神様の作り方【完結】   作:トマトルテ
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三話 神の名は

 冬。雪が山を覆い、命は消えたのかのように息を潜める。

 人にとっては自然の猛威を最も身近に感じる季節であり、一年の終わりとして特別視する季節。

 故に、『神降ろしの儀式』を一年の最後の日に持ってきて、次の年の始まりの日を『新たな神の始まり』にしようと人が考えるのは自然なことだろう。

 

「神為子様、どうぞ御柱(おんばしら)の中央に進み出てください」

 

 村の長老の重く低い声が、夜の闇に静まり返った社の広場に響き渡る。

 そして、その声に従って少年に支えられながら、少女が用意された舞台へと上がっていく。

 

 部隊の四角(よすみ)にはそれぞれ長さの違う御柱(おんばしら)が建てられており、見る者からすれば中央に向かう少女は5本目の御柱のように映る。否、実際に少女は5本目の柱なのだろう。

 

 人柱(ひとばしら)という名の。

 

「神為子様…」

「なにかしら、神官さん?」

 

 一歩、一歩。王の御膳に向かう勇者のように堂々と。

 重く、重く。処刑台に向かう死刑囚のように緩やかに。

 御柱で囲まれた中心に歩いていく少女に、少年が怯えたように声をかける。

 

「神為子様は……神様に為るんですよね?」

 

 疑うように、縋るように少年は問いかける。

 1年前であれば疑いもしなかったことだが、今は違う。

 少女と共に過ごしていく中で愛情が湧き、神としてではなく1人の人間として見ていた。

 それ故に少年は、少女がどこか遠くへ行ってしまうことを恐れているのだ。

 

「……ええ。私は神に為る子よ」

「そうですよね! だったら平気です。(わたくし)はずっと神為子様に仕え続けます」

「そう…それは神様(・・)も喜ぶと思うわ」

 

 何も疑うことなく、これからも少女と共に過ごしていけるのだと信じて笑う少年。

 しかし、幼い少年は気づかない。少女が少女のままに神に為るのだと誤解している。

 彼女は依り代。あくまでも神を宿すための器に過ぎない。

 

 そして、器に(別の物)を入れるためには、元々入っていた()捨てなければならない(・・・・・・・・・・)

 そんな大人に隠された事実を疑うことすらないのだ。

 

「これが、神官が穢れを知らない子どもでなければならない本当の理由かしら……」

 

 残った左目で(うれ)うように少年を見つめ、少女はポツリと言葉を落とす。

 無邪気な子どもであれば、どれだけ依り代に情が湧いても神様に為るという言葉を信じられる。

 間違ったことはしていないと大人を漠然と信じ、大好きな人を処刑台の前に引きずってこれる。

 

 (ひとえ)にそれは、大人の穢れ(汚さ)を知らない幼さが故に。

 

「神為子様…?」

「ねえ、神官さん。神様の名前は誰がつけるかって話は覚えている?」

「ええ、覚えていますよ。人が名付けるんですよね? ですが、それがどうかいたしましたか」

 

 少女が唐突に話題を変えたことに不思議がる少年だったが、彼女の真意には気づけない。

 

「私が神様に為ったら…貴方が名前をつけてくれる?」

(わたくし)がですか…?」

 

 自分がそんな畏れ多いことをして良いのかと不安に思い、少年は少女の顔を下から覗き込む。

 しかし、いつもならば諦めるであろう少女は今回ばかりは譲らなかった。

 少年へと優しく微笑みかけ、自身の願いをハッキリと告げる。

 

「いいえ、私は貴方に名をつけて欲しいの。私の神官である貴方にだからこそ頼むのよ」

「…! 神のまにまに。そのお役目、謹んでお受けいたします」

 

 彼女の笑みに普段とは違う何かを感じ取ったのか、少年は何も言わずにその言葉を受け入れる。

 そのハッキリとした言葉に少女の方も安心したのか、少年から手を離し自分1人で中心に立つ。

 そして、背を向けたままに最後の言葉をポツリと呟く。

 

「……私のことを忘れないでね」

「え…?」

 

