TSしたら友人がおかしくなった   作:玉ねぎ祭り

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戻ろう

 弟切ユリさんはやがてすっと視線を下げて、申し訳ないように立ち去ろうとした。

 わざわざ平等橋のアパートにまでやって来たのだから、もっと何かあるのだと思っていた。それだけに彼女の行動は不可解で、俺たちはしばらく去っていくユリさんを見送ることになった。

「って、おい、平等橋?」

 先に気を取り直したのは俺だ。茫然とする平等橋の肩を叩いて正気を取り戻させる。

「え、あ、ああ」

 要領を得ない。

 平等橋の目はぐるぐるとどこを見ているのかわからない。

 迷ったが、俺は平等橋を引っ張ってユリさんの前に躍り出た。

「待ってください! どうして逃げるんですか!」

「……あなたは、階段の」

 ユリさんの目が俺の方を向いた。あんな一瞬だったのに彼女も俺のことを覚えていたらしい。

「余計なお世話だってことはわかってます。でも、ならどうして平等橋に会いに来たんですか」

「……あなたが誰だか知らないけど、そんなこと関係ないわ」

 暗い陰りのある言葉。逃がすか! なおも俺たちの脇をすり抜けようとするユリさんの腕を掴んだ。反対の手は平等橋の手を掴んでいるから、文字通り二人の橋渡しになっている。

「はな、して」

「じゃあ逃げないでください!」

「あなたには関係ないでしょ!」

 ばっと乱暴に弾かれた。

 弾かれたことよりもその言葉にショックを受ける。

 そうだ、自分でもずっと言っているじゃないか。これは平等橋の家のことで、俺が介入するには深入りしすぎている。払われた手の痛みはなんでこんなことをしてしまったのかという心の痛みだ。ぎりりと鈍く痛む。

「関係なくねーよ」

 いつの間にか平等橋が俺とユリさんの間に立っていた。

「巻き込んだんだ俺が」

 平等橋の手の震えは収まっていた。

 ユリさんは何か言いたそうにし、しかし何も口にしない。

「ごめんなさい」

 ようやく口にしたのは謝罪の言葉だった。

「勝手に押しかけて、迷惑をかけたことは謝るわ。あなたは愛華からどこまで?」

「……何も。さっきこいつに言われるまで何も知らなかった」

 ユリさんの視線が一瞬だけ俺に移ったが、すぐに平等橋に向き直った。

「先、長くないのか?」

「……ええ」

「そっか……」

 黙りこむ二人。道の端で佇み、通行人はチラリとこちらを見てくるがそれだけだ。二人にとっては大事でも、知らない人が見たら関心のない事なのだ。

「俺友達ができたんだ」

 平等橋が再び切り出した。

「そいつのおかげで、かなり大丈夫になった。だから、俺は大丈夫だ。それだけ、かな」

「……そう」

 

 

 結論から言えば二人の会話はここで終わった。

 ユリさんはその後「それじゃあ」と一言残して立ち去り、平等橋もあえて追うことはなかった。想像していたよりもずっと淡泊な結末と言えた。

「あの、えっと、その、さ。平等橋、よかったのか?」

 このまま別れるのも気持ち悪かったので、俺たちは近くの公園に移動した。ベンチに座る平等橋の隣に座るのはなんだか落ち着かなかったので、あえて正面に立って彼のつむじを見つめていた。

 改めて自分のした行動の大胆さと無神経さに心臓がバクバクする。

 恐る恐る尋ねた俺の問いに、

「ああ。あれでいいんだよ」

 と答えた。

「お前、結構姉貴と俺の家のこと話してたんだな」

「あ、えっと」

「隠さなくていいよ。怒ってるわけじゃないんだ。ただ、ありがとな。そんな心配しなくても大丈夫って」

 賭けだったと言わざるを得ない。

 平等橋が女性不振に陥ったのは家族のあの一件があったからで、母親と対面させることを迷っていた愛華さんの忠告を無視する形で逆にこちらから首を突っ込んでいってしまった。これでもし平等橋の様子が以前よりひどくなった場合どうなっていたか。

