあるのだ。

 

「自分がどんだけ考えが足りんかったか、わかったか?」

 

 憂助は、答えなかった。

 だがその沈黙が、何よりの答えであろう。

 

「わかったら、飯食え。もう晩飯出来とうぞ」

 

 京一郎はそう言って背を向けた。

 その背中に、憂助が打ち掛かった。やり場のない怒りが、そうさせた。

 京一郎はそこで、奇妙な仕草をした。

 振り向きもせず、手刀を軽く横に振ったのだ。虫でも払うような、軽い動作である。

 途端に憂助は、全身の力が抜けて、板敷きの床にぶっ倒れた。

 まるで糸の切れた操り人形の如くであった。

 

「父ちゃんに八つ当たりしてどうするんか……そこで頭冷やしとけ」

 

 京一郎は背を向けたまま言い捨てて、母屋に戻った。

 憂助はうつ伏せに倒れたまま、目に涙を浮かべていた。

 

 

 数日後の夜。

 京一郎は居間で、一人テレビを見ながら晩酌をしていた。肴は憂助が余り物の野菜で作ってくれた、かき揚げである。

 テレビはアニメ映画『天空の城ラピュタ』を放送しており、京一郎はそれを、焼酎の水割りをチビチビと飲みながら、真剣な顔で見ていた。

 

 襖が開いて、憂助が入ってきた。

 そして父の傍らに、正座する。

 

「親父。大事な話がある」

「ちょっと待て。今パズーがシータを助けるとこだ」

 

 ──いい歳してアニメ映画に熱中してんじゃねぇ。

 と言いたいのをグッとこらえて、憂助は番組がCMに入るのを待った。

 CMに入ると、京一郎は水割りを一口飲んでから、息子の方を向いた。

 

「で、どうした? 小遣いか?」

「もう一週間、学校休ませてくれ。山にこもる」

「テストはどうするんか」

 

 体調は充分に回復しているので、そちらは心配していない。

 

「補習なり追試なり受ければいいやろ」

「学生の本分は勉強ぞ?」

「俺の本分は念法だ」

「念法だけが人生でもねかろ」

「俺の人生は念法だ」

 

 ──もはや息子の中では、一週間の山ごもりは決定事項のようである。

 京一郎は嘆息した。

 チラリと、仏壇に飾ってある妻の遺影を見やる。

 憂助を生んですぐに病気で亡くなった最愛の妻は、写真の中で柔和な笑みを浮かべていた。

 

「……まぁ、知らん内に家飛び出されるよりはマシか。わかった。学校には父ちゃんから言うとこう」

 

 憂助は父に、深々と頭を下げた。

 翌朝、既にまとめてあった荷物を持って家を出た。

 

 荷物と言っても、リュックサック一つである。

 中身は、暖かいお茶の入った水筒、コップと飯盒、替えのシャツとパンツを一枚ずつとタオル、非常食代わりの板チョコ一枚、そして祖父が小学校入学祝いに買ってくれて以来愛用している、アーミーナイフだ。

 

 仏壇に線香を上げて、父に一声掛けてから、憂助はさっさと出て行った。

 

 家の前の山道をしばらく上り、道の脇の森の中に入り、どんどん奥へと進んでいく。

 勾配はきつく、木の根が盛り上がって、地面もデコボコしている。

 しかし憂助は慣れたもので、ズンズン進んで行った。

 やがて尾根を越えて、今度は斜面を下り、谷川に出ると、その川をスタスタと上っていった。

 目指すは上流にある滝。

 小学生の頃は父と二人で、中学生になる頃には一人で、月に一度はそこで二泊三日の山ごもりをしているのだ。

 いつもならちょっとしたリフレッシュ休暇のようなものだが、今回は自分を鍛え直すためのものである。川を遡って歩く憂助の表情は、険しかった。

 

 

 その力に気付いたのは、十歳の頃だった。

 意識を集中させると、目の前の物を動かす事が出来た。

 目を凝らせば、障害物を透かしてその向こうを見る事が出来た。

 耳をすませば、相手の今考えている事を聞き取れた。

 力は徐々に強くなっていき、動かせる物は大きくなり、一度にたくさんの物を動かせるようにもなった。

 目を閉じれば、まぶたの裏に遠くで起きている出来事を映し見る事が出来るようになった。

 やがて、集中する事で数秒から数十秒先の出来事を見聞き出来るようになった。

 行きたいと念じれば、遠く離れた場所へも行けた。しかしこれは、知っている場所や知っている人の元に限られた。

 

 楽しくてたまらなかった。

 漫画やアニメでしか見られない力が自分の中にあり、自由自在にコントロール出来るのだ。

 そしてこの力は、父親の命令で習わされていた剣道にも応用出来た。

 相手がどこにどう打ち込むのかが、事前にわかる。

 相手の竹刀の軌道を逸らす事も出来る。

 目線を合わせれば、一瞬だけだが金縛りに掛ける事も出来た。

 もはや向かうところ敵なし。

 文字通りの無敵。

 