 思わず今の言葉はどういう意味なのかと、問いかけようとする少年だったが、少女の背中からただならぬものを感じ取り口を閉ざしてしまう。それも当然のことだろう。ただの子供が、死に向かって自ら歩いていく人間に声をかけられるはずもない。

 

 

「只今より、神降ろしの儀を執り行う」

 

 

 少女の美しく、それでいて重い言葉が夜の山一帯に響き渡る。

 そして、少年の一族の大人達が小難しい祝言(しゅうげん)を次々に述べていく。

 少年にはその言葉の意味など半分も分からなかったが、何か理解できない存在が近づいてくる感覚だけは肌で感じ取っていた。

 

「あれは…雲…?」

 

 少年がふと気づくと、山の頂よりも遥かに高い夜空に巨大な雲が集まり始めていた。

 その雲を見た瞬間に少年は直感する。あそこに神が居るのだと。

 

「大いなる大国主命(オオクニヌシのみこと)よ、我が信仰を受け入れるのならば…どうか我が魂に御子(みこ)を宿し給え」

「神為子様の真上に雲が集まってる……」

 

 季節外れの大雲は少女の真上を中心にして、蛇のように渦巻いていき雷が空を照らす。

 それはまさに人知を超えた現象。神の御業(みわざ)

 少女を依り代に神が降りてくる証拠である。

 

幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきはへたまへ)

 

 出雲の民が(まつ)る、大国主命(オオクニヌシのみこと)への神語が唱えられる。

 そして、その声に応えるように、暗雲から少女目掛けて雷が、落ちる。

 

 

 ―――死にたくないよ。

 

 

 最も高い御柱に雷が落ちた瞬間に、少年は少女の口がそう動いているのを見てしまった。

 

「え…?」

 

 呆然と声を零す少年を待つことなく、雷は高い御柱から低い御柱へと移り渡っていく。

 そして、最も低い人柱(はしら)である少女に降りかかる。

 

「―――――ッ」

 

 その瞬間、少年は声にならない悲鳴を聞いた気がした。

 神の雷によって一瞬で体を焼き尽くされる少女が、少年の目に焼き付く。

 ここでようやっと少年は理解する。神降ろしとは、用意した器に神を宿らせる行為。

 即ち、少女はその全てを神の器として奉げたのだと。

 

「器にものを入れるには…既に入っているものを捨てなければいけない…」

 

 そもそも、人は神の血縁でもなければ生きながらに、神を身体に宿し続けることなど出来ない。

 本来、人と神の差とはそれ程までに遠いものなのだから。

 ならば、どのようにして神との距離を縮めればいいのだろうか。

 

 神は生者よりも死者に近い存在だ。死んで神に出会うという話からも、良く分かるだろう。

 そう。手っ取り早く、人間が神に近づくには死ぬのが一番なのだ

 

「神為子様…ッ!」

 

 だから少女は死ななければならなかった。

 死ぬことで神に近づき、魂の器に神を招くことで初めて、神と為る権利が与えられる。

 しかしながら、人の魂という器は2つのものを入れるには余りに小さい。

 

 故に、まずは器の中身(少女)を完全に捨てなければ(殺さなければ)ならない。

 死ぬことで肉体を奉げ、死後の霊魂となった後も(中身)を捧げる。

 そうして、最後に残った器に神が入ることで、少女は神霊と為るのだ。

 

 ―――もっとも、その存在を今までの少女と呼んでいいかどうかは分からないが。

 

「神為子様が死んだ…? (わたくし)が殺した…?」

 

 だが、そんなことなど今の少年にはどうでもよかった。

 彼はただ、雷が巻き起こした炎の中心を表情の失った顔で眺めることしかできない。

 少女が死んだことを、自分がこの手で処刑台へと導いてしまったことを理解したく無いが故に。

 

「あれを見ろ!」

 

 そんな折、誰が零した声か分からない言葉が状況の変化を知らせた。

 

「風が…炎をかき消していっている…?」

 

 そのまま永久に燃え続けるかと思われた炎が、突如として現れた疾風にかき消され始めたのだ。

 再びの明らかに人の手ではない御業に、その場にいる誰もが息をするのも忘れて炎を見つめる。

 そして、全ての炎が風に消えたとき。

 4本の御柱の中心に、背筋が冷たくなる程に美しい少女の姿があった。

 