「手を握ってくれてたろ。あれがデカかった」

「え、あ?」

 一瞬何を言っているのかわからなかったが、話し合っている時のことだと気づき何故だか顔が熱くなった。

「あ、あれはお前がその!」

「キレんなって。茶化しとかなくてマジでさ、お前が隣にいたから何とかなったんだと思う。一人じゃないって、そう思えたからかな。……そんで、母さんと話せてよかったよ」

「そ、か。うん、そうか」

 ぱちぱち何度も瞬きをして平等橋の座る高さに視線を合わせた。

 平等橋の隣座れよと言わんばかりの目線を無視して彼の眼を見た。嘘をついているようには見えなかった。

 俺がしたことは間違っていなかったと思っていいんだろうか。

「でも全然話せてなかったよな。よかったのかあんなんで」

「あれくらいがちょうどよかったよ。でも実際あんまり実感はわかないな。死ぬ、なんて実感湧かねえよな」

 やはり引っかかっていたのはそこだろう。いきなり言われただけであっさり納得できる言葉ではないからだ。

「詳しいことは私にもわからないけど。ごめん、もっと早く話すべきだった」

「そこでなんでお前が謝んだよ。よくわかんねえけどさ。それはまた姉貴に聞いてみるよ。ってなんだよその顔」

 平等橋は俺の頬をぶすぶすと指で押してきた。納得がいかない、というより不可解な部分があるのは確かだ。

「親が死ぬかもっていうのにあっさりしすぎてるか? 俺」

「あ、いや」

 図星を突かれて答えに窮する。間違いなく俺が引っかかっていたところだからだ。

「もう二度と会うことはないって思ってたからな。それを思ったら最後にもう一度会えてよかったって感じだよ」

 俺は平等橋家の事情をかなり深いところまで知ってしまった。

 俺を安心させる意味を含めてだろう。

 平等橋は明るい口調で語る。

「姉貴に聞いたんだけどな、あの人もう別の家庭を持ってるらしい」

 でも、それがどれほど無理をしているかなんて。

「あの日の男と一緒になったのかは知らねえけど、子供もいるんだってさ」

 かりかりと何かをひっかく音が聞こえる。公園のベンチを爪でひっかいている。

「極力聞かないようにしてたけど、やっぱりそういう話って耳から離れないもんだろ」

 音はどんどん早く、強くなり、爪から血が噴き出している。それでも動きが止まることはない。

「だから、もう俺の母親っていうよりよその家のかあちゃんっていうか」

 言い終わる前に俺は平等橋を抱きしめた。

 見ていられなかった。

 言葉なく、彼を正面から強く、強く。

 男同士で気持ち悪いだろうか。半年前の俺ならきっとこんな行動には至らなかった。でも今の俺は女だ。傷ついた友人を放っておくことはできなかった。

 頭一つ背のデカい友人。

 震える体を安心させるように、俺は何度もその背を摩った。

 

 

 家に帰った俺は、お袋の「遅かったですね?」という呼びかけにもおざなりな返事で濁し、一直線に自室に入って鍵をかける。

 ベッドに腰を下ろした時点で我慢の限界を迎えた。

 枕元に置いてある手ごろなクッションを手に掴み、大声で叫んだ。

 うああああああああああ! 何やってんだ俺ええええええ!

 思い出すのは数時間前の出来事。

 勢いとノリで平等橋を抱きしめたはいいが、その後どうすればいいのか分からず、平等橋の「そろそろ大丈夫だから」の声で体を離した時のやってしまった感。帰り道互いが無言となる気まずさ。とどめはいつも帰り際には「またな公麿」と声を掛けてくれる平等橋が今日に限っては目も合わせず黙って俺が下車するのを待つだけという避けられよう。

 なんで俺あんなことしたんだろう。

 一人になって家まで歩きながら自問自答を繰り返したが、その度に脳裏には平等橋を抱きしめる映像がぐるぐると駆け巡り、電信柱に頭を叩きつけたくなる欲求を何度も我慢した。

