「面倒な従兄を持ったものねぇ」
俺の話を聞き終えた愛華さんは、一言そういうとお茶をずずっと啜った。見かけによらず仕草が年寄りっぽくて思わず笑いそうになってしまった。
平等橋は事前に愛華さんに連絡を入れてくれていたみたいで、俺が急にやってきても嫌な顔一つせず歓迎してくれた。玄関口で迎えられた時のほんのりエロい感じがなんとも懐かしい。
夕飯もごちそうになって、一息ついたところで俺は語り出した。
平等橋には帰りしなにある程度話していたので、改めて愛華さんを交えて説明をしたという事の次第だ。俺の個人的な我儘だが、愛華さんにも聞いてほしかった。大人の意見ってやつが欲しかったのか、それとも愛華さんに「俺こんな大変な目にあってるんだすよ」と慰めてほしかったのか、それはわからないけど。
愛華さんはちょいちょいと俺に手招きをしたので近づくと、抱きかかえるようにぎゅっとしてくれた。
「えぇ? 愛華さん何?」
「いやー、キミちゃんがモノ欲しそうな眼をしていたからつい?」
いいこいいこと頭をなでてくれる愛華さん。
恥ずかし嬉しい。でも汗臭くないだろうか。それだけが心配だ。
あと平等橋が風呂に入ってる間で本当によかった。こんなところ見られたらなんて言ってからかわれるか分かったものではない。
「話を戻すけど、面倒な従兄さんね」
「はい。私ももうどうしたもんかと頭を抱えている次第でして」
「そうねえ。いまいち行動原理が見えないわ」
「行動原理、ですか?」
考えたことがなかった。
創大が何を思って動いているかなんて。あいつのことだからどうせなんも考えてない可能性も無きにしも非ずだけど。
まずそもそものこととして、考えたくないという感情もある。
何が悲しくて自分に嫌がらせをしてくる奴の気持ちなんて考えなきゃいかんのだ。
俺が何かして、それであいつが嫌ってくるのならそれはまあ仕方ない。
理由があるのだから。
でも俺の場合特に何かをした覚えはないのだ。
そりゃ小さかったし、ひょっとしたら些細なことで奴の逆鱗に触れる何かをしたのかもしれない、覚えてないけど。それにしたって幼児レベルのベイビーがしたことをいつまでもねちねち覚えているなんて、それはそれで人間としての器がしれるというものだ。有体に言って大人げない。
俺が黙ってむっつりしていると、愛華さんは更に俺を強く抱きしめた。せ、背中に胸の感触が。おい嘘だろ、いくら風呂上りたってつけてないのかこの人!?
別の意味で硬直する俺に、愛華さんは「大丈夫だよー」とふんわり言った。
「大丈夫って?」
「言葉通りの意味だよ。これからもその従兄君はキミちゃんに何か嫌なことをしてくるかもしれない。嫌なことを言ってくるかもしれない。でもそばに正義を侍らせておけば大丈夫だよ」
「侍らせるってそんな。あいつも暇じゃないし」
「大丈夫大丈夫。あの子の用事なんてたかが知れてるんだから」
「適当言ってくれるぜ姉貴」
風呂から上がった平等橋が呆れたように愛華さんに返した。う、シャンプーの何とも言えんいい匂いと、風呂上がりの艶っぽい髪の毛が目に毒だ。ええいイケメン死ね。
「でも現状特に何かされてるってわけでもないんだろ?」
俺が照れ隠しで心の中の平等橋をナイフで刺し続けていると、ふと現実に戻ったように平等橋が声をかけた。対面に座るなよ落ち着かないなあもう。
「まあ、うん」
内心の動揺が気取られないようぶっきらぼうに答えた。質問自体はその通りだし。
……うん。その通り、だったんだけどなあ。
「キミちゃんどうかしたの?」
俺がまた沈んだのが気になったのだろう。愛華さんはぐりぐりと俺のつむじを顎でぐりぐりした。地味に痛い。
「あいつこの前まではちょっと話せるかなって、そう思ったんです。お袋とか兄貴とか妙にあいつのこと庇う感じあるし、ひょっとしたらあいつも昔とは変わってるのかなって、期待する気持ちもあったんです」