「神為子…様?」

 

 炎の中から無傷で現れた少女の姿に、少年は駆け寄ろうとするがすぐにその足を止める。

 気づいたのだ。少女が無傷である(・・・・・)という不自然さに。

 

「我を呼び出したのは汝らか、礼を言っておこう」

 

 少女と全く同じ顔で、しかし少女とは比べ物にならぬ程に威厳のある声を出す存在。

 その瞳はどちらも潰れておらず、完璧な美しさを保っており、両足もまた健在であった。

 つまり、彼女は右目と右足を潰された少女とは違う存在であるのだ。

 

「我は大国主命(オオクニヌシのみこと)の子。軍神であり、風の神でもある」

「あれが…神様…」

「さあ、どうしたの? 呼び出すだけ呼び出して終わりとでも言うつもりかしら?」

 

 どこまでも不敵で、それでいて神々しい笑みを浮かべて神が問いかける。

 それに対して大人達は何か言葉を返さねばならないと、口を動かすが何も出てこない。

 彼女の醸し出す圧倒的なオーラに圧倒されてしまっているのだ。

 だが、そのような時でも動くことが出来るのが子どもの強みである。

 

「神様…」

「何かしら? 小さな神官」

 

 一向に動き出すことのできない大人達を尻目に少年は前に進み出て、神の前で跪く。

 

「……お名前をお教えくださいますか?」

 

 そして、神へとその名を尋ねる。

 目の前の神様が少女であれば応えられるはずの質問を。

 

「ふむ…名前ね。残念だけどその質問には答えられないわ。生まれたばかりでまだ無いもの」

「左様ですか……」

 

 ここで少年の淡い希望は完全に崩れ去る。

 目の前の神様には、少女としての記憶など残っていないのだと。

 否、少女は死に。新たに少女とは違う存在である神が生まれたに過ぎない。

 

 残酷な現実が、少年の心を今にも叩き壊さんと押し寄せてくる。

 自分が少女を死の道に案内してしまったという事実に、少年は今にも吐いてしまいそうだった。

 だが、しかし。そんなことは罪深い自分には許されない。だから、せめて。

 

「……でしたら、(わたくし)がおつけしてもよろしいでしょうか?」

 

 少女の最後の願いを叶えよう。少年はそう、歯を食いしばりながら心に誓うのだった。

 

「なッ!? 神の名は建御名方神(タケミナカタのかみ)だと大国主命に言われたのを忘れたか!」

「出過ぎた真似だぞ! 申し訳ありません、神よ。すぐに下がらせますので」

 

 しかし、そんな少年の心など知らずに大人達は大慌てで少年を下がらせようとする。だが。

 

「構わん」

 

 神による鶴の一声で黙らせられる。

 静かな声だったにもかかわらずに、波を打つように広がっていく神への畏れ。

 それを満足気に感じ取りながら、神は己の足元で跪く少年を見下ろす。

 

「ただし、それ相応のものを期待するわよ?」

「かしこまりました。では、早速」

 

 首筋に刀を押し付けられている。

 思わず、そう錯覚してしまう程のプレッシャーが少年を襲うが、それでも彼は揺らがない。

 ただ、静かに殺してしまった少女へ想いをはせながら語っていく。

 

「まず、性は山で生まれたが故に、山を意味する“八坂”がよろしいかと」

「ふむ…続けなさい」

 

 少女は山が好きだった。そこに生える木々が好きだった。そして、坂を昇るのが好きだった。

 だから、少年は無数の坂を、山を意味する“八坂”と告げた。

 

「そして、名は『()()いに()()』と書き――」

 

 最大限に神への敬意を払いながら、しかし生贄となった少女を忘れないように。

 少年は静かに告げる。

 

神奈子(かなこ)八坂(やさか)神奈子(かなこ)という名がよろしいかと」

 

 神へ仕え続ける限り、決して少女のことを忘れぬ名前を。

 

 

 

 

 

「そうして、八坂神奈子という名を私に贈ったのね……」

「はい。『八坂』は少女が好きだった山を現し、『神奈子』は少女の名前の音をそのまま生かせるようにしました」

 