 彼はこの力を、もっともっと極めたいと思った。

 中学生になる頃には、その辺の柄の悪い連中に見境なしに喧嘩を吹っ掛けて、力を応用して相手を叩きのめす。

 高校生やそれ以上の相手だろうが、大勢いようが、武器を持っていようが、まったく問題にならなかった。

 周囲の人間はそんな彼を恐れ、距離を置き始めた。

 両親ですら、怪物でも見るかのような視線を向けてくる。

 だが、そんな事は彼にはどうでも良い事で、この力をどこまで極められるか、ただそれだけを考える日々であった。

 

 高校生になったある冬の夜の事だ。

 彼は二つの人影が部屋に忍び込み、一人が持っていた包丁で自分を刺す様を夢に見た。

 目を覚ました瞬間、それはただの夢ではないと直感で思い、木刀を手にクローゼットの

中に隠れた。

 木刀は反りの強い長尺の物である。

 そして力を使って、ベッドの上の毛布を持ち上げ、あたかも誰かが毛布にくるまって寝ているように見せ掛けた。

 それから数秒ほどで、部屋のドアが開き、二つの人影が入ってきた。

 そして夢で見た通りに、一人が持っていた包丁を毛布に突き立てる。

 瞬間、彼はクローゼットから飛び出し、その影の胸を木刀で突いた。

 力で加速を付けた一突きは、相手の胸を貫いた。

 胸から抜いた木刀で、もう一人の首筋を打つ。

 骨の折れる感触がした。

 灯りを点けて賊の顔を確かめると、それは両親であった。

 驚きはしたものの、罪悪感はなかった。

 常日頃から、力を捨てて普通に生きるべきだと口うるさくわめいていた二人である。

 いい加減煩わしくなって、実力を行使した。SF映画『スターウォーズ』のキャラクターがやるように、手から放出した力で両親の首を締め上げ、宙に浮かせ、壁に叩きつけたのだ。

 それだけで彼等はおとなしくなったが、完全に心から屈服した訳ではない事を、彼は感じ取っていた。

 いつかこうなるだろうと思っていた事が、思いの外早く起きた。

 彼にとっては、ただそれだけであった。

 

 彼は夜が明けぬ内に、姿を消した。

 

 それからは、力を振るう場所を求めてさすらい続けた。

 暴走族の溜まり場やヤクザの事務所に殴り込みを掛けた事もある。

 自分を轢き殺そうとする車を、木刀の一撃でひっくり返した。

 ヤクザの撃った銃弾の動きがゆっくりと見えて、木刀で払い落とす事も打ち返す事も出来た。

 

 誰もが彼を恐れたが、中には用心棒として雇う者もいた。

 そうやって、自得した超能力剣法に磨きを掛けながら凶剣を振るう内に、いつの間にか、誰からともなく彼──飛鳥竜摩(あすかりょうま)を、こう呼ぶようになった。

 

 超能力戦士(サイキックソルジャー)と。

 

 やがて飛鳥竜摩は、天来教団(てんらいきょうだん)なる宗教団体に雇われる事となる。

 それまでも、それからも、己れの中にある力こそが彼の全てだった。

 だが今、飛鳥竜摩は暗闇の中にいる気分だった。

 向かうところ敵なしであった自分の力が、それを活かして実戦で磨き上げた超能力剣法が、まったく通用しない相手が現れたのだ。

 それどころか、そいつの一撃で、自分の力が封じられていた。

 見えていた物が見えず、聞こえていた声が聞こえず、行きたい所にも行けない、ただの人間にされてしまったのである。

 警視庁DTSSが所有する、異能力者用の収容施設の独房内で、飛鳥竜摩は胸の内で静かに、憎悪の炎を燃えたぎらせていた。

 

 座禅を組み、瞑想をする。

 自身の体感や、書物やインターネットで得た知識によると、体の中にいくつかの、力を開放するための“門”がある。

 今はこれが完全に閉じられているため、力を発揮出来ないのだ。

 その“門”を開かない事には、かつての力は取り戻せない。

 そしてそれは、彼にとっては死んだも同然である。

 瞑目すると、まぶたの裏にあの男のとぼけた顔が浮かび上がる。

 

 久我京一郎。

 

 戦いの中で心を読み、名前を知る事は出来た。

 何としても力を取り戻し、奴を殺さなくてはならない。

 この力こそが自分の全てである。

 それを真っ向から打ち破り、封印までした男。

 奴の存在を許す事は、自分の人生を、存在意義を否定するのも同然である。

 久我京一郎だけは許してはおかぬ。

 久我京一郎だけは殺さねばならぬ。

 奴の心臓を貫き、物言わぬ屍にする事を夢見て、飛鳥竜摩は力の回復に専念していた……。

 

 