事実あいつとはこの前、随分久しぶりにまともな会話ができていた。
「でも今日会ったらそんなことは全然なかった、と」
「初対面でひでえ挨拶食らったからな」
愛華さんと平等橋が順番に反応する。俺は力なく頷いた。特に平等橋には悪いことをした。
「正義はその従兄の子にあってどう感じたの?」
愛華さんが平等橋に尋ねると、平等橋は実に嫌そうに眉を顰めた。
「公麿には悪いが感じは悪かったな。いきなり挑発されたし」
「その件については本当にごめん」
「なんで公麿が謝んだよ。なんも悪くねえだろお前は」
ぐしゃぐしゃと頭をなでられた。冷静に平等橋姉弟に挟まれている今の状態って何だろうと思わなくもない。
「でもな」
平等橋はそこで言葉を区切った。
何だろうと思って顔を上げると、平等橋はどこか宙を見つめているようだった。
「あいつなんか妙な雰囲気だったな」
「妙?」
「なんていうかな。焦ってる、でもねえし。怒ってる、でもねえ。なんだろうな」
俺が問い返しても、平等橋は要領を得ない曖昧模糊な感想をぶつぶつ呟くだけだった。
「正義は国語が苦手よね」
「言語化が苦手って言いてえのかよ。違えよバカ」
「は? バカって言った? いま私に向かってバカって言った?」
「言ってない言ってない! ごめんなさいごめんなさい姉貴ごめんって、みぎゃー!」
愛華さんにコブラツイストをかけられている平等橋を見ながら、俺はあの時の創大の様子を思い出していた。
あいつが焦ってた? 怒ってた? そんなことってあるのか?
創大のことで思い悩むなんてばかみたいだと何度も思っているが、一緒に生活している以上自然接触する機会が多いのだ。精神衛生上解決できる問題ならした方がいい。
でもやっぱり解決できる気がしないんだよなあ。
「見てないで助けろよ公麿!」
「キミちゃんに助けを求めるな愚弟!」
楽しそうだなーこの二人。と、俺はぼんやりそう思った。
家に帰って玄関で靴を脱いでいると、あれと思うことがあった。創大の靴がない。
「お袋ー。創大帰ってないの?」
「ええ。今日はこっちにいるお友達の家にお泊りするそうですよ」
リビングにいる袋に声を掛ければそう返って来た。ふーん、こっちに友達なんていたのかあいつ。なら夏休み中そこで泊めてもらえばいいのに。
「人一人を長い期間泊めるというのは大変なんですよ?」
「あれ、俺声漏れてた?」
「いいえ。でも顔に書いていました」
お袋はなんとも言えない表情で俺を見つめた。
「何?」
「創大さんのこと。やはり嫌いですか?」
ストレートに聞いてきやがる。
俺は何と答えれば角が立たないか必死で頭の中で答えを探したが、こんなもんすぐに応えなきゃYESって言ってるようなもんだ。お袋はふうっと息を吐いた。
「あの子は悪くないんですよ。でもあの子の家は、すこし考えが偏っているのかもしれませんね」
「どういうこと?」
お袋がキッチンに引っ込みながらそういったので、俺もお袋に付いて行くようにキッチンへ行く。
「夏休み前に私が話した『花婿の呪い』というお話を覚えていますか」
もちろんだ。あんなインパクトのデカい話を忘れるはずがない。
「公麿さんも知っている通り、創大さんの家は私の実家、つまり本家です。あの家はこの呪いをとても嫌なモノとして見ているんですよ」
「嫌なモノ?」
「禁忌。何か犯してはならない罪をした者が振りかかる呪い。そういう風にいう人もいます」
「俺なんか悪いことした覚えないんだけど」
「知っています。これは事故みたいなものです。でもそう思わない人もいるんですよ」
お袋はカップに冷えた麦茶を注いで俺に手渡した。外から帰って来たばかりなので、この冷たさは極上だ。
一息に飲み干すと、お袋は「だから創大さんもそういう風に教え込まれてきたんですよね」といった。