 有体に言って死にたい。

 死にたいよおおおおお。

 ごろごろとベッドの上で転がりまわる。今までこんな黒歴史に残る行動は取ったことがあっただろうか、いやない。

 本当、どうしてあんなことをしてしまったのか。

 興奮して体は熱いが、反対に脳みそは驚くほど冷え切っていた。

 普通、普通だ。

 たとえ友人が落ち込んでいるって言ってもハグはしないだろう。欧米じゃあるまいし。だとしたら、俺は。

 違う違う。そういうんじゃないって。

 危うく浮かび掛けたものを必死でかき消す。

 ダメだ、頭の中に沸いた疑念をかき消そうとすればするほど脇汗がすさまじい事になって来る。

 埃が舞い散るのを構いなしに転がっていると、ふとじとーっと嫌な気配を感じた。

「何してんの? お姉ちゃん」

「……」

 ゆかりがひきつった顔で俺を見ていた。

「いつから?」

「クッションに顔当てて叫びだして、転がり始めたくらい?」

 ほぼ全部見られていた。

「あっち行っててくれよ。今ちょっと一人になりたいんだ」

「ええ? ごはん呼びに来たのにー。今日オムライスだよ? お姉ちゃん好きじゃん」

「……好きだけど今は食欲ない」

「食が細いくせに食い意地張ってるお姉ちゃんが食欲ない、だと!? いやマジでなんかあったの?」

 ゆかりは俺を押して空いたベッドの端に腰かけた。こいつ出ていかない気だ。

「何もない」

「うっそだー。お姉ちゃん嘘ついてるとき目逸らすもん。絶対なんかあったじゃん」」

「ないってんだろ。怒るぞゆかり」

「じゃじゃじゃ、ヒント頂戴ヒント」

 このクソガキ。

 今更だがゆかりは俺がちょっとやそっと怒ったくらいじゃめげない。というかこいつは俺の沸点がどこまでか把握している節がある。本当に怒っている時は近づかないが、そうでないときはぐいぐいやって来る。俺も本気で触れて欲しくないというわけではないので強く言い返せない。悔しいなあ。

「恋バナ?」

「違う」

「マジで!? 恋バナなんだ! お姉ちゃん今まで男の子ばっかりモテてたからこりゃ義姉ちゃんは無理かなーって諦めたんだけど、今お姉ちゃん女の子だから将来的には義兄ちゃんは期待できるわけか。燃えるわー!」

「違うっつってんだろ! 耳腐ってんのかアホ妹!」

「じゃあさじゃあさ! 相手って誰? 私の勘だとこの前の写真の平等橋さんだっけ、その人だと思うんだけどなー」

「……違う」

「……これはー。この反応は私じゃなくてもわかるよね。え、嘘。マジで?」

「お前もう出てけよー!」

 興奮するゆかりを強引に部屋の外へ追い出した。くそ、変に体力使った。体中が暑くて仕方がない。

 扉の外で「お姉ちゃんごめんって~」と形ばかりの謝罪を述べてくるゆかりも、俺が無視を決め込んだらさっさと下に降りて行ってしまった。

 なんなんだろうなこれは。

 ベッドの上に倒れこみ、俺は漠然と考えた。

 ゆかりに茶化されたが、というかあいつはどういう思考回路を経てあの答えにたどり着いたのかは謎だが、感情の矛先としては近しいものがあると思う。

 俺が平等橋に行ってきた行動の数々。

 女になって、一度は疎遠になって、また友達になって。喧嘩もして、やっぱり遊んで、周りから茶化されて、鬱陶しく感じてもやっぱり一緒にいて。

 でもそれって友達だからであって、でもやはりそれは裕子や亜衣や舞依に向けるものとは明らかに違っていて。

 これまで築き上げてきた延長線上だと自分を誤魔化し。

 誤魔化し、誤魔化し、誤魔化し続けた結果の行動が、今日の“アレ”なんだろうか。

 何度も何度も否定してきて、その答えに安心して、導き出したものが答えなのだとずっと思っていた。

 思えば女になってからずっとだったと思う。

 声には出さなかったが、この問いとの否定が俺の頭の中にはずっとあって、でもそれは否定しても否定しても納得のいく答えが見つからず、結局いつも思い悩む羽目になっている。

 ゆかりの言葉に頷くことはできない。

 怖いからだ。

 気持ち悪いって、自分にそんな気はないって、あいつに言われたらどうしよう。

 そんな気持ちをかけらでも抱かれていると知ったら相手はどう思うだろう。

 もうだめだ。

 今日の件で思い知った。

 とっさの反応であんな事をしてしまうのだ。これからいつどこでぼろが出るかなんてわからない。

 姿見の前に立つ自分を見た。

 半年前は男だった。

 髪は短く、肩幅も今よりはがっしりしていた。

 今の姿を見ればもはや同一人物とも思えない。完全に女だ。

 こんな姿で変わらないだのずっと友達だの何を言っているのやら。

 自分で言いだしておいて自嘲染みた笑いが込み上げてきた。

 戻ろう。

 それしかない。 

 学習机に立てかけておいた鋏を手に取り、俺は女を捨てる決意を固めた。 

 

 


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