 山ごもりを始めて二日目。

 憂助は川の中に入り、水浴びをしていた。

 陽は中天に届こうとしているが、十月の半ばを過ぎる頃である。川の水は肌に冷たすぎるはずだが、憂助の表情は、とてもそんな風には見えない。

 川から上がった少年の裸体からは、湯気さえ立ち上っていた。

 川辺に置いてあったタオルで体を拭き、肌着と学校指定のジャージを着ると、そばに突き立ててあった愛用の木刀を手に取り、素振り稽古を始めた。

 打ち下ろし。

 横薙ぎ。

 斬り上げ。

 突き。

 これらを百本ずつ。

 それが終わると、持ち手を替える。

 普段は利き手の右手を上に、左手を下にして柄を握るが、これを入れ換えるのである。

 そうやって、また同じメニューを繰り返す。

 そうして素振り稽古を終える頃、細木と枝葉で組み上げたテントの傍らに、京一郎の姿を見た。瞬間移動で来たのだろう。枯れ草色の作務衣姿で、手頃な石に腰掛けていた。

 

「ほれ、差し入れ」

 

 そう言って小さな風呂敷包みを差し出す。中は三つの握り飯とたくあんが詰め込まれたタッパーだった。

 

「すまん」

 

 憂助はそう言って受け取り、ちょうど昼食にしようと思っていたところなので、その差し入れをパクパクと食べ始めた。

 

「時に憂助よ。お前、意外とモテるごとあるのぉ」

「はぁ?」

「昨日葵ちゃんだけやねぇで、他にも三人、女の子が見舞いに来たぞ。葵ちゃんと一緒に」

「そりゃ峰岸の友達だ」

「いやいやいやいや、家から学校までは普通やったらバスを二、三回くらい乗り換えなならんとに、友達っちだけでわざわざついて来んやろ。それと、お前んクラスの担任の先生、男やったよな?」

「ああ」

「葵ちゃんたちだけやねえで、なんか女の先生も見舞いに来たぞ。髪の長いで胸の大きい別嬪さんやったのぉ」

 

 ──富士村先生か。

 

 憂助はすぐにそう思った。

 一学期のストーカー幽霊の一件以来、彼女から声を掛けてくる事が増えた──ような気がする。

 

「イケイケなギャル四人に女教師までたらし込むとか、お前も隅に置けんのぉ」

「張っ倒すぞ」

 

 憂助は声にめいっぱいドスを効かせたが、京一郎はどこ吹く風である。

 

「それはともかくとして、今日は一つお前に新しい事を伝授しちゃろうと思ってな」

「ならいらん話せんで、最初からそう言えや」

「まぁまぁ、いいから聞け。そもそもお前と飛鳥くんは、出せる力、念の強さにはほとんど差はない。なのにお前は負けた。何故(なし)かっち言うたら、それはお前の気の持ちよう、心の在り方にある」

「…………?」

 

 言われても心当たりがなく、憂助は首を傾げた。

 

「お前は葵ちゃんを守らなならんと気負っとったし、たぶん同じ念法使いを相手にして『えぇくそ、負けてたまるか』と思ったんやねぇか?」

「……まぁの」

「そのせいで、お前の心にいらん力みが生まれた。心の力みは念の純度を曇らせる。心気清爽であってこそ、念法はその本領を発揮する。お前はそれが出来んかったき負けた──いいか、飛鳥くんがお前に勝ったんやねえぞ、お前が飛鳥くんに負けたんぞ。父ちゃんの言いよう意味、わかるな?」

「ああ。で?」

 

 憂助は苛立たしげに、続きをうながす。

 

「そこでお前に授けるのが、風水だ」

「占いに興味はねえ」

「いやいやいやいやいや、そっちやねえ。読んで字のごとく風と水。そよぐ風やせせらぐ水、それらの音を聞き取る心の在り方の事てぇ」

 

 言われて、憂助はなるほどと納得した。

 戦いの中でもそういった音を聞き取れるほど心が落ち着いていれば、どんな状況にも冷静に対処出来るだろう。

 

「本当は毎日の稽古を通して、ゆっくり会得してほしかったけどの……一週間も学校ずる休みするんやき、何か一つは覚えてもらわんとの。そういう訳で、しばらくお前の眼を没収する」

「は?」

 

 意味がわからず、憂助が間の抜けた声を上げた。

 同時に京一郎が、彼の眉間を人差し指で軽く突いた。

 途端に、憂助の視界が白くぼやけていき、たちまちの内に、眼に磨りガラスを嵌め込まれたかのように、何も見えなくなった。

 

「くそ親父ぃ!」

 

 憂助は咄嗟に木刀で父に打ちかかる。

 しかし京一郎はすでに目の前にはいない。横に身をかわしていた。

 

「眼に頼るな。静かで落ち着いた心で、風水を聞け。天然自然に身を委ねろ」

 

 京一郎はそう言い残して、空になったタッパーと風呂敷を回収して、瞬間移動で立ち去った。

 

「くそ親父……こんなんで、どげせぇっちゅうんか……!」

 

 念法修行で音を上げた事は一度もなかった憂助だが、今回ばかりは頭を抱えたい気分だった。


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