 昔話は終わり、かつて少年だった年老いた男が神奈子の前で頭を下げている。

 それが男なりの主への謝罪なのだろうが、頭を下げられた神奈子の方は困った顔をしている。

 

建御名方神(タケミナカタのかみ)より女性らしいから、選んだのだけど……そりゃ女性らしい名前よね」

「返す言葉もありません。今からでも建御名方神(タケミナカタのかみ)にされますか?」

「別にいいわ。そっちの名前は建前として使っているし、神奈子の名前にも愛着があるわ」

「左様ですか」

 

 そう言ったきり、黙り込む2人。

 お互いが、それ以上に何を言ったらいいのかが分からずに、口を開くことが出来ないのだ。

 しかし、このままでは話が進まない。故に、沈黙を破ったのは話を進めたい神奈子の方だった。

 

「それにしても……これが貴方が私を恨む理由だったのね」

「……お恥ずかしい限りです。少女を処刑台に送ったのは(わたくし)自身だというのに、あなたに八つ当たりをしている。…神さえ居なければ、少女は生きていられたと責任転嫁をして、自分の罪から目を逸らそうとしている穢れた人間なのです。本来ならば、あなた様に仕えることなど許されない身……神奈子様。どうか(わたくし)に罰を」

 

 すると、今度は(せき)を切ったように男は懺悔の言葉を溢れ出させる。

 まるでそれは、今の今まで吐き出すことのできなかった毒のようであった。

 

「罰…ね…」

「はい。(わたくし)は神奈子様に仕える神官の身でありながら、あなたを憎んでしまった。これは神官として…いえ、従者としてあってはならぬ行為です。煮るなり焼くなりして私に罰をお与えください」

 

 死なせてください。

 

 暗にどこか疲れ切った目で罰を願う男の姿もまた、人が神に縋る理由の一つだった。

 人は自らが望まずに罪を犯してしまった時に、罰を望む生き物である。

 それは自分はこれだけ罰を受けたのだから、償っているはずだという安心感に浸りたいからだ。

 

 その人間がまともであればある程。罪が大きれば大きい程。その傾向は強くなる。

 そして、同じ人間から与えられるどのような罰をもってしても、罪を償えないと感じたとき。

 人間は神という名の、裁きの刃に罰を求めるのである。

 

「……汝は主であり神である私に憎しみの感情を向け続けた。これは大罪と言えるだろう」

「はい」

「しかし、汝は同時に誰よりも真摯に敬意と信仰を持ち、私に仕え続けた。これは考慮されるべき点である」

「…はい」

 

 神奈子の堂々と事実を述べていく物言いに、反論することなく頷いていく男。

 

「よって、汝には全てを私に差し出してもらう」

「神のまにまに……」

 

 全てとは、もちろん肉体・魂・死後も含む。

 少女と同じだ。そう、男は皮肉気に笑った顔を隠すように頭を下げる。

 そして、神奈子からの神託が告げられる。

 

「さ、それじゃあ、まずはここに来なさい」

「………神奈子様。なぜ、膝の上を叩いておられるのですか?」

「膝枕をしてあげるんだから当然でしょ?」

 

 何を当然のことを聞くのだという顔をする神奈子に、面を喰らった顔をする男。

 とても先程まで重々しい空気があった空間とは思えない。

 

「……なぜ?」

「全てを差し出すのなら、私の手の中で死んでいきなさい。そして、来世では幸せになりなさい」

「分かり…ません…神奈子様。あなたはなぜ私をお赦しになられるのですか?」

「貴方には私に対する罪があるけど、それは私に対する献身で相殺できるわ。そもそも神は人間の憎しみも受け止める存在。私にとっては大したことじゃないのよ。それに…」

 

 余りにも理解できない行動の連続に、男は声を震わせながらに尋ねる。

 そんないっそ哀れにも見える行動にも、動揺することなく神奈子はあっけからんと話す。

 

「私の中の少女(・・)が貴方が幸せになることを望んでいる」

 