「そういう風……」
「呪いのことです。もともと姉さんがそういう人だから」
俺は叔母さんのあの冷たい目を思い出した。あれはやはりそういう意味だったのだろうか。何か汚いものでも見るようなあの目は、事実そういう風に見ていたのだろうか。
「なあお袋。ひょっとして俺が呪われてるってずっと前からわかってた?」
「……そうですね。今更隠していても仕方がありませんので言いましょう。あなたが生まれて言葉を話すようになったころには気が付いていました」
「言葉って、それって二、三才の時にはってこと?」
「はい。もうその頃にはこの子は将来女の子になるんだろうなという予想がついていました」
案外ショックはなかった。
夢の中のあの会話を思い出していたからかもしれない。でも二歳の時からかー。どおりでお袋も親父も俺が悪ふざけでスカートとか履いても怒らなかったわけだよ。気を引きたくて悪ふざけしたのにそれがなかったから自主的にやめたけどさ。
「それってそんなすぐわかるもんなの?」
「そうですね。これっていう目印みたいなものはなかったんですが、オーラというか雰囲気というか」
「おーら?」
「まあ一言でいうと直感ですね。この子はそうだってっていう」
雑だ。今までの説明が全部信じられなくなるレベルで。
「いろいろ悪い条件も重なっていましたからね。公麿さんの場合は。だからというのもあります」
「悪い条件って?」
「生まれた日や順番。何と言っても男の子なのに私の血を多く引き継いでしまったことが原因ですね」
「兄貴だってそうじゃん」
「大介さんはお父さんの血の方が濃いですから。それに長男ですしね」
「意味わかんねえなあ」
「ほとんどわかっていないことばかりですよ。今ここでわかっていると言われているものだって本当かどうかもわかっていません。だから大事なのは女性になってしまったというその事実だけなんですよ」
俺の飲み終わったカップを流しで洗うお袋。その姿をぼーっと眺めた。
「創大さんは自分で考える人です。今の自分、そして家のことも」
「どういうこと?」
お袋は何か大事なことを言っている。でも肝心の部分をわざとぼかしている。
「あんまりべらべら話していると怒られてしまいますから、私が言えるのはここまでですね」
「なんだよそれ。ケチ」
「ケチじゃありません」
戸棚から一口まんじゅうを取り出し、俺の口に放り込むお袋。甘いがこんなもんじゃ誤魔化されない。
「公麿さん。でも誤解しないでほしいのです」
「ふぁにが?」
もぐもぐと急いで咀嚼する。口がめっさぱさぱさになる。やっぱもう一回麦茶欲しい。
「私は公麿さんの味方であるということです。創大さんは確かに可愛い甥っ子ではあるのですが、そんな理由でこの夏を引き受けたわけではないということを」
「……」
「本当はもう少し簡単に事が運ぶと思っていたのですが、予想以上に拗れていました。大人が介入していいものかという気持ちもあるのです。でも一度しっかりと創大さんと話した方がいいと私は思います」
これも親の勝手な言い分になってしまうのでしょうねと、お袋は困ったように笑った。
俺はどんな顔をしてそれを聞いていただろう。鏡を見ないことにはわからない。見たところできっと形容しがたい、グニャグニャに口を歪めた嫌な表情を浮かべていただろうけど。
それからは普通の会話をお袋とした。
今日平等橋と遊んだことが中心だったけど、最後に創大に絡まれたこと。これだけは言うことができなかった。
なんにしても創大は今日家に帰らないんだ。精一杯羽を伸ばして休むことができる。
そう思って俺はその日ぐっすりと眠ることができた。
次の日、創大は家に帰ってこなかった。
友達の家で二泊してるんだろう。ひょっとしたらそうなるかもしれないと事前に聞いていたらしいから。
でもその次の日、三日たっても創大は戻ってこなかった。