 思わず息を呑む男に、神奈子は厳しい言葉をかけながらも優しく微笑む。

 そもそも、男が罰せられたかった罪は神奈子へのものではない。

 少女を死へと導いてしまったことへの罪だ。だから、男を救うには少女の言葉が必要なのだ。

 

「貴方がしたことは間違いなく少女を死に追いやった。でも、だからといって彼女は貴方を恨んではいない。貴方と過ごした日々は幸せだったし、今でも貴方の幸せを望んでいる」

「そんな…だとしても…(わたくし)は…」

「ほら、難しいことは考えずにあの日みたいに身を(ゆだ)ねなさい」

 

 状況が理解できずに混乱する男を神としてのカリスマで誘導し、膝元に招く神奈子。

 そして、混乱したままの男を膝に載せてその髪を撫でる。

 あの日から少年だけが成長したような光景に、男は思わず(うめ)く。

 

「今までお疲れ様でした。『貴方(・・)は何も気に病まずに黄泉路に旅立って良いのよ』そう少女も言っているわ」

「神奈子様……」

 

 まるで少女はここに居るとでも言うように、右目(・・)で軽くウィンクをする神奈子。

 男はその仕草を見た瞬間に、今までの動揺が消えたようにおかしそうに微笑む。

 

「あら、どうしたのかしら?」

「いえ…(わたくし)は本当に素晴らしい主を持ったと思っただけですよ」

「そう? まあ、悪い気はしないわね」

 

 そう言うと、男は毒気が抜かれたように表情で、静かに目を閉じる。

 もう、何も見る必要はないとでも言うように。

 

「神奈子様、しばし眠りにつかせて頂きます。後のことは守矢の一族がやってくれるでしょう」

「…ええ、ゆっくりと眠りなさい」

「はい…神のまにまに」

 

 体からだんだんと力が抜けていき、徐々に魂が肉体から離れ始める。

 気を抜いたために、一気に体が死ぬための準備を始めたのだろう。

 そんなことを神奈子が思い始めた時、男が言葉を零す。

 

「神奈子様…最後にお礼を」

「何かしら?」

 

「こんな(わたくし)のために、嘘までついて下さりありがとうございます」

 

 少女は右目(・・)を潰されていたから動かせないんですよ。

 そう言って男は笑い、さらに彼女なら貴方(・・)ではなく神官さんと自分を呼ぶと続ける。

 

「……バレた?」

「はい…ですが…嘘でも嬉しかったです。何より幸せだったと言われて……ホッとしました」

 

 全てはせめて男に安らかな眠りを与えたかった神奈子の優しさから来た嘘。

 バツの悪そうな顔をする神奈子だったが、その顔を男が見ることはない。

 目を閉じたままに満足そうに笑っているからだ。

 もう、時間はない。自分でもそう悟って男は誰に向けるでもなく呟く。

 

「……最後にもう1つ」

 

 ずっと言いたかった言葉を、己の罪悪感から吐き出すことすらできなかった言葉を。

 最後の最後に男は告げる。

 

 

「ずっとお慕いしていました―――かなこ(・・・)様」

 

 

 その言葉を最後に男は静かに息を引き取る。

 1人残された神奈子は、しばらく黙って眠るように目を閉じる男の顔を見つめていたが、やがて困ったように眉を寄せながら呟く。

 

「……どっちに言ったのか分からないわよ」

 

 読みは同じなのだから、声だけではどちらの“かなこ”に向けられた言葉なのかは分からない。

 それこそ、神である彼女にも分からなかった。

 だが。

 

「あら…? 何で片目だけから涙が……」

 

 左目(・・)から静かに涙を零す彼女には分かったのかもしれない。

 

「ふふっ…でも、分からない方が良いかもしれないわね」

 

 かつて神に奉げられずに残った左の目から零れる涙が、男の顔に落ちていくが神奈子はそれを拭おうともしない。まるで、それが男への最大の供養だとでも言うように寂し気に笑うだけだ。

 

「お疲れ様。ゆっくりおやすみなさい―――神官さん」

 

 そう最後に姉のように優し気な声をかけ、彼女は彼の髪を1つ撫でるのだった。

 

 




完結です。感想・評価お願いいたします。
次は鬼灯の冷徹とのクロスか小町の短編を書く予定です。



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